今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行47

2008-10-13 21:32:53 | 鉄道旅行


稚内には938の到着。まずスタンプを押し入場券を買ってから荷物の一時預かりをしてもらうことにする。これからノシャップ岬へ行く。思ったよりも暑い。長袖のシャツの上に裏地のない薄いジャンパーを着ているが、前のチャックはしていないし、腕まくりをしているのに暑い。北の端が一番暑く感じる。
 ノシャップ行きバスは駅前よりも本局前からの方が本数が多い。荷物預かり所にバス停の位置が書いてあった。駅前通を100mほど行った郵便局の前がバス停である。途中、NHKテレビで7,8月の11時50分からの「お知らせ」のバックで放映されていたアーケードのある通りと交差する。本局前からは10分おき位にバスが出ている。てっきりここが始発と思っていたがそうではなかった。バスは昨日雄武-北見枝幸間を乗った赤と白に塗り分けられた宗谷バスである。中乗り前降りワンマンカー。車内は10人程とすいている。ノシャップまで80円。本数の多さ、利用者の少なさを見ると、これで経営が成り立っているのかなと思う。私の座った側は日の当たる方だが、またブラインドがない。ノシャップまで曲がったりせず一本道である。
 赤と白に塗られた灯台が見えてくるとノシャップ終点である。そこから岬まで300mほど歩かなければならない。バス停から岬の方向に向って左手の小高い丘を見れば、白いドーム上の建物が並び、アンテナのようなものも見える。これは自衛隊のレーダー基地らしく、北方からの侵入者を見張るためのものだ。ここは国境の町と言う感じがする。特にそれを感じさせたのは、我々が岬にたどり着いたときに、茶と緑のまだらになった迷彩服を着た自衛隊員を見たときだった。すぐに彼ら20人ばかりはトラックでどこかへ行ってしまったが。
 ノシャップ岬は納沙布岬と違い70㎝位の防波堤があり、その下は砂浜の海岸線である。砂浜では漁師が小船を止めて何やら作業をしている。私は防波堤を下りて砂浜を歩いてみた。波は静かでほとんどない。水辺では体長5cmほどの小さな魚がたくさん泳いでいる。樺太は見えるかなと思い見回したが、快晴なのに水平線上は暗いもやがかかり見えない。左手に利尻島が見えるが、これももやがかかってぼんやりとしか見えない。

    

 我々は寒流水族館に入る。中は涼しいかなと思い入ったが、外と大して変わらない。ついにジャンパーを脱ぐ。寒流水族館というわりには熱帯系のものも多い。回遊路方式の円筒形水槽の中にいるのが寒流系のカレイ、ヒラメ、イトウ、サケ、マスなどである。カニも他の水槽にいた。出口付近には何とワニがいる。どこの水族館も同じである。水族館の隣には青少年科学館と言うのがあったが、金が要りそうなのでやめる。再び海のほうへ行く。水族館の北側にはトドかアザラシかわからないが、オスとメスとがたわむれている。しばらく海岸を散歩してバス停に戻る。
 バス停にはバスが停まっていたが、我々が走らずに歩いていくと、あと50mほどのところで発車してしまった。しかし、そのバスを見送っていると、すれ違いに向こうからバスがやって来た。さっそく乗り込んだが、暑い中を時間調整とやらで10分近く待たされる。帰りのバスは、途中で地元客や小学生らを乗せて我々が下車した本局前ではほぼ満席だった。

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31年前の北海道旅行46

2008-10-09 21:50:46 | 鉄道旅行
   YH付近からクッチャロ湖方向を見たところ

  1977.8.27 Sat.
  6時に起きる。私の下のベッドのヘルパーは先に起きていていない。浜頓別駅では7時40分頃に3方向に向かう列車が出るため、それに乗るものは6時30分食事である。顔を洗う水が冷たい。北海道はどこでもそうだ。朝食はまたパン。それにホットミルク、マカロニのサラダ、その他目玉焼きがあったように思う。ビンにマーガリンとジャムが入っている。トースターもあったが利用しなかった。おかずがわりに多くパンは一枚でやめた。私の隣にはミニスカートをはいた大阪の女性がいた。鏡を見なかったのだろうか、鼻から下を白い粉を塗った下手な化粧をしていた。今日札幌方面へ戻ると言う。どこに行くのか聞いてくるので利尻へ行くと言うと、鴛泊YHは面白いと言う。特に見送りが面白かったそうだ。礼文は行かないのかと聞かれ、行かないと言ったが、礼文の桃岩荘YHもよかったと言っていた。
 朝食を食べ終わるとトイレに行きたくなった。列車に乗る組は7時10分くらいに出発して行ったが、私は準備に手間取ったのとトイレに入っていたことで7時20分頃に出る。林の間からクッチャロ湖がかいま見えるところを写真に収めて駅へ急行。YHと北オホーツク荘との間の東西の舗装された道を駅方向に歩く。この道を真直ぐ行くと、浜頓別駅構内をまたぐ歩道用陸橋があり、北側に腕木信号機や機関庫が見え、南側は駅舎、ホームが見渡せる。すでにどこ行かわからないが、3本あるホームのうち2本に列車が入っている。この陸橋を渡り右に曲がるとすぐ駅である。昨日のようなややこしい道を通らなくてもこんな近道があったわけである。
我々はすぐ改札を通り、橋を渡って3番線へ。ちょうど稚内行が到着したところで、高校生らがドッと降りてきた。740発稚内行はキハ22の2連だったと思う。我々が乗ったときには空いたボックスがなかったが、SがYHで会ったあの東大生を見つけ、そのボックスに座る。何やらSと東大生が話し出した。話が鉄道の話になってきて周遊券の話、ATCなど専門的な話、私鉄、そして鉄道模型の話まで進んでいる。東大工学部相手なので専門的な話が多く私はついていけない。
 外の景色は、浜頓別を出て間もなくクッチャロ湖が見えてくる。周囲30kmはあるとYHのペアレントが言っていただけあって広い。また美しい。時間さえあれば連泊して歩いてみたいなぉと残念に思う。列車は広い放牧地や所々に木々が散在する一面の草原の中、シラカバなどの広葉樹に覆われた低い山と言うより丘陵地の間を走ったりする。稚内は新しい市街と思われる南稚内付近は別として、今まで車窓から見てきた中標津、北見、紋別などの町に比べて薄汚れた家が多いように思う。

31年前の北海道旅行45

2008-10-06 21:15:01 | 鉄道旅行
  ミーティングが8時からあるが、20分前に食堂へ行った。YHのハンドブックと時刻表を持ってSと行く。明日は利尻へ行くことが確定する。その後、翌日の朝の船で戻るか、夕方の船にするか、礼文に渡るか考えたが、日程のこともあり朝の船で稚内に戻ることにほぼ決定する。
 さて、我々の座ったテーブルには学生の男ばかりがいた。関西の大学が三人おり、二人は神戸の大学で、うち一人はスポーツ刈り、もう一人大阪の大学へ行っているスポーツ刈りヒゲ面の4回生という男は、大阪から稚内まで42日かけて歩いたと言う。また、東京大学の工学部と称するメガネをかけた細面の男がいて、このテーブルの一同ガックリ。
 間もなくミーティングであるが準備のため食堂を追い出される。待つ間、さっきの関西の学生らは東大生がいたことでガックリを繰り返している。机の配置が変えられ、テーブルの上に紅茶とお菓子が出ている。細長いテーブルを挟んですわりきゅうくつ。電気が消されローソクに火ががつけられる。若いペアレントが中央に、机の上に腰をかけギターを持っている。「遠い世界に」で始まる。このペアレントはフォークの好きな人である。9時までの間5~6曲、いやそれ以上歌わされた。歌うだけのミーティング。時たまペアレントの話はあったが、明日の朝食は7時40分の列車組は6時30分からで何人希望するかとか、ベニヤ原生花園へ行くのは何人だ。その説明を9時20分からここでするとか、連泊は何人とか事務的なことかが多かった。
その他、なぜグループの宿泊者が別々の部屋に分けられるのかそのわけも説明された。それは一人旅の者がグループ宿泊者と同室になると一人取り残されてしまうからだと言う。これに対してこのペアレントに敬服した。定員オーバー気味に食堂に人がいるから人いきれで暑い。9時になると再び「遠い世界に」を大声で歌い、ローソクの火を一方のテーブルから順々に消していき、ミーティングは終了する。
 終わるとすぐに利尻の鴛泊YHにSが連絡する。YHの予約をハガキで送ったのは浜頓別YHまで。ここからしばらく行き当たりばったりになる。我々は空気の悪い食堂にはいずに部屋に戻る。再び明日以降の計画を考えるが、明後日は羽幌線沿線に泊まることが大方決まる。
 今夜の月は何度見ても飽きない。10時前には寝る準備をする。見知らぬ人が部屋にやってくるたびにベッドが空いているかたずねられる。簡易ベッド組と値段が違うから私はベッドのはずである。10時になるとこの部屋のメンバーが帰ってきたが、一人オレはベッドのはずだとヘルパーらしき男が言う。ひょっとして私が間違いかなと一瞬思ったが、彼の勘違い。定員8人の部屋に13人が寝る。いつの間にもぐりこんだのか下のベッドのヘルパーらしき男が、私に6時に起こしてくれと頼んでくる。13人も詰め込まれたので暑く寝苦しい。おまけに京都では見かけない蚊がブンブン飛び回っている。何回目を覚ましたことか。

31年前の北海道旅行44

2008-10-02 21:20:20 | 鉄道旅行
  YHの入口に近づくにつれ、「おかえりなさい」の声が飛んでくる。「ただいまぁ~」とそれに答える。
 例により受付でカードに必要事項を書き込み部屋を聞く。Sは「こと」。私は何か忘れたが、星座の名前の部屋であった。我々がカードに書き込んでいると、6時から夕食と言うことで、外でソフトをやっていた連中がどっとやってくる。食堂は配膳中でまだ入れてもらえないので、受付の前は混雑している。我々は6時30分から夕食と言うように二部に分かれている。部屋へ行くと先客が一人ベッドの上にいる。他にリュックが2、3ある。どのベッドがあいているか聞くと、奥の入って左上が空いてそうと言うことだった。リュックを下ろし、荷物を見ていると、ヘルパーらしき者が来て、夕食が一人分余っているのでどちらか食わないかと言う。先客は、夕食は頼んでないと言うとどこかへ行ってしまったが、私もヘルパーの言うのを無視した。6時30分に食堂へ行くが、まだ用意できていない。Sの部屋へ行って明日の計画を考える。下の食堂が急に騒がしくなり、バンザイの声も聞かれる。何の騒ぎやろ?
 6時半をかなり回って夕食となった。今日の料理は牛肉のカレーソース煮のようなもの。かなり大きな肉だ。野菜にスイカ、メロン,ブドウのデザートもあり、他にもヒジキの炊いたものなど盛りだくさん。メシも食い放題。ここは始めから配膳してあり、わざわざ自分で取りに行く必要はない。さて、食べる前にヘルパーらしき者が、三つあるテーブルから代表を出してじゃんけんをして負けたところが食器洗いをするという。ざわめきが起こったが、さっき6時から食事していた組が騒いでいたのはこのためであることがわかる。Sがこの食堂にあるステレオのスピーカーはみな同じ大きさだが効果があるのかなと言う。私はオーディオには関心がないので「さあ」と言う生返事。見ると巨大な自作のスピーカーボックスで、縦2m余り、横Ⅰm位のものだが、なるほど数個あるスピーカーはみな小さなもので同じ大きさであった。食事が終わると例のじゃんけん。私のいたテーブルでは、私の向かいの女性が代表となった。幸い勝ったので大助かり。
 食事の後はフロヘ行く。ここのYHも狭い。特に狭く定員3人。それも洗い場は二人分で、背と背がくっつきそう。私がフロに行くと幸いにも誰もいない。すぐに一人入ってきて、少し遅れてSが入ってくる。狭いので彼は洗い場が空くまでずっと湯船の中にいる。ところで、私の後に入ってきた男は、話していると登山の好きな男らしい。明日行こうかと思っている利尻のYHの夜間登山について聞いて見る。彼も利尻に登ったということだったが、YHの登山ではなく仲間と登ったという。話によればそう難しい山でもなさそうで、山頂で会ったYHの登山も結構面白そうだったという。この話を聞いてか、Sは利尻の登山に乗る気になったようだ。
 フロを出て部屋に戻る。部屋の前の廊下の突き当たりにある、底板のない危険なベランダに出る窓から月が見える。何と澄んだ空だろうか。月が澄みきった空気の中で美しく輝いている。この時期京都で見ているのよりきれいで明るい感じがする。