今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行72

2009-04-29 21:38:20 | 鉄道旅行
  1146発車。札幌行車両は途中でドアを開けないのか、地元の高校生の女の子が降りようとしたがドアが開かず、急いで先頭の小沢行車両から降りていった。
  小沢には1210着1番線。蘭越発「らいでん2号」と併結のため20分も停まる。1番線で先頭の小沢止を切り離し、一旦岩内方向へ発車。岩内線の上で10分近くも停車する。その間、運転士が車内の通路を通り、函館側運転室に移動。列車は2番ホームに入り併結。何もこんな面倒なことをせずとも、最初から2番線に入ったらよいのに。このようなよくわからない分割、併結が多すぎる。
  やっと1230発車。銀山、然別といった所をあえぎながら走る。高原地帯で、特に山深いわけでもないが、トンネルも多い。1個エンジンのキハ22では荷が重すぎるのか、急行と言えども小沢-小樽間、同じ急行「ニセコ1号」と比べ11分も遅く、最速の普通と比べても4分早いだけ。余市、蘭島で交換があるためでもあるが、ちょっとひどい。
  塩谷を通過して最後のトンネルを抜けると、車窓に海がちらりと見え、住宅群が広がりだす。列車は高台を走るため、小樽市街を見渡せる。低い山に囲まれた港町であるが、大きくにぎやかである。ちょうど神戸のように、町の背後にすぐ山が迫っている感じである。
  小樽1番ホーム1334着。ここで、札幌から急行「かむい4号」となる1412発871M普通列車に乗り換える。発車ホームがわからないので、一旦、連絡地下道へ下りる。階段を下りると、すぐ右手に改札口があり、そこから駅前が見通せる。地下道と思っていたのは地平の連絡通路ということになるが、ホームは高架式でもなく、こちらも地平式。小樽の地形がこのような構造の駅を造らせたのだろう。余談だが、釧路、旭川、札幌の各駅には駅デパートが併設され、地平の改札口の他に地下改札口があって、デパートと連絡していた。
  発車番線を確認するために改札口を出ると、また入るのに待たされてしまう。ちょうど連絡通路を歩く駅員がいたのでたずねる。2番線から出るとのことで、そちらに向う。
  2番線の反対側、3番線には1345発快速札幌行の711系6連が入っており、かなり客が乗っている。下り「かむい4号」は上り「かむい4号」(札幌から快速)の折り返しで、定刻よりやや遅れて到着。3番線の快速は、時間通りドアが閉まったが動き出さない。運転士が窓から顔を出して後ろの方を見ていたから、車掌が戸締めの合図を忘れたのだろうか。2~3分遅れて発車。
  昼食用に売店で60円のパン2個と缶コーヒーを買う。200円ちょっとだから弁当の半額。もうしばらく節約だ。車内清掃が終わって、車内でパンを食う。前から2両目モハ711に乗る。隣の1番線には上り函館行普通列車が入っている。
  1412発。小樽から二つ目の駅、小樽築港は機関区のあるところで、数年前まではSLのたまり場であったところも、現在は派手な色に塗られたDL、ELが並ぶ。このあたりまでは小樽の市街地で家並も続くが、この先、銭函あたりまでは山が海に迫り、列車も海岸近くの防波堤のすぐ脇やトンネルで通過。時おり、線路と海岸の間に古びた漁師の家と思われる建物が並んでいる。岩場で水浴びに興じる子供たちの姿も見られる。海の向こうには、暑寒別と思われる山々が望める。
  手稲には車庫があり、色々な形式のティーゼルカー、475、711系などの電車が休んでいる。中でもボロボロの82系気動車が目につく。ここから先は、札幌近郊ということで新しい住宅が多い。小樽を発車した時は50%ほどの乗車率も、徐々に増え続けて100%に達する。私は、このあたりでうとうとと、しばし眠ってしまい、気がつくと札幌到着。列車はここから急行「かむい4号」となる。乗客の大半が入れ替わる。
  1500にほぼ100%の客を乗せて札幌を発車。どうもこの711系はモーターの音が小さい。1M方式だからさぞ音も大きかろうと思っていたのだが。
  進行左、北側の席にすわっているが、白石を通過したあたりから午後の西日を受ける。それとともに、白石から先は冬の季節風がまともに線路に当たるためか、防雪林が目につく。時折、防雪林を突っ切り踏切と直角に交わる道路から、林の向うに広々とした石狩平野の穀倉地帯が顔をのぞかせる。岩見沢から北では防雪林も途切れがちだが、広大な水田地帯が開け、続いている。

31年前の北海道旅行71

2009-04-08 21:20:01 | 鉄道旅行
   1977,9,1  Thur.
  7時30分起床。8時に朝食である。鮭の切身の焼物、目玉焼き、漬物、みそ汁等であったが、鮭が辛めで結構食が進む。
  食べ終わると、宿泊とキャンプ費用の計4700円徴収される。うち500円はSのキャンプ費の立て替えである。徴収後、YやKは、今日のキャンプの必需品の買出しに旅館を出て行った。
  出発は9時15分頃で、まず岩内へ行き、そこからバスで積丹半島西側にあるキャンプ場へ1~3年生は行くという。岩内線の列車へ函館本線下りからの連絡が悪く、そのため小沢までバスで行く。
  荷物をまとめて旅館を出発。バスは駅前からは出ず、駅前通を100mほど歩き、左に50mほど行ったところにバスターミナルがある。バスは小沢行ではなく岩内まで行くのだが、鉄道同好会ということもあり小沢で列車に乗り換える。倶知安から小沢、岩内への列車は不便だが、バスが意外にも30~60分間隔で出ている。
  バスターミナルで15人分の切符をKが買って、一行はバスに乗り込む。1人130円。930発車。途中の停留所で客を拾い車内は満席。立つ人もいる。ニセコバス始まって以来の混雑?
  北海道の道路はよく整備され、バスの揺れがほとんどない。またもや定速運転。なだらかな起伏を見せるニセコ高原を走る。峠で少し速度が落ちたが、悠然とした運転が続く。京都の神風バスとはえらい違いだ。
  
  小沢948着。小沢駅は小さな木造の駅舎で、ひっそりしている。1004発4941D岩内行は1番ホームに入っていた。キハ22の2連で、後ろの車両に乗る。空いており、私は1BOX確保。他のBOXも1~2人ずつしか座っていない。この2連の後に札幌発の急行「らいでん1号」のキハ22が1両併結され、我々の車両は中間車となる。
  列車は小沢を出ると、函館本線を右手に見て勾配を下り、左手に大きくカーブする。車窓からは、水田が広がり、遠くにニセコの山々が眺められる。列車の速度は余り速くない。
  岩内1027着。私はここで1~3年生と別れ、折り返し1146発で札幌方面へ向う。いよいよ私の旅も終わりに近づいた感がする。彼らは1050発のバスで赤石方面へ行くために、駅前バス乗り場で待つ。さっき小沢まで乗ったバスが、別の乗り場に停まっている。このバスは、岩内折り返し1045発で倶知安に帰って行った。
  私は帰りの列車を待つ間、海でも見に行こうかと思ったが、道順もわからないし荷物もあるので、やめて1~3年生の見送りをする。バスが出る少し前にバス会社のオッサンがやって来て、彼らに、大きな荷物を持って乗ると他の客に迷惑がかかるからと、バス会社のビルの裏へ彼らを誘導し、先にバスに乗せた。1050、バスが乗り場に顔を出し、他の乗客を乗せる。中央バスと称すこのバス、京阪バスそっくりの塗り分けであった。



  彼らを見送った後、駅の待合室に向い、ベンチに座って列車を待つ。まだ1時間近くある。岩内からは札幌行バスの方が本数も多く、値段も安いのに、結構、札幌まで国鉄を利用する人がいて切符が売れている。
  発車10分前に改札の案内がある。私は、ホームに入るまで4941Dの折り返しだから、先頭の1両が札幌行だと思い込んでいたため、あせってすぐに改札口に並ぶ。ホームに入ると早足で列車に向ったが、何と札幌行は後ろの2両。前の1両は小沢止りである。そのため、思ったより空いていた。私の乗った真ん中の車両で30~40%の乗車率であった。


31年前の北海道旅行70

2009-04-06 21:28:01 | 鉄道旅行
  国縫では下り特急「北斗2号」が遅れているため、その通過を待って発車。(じいさんの話に付き合わされて気付かなかったが、926Dが遅れていたのかも) 長万部には定刻より遅れて到着。
  1627発下り急行「ニセコ2号」を3番線のベンチで待つ。売店にイカの姿焼きの札が掲げられている。食いたいと思うが店員がいない。値段が書いていないのでそれ次第だが。
  先頭の客車に1~3年生がおり合流。車内はガラガラ。悠々1BOXがとれる。すわるとさっそく瀬棚の海で濡らした靴下を脱ぎ、床に新聞紙を敷き裸足になる。
  列車は長万部から先、山あいに入り、ニセコ高原地帯へ上っていく。
  三年生のKがやって来て、瀬棚線や今日までの私の行程について、また、北海道のYHの話などをしているうちに1758、本日の宿泊地、倶知安に到着。Yが大沼で「たんしん線」と呼んでいた胆振線は、ここから噴火の影響のない途中駅まで動いている。
  今夜泊まる安藤旅館は、駅の目と鼻の先にあり、駅前通りをはさんで福井旅館と向かい合っている。福井旅館は新しく改築されているが、安藤旅館は二階建ての古めかしい、いわゆる大衆旅館である。大正か昭和初期と思われる建物で、木造の内部もかなり年季が入っている。客室は二階で、駅に向かい合った4部屋が同好会用である。部屋はすべて畳敷きで、入口にはすりガラスの入った赤茶色に塗られた年代物の木枠のドアがはまっている。テレビはコイン式。一応、茶の用意はしてある。一階には旅館の人の部屋、食堂、風呂、洗面所、トイレと集まっている。
  フロの後夕食。7時過ぎから食堂でとる。ここの食堂は大衆食堂兼用であるが、夕食は泊り客のみ。旅館の玄関横に入口があり、オバハンが用意したつっかけをはいて行かなければならない。
  夕食は刺し身(タコ、魚)、トンカツ、いわしの煮付け、漬物、みそ汁、メシという内容である。他の泊り客は、近くの建設現場の作業員風の男で、トンカツがない。おそらく我々よりも安い宿泊料で泊まっているのだろう。
  日本酒でまず乾杯。一人1本の銚子付。風邪をひいている私には酒がよく効く。ここの食堂も古めかしい感じである。奥の調理場では、旅館の人がメシを食っているのが見える。
  食べ終わると部屋に戻り、明日の計画を練る。その後、部屋にある週刊誌を読みふける。部屋の週刊誌を一通り見終えると、他の部屋へ遠征する。他の1~3年生も飢えているのか、夕食の間に敷かれたふとんの上に寝そべって週刊誌を読みふけっている。ここには一般の書店には置かれていないようなかなりえげつない内容のものもあり、皆かなり興奮気味。
  10時ごろには風邪薬や酒、それにこれまでの疲れから眠気を催し床に入る。しばらく雑誌を見ていたが、10時班頃には寝入ってしまった。私のいる部屋には4人寝られるのだが、他の者は遠征中であった。


31年前の北海道旅行69

2009-04-01 21:29:33 | 鉄道旅行
     

  瀬棚1256着。帰りの1427発926Dまで時間があるので、三本杉岩とやらを見に行く。私の前にリュックを背負った二人組がおり、それについていけば三本杉岩に行けるだろうと思い後を歩く。駅前通りを50mほど行くと国道に出て、左手に曲がる。国道は、一部歩道の工事中だ。昼食の場所も物色しながら歩く。前を歩く二人組は、途中でレストランに入っていった。仕方なく先へ進む。三本杉岩関係のみやげ物の広告が各店に掲げられているから、このまま行くと行き着くだろうとさらに歩くと、海岸近くの海にそびえ立つ3本のローソク岩が見えてきた。
  海岸近くの道路が工事中ということもあり、落ち着いて景色を楽しめる雰囲気ではない。カメラに三本杉岩を撮ろうと堤防上の道から構えたが、どうも右手に突き出した防波堤とテトラポッドがじゃまになる。ふと下を見ると、砂利でできた中州があり、だらだらと流れる川が岸と中州を分けているが、水位は大したことはなく、渡れそうである。この中州からなら障害物もなく岩の写真が撮れそうに思い、岸に下りる。中州まで思ったより距離があり、初めのうち飛び石伝いに渡って行ったが、最後に適当な石がない。キャラバンに水が入りそうな深さであったが、ここまで来たのだからと水の中を歩く。中州で2、3枚写真を写して引き揚げる。この岩は、まわりの地形からすれば奇岩には違いないし、町もこれを観光名所として観光客を呼び込むつもりなのだろうが、どうも人工物で固められた周りの景観が悪すぎる。
  他に見るべきものもなく、駅方向に戻る。途中、往きに目をつけておいた食堂に入る。焼き飯を注文。350円だが、京都の喫茶店で食うより量がある。ただ、ちょっと油分が多いが。
  2時ごろ駅に着いた。入口のトビラが閉めてあったが、開けて入る。待合室はまだだれもいない。手持ちの雑誌を見たりして時間をつぶす。



  1427発長万部行は、往路に乗った925Dが折り返すキハ21の単行であるが、間合いを利用し、瀬棚-今金間1往復アルバイトをして1418に戻ってきた。客はあまり乗っていなかった。  発車5分前になって改札。30%ほどの乗車率で発車。今金で60%くらいに。今金から先、私はまた眠ってしまった。
  国縫の近くになって眠りから目が覚めた。すると、向かいに座っていた細面にメガネをかけ、よく日に焼けた初老のオッサンが話しかけてきた。どこから来たのかとか、北海道はどうかなど聞いてくる。本州を内地と呼ぶくらいだから生粋の土地の人であろう。新幹線を北海道に敷いて、もっと北海道を開発すべきだと言い、そのためには本州資本も多くやって来て欲しいと言う。私の意見は逆なのだが、旧軍隊出と言う堅物相手にあまりけんかする気もないので、ジイさんの話を聞いているだけ。ただ、新幹線より、やはり船で北海道に来るほうがよいとだけ言ってやった。また、植物の話になって、私が駅に植えてある花も美しいと言うと、そんなのより自然の小さな花が良いのだと言う。他にも内浦湾(噴火湾)の由来の講釈を聞かされるが、それくらいなら私も知っている。ジイさんの話自体矛盾しているし、私の考えとも終始食い違ったまま。