今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行32

2008-08-29 21:01:37 | 鉄道旅行
ここでも発車10分ほど前に改札。特急「オホーツク」札幌行と同時改札である。帰りの高校生が多く、2連のキハ22はすぐに満席。私は進行方向と逆向き、南側に座った。私は通路側である。上り「オホーツク」が遅れているため、この普通も発車が遅れている。まるで山陰線みたいと言っているうちに、列車は「オホーツク」の到着を待って約5分遅れで発車。北見はかなり大きな町で、結構長い間、家並が続く。どの家も白い壁の家で、真新しい感じがする。北海道の人は金回りが良いのだろうか。ただし、プレハブのような一見弱々しい感じがせずでもないが。
 列車は、たそがれ時を網走に向かって走る。美幌に近づくにつれ山が迫ってくる。車内には勉強家の高校生がいて、乗ってから降りるまでずっと何やら問題を解いている。それを見てSが「ぼくでもあんなに勉強したんだ」と言ってなつかしがっている。
 美幌、女満別で乗客の大半が下車し、車内は30%ほどの乗車率。我々はあいた北側のBOXに移動。女満別から先、網走までは網走湖のそばを走る。北側の席からは、それを見ることができる。初めのうち森林の中に見え隠れしていた湖面も、次第にその姿を見せてくれた。夕暮れの湖は美しかったが、列車の下、湖岸を走る国道が少々じゃまである。またホテル等の施設もいらない。

31年前の北海道旅行31

2008-08-28 21:14:17 | 鉄道旅行
 途中、置戸で目が覚めたが、また眠ってしまい、再び気がついて外を見れば訓子府という駅であった。なんか車内が騒々しいと思えば、高校生や地元の人々がかなり乗り込んでいる。列車がなかなか動かない。案の定、反対列車の待ち合わせだった。車内は100%を越す混みように。
 やっと動き出した。外の風景を見てびっくり。何とこんな北の地で米を作っている。一面田んぼである。山も遠ざかり、広々とした田んぼだ。時たま見える赤や青色の屋根の家をワラぶきの家に変えれば本州と変わらない。北海道までこんな風景を見に来たのではない。
 北見に近づくにつれ家並ガふえてくる。三角屋根、への字型の屋根など、田んぼはあっても、やはりここは北の町である。北海道のどこの町もそうだが、家と家との間がゆったりしており、長屋などほとんど見られない。おまけに隣との境界の塀は、ほとんど目にしない。さすが北海道、人間の心も広くゆったりしているのか。
 北見1638着。1723発網走行きは、すでに1番ホームに入っている。留辺蘂発で、北見に1638に着いて45分も停車する。私なら即乗り込むのだが、Sは改札を出るという。仕方なく私も後に続いて出る。例によってスタンプを押し、入場券を買った。
 北見は、支庁所在地の網走よりも人口が多い町とあって、駅前はにぎやかでビルも多い。ここの名産はハッカ製品で、何かみやげに買って帰ろうかと思ったが、まだこの先、道中は長く荷物になるのであきらめた。

       

31年前の北海道旅行30

2008-08-27 21:13:33 | 鉄道旅行
933D北見行は橋を渡り、2、3番ホームのはずれ、4番だったと思うが、行き止まりのホームから出る。キハ22の単行で、我々のような若い観光客や生活用品を買いに出ての帰りと思われるオバちゃん達で80%くらい乗っている。
 定刻よりやや遅れて発車。そのため、とばすとばす。ローカル線でありながら、さっき乗った根室本線より早い。列車は一路北へと走る。
 本別あたりまでは、畑や牧場などの田園風景が広がる。しかし、列車がさらに北に進むにつれ山が迫り、しばらく利別川と離合を繰り返す。この線の沿線は木材の産地でもあるようだ。所々に積み上げられた丸太が見られる。
 本別、足寄と北に行くつれ乗客は減っていき、逆に我々の空腹感は増してくる。陸別で帯広行急行「池北」と交換のため8分停まる。我々はさっそく改札を出て、パンとジュースを買い込んだ。
 私は「池北」の入線シーンを写真に撮ろうと、下りホームのはずれにある跨線橋の下に出てカメラを構えた。「池北」はキハ22の2連。北海道には、このような一般用キハ22を使用した急行が多い。特にローカル線の急行に目立つ。撮影後車内に戻り、さっそくパンをパクつく。
        

 列車は1500の発車。ここ陸別と置戸の間32kmは、一日に急行も含め、旅客列車が5往復しか走らない超閑散線。乗客も20%位に落ちた。列車は山々の間を走り、池田を出たときのようなスピードがない。シラカバの木が目立つようになってくる。ここまで来れば、昼間の夏の陽光が差していても涼しく、窓を閉める。パンを食べたら眠たくなってきた。

31年前の北海道旅行29

2008-08-26 21:00:36 | 鉄道旅行


 列車を待つ間、新聞を買ったりスタンプを押したりした。例によって列車発車10分前に改札が始まった。根室方面行普通列車の改札を待っていた人に比べれば、224Dの改札を待っていた人はごくわずかである。キハ22の2連はかなりすいている。この列車には、私のような大きなリュックを持った客も乗っていないようだ。
 一昨日「狩勝1号」で来た道を池田まで行く。その時はわからなかったが、途中何ヶ所か信号場がある。また、湿地帯も目につく。
             

 浦幌で17分停車。一旦改札を出て入場券、アイスクリームを買う。棒付80円のを買ったが、カップ入り100円にしてらよかった。北海道のミルク入りだから。
 池田ではどんな駅弁を買おうかと思って、池田に着いて一度改札を出たものの駅弁など一つもない。時刻表には、いろいろ載っていたのに。ホームのソバ屋もやっていない。


 さて、何もない池田駅1305発池北線北見行の改札は、発車10分前に「ニセコ2号」と同時に始まる。これなら釧路発1125発函館行「ニセコ2号」でも間に合ったわけだ。



31年前の北海道旅行28

2008-08-22 20:59:35 | 鉄道旅行
  1977.8.25 Thur.
 翌朝は6時過ぎに起きた。簡易ベッドは他の客に踏まれぬうちに起きなければならないので気が気でない。
 朝食は6時30分からとれる。パン食である。何というパンか知らないが、少し上等と思われるやつを2枚食べた。スープ、他にハムエッグか何かがあった。食後の食器洗いにすごい行列で、かなり待たされる。やっと開放され部屋へ。
 Sが財布を失くしたと言って大探し。結局カバンの中だったが。そんなこともあってYHではかなりゆっくりして出発。1000の列車まで時間があるので朝市に行こうかとSが言っていたが、9時前になって出発したからそれもダメ。往き来た道を駅へと歩く。ただし、今度は線路沿いの通りは歩道を歩く。歩いているうちに、急行「大雪」が出発していく。間に合えば飛び乗ろうと思っていたから内心複雑な思いだ。
 駅まで歩くうちに、何本かのやや広い通りを渡ったのだが、何と横断歩道がない。京都なら巾3mくらいの道でもあるのに、5m以上はあろうかと思われる道にも横断歩道がない。これでは歩道があっても安全と言えないし、北海道が交通事故死日本一を競うのもうなずける。それにしても、ほこりっぽい町だ。
 駅に着くなり我々に近寄ってくる老婆がいる。「どこからきたんけ?」などと気安くしゃべってくる。その老婆は、持っていた袋から何やら木の実のようなものを取り出し、一粒づつ我々に渡し、「どうじゃ、やってみろ。わしもやるから」と言う。仕方なしに一つ食うとグミのようなモモのような甘酸っぱい味がした。「いけるじゃろ。もっとやるか」と言うと、Sは遠慮していらぬと言ったが、単純な私は、せっかくくれるというならもらおうと思い、老婆についていく。老婆は、セロハン紙に実を一つかみ載せ、セロハンをくるみ、手に持ちながら「何か記念になるものくれ。あんたどこ?」「京都」「じゃ京都の記念のものなんでもよい」とくる。そんなものあるわけない。ちょっとまごついていると、「30円や50円でもよい。記念にくれ」と言う。やっぱりそうきたかと思い、「そんなのもってない」と言うと、「そう、30円、50円もっとらんのけぇ」とぬかしてきたが、そのまま私は立ち去った。老婆としては小遣い稼ぎのつもりだったのだろうが、愛想もあまり良くなかったし、包みの中身も少なかった。