今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行76

2009-05-26 20:53:34 | 鉄道旅行
  2143発車。北海道から別れるまであと9時間半。窓の外は真っ暗で、家々の明り以外何も見えないからさっそく目をつむって寝る態勢。手稲で通勤帰りの客がドッと下車し、乗車率50%くらいになる。その後も少しずつ乗客は減り続ける。この列車は、通過列車の多い張碓に停車したが、停車する基準がよくわからない。
  うとうとして気がつくと小樽に停まっている。小樽から倶知安までは各駅に停まる。その間、車内アナウンスもズーズー弁のなまりのある車掌の声で、各駅ごとに行われる。
    1977. 9. 2  Fri.
  いつの間にか再び眠ってしまい、倶知安着012。気がつくと車内はガラガラ。乗車率20~30%くらいに減っている。私は、1BOX占領し、靴を脱ぎ向いのシートに足を伸ばし、シュラフを枕代わりに横になる。やっと車内アナウンスからも解放される。
  次に目が覚めたのは長万部156着。2番ホームに16分の停車である。4番線には159着下り急行「すずらん4号」が到着。思えば、8月22日に北海道に入って最初に乗った列車がこの「すずらん4号」だった。あの時は乗車するまで座ることができるかイライラしたが、「すずらん」はその時と比べれば半分ほどの乗車率。もうシーズンも終わりだ。「すずらん」より1分早く発車。
  また眠り込み、4時40頃目を覚ます。大沼-函館間は各停となり、行商風のオバちゃんや早出の客が乗車し、50%位の乗車率。到着20分前に車内放送のメロディーを3回も連続で流され、完全にたたき起こされる。「あと20分ほどで函館です。そろそろお支度の用意を願います。」と言うアナウンス。
  終点函館4番線509着。あと2時間で北海道とさよならである。すぐに連絡船待合室へ行く。待合室へ行く客は少なく20人程であった。乗船までの間、顔を洗ったりしたがヒマをもて余す。
  「すずらん4号」が到着したのか、6時10分過ぎに待合室が急に騒々しくなってきた。私の乗った普通列車よりも乗客はかなり多かったようだ。途中からだが1BOX占領できた普通に乗ったのは正解だった。
  650、乗船開始のアナウンス。私は、乗船口に一番近いベンチにいたから、アナウンスと同時にさっと並ぶ。それでも私の前に既にかなり並んでおり、後ろも同じく列が続いている。まずグリーンの団体が改札。帰りは摩周丸。今日は船員の指示でエンジン上とは違う入って左手の船室。往きよりも客が多いので、カーペット席はあきらめイス席へ。窓際が前の方に空席があり座る。イス席の窓際は、ほぼふさがったが、それ以外は空席が目立つ。
  席につくと、前の人が弁当を買ってきたらしく、窓際に置いてあるのが目につく。急に私も腹が減りだし、弁当を買いに行く。何人か並んでいたが、あらまき弁当とみそ汁を買う。2年前の往きの船で同じ弁当を食ったが、その時よりサケが大きく、メシが多いような気がする。それにできたてで、ほんのり温かくうまい。
  弁当を食べ終わると、外へ出て遠ざかっていく函館の景色などを眺めていたが、暑いので早々に引き返す。席につくと、しばらくして睡魔に襲われる。

     

31年前の北海道旅行75

2009-05-18 21:47:45 | 鉄道旅行
  1932札幌4番線到着。表定速度30.6kmという鈍足列車と別れ、地下改札口から外へ出る。最後の夜だから札幌ラーメンでも食べようと店を探す。駅前は、2日前に見渡した際、ビルが林立して飲食店らしきものが見当たらなかったので、地下街を歩く。ステーションデパート内に中華料理屋があり、ミソラーメンを注文する。本当は、すすきのあたりの本場を食いたかったが、ここのラーメンも結構うまい。もやしがたっぷり入っている。
  食事後、デパートで切らしていたちり紙を買う。カゼ気味で必要。8時頃に駅待合室のベンチに腰を下ろす。
  私は、2143発函館行普通列車に乗ることにしている。2315発の「すずらん4号」は、金のない者には発車まで時間をつぶすのに苦労するから、早く出る方を利用する。
  1番線には2010発「おおぞら3号」函館行が入っている。これに乗れば最速であすの夕方には家に着けるのだが。思ったより「おおぞら」は空席が目立つ。Sや1~3年生が、特急指定券に結構空席が残っていると言っていたのは本当のようだ。
  「おおぞら」の発車後ホームに入る。2143発函館行の改札はまだしていない。現在は千歳線急行「ちとせ11号」や手稲行普通の改札中であるとマイクで言っているが、周遊券なので正直に待つ必要もない。また、各方面から多くの列車が発着する駅だから、ほとんど改札口は開きっぱなしで、いちいち改札制限や案内の必要はないと思う。
  一旦、列車の入っていない1番線のベンチに腰を下ろしたが、カゼ薬を飲むために水飲み場のある4、5番ホームへ行く。3番線には札幌止りの「すずらん2号」が、名マイの客車で停まっている。2028には2番線に札幌止の特急「北斗3号」が到着。これも空席が目立つ。去年の国鉄運賃の値上げ巾が大きかったために旅行者も減ったし、飛行機に流れているのではないか。2030頃に早くも2120発の急行「利尻」が4番線に入線したが、数人が乗り込んだだけ。
  2034、ED76に牽かれて上り札幌止の普通列車838が1番ホームに到着。札沼線の中や、札幌駅のベンチに腰掛けながら、函館行44列車がいつ入線するか予想した。最初、列車番号の似ている旭川発札幌行1044列車が2111に到着後、44列車になるのかと思っていたが、発着番線が違う。滝川発838列車は44列車と同一ホームであり、下り函館発滝川行43列車以外で函館本線の滝川を始終発する列車は838だけなので、43列車と同一運用なら838→44だと推測した。
  838の到着を見て、再び1番ホームに行く。列車の前寄り3両が荷物車で、盛んに積込み作業をしている。やはり函館行になるのだと思う。その通り車内清掃後、函館行のサボが取り付けられ、ホームの列車表示も函館行に変わった。列車は荷物車の他に客車が6両である。前寄りのブルーの客車3両が函館行、後ろの茶色の客車3両が小樽止となっている。私は、車内清掃が終わるのをベンチで待って、函館行車両の最後部オハフ33に乗車。
  隣の2番線には、急行「かむい7号」から変わった先発884M小樽行が入っており、100%の乗車率。私のいるオハフ33にはだれも乗っていない。現在、各車両1~2人ずつの状態。
  884M発車後、44列車の改札が始まる。発車時には、札幌からの帰宅客で満席になる。私のようなリュックを持ったカニ族などの旅行者は、予想していた以上に少ない。

31年前の北海道旅行74

2009-05-08 21:18:32 | 鉄道旅行
  何とか駅にたどり着いたのは発車5分前。まだ改札はしていない。汗が流れてくるので、薄手のジャンバーを脱ぎ、白の半袖姿になる。Sの言っていた通り、ホームに停まっているのはキハ40の2連らしい。この駅では入場券は売っていなかった。
  発車3分前になって、若ハゲで銀ブチメガネをかけた駅員がトビラを開けて改札。私は後ろの車両に乗る。聞いたことのあるエンジンのアイドリング音。そう、山陰本線京都-福知山間使用のキハ47と同じ音である。それもそのはずで、キハ40は、キハ47の北海道向といったところであるが、車体側面、内装ともかなり違う。
  車内は扇風機がうなりをあげて回っている。それにしても空いている2両で10人余りの乗客だろうか。1659発車。
  私の前のBOXには、イカス地元の若い女性が座っている。私は、この女性が気になって、前の席の窓ガラスや側板に映る彼女の顔を何度となく見る。
  列車は出発したものの、一向にスピードが上がらない。線路規格が悪いためだろうか100mほど向うを並行して走る車にどんどん抜かれていく。これでは利用者も減るのは当たり前ではないか。
  前のBOXに座っていた女性は、新十津川から3、4つ目の小さな無人駅で降りていった。1両目の後ろと2両目の前寄りドアしか降りられない小さなホームで、2両目のはみ出した部分は、踏切をふさいでいる。このような光景は、今回の北海道旅行でよく見られた。それにしても、なかなかの美人で、ちょっと派手目で水商売でもしているかのように見える若い女性が、こんな超ローカル列車の、これまた淋しい超ローカルな駅で降りて行くなんて、ものすごい違和感を感じてしまった。
  列車は、西に暑寒別に続く山々、東に石狩平野の水田地帯を望みながら走る。札沼線は、石狩川が作った平野の西端を、函館本線は東の端を走っている。後者は特急、急行も走る複線電化の幹線であるが、前者は単線、非電化、タブレット閉塞の4級線で、列車本数も一日に数えるほどと対照的である。列車の速度も遅く、従来車両よりも馬力の大きいキハ40もその性能を持て余し気味だ。
  浦臼着1721。下り列車と交換のため7分停車。この時点では、私の車両には2~3人しか乗っていない。乗車改札は始まっておらず、まだ駅本屋の中でたくさん客が待っている。改札が始まると、高校生や地元の一般客が乗り込んで、乗車率は100%に増加した。  豊ヶ岡からしばらく丘陵の森の中を走る。石狩月形で反対列車待ち。日も暮れてきて、さっきの暑さはどこへやら。窓を閉める。
  列車は相変わらずゆっくりと走る。途中、並走する車を追い抜くほどとばしたところもあったが、それも束の間。もっとも、それも道路の混雑で車の方が速度を落としていたこともあるが。
  石狩当別1829着。反対列車待ちと増結で23分停車。下り633Dから切り離した3両を後ろに付ける。その内の2両は回送だと言う。高校生がどっと乗り込み、車内は100%の乗車率に達する。石狩当別-札幌間は札幌の通勤圏でもあり、上下列車とも利用者が多い。
  札幌に近づくにつれ、乗っていた高校生も減っていく。日もとっぷり暮れた。新十津川を出て以来、あと何時間で北海道から去るのか気になり出し、時計を幾度となく見る。明朝710発の船で出るから、あと14時間、13時間、12時間と短くなってくる。日が暮れるとよけいに気になり出す。もっと時間と金があればと何度思ったことか。


31年前の北海道旅行73

2009-05-05 21:26:34 | 鉄道旅行
  滝川1610着。ここで札沼線に乗るために新十津川駅に向う。滝川駅から新十津川駅まで直通するバスは本数が少なく、この時間帯にはない。そこで橋本町まで1620発の第二新竜橋行国鉄バスで行くことにする。実は、Sが3日前、この滝川から新十津川へ行ったのだが、彼の話では、橋本町から新十津川駅まで歩いてすぐだと聞いていたからだ。
  国鉄バスは女の車掌付で発車。駅前通りから北へ折れ、滝川市の中心街を通る。この町にも十字街と名の付く所があり、商店が多くにぎやかである。バスは国鉄のガードを抜け西進。帰宅の高校生などで混み出し、席が詰まってきた。
  石狩川に架かる大きな橋を渡るとすぐに橋本町である。車掌のアナウンスが聞き取りにくかったので聞きただす。交差点を右折して停車。2、3人が下車。新十津川発まであと30分。
  Sから、ここから大方の道順を聞いていたのだが忘れてしまった。今、バスで渡った石狩川に架かる橋から真直ぐ延びている広い道路を行くとよいのではないかと、半ば勘を頼りに歩く。他に何もない田んぼの中の道路で、本当に行き着けるのか不安である。
  途中にあったバス停にいた小学生の女の子2、3人に時間を聞かれる。その際、新十津川駅の場所を聞くが、知らないという返事。ちょうど道の反対方向から中学生が何人かやって来る。最初の女の子2、3人はやり過ごし、トレーニングシャツ姿の男子に道を聞く。この道を行って、最初の信号を真直ぐ行き、突き当りの右だと教えてくれる。この道でよかったので一安心、礼を言って歩き出す。
  石狩川の支流に架かる橋を渡る。思ったより長い橋で、西日がじりじり照りつけて暑い。1枚よけいに着ていることもあるが、重いリュックをかついでいるので、汗がタラタラと流れ出す。ここが北海道とは思えない暑さ。ふと右手を見ると、鉄道の築堤らしきものが見える。後でわかったが、これは廃線跡であった。
  橋を渡っていると、滝川発の満員バスが通り過ぎる。バスの便があったのには驚きとともに腹が立つ。橋を渡り、道がゆるい下り坂となり、前方に三叉路があるが信号はない。信号のある交差点はまだ先だ。新十津川役場前と言うバス停があったが、道内時刻表のバス路線地図がもっと詳しく載っておれば、こんな苦労をせずに済んだかもしれない。
  ようやく信号のある交差点に出る。この交差点は細い道を含めると五差路になっているが、今歩いて来た道に真直ぐに続く道はない。今来た道は、左にゆるやかなカーブを描いて先へ延びている。一方、今まで歩いて来た道に対してYの字に右手に分かれる道がある。Sの話では、駅前はひっそりしていたと言っていたから、交差点を渡り、人気のない右手に分かれる道に入る。交差点から数軒商店が並んでいるが、その先はひっそりとし、右手には大きなコンクリート製の新十津川農協の倉庫が並んでいるのが目に入る。
  これまであちこちの路線に乗ってきた経験から、駅近しの印象を受けたが、駅の案内表示どころか駅舎さえ見えない。列車の発車まであと数分。次第にあせってくる。ただ、この道の突き当りには鉄道の線路があることは確かなようだ。予想通り、道路は鉄路に突き当たった。その右手に小さな木造の駅舎があった。道路は左手に折れて続いており、曲がったところにバス停がある。
  それにしても小さな駅で、町はずれのような所にあり、さっきの交差点には案内表示さえない。新十津川-石狩沼田間が廃止され、一日上下11本しか発着しないため、利用者は本数の多いバスやマイカーへと流れ、また、札幌方面へは滝川から函館本線利用の方が早くて便利と言うこともあり、町の人達からこの駅が見捨てられたような存在に映る。そんな小さな駅でも貨物の取り扱いをやっており、数両の貨車がホームのはずれに入っている。