今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男(前篇6)

2015-07-30 01:26:31 | 鉄道旅行
宮島小旅行(その1)

 父の実家に母と行った時には、宮島、尾道、鞆の浦・仙酔島への海水浴等に足を伸ばすことがありました。しかしながら半世紀近く前の話で正確な時期は失念してしまっています。ただ、宮島へ行った時期だけは何とか推定できました。
 昭和40年(1966)8月の盆明け、往路は京都を14時前に出る普通列車広島行でした。
 父の実家で2~3泊した後、帰りに宮島まで足を伸ばしました。
乗車列車は、福山を8時前に出る岡山発博多行き気動車急行「山陽」でした。入線した列車の先頭が空いていたのでホームで走り乗ったのですが、先頭車は座席指定車になっていました。仕方なく次の一等車を抜けて後ろの自由席車両へ行きましたが、満席で立っている客もいました。
 実家の祖母は次の駅で降車客があって何とか座れましたが、私と妹はデッキに出て立ったり座ったりしていました。三原を出ると上り勾配でディーゼルカーはエンジンをふかし、トンネルも連続して排気ガスが車内に充満してきました。妹は酔ってしまって気分が悪いと訴えだしました。私の方はバス酔いはしますが、初のディーゼルカーでも平気でした。
 この急行「山陽」は1カ月余り後、475系電車急行「有明」に置き換えられています。「山陽」が確か7両で「有明」が12両ですから「有明」だったら座れて快適な旅だったかもしれません。
 広島でかなり降車し、ようやく全員座ることができました。と言っても20分ほどで降車駅宮島口です。僅かの時間でしたが、広島電鉄の線路を挟んで望める広島湾の海は、先ほどまでの不快な思いを少しは晴らしてくれました。

急行電車男(前編5)

2015-07-18 23:04:10 | 鉄道旅行
急行[第2宮島]

前回から諸事情で10カ月も空いてしまいました。今後も超鈍行ペースになるかもしれません。

 ここまで下り列車の話ばかりでしたが、幼少の頃の上り列車に関しては何も覚えていません。何とか覚えているのが、私が小学2年生だった昭和38年8月の帰省旅行になります。
 この時の往路は京都1352発の普通列車広島行でした。帰路には広島発上り急行[第2宮島]東京行に乗車しました。小さい時から鉄道の絵本とかもよく見ていましたので、ホームに入ってきた列車を見てすぐに電車だという事はわかりました。
 お盆のラッシュは過ぎていたとは言え、夏休み中でしたので車内はかなり混雑していて座ることができませんでした。けれども奇特な人がいて、二人掛け座席の真ん中に私と妹と向かい合わせにチョコンと座らせてもらうことができました。それから暫くの間、それまで乗ってきた茶色い壁で薄暗い客車と違って、薄ピンク色の壁に明るい車内を珍しそうに見まわしていたのを今でも覚えています。
覚えているのはこれだけです。当時から鉄道好きでしたが、この電車の形式もまだ知りませんでしたし、また乗ってみたいとも思いませんでした。ただ、その後山陽本線上りで客車列車に乗ることは二度とありませんでした。

広島発1455→福山発1635→京都着2045→東京着 620