宮島小旅行(その1)
父の実家に母と行った時には、宮島、尾道、鞆の浦・仙酔島への海水浴等に足を伸ばすことがありました。しかしながら半世紀近く前の話で正確な時期は失念してしまっています。ただ、宮島へ行った時期だけは何とか推定できました。
昭和40年(1966)8月の盆明け、往路は京都を14時前に出る普通列車広島行でした。
父の実家で2~3泊した後、帰りに宮島まで足を伸ばしました。
乗車列車は、福山を8時前に出る岡山発博多行き気動車急行「山陽」でした。入線した列車の先頭が空いていたのでホームで走り乗ったのですが、先頭車は座席指定車になっていました。仕方なく次の一等車を抜けて後ろの自由席車両へ行きましたが、満席で立っている客もいました。
実家の祖母は次の駅で降車客があって何とか座れましたが、私と妹はデッキに出て立ったり座ったりしていました。三原を出ると上り勾配でディーゼルカーはエンジンをふかし、トンネルも連続して排気ガスが車内に充満してきました。妹は酔ってしまって気分が悪いと訴えだしました。私の方はバス酔いはしますが、初のディーゼルカーでも平気でした。
この急行「山陽」は1カ月余り後、475系電車急行「有明」に置き換えられています。「山陽」が確か7両で「有明」が12両ですから「有明」だったら座れて快適な旅だったかもしれません。
広島でかなり降車し、ようやく全員座ることができました。と言っても20分ほどで降車駅宮島口です。僅かの時間でしたが、広島電鉄の線路を挟んで望める広島湾の海は、先ほどまでの不快な思いを少しは晴らしてくれました。
父の実家に母と行った時には、宮島、尾道、鞆の浦・仙酔島への海水浴等に足を伸ばすことがありました。しかしながら半世紀近く前の話で正確な時期は失念してしまっています。ただ、宮島へ行った時期だけは何とか推定できました。
昭和40年(1966)8月の盆明け、往路は京都を14時前に出る普通列車広島行でした。
父の実家で2~3泊した後、帰りに宮島まで足を伸ばしました。
乗車列車は、福山を8時前に出る岡山発博多行き気動車急行「山陽」でした。入線した列車の先頭が空いていたのでホームで走り乗ったのですが、先頭車は座席指定車になっていました。仕方なく次の一等車を抜けて後ろの自由席車両へ行きましたが、満席で立っている客もいました。
実家の祖母は次の駅で降車客があって何とか座れましたが、私と妹はデッキに出て立ったり座ったりしていました。三原を出ると上り勾配でディーゼルカーはエンジンをふかし、トンネルも連続して排気ガスが車内に充満してきました。妹は酔ってしまって気分が悪いと訴えだしました。私の方はバス酔いはしますが、初のディーゼルカーでも平気でした。
この急行「山陽」は1カ月余り後、475系電車急行「有明」に置き換えられています。「山陽」が確か7両で「有明」が12両ですから「有明」だったら座れて快適な旅だったかもしれません。
広島でかなり降車し、ようやく全員座ることができました。と言っても20分ほどで降車駅宮島口です。僅かの時間でしたが、広島電鉄の線路を挟んで望める広島湾の海は、先ほどまでの不快な思いを少しは晴らしてくれました。