いろいろと事情があってこの前のブログから日が開いてしまいました。
この旅行記を書き始めた時には、1ヵ月もあれば何とか書き上げられるだろうと思っていたのが、「32年前の北海道旅行」にタイトルを変えなければならないくらいに時間がかかってしまいました。果たしてどれだけの方が目を通して下さったかわかりませんが、もし、通して読んでくださった方がいらっしゃれば御礼申し上げます。
書いている途中で、もっと写真を撮っておけばと悔やんだりしましたが、当時はまだフィルム、プリント代とも安くない時でしたので仕方ないとも思います。また、文章は、ほぼ当時のままに載せたので、実際の状況と異なったり、不適切な表現があったり、現在の私の考え方とは違った箇所があることをお許し願いたいと思います。
あれから31年。いや、32年。もう一度北海道を訪れて見たいと思いながら実現していない。もっとも、あの時と同じ旅をしたいと思っても、私の乗った道内の多くの路線が廃止されてしまったし、行程でよく利用した急行列車はなくなり、夜行列車も特急ですら壊滅状態。
それに、もう鉄道の旅自体にあまり魅力を感じなくなってしまった。年のせいかもしれないけれど、それよりも鉄道自体が画一化されてしまって面白味がない。例えば、私が旅をした当時、特急、急行、普通、夜行と様々な列車が走り、旅の途中でどんな車両に出会うかと言う楽しみがあった。しかし、今では短編成の普通列車しか走らない線区が増え、出会う車両の種類も減った。車両自体もロングシートという発展途上国のような車両が巾を利かしていて、こんなものに乗ってまで旅をしたいとは思えない。
また、旅の途中の各駅にもいろいろな表情があった。ローカル線や地方鉄道との乗り換え駅、貨物の引込み線のある駅等々。しかし、今ではローカル線や貨物輸送も縮小、廃止が相次ぎ、主要駅の高架化と相まってどこも同じ様な駅になってしまった。
これらの原因の一つとして、鉄道路線にべったりとくっつくように高速道路を張り巡らせてきた政治、行政のあり方にも問題があると思うが、このような批判はまた別の機会に譲りたいと思う。
これからも鉄道に関する話を書いていきたいが、時には全く雰囲気を変えたネタもお届けしたいと思う。
この旅行記を書き始めた時には、1ヵ月もあれば何とか書き上げられるだろうと思っていたのが、「32年前の北海道旅行」にタイトルを変えなければならないくらいに時間がかかってしまいました。果たしてどれだけの方が目を通して下さったかわかりませんが、もし、通して読んでくださった方がいらっしゃれば御礼申し上げます。
書いている途中で、もっと写真を撮っておけばと悔やんだりしましたが、当時はまだフィルム、プリント代とも安くない時でしたので仕方ないとも思います。また、文章は、ほぼ当時のままに載せたので、実際の状況と異なったり、不適切な表現があったり、現在の私の考え方とは違った箇所があることをお許し願いたいと思います。
あれから31年。いや、32年。もう一度北海道を訪れて見たいと思いながら実現していない。もっとも、あの時と同じ旅をしたいと思っても、私の乗った道内の多くの路線が廃止されてしまったし、行程でよく利用した急行列車はなくなり、夜行列車も特急ですら壊滅状態。
それに、もう鉄道の旅自体にあまり魅力を感じなくなってしまった。年のせいかもしれないけれど、それよりも鉄道自体が画一化されてしまって面白味がない。例えば、私が旅をした当時、特急、急行、普通、夜行と様々な列車が走り、旅の途中でどんな車両に出会うかと言う楽しみがあった。しかし、今では短編成の普通列車しか走らない線区が増え、出会う車両の種類も減った。車両自体もロングシートという発展途上国のような車両が巾を利かしていて、こんなものに乗ってまで旅をしたいとは思えない。
また、旅の途中の各駅にもいろいろな表情があった。ローカル線や地方鉄道との乗り換え駅、貨物の引込み線のある駅等々。しかし、今ではローカル線や貨物輸送も縮小、廃止が相次ぎ、主要駅の高架化と相まってどこも同じ様な駅になってしまった。
これらの原因の一つとして、鉄道路線にべったりとくっつくように高速道路を張り巡らせてきた政治、行政のあり方にも問題があると思うが、このような批判はまた別の機会に譲りたいと思う。
これからも鉄道に関する話を書いていきたいが、時には全く雰囲気を変えたネタもお届けしたいと思う。