今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行63

2009-02-26 21:30:30 | 鉄道旅行
  改札は14時過ぎに始まった。1番線の南端にある0番線に向かう。朱鞠内行はキハ22の単行である。私は、この先湖が見える進行左手、排気管のある車両中央付近の席を取る。さっそくカメラのフィルムを入れ替える。利尻の山頂からフィルム切れだった。車内は名寄からの買い物帰りと思われる人々も多く、70~80%の乗車率。
  列車は天塩弥生あたりまでは名寄盆地の田園地帯を走るが、天塩弥生を過ぎると次の北母子里までは上りの連続勾配で、天塩弥生-北母子里間15.6kmを29分も要する。進行左手に名寄盆地を望みながら登り続ける。その景色は、篠ノ井線の姨捨付近を思わせる一大パノラマである。
  列車は右に左にカーブを描きながらあえぎあえぎ登り、やがてトンネルにさしかかる。この列車の運転士、ちょっとふざけていたのか、それともあまりの急勾配に車両がいうことを聞かなかったのかわからないが、トンネルの中でギアーをニュートラルにして何度も空ぶかししている。そのせいで速度はさらに遅くなり、停まってしまうのではないかと心配するほどであった。
  やっとのことで北母子里に着く。この辺りで道内に入って初めて雨を見た。母子里と言えば、今冬-40℃以下という寒さを記録した所である。そんなこともあってか駅周辺は車窓から見る限りひっそりしている。
  北母子里を過ぎると左手に朱鞠内湖がシラカバ林の間に見え隠れしだす。湖はダムのせき止め湖ではあるが、水辺に茂る背の低い青々とした草、水面に顔を出す木の切り株、川がせき止められたために島になった山、湖の回りに茂るシラカバ林など、人造湖としてはすばらしい景色である。Sや他の同好会仲間も言っていたが、深名線は今まで乗った北海道の線区の中で一番変化に富み印象的だ。それにしても、こんなに太く大きなシラカバが密集して茂っているところを初めて見た。写真を何枚か動く車中から撮る。通り雨だったのか、雨はほとんどやんだ。乗客は北母子里までにかなり降り、現在は30%くらい。
  この946Dは北母子里-朱鞠内間、交通公社大判時刻表に載っている白樺、ふきの台の両駅を通過する。ところが、この時刻表に載っていない朱鞠内の手前にある湖畔という停留所には停まる。湖に行く客が何人か降りる。駅に停まらず停留所に停まるとは変な話だが、これも観光客に便宜を図ってのことであろう。

          
          

  朱鞠内1518着。深川行には6分連絡である。深名線は、この朱鞠内で別輸送をとっており、直通する列車は一本もない。1524発深川行はすでに停車中である。キハ22+不明の2連である。私は前寄りのキハ22に乗る。車内はさっきの946D以上にすいており、乗車率は10%にも満たない。
  列車は山と山に挟まれた、わずかに開けた土地を深川に向かってゆるやかに下っていく。途中、政和温泉という停留所があったが、その前に小さな温泉旅館が一軒建っているだけで、この旅館専用のようなものだ。
  上幌加内の手前だったろうか。列車が急に停まった。山間の畑の真ん中で停まったのだ。運転士が外に出て列車の後ろの方へ行く。私は何事かと窓から顔を出すが、何のことかわからない。畑にいたオッサンが線路付近に来て、乗務員に頭を下げているようだ。大した事もなかったのか再び発車。車掌のアナウンスによると、わらの束が落ちていたのを引っ掛けたそうだ。
  高校生がどこからか乗ってくるのではと思っていたが、全く乗ってこない。乗車率は20%くらい。おまけに鷹泊で増結する。営業係数2000台の大赤字線なのによくやる。深川に1722、再び戻る。
  札幌行急行「天北」へは3分の連絡。一番線に向かう。私は連絡橋から一番遠い先頭車乗車位置に並ぶ。すでに何人か並んでいる。進行逆向き、通路側でデッキ脇という最悪の場所にすわる。座れただけでも良かったと思うべきかもしれない。デッキのドア越しに後ろの車両をのぞくと、立っている人も見られる。すぐ目の前はデッキとの仕切で外の景色も見にくいし、隣の客はオッサンだし寝ることにする。岩見沢付近で目が覚めたが、そのまま寝たふりを続ける。

31年前の北海道旅行62

2009-02-23 21:12:49 | 鉄道旅行
  旭川を出ると、すぐに両側に列車の留置線が広がり、その中に真新しいキハ40が停まっている。宗谷本線は、石北本線との分岐駅、新旭川までは高架複線となっている。その中間にある旭川四条は停車する列車も少なく無人駅のようだ。新旭川で石北本線の上り旭川行普通ディーゼルカーの接続を待って発車。旭川行は急行型が使われている。次の永山で上り急行『宗谷」の待ち合わせ。
  ところで、この稚内行はスハ32系客車が使われている。1BOXに二つ狭い窓があるこのスハ32系は、私にとって懐かしい車両だ。小学生の頃、広島県内にある父の実家に行く際、EF58に牽かれて京都発広島行の普通列車に使用されていたのに2,3回乗ったことがあった。その後も新幹線岡山延長まで山陽本線で使用されていたのだが、北海道用とは言え、こんなところで再び乗れるとは思わなかった。もっとも、当時と違い、DE10の牽引ではローカル臭さは否めない。
  その後、私は塩狩付近まで眠ってしまった。塩狩にもYHがあり、YHのガイドブックに、その近くに国設スキー場があると案内してあった。国設と言う名に興味を引かれ車外を見ていたらあった。進行右手に見える赤茶けた色のリフトがある山がそれらしい。低い山でリフトも一基だけ。この春行った信州のスキー場に比べればかなり見劣りする。
  和寒で反対列車との交換で3~4分停車。ちょうど昼時間なので弁当売りが出ている。急行が停まるとはいえ、こんな小駅に二人いるのが確認できる。池田のような乗換駅で列車本数も多い駅で売子がおらず、こんな小駅に二人もいるとは。ここの弁当売りの掛け声が面白い。50~60代のかなり年配のオッサンだが、「えーべんとぉー、えーおすし、えージュースにビール」などとやっている。車内にいた子供がそれを聞いてまねをしている。
  士別でやっと隣のBOXが空き席を変更。60~70%を保っていた乗車率が50%位に落ちる。士別軌道の跡はと外を見回したがわからない。北見付近で米を作っていたのには驚いたが、このあたりでも稲作は盛んだ。
  名寄には1313着。次に乗る深名線には1時間近くあるので、改札口を出て食事に行く。この駅は少し大きく、出札口と改札口が別になっている。私は、駅前通りの右手に食堂が3軒ほど並んでいるのを見つけてそちらに行く。交差点の角にある一番新しそうな店に入る。カツカレーを注文する。大学生協のカツカレーに比べればカツは厚く大きいが、カレーをもう少しかけてほしかった。
  食堂を出て、近くにフィルムを売ってそうなところはないか見回したが、近くにはなさそうだ。名寄は、旭川から北では一番の交通の要衝である。駅前付近はけっこうにぎやかでアーケードもある。そちらまで行ってフィルムを探す気にもならず駅に戻る。待合室のイスは全部ふさがっているので、隅のほうに荷を下ろして立つ。駅の売店に目をやると、フィルムを売っている。フジの24枚撮りがなく、仕方なく12枚撮りを買ったら450円取られた。24枚撮りと余り変わらない値段だ。サクラの24枚撮りが目に入ったので交換してもらう。どうやら風邪に侵されたのか、待っている間、鼻の中が痛くなり鼻水が出だした。
  待つ間、改札口の上にある次の列車の案内板を見て感心する。1411,1412,1413の一分刻みに3方向へ列車が出発するのである。私の乗る深名線は1411発0番線。1412発稚内行急行「天北」1番線、1413発名寄本線遠軽行3番線である。



31年前の北海道旅行61

2009-02-18 21:39:48 | 鉄道旅行
  深川1025着。我々の乗る旭川行「かむい2号」は1028発で3分の連絡。橋を渡らねばならないなら面倒だと心配していたが、隣の2番ホームでの連絡で助かった。この2番線には羽幌YHのヘルパーも他の連泊者2、3人と列車を待っている。ところで、「はぼろ」は深川に17分も停車し、「大雪1号」に併結するため3番線を離れるという。面倒なことをするものである。なぜわざわざホームを変えて併結するのだろう。3番線に後から来る「大雪」を入れれば済むことなのに。
  さて、ローズ色の車体、前面にクリーム色の帯をした6両編成の711系急行「かむい2号」が定刻より1~2分遅れて到着。Sは先頭車クハ711に乗ったが、私は初めて乗る711系のモーター音を聞きたくて2両目のモハに乗った。あいにく空いたBOXがなく、デッキ脇の機械室前のロングシートが空いていた。一旦1BOXとっていたSのところに行き、荷物を置いて再びモハのロングシートに戻る。モーター音が小さい。加速、減速音は阪急電車みたいな音である。しかし、サイリスタ制御のためか153系等のような迫力がない。面白くないのでSのいるBOXに戻る。深川-旭川のかなりの区間は、電化に際し複線で別線化された。そのため、旧線跡は自転車専用道となったのだが、新線は複線トンネルの連続で、旧線はほんの一部しか確認できなかった。旧線は、川沿いの景色の美しい所を走っていたという。

          

  旭川1053到着。私の乗る宗谷本線1122発稚内行321列車はすでに入線しているので、そちらの4番ホームに行くつもりだったが、Sに誘われて改札を出る。スタンプを押し、入場券を買いに窓口に行くと、花シリーズの記念入場券を売っていて、これも購入する。待合室で歓談していたら、改札口で人が並びだしているのでそちらへ行く。Sは富良野線を回るので、7時30分ごろ札幌で再開の予定で待合室で別れた。11時10分、網走行の普通と同時改札。地下通路を通り4、5番ホームへ急ぐ。5番線には網走行が客車2両と貨物の混合で、4番線には稚内行が客車2両と荷物車の編成で停まっている。稚内行は予想外に客が多く、2両だからすぐに人で埋まっていく。私の前に乗った鈍くさいオバハンのせいで、取れるはずのBOXが取れなくなってしまった。仕方なく進行逆向けにすわる。再びホームに降り、カルピスソーダを買ってデッキから車内に入ろうとすると、ここにも初老の鈍くさいオバハンがいる。大きな荷物を持ったオバハンだが、向こうはよけているつもりでも通れない。同じよけるならデッキに出ればよいものをトビラ付近で止まってしまって動かない。何とか通り抜けるとまたもや鈍くさいオバハンがいて通行を阻害される。何とこの列車に乗っているオバハンやババアがこんなに鈍くさいのか。都会では考えられない感覚だ。

31年前の北海道旅行60

2009-02-16 21:43:07 | 鉄道旅行
    1977.8.29 Mon.
  翌朝、よく寝たもので7時近くになってやっと目が覚めた。上のベッドの同室者は六時頃に出て行ったようだ。Sはまだよく眠っている。
  洗面してすぐに食堂へ。食事は、また新聞紙をかぶせて置いてあった。朝食としては良いメニューだ。かば焼き風のカレイのような魚がうまい、みそ汁、メシはジャーの中で温かい。初めてYHで朝食にメシが出たのではないだろうか。食器は調理場の中で洗う。
  部屋に戻り帰り支度をする。時間のたつのは早く、もう7時45分だ。大急ぎで受付へ行き会員証を受け取る。何か会員証にはさんであるが、見ている余裕がない。私の靴はキャラバンで、ひもを結ぶのに少々時間がかかる。列車の時間が迫っており、Sに先に行ってもらった。
  例により「行ってきます」と言って出発。途中、ゲームの自転車が2台通り過ぎる。Sに追いつこうと走るが、いくら走っても追いつかないので途中から歩く。通学する小学生を追い抜く。北海道では小学校も二学期が早くも始まっている。ちり紙交換者を見かけたが、どこも同じあの節で回っている。
  駅前通に入り最後のスパート。走る。列車が着くのが見える。何とか発車5分前に到着。入場券を買い、あせりながら改札を通り、階段を駆け上がって橋を渡り2番線へと急ぐ。Sは先に乗ったと見えていない。階段の横、先頭車に乗る。いたいた。山側にSが1ボックス取っている。車両の中央を見やればYHのヘルパーがいる。ゲームでどこかへ行くのだろう。

             

   810発「はぼろ」は指定席1両、自由席1両の2両編成のはずだが3両つないでいる。おかしいなと道内時刻表の列車編成図を見ると、3号車は本来、留萌で増結のはずである。しかし、この日は羽幌で3号車をつないでいた。おかげで楽に座れたのだが。車両はキハ27。23日以来久々の急行である。Sは、今回の旅行で初めて乗ったと言っている。YHを出て以来気になっていた会員証を開ける。挟んであったのは領収書だった。
  列車は左手に低い山々、右手に日本海を望みながら一路南下する。停車する各駅で少しずつ客を拾う。小平では、小平YHの見送りがあった。留萌でかなり乗り込んできて、乗車率はこの3号車で100%になる。
  留萌を出ると、次の大和田で下り「るもい1号」待ち合わせの運転停車。列車は日本海から離れて内陸の深川へと向かうが、しばらくの間山あいを走る。
  石狩沼田では、札沼線の廃止跡はと見回したが、我々がすわった席と反対側なのでわからない。このあたりから石狩平野が広がりだす。
  秩父別と言う小駅を通過。Sは3年前に同好会のメンバー二人とSL写真を撮るために、この駅に降りたのだと言ってなつかしがっていた。

31年前の北海道旅行59

2009-02-10 21:38:32 | 鉄道旅行
  集会室はイス、机、ソファーが隅へやってあり、赤いカーペットの上に皆じかに腰をおろし大きな輪になる。真ん中に積んである歌集をとる。やっとシーズンも終わり近くになったのと、あまり人が来ない所でもあるためか今日の宿泊者は10人余り。「身内」と称する少し長い連泊者が同じくらいで、全部でヘルパー、ペアレントを入れて30人位だったろうか。
  まず、昼間このYHの連泊者が行ったゲームの表彰があった。3円で何か買ってくるという。荷札一枚とかいろいろあったが、表彰されたのは5円の梅干1個買って来た者だった。
  さて、第一のゲームはホステラーが二組に分かれての対抗である。一人だけ梅干を口に入れ、誰がそれを口に入れているか当てるやつである。アイデアは良かったのだが、梅干ではあまり顔に出ない。むしろ、からしなどにすべきだったのでは。少々しらけ気味。
  「神田川」と言う少し古い歌を歌って、次はこのYHのペアレントが考えたと言うゲーム。登場したペアレントはメガネをかけ、すごい無精ひげのまだ若そうな人である。このゲームは、ペアレントが何かある言葉を両方の班の一番端の人に示す。その人は、隣の人に今聞いた言葉から連想することを告げる。またその人も隣の人に今聞いたことから連想する言葉を伝え、一番最後の人が連想した言葉が最初に示した言葉と一致すれば良しとするゲームだったが、これも何かしらけ気味。
  最後のゲームはトランプを用いた「キラー」というゲーム。絵札を持った人がキラーで、他の札の人は平民となる。トランプは各自一枚づつ配られ、今回はキラーが3名入れられる。キラーは平民と目が合えばウィンクする。キラー同士も同じ。カードは自分だけ見て伏せるのだから、キラーは誰だかわからない。キラーにウィンクされたと思われる平民は、心の中で10数え、「殺されました」と言って自分のカードを表向ける。この平民を助けるには他の平民が、あのキラーらしき者にこの平民が殺されたなと思ったらすぐに、「あなた、今この人に殺されたでしょう」とキラーとこの殺された平民を指差す。当たればキラーはトランプを表にして負け。平民は生き残れる。だが、指すのを間違えれば言った人の自滅で、カードを表にして退く。このゲームが三つやった中で一番マシだった。最後に歌を一曲歌い終了。時間は9時半近くになっている。
  一度部屋に戻った後、Sと明日の相談で再び集会室に行く。連泊者は、明日やるゲームの打ち合わせを集まってやっている。稚内まで入場券を買いに行ったり、自転車でどこかへ行ったりするゲームで、私も参加して見たいなぁ。Sは明日泊まる札幌のビジネスホテルの予約をしてくれた。「田村」というところらしい。
  部屋に戻り、ヒゲをそりに洗面所へ行った後すぐに寝る。何しろ昨夜は一睡もしていないから。