今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男 前編12

2019-06-28 21:07:39 | 鉄道旅行

急行[びんご2号] その3

 

 福山には10分足らずで到着し、福塩線用の4番、5番ホームから橋を渡って山陽本線の2番線へと向かいました。

すでに2番ホームには[びんご]に乗る人や見送りでざわついた雰囲気でした。

ホームに入って来た列車の車内に目をやると、満席で立っている人もいるようです。列車に乗り込むと案の定座れず、福山から乗車した人もあって混雑していました。ただ、私と妹は、「小さなお子様方は3人掛けでお座りいただきますようお願いいたします。」と言うような車内アナウンスが何度も流されたせいもあってか、以前の[宮島]のように2人掛けの真ん中にそれぞれちょこんと座らせてもらえました。今に比べたらまだ日本人の体格も良くなかったし「メタボ」と言う言葉もなかった時代だったので、こんな事ができたのかもしれません。

 帰路私は、小さな魚を入れたビニール袋を手に持っていました。近くの川で網ですくったメダカよりも稍大きな魚をバケツの中に入れて置いていたのを、高校生の従兄がビニール袋に入れてくれた物でした。列車に乗った後も袋を手に持って股の間にぶら下げて座っていたら、席を譲ってくれた人が珍しそうにいろいろと尋ねてきました。そして、袋を床に置くように勧めてくれました。床に置くと水漏れしないか心配でしたが大丈夫でした。この魚たちは長旅を終えた後、金魚を入れるために近所の酒屋からもらって水を張っていた樽の中へと入れられました。2、3日して勢い余って樽から飛び出した1匹が死んでしまいましたが、残りはほとんど餌を与えなかったにもかかわらず1~2年生きていました。

 岡山や姫路で降りる人もいて父母とも座ることができましたが、またもや神戸で快速に乗り換えさせられました。今回は座れた事や慣れもあって電車に対する恐怖心は起こりませんでした。

車両の一番後ろのボックスシート窓際に進行方向の逆向きに座りました。山側です。今でもよく覚えています。向かいの席には20代後半に見える菅原文太風のおニイさんが窓枠の上に右腕を伸ばして座っていました。私は、車窓からの景色を楽しんでいましたが、不意にこのおニイさんの人差し指だったか中指だったかが無いのに気づきました。「機械に挟まったのかなぁ。それとも機械で切ってしまったのかなぁ。痛かっただろうなぁ。」とか見ないようにしてはいましたが、気になって仕方ありませんでした。菅原文太風のおニイさんは大阪で降りて行きましたが、この方が「や」の字が付く自由業の方だと気づいたのは何年か先の事でした。

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿