今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男 前編20

2020-06-07 19:44:24 | 鉄道旅行

下り急行「第1関門」1回目と2回目の上り「びんご2号」その1

 前年の春に続き、昭和42年(1967年)の春休みにも母と妹と3人で父の実家に行く機会がありました。

 この時も当然京都始発の普通列車広島行きに乗るものとばかり思っていましたが、新大阪発の急行で行くと言う事を聞いてかなり抵抗しましたが覆りませんでした。私としては少しでも長く列車に乗っていたい気持ちと、レールから伝わる客車鈍行の重厚な走行音には子供ながらに惹かれる物がありました。しかし、今になって思えば夜の早い田舎の家に午後9時ごろに訪れるのには母としては気が引けたのでしょう。それと前年の春に妹と母とが遅れてやって来た際に利用して乗り換えとかの要領が分かっていたからでしょうか。

 今回は当時の時刻表がありますのでそれを見ながら話を進めます。 

 確か京都を9時44分に発車する快速姫路行きに乗ったようです。草津発になっていますが空いていてボックス席に座れました。

 新大阪に到着後乗り換えのために階段を上り下りして一番南(東?)にあるホームに向かいました。ホームには先発の特別急行「みどり」が発車を待っていました。私には初めて見るディーゼル特急です。10時30分定刻に大きなエンジン音と共にものすごい量の排気ガスをホームに残して出て行きました。車両自体はかっこ良かったのですがこんなのとは想像していませんでした。

 「みどり」の発車後しばらくして私たちが乗る急行「第1関門」下関行きが入って来ました。もう何回か乗って見慣れたオレンジと緑色に塗り分けられた急行電車です。これまでは途中駅からの混雑した列車ばかりでしたが、始発と言う事で初めて皆でゆったりと座ることができました。それでも次の大阪、三宮、神戸と乗客が乗って来て満席になってしまいました。

 これまでにも見たり聞いたりしていましたが、発車してから汽笛一声のメロディーの後に車掌による途中停車駅と到着時刻や車両の号車案内、軽食堂車ビュフェの案内放送とか、車内販売があったりして改めて新鮮な感じがしました。それでも、その時はやはり客車の普通列車に乗れなかった悔しさの方が勝っていました。

 昼間の明るいうちに福山に着いたのは久しぶりで初めての駅に降りるような感じがしました。山陽新幹線の開通に伴って在来線ホームも高架化されてしまいましたが、当時、地平の下り1番ホームの連絡橋から後ろ寄りはホームの幅が狭くなっていて道路を挟んで商店が並んでいるのが間近に見えました。駅の北側に福山城が控えていて駅のスペースが十分に取れなかったのかもしれません。

 


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