今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男 前編21

2020-06-11 20:08:27 | 鉄道旅行

下り急行「第1関門」1回目と2回目の上り「びんご2号」その2

 この時、父の実家で何をしたのかほとんど記憶がありません。小学生になってからも幾度か訪れた中で最も印象の薄い旅でした。それでも何とか記憶に残っているのが近くの芦田川でメダカを探したり、土手や河川敷でツクシやヨモギの葉っぱを母と採ったりしました。この頃になると辺りの農家にも変化が訪れていました。以前は夕方になると各農家で飼われていた牛を河川敷まで連れて行き暫しの間放牧をしていました。けれどもほとんどの家で牛を処分してしまいそんな光景も見られなくなくなってしまいました。叔父、叔母やこの地域の他の人たちも昼間働きに出るようになり、休日に田畑を耕す生活に変わったので牛の面倒を見られなくなったのかもしれません。そのおかげで土手や河川敷には牛の排せつ物がほとんど無くなったので安心して野草の採取ができたのでしょう。

 その頃の変化でもう一つ印象に残っているのが土手上の道が舗装されたことです。父の実家のある地区は駅とを結ぶバスの終点にありました。土手の上にあるバス停で折り返しのバスを待っていると、はるか向こうに砂煙が立ち上り、それが次第に大きくなってこちらに近づいていてくるのを見てバスがやってきたことがわかりました。 

 さて、帰りの列車はどうするかと言う事になり、上り急行「びんご2号」に始発の三原まで行って乗る事になりました。前回、前々回と満員列車に乗る事になりましたので、母一人ならともかく子供連れの配慮だったのでしょう。所要時間では普通列車の乗り継ぎの方が早かったのですが私もそこまでは気が付きませんでした。

 福山から三原まで行くのに今はほぼ20分間隔で普通列車が走っていますが、当時は1時間に1~2本しかありませんでした。上の時刻表の画像が途切れていますが、福山9時16分発嘉川行に乗りました。9時57分発がありますが糸崎止まりで、時間としては良いのですが糸崎での乗り換えを嫌ったのかバスの時刻の関係でしょうか。次の10時26分発広島行でも良いのですが三原到着の約3分後に折り返しの下り「びんご1号」がやって来ます。一旦改札を出て切符を買い直す事を考えると少しせわしないスケジュールです。

 私たちが乗った吉永発嘉川行は80系電車(と言っても当時は湘南電車としか理解していない)でした。車内は空いていて4人掛けボックス席に座れました。この列車の行き先である嘉川は時刻表があればどこにあるか直ぐにわかりますが、大方の乗客は「どこにあるの?」って感じだったでしょう。そのためか車掌の車内アナウンスも「この列車は普通列車の嘉川(かがわ)行きです。嘉川と言う駅は小郡の一つ次の駅です」と言った感じで停車駅を発車するたびに案内を繰り返していました。

 三原では「びんご」の発車時間まで1時間半ほどあったのでどこかに行こうかと駅にある観光案内地図を見たものの果たして歩いてどれくらいかかるのか見当が付きません。母が港でも行こうかと言っていましたが結局駅の待合室で時間を過ごすことになりました。そのうちに待合室の人も増え、「びんご」の発車するホームにも人が並びだしたので発車時刻の30分前にはホームに入ったようです。

 「びんご2号」は糸崎、尾道、松永と小刻みに停車して行き福山で満席になり、その後の停車駅からは立つ人が見られました。前回のような混雑ではありませんが福山からでは3人バラバラで座らなければならなかったと思います。


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