今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

急行電車男 前編19

2020-06-05 20:17:29 | 鉄道旅行

立山黒部旅行7

 昨日は全く気付かなかったのですが、トロッコ列車の宇奈月駅の側線には真新しい箱型の新型車両が停まっていました。駅の掲示板にはこの秋から運転開始とありました。

新型車両をバックに撮ってもらった写真です。私の背後に立っているのは祖父のベトナム帰りの知人で、左端に写っているのが祖父です。

 宇奈月では少し時間があったので土産物を物色したりしてから一昨日泊まった河内屋旅館に向かいました。恐らく大きめの旅行鞄は預かって貰ったのでしょう。その時、旅館が注文を取っていた土産用の蒲鉾も受け取りました。昆布を巻き込んだちょっと凝った感じの蒲鉾でした。帰路敦賀に停車した時に、ビールのつまみに祖父らがホームの売り子から買ったのに釣られて私も買って帰った蒲鉾もあったのですが、母の感想では食べ慣れたシンプルな形の敦賀の蒲鉾に軍配が上がりました。

 河内屋は、最近旅館業務を終了したようですが、蒲鉾製造業務に絞って営業を継続しているようです。

 宇奈月から富山までは富山地方鉄道に乗って戻りました。急行料金が必要でしたが、一昨日千寿ケ原から乗ってきた旧型の4人掛けボックス席の車両と同じ3~4両編成の列車は観光客らでほぼ満席でした。

 富山では帰りの列車まで少し時間があるので駅前で昼食を取り、中にはパチンコをやりに行く人もありました。

 乗車する列車は大阪行きの急行「第2立山」でしたが、指定席券が取れなかったので早めにホームに行って並ぶことになりました。折り返しの下り「第1立山」が到着するのを覚えていますので発車の1時間前には並んでいたのではないかと思います。当時の時刻表がないので途中の詳細なダイヤはわかりませんが、下り「第1立山」の到着が14時11分、上り「第2立山」の発車が15時00分だったようです。車両は往路に乗った「つるぎ」と同じでした。

 発車後、定番の途中停車駅と到着時刻と車両の案内に加えて「複線化工事のため途中停車駅ではない駅に停車することがあります。」と言うアナウンスが今でも記憶に残っています。当時は富山以西の北陸本線の複線化に向けて最後の追い込み作業が行われていました。

 富山の次の停車駅高岡に停まるために列車が減速しだした時です、「あっ、この音田舎から帰るときに乗った列車と同じ音だ」と言う事に気が付きました。電車が速度を落とす際にモーターから発する音です。(この時乗車していたのは471系だったようです)然しながら、その時はただそれだけの事でそれ以上の特別の感情も湧きませんでした。それと列車がホームに入る直前に祖父が急に「鼻血出すかもしれんから席を替われ」と言われて渋々進行方向に向って座っていたのを逆方向に交替したので、音の余韻に浸る余裕もありませんでした。今回の旅行中は一度も出る事はなかったのですが当時の私は鼻血が出やすい体質でしたので仕方なかったのかもしれません。その頃は冷房もされていなかったので列車がスピードを上げると、夏場全開の窓から向かい風が強く吹き込んで顔に当たります。尤もそれが原因で鼻血を流したことは一度もありませんでしたが。祖父は、席を替わって直ぐに窓から身を乗り出してからホームの誰かに手を振って合図を送っていました。私は気付かなかったのですが、河内屋で一泊した後高岡の親戚宅に向かった人がいたのでした。他にも河内屋でもう一泊した夫婦連れもいて今風に言うとアバウトな慰安旅行でした。

 その後、列車は夏休み期間中と言う事もあって各駅で乗客を乗せて行き、立つ人もかなりいました。米原で少し乗車率は低くなりましたが、それでも京都まで立つ人もちらほら見受けられました。

 大阪の到着時間から推測して京都には19時50分ごろに到着したようですが、私の記憶の中ではもう1時間早く着いたようになっています。

 


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