今日も損切り!徒然なる列車

損切続きの人生ですが、そんな事は忘れて鉄道旅や鉄道模型とかの話、日常生活での発見や思い浮かんだ話とか書いてみます。

31年前の北海道旅行77

2009-06-08 21:12:58 | 鉄道旅行

  9時ごろに目が覚めた。船は津軽海峡を過ぎ、陸奥湾に入るところだろうか。この時点まで、私は青森から「きたぐに」に乗るか「くりこま」に乗るかまだ迷っていた。「きたぐに」なら乗り換えなしで早く京都に着ける。しかし、18時間も車内にカン詰めなのと、新潟での方向転換が気になること、電車急行の方が私には魅力があること、それに所持金も多少余裕ができたこと等から、迷ったあげく遠回りの「くりこま」利用に決めた。当初計画では「白鳥」の利用も考えたが、やはり長時間のカン詰めと新潟での方向転換がネックとなって踏み切れなかった。
  到着30分ほど前に、船内のテレビで青森の観光案内を流しだした。この船の出航後には、船の構造や救命胴衣についてこのテレビで説明していた。
  到着の5分ほど前、窓から着岸する様子を見てリュックを持って急ぐ旅ではないが出口に並びに行く。まだ10人ほどがいただけだ。下船後、連絡船待合室に行こうとしたら、通路の工事中だったのでホームへ行く。「くりこま1号」の入る2番線には上野行「はつかり4号」が客を待っている。そんなことは構わず「くりこま」の乗車位置にリュックを置く。ホームをうろついて時間をつぶす。
  1120、「はつかり4号」発車。1135頃5番線に「きたぐに」入線。乗る人は少なそう。
  折り返し上り「くりこま1号」となる下りの「くりこま1号」は、定刻より3~4分遅れで到着。車内清掃、サボの取替えが行われる。ふと私の乗る6号車クモハ455の屋根を見ると日光型クーラーであった。
  1210頃、ドアが開き乗車。デッキから2番目進行左手に座る。発車まで1時間近くあるため、車内はガラガラ。私は、一旦荷物を置いて外に出る。天ぷらそばを食い、パンとリンゴジュースを買って再び車内へ。ホタテの焼いたのを売る店があるが、残念ながら店員がいない。発車までゼミの本を読み時間をつぶす。少しづつ客が乗ってきて、発車時には100%の乗車率に。
  1305、定刻に青森を出発。発車後間もなく、電車急行の車内放送のメロディー「汽笛一声」が流され、車内アナウンスが始まった。この曲で始まる車内放送は、私にとっては旅をしていることを強く感じさせる。これは急行電車への愛着もあるし、客車列車のメロディーのように優等列車だけでなく普通列車に至るまで安売りされていないことからくるのかもしれない。
  青森を出て野内までは、43.10のダイヤ改正前に大きく南に経路変更された区間を通り、野内から浅虫あたりまで、しばらく陸奥湾を望みながら走る。一部かなり高いところを通っている所があり、下を見れば旧線跡が並行して延び、さらにその下に道路が走っている。このあたりから長旅の疲れから、せっかく電車急行に乗ったのに、モーターの音が子守唄になってうとうとしだす。時折気が付くが、夕闇迫る終点仙台近くまでほとんど眠りっぱなし。覚えているのは、三戸-二戸間のどこかと思うが、山間のかなり高い鉄橋を渡った時、下の方に赤い屋根の家並が見え、周りの景色と合わせて結構美しかったこと。新幹線工事もかなり盛んで、盛岡を出て車窓右手に高架橋が2年前より多く建ち並んでいたこと。またね小牛田は特急、急行も停まる交通の要衝なのだが、駅舎のない東側は一面の稲田が広がり、田んぼの真ん中のような駅だったことを覚えている。
  松島あたりでようやく眠気から解放された。ここまで検札に来たのだろうか。車掌は検札の時、よく寝ている客は起こしてまで検札しないことがあるからわからない。
  塩釜を出てしばらくすると、左から架線の張られた線路が寄ってきて合流する。何の線か予備知識がなくてわからないが、工場の引込線ではないようだ。仙台1815着。

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