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安倍首相コラボ動画 ≪ ”ネット世論”しか読まない偏り ≫  偏りに便乗/悪用する知恵者が 首相側近に居る  そのターゲット層は?

2020-04-17 09:16:32 | 時評
「空気の読めなさ」の原因は:小田嶋 隆コラムニスト https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00066/?P=1
 日経ビジネス誌連載の「ア・ピース・オブ・警句」。私同様、ファンの方もいらっしゃるだろう。 今回の内容は、安倍首相側近が企てた星野源配信動画への便乗
<コラボ動画>を皮切りに、トランプの真似をするかのような既存メディアへの敵意を指摘し、”ネット世論”を唯一の信頼に足る世論だと誤解する危険を警告する。
 小田嶋氏は帰納法的に持論を以下のように展開する・・・。
【1】 <ネットニュースを見ている人間は、必ず偏向する。 ネット世論から本当の世論をすくい上げようとしている人々も同じだ。 彼らは、いつしか、
  耳に心地よい意見にしか耳を傾けなくなる。 ネットという「偏見固定装置」ないしは「自尊感情拡張ツール」を通して世界を見るようになった人間は、
  必ずや偏向する。>

 <紙にもネット媒体にも良い記事はあるし、同じように、紙の媒体にもネットのメディアにもダメな記事は混入している。どちらかが一方的にダメなメディア
 だというわけではない。 そんなことはわかっている。既存の(あるいは紙の)メディアが、まがりなりにも、「編集」と「文責」を意識した上で書かれている
 のに対して、ネット上の情報は、あくまでも読者側の自己責任に任せる書き方で配信されていることが多い。 両者の違いは、扱っている情報の質の違い
 そのものよりは、それを見に行く「読者」の「姿勢」の問題をより強く反映する。

  ← ネット読者は、自分から見出しや内容をより分けていることを主体性と勘違いしている。 底流には文字を読むだけで書く事から遠ざかった変化もある。

【2】 <どういうことなのかというと、つまり、紙とネットという二つのメディアの違いは、書かれている情報の質の違いそのものよりも、むしろそれを読む、
   読者の「読み方」の差を反映するカタチで顕在化するということだ。> ← 次の実に巧みな比喩を見てみよう。

  <たとえば、レストランに行くと、ディナーのコースは、シェフが考えた順序にしたがって、シェフの指示したレシピ通りのメニューが、順次テーブルに
   運ばれて来ることになっている。 客は、単に食材を摂取するだけでなく、あわせて、シェフの「作品」なり「思想」なり「食の哲学」なりを食べる
  ことになる。 
   一方、ホテルの朝食バイキングでは、客は、自分の好みの料理を自分の好きな順序で好きなだけ食べて良いことになっている。
  すると、ケーキばかり5つも6つも食べる客もいれば、フォアグラやキャビアみたいな高価なメニューだけを平らげにかかる客も現れるということになる。

   どちらが良いとか悪いとかの話をしているのではない。いずれが美味であるか否かを問うているのでもない。
  私が、言いたいのは、バイキングを食べている人間は、どうしても偏向せざるを得ないというその一点に尽きる。

小田嶋氏の訴えるメッセージの核心は上の比喩に在り、私は完全に賛同する。 しばしば”KY”と揶揄気味に「空気を読む」ことの負の側面が強調される。
然しその負とは、大衆がパワーを持つ者に従う心理を言うだけではなく、権力者が大衆の空気を創り、或は機敏に先読みする事も同時に含む。
まさに安倍政権はスタート以来、この手法を駆使し、コロナ危機をも操ろうとしている。 其のターゲットは読書離れ/文字離れした壮年/青年層なのだ。。。
コメント
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