静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 令和天皇の即位に想う ≫  私にとっての天皇制

2019-10-23 07:00:27 | 時評
 昨日の即位儀式を機に、思うところを綴ってみる。 

 理論的には市民平等・主権在民の原則に反する天皇制<=君主制>ながら、今の&将来の日本にとり有益/有効な仕組みとして存続させるには、何が必要か?

 ★ 王制/君主制という仕組み自体、直線的進歩観を盲信するのでなくば、一概に有害な統治制度とは言えない。私も同感で、嘗ての王様/キングのような
   絶対権力体制でなければ、寧ろ抑制が効かない米国大統領、現在のロシアや中国のような専制独裁体制よりも、議会に支えられる英国や日本の君主制は
   相対的にベターかもしれない。

 ⇒ だが、日本の場合、明治天皇自身が専制君主的かどうかではなく、天皇制を西洋の君主統治に装わせ、悪用する武士政治家たちが居た。
   此の成果が明治維新という武力革命であり、思潮は伊藤博文に始まる。だが軍事独裁は破綻。敗戦し、新憲法になっても専制的統治の手段に天皇制を
   悪用したい勢力は絶えず、其の勢力に自民党は未だに支えられ、高度成長の終焉で自信を失った国民を国家主義に導きたい人々の動きが最近は目立つ。
   この動きを断つには、どうすべきか? 
   * 私の結論は、次の2点に尽きる。


 (1) ”天皇制は日本の歴史の欠かせない要素であったうえ、文化伝統の形成に深く与かる柱であった”との事実認識には立つが、だからといって、
    天皇制を今後も国家の在り方に影響を与えたり、決定づける要因にはしない。文化と統治原則を一緒にしない。これを国民が共有できる合意内容とする。

 (2)飽くまでも、敗戦後の新天皇制下の昭和天皇、そして平成天皇自身が守ろうと努めた≪専制帝国を支えるシンボルとなった過去への反省意識と行動≫を支え、
    且つ、多様な意見と思想の共存を保障する民主国家の大原則;<国民の基本的人権/主権在民>を否定する一派に、皇室への無邪気な愛着と尊崇を
    利用させない。これは言論メディアだけでなく、教職に在る者の責務でもある。
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