静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

≪ 憲法論議は是々非々で ≫  守るべき価値と 変え、そして加えるべき価値は? 明治日本の復古は論外!

2016-11-03 09:00:56 | 時評
* <毎日社説>憲法公布70年 土台を共有しているか http://mainichi.jp/articles/20161103/ddm/005/070/125000c?fm=mnm
・ 此の社説が掲げる『土台の共有』とは、何か。 土台とは、戦後70年の国の在り方を肯定したうえで共有できる中核的価値観のことであり、まず国会議員がその共有可能な
  価値観に合意するプロセスを経なければ、国民的合意の形成はできない。 そして、国民の大半の総意を基礎に置く合意形成ができないなら、改正された憲法は国民のものに
  はならない。 こういう趣旨である。 読者に異論はあるまい。
   また、此の社説で重要なポイントは、現行憲法の制定経緯をめぐる価値判断の分裂を戒めている点だ。即ち;
<日本国憲法は敗戦前後の激動期をくぐり抜けて生まれた。ポツダム宣言の受諾が事実上の出発点だ。>
 ・ つまり明治以来の大日本帝国の失敗/過ちを「ポツダム宣言」が象徴するのであり、その冷厳な事実を(敗戦の屈辱感とは別に)日本の新しい国造りのスタートポイントと
   認めるか否かを毎日新聞は問うているのである。
<連合国軍総司令部(GHQ)は占領の開始直後に憲法改正を求めている。しかし、日本側作成の改正試案が明治憲法の修正にとどまっていたため、GHQ民政局のスタッフが直接原案作りに乗り出した。1946年2月のことだ。> 
<日本側は戸惑いながらも翌3月にGHQ案を基に憲法改正草案要綱を閣議決定する。4月の衆院総選挙をはさんで、明治憲法の改正案として帝国議会に提出されたのは6月。1条や9条などに修正が加えられて10月に議会を通過した。
・ この点を日本会議に代表される国粋派は無視し、逆に明治憲法への回帰を唱える始末だ。
   つまり、明治憲法理念の存続願望をGHQが完全否定した経緯の産物が現行憲法であり、今を生きる我々は、それがGHQによる否定だからうんぬんではなく、自分たちの
  価値観として、これからも<主権在民/三権分立/象徴天皇/専守防衛>という基本原則を受け入れるのか否か、である。

◆ 他方、社説は(左右両極を排す)という。「右」とは言わずと知れた<日本会議等のグループ>であり、櫻井よし子に象徴されるデマゴーグを指す。では「左」とはどのグループを意味するか? 憲法を条項のどれ一つとして触らせない、と気勢を上げる一派だ。この「左」一派は、戦後70年の国内事情・社会の変化・国際政治環境の構造的変化など、複数の情勢変化により憲法も修正が必要になる、ということ自体をも否定する。 其のナンセンスさにおいて、「右」グループと同じ守旧派に過ぎず、馬鹿馬鹿しさにおいては<同じ穴の狢>だ。 

私も何度か述べてきたように、地方自治と中央集権の見直し、これひとつとっても明治以来の国の在り方の大きな修正である。沖縄と本土の対立構造が深くなるにつれ、私は統治構造の再編こそ日本が分裂を回避するうえで大変重要だと日に日に思う。 維新の党が「道州制」論議を出さなくなって久しい。自民党も同じ。
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