7月 19日 (火)
午後3時過ぎ、夫から電話。
「叔父さんが、これから救急搬送される。」
急いで病院へ向かう。
一人暮らしの叔父は、三年前から自宅を賃貸にし、住居型老人ホームで暮らしている。春ごろから、食欲が落ち、ベッドで過ごす事が多くなっていた。
叔父は、救急処置室の中で、様子は分からない。施設長さんと夫の話では、かなり呼吸が荒く苦しんでいる様だ。
何時間、待っただろうか・・・
よく覚えていないが、とっぷりと日が暮れた頃、医師に呼ばれた。
叔父の意識は回復し、呼吸も楽になっていた。
夫、私、施設長さんの顔も分かる。
不正脈、カリウム値が極度に低い・・・いろいろ説明を受ける。まだ、これといって原因が分からないと言う。
「これからの治療に人口呼吸器を使いますか?」と、いう医師の問いに、
夫は、
「人工呼吸器は、使わないで下さい。」と答え、(そうだよね?)と、同意を求めるように、私の顔を覗き込んだ。
私は、口をキュッと結び、固まってしまう。
すぐさま、施設長さんが、
「延命治療しないでくれというのが、ご本人の希望でした。」と。
老衰死と向き合う事になる。
ナースセンターの隣り、重篤個室へ移る。
帰宅したのは、夜9時過ぎだった。
その夜、眠れなかった。
いつ病院から電話がくるか・・・
自分の親だったら、今夜は付き添っただろうとか・・・
そして、これから老衰死と向き合っていけるのだろうかとか・・・
7月 20日 (水)
朝、入院に必要な物を持って病院へ行く。
叔父は、目を開けてキョロキョロしている。
「あぁ〜、よかったぁ。叔父さん、junだよ、分かる?」
うんうんと、うなづく。
「叔父さん、苦しくない?」
うんうんと、うなづく。
叔父は、何か話すのだけれど、入れ歯を外しているので空気が抜けて声にならない。
「いいよ、叔父さん、無理しないで。ここにいるからね。」
よかった、よかった♡
私は、持ってきた物を整理し、窓際のソファに座ってタオルに叔父の名前を書く。
とてもよく晴れている。
「叔父さん、いいお天気だよ。」
一週間もすれば帰れるだろう。でも、これまでいた住居型老人ホームは無理だろう。医療付き老人ホームを、叔父の友人が手配してくれると言う。
10時過ぎに夫が来るから、そしたら足りない物を買いに行こうと、買う物をメモしていた。
と、突然、看護士さんが入って来て、
「呼吸が浅く、心拍が薄くなっています。」と、いう。
え?
「家族に連絡してください。」
え?
夫に、「叔父さんが危ない!親戚に連絡して!」と電話をする。
叔父の手を取り、肩を揺すり、何度も何度も叔父の名前を呼び続けた。
どうして?どうして?
さっきまで、私のこと分かったじゃない!
だめだよ、叔父さん!
目を開けて!叔父さん!
叫び続けた。
呼吸が、ゆっくりになる。ゆっくり、ゆっくり・・・
と、すうっと消えていった。
あ、息をしていない・・・
私が病室に来てから、1時間半足らずの出来事だった。
取り乱す私の背中を、看護士さんが、いつまでも、さすってくれていた事に気づく。
夫と、夫の従姉が来る。
安らかな最期だったことを伝える。
ずっと一人暮らしだった叔父さん。
最期を一人にしなくてよかった。
血のつながりのない私だけど、一人で逝かせなくてよかった。
午後1時前、セレモニーホールへ安置。
7月 22日(金)通夜
叔父の希望で、家族葬に。
戒名を頂く。
7月 23日 (土)本葬儀
火葬
柩に、叔父の愛用のハンチング帽、パイプ、タバコ、そして大好きな お寿司を入れた。
初七日の法要
納骨
この墓には、もう一人の叔父夫婦が眠っている。
8年前、北岳で滑落死した もう一人の叔父。
戒名に、「登」の一文字が入っている。
叔父が生前に弟夫婦のために建てた。
「ボクも一緒に入るよ。」と。
仲の良い兄弟だった。
もう一人の叔父夫婦にも子どもがいないので、私たち夫婦が墓守りをしている。
納骨の時、カロートを覗くと、まだ余裕がある。
パパ、私たちも、このお墓に入ろうよ。
祓いの膳
夕方、我が家に祭壇を飾る。
これから、四十九日まで供養する。
叔父さん、自分の家じゃなくてゴメンね。
私の料理を、ガマンして食べてね。
平成28年 7月 20日 永眠 行年87歳
合掌🙏
7月 24日(日)
叔父の住んでいた施設へ荷物を引き取りに行く。
7月 25日 (月)
ゴミ処理場へ行く。
携帯電話の解約をする。
7月 26日(火)
市役所へ保険証、印鑑証明書を返却し、年金の手続きをする。
7月 27日 (水)
セレモニーホールへ、全ての支払いを済ませる。
位牌を作りに行く。
10日程で出来るそうだ。
7月 28日 (木)
施設へ菓子折りを持って、お礼に行く。
最後の3年間を楽しく過ごせて、叔父は幸せでした。本当にありがとうございました。
7月29日 (金)
昨日、病院から請求書が来たので、支払いに行く。
これで、今のところ私に出来る事は終わった。
あとは日に2回、叔父にお膳を供えるだけ。
遺産相続は、夫に任された。
法律に従って等分すると言う。
市役所で、原戸籍を取ると・・・次々に問題が発生!
専業主婦の私は、いくらでも時間があるけれど、仕事をしながら、叔父の後片付けをするのは大変な事。
夫は、とても疲れている。
「ホント、面倒くさいねぇ。」と、ボヤく。
パパ、ここは、ひと休みして、息抜きしてから、また始めましょう。
この週末は、夫をねぎらうために、久しぶりにオートバイに付き合うことにしま〜す🏍
叔父さん、ちょっと出掛けて来ます。
ちゃんと供養しますから🙏
⭐️ おしまい ⭐️
午後3時過ぎ、夫から電話。
「叔父さんが、これから救急搬送される。」
急いで病院へ向かう。
一人暮らしの叔父は、三年前から自宅を賃貸にし、住居型老人ホームで暮らしている。春ごろから、食欲が落ち、ベッドで過ごす事が多くなっていた。
叔父は、救急処置室の中で、様子は分からない。施設長さんと夫の話では、かなり呼吸が荒く苦しんでいる様だ。
何時間、待っただろうか・・・
よく覚えていないが、とっぷりと日が暮れた頃、医師に呼ばれた。
叔父の意識は回復し、呼吸も楽になっていた。
夫、私、施設長さんの顔も分かる。
不正脈、カリウム値が極度に低い・・・いろいろ説明を受ける。まだ、これといって原因が分からないと言う。
「これからの治療に人口呼吸器を使いますか?」と、いう医師の問いに、
夫は、
「人工呼吸器は、使わないで下さい。」と答え、(そうだよね?)と、同意を求めるように、私の顔を覗き込んだ。
私は、口をキュッと結び、固まってしまう。
すぐさま、施設長さんが、
「延命治療しないでくれというのが、ご本人の希望でした。」と。
老衰死と向き合う事になる。
ナースセンターの隣り、重篤個室へ移る。
帰宅したのは、夜9時過ぎだった。
その夜、眠れなかった。
いつ病院から電話がくるか・・・
自分の親だったら、今夜は付き添っただろうとか・・・
そして、これから老衰死と向き合っていけるのだろうかとか・・・
7月 20日 (水)
朝、入院に必要な物を持って病院へ行く。
叔父は、目を開けてキョロキョロしている。
「あぁ〜、よかったぁ。叔父さん、junだよ、分かる?」
うんうんと、うなづく。
「叔父さん、苦しくない?」
うんうんと、うなづく。
叔父は、何か話すのだけれど、入れ歯を外しているので空気が抜けて声にならない。
「いいよ、叔父さん、無理しないで。ここにいるからね。」
よかった、よかった♡
私は、持ってきた物を整理し、窓際のソファに座ってタオルに叔父の名前を書く。
とてもよく晴れている。
「叔父さん、いいお天気だよ。」
一週間もすれば帰れるだろう。でも、これまでいた住居型老人ホームは無理だろう。医療付き老人ホームを、叔父の友人が手配してくれると言う。
10時過ぎに夫が来るから、そしたら足りない物を買いに行こうと、買う物をメモしていた。
と、突然、看護士さんが入って来て、
「呼吸が浅く、心拍が薄くなっています。」と、いう。
え?
「家族に連絡してください。」
え?
夫に、「叔父さんが危ない!親戚に連絡して!」と電話をする。
叔父の手を取り、肩を揺すり、何度も何度も叔父の名前を呼び続けた。
どうして?どうして?
さっきまで、私のこと分かったじゃない!
だめだよ、叔父さん!
目を開けて!叔父さん!
叫び続けた。
呼吸が、ゆっくりになる。ゆっくり、ゆっくり・・・
と、すうっと消えていった。
あ、息をしていない・・・
私が病室に来てから、1時間半足らずの出来事だった。
取り乱す私の背中を、看護士さんが、いつまでも、さすってくれていた事に気づく。
夫と、夫の従姉が来る。
安らかな最期だったことを伝える。
ずっと一人暮らしだった叔父さん。
最期を一人にしなくてよかった。
血のつながりのない私だけど、一人で逝かせなくてよかった。
午後1時前、セレモニーホールへ安置。
7月 22日(金)通夜
叔父の希望で、家族葬に。
戒名を頂く。
7月 23日 (土)本葬儀
火葬
柩に、叔父の愛用のハンチング帽、パイプ、タバコ、そして大好きな お寿司を入れた。
初七日の法要
納骨
この墓には、もう一人の叔父夫婦が眠っている。
8年前、北岳で滑落死した もう一人の叔父。
戒名に、「登」の一文字が入っている。
叔父が生前に弟夫婦のために建てた。
「ボクも一緒に入るよ。」と。
仲の良い兄弟だった。
もう一人の叔父夫婦にも子どもがいないので、私たち夫婦が墓守りをしている。
納骨の時、カロートを覗くと、まだ余裕がある。
パパ、私たちも、このお墓に入ろうよ。
祓いの膳
夕方、我が家に祭壇を飾る。
これから、四十九日まで供養する。
叔父さん、自分の家じゃなくてゴメンね。
私の料理を、ガマンして食べてね。
平成28年 7月 20日 永眠 行年87歳
合掌🙏
7月 24日(日)
叔父の住んでいた施設へ荷物を引き取りに行く。
7月 25日 (月)
ゴミ処理場へ行く。
携帯電話の解約をする。
7月 26日(火)
市役所へ保険証、印鑑証明書を返却し、年金の手続きをする。
7月 27日 (水)
セレモニーホールへ、全ての支払いを済ませる。
位牌を作りに行く。
10日程で出来るそうだ。
7月 28日 (木)
施設へ菓子折りを持って、お礼に行く。
最後の3年間を楽しく過ごせて、叔父は幸せでした。本当にありがとうございました。
7月29日 (金)
昨日、病院から請求書が来たので、支払いに行く。
これで、今のところ私に出来る事は終わった。
あとは日に2回、叔父にお膳を供えるだけ。
遺産相続は、夫に任された。
法律に従って等分すると言う。
市役所で、原戸籍を取ると・・・次々に問題が発生!
専業主婦の私は、いくらでも時間があるけれど、仕事をしながら、叔父の後片付けをするのは大変な事。
夫は、とても疲れている。
「ホント、面倒くさいねぇ。」と、ボヤく。
パパ、ここは、ひと休みして、息抜きしてから、また始めましょう。
この週末は、夫をねぎらうために、久しぶりにオートバイに付き合うことにしま〜す🏍
叔父さん、ちょっと出掛けて来ます。
ちゃんと供養しますから🙏
⭐️ おしまい ⭐️