晴れたらいいね ♪̊̈♪̆̈

温泉が好き♡山に登った後の温泉は、もっと好き♡
食べることも、だぁ~い好き🎶

新盆

2022-08-13 21:12:00 | 母のこと


8月 13日  (土)


今日からお盆。


今年は、母の新盆でもあります。


ところが台風8号が静岡直撃🌀
私の町にも高齢者避難勧告が出て、迎え火が焚けるかな?と心配したものの、さほどの大雨にもならず、


迎え火を炊く頃には雨も上がりました。


迎え火を焚いて、精霊棚にお線香を上げに行くと、
いつも必ずどちらか1つが回らなかった盆提灯が、
今夜は2つともクルクルとよく回る。




みんな、おかえりなさい


子どものいない叔父2人
私の祖父母・両親
子どものいない叔母

計7人が帰って来ました。





今年のお盆はellyもmare家族も帰省しない静かなお盆。

でも、この台風を思うと帰省して来なくてよかった。
この天気では海へも山へも行けなかった。

そして、静かに母の新盆と向き合えてよかった♡


秋の彼岸の帰省を楽しみにしています




  




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命日

2022-08-03 22:18:00 | 母のこと


8月 3日 (水) 


今日は母の命日。

1年経ちました。


朝5時過ぎに家を出て、実家のお墓掃除に行きました。





通り道、マック見っけ❣️
朝マックしちゃいました🍔





それから、子どもがいないので墓守を任されている二人の叔父のお墓掃除に行きました。


みんな、お盆には我が家に全員集合だよ
我が家のお盆は賑やかになります。



🤍 🤍 🤍










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四十九日の法要

2021-09-15 20:00:00 | 母のこと


9月 12日 (日)  

今日は、母の四十九日。


無事に現世から冥土へ着き、極楽浄土へ旅立てたでしょうか。

昔は身内が亡くなると「1年は喪に服す」と、言いましたが、仏教的には四十九日を過ぎたら、母の魂もこの世を旅立ち、霊から仏になります。

だから四十九日は、
残された遺族もいつまでも悲しんでないで、
しっかりと生活していきなさいよ
という区切りの日なのだそうです。



母が亡くなって、
息をしてそこにいる
母の姿を見る事は二度となくて、
声も聞けなくて、
触れる事もできなくて、
ただそれだけが寂しい。
この想いは、ずっと続くのでしょう。



それでも何かにつけて母を想い出し、
手を合わせて懐かしみ、感謝し、
母は私の心の中で生き続けます。

明るくて話好きで食いしん坊で、
お節介で心配性で、
オシャレと、お洗濯が好きな母でした。


 🙏 



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暑くなる日は早起きして

2021-08-26 12:00:00 | 母のこと


8月 26日 (木) 

朝方、母の夢を見ました。

母と私は新宿にいて、お寿司屋さんを探しています🍣
お目当てのお寿司屋さんが見つからず、
Googleマップで探そうとするとスマホがない💦
ふと見ると母が、マスクをしていない💦
「お母さん、マスクしなきゃ!」と、周りを見ると、誰もマスクをしていません。
それから母に目をやると母がいません!
慌てて探すと、
母は、ベンチに座って編み物をしています。
でもよく見ると、母の手はガーゼのハンカチを握っています。
そして、ガーゼをクシャクシャして編み物をする様な仕草をしています。
ああ、認知症は始まってるんだと思ったり、
でも車椅子ではなく、ちゃんと歩けて良かったなと思ったり。

と、ここで
「起きてる?起きて!」と、夫の声。

そうだった
今朝は涼しいうちにやる事があったっけ。

でも、夢の続きを見たかったな
母と私は、
無事にお寿司屋さんへたどり着いたのかな?

母は、新宿伊勢丹が好きでした。
私たち母娘の様な田舎者にとって、
伊勢丹は、なんでも揃っている魔法の箱でした🎁
きっとお寿司を食べた後は、伊勢丹でショッピングするんでしょう🛍

施設へ入ってから母の夢は一度も見た事がありませんでした。
朝夢の中の母は、始終ニコニコ穏やかな笑顔でした☺️
あー、なんだかホッとする夢でした♡


今朝、5時起きして涼しいうちにやる事とは、
除草剤を撒いて🚿


ガウラの間にはびこる雑草を抜く事💪


もう、朝から汗びっしょりヽ(´o`;/
朝ごはん前にシャワーを浴びました。


今日からまた猛暑が戻ってくるそうな


がんばれ秋茄子🍆


  

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母を送る

2021-08-09 12:00:00 | 母のこと

8月 3日 (火) 

朝7:20頃、電話が鳴りました。
とっさに母の顔がよぎりました。
嫌な予感は的中。
施設から、母の呼吸が乱れているから、すぐに来て下さいと。

7:30、私が駆けつけると、施設の職員さんたちが、母のベッドを囲んでうつむいていました。

「1〜2分前でした。」と。
「junさんが直ぐ来るから頑張って!」と言うと、

大きく目を見開いて、
「あ〜」とひと声発し、
大きな息を一つして…

「穏やかな最期でした。」と。

母の顔も手も温かいので
息をしていないのが信じられませんでした。
何度も「お母さん!」と呼び続け
何度も母の息や脈を確かめました。

…逝ってしまいました。

私は、まだ温かい母の手を握り、
「お母さん 頑張ったね。」
「お母さん ありがとう。」
を繰り返しました。

施設の皆さんが、一人一人母にお別れを言いに来てくれました。
顔をさすったり、手を握ったりして、
母のために涙して下さる姿を見て、
母と深く関わって下さった事が伝わってきました。
セレモニーホールへ向かう時も、
全員が外へ出て、見送って下さいました。
最期がこの施設で良かったと再認識しました。

兄と夫が葬儀の段取りをしてくれている間、
泣いて泣いて、泣き疲れた1日でした。
泣き過ぎて、夕方、頭が痛くなって泣けなくなりました。

退院した翌日に亡くなるという驚くべき展開でした。

コロナ禍ですから入院してからは、
全く面会できませんでした。
7月26日のタブレット面会で、母はゼリーを食べて(飲み込んで)いました。
30日、市立病院の担当医からの電話では
「いつ退院しても良い。」と。
それなのに、退院の翌日に逝くなんて。


でも、今思うと、
母はなんとしても施設へ戻り、
私と施設の皆さんにお別れしようと
頑張ったのだと思います。

胃瘻か経口補給できなければ、ターミナルケアのできる病院への転院となる予定でした。
母は、食道裂孔ヘルニアなので胃瘻は無理でした。


灯滅せんとして光を増す


退院した日、私は、久しぶりに母の顔や手をたくさんさすり、母と触れ合う事が出来ました。
母は、それを確認して旅立ったのだと思います。

母は、老木が朽ちるが如く、幹にシワを寄せ、葉を一枚一枚落として自然な最期を迎える事ができました。
「理想的な最期ですよ。」と、
施設長さんのお言葉でした。
施設の主治医の先生が書いた死亡診断書には、
「自然死」と、ありました。


又、母はこの8月1日に91歳の誕生日を迎える事もできました。

相撲、野球、ゴルフなどスポーツ観戦が好きだった母は、「東京オリンピックまでは頑張りたい」と、口癖の様に話していました。
長寿を全うすることができました。



6日 (金) 
19:00 通夜

7日 (土)  のち 
11:00 葬儀

母の遺言通り、長女の成人式に撮った写真を遺影にしました。
母が好きだったピンクや赤色で祭壇を飾りました🌹


汕頭(スワトウ)刺繍の着物を棺に入れました。
これも着物好きな母の遺言でした。
また、トレードマークだった帽子とサングラスも入れました。

ごくごく身内だけの家族葬で、母を送りました。





四十九日を迎えるまで、私の家に祭壇を飾り、母を供養しています。
朝晩の御膳を上げながら、母と話をしています。
部屋を掃除していると、
後ろから「ねぇ、jun」って声をかけられた様な気がして、
「なぁに?お母さん」と、答えると、
そこには笑顔の母がいます。


時の流れは早いもので、
今日は、もう初七日です。
母は、不動明王様に懺悔して、お許しを頂けたでしょうか。

私はなんだかポカンとしています。


 🙏        


コメント (20)
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