晴れたらいいね ♪̊̈♪̆̈

温泉が好き♡山に登った後の温泉は、もっと好き♡
食べることも、だぁ~い好き🎶

井伊家ゆかりの地、鳳来寺山へ

2017-10-28 18:35:13 |  山歩き
10月 26日 (木)

秋の長雨が続く中、ようやく晴れ☀️の天気予報。
山の会B(男性2人・女性6人)で、愛知県 奥三河山系の鳳来寺山へ行ってきました。

ルート



隣町の市役所6時集合 出発

7:45 門谷駐車場 着。



8:00歩き始め。
古い民家は、オシャレなカフェ。



お遍路さんを完歩したリーダーは、今日は、この様な出で立ちで、若山牧水さんと肩を並べる。



松尾芭蕉さんも、



お出での地。




8:10 表参道登山口



樹齢数百年という杉が立ち並ぶ中、ここから1425段の階段が始まる。


石仏が点在する。
歴史を感じながら厳かな雰囲気の中を歩く。



8:15 仁王門



仁王さま、お邪魔します🙏



「傘杉」樹齢800年、高さ60m。



幹の上の方が四方に広がり傘をさした様に見える事から傘杉と呼ばれる。



はじめは緩やかだった階段が次第にキツくなってくる。




8:45 鳳来寺 本堂 着。


本堂は、まだ閉まっている。

ここ鳳来寺は、子宝に恵まれると信仰されている。



大河ドラマ「直虎」でお馴染み、虎松が今川氏に命を狙われた時、殺生禁止のこの寺で14歳までを過ごしたそうだ。



東屋でひと休み。今日は、観光気分の山歩き♪

東屋の柱が額縁のようになって、その向こうに奥三河の山々が広がる。紅葉の時期は、綺麗だろう🍁紅葉祭りは、11月10日からだそうだ。




8:55 本堂裏の階段から、山道を登る。



「タムラソウ」
トゲのないアザミ科の花。私もそういう人間になりたい。



キツくなる登りに、無口になる。




黒部の水平歩道を思わせる道が、10mほど続く(笑)



9:20 不動堂



9:25 奥の院


一部を残して殆どがなかった。



少しだけ紅葉🍁





9:45 鳳来寺山 山頂。





なんの眺望もない。眺望が良いという、ここから10分ほど先の「瑠璃山」を目指すが・・・



瑠璃山は、どこだ?なんの標識もない。



さっき通り過ぎた、この階段の上にある、



ここが瑠璃山か?



Oさん1人が登ってみたけど、何の標識もない。

まぁ、いいよと、先へ進む。




11:00 「鷹撃ち場」🦅


鷹はいなかったが、トンビが飛んでいた。

300度の眺望。奥三河の山々が見渡せる。


ここなら、鷹を撃つのにもってこいの場所だ。


鷹撃ち場で、昼ごはん🍙



私は、何を頬張ってるんだ?(笑)



11:50 出発前に記念撮影📷




蓬莱山東照宮が見えてくる。



12:15「鳳来山東照宮」
日光・久能山と並ぶ三大東照宮だ。



ここには、「出世(出征)狛犬」なる物がある。





弾除けのお守りにと削られた2代目狛犬が横に並んでいる。初代狛犬は、まぁるい石の塊になっていた。





本堂に飾られている「寅童子」は、ハロウィンのカボチャ🎃の様な色合いに見える。


Iさんは、御朱印を書いてもらった。



12:30鳳来寺へ戻って来た。


観光客で賑わっている。



帰り道は、ここから「馬の背展望台」へ。
石仏が並ぶ道を歩く。


みんな対になっている。



「馬の背展望台」が見えてくる。



12:55「馬の背展望台」
今にも崩れ堕ちそうな東屋だ。


「今日は、1日よく晴れたね〜」と、久しぶりの青空をしみじみと眺める。



再び下山。荒れた山道も、皆さん難なくこなす。




馬の背展望台と表参道の分岐。



13:30 仁王門へ戻って来た。



13:40駐車場 着



やぁやぁお疲れさま✋。
でも、まだ早くない?
もうひと山行けそうな雰囲気



立ち寄り湯は、湯谷温泉♨️
宇連川沿いにある「ゆ〜ゆ〜 ありいな」
610円なり。



露天風呂で、身体を伸ばす🙌
うう〜〜ん、いい気持ち♡
山の後の温泉は、最高
カルシウム ナトリウム塩化物泉♨️




17:00市役所 着。解散



介護で軟禁状態だった私に、3カ月の執行猶予が出た時、真っ先に思ったのが「そうだ!山へ行こう❣️」

白峰三山縦走以来の山歩き。
5時間半の山行は、ちょうどよい足馴らしとなった。

清々しい青空の下、久しぶりに山トモさんたちとおしゃべりに花を咲かせて楽しく歩く事ができた。

母に後ろめたい気持ちがあったけれど思いきって来てよかった♡

どこかの山小屋の手ぬぐいにあった。(前にも書いたけど)

「泣きたい時は、山に来い!」

はい、また行きます⛰



⛰ おしまい⛰
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意気地なし

2017-10-24 23:12:59 | 母のこと
10月 23日(月)

母の退院の日。

朝食介助へ行くと、「残り少ない人生、私の好きなように生きたい。家へ帰る。」と、母は、おかんむり💢

それでも朝食は、ほとんど食べた。

朝食後、院長先生が声をかけて下さった。
すると、「はい、分かりました。お世話になりました。」と、笑顔の母。



昼食介助。

午前中にリハビリをして、卒業証書を頂いた。




裏には、亡き父が好きだった「琵琶湖周航の歌」の歌詞が入っていた。
リハビリの後、いつもリハビリの先生と歌っていた歌だ。
リハビリのT先生は、とても優しい方だった。母は、T先生と別れるのを淋しがっていた。





母は、わりと平穏。

食後、着替えをしようと言うと、「そんなシャレて行かなくてもいい。」と、母。

なだめながら着替えをすると、まんざらでもない様子。




仲良しのKさんにも、「あら、ステキじゃないのぉ〜♡ いいわネ、このベスト。お帽子もオシャレよ。」と、言われてご機嫌になる♪





看護師さんたちにも、褒められてますますご機嫌になり、一人一人の手を握り丁寧にお礼を言っていた。

看護師さんたちに見送られて退院。




2時半、お迎えの福祉タクシーに乗ってロングステイへ。





母の部屋。




窓から、台風一過、すっきりと晴れた富士山がよく見える🗻



私が、衣類や薬の受け渡しをしている間、母は、おやつを頂いていたのだが、同じテーブルの方たちは、挨拶をしても何の反応も示さない方たちだった。

入所前、お話の出来る方たちと一緒にして下さいとお願いしておいたのだが・・・

案の定、母は、「挨拶しても返事もしない。こんな程度の低い所だと思わなかった。私は院長先生に騙された。」と、出だしから失敗。

その後、楽しそうにゲームをしているグループの所へ連れて行くが、時既に遅し。「騒がしい。」と、首を横に振る母。


今日は、いろいろ疲れたから部屋で休もうねと、ベッドに横にさせ、夕飯の支度があるから帰るねと言うと、母も「早く帰って、ご飯を作ってあげて。」と、気持ちよく別れた。



夕食後、仕事帰りのmareから「おばあちゃん、どう?」と、電話。
私の複雑な気持ちを話すと、「でもさ、安全な場所にいるんだからさ、大丈夫だよ。」と、励ましてくれた。


台風一過のこの日、強風は、お昼頃に一旦おさまったのだが、夜になってまた風が強く吹いた。

久しぶりにゆっくりお風呂に浸かっていると、空の高い方で、風が唸る。
それが、母の嘆きの様に感じた。


昨日まで約1ヶ月、寝付くまで付き添った私は今夜からそばにいない。初めての知らない所で寝る母は、どんなに不安だろうと心が痛む。


施設に入れるという事は、こういう事なのだと思い知らされた夜だった。




10月 24日(火)

昨夜は、夜中に何度も目が覚めてなかなか眠れなかった。

母の物をいろいろ片付けたり、母が通う眼科医へ薬をもらいに行ったり、介護用品の店に靴の代金を払ったり、病院へ入院費の支払いとお礼のお菓子を届けたりと雑用を済ませた。
母に会うのが怖くて なかなか施設へ足が向かないのだ。

母は、私を待っているだろう。

意気地なしの私。



午後2時半、施設訪問。

案の定、母はパジャマのまま、ベッドの中にいた。

「5日も来ないで何をしてた?◯◯ちゃん(夫)と、どこか遊びに行ってた?」と、母。

昨日、ここに来たばかりだよと言うと、
「昨日 来た?私がいくらバカだって、そのくらい分かるよ。5日だよ。5日!」と、母。

たった1日が、母には5日いるほど長く感じたのだろう。


「死にたい。なんで私はこんな思いをしなきゃならないのか情け無いよ。今まで苦労してきて、なんで。」と、嘆く。


私は、腕をさする事しか出来なかった。

食事のお味噌汁に汁が入ってなかったと言うのでスタッフさんに聞いてみると、「半分食」とお願いしておいたのを、「汁無し食」と、間違えたそうだ。

昨日の出だしといい、汁無し食といい、大丈夫か?この施設・・・


「タクシーを呼んで帰る。」と言うので、それなら車椅子に乗ろうと言うと起き出した。

そのまま、食堂へ行くとレクレーションをやっていたので、そちらへ車椅子を運んだ。

すると、「よく見えない。」と、母が言うので前へ出してやると、レクレーションに参加し始めた。


しばらく付き合って、じゃ、私は帰るね、明日は美容師さんが来るから髪を切ってもらおうねと言うと「気をつけてね。」と、母。

もっと早く来てやればよかった。

母の状態に真正面から向き合えない

意気地なしの私。




施設は、本人が嫌がれば、そのまま放っておくのか?入所したばかりだから、本人の好きな様にしておくのか?

入浴も拒否したから入らなかったそうだ。

「プロに任せる。」と、決心して入所させたのだが・・・




夕方、兄が訪問した。「普通だったよ。」と、兄からメールが来た。

結局、兄は入院中、2回しか面会に来なかった。
そんな兄に、いつもいい顔をする母。

私だけに本音をぶつける母。

その母を受け止められない

意気地なしの私。


きっと明日も私は、なかなか施設へ足が向かないのだろう。

🙅 おしまい 🙅
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ごめんね お母さん

2017-10-22 22:33:12 | 母のこと

10月 20日 (金)

母の退院が23日 月曜日に決まった。

朝食後、院長先生が「病院での治療はそろそろ終わります。でも、まだ歩くことが出来ないのが心配です。僕は、安全な形で退院してもらいたいから、リハビリ出来る所をお勧めしようと思います。お話を進めていいですか?」と、母に話して下さった。

院長先生は、両膝を床に付けて話された。

「先生、私は行きません。私、いつ死んでもいい覚悟は出来てます。」と、母。

「でも、ご家族は、そうは思っていませんよ。リハビリして体調を回復しましょう。」という院長先生の言葉に、「では、よろしくお願いします。」と、母。

胸を撫で下ろして帰宅したのだが・・・

昼食介助に行くと、

「私、一大決心をした。もう、この病院はやめる。私は虎ノ門病院で肩の手術をした後だって、ひとりで生活できもの!」と、おかんむり💢

朝令暮改ならぬ、朝令昼改だ。


まあまあまあ、ゆっくり考えようよと昼食を食べさせると完食した。この分なら、退院ももうすぐだよと、励まして帰って来た。


夕食介助に行くのは、とても気が重かった。

と、どうだろう。病院の食堂から母の明るい声が聞こえる。

午後に、リハビリをした時、リハビリの先生に「私、院長先生に嫌われちゃったのかしら?」と、相談したそうだ。リハビリの先生が間に入って下さり、もう一度院長先生と話す機会を得て納得したようだ。

夜、ベッドに入る前、施設へ行く事を少し不安がった。
「大丈夫。院長先生が進めて下さる所だから心配ないよ。」
「私がついてるから、大丈夫。」
髪を撫でて、頬をペチペチと軽くたたくと、母は笑顔になった。


でも、またいつ気が変わるか分からない。





10月 21日 (土)


「あと2日だね。お疲れさん。」

朝食の介助から帰ると、母の入院から25日目にして、口下手な夫が、初めて労いの言葉をかけてくれた。

うん、あ り が と 。

私は、ゆっくり 噛みしめるように答えた。

携帯を見ると従妹のrindaちゃんから、電話が入っていた。直ぐに電話をし、施設へ入れる罪悪感を伝えると、

「私も、そうだったじゃん。お母さんが、少しでも分かったり、出来たりする事があると、なかなか施設へ入れられなかったよ。でも、出来ない事の方が多いんだからプロに任せよう。」と励ましてくれた。


母は、私の事を自分の姉だと思ったり、私の父と自分の夫が同じ人だという事が理解出来なかったりする。
そして、今、自分のいる所が分からない。

リハビリ計画書には、長谷川式簡易検査は、「12点/30点満点」と、あった。




かと思えば、
「田中マー君(将大)が、活躍してるみたいじゃん。ほら、イチローと同じチームに入った田中マー君。」と、話したりする。

「選挙は、誰に入れるか聞かないけど、ちゃんと選挙に行きなよ。」と、言う。

こういう話を聞くと施設入所をためらってしまう。



昼食介助に行くと、母は、テーブルにふさっていた。後ろから肩を揉んで声をかけると、紙をくしゃくしゃにしたような顔を上げた。

午前中、折り紙おじさんが、折り紙を教えてくれたのだが、何人も集まってワイワイとやったのが騒がしかった、嫌だったと言う。

プライドの高い母は、上手く折り紙を折れない事も、歯痒かったのだろう。仕方ないよ。指先に力が入らないのだから。




以前の私なら、「せっかく教えてくれたんだから、そんな風に思っちゃダメだよ。」と言っただろう。

「そう、わずらわしかったんだね。」と、母の背中をさすると、子どものようにすがる目をした。

不安が取れたのか、機嫌よく昼食を食べ始めた。
そして、「こうやって食べさせてもらうと楽だよ。」と、嬉しそうな母。

すると、後ろの席のお婆さんが、「食べさせてもらうと楽だってさ。人間、何でも自分でやらなきゃダメだ。」と、鼻で笑った。

幸い耳の遠い母には聞こえなかったが、
「黙れ、ババア。自分で食べられたら介助に来ないヮ。」と、私は心でつぶやいた。


そして、ひとさじひとさじ食事を口に運ぶ度に、「ごめんね、お母さん。こうしてあげられるのも あと少しなんだよ。」と、心の中で詫びた。



夕食介助。8割ほど食べた。

9時20分頃 寝付いた。
母の寝顔に「おやすみ」と、今夜も、おとなしく寝てくれますようにと願って声をかけ帰宅した。



10月 22日 (日)

朝食介助。

母は、テーブルから離れ 車椅子でうろうろしていた。

私を見ると「トイレに連れてって。看護師さんに頼んでも、さっき行ったばかりだって言って、連れてってくれない。」と、おかんむり💢

母は、トイレの回数が頻繁だ。
そこへ看護師さんが来て、「朝から何度もトイレに行ってるんですけどね、出ないんです。」と。

日曜日の朝の看護師さんは、人数が少なくて忙しそう。

「すみません。お世話かけます。」と、母をトイレに、連れて行った。


朝食


バナナを少し残して、後は全部食べられた。


昨日 実家へ母の衣類を取りに行った時、母と電話連絡が取れなくなり心配してくれた親友から手紙が届いていた。
朝食後、部屋へ戻って何回も読んであげた。

「娘さんや息子さんたちに従い、よい年寄りになり生きて下さい。私も同じです。」という箇所を強調して読んだ。





「◯◯ちゃんも、脚が悪いんだねぇ。歳をとると、みんな脚が悪くなるんだねぇ。嬉しいよぉ。こうして心配してくれて。」と、嬉しそうな母。

◯◯さんにはお礼の電話をして、母の状態も知らせたと話すと安心したようだ。



昼食介助



8割ほど食べた。


介護用品の店から新しい靴が届き、今日は大安なので朝におろした。

左右同型の男物のような靴。
でも、母は、「履いてないみたいに軽い♪」と、喜んだ。

百均で買ったバラのチャームを縫い付けた🌹
入院して、もう三足目の靴だ。







夕食介助の後、いつものように、9時まで2人を起こしておく。




細野豪志 LOVE ❤️




仲良しになったKさんと、こうして車椅子を並べて9時まで起こしておくのも、今夜が最後だ。


Kさんは、昔住んでいた実家近くにあった老舗旅館のお婆ちゃま(94歳)だったので、入院してからすぐに気が合い、昔話に花を咲かせていた。2人とも昔の事は、正確に覚えている。

いつものように9時20分ころ寝付いた。

おやすみ、お母さん。

明日の午後 退院です。
そして、ロングステイに入所です。

母を施設に入れたら、また私はジムに通い、山へ行くんだろう。

ただただ、詫びるしかない。

ごめんね、お母さん。

🏥 おしまい🏥




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励まされて

2017-10-18 22:36:10 | 母のこと
10月 17日 (火)

母の付き添いをした夜、

soraさんをはじめ、M ayさん、ひよりさん、そして、ひよりさんの読者さんpoohさんからも温かいコメントをいただきましたm(_ _)m

この時、(ああ、ブログって こういった形でも私を支えてくれるのだ)と、再認識しました。

私のブログには、山やツーリングや温泉などの楽しい事だけ綴っていこうと思っていました。(おっと、ツーリングは楽しくないゾ)

母に関わる事は、気が滅入る事ばかりなので、意識して綴らずにいました。

でも、つい弱音をはいた あの夜、読者の方々の温かい励ましの言葉に、ほっこりしたり♡、ウルウルしたり(;_;)
本当にありがとうございました🙏



母は、帯状疱疹による食欲低下、脱水症状、腎臓機能の低下は回復し、今週から点滴もなくなりました。

ただ、食器を持つ手がおぼつかず、歩行が難しい状態です。帯状疱疹の跡の痛みも、まだ残っています。そして、認知症は進んでいます。



今夜も、私は9時まで母を起こしておかねばなりません。憎まれ口を叩かれながら、夜中に起きないように、宵のうちは起こしておきます。


そこへ、大腿骨を骨折して入院中のおじさんが来て、
[

「大変だね、頑張って。アンタが飲むんだよ。」と、オロナミンCドリンクを頂きました。




大腿骨骨折のおじさんは、リハビリ中。



広告や折り紙で、指先の訓練もしています。


折り紙おじさん、いつもありがとうございます😊



歌番組が好きなので「うたコン」を見るけれど、


さすがに、jujuは、興味なし。


藤あや子になったら、自分から車椅子をテレビの近くに動かしました。




9時に眠剤を頂いて飲ませ、9時20分頃、寝付きました。

今夜も、このセンサーマットが鳴りませんように🙏





10月 18日 (水)

朝食




完食です



ご機嫌も、まあまあ。



ジム友、キヨさんは、この本を貸してくれました。




こんな風に、いろんな人に励まされて1日1日を送っています。



え?いちばん近くにいる旦那は、何をしてくれるのかって?

夫は、こういう時、自分の生活スタイルを変えないようにプログラミングされているようです。


夕方5時5分、ハンコで押した様に夫からカエルコール📲

5時20分帰宅🏡

即、夕食 🍚

即、片付け。

6時までに病院へ行かなくてはなりません。

「食器ぐらい洗ってもらいなさいよ。」と、友達が言うので、食器を洗わずに母の所へ行き、寝かし付けて9時半過ぎに帰宅すると、案の定、食器は洗い桶の中にそのままでした。

食洗機はあるけれど、こんな時に限って故障中💧
催促してやってもらっても何にも嬉しくないから、頼みません。


ある日の夜、母の所へ行こうと立ち上がったら、「あ、薬のお水 ちょうだい。」と、言われた時は、右ストレートで殴ってやろうかと思いました👊


でも、世間には、自分の親の介護ばかりしていると文句を言う旦那さんもいるようで。


ウチのオットトな夫は、毎晩 「いってらっしゃい」と、気持ちよく送り出してくれます。
そして、帰宅すると「今日は、どうだった?」と、母の様子を聞いてくれます。
これで良しとしています。

🏥 おしまい 🏥

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憂と優

2017-10-13 11:21:06 | 母のこと
10月 6日 (金)

母が入院して10日目の夜、長女ellyが、遅い夏休みを取って帰省した。

本来なら、鹿教湯温泉へ松茸を食べに行く予定だったが、母の入院でキャンセル。

毎食の介助と、夜、母が寝付くまで付き添うのに疲れていた私は、娘の帰省を待ちわびていた。

「お母さん、大丈夫?」

この一言で、楽になる。



翌日、7日。

「私が、おばあちゃんのお昼ごはんに行くよ。」

ellyが、昼食の介助に行ってくれた。


他の患者さんで食事の介助が必要な方は、家族が交代で介助している。

でも、母には、私だけだ。代わりがいない。


たった一回、介助を休めることで、気持ちが楽になる。

毎日、母の不穏な様子を見るのが、とても辛い。

体力はあるが、気力がない私は、ベッドで横になった。





母も、久しぶりに孫に会えて、とても喜んだという。



先の見えない介護を憂いていた私に、娘が寄り添ってくれた。


優しい娘です。



9日

私が朝食の介助から帰宅すると、ellyは、

「お父さん、邪魔だから二階に行って。」と、夫を追い払い、リビング〜キッチン〜脱衣所に掃除機をかけ、床を拭き、玄関を掃いてくれていた。





何も頼んでいなかったのに、掃除をしてくれていた。

この日、我が家に大切な人が挨拶に来るのだ。



「憂」に、人が寄り添うことが「優」

優しい娘です。

👱‍♀️ おしまい 👱‍♀️

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