大阪市鶴見区のビル5階の職場で、原稿とにらめっこをしていたとき、今まで経験したことのない異様な感覚に襲われる。
ユラーリユラーリ
平衡感覚がなくなる気持ち悪さだった。
部署内の全員が不快感を訴える。
いったい何なんだ!
しばらくしてネットニュースが地震発生を伝えてきた。すぐに埼玉県東松山のおふくろに連絡したが、繋がらなかった。
帰宅してニュースを見ながら想像を絶する被害を知る。おふくろとはやっと連絡が取れ、無事を確認できた。おふくろは、
「被害が出たのは東松島で、東松山じゃないよ。お前は間違えてるよ」
元気でよかった。
10年前の3月11日の出来事である。
それから毎日のように時間があればボランティア情報を確認し続けた。何かしなくてはならない気がして仕方ない日々。
夏休みの埼玉に帰省したとき、気仙沼でボランティアをすることを決めた。
夏休み、関東一円は計画停電が実施されていたので、キャンプのカンテラを持って帰省。車で関東に入るとサービスエリアは暗くて、ガソリンも10リットルまでと制限されて販売されていた。そのためガソリンスタンドはどこも大渋滞だった。
気仙沼には、池袋から夜行バスで行った。詳細は当時のブログに書いたので省略するが、生まれ育った池袋から夜行バス乗って行くことが不思議な気がしてならなかった。
阪神・淡路大震災から東日本大震災、熊本地震、大阪北部地震と経験した。
人はいつ起こるかわからない災害には無力だった。
災害への備えをと叫ばれるが、予想以上のことが起こり被害が出る。太刀打ちできない。
私たちができるのは、その災害にしっかりと向き合うこと。忘れるのではなく前に進むことをやめないこと、これしかないと思う。