金榮山徳正寺住職のトラ・バスの香り

阿弥陀さまとクルマとSTARDUST REVUEをこよなく愛する住職がつぶやく日常

いい顔

2016年01月31日 21時21分19秒 | 日々あれこれ
オジサン、どんな?・・・


ご縁を勤め終え帰り支度。
ホッとするひと時。
あ~、ご縁いただいたな~って感じで御衣を着替えています。

「聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
それから始まっていろいろお話が出来ました。

遠い、遠い昔の頃、
子どもの頃にお爺さんからお育てを頂いた話。

一緒にお勤めをしていたこと、
お勤めよりお菓子が目当てだったこと、
夜中にこっそりお仏壇のお扉を開けてお菓子をいただいたこと、
灯篭の油をかやし頭に被ったこと、

懐かしそうに話して下さるお顔はもの凄く穏やか。

「あ~、お育てを頂いてたんですね。
 それぞれが毛穴から浸み込みお念仏の川となったのですね。
 なんと有難いこと。」

その時は気付かなくとも
気付くご縁に触れると有難いです。

それぞれが穏やかに微笑まれていました。


最近、奥さんを見送ったお爺ちゃん。
万年青年でして自他ともに認める元気さ・・・

車を置くところがなくてそのオジサンの敷地内に入れる。
どうこう言われることもないのですが、
元気にしてるかどうか心配でしたので声を掛けました。

「オジサン、どんな?」
「お、おっ。寂しいと言えば寂しいが、寂しくないと言えば寂しくないぞ!」って満面の笑み。

孫でも見ているような目でコイツを見て下さいます。

有難いことです・・・


穏やかな顔でいたいものです・・・無理ですけど、コイツ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢でもし会えたら

2016年01月30日 21時31分23秒 | 日々あれこれ

これでも嬉しかった・・・


辛いこと、しんどいこと。
沢山、沢山。

もう、うんざり・・・

介護の現実からなのか、
人間関係からなのか、
生活のことからなのか、

いろいろあるのでしょう・・・

そんな日常の中にご往生なされた父の夢を見たとか。
法事に参られた方々にお礼のあいさつをされました。

シチュエーションは徳正寺の法要の後、
「父ちゃん、帰るかな」
そうお父さんに問いかけると
「いつもの顔で、
 いつも声で、
「お~、帰るぞ~」って言ってくれたんです。
 もううれしくて!
 これだけで元気になりました。
 またこうして夢で会えるかもって思うだけで願生れます!」

涙声で一生懸命の挨拶をいただいたことです。


その挨拶を聞きつつ
坊守も先日同じようなことを言ってたよな~って思ったことです。

うれしそうに、楽しそうに、しあわせそうに
ほとけさまのおはたらきなられた父の夢を語る坊守。
これだけでもうれしいって・・・

いつもの元気な父の姿だったとか。

たとえ、お念仏で繋がっているって分かっていても
やっぱり顔見たいですよね。
その温もり感じたいですよね。

間違いなく、一緒にいて下さいます。

仏さまのおはたらきになっていつでもどこでも
一緒に、一緒に。

有難い。

お念仏に出遇ってよかった!

また会える、必ず会える!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陽だまり 

2016年01月29日 20時36分09秒 | 日々あれこれ
いい笑顔・・・


優しい笑顔。
温かな微笑。

いつも、いつも・・・

優しい笑顔をいただくと優しくなれる。
温かな微笑をいただく温かくなれる。

陽だまりのような有様。

鏡のように、
あ~、コイツまでもが優しい風が出来ているって感じる。


顔をしかめている人に出会えばこちらも・・・
厳めしい顔をしている顔に出会えばこちらも・・・

触れる縁で
どのようにもなるコイツの愚かさ。


大切にしなければ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きたかった

2016年01月28日 21時27分36秒 | 日々あれこれ
この日は・・・


今この時も大切なお方を亡くされ
涙されるお方がおられるのでしょう。

この世界中のどこかで・・・

生きていたい、
あなたの側で一緒にいたい、
そんな想いの中で涙を流されながら今生のいのち終えていくのでしょうか。

そんな方々が生きたかった今日・・・

その今日を思えば、
コイツの今日の恥ずかしいこと。

生きていること当然のように
ウダウダグダグダの繰り返し。

「死」を感じ暗くなれというのではないのです。
「死」を感じ生きることのよろこびに出会うということもあるのでしょう。

今日、一緒に居れたねって
「ありがとう」いっぱいに生き抜ける。

分かっているようなことなのに
やっぱり、分かっていないコイツの恥ずかしさ。

コイツの明日は来るのか・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気怠さ

2016年01月27日 21時50分33秒 | 日々あれこれ
なんでかな~・・・


優しいひと時をいただき
親に抱かれるように安心してそのひと時をいただく。

ありがたいな~って・・・

涙を浮かべつつ微笑む阿弥陀まのお姿。
そのお姿にコイツの人生を映さずにはおれないひと時。

情けない姿、
恥ずかしい姿、
悍ましい姿、

申し訳ないことって慚愧させていただくことばかり。

でも、慚愧すると同時に感謝のひと時とならさせて頂くのです。
こんなコイツを救わんがために・・・
って気付けば気付くほど・・・

ありがとういっぱいになります。

でも、そんなひと時をも壊されるような現実。
今、慚愧していたホンマの姿に
引きずりこまれるような対応に出会うと気怠くなります。

あ~・・・
なんでなん・・・

それでも、それでも・・・
明日のいのちを恵まれるのであれば
お念仏申させて頂こう!

精一杯、外面被って・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする