長かったな~・・・
何とこの月の長かったこと。
こんな月もあります。
しんどかったことばかりではなく
楽しく、うれしく、勿体なく・・・
そんな日も重ねさせていただいたのですが
長かったな~。
フ~っと肩の力を抜きました。
勿論、最高のビールをいただきながら・・・
お参り下さったご門徒。
ウチのご門徒ではないのですが
縁づきでお参り下さったのです。
「すみません、迷ってしまいまして・・・」
初めてお参り下さったのか
以前来てそのイメージで来られたのか
話してないので分からないのですが
迷いながらお参り下さったのです。
過疎化の村なんですけど
村へ入る国道沿いは目まぐるしく変わります。
だから、昔のイメージでお参りされると分からなく
通り過ぎてしまわれることがしばしばです。
そんな話を聞くと迷っているって気付くことが救いなのだと思うのです。
迷いを迷いと気付かなければいつまでも迷いのままです。
迷っているということさえも気づかないのですから
遠ざかるばかりです。
録りだめていたテレビを観ました。
お坊さんが出演される「ぶっちゃけ寺」
いつもいろんなことを思いつつ早送りで観ています。
最近、トーク番組ですら早送りで観てします。
早口で会話が進むものですから
「頭が痛くならない?」って坊守に言われる。
「ん~、別に真剣に見てないから・・・」
流石に寅さんなどの映画は真剣に観てますけど・・・
その番組の中で、
若い歌舞伎役者が言うのです、
「皆さんは本当に仏さまを信じているのですか?
だって、誰も救ってくれないじゃないですか?
いいことが起こる訳でもなく、
病気がなくなる訳でもなく・・・」ってそのようなことを。
「救い」ということを
何か、現状がよくなる、病気が治る、いいことがおこる・・・
ってことで見られると疑いも起こってきます。
現にそう説かれる宗派もあるのですが・・・
っていうか、そういう宗派ばかりですけど・・・
「救い」ということは
「迷い」が迷いの姿であると気付くことだと思うのです。
この迷いの世界で何をあて頼りにしているのか・・・
健康・財産・地位・名誉・・・
すべて大切なモノではあります。
生きていくためにどうしても得ようとすものばかりです。
でも、このような揺れ動くものをあてにする人生は「迷い」のまま終わってしまうのでしょう。
その迷いの姿であることを知らしめてくださるのが
阿弥陀さまの温もりなのでしょう。
そのひかりに照らされて己が姿に出会う時、
生き方は変わっていくのだと思うのです。
そこに「救い」が示されていくのではないでしょうか。
自らが迷っていることに気付いたら道、尋ねますもんね・・・
己が恥ずかしさに出会ったら、
「どうしよう・・・」って思います・・・
そうなったらしめたもんです。
阿弥陀さまに尋ねながら生かさせていただきましょうよ。
さあ、明日から6月。
梅雨の季節になります。
雨が降らないので野菜高騰ってことですが
降りだしたら降りだしたでまた日照不足とかでグチが出ます。
そんなグチグチの繰り返しですが
お念仏の確かなる道を大切に歩ませていただきましょう。
今月もありがとうございました。
何とこの月の長かったこと。
こんな月もあります。
しんどかったことばかりではなく
楽しく、うれしく、勿体なく・・・
そんな日も重ねさせていただいたのですが
長かったな~。
フ~っと肩の力を抜きました。
勿論、最高のビールをいただきながら・・・
お参り下さったご門徒。
ウチのご門徒ではないのですが
縁づきでお参り下さったのです。
「すみません、迷ってしまいまして・・・」
初めてお参り下さったのか
以前来てそのイメージで来られたのか
話してないので分からないのですが
迷いながらお参り下さったのです。
過疎化の村なんですけど
村へ入る国道沿いは目まぐるしく変わります。
だから、昔のイメージでお参りされると分からなく
通り過ぎてしまわれることがしばしばです。
そんな話を聞くと迷っているって気付くことが救いなのだと思うのです。
迷いを迷いと気付かなければいつまでも迷いのままです。
迷っているということさえも気づかないのですから
遠ざかるばかりです。
録りだめていたテレビを観ました。
お坊さんが出演される「ぶっちゃけ寺」
いつもいろんなことを思いつつ早送りで観ています。
最近、トーク番組ですら早送りで観てします。
早口で会話が進むものですから
「頭が痛くならない?」って坊守に言われる。
「ん~、別に真剣に見てないから・・・」
流石に寅さんなどの映画は真剣に観てますけど・・・
その番組の中で、
若い歌舞伎役者が言うのです、
「皆さんは本当に仏さまを信じているのですか?
だって、誰も救ってくれないじゃないですか?
いいことが起こる訳でもなく、
病気がなくなる訳でもなく・・・」ってそのようなことを。
「救い」ということを
何か、現状がよくなる、病気が治る、いいことがおこる・・・
ってことで見られると疑いも起こってきます。
現にそう説かれる宗派もあるのですが・・・
っていうか、そういう宗派ばかりですけど・・・
「救い」ということは
「迷い」が迷いの姿であると気付くことだと思うのです。
この迷いの世界で何をあて頼りにしているのか・・・
健康・財産・地位・名誉・・・
すべて大切なモノではあります。
生きていくためにどうしても得ようとすものばかりです。
でも、このような揺れ動くものをあてにする人生は「迷い」のまま終わってしまうのでしょう。
その迷いの姿であることを知らしめてくださるのが
阿弥陀さまの温もりなのでしょう。
そのひかりに照らされて己が姿に出会う時、
生き方は変わっていくのだと思うのです。
そこに「救い」が示されていくのではないでしょうか。
自らが迷っていることに気付いたら道、尋ねますもんね・・・
己が恥ずかしさに出会ったら、
「どうしよう・・・」って思います・・・
そうなったらしめたもんです。
阿弥陀さまに尋ねながら生かさせていただきましょうよ。
さあ、明日から6月。
梅雨の季節になります。
雨が降らないので野菜高騰ってことですが
降りだしたら降りだしたでまた日照不足とかでグチが出ます。
そんなグチグチの繰り返しですが
お念仏の確かなる道を大切に歩ませていただきましょう。
今月もありがとうございました。