生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

花散る里

2019-04-26 02:51:01 | 日々の暮らし

「たれこめて 春の行くへも 知らぬまに 待ちし桜も うつろいにけり」      (古今集) 部屋に閉じこもっているばかりで、春の移って行くことも知らない間に、花盛りになるのを待っていた桜も散ってしまったことだ。 現代でもこのように感じている人も多いでしょうね。 「花散りて また静かなり 里の寺」 もとの静な里の風情になりました。         合掌

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不幸にならないために

2019-04-26 02:51:01 | 日々の暮らし

私たちの本質の魂は、本来は幸せしか知らないそうです。   ですから、私たちが自分の魂と触れあうとき、私たちは不幸を知りません。 でも、自分が不幸だと感じている人が多いのはなぜでしょうか。 それは、本当の自分自身と触れあっていないからだといいます。 幸せは自分の外側のできごとによって作られるものではありません。 自分の希望が叶った、大成功した、恋人が出来た、子どもが生まれたなど、外側のできごとは一瞬の間の幸せです。 本当の幸せとは、心の中から湧き上がるものです。 ただ歩いているだけなのに、急に幸せを感じる時、あなたは本当の自分と触れあっているのです。 (魂の言葉より) 禅の言葉に「心外無別法(しんげむべっぽう)」があります。 幸福や不幸というものは、何かの形で現れるものではありません。 それは、心のもようで変わるもの。 つまりは感じるということ。 不幸になるというのではなく、不幸だと感じる。 すべての現象や存在は、自らの心によって起こるもの。 それを「心外無別法」 といいます。 不幸にならないためには、それを不幸と感じないことと説いています。 以前ある事務員の女性から相談を受け、私は不幸な人間なのでしょうか? と聞かれました。 私は即座に答えたのは 貴方が不幸だと思っていることは、きっと私には大したことではないのです。 「すべて、あなたの心が決めているだけですよ」と答えました。 小さな悪いことにあって、いちいち不幸だと感じていたら、不幸だらけの人生になってしまいます。 小さなことにも幸せを感じる心。 少々悪いことが起こっても、これですんで良かったと思う心。 この二つの心をもつことが不幸にならないための大切なことなのです。 私が手相をしていた時 、いろんな悩みを人は抱えて生きているものだと感じました。 その時は手相に加えて、人生相談のアドバイスをしたものです。 病気も、失敗も、失恋も、挫折もすべて成長の踏み台になると。 人は苦悩をとおして、 真の歓(よろこ)びを知るようになる。 苦難を乗り越えた人には人の痛みが分かり、人の喜びが分かる。 強さの中に優しさができる。 辛い哀しいことがあったから、幸せのありがたみが分かる。 どん底を知ると怖いものがなくなる。 いろんな人生を送った人は、すべてが幸せに通じるものと感じるものです。 不幸だと思わないことが、不幸にならないことなのです。         合掌

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三毒を出す

2019-04-26 01:30:17 | 日々の暮らし

「無事に生きる」という言葉があります。 禅語では不要なことに振り回されないこととあります。 不要とは「三毒」のことです。 1.何でもむさぼるように欲しがる欲望。 2.ささいなことで怒ること。 3.道徳心や常識にかけた愚かさのこと。 この三毒を出せば何事にも振り回されなくて、無事に過ごせると説いています。 今日の気づきになれば。        合掌

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