生きる力になれば

ペンネーム良寛地蔵。70代のブログです。言葉で生きる力になればと綴って15年が過ぎました。

残り火

2019-04-08 23:33:42 | 日々の暮らし

人はそれぞれの運命を持って生きています。 これをデスティニーと呼びます。 その運命が終わる時を 命運が尽きるとか寿命が尽きたと言います。 しかし、命尽きる時、 残り火のようなかすかな命のエネルギーを燃やします。 それを私は 「運命の残り火」 と考えています。 人はその残り火を誰かにゆだねて行くものです。 愛する人達に。 私の父が息を引き取る時母に ありがとう…。 ありがとうのあとは聞き取れなかったが。 このように遺言を残す行為。 無念、残念…と 最後を迎える瞬間とか。 突然やって来る瞬間 その残り火を授かる事を、天命を授かるのだと思います。 肉親だけでなく、お世話になった人愛している人、気になる人達に 授けて行くのです。 それを頂くのも遺産相続なのです。 だから、不治の病で療養中の人や、お年寄りをいたわる事は自分にとっても大切な事だと 思います。 天命を頂いてその人の分も夢と希望に向かって生きようではありませんか。 残された人の使命として生きなくてはいけません。 息を引き取るとき、「忘れないよまた会おう」と言ってくれたお世話したおじいさんの言葉が時々聴こえます。        合掌

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花明かりの人

2019-04-08 14:26:13 | 日々の暮らし

あちこちに桜の花が満開に咲いています。 夜でもほのかに明るく感じます。 花びらの色が白っぽいからだけではなく、人を惹き付けるオーラがあるからでしょう。 世阿弥(ぜあみ)が 「あの人には、花がある」と表現しました。 人を惹き付ける力があることを述べたのでしょう。 真っ暗な闇の中でも、明るく感じる所、それが花明かり(オーラ)。 皆様もそのような花明かりの人になれますように。        合掌

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幸せまく人

2019-04-08 14:26:13 | 日々の暮らし

(自作の童話より) 私は隣の欲張りじいさんに、いつも意地悪されています。 今度は先代が大きな栗の木で作った大切な臼(うす)を焼かれてしまった。 泣く泣くその灰を枯木にまいたら花が咲いた。 辛く、悲しい目にあってしおれてる人にまいたら心がパアッーと明るくなって幸せになったんだ。 それから、私はその灰を壷に詰めて屋台で売って歩いているんだ。 ピーヒャラピー 枯木に花を咲かせましょう! しおれた心に花を咲かせましょう! ピーヒャラピー あ! 誰かが手を振っている。 まいど。 おじいさん、内の桜の 木枯れて花が咲かなくなって随分たつの。 私の父が重い病気で最期にもう一度桜を見たいといってるの、お礼ははずみますから何とかお願いします。 分かりました。 お父上様を桜の木の下に寝かせて下さい。 木の枝に登ったおじいさんは灰を一杯撒きました。 花よ咲け! 病気が治って元気になあれ! すると枯木に桜の花が 満開に咲きました。 寝ていた父親が元気に立って踊り出しました。 ピーヒャラピー 花咲かじいさんは 春風に誘われて あなたのそばにも 行きますよ。 ピーヒャラピー 良かった良かった 意地悪なんかに負けるな! ピーヒャラピー         合掌

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