晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

判事に「法律を守る」と言う宣誓を義務づけよう! 痴呆社会ニッポン。

2011-10-10 23:25:54 | 政治と社会
語り尽くされている『小沢裁判』の大詭弁に、今更付け加える事も無いのだが。


基本的に言える事は、日本に民主主義は<全く>根付いていなかった、と言う事を国民全員が再認識する事が、肝要であると言う事だ。

何しろ、裁判官が「法律」を無視するのだから、笑ってしまう。
笑ってから、恐ろしく寒気を覚える。

裁判官が、法に則らない裁判をすると言う事は、日本には「正義」を守る一切の砦が無い、と言う事だから。

証拠が全く存在しない「事件」に、裁判官の「心証」で有罪に出来ると言う事は、速い話が「法律」の存在意義が無い、と言う事になる。

しかも、裁判官が「心証」で判決を下す、と言う事は公正中立な判断では無い、と言う事だ。

極論すれば、「裁判官が法律を守らないのなら、庶民も法律など守る必要は無い」と言う事になってしまう。

違うか?



ツイッターのタイムラインを見て、賛同するツイートに追加のツイートなどをしているうちに、腹が立って「くだらないギャグ」を、連続ツイートしてしまった。

ここに、再掲する事をお許し頂きたい。


<裁判官に、毎年司法試験の受験を課せ。法律を守らせろ。毎回の公判の冒頭に法律を遵守する宣言をさせろ。>

これは、「卵掛けごはん」さんの以下のツイートへの返信である。

@egg_rice 日本の裁判所「冤罪が横行」 RT @47news: アフガンの刑務所「拷問が横行」 国連が報告書発表 bit.ly/nZ2BeZ


それから、止まらなくなってしまった。


<検事に、毎年「基本的人権」の試験を課せ。>

<民主党議員各位へのお願い。「刑事訴訟法改正案(仮称)」を議員提出して頂きたい。趣旨は以下。『判事は開廷冒頭に、憲法と六法全書に右手を載せて「法律を遵守し、法の精神に沿って、不偏不党公明正大な判断をする事を誓います」と、被告原告双方の前で宣言すす事とする』是非真剣にご検討を(^^)>

<民主党議員各位。(続)「刑事訴訟法改正案」『被告は、判事が<法に則って公正では無い>と感じた場合は、これを忌避し得るものとする』>

<民主党議員各位。(続3)「刑事訴訟法改正案」『未だ判決に至らざる時点で、被告の社会的、精神的立場を著しく傷つける犯人扱いの言動を、広く社会的に行った者に対して、相応の対抗措置を認める事とする。その措置として、全国的明確なる謝罪、相応の賠償金支払い、告訴、或はそれらの総て、とする』>


夜中に、一人で腹を立てている私めを、お笑い下さい。

更に八つ当たりは続く。


<私が日本国内に住んでいるのであれば、検事総長を告発するのだが。特捜部長を告発するのだが。朝日、毎日、産経、讀賣、日経の社長を告発するのだが。NHK会長、TBS、フジTVの社長を告発するのだが。みの、辛抱等を告発するのだが。日本の民主主義を破壊する行為の罪で。>


「市民団体」と言う不思議な存在は、市民に不利益をもたらすタイミングで、出没するようだ。

マスコミは、「市民の意思」を尊重などと言うが、それらの「市民団体」と言う摩訶不思議な名称の『X氏』が、あたかも日本国の市民の総意の代表の如くに扱われる事の、摩訶不思議。

要するに、マスコミが「自分達が権力の走狗になっている」事を隠したいと時に、都合よく出現する<団体>なのである。

ならば、マスコミには<お灸>を据えてやらねばならない。


<政府に希望する。「記者クラブ」所属記者には、会見の際及び取材中は、はがき大以上の写真を伴い、氏名と所属先を明記した、週間誌大以上の<ゼッケン>を上半身の前後に装着する事を、義務づける。>


以上、深夜のパリで、一人Macに向かい合って、一人で腹を立てているうちにやってしまったツイートでありました。


それに先立ち、『ザ・ジャーナル』上に、田中良紹氏の論説に膝を打ったばかりであった。

10月9日投稿の「国会探検」。
題して『リトマス試験紙』である。

『国会探検』リトマス試験紙


特に目新しい事は何も書いてないが、これまであちこちで言われて来た、そして私も喚いて来た「小沢事件」を巡る、権力の不正義に絡む日本社会の現状を、改めて整理してあり、一々納得した次第。


(以下抜粋)
>小沢裁判は、明治以来の官僚支配に従う者と、日本に国民主権を打ち立てようとする者とを見分けるリトマス試験紙である。裁判の結果とは別に、誰が官僚の手先で民主主義を破壊する者かがあぶり出される。


まさに、それ以外の何者でもない事は、この拙文をお読みの方々ならば、既に当然お解りの事。


>民主主義国家における検察は、国民の代表である国会議員の捜査には慎重の上にも慎重を期さなければならない。それが国民主権の国の常識である。

>国民が主権を行使する選挙の前や、政治的バランスを欠いた捜査をやってはならない。民主主義の捜査機関にはそれが課せられる。

>政権交代がかかる総選挙直前の強制捜査であった。しかも政治資金収支報告書の記載ミスと言えるのかどうか分からないような容疑での逮捕である。これで逮捕できるならほとんどの国会議員が摘発の対象になる。そんな権限を民主主義国家が捜査機関に与えて良い筈がない。

>しかも捜査のやり方が極めて異常であった。
国会議員に関わる事件であるのに検察首脳会議を開かず、「若手検事の暴走」という前代未聞の形での着手である。



そんな事が、殆ど社会的抵抗も無く行われる日本の特殊性に、国民一人一人が気がつかなければならない。

しかし、残念な事に国民の一人一人が、そんな乱暴極まりない非常識な行為に、なぜか精神的に共感を覚える連中が、かなり居ると言う現状が、更に異常と言わなければならない。

なぜなら、『社会の木鐸』たるべき「報道機関」が、そのような非常識な暴力行為を行う側に立って、国民の意識をリードしているからである。

社会の木鐸どころか、権力の傀儡であるのが、日本の報道機関の実情であり、その在り方は実に前世紀始めから、ずっと変わらず国を誤った方向に誘導し続けて来たのだ。

その異常な報道の在り方に、国民の多くは意義も唱えず唯々諾々と、洗脳される事に気がつかないで、自分達の社会的、物理的、精神的権利を侵されていて、気がつこうとしないのだ。

こんな異常な社会が、世界のどこか他の所に、存在しているだろうか。
この場合、「国民」の中には、国会議員達の多くも含まれる。


>それほどの異常な捜査を新聞もテレビも追及する側に回らず擁護する側に回った。

>そして案の定、愚かな政治家が「政治的道義的責任」などと騒ぎ出し、国民生活のために議論しなければならない国会の審議時間を削るような事を言い出した。

>「国会で国民に説明責任を果たせ」と言うのである。そんな馬鹿な事を言う政治家が世界中にいるだろうか。

>アメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれるスキャンダルがあった。アーカンソー州知事時代に不動産業者に便宜を図って違法な献金を受けた疑惑である。事件が発覚した後に自殺者も出た。特別検察官が選ばれて捜査が開始された。しかしクリントン大統領に「議会で国民に説明しろ」などという声は上がらない。議会が喚問したのは検察官である。議会は行政府をチェックするところであるからそれが当たり前だ。説明責任があるのは政治家ではなく検察官僚なのである。それが日本では逆転している。


そうなのだ。

説明責任があるのは、検察の側なのだ。
その事を、ネットでは語られても、一般国民の間であれ、国会議員達の間であれ、全く口の端に上らない。

一般の市民はともかくとして、国会議員とも有ろう人達が、そんな事すら理解出来ないと言うのか。
或は、理解したく無いのか。


>日本の捜査機関は国会に呼ばれてもろくに答弁しない。「捜査中につきお答えできない」で終わる。


しかるに、小沢一郎が「公判中であるので、裁判で明らかにしたい」と言うだけで、非難囂々。
極悪人扱い。
「詳しくは検察にきいて、彼等が私よりずっと良く知っているから」と堪えただけで、大騒ぎ。


>「ホワイトウォーター疑惑」に関わったとされるヒラリー夫人は大陪審に喚問されて証言した。しかし議会には喚問されない。司法が追及している時に、議会が同じ事をやる意味はないし、議会にはそんな暇もない。

>今回も野党の党首クラスが揃いも揃って「証人喚問」などと騒いでいる。全く学習効果のない哀れな連中である。

>ロッキード事件以来続けられてきた「政治とカネ」のスキャンダル追及ほど民主主義政治の足を引っ張ってきたものはない。国民の税金の使い道を徹底して議論しなければならない予算委員会で、日本の政治は肝心要の事をやらずに政治家のスキャンダル追及に力を入れてきた。大衆に気に入られたいためである。


しかも、「本当のほんボシ」は、あえて闇にまぎれるに任せて、一番狙いやすく、一番国民が喜ぶ相手に、集中砲火を浴びせる。

国会議員仲間が、である。
一旦スケープゴートにされてしまったら、挽回はほぼ不可能。

これをリンチと言わずして、何と言おうか。


>下衆(げす)な大衆は権力者の凋落を見るのが何より楽しい。それが自らの生活を貶める事になるとは思わずに「やれ、やれ」となる。

>民主主義は厄介なもので、大衆が政治や裁判を直接左右すると民主主義は潰れるのである。それが歴史の教訓である。


悔しいが、大衆は下衆なのだ。
世の中を陰で仕切っている輩達から見れば。


>偉大な哲学者ソクラテスは愚かな大衆から死刑判決を受けた。ギリシアの民主主義は長く続かなかった。


「パンと娯楽を」与えれば、下衆な大衆は簡単に操れる。
古代ローマ以来の鉄則である。

古代ギリシャ以来、古代ローマ以来、連綿と続いて来た「支配の鍵」は、下衆の声を封じる事である。

日本と言う国では、この方程式は、封建時代以来中断する事も無く成功して来た。


>すべての問題の発端を作ったのは検察で、目的は小沢氏の政治的排除にあるのだから、そもそも不起訴にして大衆の扇動を狙っていた。従って乗せられた方ではなく乗せた方を批判するのは当然である。

>自分の財布の中身をいちいち説明しなければならない社会とはどういう社会なのか。

>それが違法だと言うなら、言う方が違法性を証明しなければならない。それが民主主義社会のルールである。


こう辿ってくれば、何も反論する事も無く、日本が『非民主主義国家』である事が、明白となる。


>初公判後の記者会見で小沢氏は検察とメディアに対し闘争宣言を行なった。潰れるか潰されるかの戦いを宣したのである。

>検察もメディアも引けないだろうが、不起訴処分にした検察は既に一歩後ろに退いており、前面に立つのは司法とメディアである。」

>行政権力の手先だと世界から見られている日本の司法とメディアがこの戦いにどう対抗するのか。

>小沢氏を潰そうとすればするほど、民主主義の敵に見えてくる。
(抜粋終わり)


一言の相違もない。
全く持って、その通り。


<『司法』が、行政権力(官僚)の手先>

何と言う「後進国」なのだろう。

議員に対する官僚の攻撃を、何の異議も挟む事なく、あまつさえ官僚の攻撃に乗じて、政局に利用し、自己PRの如き言動に終止する様な国会議員は、豆腐の角に頭でもぶつけて、死んでしまうが良い。

何の存在価値もない。

拙ブログなんぞより一桁多い筈の読者を持つ、田中氏のこのブログの影響力を、多いに期待したい所であるが…。


しかしなあ。。。


少なくとも、裁判官に「法律を守ります」と宣誓させる事だけは、早急に実現して欲しいと、切に望むものであります。




コメント
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