晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

ブルターニュのホテルは<最高>! その2

2008-04-30 00:06:09 | 旅行とレジャー
昨日に引き続きまして。。。

南ブルターニュで一押しのホテルは、『ロッシュヴィレーヌ』。
ブルターニュ特有の長い入り江が川につながって行くあたりに有る<港>を守る為、湾の入り口沿岸に造られていた<要塞の跡>を利用して、いくつもの小さな建物を利用したホテルです。

ゲートがまず、ホラ、素敵でしょ。



それをくぐると、前庭にありましたねえ、<メンヒル>が。
ブルターニュならではのお出迎え。



その庭園には、至る所に<在りし日の痕跡>が残されています。


窓のアーチだったり。。。


門のアーチだったり。。。

そして、あちこちに散らばる歴史を感じさせてくれる建物に、夫々何部屋かずつ客室が有るのです。


こんなだったり。。


こんなだったり。。


そして、どの建物も反対側はすぐ岩を波が洗っています。



案内されながら、「自分の部屋はいったいどの建物の中だろう」と胸がワクワクして来ます。
上の写真は、一軒全部がぶち抜きで、85m2のロフト(ジュニア・スイート)になっています。




まるで<オーロラヴィジョン>みたいな広大な窓が三面、目の前は<シネマスコープ>のように、海が広がっています!
広すぎて<写真>にならない!!


これは<普通の>お部屋。


とは言え、バスルームもたっぷり広くて、シャワーブースなんて映らない。

レストランも、海に沈む夕日を見ながら。。。



そして朝食は、スパのプールと海にを左右に眺めながら。



アップにしてみると。。。


やや引き潮の海が、食欲を増してくれます。



さらに、南ブルターニュ一の名シェフのレストランにも泊まれます。
その『オーベルジュ・ブルトン』は、何軒かの民家をつないで利用されています。





客室は、ホテルというより、個人のお宅の<客間>と言った風情。


そのバスルームには。。。「参った!」
この反対側には、<マッサージ機能付きシャワー>のブースもあります。

そしてレストランは、周りの建物の間の中庭を取り囲む様に、ガラス張りの<パティオ>の周りの様な空間が<客席>になっています。



どのテーブルも、シェフの奥様が丹精しているハーブを見ながら、お食事できるのです。



何しろ客室は11部屋しか有りませんから、予約はお早めに!


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ブルターニュのホテルは<最高>! その1

2008-04-29 04:45:58 | 旅行とレジャー
ブルターニュは、南の<地中海岸>のような<ニギニギしさ>は無く、ひっそりとシッポリできる素敵なホテルが多いのです。

まず、数年前ある輿論調査で、フランス人が<生涯に一度は泊まってみたいホテル>のナンバー1に輝いたホテルが、北ブルターニュに有ります!

その名も『シャトー・ド・リッシュー』。




2つのスイート・ルームを入れても13室しか有りません。



モン・サン・ミッシェル湾に面した、木立に囲まれた私有地に建っています。
部屋の窓からは、<モン・サン・ミッシェル>の島影が、朝日の中にほのかに見張らせて最高!



ノルマンディー地方の至宝<モン・サン・ミッシェル>ですが、その広大な湾は、90%がブルターニュに属しているのです。

このホテルは、レストランが、近年最も注目されている名シェフの料理が大人気で、予約は半年前から埋まって行く程。
そのシェフが焼く<薄焼きビスケット>をレセプションで売っていますが、それがもう最高です。


北ブルターニュで、私が一押しのホテルは、『ラン・ケレレック』。



ここも19室しか無く、とっても落ち着けます。



ロビーのバーはとってもチャーミング。
客室の窓の真ん前は、小島が点在する青い海。



窓辺に座って、のんびり海を見下ろしながら、大好きなミステリーを読む!
時々テラスに出て、太陽を確認して。。。



バスルームがまた何ともイイ感じでしょ。



ダイニングルームは、当然大きな窓から海を全面に見張らせる様になっていて、テーブルから夕日が楽しめます。






ちなみに、ブルターニュ半島の最先端の人っ子一人居ない海の前に、こんなホテルも。。。




さて、何度も話題にした<美しい島『ベル・イル』>。
島で唯一、スパの有る快適なホテルが、『カステル・クララ』



レセプションもロビーも、ホテルというより、誰かのお宅のリヴィングの様。



朝食のレストランがまたイイ感じで。。


こんな感じだったり。。


こんな感じだったり。。


暖炉のコーナーまであって。。。

毎朝「今朝はどの雰囲気で朝食にするか」と、思わず迷ってしまいますね。

以上どのホテルも、当然ながら夕食は文句なしに素晴らしいですゾ。

次回に続きをご覧有れ。

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ブルターニュは<城壁>!

2008-04-28 01:37:10 | 旅行とレジャー
ブルターニュのみならず、ヨーロッパで<城壁>は不可欠だった。

陸続きで延々と他の国々、他の民族と接していると、身を守るのは自分たちの責任になる。
(今の日本人に一番欠けている感覚。。。)

町を防御する壁も、城の壁も、日本語では<城壁>。

ブルターニュは港町が多い。
当然海に接して町があれば、敵艦隊から直接攻められるので、海側は必ず頑丈な壁で防がなくてはならなかったのです。
しかも、海に向かってやや突き出したような環境に町を造れば、三方向くらいが海に囲まれる。
それなら、街全体を囲んでしまえ。


北ブルターニュの一番の港、ここ『サン・マロー』から、この町出身の提督『ジャック・カルティエ』率いるフランソワ1世王室艦隊が出航し、<大西洋横断>を横断に成功。
北アメリカ大陸の<ケベック>に到達した。


ここ『ロスコフ』の港は、『パンパル』とならんで多くの私設艦隊(ようするに海賊)が基地として、南大西洋を席巻しました。
彼等は<サン・マロー人>とまとめて呼ばれ、この言葉がスペイン語だと<マルビナス>。
アルゼンチンとイギリスが領有権を巡って戦争にまで発展した、あの<マルビナス諸島>は、この地方から遠征したブルターニュの海の男達の活躍した島々だったのです。


そして、前回も少し触れた、<コンカルノー>の出島。
港町自体を城壁で囲んで防御するのではなく、港の有る<湾の中>に陸続きの城壁都市を造って、そこから港を守る!



陸地と出島を結ぶ頑丈な石造りの橋を渡ると、まず第一の城門がある。


その向こう側は、大砲がずらりと砲口を並べる最初の橋頭堡。


そして、二番目の城門をくぐって、やっと城内(町の中)に入れるのです。



それから、前出<ベル・イル島>の城塞も、ご紹介しましょう。


まず最初の空堀を渡ると、またお堀が。


広大な敷地は、完全に城壁で囲まれています。



さらに、<ゲランド>の町をもう一度。


城壁の周りの<空堀>を埋めた後の道路を、車で走って5分。


この大手門(アップで分かりにくいですが左右に強固な二つの丸い塔があって、入り口を防御しています。前回<食>をご参照ください)
このほかにも、搦手門と、通用門が合計四カ所開いていて、城壁内の住人のみ<車>で出入りできるのです。

これらは、町を取り囲んでいる城壁でしたが、ブルターニュには単独で存在する<お城>も数多く残っています。
17世紀以降は、<世の中>が平和になって、お城が<城館>に作り替えられて行きました。そうすると、<城壁>なんて邪魔な物は撤去されて行ったケースも多いのですが、それ以前の<戦国時代>のお城は、戦いの道具<城塞>でした。

頑丈な塔をつなぐ城壁と、周りのお堀は<不可欠>だったのです。


普通の城塞は、<攻められにくく攻めやすい>場所を選んでたてますので、小高い場所の上に有る事が普通です。
ところが、この『トンケデック城』は、周りを丘に囲まれた、盆地のような<窪み>に建っています。




最後に、<ブルターニュ公>がお気に入りであった、南ブルターニュの海岸にほど近い『シュッシニオ城』をどうぞ。



周りは<お約束>のお堀。


橋を渡らなければ、城門に達しない構造で、防御がしやすいのですね。



どうです皆さん、ますます行ってみたくなって来たでしょう?
みんなでブルターニュに行こう!
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ブルターニュの信仰は素朴で<熱い>!

2008-04-27 06:44:10 | 旅行とレジャー
ブルターニュは『信仰の国』。



ローマ帝国以後、形成されつつあったフランス(往事のローマン・ガリア)にあって、人々が遅れてやって来た所。

その分だけ<キリスト教>も、独特の発展をとげることになる。
<ブリテン島>から渡って来たケルト族の宗教ドルイドの<導師達>が改宗し、そのままローカルのキリスト教の指導者となって行った。

従って、かなりマイナーで<ローカル>な『聖人』達と、ケルト以来の伝説が溢れている。
故郷のブリテン島時代の<ケルトの宗教>が微妙なアクセントとして居座り、独自の<様式>を生み出して行った。




北ブルターニュ『プルマナック』の岩だらけで箱庭の様に小さな入り江の岩の上に、小さな祠があります。
満潮時は海の中にポツンと浮かび、引き潮になるとそのまま<海岸>に建ってる。

土地の若者が<恋をして>、満潮のときこの祠で<願>を懸けると、恋が成就する。
愛し合う様になった二人は、引き潮の時神様にお礼の祈りを捧げにくる。

そんな<ロマンティックな風習>は、通常の<カトリック>の環境にはありません。。。



人口密度の低いこの地方は、(特に半島内部)は小さな村々がお互いから離れて、ひっそりと林の中に眠っています。
そうした村に近づくと、必ず辻々に独特の<十字架>が建っています。

単に<十字>ではなく、かといってありきたりの<イエス像>や<マリア像>でもなく、イエス最後の情景を愛らしい彫刻で表現していて、見て飽きる事がありません。

そして、かなりの教会が、かっては周りを低い<塀>といいますか、<石の垣根>で囲まれていました。
アンクロと呼ばれます。


サン・テゴネック村の教会の<アンクロ>の門。

豊かな彫刻群で飾られた<門>をくぐると、敷地の中は、不思議な物が集まっています。
数メートル四方の基壇の上に、中央の十字架を取り囲んで、ありとあらゆる彫刻が<所狭しと>飾られている構造物です。

近づいてよく見ると、いくつかのブロックに分かれて、イエス殉教の<ゴルゴダ>の光景から始まって、何やら由緒ありげな人物達が、とってもユーモラスともいえる表現でひしめいているのです。

『カルヴェール』と呼ばれます。


ギミヨー村の教会の<カルヴェール>全景。

本来フランス語の<カトリック用語>で、ゴルゴダの丘の上に立つ<イエスと二人の三本の十字架の光景>をさす言葉なのですが、ブルターニュでは、この写真のような独特の協会付属彫刻群を呼ぶ名前となっています。




ギミヨーのカルヴェールのディテール。

その<カルヴェール>以外にも、<塀>の中には(敷地の角地に多い)美しい意匠のしいさな建物があります。
『納骨堂』です。


サン・テゴネックの教会の納骨堂。


ギミヨーの教会の納骨堂。

敷地内の墓地には限りがありますから、<期限切れ>で無縁仏になってしまった<お墓>は掘り起こされて、残っている遺骨があれば<納骨堂>に納められたのです。

教会自体の周りに、それら<カルヴェール>と<納骨堂>と<墓地>などを配置し、園周りを<塀>で取り囲む、そういった<囲み>の事を、『アンクロ』と呼び、ブルターニュの大きな伝統的特徴になっています。

あちこちの町や村の教会で、アンクロが残っていますが、全ての要素が理想的状態で保存されているケースが、『ギミヨー村』と、『サン・テゴネック村』です。

このような<独特>の様式のブルターニュの教会は、一般的に多い<西側>に正面入り口を造るのではなく、南側側廊に横から入って行く形が多いようです。

しかもその入り口が5メートルくらいの長さのポーチになっていて、天井はフレスコ画、左右の壁面は諸聖人達の彫像が彩色されて並んでいます。


ギミヨーの教会のポーチ。

教会堂内部に入ると、素朴ながら美しいオルガンがどっしりと控えています。
特にこの写真のギミヨーの例は、通常良く見られる様に、壁面上部に設置されている訳ではなく、角かどの四本の<脚>で支えられています。



そしてどこの教会も、数世紀を経た<見事な洗礼盤>が、必ずと言っていい程保存されています。



どうです皆さん。
行ってみたいでしょ?



ブルターニュを訪れるベシ!!

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ブルターニュは<岩>!

2008-04-26 03:04:01 | 旅行とレジャー
固い玄武岩の国ブルターニュ。

その岩は、太古の時代より、人々の精神の支えであり続けます。
固い岩盤を削り尽くす荒波、浸食されてできた深く細く入り組んだ入り江。

その海を渡ってやって来た人々。

入り江の奥にひっそり住み着き、荒海で漁をして暮らして来た。
海と岩は、ブルターニュの精神なのです。

そこで彼等は、一般の<西欧アカデミズム>の世界史に現れない、不思議な、そして高度の、独自の文明を<岩>とともに築き上げたのです。

『古代巨石文明』が、ブルターニュの一方の<顔>なのです。


●巨石遺跡その1<メンヒル>



何も無い林の中や叢に埋もれる様にして、<柱>の様に巨大な岩が屹立しています。
『メンヒル』と呼ばれますが、最も早い時期(紀元前七千年以前)から出現しています。
この写真は、<ベル・イル島>のまっただ中に、道路沿いの畑の中にポツンと立っています。


●巨石遺跡その2<アリーニュマン>



その<メンヒル>を、延々と一列に並べてたてる事が行われる様になりました。
『アリーニュマン<列柱>』と呼ばれます。
最も名高い物が、『カルナック』の<大列柱群>です。


●巨石遺跡その3<ドルメン>



狭い幅に二列に並べた<メンヒル>の列の上を、平らな巨石で<蓋>をしてしまうと、『ドルメン』と呼ばれます。
この写真は、ブルターニュ最大のドルメン『妖精の岩』と呼ばれている物です。


●巨石遺跡その4<テュミュルス>



その<メンヒル>を、小振りの岩で覆い尽くしてしまう物も出てきます。
『テュミュルス』とよばれます。



これらの<巨石遺物>は、ケルト族以前の先住民族が紀元前七~八千年前から、紀元前二千五百年くらいまでの間に残して行きました。

ブルターニュ最大の<メンヒル>は、南ブルターニュ、ロクマリケール村に残る、四つに割れて倒れている物で、立っていた時の高さ26メートル!!


立っている姿を見たかった!

<アリーニュマン(列柱)>で最も名高い<カルナック>は、同じく南ブルターニュのカルナック村郊外に、お互いにほど近い三カ所のサイトに分かれて、夫々2500~3700本の石柱が、何列かに整然と並んでいます。



まるで<飛行場の滑走路の誘導灯>のようにまっすぐ。。。



かねてより、「祭壇ダ」「イヤイヤ天文学的な何かに違いない」「古代の戦いに破れて戦死した兵士達の墓ダ」「違う違う暦だ」「城跡ではなかろうか」。。。。とかしましく論議の的になってきました。

現在では、<天文歴>と合わさった<宗教施設>で、宗教権威の権力の象徴であろう。。。という説が有力のようですが。。。


そして、<ドルメン>は、小規模な物は高さ1メートル、幅80センチ、長さ2メートルくらいな物から、最大の『妖精の岩』に至るまで、さまざま。


この写真は、カルナックの<列柱群>の一角にあります。

特に<天板>をのせずに、両側の<メンヒル>を斜めにたてて、上で接触させて支えた変形もあります。



これは北ブルターニュですが、保存状態の良い部分は長さ5メートル、高さ1メートルくらいですが、判別できる範囲だけでも数十メートルつながっています。
そのように<長い>ドルメンは、特に<覆われた径>とも呼ばれます。



中をのぞくと、倒れたメンヒルも見られますが、実にきれいな三角形のトンネル状になっているのが分かりますね。

そして、ブルターニュの<巨石文明>の<カルナック列柱群>と並ぶ、もう一方の代表格が、ブルターニュ東のはずれ、南北半ばにある『妖精の岩』。



延々と畑の中の緩やかな起伏の続く道路を、レンヌから一時間ほど走ると、栗の木の小さな林の中に、それこそコツゼンと姿を現します。


入り口の開口部の高さが、全体で一番低くて2メートルくらいあります。
左右のメンヒルと天板が形作る完全な矩形は、当時の技術の完璧な事をはっきりと示しています。


内部は大人が楽に立って歩ける程。


中央部の最も高い所は3メートル以上もあり、全体の長さ10メートルほど。

見た瞬間、ただただ驚くのみ。
ため息しか出てこないスゴサです。

日本だったら、さしずめ(鬼の。。。)とか(天狗の。。。)とか呼ばれそうなところですが、そこはフランス、<妖精の岩>と来たか!
日本の『石舞台』やや色あせる?

そして、その<ドルメン>を、石くれで覆い尽くしてしまうと、『テュミュルス』と呼ばれ、これはおそらく<墳墓>か<宗教施設>だろう、と意見はかなり一致しているようです。



ロクマリケール村の二つ相接する<テュミュルス>の一つは、2メートルの高さで5メートル位の長さの<玄道>が4メートル四方くらいの<玄室>につながっていて、左右の壁には素朴な<先刻文様>が見られます。



この、カルナック村郊外の『テュミュルス・サン・ミッシェル』は完全に植物層に覆われて、小高い丘のような様相を呈し、いただきに『聖ミカエル(サン・ミッシェル)>の礼拝堂が建っています。
ただ、側面に<玄道>があり(後世の扉で閉ざされてはいますが)、テュミュルスである事が分かります。

そして、最も大規模、かつ状態の良い物が、北ブルターニュ『バルルネーズのケルン』と呼ばれている物です。



海にはり出す岬の、小高い先端に残っています。
側面に残る11の入り口から、夫々玄道が伸び、反対側が一部崩れている為に、突き抜けている物も。





このようなテュミュルスが崩れ去り、玄道の壁だけ残ったものが<ドルメン>だ、という説もありますが、ドルメンの中には、どう見ても最初からその形で造られたとしか考えようが無い物もあり、面白いところです。

この他にも、ブルターニュ全域に渡って、巨石文明の名残をとどめる遺跡が、それこそ<無数に>遺っています。

諸君、ブルターニュを訪れましょうぞ!!
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ブルターニュは<食>!

2008-04-25 01:51:23 | 旅行とレジャー
ブルターニュ地方は、地味ゆたかな<美味し国>フランスの大地の中にあって、大変やせた土地でした。

ブリテン島を征服した<ヴァイキング>に服属するをよしとしなかった、先住ブリトン人達の一部が大陸側に逃れて来たとき、<ゲルマン人大移動>もほぼ終盤、豊かな土地はすでにほとんど残されていなかった、という事も、彼等が<ブルターニュ半島>に住み着いた理由の一つなのです。

中央山塊『マシフ・サントラル』という山以外何も無い『オーベルニュ地方』とならんで、ブルターニュはフランスで最も国民所得の低い地方の一つに挙げられていました。

しかし!

かっては<蕎麦>と<ニンニク>しか育たない、といわれたこの地方も、今ではフランス有数の<美食の地>の一つにあげられるまでになりました。

<海の幸>はもちろんの事、<大地の幸>も侮れません。

陸地の恵みでは、未だに<蕎麦>と<ニンニク>は有名で、間道を走っていると、<ニンニク直売>と書いた手書きの看板が道ばたによく見かけられます。

<クレープ>もブルターニュのそば粉の生地で焼いた薄焼き<ギャレット>が起源です。



そば粉の風味と、具材のマッシュルームやタマネギ、ベーコンや卵などと相まって、しっかりした<主食>です。
19世紀半ば以降の<産業革命>により、一般大衆の所得も安定して来た頃から、より口当たりの良い<小麦粉>で焼いた薄焼きが、ジャムなどとデザートに供される様になって、<クレープ>の完成を見るのです。

かって、小麦があまり育たなかった時代の庶民の口を満たした<そば粉>を挽くため、風の強い海岸線には、今でも多くの風車が残されています。
特に、南ブルターニュの風車小屋の作り方は、独特の美しさがあります。



そのほかブルターニュは、<アーティチョーク>や路地栽培(ハウス物ではない)の<イチゴ>, さらには<キャベツ>と<カリフラワー>など、ブルターニュが名産地として名高い作物がたくさんあります。

そのなかで、<豚>の青空飼育は、非常に有名です。
広々とした牧草地の中に、<仔牛>ほどもある巨大なブタが、のんびり歩き回っている様は<見た事も無い>光景です。
何しろ彼等は、各々が自分の家を持っているのですから!
トタンのかまぼこ型のその<家>は、高さ1、5メートル、長さ2、5メートル程もあり、各自持ち家が決まっているのです。
ブルターニュの<家付きブタ>。



写真後方に見える、テントみたいな物が、その<ブタの家>です!

ちなみに、南ブルターニュの有名なシェフのレストランの客室の入り口に、かわいい<親子ブタ>が寝ていました。



さらにブルターニュの名声を世界中に高からしめた物が、ゲランド周辺で造られている<塩>でしょう。
(拙ブログのバックナンバーの『至福のマリアージュ』をご参照下さい)



地中海岸の様に<太陽>に恵まれている訳ではないブルターニュでは、海水を塩田に引き込んで、延々数キロメートル分の微妙に高さを変えた水路を流しながら、時間をかけて水分を蒸発させて行きます。



来るべき夏の作業シーズンを控えた春先、塩田の誘水路の<床>造りに余念がありません。



日本では、一流フランス料理店にキロ6700円などと言う高値で引き取られている、芳香たっぷりのミネラル豊かな<ゲランドの塩>は、産地ゲランドの町の市場では、まるで<セメント>みたいな感じで売られていました。

さていよいよ<海の幸>!!

もちろん<牡蠣>と<オマール>はいうまでもありません。


町中の牡蠣屋さん。


有名ブランド<ブルターニュのオマール>をただオーブンで焼いただけ。
されど<ゲランドの塩>と微妙なハーブの香り付けで、<ただ>焼いただけが、<至高の味わい>!

さらに運が良ければ<トコブシ>にもありつけます!

北フランス一の名シェフ<オリヴィエ・ローランジェ>さん(三つ星)の<トコブシ>料理。。。
生きててよかった!

さらに忘れてはならない物に、<手長エビ>もあります。


さっきの<親子ブタ>が出迎えてくれる、南ブルターニュの名シェフ<ジャック・トレル>の手にかかると、から煎りした<手長>が美味いのなんの。
実に初めての経験でした。

最後にデザートというわけではありませんが、ブルターニュの伝統的お菓子に、『ファー・ブルトン』と『クニヤマン』があります。
『ファー・ブルトン』はプルーンを入れた蒸し焼き菓子。
そして、『クニヤマン』は蜂蜜タップリの<パイ>の一種。
昔風にしっかり生地を練り上げて、歯ごたえ有る硬めのパイです。


町で見つけた、まるで<魚や>みたいな<お菓子屋さん>には、『クニヤマン』のミニが量り売りで並んでいました。



諸君、<ブルターニュ>を訪れましょうぞ!

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ブルターニュは<海>!

2008-04-24 06:25:35 | 旅行とレジャー
ブルターニュは<荒海の国>。

半島北側は、英仏海峡を望み、特に荒海と厳しい気候にさらされる。
半島南側は、太平洋に面し、穏やかさと温暖さに恵まれる。

そして、浸食によって陸地が引きちぎられてできた、小さな島々と岩礁が無数に点在する。
数多い湾の奥には港があり、その進入路を守る砦や要塞が、多く造られた。


     
未だに残る多くの砦の一つ。現在も国の海軍省の管理下にあります。

その他、戦略的に意味の無い場所の島々は<私有地>が多く、立派なお屋敷が一軒だけ建っている、このような島がある種<名物>で、専門の不動産業者には、<売りに出たら買いたい>人々が長~い<ウエイティング・リスト>にひしめき、<一世紀待ち!!>だそうです。

     

そしてそれらの島々の多くは、潮の干満の差の激しいこの地にあって、引き潮の時間帯は、<陸続き>になってしまうものも多いのです。

     


そして、<ブルターニュの島>と言うと、最も名高いのがなんと言っても『ベル・イル島』。
その名も(直訳して)「美しき島」というのですから!
東西10キロ、南北6キロくらいの歪んだ楕円形のこの島は、ブルターニュ屈指のリゾートとなっています。
その浸食されて出来上がった海岸線の美しさは、筆舌に尽くしがたい物があるほどです。

     

<盲腸>みたいに本土から垂れ下がるキブロン半島先端の、キブロンの港からのフェリーは、島の住人の貴重な足、かつ観光客の渡し船で、50分で島と本土を結んでいます。

     

自然が100%守られた島内では、なんと<野生のキジ>が車道を横切りました!

     

そして、中世においては、<ブルターニュの海>が、<世界の果て>と思われていました。
ブルターニュ地方の四つの県の最西端<フィニステール県>は、直訳すると、<ここに大地終わる>という言葉なのです!

今日の正確な測量技術の確立によって、ポルトガルの<ロカ岬>がヨーロッパ最西端と認められるまでは、そのブルターニュ最西端の『ラ岬』こそが、<台地の終わる場所>だったのです。

     

詳しく<経度の線>が載っている地図で見ると、ポルトガルの西海岸とブルターニュ半島の先端は、ほとんど<差>が無い様に見えます。

岬の先端の駐車場から<野生の植物群>の保護区になっている遊歩道を15分ほど歩いて(シャトルバスもありますが。。。)いよいよ岩だらけの<先端部>は、まるで北アルプスの縦走コースのようにあちこちに張り巡らされている鎖をたよりに、垂直に切り立った厳しい岸壁の直下75メートルに逆巻く荒波に震えながら、行ける所まで行けば、もうそこは<ほとんど>世界の終わり、を実感できます。
売っている<絵はがき>も、売店のポスターも、観光パンフレットの説明文も、現地では、何もかも『世界の果て』の文言が溢れています。

     
この<遠景>の写真では実感できませんが、<荒海に突き出した岩の尾根>は、数百メートルの長さで、高さは海面から80メートルほどもあるのです!

その<海の国>ブルターニュは、北海岸で名高い歴史的な港町『サン・マロー』、先端に近い軍港『ブレスト』など港町がたくさんあります。
なかでも『コンカルノー』は、イワシ漁で知られた港ですが、海にはり出して<出島>があるのです。

     

入り口は橋でつながっており、大砲が並ぶ進入路は曲がりくねり、まさに<要塞>。

     

そして城門をくぐると、細い通りには<海の歴史博物館>や、お土産屋さんやレストランが立ち並び、観光客がそぞろ歩いてにぎわっています。
島全体を取り囲む<城壁>にうがたれた所々の小さな門を出ると、やっぱりそこは海の上の<島>であった事を実感する事ができるのです。

     

そして、<ブルターニュの海の幸>といえば、オマール海老と<牡蠣>。

     

実に、ブルターニュ原産のこの<丸い>牡蠣を、いつでも<たらふく>食いたくて(!)、シーザーの海軍はブルターニュのケルト人の最強艦隊を撃破したのです。

2段の櫂の並ぶ快速艇で、取れ立てのこの牡蠣を、<ローマまで>運んだというから、食い物の力は恐ろしい!
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海と岩と信仰の国ブルターニュ

2008-04-22 02:32:13 | 旅行とレジャー
ブルターニュの旅から戻ってきました。

出かけた頃は、「春まだき」という感じで、雹が激しく降り、道路が危うく通行不可能になりかかる位積もったりしましたが、帰る頃には、『春』!
     
     

ところで『ブルターニュ』とういう地方は、フランス北西部の『ブルターニュ半島』という大きな半島部で、紀元前5000年期ごろから3000年間位にかけて、<巨石文明>が栄えたのです。

         

その後、紀元前2500年頃からケルト族が住み始め、紀元前600年頃にはかなり栄え、西ローマ崩壊後、ヴァイキングに追われてブリテン島から逃れてきた<ブルトン人(同じくケルト族)>が住み着き、現代まで<ケルト語>が伝わる、独特の地方です。

独特の風俗、古代の宗教遺構、独特の解釈のキリスト教、独自の言語。。。

花崗岩の一種<玄武岩>の地盤が浸食された、独特の海岸美を持ち、オマール・エビの名産地でもあります。

     

民家は固い岩を使うため造形が単純で、角々や、窓枠とドア枠だけきれいにカットした石を<スミ石>として組み合わせる、とてもかわいらしいものです。
本来の伝統では<茅葺き>です。

     

現代のブルターニュの人々も、同じ様な建て方で、お家を作り続けてて居ます。

     

具体的なご紹介は、今後続けさせていただこうと考えております。
<歴史的文化財編>
<美食編>
<すてきなホテル編>
など、どうぞお楽しみに。
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善光寺さんありがとう

2008-04-19 20:20:28 | 国際関係
『善光寺』の<聖火リレー出発地点辞退>決定を、大いなる驚きを持って、大いなる賛辞を捧げます。

最初にこのニュースを聞いた時点で、「例によって『事なかれ主義』による、<混乱>を嫌っての決定か」と思った物です。
日本ならば多いにあり得る考え方だな、と。
同じ『仏教徒』として許せない、と言ってくれれば<拍手大喝采>なんだけれど。。。
と、独り合点しておりました。

そうしたら、ちゃんと<中国当局の仏教徒に対する弾圧への意思表示(注:表現は一字一句忠実ではありません)>と発言されていました。
やはり<外交的?>配慮で(おそらく)、<リレー中に寺を訪れているほかの人々への混乱へ配慮して云々>という理由が最初に挙げられているものの、ちゃんと『中国当局の<宗教>への弾圧』を理由の一つに<明記>された事は、本来の<宗教人>としての<当たり前>の意思表示が、翻って、一人一人の『人間』としての『当然』の意思表示が、我が祖国でもちゃんと出来る人達も居た、ということが分かって多いに安堵したものです。

最大級の賛辞を捧げる次第であります。

それにしても、その決定のあと、賛同の電話が善光寺に100件くらい有った、というのは何なんだろう。
あまりにも少なすぎやしませんか?

その100倍くらいの<賛同の意思表示>が有ってしかるべきではないのか。

やはりその辺が、日本社会における<一般の人々>の限界なのだろうな~、と改めて日本の現状に思いを新たにさせられた次第でもありました。

ところで、中国での<反フランス>デモのあほらしさ!

デモ隊の若者(バカ物)の顔つきのイヤらしさ。
下品さ。
昨今の<反日デモ>と全く同じ。

なんで彼の国の市民は、あんなにもスイッチ一つで動員されてしまうのだろう?
全く<瞬間湯沸かし器>としか言いようがない。
それも<壊れた>湯沸かし器。

そんなに<反フランス>と言いたいのなら、フランスに来るな(!!)と言いたいのですよ。

近年中国の(特に沿岸地方での)バブルで、フランスを含みヨーロッパを訪れる中国人ツアーの数と言ったら。
ありとあらゆる観光地を荒し回っている現状は、堪え難いものが有ります。

何しろ直前まで19世紀パール・バックの『大地』に描かれている時代とほとんど変わらない環境で暮らしていた人々が、いきなりヨーロッパに<大挙>して押し掛けてくる訳ですから、いわゆる<社会常識>やら<マナー>やら、それ以前に<社会人としての自覚>など一切ないまま、<傍若無人>な振る舞い。

(30年前のどっかの国の人達も同じように言われてたんだっけ。。。)

ルーブル美術館では、絵画に対して彼らがあまりにもフラッシュをたきすぎて、ついに絵画のフロアーでの撮影が一切禁止されてしまったくらいでした。
それまでは、フラッシュをたかなければ、撮影は自由だったのに。
何しろ、フランスで国家資格を習得している<中国人ガイド>がその手の事に<自国のツアー客>に対して注意すらしない、のですから推して知るべし。

(この措置は、あまりに不評だったらしく、2年程で解除されましたが)

一頃<中国人ツアー>は『モナリザ』の前のロープの内側に入れてくれない程だった!!
(私も拒否されて、<日本人だ>と言ったら「アアごめんなさいネ、入って良いですよ」と言われた事が有った程です)

ホテルの部屋は汚し放題、備品はカーテンやテレビまで持ち去ろうとするし。
さすがにテレビの持ち出しは(大きし重いしね)最近聞かなくなってきましたが。。。


あまり<露骨>に反フランスを叫んでいると、フランスと言う国は日本と違行動が早いですから、<中国人ツアー拒否>くらいしてやり「かねない。。。(まさかとは思うが)

確かに、エアバスはたくさん(300機単位)で売買契約は結んでいるし、あらゆる企業が進出している手前、関係悪化は日本と同じかそれ以上に困るとは思うものの、フランスという国は決して<自国のプライド>を曲げてまで相手に媚びたりしない国で有る事を、彼らは知らないらしい。

他国を避難する事だけで憂さを晴らす、その費やすエネルギーを、<自国の政府>に向ける<知恵>が出ないのなら、せいぜい<広すぎる井戸の底>で世界の事を知らないまま<茹であがって>くれれば、世界は平和になるだろうに。

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フランスの高校生の成熟度

2008-04-16 23:52:59 | フランスと日本の文化比較
ここ数日、あまり<腹の立つ>ことも無く、旅の途中という事もあり、更新しませんでした。

その間、フランス国内では、高校生達が元気良く<反政府運動>を繰り広げています。

例の<ニコラ・サルコジー>という、訳の分からない大統領が打ち出した、<公務員削減政策>の一環としての、来年度からの教員数削減に反対する全国の高校生達が、パリを中心にデモを繰り返していますが、毎回動員数が増えているのです。
昨日4月15日は、主催者発表5万人、警察発表2万人の規模にまで発展して来たのです。

目下フランスの高校は、普通高校で一クラス定員28名、技術系高校で19名ですが、<教員数削減>によって、一クラスあたりの生徒数が増える事により、教育環境のレベルの低下が懸念され、従って授業内容の劣化が懸念される、というのが彼等の言い分です。

政府側は、「首切りは行わず、退職者数以下に新規雇用を控える事で、自然減とできる。生徒数の減少傾向により、クラスあたりの定員は変わらないはずで、レベル低下にはつながらない」と抗弁しています。

フランスは、高校終了時の全国一斉試験<バカロレア=高校卒業資格>試験に合格する事が、人生におけるある意味で<最大のイヴェント>なのです。

バカロレアを取得すれば、<原則的>には、いつでも自由に好きな大学に入学できる建前(勿論人気の高い大学の人気の高い学部は希望者数が定員を大幅に上回り、選抜試験が実施される事もありますが)で、いちいち<大学入試>なるものはありません。
ただ、小学生から<落第>が存在し、中学で進学過程と実技過程にどんどん振り分けて行くフランスでは、普通科高校生でいられる事が、まず大変なのです。
おそらく同年度児童数のうち、バカロレア試験まで行けるのは半数くらいではないか、と思われます。
そのバカロレア試験での合格率が全国平均68%くらい(!)なのですから。

高校生活における<勉強>の重要性が、祖国<日本>とは雲泥の開きがあります。
それでは、授業の質が落ちた日にはたまりませんわね。

何しろ<バカロレア試験>第一日目の科目が『哲学』(!!)
五時間の記述試験です。

私見ですが、日本の<高校生>というのは、『高等学校』という<高等な>学問をするための生徒なんだろうかしらん?
<高校全入>と言われて久しいですが、全就学児童がほとんど全員『高等』な学問をしに行ける物でしょうか。

最近では<本職のトビ職>でも着ないようなマンガみたいな服を着て、ツバをはき散らしながら<暴れ回っている>猿みたいな連中も、『高等』学校の生徒だと。。。
そして、3年間授業の妨害だけして、ガラス割って過ごそうが、<援助交際>にふけっていようが、三年間<在籍>することで、『卒業』資格取得なんて、シンジラレナ~イ!

政府間協定により、日本の<高校卒業資格>は、フランスのバカロレアと<同等>と見なしてもらえるのですゾ。
フランスの高校生に失礼きわまりない話じゃございませんか。

そんな連中にとって、政府の政策に反対して<デモ>を繰り広げ、政府に政策転換を迫る。。。なんて行動は<宇宙人>の行動みたいな物でしょうね。

勿論日本にだって成績のいい子達もいるでしょうけれど、日本の<成績>の物差しは、『偏差値』と言う<日本でしか通用しない>物差しなのです。

この事は、大変重要なことなので、後日改めて書きたいと思います。

とにかく、我が祖国は、教育システムが全くダメ。
だから、財務省高級官僚も、外務省高級官僚も、大企業の役員も、銀行の役員も、もちろん政治家も、<世界基準>で見ると、全く<物の役にもたたない>のです。

ああ。
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聖火リレーに見える、中国人の本質

2008-04-12 00:27:13 | 国際関係
目下ブルターニュを旅行中です。

人里離れた所を回っているため、ホテルのWI-FIのアクセスが不調だったりで、なかなか更新できません。
旅行記は、近日中に公開させていただこうと思っております。

所で、聖火リレーは案の定ですね~。

パリでは何度も『火』が消える有り様。

6000人の機動隊の動員での<聖火リレー>なんて、何の為にやる必要があるんだろう。

現場で<中国国家警察のエラそ~な役人>が、現地(パリ)の警備担当者をいちいち呼びつけて怒鳴りつけて<指示>していた様は、その後フランス国内で大変に<問題視>されました。
『自由と民主主義』の<主権国家>で、あんな事まで受け入れる必要があるのか、という訳です。

走者たちは、随行バスの中は<中国警察>の監視下にあり、降りて走り始める直前に<我々は世界中の人権をまもる!>と言うバッジをつけて走り出す始末。

エッフェル塔と凱旋門にはためいた、<手錠を五輪に見立てた>大きな黒旗は見物でした。

下院の議事堂前では、<超党派>の代議士たちが、手に手に<チベット擁護>のプラカードを持ち勢揃いしていたのが、実に<印象的>でした。

東京で、<自民党>の議員サン達が、<社民党>の議員と並んで同じような<示威行為>をやれるだろうか、と考えると、さすが『人権宣言』を生んだ国は違う、と改めて感動したのでした。

ただ、例によって中国では、沿道の混乱も、あらゆる<反対運動>も報道されない。
唯一<車いす>の女性走者が、飛び出して来た反対派を機動隊員が引きづり倒す混乱の際、火が消えない様に体でトーチをかばった瞬間を報道し、彼女は目下『国家のヒロイン』らしい。

ことあるごとに中国側は、「政治とオリンピックを混同するな!」と怒っているが。
そもそもオリンピックは『平和の祭典』でしょうが。
自国内(かってに領土にしてしまった)の国民の一部を散々<弾圧>してきて、その反動で起こった暴動を<又また>弾圧するような国家には、平和の祭典を誇る<資格>は無いのダ。

彼等の論調は、何の分野でもおなじですが、常に自国の(というより自分達指導者の)利益に沿っって理論を常にすり替え、反対の立場へ<強圧的>に物をいう。

センカク列島の事にしろ、東シナ海での<天然ガス>の勝手な採掘にしても、例は枚挙にいとまが無いですね。

それより、その夜のテレビの公開討論番組が面白かった。
(食事からかえって来て短時間しか見られませんでしたが)

中国人の<知識人!>が一人パネラーとして出演していたのです。
彼曰く。
「中国はマスコミの報道が全て規制されていて一種類のニュースしか流れないというけれど、フランスだって、あらゆるマスコミの論調はまるで<規制されている>ごとくに全部同じで、結局中国もフランスも一緒じゃないか」

それに答えたフランスのマスコミ人。
「確かにフランスのマスコミは、傾向として同じ論調にまとまってしまう欠点はある。それは否定しないし、反省する必要がある。
しかし、フランスのあらゆるマスコミは、結果として全員一致になったとしても、報道する姿勢や角度はあらゆる自由な選択の基にある。そのあらゆる多様な選択肢の中から自由に選んで考えて導きだされて来た論調が、結果としてみな同じになったのだ。そこが中国とは<決定的に>違うのだ。」

中国人パネラーはただ、苦笑いするのみでした。

(どこやらの<ワイドショー>はいったいどうなるのだろう!)

続けて彼(中国人)曰く。
「チベット人種の文化的抹殺なんてダライラマは言ってるけど、チベット人は全員ただで学校に行けるし、中国人の<一人っ子政策>は適用されないので、好きなだけ子供は生めるし、元々<チベット語>なんてない訳だから、何が文化的抹殺なのか、訳が分からない。」
そうです。

『チベット語』が無い!!

中国人の知識人らしき人間においてすら、この程度の認識なのでしょうね。

ウイグル人自治区もそうだけれど、たとえば10万人の地元民の地区に<大団地>を造成して30万人の漢民族のホームレスを移住させて、少数民族の密度をどんどん薄めて行くやり方は、ひと頃のセルビアで起こっていた<人種浄化政策>と言う名の虐殺や強姦による<血>の薄め方と、基本的には何の違いも無い訳で、セルビア人指導者がオランダの国際法廷で裁かれる以上、中華人民共和国の指導者たちも、同じ様に裁判にかけてしかるべきなのでは、と思えるのであります。

上海かどこかでの、カラオケではしゃいでいる中国人の若者へのインタビューで、中国での『人権』の存在しない現状について、アホヅラした女の子やニヤついた男の子の返事。
「僕たちには、好きな様に遊べるし、ちゃんと自由がある。」
「私たちに大切な事は、多くの友達を作って、楽しく遊べる事。その点何も問題はない。」
「<人権>と言う概念は、あんたたち西欧人が押し付けようとしている物で、私たちには<別の>価値観がある。」

なんだか、どこやらの国の話みたいで。。。

どこやらの国では、聖火リレーは<粛々と>、行われるのだろうな~。


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オーストラリア人の狂気

2008-04-02 08:07:23 | 国際関係
『日本人には銛射っても良い』

と言うタイトルのCMがオーストラリアのTVで流されているらしい。

<日本人はクジラを知るための『調査』と称してクジラを殺す以上、日本人を『調査』する為に日本人を殺しても良い>

と言う<理論>だと言う。

唖然!!!
クジラ=人間、っていうか、彼等にとっては日本人はクジラと同等。

さすが『遠島申し付けられた極悪人』の子孫だけあって、おつむの中が尋常ではない。
あるいは、<東洋人>排斥を掲げる『人種差別』極右政党が25%以上の票を集める国だけあって、東洋人は<クジラと同等>らしい。
あるいはクジラ<以下>?

じゃあ、年間200万頭の<カンガルー>殺戮を許可しているオーストラリア人は、200万人殺されても良いって訳かな。

ある筋から聞いた話(又聞きです)によると、イギリスに旅行するオージーたちが、<カンタスが高いから!>、格安航空券を出すJALで<成田経由ロンドン>を目指すらしい。。。
それすらかなり異常なのに、トイレの汚し方は半端ではなく、あまりにお行儀の悪い彼等を見かねたイギリス人とおぼしき人たちが曰く、「あの人たちは飛行機なんかに乗るな。イギリスにきたければ船でくれば良い、あっちに行ったときの様に」ですと。
同じような人種に見える事が心底耐えられないみたいです。

ご本家さまに、そこまで嫌われてる人々って??

同じような人種に見える、と言えば<ニュージーランド人>も曰く。
「ニュージーランドは同じ島流しの場所でも、政治犯など反体制の貴族知識人が送られた島だ。オーストラリアは殺人犯など凶暴犯が流された所。同じような扱いをしてくれるな。。。」
との事。

そこまで聞いてしまったら、まともに相手にしても仕方ないレベルの人種なんだ、と聞き流せば良いものの。。。
日本人に銛を打ち込む映像を見せられてしまっては、やはり黙ってはいられませんよね。

そんな国と<友好関係>なんて維持しなくても良いような気がしませんか?
昨日日本企業が豪企業と協力して新世代技術開発を進める契約に合意したニュースが流れたけれど、何もあんな相手に技術協力するなんて<お人好し>すぎる、と思われます。
貿易や食料確保や、いるんな面で一時的に不便になるでしょうが、人間にはここと言うとき絶対<譲れない>物があるはずです。
日本人としての(というより既に人間としての)<矜持>は、<経済>に優先してしかるべきであると、考えます。

ところで我が日本人は、オーストラリア大好きって人が意外と多いですよね。
空港で<日本人観光客>にクジラ問題をわざとインタビューして、画面でレポーターが<あざ笑う>なんて場面も、頻繁にかの地のニュースに登場するらしい。

そんなにアジアが嫌いなら、なんで某スポーツの五輪予選ゾーンを、<オセアニア>から<アジア>に変えたんだよ。
アジアゾーンなら<君臨>できるとでもお思いか。

やめようよ、あんな国に<ニコニコ>すり寄って行くのは。
極端にいえば<国交断絶>しても良いくらいに、<失礼>な国です。

少なくとも日本が<観光的>にあの国をボイコットすれば、彼等にとってかなりの<経済的>マイナスになると思うのですが。
ウランも買わなくていい。
ウランやその他の『希少金属』は、アルジェリアやカメルーンにたくさんあります。

そろそろ目線を変えませんか。
見下される相手に、尻尾振ってすり寄る<鈍感さ>が、よけい<馬鹿にされている>原因の一つである事に気がつこうよ。

嫌われてる相手には、こっちもそれなりの態度で接する必要があるのではないでしょうか。
経済的つながりも、文化的(存在する??)関係も、ちゃんと我々に敬意を持って接してくれる相手と、行うべきです。

自国の権利(?)や利害に絡むと、途端になりふり構わないで強引かつ強圧的な外交駆け引きを行う所だけは、<あの傲慢不遜な大陸の国>の<自己チュー>な態度を見習っても良いと考える次第であります。
あの国の態度は、<人間の尊厳>とは関係なさそうではありますが。。。



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暫定税率タイムアウト!

2008-04-01 07:33:13 | 社会問題
やっと、といいましょうか、ついに、といいましょうか、例の『税金』の期限が来てしまいました。

それに付けても、「福田首相』の言い草。

「日本は世界でも最もガソリンの安い国の一つになる」
「イギリスの半分」
「ガソリンが安くなって、どんどん排気ガスを出して、『温暖化対策』に逆行する>
「主要国サミットの議長国が、『地球温暖化』に逆行して、他の参加国からなんといわれるか」

なんという<詭弁>!!
恐ろしいほどの理論の<すり替え>!!

そもそも、『ガソリン暫定税率』やら『道路特定財源』やらは、<道路>を必要有る無しに関わらず、どんどん造る事の為にあるんでしょうが。
それこそが、<排気ガスの排出量増加>以外の何者でもないのではありませんか。

「歳出は決まってしまっているのに、歳入が決まらないのでは、いったいどうすればいいのか」
「赤字国債でも出せと言うのですかね」

ワハハハ。
何と言う言い草!?
<歳出>に関しては、平気で何度も<補正予算>を組んで来たのが今までの<政府自民党>だったのでは??
今まで<赤字国債>を垂れ流してきたのは<あなた方>だったのではなかったでしょうか?

例によって<記憶にございません>ってやつですか。

<歳入>が決まらないなら、<一旦決めた歳出>だって、再び<決め直せば>良いだけではないですか。
そんな事は、小学生でも分かります。

「財政に穴をあけてよいのでしょうか」だって。。
ナミダが出てくる(可笑しくて)。

勝手な<見込み>で組んだ財政に<穴>が開くんだったら、<財政>を組み替えれば済む事でしょう?
現に<地方財政を救済する予算を組む>と言ってるではありませんか。

ただ、一旦決めた歳出を組み直すなんて、<前例>もなければ、<考えた事>もないでしょうな。
何しろ<一旦決めた事>はてこでも<変えない>のが日本の官僚政治でしたっけ。

<有明海の干拓>にしろ、<長良川の河口堰>にしろ、<宍道湖の埋め立て>にしろ、その他のン千件の例を過去60年の歴史に見てくれば<一目瞭然>。

<必要なくても>逆に<害になっても>一旦<お上>が決めた事は、何が何でも変えてはならぬ。。。

ばっかじゃなかろか。

まず、『暫定』を何十年続けるつもりですか。

客観的に見て交通量の少ない既存の<国道>に<平行>して、わざわざ大回りしてまでアクセスに不便な<高規格>の新規道路を、しかも<とぎれとぎれ>に造って、誰もそんな道路は利用しない。
ありますよね全国に。

『所々に造っておいた<高規格道路>を<既成事実>として、いつの日か必ずやそれをつないで<立派な>高速道路を、オラが選挙区に造れば、地元の土建屋は潤い、名前は<県庁>の記録に永遠に燦然と記され、選挙資金や活動資金と言う<名目>で天文学的金額の<政治献金>という現ナマはゴロゴロ入ってくるわ、こりゃ笑いが止まらんわい』
というあなたの声が聞こえてきてますよ<道路族議員>の先生方!

その『道路特定財源』をこっそり<怪しげな用途>にバカバカ使って平気の平左。

福田首相サマ、あなたの記者会見での<泣き言>は、全く持って<説得力>がありませんよ!!

今まで政府は、官僚が決めた法案を提出し、どんなに<野党>が反対しようとも、<そこまで反対するならそれなりの理由があるのでは?>なんて考えもせず、数の力でごり押しして<採決>して<平気>でしたよね。

<野党の議事ボイコット>や<審議拒否>や<牛歩戦術>やらを、『民主主義』と言うお題目を掲げて蹴散らしてきましたよね。

その<お好きな>民主主義の多数原理で、自分たちの勝手が通らなくなるや、今までの自分たちのやってきた事にはいっさいホッカムリして、手のひらを返したように、<野党のゴリオシ>を非難していらっしゃるけれど、ま~<客観的>にみて、少しは<身から出たサビ>を舐めてみるのも、少しは薬になるのでは?


マスコミの皆様方も、そんな首相の<いかにも野党が悪い>グチの様子ばかりテレビに繰り返し流して、後は各地のガソリンスタンドの大騒ぎだけを<報道>して民意をあおるだけではなくて、福田サンの宣伝文句を正しく<検証>して論じる、くらいの<まともな>報道をしてくださいマセよ。

大人になろうよいい加減で。
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