不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

ゲーツ米国防長官の発言に<やっぱり。。。>

2009-03-30 05:17:21 | 国際関係
米国防長官の<北>ミサイルに関する発言を聞いて、<いつか来た道>と言う感じがするのは、私だけ?

先のブッシュ政権に於いて、<ライス国務長官>が「日本の事は忘れない」と言って<北朝鮮>のテロ支援国家指定を解除した時と、なんだか同じ様な空気が感じられる。。。

やや長くなりますが、勝手に(ゴメンナサイ)引用してみます。

 【ワシントン29日時事】ゲーツ米国防長官は29日、FOXテレビの番組で、北朝鮮が発射を予告した弾道ミサイルとみられる「人工衛星」について、「ハワイに向かって来るようなら(迎撃を)検討するが、現時点でそのような計画があるとは思わない」と述べ、米国の領域を標的としたものでない限り、米軍がミサイル防衛(MD)で迎撃することはないとの見解を示した。
 (中略)
同長官は、ミサイルとみられる物体が既に発射台に設置されたことから、「多分発射するだろう」と述べる一方、アラスカや西海岸など米本土に到達し得る大陸間弾道ミサイルではないとの見方を示した。また、北朝鮮が現時点でミサイルに核弾頭を搭載できる能力を持っている可能性は低いと指摘した。
日本による迎撃に関しては、「もしミサイルが失敗して、破片が日本に落下するようなら、彼らは行動を取ると言っている」と述べた。 

ン?

<彼等(=日本人)は行動をとると言っている(!!)>って事は、日本のことはとりあえず関係ない、と言ってる訳ですね。

「アメリカ領域を標的にした物でない限り」迎撃は考えない。。。とおっしゃってますよね。

要するに、我が<自民公明政府>が錦の御旗みたいに振りかざす<日米安全保障条約>というものは、日本だけが縛られる条約と言う事だ。

日本の領土が攻撃を受けたときは、アメリカは即時に日本の防衛の為に反撃するんじゃなかったんだ。。。

日本は<都合のいい>パートナーで<金ヅル>だから、一応顔を立てるフリをしてくれる。
オバマ新大統領就任後、最初の国務長官訪問地が日本だったり、最初に会った外国首脳が日本の首相だったり、でも『日本には多いに期待している」と言うセリフは、もっとドンドンカネ出せ、って事なんだよね。

アフガニスタンの復興と自立の為に、アフガン警察を独り立ちさせる為の資金として、日本は80万人(!)分の警官の給料を負担する、と聞いたトタンのオバマさんの笑顔。
『日本のその決定は多いに評価する!」
って、あたりまえだろ。

嬉しいだろうね、オバマさん。

で。

ミサイルに関しては、<彼等は何かするらしいよ>ってか。

同じ種同士で殺しあう<ヒト>という因果な生き物の中に有って、<自ら軍事力を放棄する>等と言う、夢みたいなたわ言を<国是>に定めたのは、後にも先にも我が日本のみ。
であるならば、その<脳天気>なユートピア思想を、徹底して貫いてやろうじゃないか!

とずっと考えて来ました。

でも、突っ張り続けるには気力も体力も知性もが必要です。

今の<一億総おバカ>に成り下がってしまったかのごとき我が日本が、それだけの<膨大なエネルギー>と<知性>を必要とする大命題を貫く事は、やっぱりムリなのか、と考え始めてしまう。

悲しい事ですが、他国頼みにせず、祖国は我が手で、<軍事的に>守らなくては、ダメかも。

巧みな外交と、徹底した平和主義の哲学を貫く姿勢を毅然として世界に示す、というやりかたでの世界へのアピールは、現日本では高望みで有るような。。。

半島の狂犬と、その背後の図々しい傲慢な大陸と、はたまた宇宙人のごときオロシャを相手にするには、現在の持てるハイテクのノウハウと製造技術を駆使して、あらゆる事態に対処出来る様な、高度な軍事力が必要なのだろうか。。。

少なくとも、今回の<ミサイル>のドタバタが、もし『イラン』だったら、今頃はとっくにイスラエルとアメリカのミサイルで叩き潰してしまってる事は、疑う余地のない所だろう。

<北朝鮮>と<日本>との関係は、最終的に我が友アメリカにとって、最重要事項どころか、<重要事項>かどうかすら、怪しくなって来た。

「信じた私が馬鹿だった」

それで、何故『思いやり予算』なんてバカバカしい物に大金かける必要が有るの?
嘉手納基地の一部機能を<グアム>に移転するのに、なんで日本がお金出さないといけないの?

それだけの税金があれば、病院閉鎖の自治体や、産科のない自治体や、無医村や、破産状態の自治体を、救済出来るのではないでしょうか?

医療保険も無く、失業手当も無く、使い捨てにされている多くの<派遣労働者>や<ワーキング・プアー>のかなりを自活出来る様援助出来るのではないでしょうか。

安心して<子供>を生み、育て、楽しい家庭を築き、ひいては明日の日本を明るい祖国にする原資として、有効活用出来るのではないでしょうか。

本当に今現在の時点でなくせないレベルの国防に絡む資金だけにして、アメリカ軍に大盤振る舞いするのはもう止めよう。

安保条約も一日も早く凍結しよう。

そうでないと、何時なんどき又、アメリカに裏切られた気分に浸らせられるか、分かった物じゃ無い。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すぐ<謝罪要求>をする日本人

2009-03-29 08:52:38 | 社会問題
やや旧聞に属しますが、FEDEXのカーゴ便の成田での事故は、やはりショックでした。

第一報が入って、NHKのニュースで同じ映像を繰り返し繰り返し流している頃、YAHOOニュースで配信された最初のニュースの一つに、『フェデックス記者会見も謝罪なし』というタイトルの記事が有りました。

「ああ,またか。。。」
そんな記事は読む気にもならない。

当事者ならまだしも、第三者までもが、金切り声をあげて責め立てる。
挙げ句に、責任者(?)がカメラの放列に向かって、はげ頭をさらしてお辞儀する。

1時間後くらいには<謝罪なし>のニュースは消えて,続報で埋め尽くされ、その内TVのニュースに、FEDEX東京支社の責任者が頭を下げている映像が流れた。

FEDEXは、オフィスの人間だけでなく、事故を起こしたパイロットですら、事故を起こそうと意識して、起こした訳では絶対に無いはず。
それどころか、あんな大事件を引き起こしてしまって、ショックは第三者のそれの比では無いはずで、しかも対策やら関係各方面との折衝やらで、大変な事になっていたはず。

変な言い方を敢えてすれば、会社としては<事故を起こしたパイロット>に謝って欲しい位に、迷惑(?)していたはずです。

とにかく日本人は(日本社会はと置き換えても良い)、何か起こると、それこそ<鬼の首を取った様に>責め立てるのですね。

降雪に寄る新幹線の遅れ,然り。
回転ドアの事故、然り。
JRであれ、ビル管理会社であれ、事故には責任は無いでしょうに。

例えば、<死にたかった>から死刑になろうとして、駅のホームから老婦人を線路に突き落とした男の場合。
あるいは、モテない欲求不満から見ず知らずの女性をいきなり拉致して、欲望を満たそうとした挙げ句に,その女性を冷酷に殺してしまったような男の場合。
女性患者を看護するべき男性看護士が、立場を利用してわいせつ行為に及び、訴えた女性に適切な処置を取らなかった病院の場合。

いずれも最近の事件ですが、そういった場合は当然、事件を引き起こした当人なり、責任有る立場の人間なり(院長など)がちゃんと謝罪するべきでしょう。

しかし、成田での事故のような場合、<意識して>起こした事故とは違うにも関わらず、相も変わらず<謝罪しないと>世間様が許さない。

逆に言えば、とにかくこの場は頭を下げてやり過ごせば、後はなんとかなる。。。

イヤダイヤだ。

人身事故で電車が遅れている時に、駅員を怒鳴りつける<いい年をした>おじサンを見たりすると,親の顔と、嫁の顔と、子供の顔が見たくなる。

ワルさをしでかした生徒のいる学校の校長が頭を下げる。
違うでしょ。
そんなワルさをするような子供に育てた<親>の責任。
学校側は、生徒一人一人の学外での行動まで責任はおえない。

と言うと必ず、「いや<管理責任>と言う物がある。。。」なんて言い出す輩が出てくるし。

全く<一億総おこちゃま社会>と言っても過言でないかの如き社会なのですね。

話が飛躍しますが、私の最もキライな表現の一つに、<キレる>という表現が有ります。

何かと言うとすぐキレる、と言われ、キレるヤツらもキレて当たり前、と思っているフシがある。。。
子供達までがそのような風潮に染まっているらしい。

醜いですよ。
そんな表現。
そんな行動パターン。

2歳の幼児じゃ有るまいし。

さらに、それに絡んで言いたい事は、日本社会は全て上下関係という<強者と弱者>の関係を造り、絶対に弱者は強者に逆らえない。
それを良い事に、往々にして<強者は弱者をイジメる>のです。

古の<士農工商>と<エタ>

かっての帝国陸軍に於ける、古参兵と新兵。

そして未だに数々の例。

役人と民間。
先輩と後輩。
上司と部下。
大企業と出入りの業者。
正社員と派遣労働者。

そして、<正義の>一般国民と事故を起こした側。

『お客様は神様』なんかでは有りません。
商品やサービスを提供する側と、提供を受ける側は、本来フィフティー・フィフティーなのです。
一人の人間としては。

お客は、その品物なりサービスなりを<必要とする>から対価を支払う。
提供する側は、相手が必要とする物を提供するから、対価を受け取る。

もちろん、お金を払って頂く事は、ありがたいことです。
でも、だからといって、お金を払う側が何をやっても良い、何を言っても許される、ワケでは決してないはずです。

そんな当たり前の事に、そろそろ気がつかなければいけません。

そして、そういった<上下関係>を造り上げて、強い立場を利用して、弱い立場の側を(意識的にせよ無意識にせよ)イジメる様な行動を取るのは、そろそろ止めませんか。

お里が知れますよ。

そして、いつも言う事ですが、大人になろうよ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<連合労組>は去勢された日本人の象徴の様だ

2009-03-20 09:55:33 | 社会問題
3月19日、フランスは公共企業のストで、交通機関が乱れ、通勤にかなりの支障を来しました。

主催者側発表によると、参加者100万人。

私自身も、郊外電車(パリ市内は地下を走っています)に乗るつもりで、ストの事をうっかり忘れていて、20分くらい待ってボードを見に行ったら、65分後に一本だけしか無い事が分かって、あわてて回りを見回せば、何時もよりやや多い位の人々が待っているだけで、しかも誰一人騒いでいなかった。

結局その65分後の電車が<さらに45分遅れ>のアナウンスで、別の地下鉄を利用する為にその駅を出たのでですが、同調したのはわずか数人だけでした。

国民のほとんどが、<ストライキは全労働者の当然の権利>と完全に理解していて、電車の遅れに駅員を怒鳴ったり、駅が乗客でふくれあがったり、と言う現象が起こらないのです。

自分も<労働者>である以上、いつかは自分がストをする番になるかも知れない訳だから、他の人達のストを非難したりしないし、交通ストならそれに合わせてそれなりの対処をする。

要するに、皆冷静です。

今回のストは、サルコジー大統領の<社会政策>に反対する昨今の運動の一環だった訳ですが、フランスでは、為政者側が<国民>に受け入れ難い政策を取ろうとすると、必ず国中であらゆる階層で反対の渦が巻き起こり、ストやデモが繰り返されます。

あれに荒れた挙げ句に<政策>が実現する事も有れば、撤回される事も有ります。

そういう意思表示をして、社会的な動きを起こす事が、<国民の義務>だと思うのです。

それが『民主主義』。

有る政権が国民の反対を押し切って強硬した政策が、次の選挙で<政権交代>がおこり、新政権がそれを撤回する事もまれでは有りません。

しかるに我が日本をみてみると。。。

春闘における、<労組側>要求に対する<大手企業>の一斉回答が出て、再び思いを新たにした『連合労組』のイメージは。

ズバリ<去勢>。

電気大手メーカー労組委員長の報告も、自動車大手のそれも、どれもこれも、テレビから聞こえてくる<音声>だけ聞いていると、まるで<企業側の説明>にしか聞こえない。

「今年程苦しい経営環境は無い。。。」
「今年度の決算、来年度の売り上げ予測の不調ぶりを考えると。。。」
「今年が今までで一番厳しい経営環境に有り。。。」

何じゃそりゃ!

<労組委員長>という立場が、<経営者側代表>というイミだったとは、(うっすら感じていたとはいえ)今まで知らなかった。

カメラの放列の前で、単に<要望書>を手渡す。
そして、会社側の<御回答>をありがたく押し頂いて、発表する。

それだけの労組なんて、必要だろうかしらん??

会社側は、儲かっているときは「未だ会社の体質が完全に好転していない。今はまだ設備投資と内部留保に励んで、会社の基礎体力を万全にする事が必要」と言う。

しかるに、一旦経営が苦しくなると「このような経営環境では先ず会社の存続をはかる事が先決」と言う。

要するに、労働者側の<賃上げ要求>にすんなり同意する事は<絶対に>あり得ない。

それが<企業体質>と言う物です。

そういう<企業側の理論>を、いかに突破して会社利益の一部を労働者に還元させるか、と言うのが<弱い立場>の被雇用者の武器である<労働組合>と言う<団結>なのです。

ヨーロッパにいると、『階級闘争』と言う言葉の意味を、身を以て感じる事が出来ます。

あの<地獄のような>バブル崩壊後の低迷期を、やっと抜け出して『神武景気』以上といわれて、会社が利益を積み上げていたこの十年間、国民は少しも<好景気>を実感出来なかった。

それはつまり、企業側が<賃上げ>を拒否してただただ<配当>と<内部留保>に励んでいたからです。

消費者であるべき労働者に利益を還元しなければ、国の景気が良くなるはずが無い。

散々<利益配分>を待たされた挙げ句に、「100年に一度の不景気」と言われて<定期昇給>すら拒否される。

労働契約違反でしょう。

それをさせないのが<労働組合>のはずだった。

原因は、『国鉄解体』です。

あれで、<国労>と<鉄労>が消えてしまった。

この二つの労組が、日本の社会運動を先頭で引っ張って来た訳でした。

それが無くなって、『連合』とう訳の分からない<御用組合>の集合体みたいな物になってしまってからの、日本の労使関係は完全に<江戸時代的>になってしまったように見受けられる。

以前だったら<内閣>が吹っ飛ぶような出来事が、森内閣以後次々とおこっても、ゼネストどころか、国民の側から何の意思表示もなく、淡々と政府の思惑通りに処理されてしまう。

まあ、労組の組織率が2割を切っているような現状では、日本人一人一人が<家畜>の様になってしまったんだろうな~。

将来が怖い。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

埼玉県蕨市のフィリピン人一家の不法滞在問題に思う<外国人>の立場の辛さ

2009-03-15 19:01:47 | 社会問題
今月12日に「定住者」の在留資格が認められたイラン人女性、アミネ・マリヤムさん(20)が14日、高崎市内の短大を無事、卒業したそうです。

素直に「おめでとう、良かったね」と言ってあげたい。

大半の方々にとって、「かってに不法入国しておいて、滞在の不許可は当たり前ダロ」という意見が普通でしょうね。
非合法に日本に来て、滞在不許可に文句言う筋合いは無い、のはその通りです。
私自身も、そう思います。

しかし皆さん、<当事者>の身になって考えた見た事は、ありますか?

実は、私に取って、この問題は<他人事>ではないのです。

というのも、私自身<フランス政府>から『滞在許可証』を貰って、パリで暮らしている立場だからなのです。

この<滞在許可>と言う物が、フランスに住む(既に住んでいる)外国籍の住民に取っては、大げさに言えば<命綱>なのです。

通常EU諸国の国籍以外の外国人は、3ヶ月以上フランスに滞在する為には、<ヴィザ>が必要です。
このヴィザを、在日フランス大使館で貰う時に、先ずアレコレ<必要書類>をそろえるのが大変。
企業の駐在なら、まだ書類もそろえ易いものの、単に<留学>なんて時には、先ず特定の学校に手続きを<受け入れてもらって>入学許可症を手に入れる事が先決で、それからアレコレ。

とりあえず<ヴィザ>は取れて、フランスに到着したと同時に、各県の県警『移民局』に出頭して、いよいよ『滞在許可』の申請をしなければならないのですが、これがまた大変で。

今は、申請のアポもIT化されて、まあまあ安易になったものの、かっては早朝から建物の外で<大行列>。
やっと中に入れても、順番待ちが一日仕事でした。
なんとか自分の番が帰て窓口に呼ばれても、『アレが足りない、コレは違う」と書類の不備で即終了。

またアポの取り直し。

フランスの窓口業務は大変ファジーで、担当官にかなりの<裁量権>が与えられているため、日本の様に<前例がない>という一点張りでの動脈硬化的反応はなく、かなり人間的に進む場合もあるものの、逆にその担当官の<気分次第>みたいな所も有って、<揃えて提出するべき書類>に記載されていない物が無い(!)、と言う理由で<却下>なんて事も頻繁に起こるのです。

一年有効の『滞在許可証』を取得するのに、最低3回は窓口を訪れなくてはならなかった。

外での大行列、担当部署の待合室での長時間の待ちの間、周りにいるアラブ人移民や黒人移民達に混じって、とっても惨めな気分にさせられた物でした。

自分はどの窓口に呼ばれるのか、親切そうな担当官と、不親切そうな人とを、観察しながら<ドキドキ>して待ったものです。

なんとか『滞在許可』を取り付けても、毎年<更新>の度に同じ事の繰り返し。
その内『あなたもうそろそろ帰国したら?」なんて言われて、更新を拒否されたら、その時点で、フランスでの生活が一瞬にして<終了>してしまうのです。

<学生>での許可の場合特にそれが深刻で、毎年真面目に学校に通っている出席証明と、試験で順調に進級している証明が出来なければ、即終了。

でも、フランスの大学は本当に<高度の学問>を納める機関なので、もの凄く進級が難しく、<語学学校>のレベルの話なら、せいぜい5年粘れれば良い方で、それ以上上級の学校に進学しなければ、許可は更新されません。
「5年も居れば、フランス語の習得には充分でしょう」と言う話。

所が5年<語学学校>に通った位で、大学の授業には付いて行けません。

もちろん<就労許可>の付随する『一般滞在許可』は、雇用先の証明書が無い限り<申請>すらできず、雇用先の確保は『労働許可』が無いと出来ない、という<鶏とタマゴ>の話で、実際は不可能と同じなのです。

私は、これらの<修羅場>を何度も何度も繰り返し体験して、幸いやっと10年の『一般滞在許可症』を手に入れる幸運に見舞われました。

この<許可証>が、いわば永住権(フランスは国籍を取得する事以外不可)に準ずる身分なのですが、それでも10年毎に、同じ事の繰り返し。。。

フランス(だけでなくヨーロッパ各国)は、19世紀以来のアフリカ旧植民地各国からの、不法移民に悩まされています。

なにしろ、東/中央アフリカ各国の内情では、満足に食って行けない人々が山ほどいて、ヨーロッパに行けば何とかなるだろうと言う期待のもと、旧宗主国に押寄せる不法移民が一大社会問題なのです。

そのような<非合法滞在者>が、『滞在許可』よこせのデモを行ったり(何の権利で、とびっくりしますが)、10年や15年と非合法に暮らしていた末に<摘発>され、ハンストを繰り返した挙げ句に強制送還、と言う話をしょっちゅう見聞きしていますと、そういう立場で今回の出来事を見てしまわざるを得ず、なんやら<人ごと>とは思えないのです。

『自由平等博愛』を謳うフランスでも、外国人不法滞在に関しては<容赦ない>姿勢を貫いています。

しかし、その反面<大統領>に直訴して、滞在を認められる措置を獲得出来たり、と言う事もありますし。

今回のように、日本で生まれて日本で学校に通っている、日本語しか出来無い子供のいる不法入国家族の場合、本当に複雑な気持ちにさせられてしまいます。

少なくとも、このフィリピン人家族は、税金は払って来た訳ですよね。

不法入国で強制退去処分が確定した埼玉県蕨市のフィリピン人一家の長女、カルデロン・のり子さん(13)に在留特別許可が出る見通しとなったことについてマリヤムさんは、「私より若いので精神面で大変だと思うが、いい方向に話が進めばいいと思う」と語った。(読売新聞より抜粋)

ただただ、自分に与えられたチャンスを精一杯生かして頑張ってね、と言うしか無いのか。。。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

食品の<安全宣言>に対する素朴な疑問

2009-03-14 02:39:36 | 社会問題
何か社会的に問題になった<食品>等に対して、<専門委員会>なる組織による<安全宣言>がなされる事がありますよね。

私は、かねてよりその類いの<宣言>に、疑問を抱いています。

たとえば、先日『飛騨牛』の<優性種>を保存普及させる為に、9年前(うろ覚えですが)に死んだ<優秀な個体の保存細胞>によるクルーン牛に対して、その種の組織が安全である旨、保証したニュースが有りました。

その種のクルーンは、妊娠中に流産する事が多く、出産してもじきに死ぬ小著が多い。
しかるに、今回生き延びた子牛が、検査の結果他の普通の牛と全く同じで、食品として<安全>である、という結論にいたった、との報道でした。

<出産>という語句から先ず私が考えた事は、<冷凍保存>されていたその牛の<精子>を使った<人工授精>による繁殖の事。

それだと一般的に行われている、いわゆる<人工繁殖>と同じで、ただ<精子>を提供する牡が、かなり以前に死んでいる事だけの違いで、しかもそれだと『クルーン』とは呼べないはず。

しからば、実際その牡の何らかの<細胞(恐らく精子?)>を人口培養して、細胞分裂した<胚>をメス牛の体内に入れての人口出産の事か。
それなら、クルーンと呼べるかもしれない。。
(浅薄な知識ですいません)

その子牛に対し、一般の牛と何ら変わる事無く、食品として安全である、と『安全宣言』が出された。

疑問はここからなのです。

つまり、地球上に生命が誕生して45億年、人類の誕生から500万年、営々と営まれて来た<生の営み>を支えて来た<食物摂取>のシステムに、全く存在しなかったタイプの<食品>を摂取する事が、今後どのような生体反応や影響を、食べる側に与えるのか、という命題をかくも簡単に<安全だ>と宣言出来る物なのだろうか、と言う事なのです。

摂取してすぐの反応(嘔吐するとかしないとか、病気になるとかならないとか、体調を狂わせるとか狂わせないとか)はもちろん、簡単に測定出来る事でしょう。

しかし直後に何ら特別の反応が無いからと言って、1年、2年、10年と摂取し続けた場合に、果たして生体にどのような影響を及ぼすのか、翻って何世代かの後に、やっと表れて来るかもしれないような影響などの、予測のつかない問題にいったい現時点の医学や生理学で回答出来るのか、という事なのです。

それ以前に、その<専門家委員会>なる組織のメンバーが、一体<誰が><どのような>基準で選んだ、どのような<権利>のある人々なのか、誰も知らない所に、そもそも問題が始まる訳ではないだろうか。

そして、そのメンバーが、どの様な<検査>をどのくらいの<期間>行って『安全』を確認できたのか、という次元の情報の無さに、きわめて<非科学的>な感じを覚えるのは、私だけなのでしょうか。

昨今散々話題になっている<遺伝子組み換え食品>に関しても同じです。

いや、<クルーン>問題より、より深刻かもしれません。

<クルーン>ならば、まだ既に存在した<種>のコピーで有る以上、何となく想像ができる範囲の様にも思えます。
しかし、<遺伝子の組み換え>となると、この地球上に全く存在しない有機物を造り上げて<食品>としよう、と言う訳ですから、人間の英知を越えている領域に踏み込むわけです。

<曲がらないキューリ>を造る為に、キューリの遺伝子に、ある種の<エビの遺伝子>を組み付ける、となると、これは<植物>と<動物>との合体であって、既に<ミュータント>である訳で、そんな物を我々<人間>が食物として摂取する事が、果たしてどのような影響が有るか、等と言う事はそれこそ数世代の渡っての試験と観察とを要するレベルの問題ですよね。

そんな次元の事柄を、今の時点で<数人の科学者(と思いたいが)>達が、わずか<数年の研究>のみで『安全』を言い張るなんて、一体どんな権利で言えるのか。

皆さん、そう思いませんか?

造る側は、<商業ベース>で判断をしているだけの事です。

つまり<売る為>に、神の領域にかってに踏み込んで『安全』を喧伝している。

現代の<食品事業>は世界規模のコングロマリット(アメリカ/スイス/イスラエル等々にまたがるユダや資本)が取り仕切っています。
そのような遺伝子組み換えの農作物は、自らの種の保存能力が無い、つまり一代限りという<変種>の種(タネ)を毎年毎年買わせる、そして、大変高価な<特殊な肥料>を与える必要がある虚弱なその品種のために、特許を持つ肥料を売りつける事で、莫大な利益を上げている訳です。

その種の事業に、<人間の、人類全体の生命への安全>等と言った発想は有りません。

私は、フランス農林省新種種苗試験場の、遺伝子組み換え試験を行って新種の開発を行っている所を訪れた事が有ります。

彼等は、<絶対に安全なのだ>という固い信念にたって研究にいそしんでおり、<行政による規制>と、それに影響を及ぼしている<消費者運動>に嫌悪感をいだいていたのが実に印象的でした。
その事自体は、科学者としては、実に純粋なのです。

幸いフランスの場合、農家自体の側に<遺伝子組み換え作物>に対するアレルギーが強くあって、消費者の反対と相まってなかなか商品化出来ないでいるのが現状です。

しかし、世界には作物の実りが極端に悪く、食料確保が出来なくて国民が飢えに苦しんでいる国々もおおく、旱魃や害虫に強く収穫量の多い新種にたいする需要はかなり存在しています。

そこに<遺伝子組み換え>品種のビジネス・チャンスが大きく広がっているのです。

そこまで深刻な問題でなくとも、例えば<汚染>問題や<偽装>問題等の後で、又は新種の薬品や添加物の開発によって、行政側があまりにも<安易>かつ<拙速的>に安全を宣言しすぎる事は、人類全体に対する<深い罪>だと思うのです。

特に日本の行政では、政府や地方自治体を問わず、その傾向が強い様に見えます。

その種の安全宣言をあくまで<強硬>したければ、先ず諮問<委員会>のメンバーと担当の役人の全員の氏名を写真付きで公表し、子孫末代までの責任を取る覚悟、でやって欲しいと思うのですが。

人類の種の未来に責任を持って、安全宣言をしてください。


コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご愛読感謝です

2009-03-12 05:15:20 | Weblog
私事で恐縮ですが、昨日3月11日、およそ120万程のブログ数の中に有って、アクセス数で5914位にランクされました!!

思っても見なかった。

たまたま名高いマンガ原作者の<雁屋哲>氏のブログに、<西松建設問題>がアップされていたのを見つけて、主張に共通点が有るような気がして(かってな解釈デス)、失礼ながら『トラックバック」させて頂いたら、<拒否>されずちゃんと反映されて、そのお陰であろうと、思います。

やはり有名人のブログの影響力はスゴい、と改めて納得した次第でした。

それにしても、今日のマスコミの<サンダース人形>報道のアホらしさ!

あんな事、新聞の最後の1ページ前に、三行でのれば良い程の事柄です。

それを、繰り返し繰り返し。

FNNニュースなんか<現場>から実況中継までやってくれる有り様。
「アッ、何かでて来ました!どうやら<右手>のようです。右手のような物が見つかりました!右手です!右手が見つかりました!」

全く<日本の危機的現状>を分かってるのかね、みなさん。

まあ確かに、辛い事ばっかりのなかの<心温まる>出来事、的に扱いたいのかも知れませんが、それにしても<ラッコ>の件といい、マスコミは国民をナメとんのか、と言いたくなる。

こんな事にしか神経が回らないような発想では、この不況のおり、<民放>は本当に全部倒産してしまいますよ。

政府は政府で、<政府紙幣>発行の検討なんてまたゾロ馬鹿な事言い出すし。
そんな事したら、ただでさえ昨年までの<対ユーロ>の円安でずいぶん苦労させられたのに、『円』の信用をさらに最低の所まで落とす事になっちまうよ。

渦中の<小沢>サンはといえば、「ウオン安だし、済州島買っちまえ」なんて過激な事言い出すし。
あの国の人達がこれを知って、一体どんな極端な大騒ぎを起こしてくれる事やら。。。
あなた、もっと心配しなくては行けない事が有るでしょうに。

今日は、<愚痴>を書くつもりでは有りませんでした。
あくまで<アクセス御礼>のご挨拶のつもりでした。

でも、いざ書き始めたら。。。

果たして我が祖国は、本当に安心してみていられる日が、来るのだろうか?

(私ごときが心配する事ではない)かも知れませんが、でも必死で発言し続けないと、増々歯止めがかからなくなりそうで。
今夜も夢見が悪そう。

と言う事で、今後もご愛読の程、宜しくお願い申し上げます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<小泉>再登場を願うオバカ日本人がまだいる!

2009-03-10 04:15:19 | 社会問題
今回の<西松建設献金問題>を、イライラを持って見守っておりましたが。。。

どうせ日本の政治システムを考えると、<政治資金調達>には多かれ少なかれ<危ない橋>を<危ないと言う認識がないまま>に渡って行く事は必要悪なんだろう、と半ばあきれながら見ていた訳です。

小沢民主党代表への疑惑は、<自民党支持者>側からは、ずっとくすぶり続けていたものでしたので、<遅かれ早かれ>何らかの動きは起こるだろう、とは思っていた物の。

ところが今このタイミングで、隠れ献金でもない問題で<公設第一秘書>の逮捕に踏み切ったのは、全く奇異であるとしか言い様が無い。

あるいは、逆の視点で見れば、今このタイミングでなければならなかった、ともいえる訳ですね。

政権交代を極度に嫌っていた検事総長と特捜部長が、四月の人事異動前に得点を上げたかった、そして<麻生内閣と自民党>がこれ以上落ち得ない程支持率が落ちてしまっている、まさにこのタイミングは、はかった様にぴったり両者の利害が一致するのですね。

ただ、地検側としては、あくまで<公正中立>を建前とする以上、<二階大臣>側もほじくらざるを得なかった訳で。

まあ、民主党の一番の弱点は、その<党首>に有る訳であるからして、これは痛かったに違いないけれど、想定内のはず。

でも、だからといって、また自民党が支持率を伸ばし、<次期総理にふさわしい>人の支持率で、<麻生>が<小沢>を逆転した、と言う単純な輿論の動きの軽薄さの方が、日本に取ってずっと危ないのです。

しかも、<アンケート>による首相にふさわしい人のナンバー・ワンに、また<小泉純一郎>が返り咲いたと言う事実には、呆れ返って言葉もでない。

ここまでに膿み病んでしまった日本の状況をなんとかするには、たとえ自民公明政治以上に上手くいく保証はなくとも、とにかく一度流れを変える必要が有る。

絶対に有る。

つい10日前までの輿論調査では、やっとその事に多くの国民が気がつき始めた事を、指し示していた訳でした。

しかるに、たとえ党代表のスキャンダルとは言え、政党の政策には何も関係ないスキャンダルで、流れがコロッと逆転してしまうなんて、何て考えの浅い事よ。

今の日本の悲惨な状況の原因の大半は、<小泉改革>と称する『改悪!』に有った事を、多くの日本人が認識していないという、この恐るべき事実の前に、ただただ呆然とするのみ。

<バブル崩壊>後の弱体化した日本に有って、まさに<不要不急>の些細な事に過ぎなかった『郵政民営化』などというつまらない事だけを叫びまくり、<改革>と称して民心を惑わせ(惑わされる国民も大同小異だけどね)、自民党をぶっ壊すと叫んで日本の基本的社会構造をぶっ壊してしまったのが、他ならぬ小泉某であったのです。

『改革』と先に言った方が<官軍>で、実態は果たして<改革>なのか<改悪>なのかを誰も詳しく検証せず、怪しみもせず、日本の基幹産業である製造業を<派遣法>でダメにされ、<自助努力>という耳あたりの良い言辞を労して<社会保障>のシステムをぶっ壊され、社会格差を広げて大量の貧困層を生み出して何の反省も無いにも関わらず、そのパフォーマンスだけをみてキャーキャー騒いで支持をする。

<自民党をぶっ壊す!!>と叫んで、<社会をぶっ壊した>彼の人は、昼間堂々と表通りを歩けないはずの人なのですよ。
その挙げ句に、責任を感じる風も無く、引退して<壊さずに残した自民党>の選挙区を息子に譲るダト!

そんなヤツが、次期総理の一番人気だと?


本来あの<郵政民営化>は、世界に他に例を見ないほど高額の国民の貯蓄額を誇る『郵便貯金』の資金を、アメリカに還流させたかったアメリカ政府の長年の圧力に、たまたま彼の理論が合致しただけで行われた事は周知の事実。

まさに『神風』が吹いて<モーガン・スタンレー>その他のユダヤ=アメリカ金融組織が沈没したお陰で、我々の大切な資金が、まだ日本国内にとどまっている訳で、それはあくまで僥倖に過ぎない結果論。

それでなくとも、大事な資産を、密室の中の取り決めで、某高利貸し業会社に大盤振る舞いしようとしていたのです。
(鳩山総務大臣ありがとう)

大した<政治理論>も無く(他の誰も同じだけど!)、ただ他の誰よりも変人だった彼は、有るイミ<売国奴>スレスレの人物と言われても過言ではないはずだった。

そんな人物を、まるで<韓流スター>なんてバカみたいな連中の後を追いかけ回した<オバサン連中>と同じノリで、いまだに国の舵取り役として選ぶ感覚は、バカと言う言葉ではもはや足りない。

既に<オバサン亡国論>と言っても過言ではない気がする。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

放送禁止用語のバカバカしさ

2009-03-09 05:49:03 | 社会問題
タモリの『テレホンショッキング』にゲスト出演した<某女優>の表現に局側対応のバカバカしさと、翻って、現在の日本の<上っ面文化>に、またまたイライラが嵩じてしまいました。

宝塚出身のその女優さん、音域4オクターブの歌のために、毎日発声練習に明け暮れる『凄まじさ」を表して『キチガイみたいに』とおっしゃった。。。

タモリさんが流れを逸らろうとして巧みに誘導しても、彼女再び<気違い。。。>と言ってしまって、口を押さえたとかなんとかカントカ。
その直後にCMに入り(よくやる手ですね)、スタジオに画面が戻った時<担当アナ>が『お詫び』した。

全てにおいて、ありとあらゆる<腐った中身>に気がつかないフリで(あるいは本当に気がつかない恐ろしい鈍感な場合も多い!)、表面だけ<キチンと>整えて良しとする、<全て見てくれ社会>である日本の有り様が、また姿を現した。

だいたい、<言葉>自体に<差別意識>等無いのです。

使う側の<差別意識>が、言葉を差別用語にするのだ。

『メクラ」も『ビッコ』も『キチガイ』も、一つの<名詞>に過ぎない。

使う方が<差別意識>を抱いているから、しゃべる時に躊躇する。

その、己の抱いている<差別意識>を恥じるから、あるいはそれを<糊塗>したくて、言い淀む。
なんとか<自分の潔白>を表明したくて、他の言葉で言い換えようとする。

その結果、<視覚障害者>とか、<足の不自由な人>とか、<精神障害者>とか、訳分からない言い方がまかり通ってしまった。

『認知症』など、その最悪な代表例です。
<老人性痴呆症>で何がいけないのか。

<認知症>という言い方は、あまりにも八方美人的な、全てに対して何事にも触れないような、まるで<ヌエ>のような、そのもののイミを完全に覆い隠した、薄めに薄めた言い方ですね。
おかげで、その病状の持つ特徴を完全に包み隠して、万民に事の重要性や深刻さを隠してしまっているのです。

でも、よく考えてください。

<精神障害者>なんて言い方の方が、よっぽど<差別>してるよね。
<視覚障害者>なんて、障害の無い側の<優越感>すら漂ってくる表現ではありませんかしら。

<キチガイ>みたいに走るってごく普通に言いませんか?
第一、<精神障害者>が全力疾走しますかね!?

<バカみたい>とも言えなくなってしまいますな。

<唖>や<ツンボ>という表現は、日本語の長い歴史の中で、ごく当たり前に使われて来た。
<ろうあ者>と言う方が、よっぽど相手の状態をあからさまにしてしまい、そこには完全に<差別>してるからこその、社会に差別が存在するからこその、意識が働いているのです。

しかも、今回のケースは、発言者ではなくアナウンサーという<局側の人間>が、いわば<放送局を代表して>謝ってる。

一体誰が<放送禁止用語>なんてのを決めたんだ。

そして、それらの言葉を聞き及ぶに、いちいち<クレーム>を付けてくる<聴視者>のほうにこそ、深層心理においてよっぽど<差別意識>が根深く存在している、という現実には誰も気づかない。

ただただ、表面だけ<カッコ付けて>、中身は何ら変わらずじまい。

どっちもどっちだね。

この伝でいうと、<受験浪人>も、<非正規労働者>も、<フリーター>も<オタク>も<不登校>も<落ちこぼれ>も<中小(!)企業>も<日陰>も<酔っぱらい>も<新人>も<窓際>も。。。。。全て『禁止用語』と同じレベルでしょ。

浪人は<失敗者>だし、非正規は<正規>じゃ無いから当然、フリーターは<定職>に就けない、中小企業は<大企業>じゃ無ければ企業に有らず。。。

物事全て<誰かが決めた>単一のスタイルのみが<良し>とされ、それに沿わない物事は全て<否>とされてしまい、その事を表現してはいけない事になってしまう。

かの偉大な文学者、筒井康隆さんが、あまりの禁止用語の多さに腹を立て、<断筆宣言>をされた時、多いに同感したものでしたが、それと同時に、もはや彼の名作が生み出される事が無い、という事態に愕然とした物でした。

それが一昔前の出来事。

あまりにも世の中が良い方向に向かわないため、とうとう筒井先生、再び執筆活動をお始めになったものの、その間日本が全く変わっていない、変われない、と言う現実が、大きく立ちはだかっているのです。

学校で<いじめ>に合い自殺する児童生徒がでるたびに、<いじめの事実は無かった>という報告を出す学校、教育委員会の姿勢も、全く同じルーツに根ざす、我が<日本>の病根なのです。

上っ面だけの<体裁>を取り繕う見せかけは、止めようよ。

本質に迫る勇気を持とうよ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする