晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

『のりピー入学して~介護学校が続々ラブコール』どアホ!

2009-10-31 08:34:14 | 日本人の意識と精神構造
最近日本には増々バカが増えている気がしていたが。


▶覚せい剤取締法違反の罪に問われた女優・酒井法子被告(38)に、介護学校からラブコールが続々と寄せられていることが30日、分かった。

首記のニュースに接して、とうとうここまで来てしまったか、と愕然としてしまった。

▶26日の初公判で「介護の仕事は、大変素晴らしい仕事。前向きに勉強していきたい」と宣言した酒井被告。このチャンスを、介護学校側が逃すはずがなかった。

▶酒井被告に介護の道を勧めた前所属事務所「サンミュージック」の相澤正久副社長(60)によると、初公判後、同副社長あてに介護学校からの入学案内がすでに約10通届いている。「日本介護福祉士養成施設協会」によれば、現在は介護職を志望する若者が少なく、生徒の確保に悩む介護専門学校などが多いという。酒井被告の更生の舞台に選ばれれば、この上ない宣伝効果が期待できる。
【スポーツ報知より抜粋】

二の句が継げない。

例の初公判で、被告が「介護の勉強をしたい、云々」と言ったと報じられた直後に、「介護の仕事をバカにするな!」と言う記事を見かけた。

まさにその通りだ。

いきなりでて来たこのセリフ、事務所の社長が言わせたらしいが、本当に<介護の仕事をバカにしている>としか言い様が無い。

社会を(ミーハーを)味方につけ、裁判を上手く乗り切ろうと言う戦術が透けて見える。
出所直後の記者会見の際と同じ様な<見え見え>の演技。

今まで、アイドルだ、カワイイだ、美人女優だ、とチヤホヤ持ち上げられて来た挙げ句の『覚せい剤』だったわけだ。

『介護』等と言う<崇高な>分野の職業に、もとより興味も関心も持っていたとは到底思えない。
私だけだろうか?

まあ、事務所サイドとしては、なんとか<更生した彼女>の社会における認知を早め、社会復帰を早める必要が有ろう事は、想像に難くない。

それは、<芸能事務所>の勝手。
どうぞお好きな様におっしゃいませ。

だがしかし。
社会的には、<麻薬常習>という事は、おいそれと許せる事例では無いはずだ。

所詮<芸能人>、されど<芸能人>。

その彼等の持つ社会的影響力は、計り知れない物が有る。
特に現在の様に<だらけ切った>日本という社会では、その彼等の責任は重大である。

皆に<冷たい目で>見られ続け、<無視>されながら、その辛い<仕打ち>に絶えて、頑張って、少しずつ社会に<己の居場所>を再度勝ち取って行くには、真摯な態度での相当の努力を積み重ね、自己変革を成し遂げてこそ、やっと『麻薬常用者』としての罪を償った事になるのと違うのだろうか。

よしんば彼女が<本気で>介護を学び、努力したとして、それは彼女自身の問題である。

その後、彼女を社会が再び受け入れるか否かは、日本の社会の一人一人の判断にかかっているのです。

日本は<麻薬>問題に対して、甘すぎる。
国によっては、即<死刑>と言う社会すら有る程の罪なのデス。


それを何だと!?
<このチャンスを介護学校側が見逃すはずが無かった>だダト!?

一体全体、何処まで<金を儲ける>事だけにトチ狂っていれば気がすむのだ。

<宣伝効果>?

生徒を集めるのに苦労している学校なら、(乱暴なのは承知で言うが)止めてしまえば良いだろそんな学校。

高い使命を持って社会に貢献する、神聖な職業(まあ仕事に貴賎は有りませんが)に従事する専門家を養成する学校が、<麻薬常習者>で有罪になった(なるはずです)<前科もの>を、宣伝材料にする。。。

本当時に改心し相応に罪を償った、<前科>のある人を、差別するつもりは有りません。

しかし今回のケースは、まだ償ってもいなければ、改心するかどうかも決して定かではない段階ではありませんか。

この段階で、彼女の<宣伝効果>等という発想を持つ神経が、わたくしには理解出来ません。

私なら、そんな学校には金輪際行かないでありましょう。


毎回々々、このブログで<日本の異常な現状>を憂いてボヤキ続けて来た私ですが、このニュース程、呆れ返ったニュースに接した事は、いまだかって無かった。

大人が、そこまでバカになってしまったから、高校生の間に『覚せい剤』が蔓延する状況になってしまったんだ。

悲しい納得。。。


物事の善悪の判断すらつかない人が沢山いる祖国を持ってしまった。

人は、原則として祖国は選べない。。。




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NHKのあからさまな<反民主>キャンペーンに、日本の<インテリ論客>の限界を見た気がした

2009-10-27 17:58:21 | 日本人の意識と精神構造
10月25日のNHK<日曜討論>を見た。

そこで再度繰り広げられた<アンチ民主党政権>の番組構成に、日本のマスコミの理解力の浅さと、輿論形成への危険をあらたに感じた物です。

パネラーが4人(敬称略)。

岡本行夫(外交評論家/元首相補佐官)
寺島実朗(日本総合研究所会長)
田中均(日本国際交流センター、シニア・フェロー/例の元外務審議官)
森本敏(拓殖大学大学院教授)

特に、<普天間基地移転問題>と、それに絡む<日米地位協定>のくだりには、呆れ返ってしまったのでした。

ここで、敢えて討論の中身は繰り返しませんが、彼等の発言は必ず<次の様に>始まるのです。

「沖縄にも言いたい事は有るでしょう、しかしアメリカにも言いたい事が有って。。。」
「地位協定には日本側の不利な点もありますが、アメリカ側にも不利な点は有るのです。。。」
「日本にも言い分は有るだろうけれど、アメリカにも言いたい事は沢山有って。。。」

何じゃそりゃ?!

彼等の発言は、総てにおいて<アメリカ>に軸足を置いて、<アメリカの視点>でのみしゃべっていたのです!
あたかも、<アメリカの役人>みたいに。

一見<中立な>視点で<公平に>分析している様に聞こえる所が、怖い。

彼等<エリート論客>が、<世界基準>でみた時の状況分析が出来なくなってしまっているのか、はたまたNHKの巧みな演出なのか。。。

唯一の例外が、寺島実朗氏。

彼は、まともな判断力が有る様に思えた。
彼の分析と解説は、相対的で<日本の立場>を説明出来ていた。


よくよく調べてみると、見えて来た事があったのです。

つまり、寺島氏以外は3人とも<外務省>の官僚経験者。
寺島氏だけが<民間人>。

岡本某は、<イラク戦争>に自衛隊を派兵する事を時の政府が見送った事、に抗議して辞職!

森本某は、イラク戦争を積極的に支持し、麻生政権時に<防衛大臣補佐官>に滑り込みで任官し(8月1日)、民主党政権成立に伴い9月11日に辞職(悔しかったでしょうね~)。

田中某に関しては、言うまでもなく。
それにしても彼の肩書き<シニア・フェロー>って、バカみたい。
そもそも<日本国際交流センター>等と言う訳の分からない特殊法人(ホームページで調べてみたが)自体が、明らかに<官僚救済用天下り受け入れ組織>ではありませんか。
そして、タイトル(おっと肩書き)が<シニア・フェロー>って。
英語で言えば今風なのかしらん。
(外国人留学生のお世話をする事も組織の業務である以上外国人にも解る様に。。。ってナ)
<フェロー>とのたまうからには<正規の職員>じゃ無い、と言いたいの?
<シニア>だから高度な影響力を行使出来る訳だよね。
『上級協力員??』
何か有っても<責任>は回避出来る様なニュアンスで、そしてしっかり<権力>と<収入>だけは確保してるってワケですか。

上記3名は、いずれも国立大学出で、しかし東大出はないので、最後はキャリアーから外れる可能性が大きかった。
(そしてその通りになった)

寺島氏だけは異色の配役で、<民間人>で<対等な日米関係>を主張している論客。
私大出。

何とも考え抜いた配役構成ですこと。

<普天間基地移転>の案件と、<日米安全保障条約>に対する姿勢、それに付随する<地位協定>に対する考え方を、民主党政府がやろうとする方向、やるかもしれないと危惧する方向、こう考えているのではないかと恐れている方向、にたいしていちいち<欠点>をあげつらい、<けなす>事によって、『民意』を今までの<自民党政治>のやり方のみが<正解>という方角に持って行こうという演出が見え見えであったのです。

パネラー達自身は、自分の発言に<確信を持って>いる(らしい)事が、表題に書いた通り、日本のインテリの思考経路の貧弱さ、を露呈しているのですね。

従って、日本人自身が<日本の進路>を考える時に、まるで<ゲーツ長官の随行員>みたいな発言しか出来ない<知識人>が出現してしまった。

戦後50年程、エリート達(官僚達を含めて)は、こぞって<アメリカ>に留学して学んだこと、が徐々に現在の日本人の思考回路に<ゆがみ>を形成して来たのでしょう。

前大戦の経緯から、<アメリカ>にのみ顔が向いてしまった事は、やむを得ないとは言え、日本の思想形成上、実に残念な事でした。

結果として、本人の資質の問題以前に、思考回路が偏ってしまった<知識人>を多数産み出して来てしまったのですね。。。


世界には<アメリカン・スタンダード以外の物差し>が沢山ある、という事がどうしても理解出来ない日本人が実に多い。


先日機内で隣に乗り合わせた熟年の日本人男性が、「アメリカとヨーロッパとどちらが好きか」と尋ねて来ました。
「イヤー、何と言ってもやっぱりアメリカの経済力は凄いですよね」

私の返事」
「私はヨーロッパが好きです」

と言ったトタン、相手の目が文字通り<テン>になったのです。
一瞬絶句した後「どうして?」と聞かれたので、答えました。

「ヨーロッパの方が社会が成熟してますから(人間らしく暮らせますよ)」。

相手は、当然自分の意見に私が同調するものと信じて疑っていなかったため、その後その話題で盛り上がろうと思っていたらしいのですが、手にしていたお酒のグラスが震えていて、それで会話は終わってしまいました。

そのビジネスマンは、恐らく私の言った事の意味が、永久に理解出来ないと思います。。。


すべてが、このようにして、世界からみた<日本>が偏向して行くのです。

それより、<政権交代した>からこそ、多くの事柄が変わって行くという事に、まだ多くの人々は(マスコミも含めて)理解出来ないらしい。

何でもかんでも、今までの政策というか既成事実の価値観でのみ<反対>し続けることに、何の疑問も抱けていない。

もちろん<時の政府>を批判したり、牽制したりする事は、きわめて必要で、重要な事です。

民主主義は、権力の暴走を民意が食い止める事が出来る事が、その利点でる訳です。
民意を正しい方向に導く事が<マスコミ>の役割であり、その為に正確な情報を国民に提供する事が、報道機関の役割であるはずです。

そこで、日本の実情を見てみると。

今まで、自民党政権の暴走を食い止めて来たか。
国民の6人に1人が<貧困層>等と言う社会を作り出して来た政治に、叛旗を翻したマスコミがあったか。

NHKを含めて、あらゆる報道機関は、恐らく<赤旗>だけを除いて、政府の政策に唯々諾々と従い続けた論調に終始して来たのではなかったか。

そして、政権が変わったトタン、とにかく反対意見のみを全面に打ち出して報道する。

民放は、知能指数が低いのでハナっから期待はしてはいませんが、NHKのここ1ヶ月の報道姿勢は、素人目にも解る程偏向している。

<週間子供新聞>においてすら。
テーマ(例えば<八ッ場ダム>など)で、子供達のレポーターに、現地の<中止反対派>だけを取材させて、彼等とのインタビュー映像のみを流して、子供達に中止反対の流れしか考えられない様な構成になっていた。

最近頻繁に流れる<NHK特集>は、完全に反政府のイデオロギー形成の為、としか思えない演出になっている。

私は、<民主党政権>がすべて良い、等とは全く思っていません。
特に『外国人参政権』など、体を張ってでも阻止したい思いです。

しかし祖国日本を、若者がどれだけ自助努力しても自分の将来を切り開けないような社会にしてしまった、一部上場大企業と、その利権に群がる族議員達と、そして国家財政が破綻していても既得権益を手放さず<吸血ヒル>の様に張り付いて自分達の利益をまもる官僚組織と、のみが潤う歪んだ社会にしてしまった、いままでのシステムを変えて欲しいから、政権交代を支持しているのです。

ところが、新政権が言い出す事に反対する事の為ダケ、の報道姿勢。

もはや、理解力不足とか、旧制度へのノスタルジーなどの次元の話ではなく、困難な社会に暮らさざるを得ない一般の国民ですら、<新しい事>への転換に<反感>を抱かせる様な姿勢の報道は、<報道機関>が国民の利益の方を向いていなかった、ことが明らかになった訳でした。

しょせんは<マスコミ>も搾取する側だったのだった。

友人が最近言った言葉。

「今のNHKはあまりに酷い。私の様なノンポリで、政治に無関心な人間ですらわかる。もしクーデターでも起こったら、NHKは躊躇無くクーダター側の宣伝活動に協力する放送を開始するに違いない、そんな姿勢に見える。。。」
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祝!『日本は米に取って最も厄介な国』 / 日本もやっと<対等な>国家として振る舞える様になったか。。

2009-10-25 01:25:55 | 世界に置ける日本
ワシントン・ポスト紙によると。

▷国務省高官談として「今最も手に負えない国は中国ではなく日本だ。日本の政治家は公然と米国に反論するようになった」と発言したと伝えた。

おいおい、<公然と米国に反論>する事が何かいけない事なのか?

先のゲーツ国務長官のあの発言態度は、アメリカは未だに日本が<占領下>に有ると思っている事を、いみじくも吐露してしまった。

▷ゲーツ米国防長官は、「日本が在日米軍の再編計画を取り消すなら、深刻な結果を招くことになる」と警告した。

<警告>だそうな!

長官は態度を硬化させ、日本政府に現行計画を早急に履行するよう要求。

<要求>ですト。
原語では<MUST>を使ったらしい。
「・・・ネバならない!」

そして国防長官は防衛省での栄誉礼や歓迎食事会を断った。

何とも大人げない、と言うか、子供じみた態度である事か。
これが<一国を代表して他国を訪問する>、政府要人の態度だとは到底考えられない。

つまり、<植民地>に来たご主人様の感覚なのだろう。

本来<外交>と言うものは、<対等な>国家同士の交渉事のはずである。

ところが、日米関係は戦後60有余年、全く異なった様相を呈して来たのでした。
誰もが知る通り、自民党政権は、<ご主人様>アメリカの<ポチ>である事に、喜びを見いだしていたのではなかろうか、と言える程までに、<卑屈>な追随外交に終始して来た。

そして、そのツケが、今<やっと>形となって我々日本国民の眼前に姿を現した、と言えるのではなかろうか。

そもそも『日米安保条約』も、その『地位協定』を伴って、あまりにも極端な<不平等条約>である事に、異論を挿む人はおるまい。

そう言うと必ず、「日本は自らの血を流さず国土を守ってもらって来た。それに対して負担は当然。。。」と言い出すマゾが常に居る様です。

とんでもない。

以前にも拙ブログに書いて来た通り、アメリカが<日本の再軍備>を望まず、アメリカが<日本を防波堤>にして中ソを封じ込めようとして、アメリカが<自ら求めた形>の条約であった訳です。

そして自陣営の台所をまかなう為に、アメリカが<日本の経済発展>を望んで、日本の軍備を望まなかった訳です。

日本は、彼等の望みをそれこそ<忠実に>守って、必死で経済の繁栄を追求して来たのであった。

日本という<浮沈空母>が有ったからこそ、彼等アメリカは<ベトナム>で、<カンボジア>で、<パキスタン>で、<アフガニスタン>で、<イラン>で、<イラク>で、好き勝手な事を繰り返して来られた訳だし、日本という防波堤で中ソを押さえ込んでいられたからこそ、<コンゴ>で、<ニカラグア>で、<チリ>で、世界の隅々で彼等の産軍共同体の利益追求に邁進してくる事が出来たのでありました。

結果はどなたもご存知の通り。

ありとあらゆる<地域紛争>を引き起こし、拡大し、<民族間の紛争>を助長し、<宗教間の対立>を激化させ、その時その時の彼等の都合で、それまでの味方を裏切り、敵だった相手を応援して、いまある忌まわしい混沌とした世界を作り出して来た。

彼等の軍備の<棚卸し>の為に5年ごとに<地域紛争>を引き起こし、彼等の軍備を一新して国家の産業を潤す為に、10年ごとに<大掛かりな戦争>を繰り返して来たのです。

『世界の警察官』等とおこがましい事を自惚れながら。

それらの<馬鹿げた>反人類的行為に、大きく貢献して来たのが、我が日本の経済的繁栄だった訳だ。
ありとあらゆる彼等の要求を充たし、巨大な財政赤字を、彼等の国債を無制限に引き受ける事で支えて来た訳でした。

総ては、無能な外務官僚達の誘導のまま、自民党政権は何の疑問も抱かず、土下座外交を続けて来たのでありました。


時は移り、(奇跡的に)『政権交代』が起こった。

政権交代と言うものは、文字通り政治の実態が変わる、と言う事なのです。
当然、政策も変われば、外交方針も変更になるのが、当たり前。

どうもそこの所が、一部の国民も、マスコミも、アメリカもが、お解りになっていない様だ。
<自民党(公明党)>の看板が<民主党>に変わっただけで、今まで通りの<政治プロセス>が続く、と思っているらしい。

<八ッ場ダム>しかり。
<羽田空港のハブ空港化>しかり。

今までの考えを見直す事が、<政権交代>のイミであり、その為の<交代>なのだ。

60年以上に渡って、ありとあらゆる利権の対象となって行われて来た事業を見直すのに、時間がかかって当たり前。

それこそ、来年度予算にしても、旧政権の後始末を引き受けながらである以上、とりあえずは思い通りには行かない事ぐらい、選んだ有権者は、解ってあげるべし。

まして、未だに<旧政権の物差しで>しか新政権が測れない事の不自然さに気がついていないマスコミは、国民をミスリードしかねない現状に、大いなる不安を抱かざるを得ないものです。

とりあえず、日米は<対等の国家>になりましょうや。

何も、日本が米軍に<是非にも>居てもらわなくても良いのですから。
沖縄の県民の苦難は計り知れないものが有る事は、当然ながら、もし米軍の変わりに<自衛隊>が駐屯するのであれば、彼等の不満も不安も、現状とは違う次元のものになるであろう事は、想像がつく。

東西冷戦はもはや無く、一体<何故>米軍は日本に居座る必要が有るのか。
第一、先だっての<北朝鮮ミサイル>問題の時、「アメリカに届かない以上、北のミサイルに対してアメリカは何もしない」と明言したのはゲーツ本人ではなかったか。

守ってもらえない事が判明している<軍事同盟>に、地元民の多大な苦痛と、国民の巨大な血税とを費やして、相手方の都合のみに合わせなければならないいわれが、一体何処に有るのか。

貴重な<ジュゴン>の生息地を破壊するシュワブへの<ヘリ滑走路建設>に、一切何の反応も見せない<グリーン・ピース>共々、アメリカは自分達の利益の為にのみ、日本を利用しているだけである。

どうしても日本国内に軍隊を駐屯させたければ、駐屯させてくれる国の都合に合わせて当たり前だと思いませんか?
何故に、米軍の都合に合わせて、基地を提供する側の我々が<我慢>しなければならないのか?

敢えて言えば、<軍隊>と言うものは<技術スペシャリスト>なわけで、そんな存在が<自分達に取って理想的な>シチュエーションでないと、作戦行動が取れないとしたら、そんなものは既に<専門家集団>とは言えないであろう。

与えられた条件で、いかに最良の結果を出すか、が専門家の仕事であるはずだ、

「キャンプ・シュワブ以外の選択はあり得ない」と恫喝するゲーツの無礼さは、もはや外交ではない。

此処へ来ての、『アメリカに取っての問題は中国ではなく日本だ』と言わしめている現状は、やっと日本の本来有るべき姿にたどり着きかかっている事の証でもあろうか。

日米同盟が不要だと行っている訳ではない。

ただ、新しい<政権>が提示する内容が嫌であるのなら、出て行けば良いだけの話。
とりあえず、北朝鮮しか<脅威>の無い現代において、ぜひとも<米軍>に居て頂かなければ立ち行かない日本、ではないはず。

その<北朝鮮>の脅威の可能性に対してすら、米軍は期待出来ない事が判明している訳です。
もし日本から<日米同盟>を解消したい、と言う事になれば、アメリカはもちろん、中国も多いに慌てるはず。
なぜならば、日本の<核武装化>を最も恐れているのが、アメリカであり、中国であるからである。

もちろん、日本人が、自ら<核武装>する気にはならないと思うが、米中(そして韓国も)そうとは思わない。
皆が、日本の<核技術>の潜在能力を恐れているのです。

それこそが、<抑止力>たり得るであろう。

日本がそう言う方向に向かう(かもしれない)可能性を感じるや、アメリカの方から<日米同盟>を求めて来ざるを得ないはずです。

そう言うパワー・バランスの上に有る以上、その<同盟>なる物が、正常な対等国家間に於いての姿に立ち戻るべきだ、と言っているのです。

民主党には、そのマニフェスト通り<日米関係の正常化>に、是非全力を費やしていただきたい。

あらゆる<総ての負担>を日本に押し付けて、アメリカはそれこそ<やりたい放題>に、世界情勢を引っ掻き回して来た。

世界同時不況も、イスラム過激派のテロも、アジアやアフリカや中南米での民族紛争も、はてまた、地球の温暖化から異常気象に至るまで、彼等アメリカ人が関わって来た責任を、敢えて言えば<彼等の罪>を、そろそろ彼等も、理解すべき時に来ている。

ひるがえって我々日本人も、今までの<自民党政権>が、いかに祖国をゆがめて来たのかにも、そろそろ気がつく時である。

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<オリンピック招致>活動の背景に、日本人の意識の危機的状況が透けて見える。。。

2009-10-14 07:46:42 | 日本人の意識と精神構造
旧聞に属しますが、<東京オリンピック招致運動とその失敗>に、いつもの事ながら日本人の国民意識の欠乏に、危機感すら抱いてしまった。

そして、いきなり降って湧いたような<長崎・広島共同招致活動>の話で、役人の<セクタリスム面子主義(?)>にあきれてうんざりさせられたのです。


先ず『東京オリンピック』招致の失敗。

国際オリンピック委員会の招致委員から聞こえて来た第一の敗因は、<国民の間での盛り上がりに欠ける>という点。

ヤレヤレやっぱり。

前にも拙ブログに書いた通り、今の若い世代の中には<日本人>としての、国民意識と言うか、帰属意識というか、はたまた愛国心と言うか、が欠如している人が結構居る、と言う事です。

要するに、日本人としての<プライド>など無いのですナ。

『日本国パスポート』を所持出来る事の、<幸せ>に気がついていない。

むしろ「日本人でなくともかまわない」などと放言する若者すら居る(居たのです実際)ことに、危機感すら覚えてしまうのは、年寄りの偏見とは言い切れないはずです。

世界中、どんな地方の人であれ、自分が生まれ育った大地には、強い愛情と、固い帰属心をはっきりと抱いているものです。

そのような感情が、一部の日本の若者には欠けているような風潮が散見できる。

たとえ、新銀行東京の問題その他でミソを付けた<石原都知事>の個人的パフォーマンスから始まった事かもしれないとは言え、たとえ経済危機のなか税金の無駄遣いに思えるかもしれないとは言え、実際に招致運動が始まっていた以上、多かれ少なかれ精神的にバックアップしてあげるのが、ごく普通の素朴な国民感情なのではないか。

「別に」
「興味ないし」
「金のムダ」
「反対」
東京開催への意識調査での若者のインタヴーへの答え方を見ていると、いらだちを覚えてしまった。

要するに、日本人であるという意識、そこからわき起こる連帯感、みたいなものがあまり欠けている。

そんなだから、国際的貢献だの、それに対する世界的評価だのと言った事が、いくらお金を出してもあまり大した結果を得られないこの現実を生んでしまっているのではないのかしらん。

火事とけんかと<祭り>が大好きだった『江戸っ子』の血は、いったい何処に消え失せたのやら。

こんなご時世だからこそ、『オリンピック』というひとときの狂騒に沸き立ち、日頃の閉塞感から脱却する精神的エネルギーを得る事が出来る(かも知れない)良いチャンスであっただろうに。

国民のかなりの部分がドッチラケていれば、五輪委としても、選んでくれる訳がないよな。


先年、カメルーンの地方都市で、現地の小学校を訪れた時のことです。

一年生の教室で、「カメルーンってどんな国ですか?カメルーンの良い事は何ですか?」という我が方の問いに答えた女の子(当地の小学一年生は、フランスと同じシステムだから6歳です)の返事が、忘れられないのです。

立ち上がって胸を張って言った返事。
「私の国には戦争が有りません。私の国は平和です。それが私は誇りです。」

悲しい事に、サハラ以南のアフリカは、戦火が絶えません。

軍部がクーデターを起こす。
部族間の対立、宗教間の対立に寄る虐殺の連続。
選挙の旅に、対立候補側の民族を虐殺する。
民兵団が幼い子供まで取り込んで、機関銃とバズーカ砲で武装して得意げに練り歩く。

そんな国々がまわり中に多い環境の中で、<カメルーン>は政情が安定しており、内戦も、外国軍の侵攻もないのです。

そういう点を自国の誇りとしてとらえている、6歳の小学生にも感心したものですが、それ以上に、彼女の輝く瞳と胸を張った姿勢とから、自分の国にたいする<誇り>やら<愛情>やらが伝わって来て、カメルーン人で有る事の<プライド>が溢れるように伝わって来た事に感動したのでした。

それに対して、相手からの「日本と言う国はどんな国ですか?」という質問に、その場に居た7名の日本人の若者達(20~30歳)の誰一人、何も答えられなかった。

文字通り、日本という国を説明出来なかったのです!

島国である事も、従って周りのすべてが海に囲まれている事も、ほとんど資源が無い事も、従って資源を輸入し、加工し、工業製品を輸出しないと食べて行けない国である事も、有史以来一度も他国に支配された事がない事も、戦争で壊滅的に破壊された後、必死で再生して来た事も、マンガやアニメを生み出している事も、お米を主食としている事も、なんにも言えなかったのです!

自分自身と、自分を生み出し育んで来た国土と、そこに営まれて来た歴史も文化も何もかも、認識していないのですね。

もちろん、あらかじめ決まっている正解にたどり着く事をマルバツで選ぶだけの能力を養う教育しか行われず、自分で考えて、自分で分析して、自分で表現する能力開発がなされていない<日本の教育システム>にも、それからあまりにも左傾している<日教組>のやや偏った教育にも、問題は有るのでしょうが。。。

カメルーン対日本は、日本側の惨敗におわったのでした。

自国でオリンピックを開催する事への、興味も賛同もない人々が結構な数に達する事実は、世界的常識から言えば、やはりかなりいびつな現象だと言っても良い様な気がします。



それから、ここに着て急に出て来た<長崎と広島とのオリンピック共同招致>の動きについても。

広島県知事曰く。
「全く何も聞かされていなかった。これでは協力はできない。国の財政的支援は要らないのだと判断せざるを得ない」

ケッ!
またか。

事前に自分の耳に届いていなかった事によって、直ちにネガティヴに反応してしまう、例の役人根性がまたもや出た!

さらにJOC委員の一人曰く。
「これ(JOCに対して事前の根回しがなされなかった事)によって、国を挙げての招致活動は不可能になった、と言っていいとおもいます」

お前さんもかい。

今まで、長崎と広島が、このような形で世界にアピールしようと言う行動パターンは、誰も思い浮かべる事が出来なかった。

いくら『原爆記念日』に小学生が「核兵器は絶対使用しません!」と誓っても、被爆者が訴えても、あくまで日本社会の中の、そのまた一部の環境での、いわば<内輪の>儀式であって、世界に向かっての発信力は、悪いけれど<無>に近いものだった。


そこへ持って来て今回の発想。

知事も、JOC委員も、そういう発想が出て来た事に喜び、協力を申し出るのが、まっとうな発想だと思うのです。

しかるに、自分が無視されて、いきなり話が出て来た、と言う事で<即>へそを曲げて反対の立場に立つ。

まるで5歳のガキの行動パターンですな。

役人の縄張り意識と言うか、上意下達(知事のほうが市長よりエラい?)を無視された腹いせというか、はたまた人間の器の小ささ故か。。。

元々、日本でサミットをやる際は、『原爆ドーム』でやるべき、と言うのが私の持論なのですが、そういった<世界にいかにアピール出来るか>といった考え方は、政府を始めお役人方には、浮かんで来ないのですね。

日本でしか通用しない<偏差値>という物差しでのみ選ばれてエリートが形成される我が日本では、決まった答えにたどり着くテクニックは磨かれても、残念ながら世の中<回答の無い命題>の方が圧倒的に多い訳で、柔軟に発想して、存在していなかった正解を産み出す能力は無い。

先ず結論ありき。
それに沿って、一部の隙もなくプロセスを決めて、邁進する。
しかるに<想定外の事態>には、まったく正しい対処が出来ない。
粟くってあわてふためき、あるいは何をしていいのか分からなくなってボーゼンとして、挙げ句には必ずと言ってよい程<すべって>しまう。

政治も経済も外交も。

そういう社会構造のなかで、たとえ<オバマ・ブーム>から出て来た(らしい)とは言え、今回の長崎と広島両市長の発想は多いに評価に値する発想であると考える。

両市長に敬意を捧げたい。

そういえば、<石原都知事>が『招致活動に皇太子様にお出ましを願いたい」と再三働きかけたのに対して、例に寄っての<宮内庁>の反応の<ケツの穴>の小さかった事。

<自分達のお宝>の行動は、自分達以外に口を出されて決めてなるものか、とばかりに拒否っていた。

各国とも、大統領や王様等<国家元首>が出てくると言うのに、「皇室が政治的に利用される恐れ。。。云々」という答えのバカさ加減。

そういう<象徴的>な事柄にこそ<皇室>の出て行くべき存在意義が有るのではないか。

この事も含めて、日本の役所と役人の<発想の浅ましさ>と、若者層の<国民意識の欠如>とに、またもや、多いに祖国の将来を憂うはめに落ち入ってしまったのでした。

ヤレヤレ、どいつもこいつも。。。
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「2009年 何じゃそりゃ! 大賞」/『ノーベル賞』は<期待値>に対して贈られる様になったのか!

2009-10-10 19:48:51 | 国際関係
受賞理由。
「世界の核兵器の廃絶を求めた」

だったら、歴代の<広島市長>と<長崎市長>も、当然受賞すべきだ!

選考委員の一人のコメント。
「彼の求める事を、我々も支持する、ということ」

言うだけタダだよ。
誰もが支持出来る事を言う人は、沢山おりますな。

鳩山首相の、NO2輩出25%削減だって、期待する人も支持する人も(日本国内以外には)大勢おります。


だいたい『ノーベル平和賞』はヘンだ。

佐藤栄作!
ゴア副大統領!
金大中!

いずれにせよ、これらの受賞者達が、福者マザー・テレサや、ネルソン・マンデラや、マーティン・ルーサー・キング師等と、<同格>に置かれる事自体が、これらの受賞者達への<侮辱>以外の何物でもない。

毎年<受賞者>を決めなければいけない、と思い込んでる(みたいデス)選考委員会が、おかしいのでしょう。

<該当者無し>という年があっても良いはずではないでしょうか。

第一、<世界の平和や紛争の解消>等に<大いなる貢献>をする人(や団体)が、そうそう毎年毎年いる訳が無い。

<黒人>ながら<世界最強国家の大統領>になった。
そして、その<世界最強の軍事国家の黒人大統領>が核兵器廃絶を<訴えた>こと、で選ばれた訳だ。

今回の<オバマ受賞>は、国境なき医師団等の組織にすら、申し訳ない気がするのは、私だけだろうか。。。

『ノーベル平和賞』への信頼は、再び大きく揺らいだ。
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日本が日本で無くなった日

2009-10-06 01:04:53 | 日本人の意識と精神構造
毎日新聞の記事によると、私が最近言い続けている事を、何と<あの>亀井大臣が言ってくださっていた。

少し長くなりますが、ほぼ全文を、引用させて頂きます。

▶亀井静香金融・郵政担当相は5日、東京都内で行われた講演会で、「日本で家族間の殺人事件が増えているのは、(大企業が)日本型経営を捨てて、人間を人間として扱わなくなったからだ」と述べ、日本経団連の御手洗冨士夫会長に「そのことに責任を感じなさい」と言ったというエピソードを紹介した。御手洗会長は「私どもの責任ですか」と答えたという。

 会員制情報誌「内外ニュース」主催の講演会で述べた。亀井担当相は御手洗会長との会談時期については明らかにしなかったが、関係者によると、8月の衆院選前とみられる。

 亀井担当相は講演で「昔の大企業は苦しい時に内部留保を取り崩して下請けや孫請けに回した。今はリストラだけをしている」と話し、昨秋以降の経済危機で、派遣契約解除などをした大企業の批判を展開。「(大企業が)小泉改革に便乗して日本型経営を捨てたことが社会をおかしくした。責任を感じなければだめだ」と企業の経営姿勢や経団連を批判した。【引用終り】


まったくもって、その通り。

<リストラ=リストラクチャー>という言葉は、組織構造の再編、という意味です。

つまり企業としては、会社の<あらゆる構造を>文字通り改革する事で困難に対処する、と言うのが本来のあり方であり、言葉の意味のはず。

ところが、何時の頃からか、「首切り」という言葉が聞かれなくなったとおもったら、「リストラ」という<横文字>を使って、どんどん人員整理をやる様になった。

この現象が何時頃始まったのか定かではないが、横文字で物事の本質をごまかして安易な行動を取って、良しとする風潮が蔓延しだした頃から、我が祖国はおかしくなった気がする。

数年前まで、あの<大トヨタ>さんは豪語しておられた。
「うちは内部留保だけで、全社員が10年は簡単に食って行ける。。。」

それが、リーマンショックとやらで、営業成績が振るわなくなると、直ちに<期間工>と<派遣工>をいとも簡単に切り捨てた。

経団連会長、名誉会長を歴任している<名経営者!>が一たび先鞭を付ければ、「トヨタさんがおやりになるのだから、やって良いんだ。。」という風潮が経団連内部にすぐにおこり、現会長のキャノンがたちまち同調するに及んで、後は皆様のご承知の通りの社会状況が出来するに及んだ訳です。

何時頃から、こんなやり方がまかり通る様になったかはさておいても、奥田某、と御手洗某は、万死に値する社会的責任を追っている、言って差し支えないと思うのです。

トヨタにとっては、正社員以外は<社員>ではない事を高らかに宣言した訳だ(まあ解ってはいましたがね)。


すべては<アメリカ型自由競争経済>信奉者達が政官に溢れ出した事が、今日の日本の<惨状>を招いた。

弱者を切り捨てる発想と、効率追求一辺倒の発想は、表裏一体をなして、驀進してしまった。

アメリカしか見ていない<近視眼的>視野の官僚達と(世界中にはアメリカ以外のモデルが数多くあるんだヨ)、それに踊らされた政治家達が、<学問>だけの知識しかない学者(?)を知恵袋にして重用する様になるに及んで、経済的にも社会的にも、歴史的にアメリカの厚みに及びもつかない小国日本で、ただシステムだけ(と言うより発想だけ)真似してみても、上手く行くはずが無いと言う事は、政治にも経済にも素人の私ですら、解る事だったのに。

やはり、バブルの発生を許した当時の大蔵官僚と担当大臣が、後に日銀総裁やら首相になるわけだから、根っこはもはや25年以上も前から始まってはいたのだろうけれど、明らかな直接なる犯人は、やっぱり小泉某とアノ学者大臣が、A級戦犯なのだろうかしらん?
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