晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

決選投票まで後一週間。投票する候補がいない…盛り上がらない大統領選。

2017-04-29 18:16:14 | フランスと日本の文化比較
仏大統領選の第一回投票、いわば予選リーグが済んで、決勝トーナメントにあたる第二回投票まで2週間の選挙戦。

その半分が過ぎて、フランスは混迷の度を深めてきた。

なぜならば、候補者がいない。


元来、フランスは第二次大戦後の第五共和国になって以来、常に左右の対決で今日まで続いてきた。

拙ブログを始めて以来、頻繁に書いてきた通り、ローロッパは階級社会。

今は、官吏階級と労働者階級。

教養も人生観も生活様式もまったく違う。

それを政治的に集団化すると、「右派」と「左派」とに分けることが多かった。

右派はウヨクとは違うが、複数の保守党が利益代表者であり、左派もサヨクとは違うが、通常は「社会党」「共産党」が代表してきた。

中間層は一応官吏海草に含まれ、保守で右派。

労働者は組合に属し、その組合毎に政党が違う。
正しく言えば、自分が支持する政党の傘下の組合員になる。

弱小政党も含めて、各政党は選挙には必ず候補者を立て、第二回に残れなかった政党とその支持者たちは、上位二名の決戦投票に残ったそれぞれの左右の候補者に投票する。。。


ところが今回は、右派も左派も自分たちの候補を持た無い選挙となってしまった。

一回目で一位となったエマニュエル・マクロンは、中道右派ということになっている。

社会党の党員として積極的に活躍していたにせよ、政治家としてのキャリアが見えにくく、思想的に確立していと思われている。

言っていること、やろうとしていることは、けっこう新自由主義的なところも多い。
ロスチャイルド銀行の頭取に気に入られ、ネッスルの毛営幹部を務め、億の単位の年俸を取っていた彼は、とても「左派」の代表とは言い難いと、思われている。

かといって、社会党の重鎮ジャック・アタリに見出されて政治の世界に入り、ミッテラン政権の重鎮ジャン・ピエール・シュヴェルヌマンの側近で、現大統領フランソワ・オーランドの経財相を務めた彼が、右派側から言えば「サヨク」そのもの。


他方マリーヌ・ル=ペンは、ギトギトの極右。

左派からも右派からも、アウシュヴィッツの存在を否定し、ナチを信奉する、蛇蝎のごとくに嫌われてきた極右政党『国民戦線』の現党首で、先代の名物男ジャン=マリー・ル=ペンの実の娘と来ては、到底支持できるものではない。


というわけで、今回の大統領候補は、右派からも左派からも「自分たちの代表」が居ないとう、極めて変則的な選挙と相成ってしまったのです。


こうなると、あとは憎悪のぶつけ合いで、敵の敵は味方、味方の味方は敵、みたいな「ワケワカメ」状態に立ってしまったワケなのです。

政治的立場というより、嫌悪感のぶつけ合いのような。。。

街角の選挙ポスター掲示板は、引っ剥がし合いの様相。

とっても嘆かわしい状態。



エマニェル・マクロンは、エリートの中のエリートみたいな人間ですが、以外と苦労人なのです。

彼は、北部フランスの都市アミアンの出身。

高校二年までアミアンで過ごし、三年からパリの超名門校『アンリ4世高校』に編入した。

今でこそ衰退しているものの、その頃のアンリ4世高校といえば、同じくパリのルイ・ル・グラン(ルイ大王)高校と並んで、shぽうわ40年代種痘の日比谷高校みたいなものだった。

日本以上に超超学歴社会のフランスでは、学校格差は日本どころではないのです。

地方の高校から(おそらく成績優秀だったであろうが)全国の高校最高峰の最終学年に編入するという、リスクというか冒険に飛び込むには相当の自覚と野望とがあってのこそ。

普通入れてもらいない。
地方の高校の成績優秀でいた方が、いきなり最終学年だけ超一流校に入って、その中でどういう成績を取れるか不透明である以上、その後の進路の計算を立てにくい。

フランスは世界の中でも極めて珍しい学校制度を確立しているのです。
しかし、そのことは今日は話題にしない。

彼はアンリ4世校を終え、高校卒業資格試験バカロレアはS(数学・理系)で最優秀のメンション付きで合格すると、大学よりもっと高度な『大学校(グランド・エコール)』に進むための「予科」に残る。

最終学年だけ在籍したアンリ4世校の予科に、そのまま進めたこと自体彼の優秀さを物語る。

2年の予科在籍ののち、フランスの最高学府『国立行政院(ENA)』に願書を出したが、2年連続で筆記試験に失敗。

第一回目の挫折。

しかし彼はパリの大学に進む。
予科の2年は大卒(学士)扱いなので、3年生(修士課程)に編入して、なんと哲学を専攻した。

パリ第10大学(パリ=ナンテール大学)で哲学修士号、上級修士学位を取得と同時に『パリ政治学院(シアンス・ポー)』(ENA、ポリテクニーク、ENSの三大GRANDES-ECOLESに次ぐ難関校)に進み、24歳で卒業ディプロムを取得。

これだけでも十分なエリート資格なのだが、さらに彼はここから念願のENAに進学に成功。


要するに一部で言われているようなボンボンとはまったく違う、ものすごい努力と才能に恵まれた人なのです。


フランスのエリートは、右も左も最高学府を出ていて、エリートとしては同格。

権力の座にあるとき(与党の間)は要職を歴任し、政権を失えば大企業や国の機関の要職を歴任する。

そういう意味では、仲間同士みたいなものではあっても、政治の土俵では政策の目標が「企業」か「国民」か、しっかり左右に分かれている。

そういう意味で、マカロンはイメージ的に損をしている。



マリーヌ・ル=ペンは、出来損ない。

創業家の二代目。

わずか80名ほどで45年前に創設された Front Natinal (国民戦線)という極右政党は、創業者ジャン=マリー・ル=ペンの、常に喧嘩腰で、歯をむき出して醜く歪めた顔でアジ演説をする、ナチスムん傾倒し、社会の問題のすべてをイスラム移民のせいに初手を罵倒し、フランス国内の日の当たる場所には居所がないという感じで、ひねくれたハグレ者たちの集団だった。

時代が違っていれば、スタジアムで暴力沙汰を起こすフーリガンになっていたか、もしも中東に生まれていれば<IS>を組織していたかもしれない、要するに哲学のない反体制の象徴で,逆に言えば社会に必ず少数存在するヤクザ者たちの受け皿であった。

そういう理由では、それに集う社会的落ちこぼれで弱者でもある不良大人たちのシンボルのジャン=マリーの娘として、取り巻きからはちやほやされて育ってきたわけだ。

父親自身が、自分の狂犬的言動にブレーキをかけて、政治勢力としての存在を確立しようと奮闘していた右腕たちを追放したりというかなりのバカ殿ぶりを見て育ち、結局FNの党首を引き継いだあと、父親を締め出してその影響力を排除してしまった、ツッパリ娘でもある。

まったく畑違いだが大塚家具の娘みたいな、危うさがある。

教育は、国の舵をとる立場を担うような階層のそれとはまったく違って、単にパリ第二大学(Paris=Assas 大学)で修士どまり。

今の時代なら、極めて平凡で中間層にすら止まれないレベルの教育しか受けられなかった。

政治学はおろか、社会経済学、その他リーダー層を担う分野の教養はまったくないに等しい。

ただ、FN自体が代替わりした分支持者たちも代替わりしてきており、世代が若くなってくるにつれ国の「経済的問題」の多い時代にそれぞれの分野でまともに暮らすのに困難を覚えている人たちに「目先の受け」がよく、支持を拡大している。

マリーヌ本人の力量でというよりは、右肩下がりの時代の流れが必然的に味方した、という感じ。


そこで本題に入れば、安定した社会の延長を求める「保守層」は、必然的に右派であるフランス人社会にあって、マクロンの姿はサヨク的に見える。

「サヨクに政権が移ったら、私はフランスから出て行く!」と喚いてる老婦人がいたが(左翼政権の最中なのに)、彼の立場をよく表している。

では、その老婦人がル=ペンに投票するのか。

これまでなら「ありえない」ことだった。

ただ、トランプ大統領が登場し「あの手の」リーダーが、あんな風な滅茶苦茶なやり方を『アメリカ』でやっている現状を見るにつけ、ためらいが薄れ始めているようなのだ。

EUという鎖が『フランス共和国』を縛り付けている。
共通政策の足枷で、農業を筆頭に各種産業が「コスト(人件費)」の低いEU内の新興諸国に太刀打ちできない腹立たしさ。

農産品は、EU毛生直後はスペインとイタリア、その後ギリシア、そして今やハンガリーはチェコ、スロヴァキア、ルーマニアなど
もともと物価の安い、従って人件費も安い新加盟国に対抗できずに多くの農家が廃業の憂き目を見ている。

何しろ、ハンガリーの人件費はフランスの1/8なのだから。

経済的に国境がない以上、長距離トラックや観光バスなども完全にシェアーを奪われてしまう。

フランスやドイツの税金である供出金で、旧東欧各国に高速道路やその他のインフラを建設する腹立たしさ。。。

ヨーロッパが「なぜ」統一しようとしてきたのかという背景、その理由や目的、それがもたらす筈のもの、という価値観に理解の及ばない「労働者層」は短絡的にEU反対を唱えるル=ペンに共感を持ってしまう。


右派は右派で、経済的背景以前にフランス共和国の存在価値の低下、EU 官僚の独走に見える理想主義運営に反発し、EU政策がこれまでと変わらないマクロンに批判的視線を投げてしまう。

それに加えて、イスラム移民の多さ、彼らの社会のフランス社会に溶け込めない状況による社会の矛盾(溶け込めないのは、イスラム移民たちへの差別が有形無形に存在するからなのだが)がもたらす周辺自治体の荒廃、社会的安定の揺らぎ、治安の悪化、などなどに日々ふれていると、どうしても『EUの移民政策』には承服しがたい。

その感情は、国民戦線の側と同じ線上に立ってしまっているわけだ。

そんな右派保守派の市民たちは、マクロンに二の足を踏んでしまう。

しかし、だからと言ってル=ペンに大統領になられるようなフランスはありえない。


思いは千々に乱れ、複雑に交錯し、最終的は互いの反対派への憎悪が膨れ上がって行く、非常に理性にかけた選挙戦になってしまっている。


二大勢力の戦いであるフランス社会は、政治も二大勢力の戦いであった。

右派の政治が庶民階層に不満を積み上げて行くと、次の選挙で政権交代する。

左派政権が飽きられ始めると、次でまた政権交代。

その度に、高級官僚は総とっかえ。

それで、お互いの勢力の不満を吐き出させ、吸収して、フランス社会は均衡を保ちながら今日までやってきたのだ。



5年前、超不人気であったニコラ・サルコジーには、勝ち目はなかった。

フランソワ・オーランドが楽々と当選し、シラクとサルコジーに次いで三政権ぶりに社会党政権となったものの、オーランドの間抜けぶりに国民は呆れかえってしまった。

サルコジーに次いで、たったの一期で政権を明け渡すはめになる。

ここで、左派政権は『社会党』の枠組みを超えて「左派統一候補」的に全国で予備選挙を行った結果、社会党でもなく、共産党でもない候補者エマニュエル・マクロンの登場となったわけだ。

ただ、現政権の負の影響は大きく、右派の『共和党(共和国党)』の政権奪還は既定事実のはずだった。

しかし、最も大物だったアラン・ジュペ(シアク政権の首相を務め、シラクをコケにして遠ざけられた)が名乗りを上げて混乱が始まる。

サルコジー政権で首相だったフランソワ・フィヨンが、共和党内では極右であるが、結局候補者となり楽勝のはずだった矢先に「妻のスキャンダル」が暴かれる。

20年来妻を政策秘書に登用し、給与が支払われていた。

支配階層(政治家)の人物の政策秘書の給料としては妥当な金額であったのだが。

その妻というのが何とも不愉快な女性で、テレビカメラの前での言い訳の仕方に国民が総反発。

いやはやの事態となり、結局フィヨンは最後の最後で盛り返し絵きたとはいえ、4位に終わってしまった。

そのフィヨンの支持者たちが、にっくき対抗勢力である「左派」マクロンに投票するくらいなら、移民政策で近いル=ペンに、という「95年に鼻をつまみながらシラクに投票した社会党支持者たち」のような、極右ブロックのための理性的投票をやりたくない人たちが結構出てきている。

共産党を割って出た左派の極左メランションも、極右を阻止するためにマクロンに投票を、と呼びかけない卑劣漢ぶりに共産党もカンカン。


そして、ついには文字通りの『狂想曲』てき大統領選挙に成り下がってしまっている


フランス社会を二分してきた勢力である『右派』と『左派』と、両方ともに自分たちが推したい候補者がいない、悲劇的で力の入らない大統領選挙。。。


残りの一週間で、果たしてフランス人の理性は目覚めるのか。

それとも、NHKを筆頭に日本のマスコミが煽り立てて期待する『反EU極右政権』が誕生してしまうのか。


長く暮らしてきたフランスだが、今回はフランス人の良識に「少しばかり」不安を抱かざるを得ない状況になりつつある様な気配が感じられる。


「私は断固として白票を投じる」と断言したおじさんがいた。
この人は、第一回投票ではアモンだった。
奥さんはフィヨンに投票し、第二回目はル=ペンだと、夫を見ながら。。。


白票は、確実に増えるだろう。

白票が増えれば増えるほど、マクロンには不利になる。
ル=ペンに入れる人は確信的だから。


最後には、良識が目覚めるとは信じているのだが。。。


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フランスの市長達が、「福島訪問」で感じた事。

2012-02-02 23:32:49 | フランスと日本の文化比較
ル・モンドの記事を翻訳掲載したい。



2月2日付け「ル・モンド」
『福島にて。<見えざる敵>と直面したフランスの市長達』
<福島特派員発>

「今日、汚染されたこの美しい福島の光景が車窓に流れて行くのに触れて、私は私たちの土地の事を考えずにはいられなかった。そして、その土地の将来の事を自問せざるを得なかった」

リアルな感情が溢れ出て、受け止めた思いが矢の様に放たれた。

バスの車窓から、福島県の自然の豊かな美しさに感嘆しながら、アンドル・エ・ロワール県シノン市の助役「イヴ・ドージュ」はこう語った。

雲一つない晴れた空に大陽が張り付き、雪山を背後に、休耕田になっている田んぼ、深い森がある。

この、まるで絵はがきの様な光景は、日本の北東部を訪れた短い旅で、イヴ・ドージュを含む七人のフランスの首長達の心を、魅了した。

旅の目的は、<日本の地方自治体が、放射能危機を如何に管理しているかと、その結果、を見届ける事>

2011年三月の『福島第一原発』事故の現状から発して、フランス地方自治体連合会の『同胞都市』という<国際戦略局>と、日本側にもある同種の組織とが、去る1月12日から14日にかけて、フランスの原発を抱える地方の首長の福島訪問を、実現させた。

『ラ・アーグ』(マンシュ県)と『シノン』更に『フュッセンハイム』(上ライン県)等である。

昨年3月11日の大地震とそれに続いた大津波、更に『チェルノブイリ』以後最悪の原発事故に晒された土地に、何日間か身を置いてみる、という有意義な機会に、「仏地方自治体連合国際戦略部長」ベルトラン・ギャレは「フランスの議員達が、このような意義有る試みに<大勢>の首長が応えなかったかった事は、誠に残念な事だ」と語った。

有意義、且つショッキング。

「我々に取って」とギャレは続けた。
「此の旅は現実である。見たもの聞いた事の総てに、我々は多いに取り乱された。将来、一体誰がここに住みたいだろうか?どんな企業が、この土地に投資したいと思うだろうか?」

何故なら、数日に渡って日本でも最も広い県を訪れ、事故原発の周辺に設置された、立ち入り禁止区域の20キロ圏の周りを訪れ、地元議員や首長、及び住民達から話を聞いて、10万人を避難させなければなら無かった事件の深刻さ、復旧に40年以上を要し、1兆15百億円(114億ユーロ)もの費用を要するであろう事故の、現実を目の当たりにしたのだから。

これらの被害とその復旧には、今後何年も経ってから分るであろう何千人にも及ぶ人々の健康被害や、長い時間留まり続ける放射能の事は、含まれていない。

この事は、一切の楽観論は産み出さない。
福島の森が、地元ヴォージュの森を思わせられた「ストラスブール」市助役フランソワーズ・ビュッフェは、今日危険で禁止されている自然を、代表団が持参した放射能測定器で確認しながら、心を痛ませた。

バイオ農業が盛んだった、原発から北西に40キロの内陸の町「飯館市」の市長菅野典雄に依って、この放射能汚染は「見えざる敵」と名付けられた。
この村では、爆発初日の「高濃度汚染」された雲が通過したため、六千人の\住民を避難させなければならなかった。

「私たちは、風向きの気まぐれの犠牲になりました」と菅野村長は、移転先借り役場で語った。

彼等の痛ましい経験は、住民の帰村を妨げる除染の困難さに対する、複雑な対応を物語る。

ジロンド県核情報センター長ジャック・モーギャンは、「或る日、日本政府は除染は時間である事を、改めて認識する勇気を持たなければならないだろう。復旧には40年は必要だ」と語った。

又、日本政府復興省の責任者イジチ・リョウは「除染への努力は大した効果は無い」と説明する。
風と雨とが放射性物質を拡散し、森と山岳地に堆積させる。
そして事故原子炉は、いまだに一時間当たり七千万ベクレルのセシウムを放出し続けて居る。
除染地区は、数日後には新たな汚染地域となるのだ。

更に、汚染は住民の脱出と言う問題も抱えている。
若い世代に顕著で、数千人規模での脱出傾向に、フランスの代表団員は、話を聞いた首長達が、事故後に味わわされている焦燥感を、深く感じ取った。
海岸に望む南相馬市は、7万1千人の人口を有し、津波の被害を受けた上に市の一部は20キロ圏に含まれている。
長桜井勝延市長は、「一切の情報が無く、指示も無く、補給も無かった。総てを、特に避難に関して、私独りで決断しなければならなかった。」

「フランスでは、住民避難の決定は知事が行う(筆者注:フランスの知事は大統領任命の公務員で、日本の県警本部長に近い。日本の県知事の役割は県議会議長が行う)もし、知事が避難への決定をしないとしたら、フランスの自治体首長は一体どうするだろう…?」とジャック・モーギャン。

原発自体でも、事故当時責任者は孤独であった。
東京に本店の有る『東電』とのコミュニケーションの欠除は、モーギャンに「もしフランスの原発が事故を起こしたら、EDF(筆者注:フランス電力公社)は、きっと同じ事をやるだろう…」と言わしめた。

フランソワーズ・ビュッフェに依る、もう一つ悲惨な確認された事実。
「日本の国民は「原発事故は起こり得ない」という発想で暮らして来た。それが完全に逆だった事が実証されたのです。」
飯館村長の体験から感じた事は「彼に取って、心的外傷。津波による激しいショックのほうが、見えないそして果てしない敵より、マシと考えてしまう精神的な傷を負ってしまった。何故なら、このような惨事で大切な事は、再建する力ですが、見えざる放射能はそれを不可能にしてしまうのしょう。」

原子力に一番深く拘っていた人間も、大きく動揺した。
かってアレバ社の役員であった『ボーモン=ハーグ』(マンシュ県)市長のミッシェル・ローランは、建設中のEPR(筆者注:次世代型の原発で、ヨーロッパ型加圧沸騰水原子炉)を近くに控え、市内に『ラ・アーグ使用済み核燃料再処理工場』を持つ立場で、「事故によるリスクを考慮するのあたって、常に<想定外>を想定しなければならない」と主張。
「この事故は、経済の価値観より安全が優先する事が必要で、原発は国家管理の組織である必要が有る事を、証明した」と語った。

ミッシェル・ローランは補償に付いても深い関心をよせる。
<ゴルフェック原発>のある『タルヌ・エ・ガロンヌ県』の「仏地方自治体連合国際戦略局」副局長ピエール・ガイヤールは、これまで数回に渡って打診している、EDFの保険会社との会見を強く希望している。
さらに彼は、二年に一回義務づけられている「避難訓練」の在り方にも熟考を求める。
「避難用バスのドライバー、国家警察、消防などを、かくも大変な事態に投入出来る物だろうか。彼等の安全確保を再考しなければならない。」

幾つかの心配事項が明らかになった。
ジロンド県ブライエ原発が、1999年に水害の被害に遭い、いまだにその状態に有る事を、ジャック・モーギャンは指摘する。
「水の持つ力に対抗する防御策は、何に依って確保出来るか?」
アルザス運河の直近にある、最年長稼働のフュッセンハイム原発の稼働年数を指摘するフランソワーズ・ビュッフェは、ストラスブール市が、スイスやドイツの多くの自治体と同じく、その稼働の即時停止を求めている事を、再度指摘した。

最後に、原発の未来に問いかけは向けられる。
ビュッフェに言わせると「人間の手では、完全には制御出来ない、そして悲惨な結果を引き起こしかねない技術」である。
イヴ・ドージュは言う。
「今や、原子力からの脱却を断言しなければならない事は、明らかである。」「もちろん、エネルギー政策全体の見直しを伴わなければならない。」
「さらに、原子力発電が、既に増々高価に付くことがッ明白である。」

1月31日に公表された会計監査院の、報告書に明記された如く、『この分野(原子力発電)の経費は、非常に不確実となっている』という表現が、決して言い過ぎでは無い事が実感されている。
【フィリップ・メニエ】署名記事



二ヶ月後に迫っている、フランス大統領選挙の候補者の、現在支持率で先頭を走っている仏社会党『フランソワ・オーランド』はその選挙公約に置いて、原発縮小を明言している。

『2025年までに、原発依存率を50%まで引き下げる』



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フランス人の理屈っぽさはデカルト譲り。。。こんな国の大統領は大変だ / 翻って日本は?

2010-05-08 07:51:10 | フランスと日本の文化比較
フランス人に関する、面白い記事にであった。


フランス・ロイター電5月6日によると。

市場調査専門会社も調査によると、93%以上のフランス人が「フランス人は良く文句を言う」と答えたそうです。


いやはや、<自他ともに認める>というやつですね。


考えてみると、フランスは<近代哲学>と<現代哲学>に、多いなる貢献をして来たのでした。

17世紀以降の哲学者達のリストはそうそうたる顔ぶれが並んでいる。

そして、デカルトから始まって、20世紀のサルトルやミッシェル・フーコーに至るまでの、殆どの<哲学者>達は、「感覚」や「知覚」に重きを置いて、真理の有りようを見つめて思索して来た。


ドイツ哲学のごとく、大学教授たる哲学者が教壇の上から、アカデミスムの土俵の上での<体系化>にこだわり続けた訳では無く、フランスでは、市井の一ブルジョワ市民である「貴族」やら「聖職者」やら「政治家」やら「教師」やら「作家」であったりする人物達が、自己の内面の直視によって、思想の方法論が探求されて来た。

しかも、<哲学の為の哲学>と言った趣の、ドイツ的「形而上的体系化」ではない。


パスカルが天才<数学者>で且つ偉大なる<物理学者>であった様に、ダランベールも、ロッシュフーコーも、コンドルセも、ラ・メトリも、20世紀のポアンカレまでもが、<数学者><医者><物理学者><生理学者>など、自然科学の上での業績を上げて地位を築いた後に、その科学的思考を持って、<実証科学的>に思想体系を紡ぎ上げて行った。

その点も、ドイツ哲学との大きな違いである。


デカルトによってもたらされる、<理念>や<知性>の明晰性を持って<真理認識>の基準とする近代思想の歩みは、「明晰でないものはフランス的でない」といわれるように、これはフランス的精神の本質的な特徴を形づくる。



固い話はもう止めにして、要するにフランス人は常に<理屈>を紡ぎ続けている人種なのです。


いつか拙ブログに書いたが、高校生活の最後を締めくくる、一週間続く全国高校卒業資格『バカロレア』試験の第一日目が『哲学』!

与えられたテーマに沿って、5時間で論文を書く。

18歳でですよ。

これが出来なければ、高校終了と見なされない訳です。


「我思う、故に我有り」

つまり、<知覚>無くして、人格無し。

逆に言うと、思考するからこそ<人間>なのですね。

そして、人間である限りは、分析的で現実主義的であらねばならない。



こんな人達が、<理屈っぽく>無い訳が無いです。



通りを歩く誰にマイクを向けてインタヴューしても、ちゃんと分析的答えが返って来るのです。

その答えが正しいか正しくないかは、別としても。

魚屋さんのご主人であろうと、女子高校生であろうと、ホームレスのオジサンであろうと、政権に対する評価も、ちゃんと自分なりの意見を持っていて、それを<滔々と>語る。


「わかりません」
「自分には関係ないっス」
「ええ~ちょっと。。。」

日本では珍しくもない、<答えになっていない答え>には、決して出あわないのです。


しかも彼らは、<自分の意見>は<自らの分析>によってしっかりと導き出しているのです。


日本の様に、朝見た<みのもんた>の意見が、そのまま大多数のおばちゃん達の口をついて出て来る、と言う様な現象は決して無い。



こういう環境と土壌とでもまれているフランスの政治家は、一筋縄では行かない。



現在のフランスの大統領<ニコラ・サルコジー>の政策に、国民の70%以上が反対を表明しています。


何処やらの首相の支持率とどっこいどっこいです。


国民の間では、現与党の支持者達の間ですら、「サルコジー氏の2期目の出馬は止める様に」と言う意見が大勢を占めている。


だからと言って、与党代議士が<反大統領>的発言などはしないのですね。


どんなに国民が否定している政策であろうと、それが政府の公式な政策である以上、全員が肯定的発言しかしない。

説得力溢れる<大統領をサポートする発言>しかしない。

与党内では、次期大統領選への対立候補の動きも有るものの、今に時点で<利敵発言>等絶対にしない。
(選挙が近づいてくれば別ですが)


ここが、日本と決定的に違う所です。


自民党時代も、民主党政権下でも、政府の支持率が下落し始めると、必ず党内から<分裂行為>の動きが出て来る。


これは、節操がないのか。
それとも、政治的に幼いのか。


おそらくは、夫々の議員達が、政治家としての『哲学』を持っていないのが理由であろう。


上は内閣の主要閣僚から、下は30歳代の一年生議員まで、我も我もとマスコミの前で、平気で自らの党首を否定する如き発言をする。


しかもそいつらが、東大卒やら京大卒だと来ているから、日本の教育水準に疑問符を付けざるを得ない。


日本の教育の決定的な欠陥は、<思考力>の促進には何ら貢献しない、と言う事につきる。



単に<正解>を導きだす能力(=偏差値)の養成だけが目的の<日本型教育>にこだわり続けていると、この国の将来は無いと言っても過言では無いのでは無いか。

繰り返して来たが、世の中には<正解の有る命題>など、ほとんど無い。


確たる正解などない諸問題に対峙する際には、分析力と思考力が養われていないと、最良の解決手段など見つけられないのである。



フランス人の<理屈っぽさ>に学ぼう。

精神の動きを知覚する発想方法を、学ばなければならない。
そこから、物事の<正しい>見方に導かれ、正しい<分析>が行える様になるのだ。

そして、そのような思考体系を養う事によって、良い意味での<社会の主張>もなされ得る様になろう。


<同人誌の如きマスコミ>の宣伝文に洗脳される事も無くなろう。


他人の意見に惑わされずに、国家百年の計を見誤らないだけの思考力を、身につけなければならない時である。


将来の子供達の為にも。

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フランスに於ける政権交代のシステムと、日本の場合との違いは。。。

2010-03-17 04:56:09 | フランスと日本の文化比較
この14日の日曜日、フランス『州議会議員選挙』の第一回投票で、<社会党>を中心とする<左派勢力>が勝利を収めた。
解説者によっては、<社会党の圧勝>を言う論調すら有る。


この<州議会>と言うのは、昨今の日本では<地方圏議会>と訳される事もある。


フランスは、かって70年代に右派ヴァレリー=ジスカール・デスタン大統領と、それに続く社会党フランソワ・ミッテラン大統領とが押し進めた<地方分権政策>の徹底に依って、国政と並んで<地方政治>が大変重要性を持っています。


<地方議会>は小さい単位からいって、以下の通りです。

◇市町村議会
◇県議会(郡単位の選挙区)
◇州議会(県単位の選挙区)

フランスは、海外県(カリブ海やインド洋、南太平洋の島嶼地区)を除いて、97県があり、各県に幾つかの郡を持ち(全国で4000程)、2乃至4県で州を構成する。

総て『拘束名簿式比例代表制』で首長を選ぶ形での2回の投票で、結果が得られる様になっている。

第一回投票で過半数(50%)を越えた候補者(リスト)が出れば議席が確定し、過半数が無ければ、得票率10%以上の上位3候補に寄る第二回(決戦)投票を行って、最大得票率候補の<勝ち>となります。

勝ち候補に議席50%を与え、残りの議席数を、得票率10%以上の候補の間で、得票率に寄る比例配分がなされる。

従って、50、1%を得て<勝てば>最初から単独過半数の議席が確保される事が、保証されている訳です。

今回の<州議会議員>選挙(任期6年)の第一回投票の結果は、以下の通りであった。

1)フランス社会党(29、38%)
2)大統領与党UPM(26、18%)
3)エコロジスト(12、54%)
4)国民戦線(極右)(11、42%)
5)左翼線線(5、84%)
6)左翼連合(5、62%)

2)が政権与党
3)、5)と6)は左派

4)は極右でいずれの派にも属さない(入れてもらえない。。。)
従って、だい2回投票では<選挙協力>が得られないため、国民戦線が議席を確保する事は非常に少なくなります。

この数字は、単なる全国平均の得票率であるが、事前調査の予想を上回る<社会党>の健闘でありました。

しかも、次の日曜日の第二回投票に向けて、左右両派ともに<選挙協力>の協議に入ったものの、2日目の火曜日の時点で、わずか3選挙区の例外を除いて、<社会党>主導に寄る左派協力の一致が得られた。

この結果、第二回投票ではおそらく殆ど総ての地方議会が<社会党会派>が圧倒的多数となる模様と見られています。


任期半ばを過ぎた現大統領ニコラ・サルコジーにとって、08年の地方議会の結果に次いでに、痛い<お灸>になりそうな雲行きでは有ります。

拙ブログ08年3月17日の記事をご参照くだされば、幸いです。

フランス統一地方選挙に見る国民のバランス感覚



所で我が祖国の現状は。

沈みかかっている<泥船>から、ネズミ共が我先にと逃げ出し始めている。

見るも哀れな状況であります。


ただ、全員が非常な<勘違い>をしていますね。

麻生政権末期と全く同じ事を、凝りもせずに繰り返しているが、1年前と決定的に違う事に、彼らは気がついていない。

昨年の騒ぎは、自分たちで担ぎだした<首>を、自分たちで引きずりおろしてすげ替えようとする醜態を繰り返して、政権を失う事を決定づけた。

今年は、同じ事をやっていると、<党>が無くなってしまう。


昨年8月、<自民党>が否定された。


その自民党のメンバーが、分派活動を繰り返していくら<新党>を造ろうとも、自民党に<否>を突きつけた国民が、彼らに政権を<託す>ははずが無い事が、お分かりになっていない。


与謝野さん?

日本一の政策通等と言う人が居るようで。。。
噴飯物であります。
彼は<財務大臣>でした。
結果として、危機的状況の財政収支を残して去ってくれました。


舛添さん??

口先男以外のなんなんでしょうか、この人。
とにかく、パフォーマンスだけ。
目立ちたいだけ。
そして<権力大好き>人間。
実に薄っぺらい。
<TVタックル>の常連だった頃から、彼の言う説は、総てでたらめで有りました。
ブラウン管の前で、笑っておりました。

ただ、世の中には、彼の<いかにも>と言う語り口に、中身を見抜けない人達も多いらしい。
今や<国民に一番人気の有る政治家>だって?!
笑って見ている訳にいかなくなって来たら、どうしよう。。。

幸いに、自民党内部に置いてすら、冷ややかな目で見られているらしい。
とは言え、死にものぐるいのネズミ共は、沈み行く船から逃げ仰せるのなら、どんな船頭でもおかまい無し、になる<気風>がありますからねえ。


そして<真打ち>登場!


▶離党表明の邦夫氏、与謝野氏と意見交換 平沼氏との連携にも意欲(産経見出し)

>自民党離党を表明した鳩山邦夫元総務相(61)は16日、大型連休(GW)前の結成を目指している新党構想について、無所属の平沼赳夫元経済産業相(70)との連携に強い意欲を示した。また、連携相手として挙げていた与謝野馨元財務相(71)とも意見交換した。

>鳩山氏は、都内で記者団に対し「平沼氏とは7割、8割以上は向かっている方向が一緒だと思う。大いに話し合っていきたい方だ」と述べた。衆院本会議場では与謝野氏や平沼氏と数分間話し合った。与謝野氏とは当初、本会議後に都内で会談する予定だったが、関係者によると、極秘に話し合える状況にないとして、後日会談することを確認した。
【産經新聞】


何かの間違いでは、と思った程、いきなりのアルカイダ的無差別テロ。


▶鳩山氏離党 与謝野氏「話聞く」、舛添氏「決めてない」(毎日見出し)

>仙谷由人国家戦略担当相は「この種の行動を取るとすれば10年遅い。基本政策や理念がさっぱり見えない。『第三極』の旗というのは、『第三』という言葉だけ使えばいいっちゅう話じゃない」と酷評した。

>前原誠司国土交通相は、鳩山氏が与謝野氏と舛添氏をつなぐ「坂本龍馬」を目指す意欲を示していることに触れ、「私は坂本龍馬が大好きなので、極めて不快感を持っている。自民党の古い方々を薩長同盟になぞらえて『一緒にする』と言われても、『はあ?』という感じですね」と皮肉たっぷりに批判した。

>また、民主党の山岡賢次国対委員長は、国会内であった党会合で「政界再編というが、自民党再編の間違いじゃないか。民主党から加わる方は一人もいないし、わが党の中は動揺も同調も同情もしていない。対岸の火事だ」と言い放った。
【毎日新聞】


これを笑わずして、一体何に笑えば良いのか、と言うぐらいの<おばか>なフライングとしか見えないのですが。


そもそも、与謝野サンや舛添サンは、一人で困難な新勢力の創造なんぞは、これっぽっちも考えていません。

彼らは、周りが同調して担ぎ上げてくれる事を待っているだけ。
ようするに、楽して<自民党>を我が物にしたい、だけなのが見え見えです。

自分が飛び出して<新党>等を造って<自沈>する気などサラサラなし。

担がれて、請われて、望まれて<リーダー>になりたいだけ。
腐っても自民党。
衆参合わせればまだ200やそこらの政党のボスに、そこまで頼まれれば<なってあげても良いですよ>。


そんな彼らを、(見るからに)何の根回しも無く、いきなり「一緒に組んでやろうよ」なんていいだされても、彼らも困るだけですね。
迷惑な話。


全く、<民意の受け皿>になれると思っているらしい事が、笑わせてくれる。



ただ、民主党政権が成立して6ヶ月がすぎて、国民は我慢が出来なくなって来ている事も事実である。

個人的には、支えなければならない、と説いているものの。

60年の錆を落とすのには、一朝一夕では出来ない事を、多くの国民達は分かろうとしないのです。

平均的な国民達は、スイッチを押して電気が点く様に、すぐさま<バラ色の変化>が訪れると期待していた。

「こんな筈じゃなかった」
「民主党は全然ダメ!」

と言い放つ人々が、私の周りにも大勢居ります。


さて、どうしてくれますか?

もしも、本当にもしも<普天間基地>が沖縄から出て行かないとすれば、おそらく参院選は負けるのでは無いでしょうか。。。


ただ。
現実的に<誰に>負けるのか??


自民党は既に無し。

<消去法>で民主党が選ばれる事はあっても、大勝とはいかないだろう気がします。
地方の自民党は、まだ地場ではしっかり根を張っている。


よしんば、参院選に民主党が単独過半数を取れたとしましょう。

その後は、3年間選挙はない。

目に見える結果がすぐには出なくとも、民主党のやりたい事をやって行く下地は出来る。
しかし、確立しているシステムである<官僚制度>の抵抗を排除するには、多大なエネルギーが必要とされるで有りましょう。


そして、<剛腕幹事長>の描いていらっしゃるような、政治(国民)主導のシステムが成り立つ日本が出来た暁には、<剛腕氏>は政界再編を行いたいのでしょうね。

右から左までの<寄り合い所帯>では、どうしても事がスムーズに運ばないし、第一<政党>として無理が有る。


だとすれば、彼の言う<2大政党>の時代がくるのかと言うと、多いに疑問だと言わざるを得ない、気がするのです。


やはり、フランスを含めてヨーロッパ各国のように、<左右>両政党がともに<政権担当能力>を持った状態で存在していないと、その理論は成り立たない。

企業、資本、国家主義。
対するは。
人間、福祉、市民主義。


この対立軸が存在しなければ、<2大政党>による政権交代能力は、備わらないのでは無いでしょうか?

旧<社会党>は、あくまで反対勢力としての存在意義しか無かった(昔は支持していましたが!)。

<共産党>は、半世紀の悲惨な社会実験の末、現実的な理論ではあり得ない事が、実証されている。


いわば<社会民主主義>政党が、存在しなければならないのでは無いでしょうか。

もちろん、今の<社民党>では有りません。

しかし、「知らししむべからず。寄らしむべし。」に飼いならされて来た日本民族は、<階級闘争>を経験しておらず、真の社会民主主義の動きは起こらない様な気がするのです。


ああ、政権交代の受け皿が無い国だなあ。


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<新型インフルエンザ・ワクチン>の過剰発注に見る、フランスの政治と日本の政治との違い

2010-01-22 07:12:51 | フランスと日本の文化比較
1月21日現在、1946万人の日本人が、ワクチンを接種したらしいです。

しかし、接種を希望する人がどんどん減少し、今では最盛期の10%程。

人々が一番接種を希望した10月後半から11月終わりにかけて、供給が全く足りず、その間に広範囲に感染が広がって、免疫を得た人が増えていったのが、原因らしい。

必要な時期が過ぎてから<配給>が進み、余剰分を他の医療機関にまわす事が法的に禁じられていて、結局一方的に届けられる不要なワクチンを、ただ<ストック>しているのが現状だとか。



政府によるワクチンの<過剰発注>は、実はフランスでも全く同じでした。


仏政府は、9400万回分を発注し、実際に接種を受けた人は、わずか500万人に過ぎない。

最初<2回の接種>が必要と言われていた時、政府は全国民に2回ずつ接種できるよう、製薬会社4社に上記の量を発注したのです。

6200万人の人口の、大半が接種可能だった訳ですが、以前のブログにも書いた通り、フランス人は<一筋縄>では行かない国民。

「後遺症が明らかにされていない以上受けたくない」という人が続出。

その他、<ワクチン接種センター>に限って接種を実施し、一般医療機関をはずした為、接種は思いのほか進まなかった。

その後『世界保険機構』が、「1回の接種で良い」と発表した事も有って、圧倒的な量が不要になってしまった訳です。

既に納入された分のかなりの量を、中東諸国などに既に転売済みにも関わらず、結局仏政府は5000万回分をキャンセルすると発表。

発注量の半数以上の取り消しに、当然な事に製薬業界は大騒ぎになっています。
違約金を巡って、裁判はさけられない様相を呈しています。

仏政府の、年間の<癌対策予算>の3倍もの出費に、与党内からも批判が出ている有様です。



さて、日本の場合はというと。


英国製薬会社7400万回分、スイス製薬会社2500万回分を、国産5400万回分を加えて、総人口を遥かに超える量を確保してしまった!

医療機関同士で使い回す事は禁じられ、各病院が機械的に届くワクチンをただ保存しているだけで、ストック分がどんどん増えて、やがて<廃棄>される運命にある。

しかも、購入時の契約で発注量のキャンセルは、部分的にも出来ない事になっているとか!

転売も、副作用が出た際の保証が<製薬会社>の手を離れる契約で、日本政府が補償しなくてはならない条件になっていて、事実上不可能とか。


以上の両国のケースを比較すると、面白い事が見えてきます。


日本は、<必要な時期>に間に合わなかった。
フランスは、最初から量的には確保されていた物の、国民の側が応じなかった。

余剰分を、フランスは一部転売し、未納分は<裁判>になろうとキャンセルする。
日本は、転売も出来ず、キャンセルも出来ない。


ともに、行政が同じような事をやろうとして、これだけの違いを生じるのは、要するに両国の政治と行政に対するイニシアティブの違いによる所が大きい訳でしょう。


フランスは、政府(=内閣=政治家)が決定し、実行する。
だから、批判も受けるが、被害を最小限にとどめる為の対処が出来る。

日本は、政府(=各省庁=官僚)が決めて、実行する。
政治家は(今までは)書類上の形式を整える(命令書に大臣印を捺印する)ダケだから、事後処理が迅速に出来ない。


国家公務員1級試験をクリアした<偏差値上のオリコウさん>達は、想定外の事態には対処できないのです。

偏差値とは、このブログで何度か書いた通り、「あらかじめ回答の決まっている設問に対し、如何に早く正確に回答にたどり着くか」の能力をはかる物差しなのですね。
(そのような能力は、コンピューターの方が遥かに優れているから、官僚などそのうち要らなくなるネ。。。)

ところが、実社会には<回答の有る命題>なんてほとんど無い。

そうすると、官僚という人種の性格からして、<前例>というマニュアルに従ってしか仕事出来ない以上、マニュアルに無い事には、対処出来ないし、対処しようともしないのです。


それにしても、<オリコウさん達>は、イギリスやスイスの製薬会社に発注する際に、契約書を読まなかったのですかね?

それとも、まさか読めなかった??

「有り余る」事等<想定外>であった為、キャンセルの事など<想定>していなかった、というのが事実でしょうか。


フランスの様に、政治が決めて実行するのであれば、批判を受けて、その後<責任の所在の追求>ら、<失脚>やら、あげくに<政権交代>やら、と言うペナルティーが待っています。

ところが官僚が手配している以上、責任は問えない事になっているのが、日本のシステムです。

莫大なムダを出そうが、彼らには全く<関係ない>わけだ。

自分達の懐は痛まない。
自分達の地位も揺るがない。
降格も無い。
左遷も無い。
無事退官すれば、天下って第2、第3の<豊かな>人生が待っている。


左様な環境にいて、真剣にムダを省く努力などする訳も無いし、財政破綻も何のその。

従って、このような<天国の如き>システムは<死守>しなくてはならないのです。

その安住のシステムを<壊そうと>している民主党政権には、徹底的に対処しなければならない。



という訳で、<親分>を潰せば後は皆コケル、とばかりに<剛腕小沢>が付け狙われております。

敵も必死だ。


それにつけても、<パフォーマンス男>の舛添さん、たしかあなたが発注なさったのですよね?
このワクチン過剰の事態に、どうお答えになりますか?

最初だけ散々カッコつけて、後で知らんフリのあの人には、問いかけてもムダか。
コメント (3)
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フランス『革命記念日』に、日本人の愛国心の現実に想いを馳せてしまったのでした

2009-07-14 20:54:43 | フランスと日本の文化比較
                       <写真提供:フランス共和国大統領府広報室>




今日は、いわゆる<パリ祭>です。
パリ祭といえば、何やら<シャンソン>が流れ、<ダンス>に打ち興じる、独特の(軟弱な?)イメージが、一部で確立している様な。。。

歴史に他に類を見ない出来事、<王制>を国民が否定したあの<フランス大革命>は、220年前の今日、つまり1789年7月14日に勃発します。

ルイ16世の御代になって、打ち続く飢饉が、それまでの続いた対外戦争による経済的危機状態が破綻に瀕していた時、前日に市民が<バスティーユ武器厰>を襲って手にした武器を持って、<政治犯>を収容していた『バスティーユ牢獄』を襲撃した事により、大革命が始まりました。

その記念すべき(色々なイミに置いて)出来事を記念する日です。

第2次大戦以後は、国民の間に自らの<アイデンティティー>を思い起こし、<愛国心>を高め、国家にたいする国民の<求心力>を強める為の式典、と行った意味合いが強くなっています。

           

祭日の<惰眠>をむさぼっていると、窓の外にやかましい飛行機の飛来音が聞こえて来て、パレードの開始が分かります。

      

ナポレオンが創設した<理工科学校>の学生達を先陣に、あらゆる軍関係のパレードが繰り広げられるのです。

フランスの、極端とも言える<エリート支配>の制度と、それを支える<超難関校の学歴社会>は、文部省管理下の<普通の>大学とは違う、夫々の省庁に属する<専門大学校=グランド・ゼコール>が支えています。

<エコール・ポリテクニーク=理工科学校>は、総理府配下の<エナ=行政学院>とならんで、その最高峰に位置します。

あらゆる種類の部隊のパレードは、毎年パレード要員に選ばれると、それこそ大変な名誉で、各部隊の先頭を行く指揮官、および部隊全員の顔が、<能面>のように無表情に見えるものの、目には<感動>がみなぎっているのを、感じ取る事が出来ます。

あらゆるタイプの<ヒコーキ>と、<軍事車両>が次々と行進し、陸軍に属する<消防隊>が登場するに及んで、沿道の拍手はひときわ大きくなります。

火災だけでなく、バルコニーに出て窓が閉まって<閉め出された>とか、あらゆる生活災害に出動する<消防隊>には、市民達は大いなる感謝と尊敬とを抱いているらしいのです。

その消防隊と並んで多くの拍手を浴びるのが、名高い<外人部隊>です。

            

ほぼ全員がほおひげを蓄え、なんとも珍妙な<皮のエプロン>を身につけ、独自の<ユックリ>したテンポで行進する彼等は、戦争のプロであり、ひとたび戦いが困難に直面すれば、<最前線>に送られる、いわば<消耗品>である立場に、プロとしてのプライドと名誉とを抱いて、国民の拍手を受けるのです。


それにしても、私は長年フランスで暮らし,<外国人>ながら生活が成り立っている事に、さらに各種<社会保険>や<医療保険>等がフランス人と<全く同等に>補償されている立場に、感謝し、フランスと言う国に対して敬意を抱いているものの、フランスに対しての<愛国心>や<忠義心>等は、<毫も>抱いていません。

フランス人では有りませんもの、そんな事はあり得ないですよね。

にも拘らず、毎年このパレードをテレビで見る度に、なんとも言い難い<感動>を覚えるのは、一体何故なんだろう。

戦後の混乱期が終わって、高度経済成長期に入って以後の日本人達は、<愛国心>等、爪のあか程も持っていない人が多い様に感じるのは、私だけでしょうか。

一つには、<日教組>のせいだと思います。

私は、心情的には<左翼>思想の持ち主です。

ヘルをかぶり、タオルで顔を覆ってデモに参加して、機動隊と激しくぶつかったりもしました。

政府=権力=抑圧者=悪。
市民=弱者=非抑圧者=善。

なんて、全く<青い>考え方に染まっていたものでした。

しかし、それにしても<日教組>の一部の考え方は全く変だと思う。

校歌斉唱を拒否して、起立もしない。

これは、<日本人である事>の否定、以外の何物でもない。

たとえ<戦前の軍部>を否定しようと、<日の丸>が果たした<役割>を嫌悪しようと、日本人に生まれ、日本国の国家資格である<教員免許>を取得した後、日本国政府に雇われて<教職員>になった以上、国旗には敬意を払い、国歌を歌うのは<義務>です。

嫌なら<教員>にならなければ良い、だけの話。

世界には、生きて行く事自体が困難な状況に生まれ育った人々が、沢山いるのです。
そして、どんなに不利な環境であれ、自分の<祖国>には、犯し難い愛情と敬意を抱いています。

こんな事は、外国に住む様になって、日本以外の多くの世界の様子がおぼろげながら分かって来て、始めて実感出来た事であります。

たとえ戦争に利用されたとは行っても、『日の丸』はあくまで<国旗>である。
『君が代』は<皇室の未来への存続を願う>歌だったと言っても、<国歌>である。

それが事実である以上、それらには敬意を払い、当然とるべき態度で接しなければならない。

これは世界の常識。

<日の丸>がキライなら、正当な手続きをへて替えれば良い。
<君が代>がキライなら、別の<国歌>を決めれば良い。

その為には、積極的に政治に参加して、国を変えて行かなければならない。

それを、やれ<ファッション>だの、<合コン>だの、<金儲け>の事にうつつを抜かしていながら、自分が<日本に生まれた>事の幸運など、考えることすら出来ない。

世界を知れば知る程、『日本』と言う国がどれだけ恵まれた国であるる事か、が解って来るのです。

日本のパスポートの信用性。
日本人であると言う事での、ある種の信用と肯定的評価。

日本の教育も、マスコミの情報も、あまりに世界の事を伝えないから、解らないのもやむを得ない事では有るけれど、やはり<日本人としての自覚>は必要ではないのか。

何故こんな事を書いているかと言うと、以前若い日本人の男性と話をしていて、彼が言った一言に<衝撃>を受けたからなのです。

「ボクは、日本に何緒未練も無い。日本人でなくて良い」

甘ったれ以外の何物でもないこのセリフに、その時何も言ってあげられなかった。。。

<アイデンティティー喪失世代>に、深い憂慮を感じる次第であります。
祖国は、誰が強制しなくても、誰もが全員<愛している>はずのものなのですから。

ま、固い事は抜きにして、今夜は<花火大会>ダ!
凄い人出だろうな~。。。

        
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破綻する日本の<大学>の軽さと、現存する<世界最古の講義室>の重み

2009-06-18 20:16:45 | フランスと日本の文化比較
最近,応募者の減少による大幅な定員割れで、高額な累積赤字に耐えられず、新規学生募集を停止する私立大学のニュースに、良く接する様になりました。

先ず、いの一番に思うのは、<最高学府>を営利企業にするという信じられない発想と、それが破綻するアホらしさ。

私は、このブログで幾度も書いている通り、<大学全入>なんて異常な事で、あらゆるレベルの子供達の為の、総ての偏差値毎の<駅前大学>等、不必要悪です(書き間違いではありません)。


スペイン北西部、ポルトガルにほど近い所に、サラマンカと言う町が有ります。

ここに、スペイン最古の大学が設立されました。

町の南にトルメス河が流れ、<古代ローマ>以来の石橋を渡って町に向かうと、丘になっている町の頂の<大聖堂>が遠望出来て、スペイン有数の<高位>に列せられてきた大司教の町、である事が実感出来ます。


       

コレが、現在の<中央入り口>です。
16世紀スペインの典型、遅れてくる<ルネッサンス>と以前から続く<ゴシック>とが融合した不思議な雰囲気の、『イザベラ様式』のレリーフで飾りきれない程に、覆い尽くされています。

入るとすぐパティオ(中庭)があり、階段を上って2回の回廊を歩くと、周囲に昔の教室が保存されています。
その内の幾つかは、現在も現役で、ちゃんと講義が行われているのです。

各講義室の入り口の横の壁に、<講義室名>が書いてあります。

その内、<ルイス・デ・レオン修道僧>という部屋が、何と現存する『世界最古の講義室』なのです。

       

そして、そこには16世紀の(!)教壇と、学生用のテーブルと椅子とがそのまま残されています。

       

実を言いますと、ヨーロッパの大学は、16世紀の時点では、学生の為の<椅子と机>は、用意されていませんでした。
ソルボンヌであれ、ボローニャであれ、学生達は思い思いに<床>に座りこんで、講義をきいていたのです、
その時代に、ここサラマンカ大学には、既に<学生用の>机と椅子とが、完備していた!

20センチ位の<角材>を並べた様になっていて、床から高い位置に有る方が<机>、低い方の位置の横木が<ベンチ>というわけです。

この教室で、当然『神学原理』が講義されていました。

そして、ここサラマンカで興味深い事は、大学の講義を聞くための、前段階の<予備校>が有る事。

何しろ、一般大衆の<土地の言葉>しか使えない学生達にとって、学問で使う言葉<ラテン語>になれないと、せっかくの講義が聞けない訳です。

       

<本学>のすぐ近くの別棟の壁にかかれた『マイナー・スクール』という表示が、まるで<大リーガー>を夢見てしのぎを削る<マイナー・リーグ>の選手達を思い起こしますね。

立派な彫刻を施したゲートをくぐると、やはりパティオがあって、その奥の一角に残る<大教室>の木張りの天井に、見事な<天井画>が残されています。

       

下にたたずんで見上げると、写真では色合いも雰囲気も伝えきれない、その夜空の<息をのむ>美しさに、しばし体が動かなくなってしまいます。
『サラマンカの空』と名付けられている、この星空の下で、どれほど多くの学生達が将来の夢を目指したのでしょう。

この<神聖にして高貴で幽玄な>天井画と、エリートの証であった<机と椅子>を見るに及んで、我が祖国の、<大学>と名乗ることすらおこがましい様な、<学校法人>と言う名の<企業>の経営する<大学>との、<あまりの意識の差>に、溜め息をつかざるを得ないものでした。

空手部員が強盗はするは、集団で女性を乱暴はするは、大麻は育てるは。。。。。。。
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ディズニーランドにおけるハローウイーンに集まる大人になれない日本人と、『神田高校』との関係について

2008-11-01 06:53:22 | フランスと日本の文化比較
NHKテレビのニュースで、「浦安市のテーマパーク(NHKだから固有名詞は出さないのですね)で<欧米のお祭り>ハローウイーンを祝いました」というニュースをやっていました。

(パリにいても、有料で日本の番組を見せてくれる衛星チャンネルがあります)

まず、『ハローウイーン』なんてものは、<欧米>のお祭りではない。
アメリカとイギリスのみのお祭りです。

フランスに関して言うと、夏休みの<消費期間>以後、一年で<最大の消費期間>であるクリスマス迄の間が空きすぎる。
その間<何もイヴェントらしいイヴェントが無い>ことで売り上げの落ち込みに焦燥感を抱いていた<流通業界>が、フランスの歴史にも文化にもなじまない<ハローウイーン>を定着させよう、という試みを、10年くらい前に始めてみた事が有りました。

トロカデロの広場下の大噴水の周りを、何百個かのカボチャで取り囲んでみたり、パリ中のお店のウインドーにカボチャやオバケの飾り付けをしてみたり。

何年か続いて、だんだん下火になり、案の定定着しませんでした。

このところ何年かは、<チョコレート屋さん>のアイテムに成り果ててしまっていました。
(フランスは、さすがに<固形の>チョコレートを世界で始めて食べ始めた国民だけ有って、手作りのチョコレート屋が実に多く、何かと言うとプレゼントの対象になり、お店もシーズン毎に色んな季節感を出した商品を売り出すのです)

ヨーロッパ各国(イギリスは海を挟んだ向こう側の島国でヨーロッパという認識ではないのです、彼等にも大陸側にも)とも、ハローウイーンなんて文化の何処にも存在しない。

NHKに於いてすら、そのハローウイーンを『欧米の』と平気で全国放送のニュースで読み上げる、認識の無さ。

この原稿に対して、ニュース編集部のデスクも、番組ディレクターも、全く何の疑問も抱かなかった訳だ。

これが、私があきれた、まず第一点。

次はディズニーランド。

ここは元々<アメリカの>企業だから、ハローウイーンをイヴェントにするのは構わないし、それが当然であろう。

だがしかし!

そこに<仮装>して集っているのが、全員<成人とおぼしきいい大人>達だという事が、大問題なのです。

<お姫様>のカッコしてだぜ!

いい大人の女どもが、マイクに向かって「楽しいですウー」とか、「イエイ~」とか、「ハッピー・ハロウイーン」とか叫んでる。
バカか!
これが、私があきれた第二点。

知能指数をはからせて欲しい。

ヨーロッパにはディズニーランドはフランスにしかないので、「フランスでは」としか言えないけれど(イヤミったらしく聞こえたら本意では有りません)、あそこは<子供>の遊び場です。
しかも、フランス人以外の!

パリの小学生達の中には、「あそこは赤ちゃんの行くとこだよ」と言う子すらいるノダぞ。

少なくとも、自分の子供の為以外に、<年間パスポート>持ってる大人のフランス人なんて、聞いた事も無い。
ディズニーランドでデートするカップルなんてのも、聞いた事も無い!

ところが日本は違うんだよね~。。。

イイ大人が嬉々として、ディズニーランドのファンである事を公言してはばからない。
年間何十回通った、なんて事を自慢したりしてる。。。

成人式なんてものは、ペーパーテストやって合格した子だけやって欲しい。

何故日本人はそこ迄<子供>なんだろう。。。


かと思うと、<神奈川県立神田高校>の騒ぎ!

高校入試の場に、イキがって詰め襟のボタン外して行くか?

<高校入試>と言うからには、受験生はまだ<中学生>のはず。
そんな15歳のガキどもが、茶パツだと?
ピアスだと?
親のツラが見たい!

みかん箱の中に、<腐った>ミカンが一個あると、その箱のミカンは次々腐るのです。

ただでさえ<モンスター>生徒が跋扈する今日この頃、腐ったミカンが箱に入るのを事前に阻止するのは、至極当然の事。
<選抜要項>に明記してない、からナンボのモンじゃ。
<内申書>にだって、学科以外の評価欄があるダロ。

高校生としてふさわしいかどうかを選抜する試験で、学科以外の要素で<ふさわしくない>事が明々白々であるなら、学科に関わらず排除するのは、当たり前。

ところがビックリ!
その事が公になるや、泡を食って<校長を更迭>する県教委ダト。

茶髪でピアスの15歳のガキ(そんなのが居る事自体がびっくり)が大人(悪い)でみたいで、いい年の教育委員会の役員がガキみたいダ。。。

これが驚いた第三点。

<県教育委員会>という<狭いシマの中だけの権威>を守らんが為、現場で日々奮闘している教師達の足を引っ張る事で権力(!)を行使し、ふんぞり返っている時代錯誤の役人どもの、救いようの無い幼さ。
『教育長』の顔が見てみたい!

そして、たかだか15年しか生きて来ていないくせに、世の中全部を見下してツッパリまくる悪ガキの見苦しさ。
そのような子供に育てた親達の幼さ。

ディズニーランドで<お姫様>の服着てはしゃいでる、大人になれない若者(バカものだよ)といい、どいつもこいつも!

いったい我が祖国はどうなってるんだろう。。。
(このフレーズを、拙ブログで一体何回使った事か。。。悲しいです)

ところで、我が愚妻の所に『年金宅急便』が届きました。
(私と違って、彼女はまだ日本で年金負担金を払い込んでいるのです)

そしたら何と。

名前の<字>が違っていました。

早速社保庁に電話して、訂正を依頼した所、「会社を通じて、会社から訂正手続きしないとダメ」と言われた、とカンカンになって怒り狂っておりました。

私はかねがね、日本の運転免許証に、名前の読み方を<限られた読み方(役所が勝手に決めた)しか認めず>、勝手に違う読み方でカタカナ表記する役所の横暴を、個人の尊厳を犯す<憲法違反>だと思っているのですが、役所のやる事は一事が万事、同じだ、と改めて怒りを新たにするものであります。

社保庁の長官は、どんな顔して給料貰っているのか見てみたい、と愚妻が叫んでおります。
社保庁の実際が私があきれた第四点でした。
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フランスの高校生の成熟度

2008-04-16 23:52:59 | フランスと日本の文化比較
ここ数日、あまり<腹の立つ>ことも無く、旅の途中という事もあり、更新しませんでした。

その間、フランス国内では、高校生達が元気良く<反政府運動>を繰り広げています。

例の<ニコラ・サルコジー>という、訳の分からない大統領が打ち出した、<公務員削減政策>の一環としての、来年度からの教員数削減に反対する全国の高校生達が、パリを中心にデモを繰り返していますが、毎回動員数が増えているのです。
昨日4月15日は、主催者発表5万人、警察発表2万人の規模にまで発展して来たのです。

目下フランスの高校は、普通高校で一クラス定員28名、技術系高校で19名ですが、<教員数削減>によって、一クラスあたりの生徒数が増える事により、教育環境のレベルの低下が懸念され、従って授業内容の劣化が懸念される、というのが彼等の言い分です。

政府側は、「首切りは行わず、退職者数以下に新規雇用を控える事で、自然減とできる。生徒数の減少傾向により、クラスあたりの定員は変わらないはずで、レベル低下にはつながらない」と抗弁しています。

フランスは、高校終了時の全国一斉試験<バカロレア=高校卒業資格>試験に合格する事が、人生におけるある意味で<最大のイヴェント>なのです。

バカロレアを取得すれば、<原則的>には、いつでも自由に好きな大学に入学できる建前(勿論人気の高い大学の人気の高い学部は希望者数が定員を大幅に上回り、選抜試験が実施される事もありますが)で、いちいち<大学入試>なるものはありません。
ただ、小学生から<落第>が存在し、中学で進学過程と実技過程にどんどん振り分けて行くフランスでは、普通科高校生でいられる事が、まず大変なのです。
おそらく同年度児童数のうち、バカロレア試験まで行けるのは半数くらいではないか、と思われます。
そのバカロレア試験での合格率が全国平均68%くらい(!)なのですから。

高校生活における<勉強>の重要性が、祖国<日本>とは雲泥の開きがあります。
それでは、授業の質が落ちた日にはたまりませんわね。

何しろ<バカロレア試験>第一日目の科目が『哲学』(!!)
五時間の記述試験です。

私見ですが、日本の<高校生>というのは、『高等学校』という<高等な>学問をするための生徒なんだろうかしらん?
<高校全入>と言われて久しいですが、全就学児童がほとんど全員『高等』な学問をしに行ける物でしょうか。

最近では<本職のトビ職>でも着ないようなマンガみたいな服を着て、ツバをはき散らしながら<暴れ回っている>猿みたいな連中も、『高等』学校の生徒だと。。。
そして、3年間授業の妨害だけして、ガラス割って過ごそうが、<援助交際>にふけっていようが、三年間<在籍>することで、『卒業』資格取得なんて、シンジラレナ~イ!

政府間協定により、日本の<高校卒業資格>は、フランスのバカロレアと<同等>と見なしてもらえるのですゾ。
フランスの高校生に失礼きわまりない話じゃございませんか。

そんな連中にとって、政府の政策に反対して<デモ>を繰り広げ、政府に政策転換を迫る。。。なんて行動は<宇宙人>の行動みたいな物でしょうね。

勿論日本にだって成績のいい子達もいるでしょうけれど、日本の<成績>の物差しは、『偏差値』と言う<日本でしか通用しない>物差しなのです。

この事は、大変重要なことなので、後日改めて書きたいと思います。

とにかく、我が祖国は、教育システムが全くダメ。
だから、財務省高級官僚も、外務省高級官僚も、大企業の役員も、銀行の役員も、もちろん政治家も、<世界基準>で見ると、全く<物の役にもたたない>のです。

ああ。
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フランス統一地方選挙にみる国民のバランス感覚

2008-03-17 07:06:18 | フランスと日本の文化比較
本日3月16日、フランス統一地方選挙で、社会党を核とした左派の地滑り的大勝利をみて、またまた羨ましくなった話。

ご存知の通り、フランスは昨年(9ヶ月前)の大統領選挙で、長らく続いた左派有利の予想を選挙期間中の逆転で、保守党の大統領を選んだ訳です。
ミッテラン社会党政権の<社会民主政治>に飽きていた国民は、反動で右派ジャック・シラクを選んだ。その一期目の停滞感に、フランス極右政党が台頭し、そのネオナチ的極右を阻止する為、左派の選挙民は<鼻をつまみながら>シラクの投票せざるを得ないなかで、二期目がスタート。
増々酷くなった社会不安で、今度こそまた<社会党>政権を、と国民が期待していた中で、社会党内部の権力闘争の中から<女性候補>が登場した訳でした。
まだ国民の胸の中のどこかに巣食っていた<女性の権力者>への若干の抵抗感から、討論会でのセゴレーヌ・ロワイヤル候補の慣れない挙動と討論によって、保守党の若い<強引なヤリ手>のニコラ・サルコジーの老獪な(若さにも関わらず)選挙戦術の前に、国民が<つい>気の迷いから彼を当選させてしまったのでした。

日本と違って、<アメリカ>が唯一世界のリーダーだなんて全く思っても居ないヨーロッパの、その中でも自主独立の気運の強いフランスが、たまたま<社会民主政治>のもつ<大きな政府>の経済的負担を案じて、<アメリカ型競争原理>を標榜するサルコジー候補に、幻想を見てしまったのでした。

案の定、その後の九ヶ月で社会格差は増々拡大し(にてますねどこやらの国と。。。)、次々と打ち出される<弱者切り捨て>の改悪案に、国中が不穏な空気を漂わせ始めていたところでの、今回の『統一地方選挙』だったのです。

ここで簡単に、フランスに置ける<地方政治>の仕組みを、ご紹介しておかなくてはならないでしょうね。

今回の選挙は、各地方自治体(日本の様に市町村といった区別は有りません)議員選挙と、県議会議員選挙を同時に行ったのです。
地方自治体の首長、いわゆる<市長(町長/村長)>という役職は、選挙で選ぶ訳では有りません。
各政党が<候補者リスト>を元に小選挙区比例代表制で選挙を行い、有権者はその<リスト=第一位の候補者>に投票します。
第一回選挙で過半数を得た<候補者=リスト=政党>が居なければ、上位二候補者間で翌週第二回投票を行って、決定します。
そのリストの得票率に従って議員を配分して、最初の議会で議員間での首長選挙を行います。
つまり早い話が、過半数を獲得した政党のリストの名簿第一位の候補者が、最初から<首長>になる事が前提な訳ですが。

つまり、<市長選挙>と<市議会議員選挙>がくっ付いている、と思って下さい。

パリその他いくつかの大都会では、各区の選挙を行い、区長と区議会議員が決定し、過半数の区長を得た政党が、その自治体の首長になります。
(もちろん首長候補も、いずれかの区のリストの第一位になっていますので、パリ市長はパリの首長で有ると共に、有る区の区長でもあります)

県の<行政の長>は、日本とは全く違います。
各県に『県知事』という役人は居るのですが、これは、公選で選ぶのではなく、大統領の任命で、内務省の役人という事になっています。
権限は、各県に置ける<国の権力の代行者>という役割で、地方の自治に属さない<国>の直属の行政、主に警察と軍事、及び教育の一部のみに限られます。
『県庁=PREFECTURE』という役所は、『知事=PREFET』のいる役所、という意味で、日本でいえば<県警本部>に相当します。
では、県の行政の長は誰か、というと、『県議会議長』なのです。
選ばれ方は、自治体の首長と同じプロセスです。

ですから、日本でいう<県庁>は、<県議会本部>なのです。

これ以上ディテールには踏み込みませんが、以上の様な地方自治のシステムに乗っ取って、今回の<統一地方選挙>でフランスはほとんどの自治体と県とを、『社会党』が握りました。

もちろん、第一回投票には、<共産党>も<緑の党>もその他の弱小左翼政党も、それぞれの候補者(=リスト)を立てます。
しかし、上位二候補に残らない場合は、左翼は一致して<左翼第一党=通常社会党>に投票する様、有権者に呼びかけ、投票結果も、だいたいその通りになります。

もちろん、右派保守党も、同じ事をする訳です。

ここで本題に戻って、サルコジ政権発足九ヶ月にして、あまりの<社会格差助長>の政治姿勢と、大統領本人の<異常に贅沢な>バカンスや、再婚問題その他、大統領本人の<資質>にも国民は疑問を抱く様になっていました。
そして今日、第二会投票の結果です。

つまり、ここフランスでは、国民がただちに政治の採点を行うのです。

羨ましくないでしょうか皆様?

先週の第一回投票結果で既に今回の最終結果が予想されていたのですが、社会党の面々はもちろん、評論家もマスコミの論調も、こぞって<現政権への懲罰的投票>になるだろう、といった表現をしています。

翻って我が日本は???

戦後、<保守大連立>以来延々、まさに<延々>と政権が変わらない。
当然60数年の<膿み>は溜まりにたまって、政官経全体が、狂ってしまっている。

リストラという言葉は、文字通り企業の組織改編のはずが、<首切り>という意味で使って、その他の企業努力はほとんどせず、全てを労働者に犠牲を押し付けて恥ない経営者たち。
彼等は、<自民党>が政権の座に居ないと、国際競争に勝てない、と戯言を言い続けて大衆を幻惑して恥じる事なし。

官僚達は、利権を増やし、それを抱えこみ、税金を少しでもたくさん懐に入れる事しか考えていない。
あの山の様に有る『特殊法人』のシステムのばかばかしさ。
たったの二年毎に何千万円の退職金を得る為だけに在任して、その為だけに存在する<組織>の異常さ。

国民は。。。ただ生活苦に<我慢>するだけ。。。
そのような社会を作った<為政者>に<懲罰>を加える事は、残念ながら<無い!(みたい)>。

以前、『おタカさん』ブームで(ブームというのも情けない)、社会党を中心とした勢力が形成されていた頃、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった<国際政治学者>舛添某サンが、次の総選挙で<自民敗北>を声高に言いまくっていた頃、私自身は絶対自民党が<勝つ>結果になると信じてました。
だって、日本人は、最後に絶対<変革>を怖がるから。
そして結果はその通りだった。

今回、参院で保革逆転しているけれど、次の衆院戦で、果たしてどうなるか、決して期待はしていません。
日本は永遠に、<搾取>され続ける事に<耐え続ける>国民感情しか無い様です。

いい加減で、変えてみませんか!!
もちろん<民主党>はある意味<自民党>より頼りないかもしれない。
でも、物事一度は<変えないと>何も変わらないのです。

ダメなら、次に又変えればばいいじゃないですか。

日本人の大好きな<アメリカ>だって、政権は交代して来た。
フランスだけではなく、ドイツもイギリスもスペインもイタリアも、あらゆる国で<政権交代>が繰り返されて来ました。
それで、その国が立ち往生した例が、有りますか?

どんな政権下でも、国民の生活は続き、経済活動も継続されて行く。

政権が変わる事を怖がっている国民なんて、<全世界>を見ても、他のどこにも無いといえるでしょう。

長期間政権が変わらないのは、一部の特殊な国、例えば<独裁国>とか、<超低開発国>とか、、、<日本>とかだけ。

政府が国民の生活に向き合っていないようなら、直ちに<罰する=選挙で落とす>ことは、ごくごく<当たり前>のことなのです。

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腹は借り物? 神の領域に踏み出す事

2008-01-30 22:37:06 | フランスと日本の文化比較
代理母の問題が、法的に騒がしいいようです。

『生命の営み』を、人間が<科学>の実験と同様のレベルで行ってもいい物でしょうか。
子宮は、試験管と同じ物とみなして良いものなのでしょうか。
言い換えると、人間の肉体、生命、という領域は、人間自身が人工的にどこまでタッチできるのか。
難しいですよね。

盲腸の摘出手術と、心臓移植との間に、どれだけの差があるのか。
コンドームを使ってセックスする事と、中絶手術に、どこまで人道的に差がある物なのか。
試験管で受精させられるのなら、受胎した卵子を(誰かの)子宮に挿入して、成長が進むのであれば、切り傷を縫い合わせる事と、どこに差がある物なのか。

こういった事を突き詰めて行くと、理論は破綻してしまいます。
キリスト教の一派のように、『一切の医学的処置を拒否する』、所まで行ってしまうわけですね。

代理母を肯定する方々の言い方の上の共通点は、「子供が欲しくて、子宮を無くした女性であれば、可能な限り、、、」という言い方です。

しかし待てよ。

その言い方が通用するのであれば、「マイホームが欲しいのに、お金がない人には、可能な限り、、、』とか、『あの大学に入りたいのに、学力が足りない人には、可能な限り、、、」とか、「アノ女性にほれてるけど、相手がいう事を聞居てくれないのであれば、何をしてでも、、、」と、どんどんこの理論を発展させて行く事が出来るのではないでしょうか。

ものすごい避難を覚悟でいえば、<子宮を無くした女性>はそれがその人の運命であって、家を立てたいのに資金力に限りが有る人も、その人の運命なのでは。
誰でも、欲しい物はたくさん有ります。
しかし、<求めても手に入らないものが有る>、その状況を受け入れる事が、人間の生きて行く上での、倫理ではないのでしょうか。

早い話が、<神の領域>に、人間はふみこんではならない、と思うのですが、間違っているでしょうか。

そして、欲しい物はいかなる手段を取ってでも手に入れたい、という考え方も(かなりこじつけに近い表現ですが)本来おかしいのでは無いか、と思うのですが。

お医者様が、科学者の立場で<患者=人類>を心身ともに救える限り救いたい、という情熱は、数学者が未解決の定理に解を求めたいと立ち向かう情熱、生理学者が完全なクローンを造り出したい、という情熱と、同じ<科学者>の崇高なパッションである事は、理解出来ます。

しかし、それらの科学者達の情熱が、現代の避けて通れない資本主義と結びつくと、ある野菜の持つ欠点(と言っても本来当たり前の事なのに)をなくす為に、海老の遺伝子をくわえたり、異常な行為にまで行ってしまって、それを生み出した科学者自身その異常性に気が着かず、資本側は堂々と商品として世界中に売りさばく、という現状を迎えてしまったのです。

フランスでは、『代理母』の法的規制は伝聞でしか把握していないので、ここでは書きません。
しかし、フランスの社会では、養子(アドプテッド・チャイルド)がごく普通に市民権を得ています。
白人同士のご夫婦が、あきらかにアジア人やアフリカ人と分かる子供をごく自然に連れています。
その家族の間には、犯しがたい愛情が通っているのが、第三者が見ても分かる。
そんな光景は、日常的に見る事が出来ます。

どうしても子供が欲しくて、養子を貰った後に実子ができた、というようなケースも多々あるようですが、ハタから見てその子達の間に、全く差別待遇が見られないことも、普通です。
日本人の感情からいけば、後から出来た実子を偏愛して、先の養子に辛くあたる事も有りそうな事ですよね。

何らかの原因で生殖機能に欠陥を持ってしまわれた方は、本当にお気の毒ですが、それがその人の定めなのでは無いでしょうか。
相手の家系のだれかから、(本来相手は誰でもいいはず)養子を貰って、愛情を注いでいただきたいと思うのですが、不遜な意見でしょうか。

子供を生んで、平気で捨ててしまったり、殺したり、そんなケースで生まれる子供達がいる世の中でも、社会に養子を得やすいシステムが確率していれば、子供が欲しくても得られない人、子供が出来ても育てられない人、育ててもらえない環境に生まれた子供達、そして、少子化に悩む日本の社会、これら全てが救われると思うのは、期待のし過ぎでしょうか。
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日本の役人

2008-01-28 00:59:39 | フランスと日本の文化比較
東京都北区で、DV被害者女性の子供らに、住民登録が無いにも関わらず、『緊急避難的措置』で予防注射の接種等に必要な住民票を発行していた、というニュースに驚きました。
法律の定めない事、前例のない事、何かの時責任を誰が取るかということが想定出来る事、を一切やらない(と少なくとも私は固く信じています)日本の役人に、こんな発想を持てる人がいらっしゃった事に、ただただ嬉しく、少しだけ世の中を見直しました。
ちなみに類似のケースが足立区でもあったそうです。

フランスは、窓口業務にあたる公務員に、現場決済の権限をかなり広く認めています。
(そうでないと、実際物事が進まないですよね)
したがって、私の如き外国人に取って悪夢の様な、『滞在許可証/労働許可証』の拾得/更新手続きなども、自分はどの窓口の係にあたるか、で結果がかなりちがってくるのです。
召喚状に明記していない書類を持参していないというあり得ない理由で、受付を拒否されたり、さんざん粘って必死に事情を説明すれば、条件を満たしていなくても書類を受理してくれる事もあったり。

これは、係が拒否すればそれまで、逆に係が好意的に判断してくれれば何とかなったり、全く不条理な事ですが、事情は百人全部違う、というきわめて当たり前の現実の前で、ケース・バイ・ケースの対処が可能だという事になります。
日本とは全く逆ですね。

例え飢え死にしかかっていても、酷暑の老人のアパートにエアコンが有る、というだけで生活補助を打ち切ったり、瓦礫の下で助けを待っている地震の被害者が数多く居るにも関わらず、動物検疫を受けていないという理由で、遭難者救助犬の入国を拒否したり。
担当のお役人にとって、『法』は絶対で、あらゆる柔軟な適用など拒否して何ら不思議と思っていない(と見受けられますね)。
想像力の欠如。
さらにいうなら、人間としての自覚の欠如。
親の顔が見たい、配偶者の顔も見たい、子供の顔も見てみたい、という様なお役人様しか日本にはいらっしゃらないと、固く信じておりました。

そこへ持って来て、今回のニュースです。

担当者は後で懲戒されなかったのだろうか、ト心配しながらも、北区と足立区の市民課へ、遠いフランスからせめて拍手大喝采を送らせていただきたいと思う次第です。
久しぶりに、実に久しぶりに、心が温かくなりました。
でも、あえていえば、そんな事『当たり前』の事なんですけどね。日本以外では。
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