明日3月9日、パリでは広範囲のストが告知されています。
原因は、与党「社会党政権」が提出している、一つの法案への国民的反発です。
エル・コームリ労相が提出しているので『コームリ法案』と呼ばれています。
全フランス国民の70%が反対と言われているこの法案は、詳細は省きますが中小企業の活性化を狙ったもので、レイ・オフ手続きの簡略化、企業の寺中状況による仕事の繁忙期と暇な時期とで社員の労働時間の増減をやりやすくするtか。
例えば、フランスでは一度従業員を雇用すると、クビにするのが大変に困難なのですが、勤続年数に従った一時金を払うことで可能にする、とか。
労働時間ははっきりと法的に決められていて、時間外労働は従業員と組合との了承を得て初めて可能となり、業種によって時給が125%から150%になるが、職場組合の合意を得られなくても可能にし、割増料金は10%で良い、とか。
中小企業側は、経営がやりやすくなるので概ね賛成の意見もあるが、保守革新を問わず労使を問わず、70%の国民が反対という、不人気ぶり。
その影響は若年層にも及ぶというわけで、大学生がストを予告し、公務員労組も加わって、明日の全国的ストライキということになりました。
各種公共サービスが混乱し、高速鉄道(TGV)は南西系統が1/3しか運行されず、パリの郊外電車も1系統は1/2。
ルーブル美術館も終日の閉館を告知しています。
日本は、デモすら「偏見」を持たれる場合が多いほどで、ましてやストライキは全くと言って良いほど、乱れなくなってしまったようです。
デモは国民にとっての「意思表示」の大切な手段。
ストは労働者の最大の武器で、ことあるごとに行われています。
とくに、学生が全国的に立ち上がると、その影響協力は非常に大きく、時として国の政策を左右します。
古くは1968年の5月革命を筆頭に、近年でも1970年代から最近まで4度も、政府提案の法案を撤回させた輝かしい実績があります。
1975年と76年には、高校のカリキュラムの抜本的変革を求めた法案は、全国の高校生が大量動員のデモを繰り返し、結局法案の一部は撤回、それ以外も大きく変更されました。
1986年には、大学入学に選抜試験制を導入しようとした『ドウヴァケ法案』には、高校生も加わって全国でデモの嵐が吹き荒れ、労働者たちも高校生の運動に共感して労組のデモも次々発生して、警官隊の警備で一人の学生が死亡するという悲劇もあって、法案は撤回されました。
もともとフランスでは、高校三年間の学業の終了は、最終学年の学年末に1週間にわたって行われる『高校卒業資格試験』(バカロレア)を経て、80%前後の合格率を経て卒業が認められます。
第1日目の最初の科目は『哲学』で4時間の論述試験です。
そのバカロレアを取得すれば、大学は(学生数に応じて全国に振り分けれらることがあるものの)希望の学部に「いつでも」入学できるのです。
もちろん入学してからも、1年生の1学期から「専門教科」の履修で、2年に進級できるのは文学部など20%を切るほど、しっかり勉強漬けの日々となるわけですが、バカロレア取得した上で、人気の高い学部は『選抜試験』などと言い出した政府に、若者たちは実力行使で< NO >を突きつけたのです。
日本の様に高校に3年在籍すれば、不登校でも単位がもらえて、卒業証書を手にすることができる。
その「資格」があれば、フランスの大学にも入学できるという、大変な不合理さも存在します。
言いたかったことは、学生も労働者も「自分たちの不利益」だとみなす政治的な動きには、即座に反応して反対行動を起こすということです。
ところで、フランスの『労働基準法』の法典は、ナポレオン法典時代から捕逸と変更の追加が繰り返された巨大な書物で、関連法まで入れると3500ページほどもある。
デンマークという国には、そもそも『労働基準法』という法規が存在しないそうです。
単純なルールブックがあるだけで、250ページほど。
両方並べると、広辞苑の横に週刊誌があるみたいに見えます。
そのデンマークでは大企業も中小企業も、労働条件は全て労使の話し合いで決められます。
どの企業にも「労組代表」の社員がいて、生産部長とか直接の現場の責任者と、それこそ毎日会話を続けて細かな問題点まで全てを洗い出して、協議しています。
そこに、両者間に対立関係はなく、協調関係が存在するだけ。
労組代表の社員は、社員が精神的に肉体的にいかに最良の条件で作業に当たらせることができるか、を考える。
経営者側の責任者は、工場なり職場なりを、どれだけ効率よく運営して生産を高められるか、を考える。
そこに、両者の一致点を必ず見つけ出す可能性を徹底的に話し合うことで、見出しているそうです。
フランスの「最低賃金」は、日当、週給、月給により複雑に分かれていますが、2016年1月に年次改定されて時給ベースで9,67ユーロ(およそ1700円)、月給に換算すると週35時間で1.466,62ユーロです。
学歴社会で、バカロレア以降に取得したディプロム(学位や資格、免状)によって所得が変わりますが、バカロレアだけで就職すると、この金額になります。
単純労働は事務職も現場もだいたいこれで、移民労働者もパートも金額は同じです。
ところがデンマークは、会社ごとに全て話し合って決まっていて、会社ごとに話し合って改定されるので、職場毎にみな違う。
ルールブックには、一応「15ユーロを下回らないこと」という規定はあるらしいですが、ほとんどその倍ほどは確保されている。
もちろん中小企業の場合です。
大企業はもっと多いかもしれません。
つまり、フランスから見ても羨ましい限りですが、労働者は「普通に快適に」生活ができる経済的環境が、企業側との話し合いで確保されているわけです。
それに比べると、フランスは厳しいです。
夫婦両者の収入で、(階級ごとの基準はあれど)やっとまともに生活しヴァカンスにも行ける。
しかし、通勤途上の事故から始まって就業中の事故による怪我は全部「労災」認定で、社会保険から「100%」支払われます。
年金も、昔と比べてどんどん少なくなってきたとはいえ、65歳から支払われます。
夫婦の年金を支払いに変えることで、夫婦で老人ホームにも(介護付きで)入入所できます。
つまり、人間は基本的に文化的生活を快適に営むことが当然の権利として、労働環境が成立している、ということです。
翻って、日本という国はどうなのか。
『保育園落ちた、日本しね』という投稿で、日本中が炎上しているようです。
こんなことが国会の委員会質疑になること自体が、考えられないほどの体たらくなのですが。
安倍晋三の答弁が、実に「アベ過ぎる」ものだった。
批判の嵐に、さすがの「私が総理大臣ですから」のこの人も、あわててトーンダウンして火消しに大わらわ。
<以下引用>
保育園への入所選考に落ちた母親が「保育園落ちた日本死ね!!!」と題して怒りをつづったブログが波紋を広げている。ブログが匿名だったため、安倍晋三首相は2月29日の衆院予算委員会で「本当に起こっているのか確認しようがない」と突き放したが、7日の参院予算委では、待機児童を減らすため「政権交代前の倍のスピードで受け皿作りを進めている。保育士の待遇改善にも取り組みたい」と理解を求めた
毎日新聞より
そして、驚くべきことには。
【炎上】「保育園落ちた日本死ね!!!」←こんなこと言うような親だから落ちたんだろ?在日朝鮮人か外国人くらいしか日本死ねとか言わんだろ。ヤラセ・炎上目的の釣り?【はてな匿名ダイアリー】
こんなことを言い出す輩が、次々と湧いて出る。
【衝撃】「保育園落ちた日本死ね!」の黒幕は日本共産党だったwwwwww ...
あまりにも情緒の未発達な、あまりにも他人の痛みのわからない、あまりにも非人間的、非社会的日本人が増産されている。
この連中は、自分は豊かに平和に暮らしているのだろうか。
そして、自分が今暮らしている環境は、自分一人の能力で得られたのだと、信じているのだろうか。
言い換えると、社会には「自分一人」と「バカな他人」しか見えないのだろうか。
このような成長段階に問題があった年か思えない人間が、なぜにここまで増殖してしまったのだろうか。
いぜんの日本ならば、この手の出来損ないは少数で、まともに社会で取り上げられることもなかっただろう。
いつの頃からか、競争原理の拝金主義が横行し、自己責任という「一見耳障りの良い」言葉がもてはやされるに至って、このように考える大人たちが跋扈し、その大人たちを見て育った若い世代にまで蔓延してしまった。
日本の労使関係を見てみよう。
企業にとって、労働者は以前のような「家族」という感覚は無くなった。
あくまで企業の利益を生み出す為の道具にすぎない。
道具である以上、仕入れ値は低ければ低いに越したことはない。
そこには、自社院の誰もが「快適で文化的な生活」を送ることが前提での人件費は計上されていない。
企業が「これだけの利益を生むには、経費はこれこれ以下に抑えたい。したがって、社員に払う分はしかじか」と計算して決められる。
「これだけ払ってやるから、しっかり働け」
「嫌なら、代わりはいくらでもいる」
そして、さらに経費を抑える為には、人件費に付随する社会保険や年金などは切り捨てたい、という発想から『派遣社員』の導入に舵を切った。
要するに、人件費は部品代と同じグループに入れられてしまったわけです。
職場で同じ作業を行っていても「派遣さん」と呼ばれて、すでに差別化は完成してしまっている。
社員が定時で帰れるように、残業代のかからない派遣に押し付ける。
数名で分担する職場を、一人の派遣社員に押し付けて、待遇は正社員の半分とか三分の一とか。
社会で今最も必要とされて、最も過酷な作業を強いられる職場。
例えば「介護士」や「看護助手」さらには「保育士」などが、派遣社員でげっキュが10万円から、良くて12蔓延。
これで、不規則な時間帯の長時間シフト。
こういう老僧環境が支えている社会構造とは、一体誰の為に存在しているのだろう。
正規社員が当然であった労働環境は見事にゴミ箱に叩っ込まれて、非正規での雇用しかなくて、その「やっと手にした」非正規の職場を失うことを恐れて、逆らえない労働者の弱みに付け込んで、今日の「いわゆる先進国」日本というまやかしの国家が、鵺のように存在している
本来、これらは行政が監督していて、その行政は政治が方針を決める。
その政治が、国民の平和と安寧とを目指していないことは、先のネトウヨのようなアベ信者以外、誰の目にも明らかである。
しかし、国民の半分は投票に行かない。
投票する有権者の半分は、そのような社会的矛盾に、気がつこうとしない。
もう、黙っていられない。