ネットでニュスを検索すると、小沢一郎の公判における「冒頭陳述」と、その後の記者会見でのやり取りに関して、<誹謗中傷記事>8割、<共感記事>2割の割合であるようだ。
それはそのまま、これまでの「利権構造」の配分を表していると思える。
官僚が支配し、財界が後押しし、メディアが世論を形成するシステムが、まだ8割程は効果を保っている、と言う事だろう。
あの、暑かった夏が去り、秋の気配が色濃くなって来た。
これからは、鍋を囲むのが良い季節である。
そして、小沢鍋は当分の間、人気ナンバーワンの座を譲る気配は無さそうだ。
以前拙ブログで書いたが、マスコミも国会も、基本的には小沢一郎が好きなのだ。
小沢一郎を尊敬したいのだ。
しかし、素直に「お慕い申し上げます」と、言えないのだ。
恭順の意を執るのが、悔しいのだ。
官僚は、小沢一郎が怖いのだ。
自分達の「役人天国」が潰される事が、死ぬほど怖いのだ。
自分達の財布を奪われるのが、怖いのだ。
自分達が、考えもつかないな、高度でかつ実際的な内政外交に渡っての政策論が、怖いのだ。
自分達に無い実行力が、怖いのだ。
自分達の無能さを、小沢一郎の反射面として白日の下に曝す事になるのが、怖いのだ。
マスコミは、小沢一郎が気に入らないのだ。
自分達が勘違いしている、たかが知れた「エリート意識」を、くすぐってくれないのが、悔しいのだ。
知識の浅さと勉強不足を指摘されるのが、気に入らないのだ。
政府機構内の既得権であり、聖域である『記者クラブ』を廃止されるのが、許せないのだ。
政府発表にあわせて、何の努力もいらない、持ちつ持たれつでの報道姿勢を失うのが、悔しいのだ。
新聞とテレビとラジオの全部を同じ資本で経営するメリットを失う訳にはいかないのだ。
経営難のメディアを、各分野分離される事で、最終的経営困難に陥る事が、怖いのだ。
社会と国民とに不利な背景に口を閉ざして、自分達だけの利益を貪っていた「お花畑」を、一掃されるかもしれない事が、恐怖なのだ。
そして、メディアも官僚も、小沢一郎の実力を知っているだけに、悔しいのだ。
実力を認めて、自分達が天国から追放される事になるのが、悔しいのだ。
だから、認める訳に行かないのだ。
四億円もの資金を、即金で出せる事が、気に入らないのだ。
国会議員達も、小沢一郎が眩しいのだ。
政治資金収支報告を、一円単位で報告している「公正さ」に、イラつくのだ。
普段、政策立案も、予算案の策定も、国会質疑の中身も、すべて官僚に任せている事を思い知らされる事が、恥ずかしいのだ。
その官僚達を、手のひらの上で転がせる小沢一郎が、羨ましいのだ。
自分達には、そんな事は到底出来ない事が分っているから、悔しいのだ。
対米観も、対中観も、対露観も、適わないのが悔しいのだ。
でもだからと言って、自分達は劣っていますと、認める訳にはいかないのだ。
政治家として、子供扱いと同じレベルに身を置く事が、死んでも出来ないのだ。
党内活動でも、与野党間の折衝でも、選挙区対策に置いても、有力な実力者で居なければならないのに、小沢一郎に頭が上がらない事を、曝け出す訳にはいかないのだ。
政治資金も。
後援会も。
たたけば、ホコリだらけになる事が分っている以上、自分以外の「大きな標的」を造っておきたいのだ。
スケープゴートが、是非とも必要なのだ。
そのように、実力を知っているからこそ、腹立たしく、憎らしい。
それで、小沢一郎が嫌いなのだ。
同じ政治家なのに。
大きさの違いは、どう足掻いてもどうにもならないからこそ、嫌いなのだ。
かくして、永田町と霞ヶ関と、メディアとの利害は一致する。
とにかく、小沢一郎を叩いておけば、自分達は安泰なのだ。
取り敢えず、小沢一郎を叩くことで、自分達が優位に立っている事を、錯覚出来るのだ。
そして、その三者ががっちりスクラムを組んで、共同歩調を取り続ければ、国民世論は自分達の味方になる筈なのだ。
たった一人の政治家、対、与野党大半の国会議員と、全部の官僚組織と、総ての大手メディアとの勝負では、国民達は当然「政官報」連合を信じるのだから。
かくして、勝算は明らかなのだ。
追いつけない者への嫉妬と、大好きなのに尊敬しているのにそう言えない悔しさと。
そして、自分達の立場への傲慢な過信とが、「平成小沢疑獄」を造り出した。
だが。
悔しい事に、小沢一郎の側にも、引け目はある。
彼自身の持つ「資金力」の説明が、出来ていない事である。
今回の「収支報告記載事実」問題に限って言えば、四億円のカネに何ら疾しい所は無い。
自己資金を「仮出金」して、その後銀行融資を受ける事で、政治資金を減らす事を防げる。
自己資金による立て替えである以上、報告書に記載するまでもない事であった。
土地登記時に起こる、購入時と登記完了時のタイム・ラグを、購入期日記載に反映する際に起こった期ズレ。
小沢一郎自身が「冒頭陳述」の際に発言した如くに、その手の些末な事務手続き状のミスを、簡略化して処理する目的で造られた「政治資金規正法」に鑑みて、訂正で処理出来る問題に過ぎない筈である。
それなのに、何故ここまで「しつこく」説明を求められるのか。
同じ議員仲間達からまで。
そこに、上記した「嫉妬」に加えて、払拭出来ない「不透明さ」が存在するからなのだ。
かって、「自由党を解党した際の、党資金を小沢一郎の政治団体に繰り入れた」との報道があった。
恐らく、そうなのだろう。
自由党自体が、『小沢商店』であった以上、別にそれをとやかく言う事も無い。
しかし、「大衆」にとっては。
カネがいくら有っても足りない「政治屋」にあっては。
そこが、納得出来ないのであろう。
自民党を飛び出し、新生党、新進党、自由党など政党をつくっては壊す「政党転がし」で、小沢は党に残ったカネを自分の政治団体に移してきた。
形の上では、そう言う事になる。
その額はかなりものになるはずだろう。
今回、陸山会に貸したといわれる4億円などほんのその一部でしかないと思える。
いくら、遺産が有っても、奥方の収入が多かろうが、やはり四億円は「秘書達の社宅」建設のために、一度に支払うには大きな金額だ。
メディアの連中は、エリート意識に凝り固まっているとは言え、所詮は「サラリーマン」なのだから。
羨ましいに違いない。
何しろ、四億円だ。
浅はかな連中には、嫉妬心の起きる金額なのだろう。
そこの所が、一般大衆にまで空気が及んで抜けないの点なのだ。
登石郁朗裁判長は『ミスター推認』といわれ、常に検察のほうを向いていて、弁護士や被告人が何をいっても表情を変えずに有罪判決を出すことで有名な裁判官であるらしい。
この登石が、小沢一郎が岩手県や秋田県の公共工事に対して決定的な影響力をもち、「水谷建設」から裏金5000万円を受け取っていたと推認している。
もちろんこれは、明確な根拠になど全く基づいていない、馬鹿馬鹿しい想像である。
この判決は、しかし一裁判長のスタンドプレー等ではなく、最高裁の考え方が影響を与えている政治的な判決以外の何者でもない筈だ。
「サンデー毎日」評論家の佐藤優が、今回の判決には政治主導を掲げている民主党を潰さなければいけない、なぜならば国民は無知蒙昧で、その国民から選ばれた政治家などはたいしたことがないという官僚の政治家蔑視・集合的無意識が働いたといっている。
確かにその通りだ。
しかし、繰り返すが小沢一郎から、その他大勢を黙らせるに足る「説明」は、為されていない。
その事が、一因と言えるのだ。
政治にはカネが係る。
当然である。
そのカネを。
賄賂で集めるか。
◯暴の関係からの献金を受け入れるか。
入れ替わり立ち替わりの組織的企業献金に頼るか。
信者のお布施にたよるか。
党員の治める党費と組合員からの組合費で賄うか。
いずれも、法の目をくぐり抜ける為の、あらゆる試みが為されて来たのだ。
そのような歴史的背景の中に有って、政治のプロ中のプロである小沢一郎が、法に反する事をやる筈など無い事は、小沢支持者なら誰しも異論は無い処だ。
しかし、だからと言って「一切法に触れる事は致して居りません」の発言を繰り返しているだけでは、愚かで嫉妬深い国民は、納得出来ないのだ。
やはり、説明すべきである。
一大発表会を開催して。
ありとあらゆる、パネルやプロジェクターや先端システムも駆使して。
メディアに、大小や記者クラブかフリーかに関わらず総てに解放して。
経理専門家、プレゼンの専門家、税理士弁護士、引き連れて。
それこそ電通か博報堂に仕切らせて。
画像と絵図と視覚的資料を総動員して。
見ている方が、聞かされている方が、疲れて逃げ出すくらいに微に入り細に穿って。
全国民に「グウ」の音もでないまでに、説明し尽くせば良いのだ。
敵に言われる前に、敢えて言う。
『小沢一郎の金脈問題まで有耶無耶にしてはいけない。』
そうしなければ、この問題は永久に片がつく事は無いであろう。
今回始まった小沢裁判」も、一審の判決が無罪有罪の可能性は半々であると思う。
郷原弁護士の手腕で、判事役の指定弁護士が「訴訟の約束」に沿って、正しく裁判を遂行すれば、当然無罪にならなければ可笑しい。
しかし、今回の秘書への判決の如く、訴因とは関係ない所で「政治的推認」に基ずく判決が予定されている可能性も、多いに高いと思われる。
その後の、上告合戦。
最高裁まで、数年間の「被告」扱いは続くであろう。
よしんば、晴れて「無罪」を勝ち取ったとしても、それで総てが決着とは行かない筈だ。
「限りなくグレーに近い白」と、言われ続けるに違いない。
「そうでは無い事」を理解出来るほど、国民は理解力を備えていないのだから。
理解力は有っても,判断材料が大手メディアからの一方通行から、抜け出せないのだから。
選挙には、カネが湯水の如くに必要となる。
どれだけ「清潔選挙」を唱えようと、必要経費は天文学的に増えて行く。
素人でも分る事。
その為に、政党責任者としては、資金のプールは絶対に不可欠である。
特に、重点選挙区へのてこ入れは、重要な作戦である。
ベテランの無風選挙区も、新人の当落線上の選挙区とを、同じ扱いしかしない素人幹事長には、理解出来ない選挙戦術なのだ。
そのお陰も有って、民主党は政権交代を成し遂げた。
そんなことは、少しも不思議な事では無く、ましてや違法行為などどこにも存在しない。
その為の「政治資金」のプールに関して。
その事に関して、いつまでも繰り返し「あら探し」されて、陰口をきかれ、足を引っ張られるのは、金輪際ご免被りたい。
小沢一郎殿に、是非お願いする。
御身の「公私両面」に渡っての資金の実体を、是非とも公開し、説明して頂きたい。
そこまでやらされる事は、悔しいでしょう。
プライドを、いたく傷つける事でありましょう。
しかし、必要な事であります。
有名税と割り切って、是非実行して頂きたい。
日本の真の民主化を願う国民として,お願い致します。
日本の、真の民主化の為にこそ、御身を是非に必要と感じている、総ての憂国の民の一人として、切にお願い致します。
必ず、聞き届けて頂きたい。
小澤一郎殿!
それはそのまま、これまでの「利権構造」の配分を表していると思える。
官僚が支配し、財界が後押しし、メディアが世論を形成するシステムが、まだ8割程は効果を保っている、と言う事だろう。
あの、暑かった夏が去り、秋の気配が色濃くなって来た。
これからは、鍋を囲むのが良い季節である。
そして、小沢鍋は当分の間、人気ナンバーワンの座を譲る気配は無さそうだ。
以前拙ブログで書いたが、マスコミも国会も、基本的には小沢一郎が好きなのだ。
小沢一郎を尊敬したいのだ。
しかし、素直に「お慕い申し上げます」と、言えないのだ。
恭順の意を執るのが、悔しいのだ。
官僚は、小沢一郎が怖いのだ。
自分達の「役人天国」が潰される事が、死ぬほど怖いのだ。
自分達の財布を奪われるのが、怖いのだ。
自分達が、考えもつかないな、高度でかつ実際的な内政外交に渡っての政策論が、怖いのだ。
自分達に無い実行力が、怖いのだ。
自分達の無能さを、小沢一郎の反射面として白日の下に曝す事になるのが、怖いのだ。
マスコミは、小沢一郎が気に入らないのだ。
自分達が勘違いしている、たかが知れた「エリート意識」を、くすぐってくれないのが、悔しいのだ。
知識の浅さと勉強不足を指摘されるのが、気に入らないのだ。
政府機構内の既得権であり、聖域である『記者クラブ』を廃止されるのが、許せないのだ。
政府発表にあわせて、何の努力もいらない、持ちつ持たれつでの報道姿勢を失うのが、悔しいのだ。
新聞とテレビとラジオの全部を同じ資本で経営するメリットを失う訳にはいかないのだ。
経営難のメディアを、各分野分離される事で、最終的経営困難に陥る事が、怖いのだ。
社会と国民とに不利な背景に口を閉ざして、自分達だけの利益を貪っていた「お花畑」を、一掃されるかもしれない事が、恐怖なのだ。
そして、メディアも官僚も、小沢一郎の実力を知っているだけに、悔しいのだ。
実力を認めて、自分達が天国から追放される事になるのが、悔しいのだ。
だから、認める訳に行かないのだ。
四億円もの資金を、即金で出せる事が、気に入らないのだ。
国会議員達も、小沢一郎が眩しいのだ。
政治資金収支報告を、一円単位で報告している「公正さ」に、イラつくのだ。
普段、政策立案も、予算案の策定も、国会質疑の中身も、すべて官僚に任せている事を思い知らされる事が、恥ずかしいのだ。
その官僚達を、手のひらの上で転がせる小沢一郎が、羨ましいのだ。
自分達には、そんな事は到底出来ない事が分っているから、悔しいのだ。
対米観も、対中観も、対露観も、適わないのが悔しいのだ。
でもだからと言って、自分達は劣っていますと、認める訳にはいかないのだ。
政治家として、子供扱いと同じレベルに身を置く事が、死んでも出来ないのだ。
党内活動でも、与野党間の折衝でも、選挙区対策に置いても、有力な実力者で居なければならないのに、小沢一郎に頭が上がらない事を、曝け出す訳にはいかないのだ。
政治資金も。
後援会も。
たたけば、ホコリだらけになる事が分っている以上、自分以外の「大きな標的」を造っておきたいのだ。
スケープゴートが、是非とも必要なのだ。
そのように、実力を知っているからこそ、腹立たしく、憎らしい。
それで、小沢一郎が嫌いなのだ。
同じ政治家なのに。
大きさの違いは、どう足掻いてもどうにもならないからこそ、嫌いなのだ。
かくして、永田町と霞ヶ関と、メディアとの利害は一致する。
とにかく、小沢一郎を叩いておけば、自分達は安泰なのだ。
取り敢えず、小沢一郎を叩くことで、自分達が優位に立っている事を、錯覚出来るのだ。
そして、その三者ががっちりスクラムを組んで、共同歩調を取り続ければ、国民世論は自分達の味方になる筈なのだ。
たった一人の政治家、対、与野党大半の国会議員と、全部の官僚組織と、総ての大手メディアとの勝負では、国民達は当然「政官報」連合を信じるのだから。
かくして、勝算は明らかなのだ。
追いつけない者への嫉妬と、大好きなのに尊敬しているのにそう言えない悔しさと。
そして、自分達の立場への傲慢な過信とが、「平成小沢疑獄」を造り出した。
だが。
悔しい事に、小沢一郎の側にも、引け目はある。
彼自身の持つ「資金力」の説明が、出来ていない事である。
今回の「収支報告記載事実」問題に限って言えば、四億円のカネに何ら疾しい所は無い。
自己資金を「仮出金」して、その後銀行融資を受ける事で、政治資金を減らす事を防げる。
自己資金による立て替えである以上、報告書に記載するまでもない事であった。
土地登記時に起こる、購入時と登記完了時のタイム・ラグを、購入期日記載に反映する際に起こった期ズレ。
小沢一郎自身が「冒頭陳述」の際に発言した如くに、その手の些末な事務手続き状のミスを、簡略化して処理する目的で造られた「政治資金規正法」に鑑みて、訂正で処理出来る問題に過ぎない筈である。
それなのに、何故ここまで「しつこく」説明を求められるのか。
同じ議員仲間達からまで。
そこに、上記した「嫉妬」に加えて、払拭出来ない「不透明さ」が存在するからなのだ。
かって、「自由党を解党した際の、党資金を小沢一郎の政治団体に繰り入れた」との報道があった。
恐らく、そうなのだろう。
自由党自体が、『小沢商店』であった以上、別にそれをとやかく言う事も無い。
しかし、「大衆」にとっては。
カネがいくら有っても足りない「政治屋」にあっては。
そこが、納得出来ないのであろう。
自民党を飛び出し、新生党、新進党、自由党など政党をつくっては壊す「政党転がし」で、小沢は党に残ったカネを自分の政治団体に移してきた。
形の上では、そう言う事になる。
その額はかなりものになるはずだろう。
今回、陸山会に貸したといわれる4億円などほんのその一部でしかないと思える。
いくら、遺産が有っても、奥方の収入が多かろうが、やはり四億円は「秘書達の社宅」建設のために、一度に支払うには大きな金額だ。
メディアの連中は、エリート意識に凝り固まっているとは言え、所詮は「サラリーマン」なのだから。
羨ましいに違いない。
何しろ、四億円だ。
浅はかな連中には、嫉妬心の起きる金額なのだろう。
そこの所が、一般大衆にまで空気が及んで抜けないの点なのだ。
登石郁朗裁判長は『ミスター推認』といわれ、常に検察のほうを向いていて、弁護士や被告人が何をいっても表情を変えずに有罪判決を出すことで有名な裁判官であるらしい。
この登石が、小沢一郎が岩手県や秋田県の公共工事に対して決定的な影響力をもち、「水谷建設」から裏金5000万円を受け取っていたと推認している。
もちろんこれは、明確な根拠になど全く基づいていない、馬鹿馬鹿しい想像である。
この判決は、しかし一裁判長のスタンドプレー等ではなく、最高裁の考え方が影響を与えている政治的な判決以外の何者でもない筈だ。
「サンデー毎日」評論家の佐藤優が、今回の判決には政治主導を掲げている民主党を潰さなければいけない、なぜならば国民は無知蒙昧で、その国民から選ばれた政治家などはたいしたことがないという官僚の政治家蔑視・集合的無意識が働いたといっている。
確かにその通りだ。
しかし、繰り返すが小沢一郎から、その他大勢を黙らせるに足る「説明」は、為されていない。
その事が、一因と言えるのだ。
政治にはカネが係る。
当然である。
そのカネを。
賄賂で集めるか。
◯暴の関係からの献金を受け入れるか。
入れ替わり立ち替わりの組織的企業献金に頼るか。
信者のお布施にたよるか。
党員の治める党費と組合員からの組合費で賄うか。
いずれも、法の目をくぐり抜ける為の、あらゆる試みが為されて来たのだ。
そのような歴史的背景の中に有って、政治のプロ中のプロである小沢一郎が、法に反する事をやる筈など無い事は、小沢支持者なら誰しも異論は無い処だ。
しかし、だからと言って「一切法に触れる事は致して居りません」の発言を繰り返しているだけでは、愚かで嫉妬深い国民は、納得出来ないのだ。
やはり、説明すべきである。
一大発表会を開催して。
ありとあらゆる、パネルやプロジェクターや先端システムも駆使して。
メディアに、大小や記者クラブかフリーかに関わらず総てに解放して。
経理専門家、プレゼンの専門家、税理士弁護士、引き連れて。
それこそ電通か博報堂に仕切らせて。
画像と絵図と視覚的資料を総動員して。
見ている方が、聞かされている方が、疲れて逃げ出すくらいに微に入り細に穿って。
全国民に「グウ」の音もでないまでに、説明し尽くせば良いのだ。
敵に言われる前に、敢えて言う。
『小沢一郎の金脈問題まで有耶無耶にしてはいけない。』
そうしなければ、この問題は永久に片がつく事は無いであろう。
今回始まった小沢裁判」も、一審の判決が無罪有罪の可能性は半々であると思う。
郷原弁護士の手腕で、判事役の指定弁護士が「訴訟の約束」に沿って、正しく裁判を遂行すれば、当然無罪にならなければ可笑しい。
しかし、今回の秘書への判決の如く、訴因とは関係ない所で「政治的推認」に基ずく判決が予定されている可能性も、多いに高いと思われる。
その後の、上告合戦。
最高裁まで、数年間の「被告」扱いは続くであろう。
よしんば、晴れて「無罪」を勝ち取ったとしても、それで総てが決着とは行かない筈だ。
「限りなくグレーに近い白」と、言われ続けるに違いない。
「そうでは無い事」を理解出来るほど、国民は理解力を備えていないのだから。
理解力は有っても,判断材料が大手メディアからの一方通行から、抜け出せないのだから。
選挙には、カネが湯水の如くに必要となる。
どれだけ「清潔選挙」を唱えようと、必要経費は天文学的に増えて行く。
素人でも分る事。
その為に、政党責任者としては、資金のプールは絶対に不可欠である。
特に、重点選挙区へのてこ入れは、重要な作戦である。
ベテランの無風選挙区も、新人の当落線上の選挙区とを、同じ扱いしかしない素人幹事長には、理解出来ない選挙戦術なのだ。
そのお陰も有って、民主党は政権交代を成し遂げた。
そんなことは、少しも不思議な事では無く、ましてや違法行為などどこにも存在しない。
その為の「政治資金」のプールに関して。
その事に関して、いつまでも繰り返し「あら探し」されて、陰口をきかれ、足を引っ張られるのは、金輪際ご免被りたい。
小沢一郎殿に、是非お願いする。
御身の「公私両面」に渡っての資金の実体を、是非とも公開し、説明して頂きたい。
そこまでやらされる事は、悔しいでしょう。
プライドを、いたく傷つける事でありましょう。
しかし、必要な事であります。
有名税と割り切って、是非実行して頂きたい。
日本の真の民主化を願う国民として,お願い致します。
日本の、真の民主化の為にこそ、御身を是非に必要と感じている、総ての憂国の民の一人として、切にお願い致します。
必ず、聞き届けて頂きたい。
小澤一郎殿!