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晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

「成人年齢を引き下げる」べきか?

2009-07-30 07:16:58 | 社会問題
成人年齢、18歳に引き下げ=実施時期「国会の判断」-自立促す・法制審部会(時事通信)

各種新聞やテレビのニュースで、取り上げられたこの問題を考えると、頭が痛くなってくる。

私の住むここフランスでは、選挙権が与えられるのが18歳で、これをもって<成人>とします。

客観的に見てみると、フランス人の18歳と、日本人の18歳とでは、人間的成熟度に著しい差がある様に思えるのです。

実際NHKテレビのニュースでインタヴューに答える若い女性の、「18歳で成人? イエ~い、OK!」と言う姿を見てしまったからには、余計<疑問>の心が膨らんでしまったのでした。

まあ、たまたま映った対象が、渋谷をふらついているギャル(ヤな言葉!)然とした女性であったので、<サンプリング>も問題、と言ってしまえばそれまでではあるものの。。。

<成人する>と言う事の持つ意味を、今の日本人のうちはたしてどれくらいの若者達が、正しく認識している事やらと考えると、疑問は増々膨らんで果てしなくなってしまいそう。

成人式を見てみてくださいよ。

まるで<笑点>の落語家みたいな、キイロやミドリやピンクの着物(!)着て騒ぎまくってる男の子達をみると、頭カチ割ってやりたくなる。

<ディズニーランド>で成人式だゼ!?

もちろん<大多数>の新成人は<常識的>に見えなくもない、とは言う物のです。

あまりに幼い。

もちろん<外見上幼い>事が、即<成人として認められない>と言う訳ではありません、

昔の武士階級の<元服の儀>なんて、皆とっても<幼かった>ワケです。
でも、その幼い表情のなかに、幼いなりの<必死の決意>と<晴れがましさ>みたいな物が込められていた、と思うのです(見た事はありませんが、想像に難くない)。

しかるに<現代の>若者達はと見るに、女の子達なんて、親の気持ちの籠った<晴れ着>でめかしこんで、化粧やネイルアート(!)なんて、ヨーロッパで見ると<娼婦>にしか見えない装いで、ただ浮ついているだけ、に見えるのは私だけだろうか?

自分の祖国(つまり日本の事ですゾ)の未来に関して語れる若者が、成人式に参加している中の何人居るだろうか。

世界の未来像を思い描ける若者が、何人居るだろうか?

その<人類の未来>に果たす自分の役割、なんて事に身が震える様な思いを抱く、なんて若者はイルのだろうか。

そんな大げさな事でなくとも、成人してからの<社会に占める自分の位置>等と言う事に思いを馳せる、なんて若者が、いるのかしらん。

もちろん、<若気の至り>でも<青臭い気負い>でも、何でも良いのです。
<大人になる>と言う事への<覚悟>と言うか、<自覚>と言うか、<社会に対する責任>と言うか、精神の中に何かの<感じるもの>が無いとやっぱりダメなのではないか。

真面目で、精神的にちゃんと成熟している若者も、当然数多く居るでしょう。
でも成人年齢の人口の、何割くらい居るかと想像すると、とても楽観的意見は言ってられない気がする。

オオッピラに酒飲めるゼ、じゃいかんだろ。

まあ、自覚を持った青少年(ジジイ臭い表現ですナ我ながら)達には、成人年齢を引き下げる事が、自覚を促すと言うプラスの効果も期待出来るでありましょう。

しかし、実際問題として、数値的年齢ではなく、<精神年齢>だと思うのですね私としましては。

たとえ中卒(もう居ないか。。。)で工務店に就職して、大工さんの見習いしてる子だって、真面目に自分の将来を見据えて頑張っている子は、所得税も払って、年金も掛けてるのであれば、立派に<成人>として処遇して良い、と考えます。

当然そのような若者であれば、16歳でも<選挙権>も付与していい、と思う。

逆に、ボーソー族みたいのや、ヤンキー(同じ?)見たいのや、あるいはニートで無職なんてヤツらには、たとえ25歳であろうが30だろうが、<成人>とは見なせない、ような気がするのです。

肉体的にいくら成熟してても、精神がガキであったら、そんなヤツはおじサンは<大人>とは見なさないゾ。

さらに付け加えるならば、ちょっとした出来心からの<万引き>や、口論から起こった諍いでうっかり相手を傷つけてしまった、なんて事件の当事者は、当然<将来>を考慮して更生させるべく計らうのは必要でありましょう。

しかし、人を殺しただの、連続レイプだの、お年寄りを襲って強盗しただの、気晴らしに放火した、なんてガキは<少年法>なんて不合理なキメごとで守ってやる必要は断固として無い。

江戸時代の『火盗改め』と言う、<殺し>と<火付け>と<強盗>は別格で処理する制度、は至って合理的だったと思います。

現在の<刑法>やら<刑事訴訟法>やら<少年法>なんて法律を制定した当時は、子供達を含めて日本人全体が、今みたいに<手の付けられない>状況では無かったはず。

刑法全体を、(残念な事に)時代に合わせて改正する事こそが、<成人年齢の引き下げ>何ぞより、ずっと焦眉の急だと思う昨今であります。

「今の若者は。。。」なんて言ってる私のこの状況は、ただ年取っただけなのかしらん。。。

しかし、今の青少年達に敢えて言おう。

「精神の自活をせよ!」
「人生に恐れを抱け!」

とにかく、社会を舐めるなヨ。。
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『心にしみる光景』<プロヴァンスのラヴェンダー畑> / それにしても心にしみない日本の選挙運動

2009-07-26 08:35:53 | 心にしみる光景
今や、南仏プロヴァンス地方は<ラヴェンダー>の真っ盛り。

     
     今回の『心にしみる光景』です。


プロヴァンスを訪れた方なら、いやそこまで行かずとも、パリにいらっしゃった方々なら、空港および町中のお土産屋さんに、黄色や緑も鮮やかな色彩の『プロヴァンス小紋』の小袋に入ったポプリが、沢山売られているのに気がつかれた事でしょう。

現地では、行く先々の町や村の広場の花壇、通りの沿道、果ては個人の住宅の前のプランターに至るまで、この香り高い鮮やかな青い花で、飾り立ててあります。


アヴィニヨンから東へ1時間、<ピーター・メール>が散々書いたゴルドという、典型的な<鷹の巣村>が有ります。

     

この、中世以来のたたずまいの素敵な村のすぐ近く、丘を登り谷へ下った<人里離れた>所に、『セナンク大修道院』が有ります。
その前庭は、見事な丹精された<ラヴェンダー畑>が広がっています。
残念ながら、花の無い写真しか手元に無いのが残念ですが。。。

     

もちろんその僧院の売店にも、修道僧達がそこで育てたラヴェンダーの、ポプリやジャム等が売られています。

この、<プロヴァンス>の象徴のような、香り高い花をつける植物は、本来は<地中海沿岸>の標高700メートル以上でないと自生しないのだそうです。

<自生>のものにお目にかかる事は難しいにしろ、その辺りを車で走れば、運が解ければ<心にしみるような>一面真っ青な畑に遭遇する事も、まれでは有りません。


所で、そこからさらに東に1時間半程走ると『本家グランド・キャニヨン』が有ります。

      

本来フランス語で、切り立った<渓谷>のことを、キャニヨンと言います。
従って、大規模な<大渓谷>は皆<グランド・キャニヨン>となる訳ですが、各地に有る大峡谷の中で、こここそが<本家本元>の『グランド・キャニヨン』なのです。

16世紀以降、特に17世紀になって、ヨーロッパ各国から続々と新大陸に一攫千金を夢見て渡った連中は、色々な場所に、自分達の故国の地名を付けたりしています。

<ネヴァダ>然り、<シエラ・レオーネ>然り、ニュー<ヨーク>しかり。

当然、アリゾナの<大峡谷>を見つけたフランス人達は、慣れ親しんだ<グランド・キャニヨン>と呼び習わす様になったのですね。

この辺りには、ラヴェンダーの群生している所が結構有るんですよ。



このような、美しい<心に沁み入る>様な光景を見ていると、待ちに待ったはずの<衆院選>で巻き起こるであろうに違いない<大狂乱>がおぞましい。。。

完全に<野党>になる事が避けられそうにない状況となった<自民党>が、これから40日もの間に、一体全体どんな<奇策>や<禁じ手>や、なりふり構わぬ<下品な悪あがき>を仕出かしてくるかと思うと。

民主党とて、まったく<清廉潔白>では無いのは当たり前(政治なんてそのような物です)、きっとありとあらゆる醜いけんかが起こるに違いないでしょう。

それにしても、あの<選挙カー>という代物、なんとかならない物だろうか。

幸い私は日本に居ないけれど、朝から晩まで<金切り声>でわめき散らして(あっという間に遠ざかってくれりゃ良い物を)徐行して行くハンドマイクのけたたましさは、並みの神経では耐えられそうも無い。

結局<誰も聞いちゃいない>のデス。

選挙カーで聞こえた名前には<絶対投票しない!>と言う人達も、結構居るらしい。

あんな<百害有って一理も無い>ような物は、税金でまかなう必要は一切ないのでは無かろうか。

有るテレビ番組で、インタビューされた小学生(おそらく4年生位の男児)がいってましたよ。

「騒音をまき散らして、エネルギーを浪費して、CO2をまき散らすだけ」

なんて頭のいい子だろう、と思わず画面に向かって<拍手>してしまった次第であります。

当地フランスでは、町の所定の所に設けられた<掲示板>に政党毎に一枚ずつポスターを貼るだけ。
あとは、各候補者は、毎日各所で<ミーティング=個人演説会>を勢力的にこなして行く。

テレビやラジオでの<討論会>が頻繁に行われるが、通りには<まったく>騒音は存在しない。
うっかりテレビやラジオを点けずに居ると、<選挙期間中>出有る事を忘れてしまうくらいなのです。

しかし<投票率>は往々にして、70%台。

フランス人達は、みな真面目と言うか、国民の<義務であり権利である>投票は、可能な限り行うのです。
それが<当たり前>なんですけれどね。

そういう状況に無かったから、わが日本は60年近く<一党独裁>を許し、その<党>が<政治家>ではなく<政治屋>で成り立っていたが故に、<霞ヶ関の官僚>の利益のままに、えんえんと国民がバカを見て来た訳です。

とにかく<静か>で<熱い>選挙にしましょうや。
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1963年の皆既日食と、1999年のとを見たゾ!

2009-07-23 07:26:30 | 四季の風景
本日2009年7月22日に<皆既日食>は、残念ながら日本に居なかったため、見る事が出来なかった。。。


でも、前回の46年前のを、見ていました。

1963年、わたくしは、紅顔可憐(?)な小学生。

今と違って、皆<黒の下敷き>を買って準備したものでした。

私は、親に教わって<ガラス板>の表面をローソクの火(!)で舐めてススをつけて黒くしたもの、を使ってみた様な気がします。

その後、目を<患った>とか<失明した>とかと言う様なニュースは、無かったと思います。

当時の人々の方が、今の人間よりうんと<タフ>だったのかしらん?

その現象の<本当の価値>が解っていたとは到底思えないものの、学校が午前中で終わり、午後全員わくわくしてその時をそれぞれの場所で待っていたのでした。

その瞬間の事は、残念ながらあまり良く覚えていません。

ただ覚えている事は、一陣の風が吹いたような、なんだか<怪しげな>雰囲気に満たされて、自分がこの世の何処にも居ない様な、逆に自分は今どこに居るのか解らない様な、不思議な感覚だった様な気がします。

昼なのに暗く、しかし<夜>の暗さとは全然違う<不思議な暗さ>で包み込まれ、周りの<音>が一切無くなって、下半身がザワザワするような、なんとも言えない奇妙な感覚に包まれた様な、そんな記憶がよみがえって来ました。

再び姿を表した<太陽>がまるで<三日月>のように見えて、ふと足下に目をやると、今見上げていた<三日月型の太陽>と同じ形が、地面に沢山映し出されていました。

実はすぐ近くに木が生えていたのですが、頭上に延びた枝に繁る葉っぱの隙間を通して地面に届く光が、ことごとく三日月型をしていたのです。

その事に気がついた時、得も言えぬ感覚に捕われました。

なんて事を、実に46年ぶりに思い出したのですが、<その次の皆既日食>が今日だった、なんて全く知らなかった。


それから、わたしは<20世紀最後>の皆既日食も見る事が出来る幸運に恵まれました。

1999年8月11日。

午前の早い時間に、南イングランドで始まった<それ>は、英仏海峡を渡ってダンケルクあたりに上陸(!)し、パリより北側を移ろって東進し、シャンパーニュ地方からアルザス地方に進んで、ラインを渡ってドイツに抜けて行く、と言うコースであったと思います。

パリに住む者として、この千歳一隅のチャンスを逃してなるものか。

日本から招いた人をジュネーヴで待ち受け、アヌシー湖におもむき、アルザスに入って<日食>を拝んで、ブルゴーニュに抜ける旅、を思い立ったのでした。

アルザスといえば、西ローマ帝国が滅びて、フランク王国が出来て以来、その帰属がドイツとフランスとの綱引きにもてあそばれた、数奇な運命をくぐり抜けて来た所です。

一見ドイツ風。
でも、あのドイツの様な<そっけなさ>が無くて、どこか<艶っぽい>光景は、明らかにフランス。

     
そのアルザスの首都<ストラスブール>の旧市街『プティット・フランス』地区の艶姿は、<世界遺産>に登録されています。


私たちは、少しでも良い条件で<日食>を観測するべく、<高い所>をめざして、ストラスブール郊外の『サント・オディール山』に登りました。

その辺りが<神聖ローマ皇帝領>だった頃の、その辺りの城主のお姫様のロマンティックにして悲しい逸話に基づく、『聖女オディール』の為に建立された大修道院が、山の頂きを占め、その修道院のテラスに多くの人々が集まって、その瞬間を待ち受けました。

    
  『サント・オディール大修道院』の建物。          テラスに集う人々。

    
  テレビ・クルーも、親子連れも。


    
  10分前。そろそろ<異様な>雰囲気が漂い始めた。    結局<皆既日食>に全員大満足でした。



ただ<ダイヤモンド・リング>の瞬間は、写真に撮るより自分の目で見極めたかったので、あえて写さなかった。。。




興奮冷めやらぬまま下山した私たちは、やや遅めのお昼ご飯にありつきました。

    

  ストラスブールの<木梁>の家と、例えばコールマールや、その他数々のオモチャの様に美しい村々のそれぞれが、梁の組み合わせ方、色使い、みな違うのです。

そして<アルザス>といえば、発酵キャベツとソーセイジ類の盛り合わせ『シュークルート』が名物料理として有名です。
ドイツの<ザウアー・クラウト>と同じ言葉で、見た目も一緒ながら、その実態は全く別もの。
ドイツのそれより<遥かに>おいしい!

それから、日本ではほとんど知られていない(たぶん)名物料理に、この写真の『ベーコフ』があります。

かわいい絵付けの陶器のなべに、タマネギのスライス、ラム肉、ジャガイモのスライス、チキン、又タマネギと幾重にも層にして、アルザスの銘酒<リースリング>ワインをどかどか注いで、蓋をパン生地で目地を埋めて、オーブンで5時間蒸し焼きにするのです。

美味いのなんの!


        

ちなみに、ストラスブールの広場にたたずむこの銅像は、『グーテンベルグ』。

この町で過ごす間に<何やら>考えついて、出資者が得られなかった為にアルザスを去って、その直後アムステルダムで<活版印刷機>を稼働させる事に成功しました。

残念。


ストラスブールと、65キロ南のコールマールの間の葡萄畑に沿って、愛らしい村々が続き、『アルザス・ワイン街道』と呼ばれています。

イッテルスヴレール、ミッテルベルグハイム、リックヴィール、カイゼルスベール、リボーヴィレ等々、絵の様に美しい村の連続は、一度訪れると絶対に病み付きになるほどの魅力です。
        

サント・オディール山とは別の山の頂きにそびえる『オー・コーニグスブール城』の天守から見下ろすアルザス平野は、格別です。
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又繰り返された「助けて~と言う声が聞こえましたけどね~」という無関心 日本は終わってしまった。。

2009-07-19 19:34:50 | 社会問題
事件が起こる度に、同じ事の繰り返し。

千葉の団地での、女性殺人とその娘さんの誘拐事件で、NHKニュースでのインタビューに答えている、同じ団地の住人達の<同じ答え>。

「助けて、助けて、と大声で言っているのが聞こえましたけどね」
「助けて、助けて、という声が聞こえましたよ」
「助けて、助けて、という女性の声がしました。若くない女性でしたよ。おばサンというか」
「助けて、と2度聞こえて、階段を下りて行く音が聞こえましたね」

一体何人の<隣人達>が、同じ事を言っているのだろう。

まるで<他人事>。

普通、助けを求める声が聞こえたら、何らかのアクションを起こすだろう、<人間>だったら。

「。。。。けどね」
「。。。。ましたよ」
の異常さ。

評論家かよ。

すぐ110番しろよ!
自分の身を守れて、相手の動きを妨げられそうな何か大きなもの(イスでも掃除機のホースでも)を持って、駆けつけろよ!

理解出来ません。
この住人達の<無関心さ>が。

もし2~3人の隣人が、手に手に何か障害物を持って押し掛けたら、ストーカーごときやわな男など、すぐ逃げ出すか、取り押さえられただろうに。

何人かで階段を塞げば、娘さんを連れ出す事だけでも、防げただろうに。

それにしても、インタビューに「助けを求める声が聞こえた」と、平気で答える神経も理解出来ない。

こういった、助けを求める隣人に無関心で居られる態度を、平気でテレビにさらす事が出来る様な連中は、自分がその立場になってみて始めて、助けてもらえない事に対する<恐怖>と<絶望>と<無念さ>とを実感しながら死んで行くのでしょう。

それとも多分、被害者の方々は、知らないうちに<妖怪の団地>に住み着いてしまっていたのでしょうか。
むしろそうであって欲しい。

私の祖国が、こんな<人>ばかりになってしまったのか、なんて考えたくない。

こういう事の繰り返しを見聞きする度に、悲しいとか、恐ろしいとか、以前にどう反応していいのか、理解出来ないことに呆然としている私です。

こんな日本に誰がした。。。。。。
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フランス『革命記念日』に、日本人の愛国心の現実に想いを馳せてしまったのでした

2009-07-14 20:54:43 | フランスと日本の文化比較
                       <写真提供:フランス共和国大統領府広報室>




今日は、いわゆる<パリ祭>です。
パリ祭といえば、何やら<シャンソン>が流れ、<ダンス>に打ち興じる、独特の(軟弱な?)イメージが、一部で確立している様な。。。

歴史に他に類を見ない出来事、<王制>を国民が否定したあの<フランス大革命>は、220年前の今日、つまり1789年7月14日に勃発します。

ルイ16世の御代になって、打ち続く飢饉が、それまでの続いた対外戦争による経済的危機状態が破綻に瀕していた時、前日に市民が<バスティーユ武器厰>を襲って手にした武器を持って、<政治犯>を収容していた『バスティーユ牢獄』を襲撃した事により、大革命が始まりました。

その記念すべき(色々なイミに置いて)出来事を記念する日です。

第2次大戦以後は、国民の間に自らの<アイデンティティー>を思い起こし、<愛国心>を高め、国家にたいする国民の<求心力>を強める為の式典、と行った意味合いが強くなっています。

           

祭日の<惰眠>をむさぼっていると、窓の外にやかましい飛行機の飛来音が聞こえて来て、パレードの開始が分かります。

      

ナポレオンが創設した<理工科学校>の学生達を先陣に、あらゆる軍関係のパレードが繰り広げられるのです。

フランスの、極端とも言える<エリート支配>の制度と、それを支える<超難関校の学歴社会>は、文部省管理下の<普通の>大学とは違う、夫々の省庁に属する<専門大学校=グランド・ゼコール>が支えています。

<エコール・ポリテクニーク=理工科学校>は、総理府配下の<エナ=行政学院>とならんで、その最高峰に位置します。

あらゆる種類の部隊のパレードは、毎年パレード要員に選ばれると、それこそ大変な名誉で、各部隊の先頭を行く指揮官、および部隊全員の顔が、<能面>のように無表情に見えるものの、目には<感動>がみなぎっているのを、感じ取る事が出来ます。

あらゆるタイプの<ヒコーキ>と、<軍事車両>が次々と行進し、陸軍に属する<消防隊>が登場するに及んで、沿道の拍手はひときわ大きくなります。

火災だけでなく、バルコニーに出て窓が閉まって<閉め出された>とか、あらゆる生活災害に出動する<消防隊>には、市民達は大いなる感謝と尊敬とを抱いているらしいのです。

その消防隊と並んで多くの拍手を浴びるのが、名高い<外人部隊>です。

            

ほぼ全員がほおひげを蓄え、なんとも珍妙な<皮のエプロン>を身につけ、独自の<ユックリ>したテンポで行進する彼等は、戦争のプロであり、ひとたび戦いが困難に直面すれば、<最前線>に送られる、いわば<消耗品>である立場に、プロとしてのプライドと名誉とを抱いて、国民の拍手を受けるのです。


それにしても、私は長年フランスで暮らし,<外国人>ながら生活が成り立っている事に、さらに各種<社会保険>や<医療保険>等がフランス人と<全く同等に>補償されている立場に、感謝し、フランスと言う国に対して敬意を抱いているものの、フランスに対しての<愛国心>や<忠義心>等は、<毫も>抱いていません。

フランス人では有りませんもの、そんな事はあり得ないですよね。

にも拘らず、毎年このパレードをテレビで見る度に、なんとも言い難い<感動>を覚えるのは、一体何故なんだろう。

戦後の混乱期が終わって、高度経済成長期に入って以後の日本人達は、<愛国心>等、爪のあか程も持っていない人が多い様に感じるのは、私だけでしょうか。

一つには、<日教組>のせいだと思います。

私は、心情的には<左翼>思想の持ち主です。

ヘルをかぶり、タオルで顔を覆ってデモに参加して、機動隊と激しくぶつかったりもしました。

政府=権力=抑圧者=悪。
市民=弱者=非抑圧者=善。

なんて、全く<青い>考え方に染まっていたものでした。

しかし、それにしても<日教組>の一部の考え方は全く変だと思う。

校歌斉唱を拒否して、起立もしない。

これは、<日本人である事>の否定、以外の何物でもない。

たとえ<戦前の軍部>を否定しようと、<日の丸>が果たした<役割>を嫌悪しようと、日本人に生まれ、日本国の国家資格である<教員免許>を取得した後、日本国政府に雇われて<教職員>になった以上、国旗には敬意を払い、国歌を歌うのは<義務>です。

嫌なら<教員>にならなければ良い、だけの話。

世界には、生きて行く事自体が困難な状況に生まれ育った人々が、沢山いるのです。
そして、どんなに不利な環境であれ、自分の<祖国>には、犯し難い愛情と敬意を抱いています。

こんな事は、外国に住む様になって、日本以外の多くの世界の様子がおぼろげながら分かって来て、始めて実感出来た事であります。

たとえ戦争に利用されたとは行っても、『日の丸』はあくまで<国旗>である。
『君が代』は<皇室の未来への存続を願う>歌だったと言っても、<国歌>である。

それが事実である以上、それらには敬意を払い、当然とるべき態度で接しなければならない。

これは世界の常識。

<日の丸>がキライなら、正当な手続きをへて替えれば良い。
<君が代>がキライなら、別の<国歌>を決めれば良い。

その為には、積極的に政治に参加して、国を変えて行かなければならない。

それを、やれ<ファッション>だの、<合コン>だの、<金儲け>の事にうつつを抜かしていながら、自分が<日本に生まれた>事の幸運など、考えることすら出来ない。

世界を知れば知る程、『日本』と言う国がどれだけ恵まれた国であるる事か、が解って来るのです。

日本のパスポートの信用性。
日本人であると言う事での、ある種の信用と肯定的評価。

日本の教育も、マスコミの情報も、あまりに世界の事を伝えないから、解らないのもやむを得ない事では有るけれど、やはり<日本人としての自覚>は必要ではないのか。

何故こんな事を書いているかと言うと、以前若い日本人の男性と話をしていて、彼が言った一言に<衝撃>を受けたからなのです。

「ボクは、日本に何緒未練も無い。日本人でなくて良い」

甘ったれ以外の何物でもないこのセリフに、その時何も言ってあげられなかった。。。

<アイデンティティー喪失世代>に、深い憂慮を感じる次第であります。
祖国は、誰が強制しなくても、誰もが全員<愛している>はずのものなのですから。

ま、固い事は抜きにして、今夜は<花火大会>ダ!
凄い人出だろうな~。。。

        
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自民党議員は永遠に理解不能。。。

2009-07-13 15:47:53 | 社会問題
>『与党「最悪のタイミング」 首相の解散決断に反発』(朝日新聞見出し)

もちろん、日一日と<最悪>がさらに増々ヒドくなって行くのです。

今まさしく<最悪>でしょう。
でも、明日になったら<もっと最悪>。
1週間後は<さらに輪をかけて最悪>になるのではないですか?

>最悪のタイミングだ。こんなときに決断すべきじゃない。冷静さを取り戻して、判断すべきだ。麻生首相のもとで解散したいとはだれも思っていない」。「解散合意」の知らせに、千葉8区から立候補する予定の自民党の桜田義孝衆院議員は言った。(同記事抜粋)

>自民党への風当たりは厳しい。麻生首相のままでは戦えないと感じている。「信じられない決定だ。そんなことしていいんですか? 麻生さんでないなら、まだ分かるが、都議選の敗戦責任も明確でないままだ。けじめもつけずに、党内世論がおさまるわけがない」と話した。(同記事抜粋)

どうやら自民党のセンセイ方は、麻生首相が<自分達で選んだ総裁>だと言う事を、お忘れになっていらっしゃるらしい。

確か<圧倒的多数>で選出されたはずではなかったでしょうか。

そんな<自分達が選んだ>代表を、『選挙に負けそうだ」(=自分が落選したくない)から、否定しようとする。

これって、何の為の<総裁選挙>だったのかしらん。

と言う前に、自民党内部では<代表>のイミって、なんなの?

そして、また<顔>を替えればなんとかなる(かもしれない)、と思っている事自体が、知能指数を疑わざるを得ない。

国民を、そこまで<甘く見ている>のでしょうか??

>与党内では首相交代論が強まりそうだ。自民党中堅の山本拓衆院議員らは総裁選前倒しに向け党所属国会議員らの署名を集めており、両院議員総会の開催を求めたうえで総裁選前倒しのための党則改定をめざす考えだ。(同、別記事)

一体、何人の<総理大臣>が<自民党のお手盛り>で決められ、国民の審判を受けないままに、国の舵取りを続けて来た、と思っているのですかね。

その度に、国民の批判が蓄積して行った事は、お判りでは無い様ですね。

ネエ君たち、状況のイミが解ってるの?

>23人の全候補者が当選した公明党の選対委員長、高木陽介衆院議員は朝の情報番組出演後、「自公の過半数割れは大変厳しい結果だが、党の政策は評価された。自公体制にノーということではない」。(同、別の記事)

それにしても、基本的に<変革>を恐れ、最後には守旧的に呼び戻しが起きるのが今までの日本人でした。
その<日本人>がここまで意思表示しているのに、<候補者全員当選>させる、と言う<宗教政党>には、嫌悪を通り越して、恐怖すら覚える。

第一『党の政策は評価された」って、創価学会の会員達ダケの評価じゃ無いですか。。。

いみじくも、と言うか<うっかり>、選挙後の記者会見で太田代表が漏らした一言。

例の<北朝鮮テレビのアナウンサー口調>で曰く。
『創価学会の信者の皆様のお陰で、全員当選を果たす事が出来ました。ありがとうございました』。。。って。

以前は<庶民の味方>を標榜していた同党が、いつの間にやら<権力>にすり寄り、<権力自体>に成り下がっていた事までは、まだ良しとしよう。
(誰だって権力は嫌いじゃ無い)

彼等の本質上、権力を持っている方が、<枕を高くして>眠れるのですね。

つまり都政の与党で居る事で、『警視庁』を管理下に置ける。

従って、知る人ぞ知る選挙違反やら、政治的、財政的、治安的、道徳的<不法行為>にメスを入れられる事を、押さえられると言う保身(それだけヤバい事たくさんあるから)での、必死の選挙戦だった訳です。

それなのに、麻生総理が<都議選直後>に解散を決まるそぶりを見せるや、「連立離脱も。。。」という空気すら党内に起こっているらしい。

節操のない事おびただしい。

自らの意思で同じ船に乗り込んだ以上、運命はともにするものでは無いのだろうか。
少なくとも<道義的>には。

もとより、<道義>やら<正義>やら、なんてものはセンセイ方には有りませんものね。

それより、もっと言いたいのは、これだけ注目されてきた<都議選>の投票率が、なんで50%台でしかないのか。。。!

やっぱ、国民も「べつにどーでもイイ」らしい。。。。

それから『検察庁』ドノ。

小沢某の迂回献金と同じ事をやって、より直接<利益誘導>をしていた<与謝野某>の捜査の続報は無いのでしょうか。
小沢の時は、あれだけわざと<情報リーク>して<マスコミ操作>をしていたくせに。

我が日本は、確かに<三権分立>が確立している。

と言うか、少なくとも<司法の独立>だけは、突出している。
なにしろ、<司法>が<政権>を操作出来るのだから。

何処やらの三流独裁国と同じ様なもんだネ。

<独裁者>って言葉が<官僚>に変わってるだけ。

こらが21世紀の、我が祖国の姿。。。。。。

民主党を積極的に支持する訳ではない。
自民(公明)政権を否定するが故の、選択に過ぎない。

しかし選ぶ以上は、自公政権が<決してやれなかった>官僚システムの打破を、是非成し遂げて欲しい。

日本の官僚達は、一体どれだけの血税をむさぼり食えば気がすむのだ。

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『心にしみる光景』<セゴヴィアへのアクセス> / それにしても日本の政治が。。。心にしみない

2009-07-12 21:17:22 | 心にしみる光景
3週間前(6月後半)、スペインは各地で畑に群生する<ヒナゲシ>が咲き誇っていました。

フランスで見慣れているヒナゲシの色と違って、ずっと濃い、暗紅色に感じました。

『ピレネーを越えれば、そこはアフリカ』と言う有名なセリフの通り、フランスよるより格段に強い紫外線の影響なのでしょうか。
それとも、単に種類が違うのでしょうか。


スペイン北部に『コカ』という村が有ります。
スペイン特有の、モーレスクの影響で生まれた『ムデハル様式』の傑作と言われる城塞が有ります。
その村から南に下ること50キロで、セゴヴィアに到着します。

その時、つまりセゴヴィアに北側から近づいて行く時、到着直前にいきなり大聖堂がその姿を現します。
それが、その時期<ヒナゲシの赤い絨毯>の上に浮かんで見えるのです!

   

セゴヴィアと言えば、アルカサール(城塞)が先ず思い浮かぶ方が多いようです。

そう、あのウオルト・ディズニーのアニメ『シンデレラ』のモデルと、よく言われているお城です。

しかし、町に近づいて先ず見えて来るのは、<カテドラル>なのです。
やはり、そこがヨーロッパ。

起伏の有る場所に開けた町は、坂が多いのですが、一番高い所に<アルカサール(城塞)>がそびえています。

     
   この角度はあまりに名高い光景でしょうか。       そして、城門をかねた天守の塔がそびえます。

   その塔から見下ろすと、町の反対側の高みにそびえる大聖堂。その大聖堂の外陣は実に見事です。

     

このアルカサールを30数年前に始めて訪れた時は、係員もほとんどおらず、侵入制限も何も無く、見学順路を知らずに外れてしまって、塔の階段を地下にどんどん下って行ったら、黒こげの<大梁>の残骸や、崩れ落ちた切り石が散乱している地下の廃墟に出てしまって、<スペイン市民戦争>で独裁者フランコの軍によって焼き払われた跡が、はっきり分かって心に形容しがたい何か、がわき起こって来た物でした。


しかし、ここセゴヴィアで最も重要な文化財は、実は<古代ローマ>の水道橋です。

フランスのプロヴァンス地方にある『ポン・デュ・ガール』と、チュニジアのそれと並んで、保存状態と規模とから言って、ベスト3に上がる水道橋です。

            

この水道橋は、かっては下を車でくぐり抜ける事も出来ました。
恐らく、ローマの水道橋の中で、車でくぐれたのは、このセゴヴィアだけだったのではないかと思います。

その他の水道教のように廃墟の遺跡の中に存在するのと違って、現代も生きている<大都会>の真ん中に現存する、と言う事も他に例を見ない物ですが、下の柱の間を大型バスが通れた事の、すごさ。

各地で、大型トラックの幅から始まって、様々な道具、生活用具,および様々な時代の建造物に、現代にも適応する<幅>がある。
つまり、ヨーロッパ人の<幅の概念>と言う物が、古代ローマから来ていて、何故<その数値>が形成されて来たか、が<文化人類学的>に大変興味深いものだそうです。

残念ながら、今日ではもはや、この橋の下は通行禁止になってしまっています。
今の車社会では、やむを得ない事では有るのでしょうが、おおらかさが無くなってしまって、寂しい気がします。
<文化遺産>といえども、長らく<町の構成要素>の一つだった物を、<隔離>するのは。。。



そうこうしているうちにも、<東京都議会選>の開票結果が、どんどん伝えられています。

案の定、と言いますか、民主党の躍進は想定内の上限を行っているようです。

ただ、自民党執行部の狂乱ぶりと、結果が明らかになるに連れての『国政には関係しない」と言う強弁ぶりの見苦しさ。

そして、見苦しさといえば、極めつけが<古賀選対サン>の○国原もうで。。。
それに対する○国原の勘違いぶりの愚かさ。。。

第一彼は、県知事と言うより、県の<商工観光部長>程度の仕事ぶりに過ぎなかったのでは無かったのか。
知事としての、行政に対する見識も、哲学も、行動も、何にも無かったのは誰の目にも明らか、ダッタでは無いか。

あの、<マンゴー>と<地鶏>との宣伝効果は、彼の総ての前歴を含めての<お笑い芸人>としてのキャラクターであったからこその効果だったハズ。

それが<国政>に野心ダト!?

「みそ汁でツラあ洗って出直して来やがれイ!!」
と言うセリフこそが、似つかわしい。

かなり前から<根回し>されていた<デキ・レース>だったって話もあった。

もし○国原が出した条件を、自民党がのめなければ、それはそれで本人は全然傷がつかない。
その時は、選挙で負けても<党が>拒否したから、で<選対委員長>のせいにはならない。

もし自民党が彼の条件を<飲んで>立候補したとして、大量得票出来れば(自民党の皮算用)、自民党としては<起死回生>の大逆転も。

また、結果として選挙に負けても、彼を<総裁候補>にしても<総裁選>では誰も党員は投票しないだろうから、自民党は傷つかない。
<総裁候補>にする事で、○国原のと約束は守った事になる。

万一<総裁>にでもなってしまった日には(!)、<自民党もここまで変わった>という姿勢をアピール出来て、その次の選挙には有利に左右するだろう(一般大衆はすぐ付和雷同するからネ)。

という、どっちに転んでも、誰もソンはしない、というヨミの基に入念に練られた計略だった、という。

だがしかし!

唯一の読み間違いは、<国民の反発>の激しさでした。
両者ともに、あんな<逆風>は、彼等にとって、全くの<想定外>だったはず。

この都議選の結果で、増々<総裁下ろし>の嵐が吹き荒れるだろう、だってサ。

まあ早い話が、『美学』が無いね、政治家には。

この、<ヒナゲシ>の草原にでも行って、己らの<醜さ>を少しは恥じ入って来なさい。

       
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