晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

『モン・サン・ミッシェル』点描

2009-06-28 18:54:06 | 旅行とレジャー
皆が大好きな『世界遺産』。

その中でも、『マチュピチュ遺跡』に次いで、<皆が行ってみたいNo.2>にランク入りしているのが、『モン・サン・ミッシェル』だそうです。

通常,皆が眺めるのがこの角度。
    

19世紀半ば、『クエノン川』のもたらす砂が、島に向かって徐々に堆積して出来ていた幾つももの<砂州>をつないで<道路を造った>。
それもコレも、潮の干満と流れ込む淡水とが形作る、<不安定な海底>に多い<流砂>による、渡島への困難さと危険とを、なくす為の試みだった訳でした。

ただ、その為に島を巡る潮流が変わってしまい、クエノン川のもたらす<砂>はほとんど湾の外に排出されなくなってしまって、ドンドン島の周りに堆積してしまい、<陸の孤島>と化してしまったのでした。

    

ですが、様々な方角から見る、様々な<姿>は、何と言っても美しい。
麦畑の彼方にそびえる僧院の姿も、なかなかの物です。

さらに、<夜景>がまた幻想的で、数世紀を経た<巡礼地>としての<凄み>すら漂います。

    
手ぶれによる、ヒドい写真ですが。。。

夜,島内を散策すれば(特に周囲の城壁の上を歩くと)、昼間の喧噪とは打って変わり、震撼とした静けさの中、わずかなライト・アップに浮かび上がる僧院は、まるで500年の時をタイム・スリップしてしまったかのごとき、恐れをすら抱かされる光景です。

そして、誰もが求める『モン・サン・ミッシェル』の姿こそが、<満潮の時>の姿でしょうね。

    

毎日2度起こる満潮とは言え、その時間に現地に居られるのは、ツアーではやはりよほど<運>が良くなければ、難しいですね。
その日によって、<潮位>のレベルが違い、年に二度の<大潮>に当たれば完全な<島>に成りますが、普段は陸側に近い方は、草地のままです。

最後にちょっと珍しい、遠景の『モン・サン・ミッシェル』を、ご紹介してみましょう。
『モン・サン・ミッシェル湾』の西側『カンカル岬』からの眺めです。

    

『ノルマンディー』が生んだ<真珠>を、ご堪能いただけましたでしょうか。。。
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世界遺産登録見送りで『ル・コルビュジエ』が注目

2009-06-28 07:18:37 | 歴史と文化
それにしても、日本人は『世界遺産』が好きですね~。

20年前まで、日本の観光業界が見向きもしなかった『モン・サン・ミッシェル』が、いまや下手すると原宿のホコテンみたいに<日本人の>グループで溢れ帰っている有り様。

<世界遺産を巡る旅>が、旅行会社に取ってのうたい文句になっている様です。


ところで今回、フランスを中心に計六カ国にまたがって、20世紀前半の大建築家『ル・コルビュジエ』の作品群が、登録を見送られました。
彼の設計に成る<国立西洋美術館>を地元に持つ『台東区』は、<東京都内初>の世界遺産の期待に、区内全域で大いに盛り上がっていたようで、関係者の方々は、さぞお力落としの事でしょう。

ただ、4ランクの2番目の評価で、来年度に登録される可能性も大きいようなので、まだまだフィーバーは続くかも。

所で、その『世界遺産』ですが、国際連合教育科学文化機構『ユネスコ』が、母体である事はご存知の通りです。

  

その本部はパリに有ります。

第二次大戦後、『国際連合』の設立時に、多くの国ぐにがそれぞれ代表的芸術家の作品を寄贈して、敷地内や建物内に展示されています。

その中でユニークな物に、日本が寄贈した『長崎浦上天主堂』の<原爆に耐えて残った天使像の頭部>が有ります。

  

  

ユネスコ設立30周年を祝して、<長崎市>が寄贈した物です。
実に清廉な、美しく優しげで、かつ憂いに満ちた<表情>は、原爆の悲惨さを超越し、争いを止められない人間の<業>を悲しんでいる様です。
<プレート>には、「1945年8月9日,上空で爆発した原子爆弾に被爆した<浦上天主堂>の装飾の一部であった。。」と印してあります。

その復興した日本の、現代が世界に誇る建築家<安藤忠雄>さんが設計した<瞑想室>が、最近建設されました。

  

<コンクリートの打ちっぱなし>という今日的工法が、今回話題になっている『ル・コルビュジエ』と、その師匠『オーギュスト・ペレ』に始まった、と言う事も何やら縁があるような。。。
         
       

木造建築で世界に認知された<安藤さん>の、最近のコンクリート作品の<粋を集めた>様な小品ですが、内部に<椅子>が2脚置かれているのみの空間が、もはや『禅』以外の何物でもない様に思えるのは、私だけでしょうか。

所で『世界遺産』を管理する部局は、敷地内の別棟になっています。

  

この、やや小型の建物の中で、世界中の『世界遺産』が管理されています。
日本人のスタッフも、日本政府の出向の方と、現地採用の国連職員の方と、夫々活躍されています。

今回話題になった『ル・コルビュジエ』の作品の中で、パリ近郊<ポワッシー>に有る『サヴォア邸』がよく知られています。

  

19世紀から20世紀にかけて財を成した、当時のブルジョワジーの<勇気>が発注させた個人住宅ですが、あまりの斬新な作りの<作品>は、今現在でも、生活するには<不便>に違いないと言えそう。

作り付けのバスルームも、暖炉も、厨房システムも、最大限に広げられたガラス張りの解放部も、屋上庭園も何もかもが前衛的で、そのくせ前世紀迄の<貴族の館>ではない一般市民(裕福であったにしろ)の為の個人住宅、としての<現代建築>の経済的制約を解決する為の、現実と彼の哲学との共存の結果としての総てが、彼の才能を認め、尊重して、絶大なファンであったればこそ住める住宅、と言えるのではないかという気がします。

パリ市内の『ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸』は、現在『ル・コルビュジエ財団』の本部になっています。
  

来年の<登録認可>を期待しましょう!
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<トルコのバス事故訴訟>に見る、日本の消費者の<海外旅行>に求めるもの

2009-06-25 22:23:08 | 社会問題
『トルコのバス事故でHIS提訴=被害者が計一億円請求ー東京地裁』(時事通信)

と言う記事が、時事通信、毎日新聞、その他に出ておりました。

▶トルコで2006年、日本人旅行客1人が死亡、23人がけがをしたバス事故で、ツアーを企画した旅行代理店エイチ・アイ・エス(HIS、東京都新宿区)が旅行契約に付随する安全確保の義務に違反していたとして、被害者8人が25日、同社に計約1億2000万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
原告は事故でけがをした20~70代の男女。治療費や慰謝料など一人当たり約110万~6400万円の賠償を求めた(時事通信より抜粋)

痛ましい限りで、犠牲者の方々には深く哀悼の意を表します。

ただ、はっきり言って、起こるべくして起きた出来事と言えると思います。

このブログで散々論じて来た通り、今の日本の消費動向は、『安かろう悪かろう」の一点張り。

食品であれ、耐久消費材であれ、服飾であれ、他者より一円でも安くして消費者を確保しよう、と言う発想しか無い様に思える。
消費者も、一円でも安い方を買う。

百円ショップなんて、矛盾の宝庫ではないのでしょうか。

そのあり方に、誰も疑問を挟まない。

『中国製毒ギョーザ』でもそうでした。
買う時に、「こんな値段で売れるなんて、一体どうやって造っているのだろう。。。」と言う疑問を、残念ながら誰も抱かない。
商品を提供する側は、<とにかく安くする>事に意義を見いだし、少しでも安く提供して<シェアー>を獲得した者が<勝ち組>と呼ばれて、同業他社を踏みつけて業績を伸ばした方が、正義ズラをする。

現在の<海外旅行>の仕組みを、ご存知ですか?

▶原告側は訴状で、HIS側には安全な日程や運送機関などを確保する義務があると指摘。しかし、(1)現地調査もせずに無理な日程を設定したため、運転手が危険な運転をくり返すことになった(2)運転手が長時間1人で運転していた(3)バスが旅客運送の免許を受けていない-などHIS側の安全確保義務違反があったと主張している。(産經新聞より抜粋)

どこかの旅行社が、売れ筋の商品を発表すると、他者もぞくぞく同じルートの旅行を売り出す。
(どんな業種も同じですね)
すると、各旅行社は、他社より一円でも安くしようとして、且つ他社より一つでも<多くの>物を付け加える。

消費者は、行きたい旅行先のツアーを各社のパンフレットで比較し、<一円でも安い方>を選ぼうとし、値段が同じなら<一つでも内容の多い方>を選ぶのです。

ツアーを造っているのは、入社数年の若い社員で、現地に行った事も無い。
そのスケジュールが、果たして現実的かどうか、など分からない。
手元の資料と、他社のスケジュールと、上司の(営業優先の)指示とにもとずいて、<机上のプラン>を造るだけです。

よしんば<現地視察>をするまれなケースにしても、受け入れ側の現地旅行会社から水も漏らさぬ手配で<接待>同様の体験のもと、自分達が<ハイヤー>で回ったコースを、小回りの利かない、スピードも違うバスで、同じ時間と同じ状況で回れるのか、等と言う事は考えもせずスケジュールを決定する。

結果として、各社そろって<てんこ盛り>の内容のスケジュールが出来上がる。
まるで『何処でもドア』でも持っているかのごとき、時間配分。
超楽観的なスケジュール。

それを実際に手配する現地旅行会社は、安く安くと叩かれて、正常な適正利益等望むべくも無い条件で、手配を引き受けざるを得ないのです。
『嫌なら他者にまわすよ」と言う例によって例のごとくの、押しつけですから断れない。
仕事は誰だって欲しいですからね。

そうすると、限られた予算で、山盛りの内容をこなす為には、現地の旅行会社としてはギリギリの綱渡り的手配をするしか無いですよね。

その現地旅行会社からオーダーを受ける、<バス会社>やら<レストラン>やら<ホテル>やら<ガイド>やらが、いかに劣悪な環境と支払い条件とで仕事しなくてはいけないか。

第一考えても見てください。

沖縄や北海道の旅行の方が、海外旅行より高い等ざらなのですから。
そんな値段で、<安全>で<快適>で<無理無く>楽しい旅行が出来ると思いますか??

パリ5泊7日14万5千円なんてのすら有る。。。

飛行機,添乗員の経費、ホテル、食事は総て込みで、さらにバスやら現地の送迎員やら。

結果として、かけずり回り、ただそこに行った、と言うだけのツアー。

<来た見た去った。>

せっかくの世界遺産も、文化財も、ただ見ただけで、何の理解も求め得ない。

こんな旅行のやり方は、訪れる<先方>に対して失礼だと思います。

確かに、<行く事に意義が有る>という旅行のやり方も、有るでしょう。

イタリアにも行った。
フランスにも行った。
ドイツにも行った。
中国にも、インドにも、バリ島にも。。。行った。
と自慢していらっしゃる人達が、多く居る事は事実です。

でも、それでは、イタリアで何を見たのか。
フランスの、何をどう体験したのか。
ドイツで、何処でどういう風に感じ取ったのか。。。
その文化財が造られて来た過程は、その国の人々に、どういう意味が有ったのか。
その<お城>が、その時代に果たした役割は、何だったのか。
その結果が、今日にどういった影響を与えているのか。

なんて事は、全く感じ得ない、<ただ行くだけ>の旅行。

現実問題として、パンフレットに明記されている事は総て消化しないと、<消費者保護法>で払い戻しやら何やらのペナルティーが有るので、添乗員さん達の苦労たるや、それはもう悲惨としか言い様が無い。

その添乗員さんに責められる<バス>や<ガイド>の大変さは、もう言うには及ばずですね。

その結果、無理に無理を重ねて、悲惨な事故も起こる事が有ろうか、と言う事なのです。

結局、値段を安くする事と、中身の多さを求めるという、本来両立しなくなる二つを両立させようと言うのが、いかに矛盾に満ちて危険な事であるか、始めに落ち着いて考えれば分かるはず、なのではないでしょうか。。。

事故に遭われた方々は、不運としか言い様が無く、お気の毒の極みでは有りますが、商品を選ぶ時に「こんなに安いのは、どこかにムリが有るのではないか?」と、考えてみる様にして欲しいと、思います。

ある一定の<快適さ>や<安全>や、<中身の豊かさ>を求めるには、それなりの経費がかかる事、を忘れて欲しくないです。

そして、<旅行>と言う物は、ある一定の<快適で安全な楽しい豊かな>行い、で有るはずではないでしょうか。

現在の日本は、総てに置いて『良貨は悪貨を駆逐』してしまっているようです。



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破綻する日本の<大学>の軽さと、現存する<世界最古の講義室>の重み

2009-06-18 20:16:45 | フランスと日本の文化比較
最近,応募者の減少による大幅な定員割れで、高額な累積赤字に耐えられず、新規学生募集を停止する私立大学のニュースに、良く接する様になりました。

先ず、いの一番に思うのは、<最高学府>を営利企業にするという信じられない発想と、それが破綻するアホらしさ。

私は、このブログで幾度も書いている通り、<大学全入>なんて異常な事で、あらゆるレベルの子供達の為の、総ての偏差値毎の<駅前大学>等、不必要悪です(書き間違いではありません)。


スペイン北西部、ポルトガルにほど近い所に、サラマンカと言う町が有ります。

ここに、スペイン最古の大学が設立されました。

町の南にトルメス河が流れ、<古代ローマ>以来の石橋を渡って町に向かうと、丘になっている町の頂の<大聖堂>が遠望出来て、スペイン有数の<高位>に列せられてきた大司教の町、である事が実感出来ます。


       

コレが、現在の<中央入り口>です。
16世紀スペインの典型、遅れてくる<ルネッサンス>と以前から続く<ゴシック>とが融合した不思議な雰囲気の、『イザベラ様式』のレリーフで飾りきれない程に、覆い尽くされています。

入るとすぐパティオ(中庭)があり、階段を上って2回の回廊を歩くと、周囲に昔の教室が保存されています。
その内の幾つかは、現在も現役で、ちゃんと講義が行われているのです。

各講義室の入り口の横の壁に、<講義室名>が書いてあります。

その内、<ルイス・デ・レオン修道僧>という部屋が、何と現存する『世界最古の講義室』なのです。

       

そして、そこには16世紀の(!)教壇と、学生用のテーブルと椅子とがそのまま残されています。

       

実を言いますと、ヨーロッパの大学は、16世紀の時点では、学生の為の<椅子と机>は、用意されていませんでした。
ソルボンヌであれ、ボローニャであれ、学生達は思い思いに<床>に座りこんで、講義をきいていたのです、
その時代に、ここサラマンカ大学には、既に<学生用の>机と椅子とが、完備していた!

20センチ位の<角材>を並べた様になっていて、床から高い位置に有る方が<机>、低い方の位置の横木が<ベンチ>というわけです。

この教室で、当然『神学原理』が講義されていました。

そして、ここサラマンカで興味深い事は、大学の講義を聞くための、前段階の<予備校>が有る事。

何しろ、一般大衆の<土地の言葉>しか使えない学生達にとって、学問で使う言葉<ラテン語>になれないと、せっかくの講義が聞けない訳です。

       

<本学>のすぐ近くの別棟の壁にかかれた『マイナー・スクール』という表示が、まるで<大リーガー>を夢見てしのぎを削る<マイナー・リーグ>の選手達を思い起こしますね。

立派な彫刻を施したゲートをくぐると、やはりパティオがあって、その奥の一角に残る<大教室>の木張りの天井に、見事な<天井画>が残されています。

       

下にたたずんで見上げると、写真では色合いも雰囲気も伝えきれない、その夜空の<息をのむ>美しさに、しばし体が動かなくなってしまいます。
『サラマンカの空』と名付けられている、この星空の下で、どれほど多くの学生達が将来の夢を目指したのでしょう。

この<神聖にして高貴で幽玄な>天井画と、エリートの証であった<机と椅子>を見るに及んで、我が祖国の、<大学>と名乗ることすらおこがましい様な、<学校法人>と言う名の<企業>の経営する<大学>との、<あまりの意識の差>に、溜め息をつかざるを得ないものでした。

空手部員が強盗はするは、集団で女性を乱暴はするは、大麻は育てるは。。。。。。。
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またもやイスラエルの大詭弁

2009-06-17 17:38:00 | 国際関係
6月14日、『イスラエル首相 非武装パレスチナ「容認」』というニュースが流れました。

一見「とうとうイスラエルも譲歩する気になったか。。。」と思える様に聞こえるが、例によっての<大ペテン>。

曰く。
▶首相は、「パレスチナ人がイスラエルをユダヤ人の国であると認めるのであれば、イスラエルに隣接する非武装化されたパレスチナ国家という解決策にたどり着くことができる」と語ったうえで、国際社会が事前にこれらの条件を保証する必要があると強調。ヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地建設凍結については、人口増加に伴う既存入植地の拡張は続けるとし
「無条件の即時交渉再開」を呼びかけたが、パレスチナ側が将来のパレスチナ国家の首都と位置づける東エルサレムの分割やパレスチナ難民の帰還についても改めて拒否。パレスチナの国境管轄権や制空権もイスラエルの手にとどまるとした。(産經新聞より抜粋)

先ず、冒頭の地図をご覧下さい。

左上の小さな囲みの地図の、グレーがイスラエル、黄色が<残された>パレスティナです。
CISJと有る所が、俗にいう『ヨルダン川西岸』で、左端の飛び地が『ガザ地区』です。

第二次大戦終戦迄<イギリス委任統治領>だったパレスティナの大部分に、突然1948年5月14日、『イスラエル』という<国家>が無理矢理建国されました。

イギリスの3枚舌が、パレスティナ人、国連、一部を委任統治していたフランス、を欺いて、世界中が寝耳に水の出来事でした。

その結果、パレスティナ人の手に残された土地が、大きい方の地図で見る通り、東側の<ヨルダン川>と<死海>以外、イスラエルに囲まれた地域で、国境はイスラエル軍により厳しく武装管理されています。

イスラエルになってしまった土地に住んでいた<パレスティナ人>は、2級市民待遇で<敵国>イスラエルに留まるか、国外退去させられるか、の選択しか有りませんでした。

数十万のパレスティナ人達が、先祖代々住み続けて来た土地を奪われ、<強制収容所なみの難民キャンプ>になだれ込んで行ったのです。

『阪神淡路大震災』の際、仮設住宅が沢山造られました。
パレスティナ人を収容した<難民キャンプ>は、砂ほこりの舞う荒れ地に、形だけのテントを張っただけのものです。

そこで暮らす事を強制された彼等は、以来60年以上、2世代目はそのキャンプで生まれ育ち、さらに3世代目も出現して、祖国を知らない世代が大部分を占める迄に至ってしまっています。

その後、イスラエルは、定められた国境からドンドン外に(パレスティナ人居留地に)攻め込んでは<占領地>を増やし、地域住民(パレスティナ人)を強制排除しては、自国民を入植させて行きます。

大きい方の地図<パレスティナ>の東側に1/3くらいの黄色い所がそうです。

その後は、泥沼でした。

その後、総ての国境線が、イスラエルが勝手に築いた高さ12メートルのコンクリートの壁で、囲まれてしまいました。

想像出来ますか?
壁から出られないのですよ。
赤い四角の点は、検問所です。
生活物資の輸送すら、大多数の場合<拒否>されているのですよ。
<国連救援物資>すら、通さない。

黄色く塗られてるイスラエルの非合法占領地には、パレスティナ人は自由に通行出来ません。
辛うじて生きて行く為に、膨大な苦労と、人間としての尊厳を失うくらいの非人間的審査を経て、やっと手に入れた<通行許可証>を持ったパレスティナ人だけは、壁を出入りして<仕事に>行けるだけ。

ここ数年来、『パレスティナ暫定政府』なる物が辛うじて存在していますが、物理的にも精神的にもズタズタに引き裂かれた国土を、まともに<統治>できる訳が無い。

当然、パレスティナ人達は、あまりにも多くの物を奪われて、民族としての誇りのみが残された状態では、残された事は自爆テロしか有りません。

昨年暮れ、イスラム教祝日にその聖地を<ナタニヤフ首相>がわざと挑発的に訪れて起こった抗議活動を、戦車部隊で鎮圧した事から、ハマスのロケット攻撃と、イスラエルの近代兵器による過剰報復とで、22日間も争乱状態が続きました。

結果。
パレスティナ側死者1300名。
その内一般市民が大多数。
その内子供が400名。
負傷者5300名以上。

イスラエル側死者13名。
その内一般市民3名。
イスラエル軍兵士10名。
その10名の内、混乱による同士討ちによる死亡が5名。

ハマス(パレスティナ・ゲリラ軍)の発射したロケット弾と(粗末な)手投げ弾778発。
イスラエル軍による報復爆撃地2500カ所。

ガザ地区で破壊された一般住宅4000棟。
再建に要する費用見積もり10億2千万ユーロ。

(以上、レクスプレス誌より)

イスラエル建国以来の61年間、常に<イスラエル側>から実力行使がなされ、挑発されたパレスティナ人がゲリラ活動で報復を試みて、の繰り返しでした。

圧倒的な軍事力と軽装ゲリラ行動との力の差は、パレスティナ人をくじけさせるどころか、増々過激派に支持が集まるわけです。

詐欺まがいでの建国以来、イスラエルは常に<圧倒的軍事力>でパレスティナ人の抵抗を排除しようとして来ましたが、どんな強い北風も、民族のプライドのコートは脱がせられない事が、証明されているのです。

そこへ持って来て、今回の<ネタニヤフ首相>の発言。

パレスティナが<非武装>を受け入れれば、<パレスティナ人国家>を受け入れるだと。

「国境管理権も制空権も与え無い、占領地も返さない、だから武器を捨てろ」だと。

ユダヤ人って頭のいい人間が多い、と言うイメージが有るけれど、歴史的に欧米で今日に至る迄嫌われ続けている理由が、解る気がする。

(拙ブロブのバックナンバー『イスラエルのやっている事はナチスと同じだ』も読んでみてくださると幸いです。)

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<人類の現状を深く憂う>なんて事になってしまいました。

2009-06-16 19:20:13 | 社会問題
『いちめん なのはな』
『いちめん なのはな』
『いちめん なのはな』
『いちめん なのはな』
『いちめん なのはな』......

と、えんえんと繰り返し続く山村暮鳥の詩が、浮かんでくるような光景を、あちこちでみたのは、もう一月も前になるか。

今頃は、<菜の花>に変わって、そろそろプロヴァンスでは、<ひまわり>が見渡す限りの<黄色の世界>を造り始める頃になってるかもしれない。

これから1ヶ月半くらいに渡って、<ひまわり前線>が北上する事になる。

なんて。。。

いつもと全く異なるトーンで始めてみました。

世の中、相変わらず<怒り狂う>ことを余儀なくさせられる事ばっかりで。

せめてひとたびの<心の休日>を求めて、たまには、<穏やかでまったりした>ページを作ってみたくなったのです。

元々<食用油>を採るため、フランスではここ30年くらい、菜の花の栽培が結構広がっていました。

そして、ここに来てやたら増えて来たのは、やはり『エコ・エネルギー』のせいなのだろう。

ガソリンに変わると期待されるバイオ燃料であるエタノール(つまり植物から作ったアルコールです)は、現時点ではまだガソリンに5%混ぜて使う位しか実用化されていませんが、ブラジルでは、既に90%の自動車がバイオ・エタノール100%の燃料で走っています。

フランスのバイオ・エタノールは、本来<ビート>から作られる事が多いのです。

和名<砂糖大根>とか<甜菜>とか呼ばれるこの根菜は、フランス北部では結構栽培されていて、<砂糖>の原料と、家畜のえさ、および茹でた物を刻んでサラダで食する(それぞれ種類が異なる)用い方で、利用されて来ました。

日本では<砂糖>はサトウキビから作るもの、という固定観念みたいな物が有りますよね。
ヨーロッパでは、カリブ海の旧植民地で作られるサトウキビで、もちろん砂糖を作って来たのですが、それぞれの植民地が独立すると、代替えとして<ビート>でお砂糖が作られて来ました。

しかし、昨今の<エコ・ブーム>で、バイオ・エタノールが注目されて来るに及んで、にわかに<トウモロコシ>と<菜の花>が、その原料としてクローズ・アップされる様になって来た様です。

ヨーロッパが<EU>という経済圏に移行して以来、先進国(=工業国)での農業は、成り立たなくなる寸前まで追いやられてしまったのです。
何しろ、経済的に<国境>が無くなった訳ですから、もちろん<関税>もない。
従って、域内の物流は、当然生産コストの安い所から、消費力の高い所へと、移動します。

フランスは、北欧諸国に次いで<人件費>の高い国です。
(何しろ、あらゆる保険と年金との掛け金がとても高いので)、農作物の生産コストは膨大で、EUになってからというもの、元々物価の安かった<イタリア>や<スペイン>および<ポルトガル>からの農作物が、雪崩の如くフランスに入って来て、フランスの農家は<補助金>の助成無しにはなrたたなくなっていました。

そこへもって、もっと物価レベルの低かった(つまり後進国)<ギリシャ>や、さらに<旧東欧諸国>までがEUの仲間入りを果たした今、もうお手上げ状態。

追い討ちをかける様に、輸入作物戸の価格差の一部を補填して来た<各国助成金>がEUで禁止になるに及んで、ドイツやフランスの農業は、もはや存在するイミの無い物、になりかかっている有り様。

もちろん、工業もサービス業も、同じ事で、製造業は工場をチェコやポーランド、ハンガリーに移すし、トラック輸送なども全く同じ現象です。
何しろトラック運転手も給料がフランスの1/5の旧東欧諸国には、どうあがいても<経費>で勝てる訳が無いのです。

陸続きのヨーロッパで、国境を撤廃してしまった事の<悲劇>がここに有るのです。

さらには、ワインやチーズ等と言う<伝統が生み出した付加価値>で勝負して来た製品にまで、EU委員会が<独自の製法>を守る法的保護を、<禁止>する動きに出ていてもう、踏んだり蹴ったり。

例えばドイツでは、<大麦>のみで作った物以外<ビール>とは名乗れない。

ところが、日米欧のどの国もドイツ以外のビールは、製造工程で<大豆滓>やら<コーン>やらはたまた<米>等を入れて、<味を整える>と称して製造している訳です。
そうすると、オランダやイギリス(もちろんフランスも含めて)、EUメンバー国のドイツ以外の総ての国のビールは、ドイツでは<ビール>として売れない訳です。

日本と違って、<発泡酒>だ<第三のビール>だ、と言ったまやかしは、ヨーロッパではあり得ませんから。

これをEU委員会は、自由競争の原則を犯す、としてドイツの<ビール法>の<廃止>を迫っている訳なのです。

フランスの様な、工業国でありながら、農業国でもある国に取って、物価水準が高い為に、農業は滅び行かざるを得ない状況にあるのです。

フランスの農家は、アレコレ必死で生き残る努力をしています。

そんな中、今の時代で一番の先端産業が、<エコ産業>なわけで、中でも<バイオ・エタノール>は、化石燃料(要するに石油)に価格的に勝てない分の<補填>が認められていることから、多くの農家がバイオ・エタノールの原料栽培に切り替えているワケです。

ただ何事も、新たな何かが始まると、かならずそれ迄の勢力が巻き返しを図る、という図式になります。

石油業界メジャーは、猛烈なロビー活動を展開して、バイオ・エタノール潰し(つまり補填助成金の撤廃を強硬に求めている)にかかっています。

20世紀後半にアメリカが主導して来た『新資本主義』の自由競争原理の経済だと、<地球の未来>も、<人類の健康>も一切考慮される事等なく、ただただ自己の利益を追求する事、のみが正義になるのです。

そして、その<正義>を追求出来るのは、あらゆる国際競争に打ち勝つだけのあらゆるロビー活動が可能な、巨大資本企業だけ、に収斂されて行く訳ですね。

<遺伝子組み換え>も、<新薬開発(タミフルなんかその典型)>も、<食品加工の国際企業>も、全部同じ事。

自分の組織が、生き残り、発展し、世界市場を独占する事のみが存在理由、みたいな傾向になってしまっています。

化学的添加物が最低30種類くらい含まれる(細かい表示はしなくて良いのが現在の法律です)食品を多種使って調理した食事を摂り、汚染まみれの水を摂取し、郊外だらけの空気を呼吸して生活し、ひとたび病気になれば、決して表面に出さない副作用を持つ<新薬>で人体実験をされながら、青息吐息でヨロヨロ暮らしている現状を、一般庶民は絶対知らされない仕組みになっている社会で、地球上の大多数の人間は、生きている

一面に菜の花が広がる美しい景色を見ながら、いつの間にやら<壮大なうっとうしさ>に包まれてしまったのでした。

でも、本当の事なのですよ、皆さん。
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<悪に目をつぶる事が混乱を収める事>という旧態依然の価値観が未だにまかり通る我が国

2009-06-13 01:50:40 | 社会問題
鳩山総務大臣の更迭、という予想されたシナリオ通りに事が運んだ<政府自民党>でありました。

今回のゴタゴタで、私が不可解に感じ続けていた、理解出来ない事の其の一。

<西川某>社長を再任しない事が、<(何故彼等の言う)郵政改革>に逆行する、と言う理屈。

既に郵政民営化はなされている。

又郵政事業を<国営事業>に戻す、と言う事を言っていた訳ではなく、単に著しいミスをした社長を認可しない、と言う事が、何故改革事業への逆行と言い張るのかしらん??

誰か、もっと<清廉潔白>な(居ないだろうな)別の人物に社長を任せれば良い、だけの話。
与党内では西川氏の続投を望む声が広がっていた。
首相サイドと総務相との意見の違い、が<閣内不一致>のイメージを与える事を嫌う、と言っても、既に<不一致>が誰しもが認める現実である以上、総務大臣の首を飛ばしたらイメージが改善する、とでも思っている<与党の皆様方>のオツムの中身が知れる。
そんな程度のオツムで、政府与党の大物で居られる、という事実!

私に理解不能な点の其の二。

西川某の不明朗な経営を、何故与党内の誰もが(松野旧農水大臣等、一部例外を除いて)問題視しないで、単に<担当官庁の大臣の反対>だけを問題にするのか、と言う事。
 
考えるに、<政府諮問機関>だの<有識者会議>だのと言った、訳の分からない怪しげなグループには、必ず宮内某なる人物が加わっている、と言う事実なんでしょうなあ。

宮内サンの会社に、<カンポの宿>という国民の財産を<大変有利な条件>で譲る事、は恐らく出来レースだったのでしょう。

この<金貸し>上がりの怪しげな人物が、政府自民党に深く食い込んでしまっている以上、恐らく政府は(身内の大臣の首を切ってでも)その人物の利益を守らねばならないのだろう、と考えざるを得ないのでありますナ。

そういった、ビミョーな事を上手くやってくれている<社長>は、飛ばす訳にはいかんのダね。

国民新党の長谷川憲正副幹事長は「家老が『うちの御用商人が悪いことをして懐を肥やしている』と殿様に言ったら、『お前が腹切れ』と言われたようなものだ。本当に情けない」と語った。(時事通信)

ワハハ。
正にその通り!!

相も変わらず<政府自民党の正体見たり>という所ですか。

そして、NHKニュースに映っていた<街頭インタビュー>での、『鳩山総務大臣更迭をどう思うか』に答える、有る熟年のご夫人の言葉。

「ゴタゴタがそれで収まるのなら、良ろしいんじゃないんですか」

<原因である悪い事>には全く触れずに、ただ表面だけ取り繕って事を終わらせる事が、<良い>と考える、国民気質

<臭い物には蓋>ですか。

未だに、日本にはこのような発想の人達が居るんですね。
というか、それが主流派の考え方、なのだろうか。。。
それとも、<理解力>が決定的に不足している人、なのだろうかしらん?

恐らく、PTAにも、教育委員会にも、こんな人だらけなんだろうなあ。
だから、いずれは<バレル>と言う事に考えが及ばず、その場を取り繕って、後でカメラの放列の前で<はげ頭>を下げる記者会見が、後を絶たない。

<京都教育大学>の学長しかり。
<ウナギ産地偽装>の会社の社長しかり。
<事故米>横流しの会社の社長しかり。。。

それにしても、我が国の<老害>と<高級官僚害>は、目を覆う有り様ですね。

あれだけ反対されても、地位にしがみつこうとしていた早川某<日銀総裁>の事は、ついこの間の出来事であったような。。。

旧そごうの会長といい、真紀子外務相と張り合った<外務事務次官>といい。。。

あれだけ反対をされれば、私だったら<ケツをまくって>辞めてやるけどね。

もっとも私は、そのような要職に付ける訳も無い訳ですが。
でも、人間としての<誇り>や<矜持>は、あんなじいサン達よりずっと持ってる、と思います。

ああいった<要職>は、プライドに一時目をつぶってでも、その地位に居座る事によって、我々庶民に伺い知れぬ程の<うまいシル>がたっぷりと吸えるんでしょうね~。

羨ましいやら、アホらしいやら。

所詮、政治も経済も、<特権階級>だけが常にタップリと得する様に、出来ているようであります。
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京都府民よ立ち上がれ!

2009-06-05 00:45:00 | 社会問題
<5月5日に神戸市で発症例=新型インフル早期に流入か-厚労省>

あれだけ騒いで、まだ足りないらしい。

毎日、新たな<感染例>の発表は相次ぐは、<感染経路>の特定(出来る訳ないじゃん??)には狂奔するは。
一体全体、過去にさかのぼって<感染経路>や<流入時期>が突き止められたとして、それが一体何になる。

タイムマシンにでも乗って、<消毒>に行くってか。

<今後の防災の為の教訓に。。。>
<今後も起こりうる、あらゆる病害に対する対策の為にも。。。>

なんて、まことしやかにおっしゃるのでしょうね、一部のお医者様や行政府のお役人方は。

世界中の人の動きに、量的にも時空的にも、同じパターン等ない。
今回のケース(のみならず総てに置いて)のごとくにはしゃぎ回って(表現は悪いが、コレが一番ぴったり来る)綿密に調査研究(?)しても、何ら実効性の伴う教訓にはならない。

と思うのですが。

行政とマスコミとの、自己満足。
全国民的な<自慰行為>でしか無い。

『発熱外来』やら、『水際阻止』やら、威勢のいい言葉だけ先行して、現実的には実行不可能な事は、素人の私にだって解る。

すべからく役所の発言は<パフォーマンス>に過ぎない。
かつ、それが<無意味なパフォーマンス>である事をお役所が認識していない、ことが悲劇だ。

予算もマンパワーも、時間もマスコミ操作(!)も、もっと有効なやり方が有るだろうに。

たとえ、<新型>で<誰も免疫を持たない>ウイルスと言えど、毒性は低く、症状は軽い以上(一部の妊婦その他既往症のある人への重い症状は、他のインフルエンザだって同じ)、国を挙げて騒ぎ立てて、国民をミスリードして一体何をしたいのか。

泰然自若として、国民にいたずらに不安感を持たせない様にしながら、<現実的な対処を的確に>行う事こそが、お上の役割であるはず。

しかるに、現実は<先頭きって国民を不安に陥れる>騒ぎ、しかやって来なかったのが、我らが政府。

いつも思う事ですが、頭のいいヤツ、居ないね。


騒ぎと言えば、例によっての<旅行のキャンセル>のバカバカしさ。

たった2名しか感染者の居ない京都府に、旅行をキャンセルするケースが続出して。。
(第一次湾岸戦争時に、ハワイ合宿を取りやめた<読売巨人軍>のことを思い出してしまった)

新型インフルエンザ:“潜在的”影響計り知れず 土産物店、売り上げ激減 /京都(毎日新聞)
新型インフルエンザ:山田知事、各省訪れキャンペーン要望 /京都(同)

金子一義・国土交通相は「秋に備えて自治体の動きをサポートできるよう関係省庁と連携する。キャンペーンはぜひしていく」などと応じた。
塩谷立・文部科学相は修学旅行のキャンセルで、延期した学校への実施要請の求めに「状況は十分理解している。地元の声を受けて対応したい」と述べた。
舛添要一・厚生労働相は「観光における激甚災害」との訴えに対し、「実情に合わせて対応していくことが必要」などと語り、二階俊博・経済産業相は「都道府県単位ではなく、地域のブロックで対応していくことが大切」と述べたという。(同紙より抜粋)

知事が必死で<セールス>したいのはよくわかりますが。。。
なんか違う様な気がしてなりません。

そこで<提案>です。

旅館ホテル業界、バス・タクシー業界、飲食店お土産業界、その他大変でしょうが、ここは一つ<プライド>を発揮してみてはいかが。

つまり、修学旅行をドタキャンした学校に対し、「二度と京都は受け入れない」と宣言してみてはどうだろう。

付和雷同して、経済的に多大な迷惑を押し付けて来た<自己中>な学校は、『京都』は必要としないと宣言し、今後すべての予約をお断りするのです。

『京都』の替わりは有りません。

ですから、理不尽にキャンセル等した輩は、今後京都に受け入れてもらえない、事が宣言されると、はなはだ困る事請け合いです。
生徒達に、修学旅行に京都に行けない学校、と言う事実を、どう説明するか<見物>では有りませんか。

少子化の時代に有って、修学旅行先が<生徒募集>のかなり大きなウエートを占める要素である事は、誰もが認める所で有りましょう。
何年か意地を張って頑張って、最終的に<詫びを入れてくる>まで、待つのです。

「そうですか。そんなに来たいですか。考えてみまひょ。。。」

現非現実的な理想論ですが、『京都』にはそれくらい可能な程の、価値があると思うのですが。

付和雷同する連中に、お灸をすえてやりたいですよね!!
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