晴れのち曇り、時々パリ

もう、これ以上、黙っていられない! 人が、社会が、日本全体が、壊れかかっている。

中国主導の『アジア開発投資銀行』への参加・不参加論からの妄想

2015-04-03 21:18:13 | 日本人の意識と精神構造
我らが総理安倍晋三は、アメリカに忠義立てをして『AIIB』に参加を見送った。


巷では、自主性のなさとアメリカ追随の奴隷根性ぶりに、喧々諤々、非難轟々、罵詈讒謗、といった意見が飛び交ってケチョンケチョンである。

安倍晋三の存在にとっては、分相応の反応だろう。



それとは別の意味で、政府周辺と自民公明両与党以外で、日本全体の論調が「AIIBに参加するのが当然」という声一色なのが、やや気になるところではある。

なぜ、参加しろ、なのか?

具体的には、よくわからない。



かなり以前、カメルーン紹介記事で書いたと思うが、第三世界への中国の進出ぶりは、恐怖を覚えるほどである。


サバンナとジャングルとが交錯する西アフリカ大陸を走っていると、枯れた綿花畑があちこちで目に付いた。

せっかく綿の実が付いているのに摘み取るでもなく、枯れるに任せていた。
現地の同行者に聞いてみると「繊維産業が壊滅して、綿を生産しても二束三文でしか売れないのだ」と。

「中国産の安価な繊維製品が洪水のごとくに入り込んできて、地元の繊維工業が存続できなくなったのだ」と。

「原料としてのコットンを輸出できるほどの生産量も、販売体制も無いからだ」と。

たしかにアフリカにも多いイスラム教徒が頭に巻く「シッシュ(ターバン)」も、市場で売っているものは全部中国製であった。


しかるに、道路事業や架橋工事などを国営中国企業が落札し、作業員もすべて中国からやってきて(かなりの数の囚人が連れてこられているらしい)、現場の作用員はほとんど中国人が占めて、その彼らが家族を呼び寄せて町の人口のかなりの部分を中国人が占めるようになり、その彼らが中国本土から工作機械を持ち込んで、軽工業の事業を始めて、現地の工業のある部分を駆逐してしまった。

アルジェリアでは、高速道路工事の従事者が呼び寄せた家族が一大集落を形成し、製靴業を始めて、アルジェリアの靴工業が壊滅してしまった。


荒涼たるサバンナのここそこに突然中国語の看板が出現し、地下資源を掘り始めている。

彼ら中国人は、インフラ整備の支援資金の提供を持ちかけて国同士の契約を締結し、費用を安く設定して工事入札も獲得し、道路を作り橋をかけ、その資金援助の見返りとして「地下資源」の採掘権を手にしている。


イスラム諸国やアフリカ各国を訪問すると、市場を訪問することが観光の重要な要素になっている。

木の枝を4本立てて、キャンバスや布切れで囲って壁とし、屋根を掛けて作られている店舗が千軒も、それ以上も密集して、見たこともない不思議な食材を売っていたりして、エキゾチックでとても楽しい。

しかし、場所によっては市場見学を止められることが増えてきている。
「危ないから行くな。何をされるかわからないから。」

なぜかを聞いてみると「中国人と思われる」ということらしい。

左様さほどに、かの地で中国人は恨まれ、嫌われていることを実感できる。


カメルーンやベナンなど、アフリカ各国では出生率が高く、子供達が溢れかえっている。

小学校が足りなくて、午前と午後と二部制にしている。

カメルーンには、日本のODAで数百校の小学校が建てられたことで、日本人は感謝されており、彼らは日本人にはとても親近感を持っていた。


それなのに。

今や、東アジア人をみると「中国人」と思われてしまい、下手をすると石を投げられるかもしれないほどに、排斥されている様なのだ。


私は中南米のことは知らないが、状況は似た様なものだと思う。

鉱石採掘に現地人をタダ同然でこき使い、よく暴動が起こったり、国から経営権の取り消しを受けたり、というニュースを見かけた。


つまり、昨今の中国政府は、資源の確保、輸出先の確保のために大盤振る舞いで国家援助を行って、それを利用して国際舞台での「親中国派国家」の囲い込みを行って、国際社会での発言権を高める方針の遂行に余念がない。

結局、援助資金は多くの国では為政者たちの利益に消えて、一般国民の生活の向上に回されることは少なく、結果として国家間での中国の地位は高まるものの、国民レベルでの中国人の評判は地に落ちてしまっているのが現状である。


かくして、中国政府の第三世界への浸透がますます盛んになる過程で、近場である「アジア」への投資が後回しになっていたのかもしれない。

なにしろ公称13億人(無戸籍第二子以降何人いることか)の生み出す国の富は膨大である。

GDP世界第二の大国にのし上がった。

とはいえ、国内の格差は膨大で、そのために国民の不満は高まる一方という、以前から言われ続けてきた内政問題から目を背けるわけも行かず、いかな「新興の大金持ち」とはいえ、ばらまけるお金に限りがないとも思えない。

そこで。

これから金の卵を生んでくれる(かもしれない)第三世界への投資を優先させるためにも、近場であるアジアでの投資には「他人の褌」で相撲を取ろうと考えても、おかしくはあるまい。

なにしろ、中国の周辺であるアジア各国では、中国が諸手を挙げて歓迎できる国、とも言えない存在であることは、彼ら自身も判っている筈である。

事あれば、強引な「砲艦外交」で圧迫してしまうことは常套手段であるにしても、できれば「感謝され」ながら経済的に支配の手を突っ込んでいきたいのも、人情であるはずだ。

そのためには、中国単独でのイメージを薄め、中国単独で負担する荷重を減らせるならば、それこそ一石二鳥ではないだろうか。



ということで。

世界中から金を出させて、たくさんの他人の褌を集めておいて、アジア各地に「マーキング」できる「中国製開発投資銀行」は、実に都合のいい道具なのかもしれないと勘ぐってしまうのだ。


彼らがいかに否定しようと、中国は「覇権主義」の国である。

中国人の価値観を見ていると、国が『大国』『強国』であることが中国人本来の立場で、自分たちの存在を測る目盛りは、面積と人数だけだった昔の時代の屈辱感から、経済力、軍事力、技術力、などでの世界における優位性を実感する事を必要とする民族の様だから。

そして、中国が最強民族であることの証としての、中華人民共和国の世界有数のリーダーシップを発揮する上での、一番の邪魔者がアメリカ合衆国であったのだ。


そのアメリカの存在が、以前ほど盤石ではなくなりつつある現在の世界情勢は、近い将来アメリカに取って代わる国力と地位とを獲得するために手を打つ、今や絶好の環境にあるわけだ。

今すぐアメリカに取って代わることはできなくても、少なくてもアメリカとロシアと中国と、同等の立場での三極を形成することは、最優先事項なのだ。
その為なら出来るこ事すべてやって、誰が何を言おうと、気にもしない。



と、いうわけで、中国主導の開発投資銀行を立ち上げる。

蓋を開けたら、北米と北アフリカのアラブ諸国を除くアフリカ各国、以外のほとんどの国が参加を表明した。

中華人民共和国は得意満面。

第一義的には、世界中からかき集めた金で、アジア各地に開発投資を行い、その運営と実行を中国主導で行える。

そして二義的に、中国が世界に一つの潮流を起こす主導権を手にした。


中国の世界戦略の大成功になりそうな。


ところで。

安倍晋三の忠犬ハチ公ぶりの怪我の功名で、日本が参加しなかったことが、別になにか不利になるのかと考えれば、別に大したことではないんじゃないかという気がしてならないのだが。

経済素人の私の「庶民の触覚」に感じ取れる範囲で言えば、そこで何が行われるのかは、我々日本国民には敢えてどうでもいい。

日本銀行やら日本開発銀行やらが、数百億ドル(具体的には知らないが)もの外貨を出資するくらいなら、その分、年金を削ることを止め、高齢者や児童の福祉を削ることをやめてくれ、と言いたいのです。

一部の大企業(どうせゼネコンやら機械メーカーだったり電力事業者など、国内GDPに占める割合が少ない)の儲けのために、血税を使うな(!)ということなのですよ、私が言いたい事は。


しかし冷静に考えてみると、アメリカの参加がないことを確認して参加を見送った日本政府、なかんずく安倍晋三の評価がこれで米国内で高まったかといえば、そんなことはなさそうだ。

米紙によると「日本の不参加は米国への忠誠を示し、尖閣問題に米国を味方につける為」と、とっくに見抜かれております。

バカにされることはあれど、尊敬されることも信頼を勝ち取ることも無かったと、断言しても良いくらいのものだ。


それにひきかえ、韓国のコウモリ外交は、逆にアメリカに(良かれ悪しかれ)一目置かせることに成功したと言って良いのではなかろうか。


つまり、韓国は最終的な局面では「自分たちの利益」を優先すると、アメリカに盲目的に従順な奴隷ではないと、再認識させたことは否めないのだ。

アメリカが怒り狂おうと、失望しようと、米国と「対等」に扱わなければならない存在だ、と認識させたのではなかろうか。


そうだとすれば、中国とアメリカとの狭間でフラフラしている韓国、などと馬鹿にすることは、逆に日本の政府の奴隷根性を際立たせただけで、なんの得にもならない。


NHK(敢えて犬HK)の首都スペシャル「戦後70年の証人の声」を伝える番組があった。

実際に終戦を経験している日本の各界の人々に、戦争体験と終戦に当たって感じた事を、語り継いで行こうという構成は、「今この政治情勢の中で」しかも犬と罵倒される「みなさまの」国営放送が、あの様な番組を作って放送したことに、局内の何らかの意識を感じるに至った。

好意的に受け止めることができる番組であったが、特筆すべきは、その登場した生き証人の誰しもが、アメリカへの恨みつらみを語らない、ということだ。

東京大空襲で地獄を体験し、無数の怪我人を救えなかった無念を語る老医師も、一般市民を殺戮した大空襲自体に、批判的言辞は一言も口にしなかった。

日本で「少女漫画」の草分けと言われる女性漫画家も、「戦時中に色彩を奪われた」「終戦で一気に色彩が戻った」と語り、「色彩(精神的な意味だと受け止めたが)を奪われた時代を再び繰り返さないために、カラフルな漫画を描くことに集中した」と語った。

つまり、戦争を体験した日本人の誰もが「戦争中」のあまりの不条理にうんざりしてしまったが故に、あまりに悲惨な体験を強いられたが故に、終戦を歓迎し、平和の復活を喜び、その後やや落ち着いてから「戦争を引き起こした」反省かから、再び悲劇を繰り返さないように、と自らの生きる姿勢を規定したのだ。


ヒロシマの原爆忌で「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰り返しません」と追悼する。

他の国なら「反原爆、反人道的アメリカ」の大合唱になるべきところ。
「過ちは繰り返させません」というところ。

日本人は、戦争を強いた軍部、つまり日本人自身を、反省の軸に据えるのだ。

そこには、戦争という悲惨な体験を国民に強制した「戦争指導者」への弾劾や、ましては多くの無辜の国民を虐殺した原子爆弾の投下や東京・大阪・神戸・横浜川崎・名古屋・福岡・仙台等への大空襲を行ったアメリカという国家への批判は、全くない。


それどころか、大半の日本人はアメリカが大好きなのだ。

あまりにも悲惨な時代が過ぎ、呆然として虚脱状態の中にあって、「鬼畜」と教わっていた米兵と接し恐怖を覚えながらも、チョコレートを手渡されたことの嬉しさが、飢えていた甘いものを与えられて平和を実感し、急速に敵対心や恨みごころが消滅してしまったのだろうか。

その後のGHQによる戦後政策の中で、日本の戦後教育の基本構造が形成されていった過程で、親米感情が植えつけられていったと言うところなのだろうか。


しかし。

人類史上、敗者が「占領軍」にニコニコして協力したという事実は、おそらく第二次世界大戦後の日本だけなのではあるまいか。

戦前の家父長制度のごとくに、アメリカを親とも師とも仰ぐ官僚たちが、アメリカの後ろ盾の元に存在と権限とを強化して、今日までの「官僚支配の集団独裁体制」を築きあげていった。

政治家は、官僚にアイデアを頼り、国家運営のグランドラインを作らせ、官僚のブリーフィングで政策を決定し、官僚の作文で与野党の国会質疑がなされて法律が出来上がり、官僚のどんぶり勘定の査定で予算案が作られ、官僚のブリーフィングでそれを国会審議にかけ、官僚が配分した予算を官僚が使って、官僚の基盤である省庁の利益を拡充し、官僚が天下る公益法人、特殊法人で予算を中抜きし、残った予算をどんぶり勘定で大企業に振り、下請け、孫受け、ひ孫受けで予算を食い散らかして、我が国は今日まで歩んできた。


そんな中で、米国とのパイプ(米国からの上位下達用)で米国の「対AIIB姿勢」を忖度して、不参加を決めた日本政府に批判される筋合い等、無いであろう。


地球儀外交やら、中国封じ込めダイヤモンドラインやら、白昼夢に酔いながら好き勝手をやっている安倍晋三内閣総理大臣は、しかしDNAでは反米なのだ。

お祖父様の、死刑を免れるために米国のスパイにならざるを得なかった屈辱を、僕が晴らします…。

そんな彼の本質を見抜いている米国政府にとって、小賢しい忠犬ぶりなど、嬉しくも可笑しくもない事を、果たしてわかっているのかいないのか。


ただ、そのような我々庶民にはどうでも良い事は別として、今回「アジア開発投資銀行」に参加しなかったこと自体、私は別にそれでも良いのではないかと、思ってしまうのですよ。

せっかく中国主導の国際的枠組みに「参加できる」チャンスを棒に振って、と習近平は嗤っているに違いない。

しかし、参加したからと言って「限度額なしのATM」の使用者が、アメリカから中国に変わるだけのことなのではないか。

所詮、日本が中国主導の国際組織の中で、リーダーシップを発揮して何かができる訳も無い。

それならば。

しばらくは、静観しててもよかろう。

いざとなったら、『アジア開発銀銀行』という、強い味方があるではないか(苦笑)









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「安らかにお眠りください。過ちは、二度と繰り返しません」と、千鳥ヶ淵で唱えよう。

2013-12-26 23:20:43 | 日本人の意識と精神構造
日本は、敗戦国である。

独逸も、敗戦国である。

伊太利亜も、敗戦国である。



これらの国々は、世界にどのように見られているのか。


独逸は、ヨーロッパ中で嫌われている。

欧州一の経済力と、欧州一の人口と、欧州一の厚かましさとで。

ベルリンは、欧州の中心だと、思っている。
ケルンは、天動説の中心はケルンだと、思っている。
フランクフルトは、世界の経済の中心だと、思っている。

しかし、独逸人は「ナチの負債」を返済しようと言う姿勢を、一応見せる術を知っている。

従って、独逸人は「フーリガン」の代表の如くに見られてはいても、表立って批判される事は無く、露骨に差別もされない。



伊太利亜人は、ヨーロッパ中から「チャラ男」だと思われている。

大した経済力も無いのに、EUの中で「独仏」に次ぐウエメセで振る舞う事に、失笑を買っている。

しかし、ムッソリーニの独裁はイタリア国内以外には迷惑を与えなかった。

戦後は、チャラ男ならではの軽さで、マンジャーレ(食べて)、カンターレ(歌って)、アモーレ(色事に耽って)の民族意識と社会構造とが、欧州の「息抜きの場」として、存在の場所を提供されて来た。



方や、大日本帝国は。

分不相応な経済力を、獲得して来た。

一部で追随を許さぬ技術力を、身につけて来た。

国連に於いて、第二位の拠出金を負担するまでになった。

そして、世界の一部では、非常に尊敬されている。

日本にしか存在しない、希少技術ゆえに。

日本にしか存在しない、伝統文化の奥深さゆえに。

日本にしか存在しない、繊細な精神性のもたらす安らかな社会ゆえに。


そして、世界の別の一部では、全く尊敬されていない。

所詮は「東洋人」なのだから。

独逸も伊太利亜も、ヨーロッパ人同士は仲間である。

アメリカも加えて。

日本は、アジアの片隅の黄色人種のくせに、分不相応なカネを持ち、他に類を見ない技術力を誇示して、世界を肩で風を切ってのし歩く。

何よりも、国連で発言力も認められていない「敵国条項」に指定されている敗戦国の分際で、ここ30年程の間、戦勝国のリーダー面して来た。

憎たらしい。

成り上がり。

政治と外交との分野では、静かにひっそりコソコソしていれば、それなりに可愛げも有ろうと言うもの。


確かに、これまでは「アメリカ帝国」の忠実な番犬であった。

ソ連に向かって吠えたて。

中国に向かって睨みを利かせ。

アメリカ帝国主義の東アジアの防壁として、忠実にあてがわれた役割を果たして来た。

カネは、言われるままに底なしに差し出す。

言われなくとも、ご主人様の笑顔を期待して、精一杯貢いできた。


アメリカの政治ロビーに巣食う「ブローカー」に、良い様に操られる日本は、共和党政権に取っては多いに利用しがいのある手下であった。

共和党政治では、日本は「東アジア政策」のキーで有ったのだ。

その「滅私奉公」ぶりに免じて、それなりに発言を聞き、国際社会に於けるそれなりの立ち位置を、認めて来た。

これまでは。



しかるに、民主党は東アジアは中国が重要な相手国である。

日本は、今まで以上に「貢ぐクン」であれば良いだけの話。


その、番犬以下の「国」が、好き勝手な暴走を始めている。

一体全体誰なんだ、安倍晋三なんて馬鹿を担ぎ出したのは。



その晋三クンと言えば、がむしゃらに猪突猛進。

この男の胸の内は、これまでの歴代総理と違って、相手の意向を感じ取れない愚鈍な政治家である。

ぐどん。

政治家で有る事自体が、不思議な程の愚鈍な男である。

それなのに、米国の傀儡の甘んじて来たこれまでの歴代総理を凌駕する、「独自性」を発揮してみせると、固く心に誓っているのだから、始末に負えない。

勿論、アメリカ様のご意向は、最大限に尊重するつもり。

少しでも「覚え目出たく」なろうとかけずり回る。

しかし、悉くにツボを外しているのに、気がついていない。

そして、最終的には「アメリカ一辺倒」から脱却して、事も有ろうに本来有るべき「日本」としての独自性を固めたいと、密かに願って来たのだ。

難しい両天秤では有るが、自分ならや得る筈だという、何の根拠も無い自惚れに依って、日夜胸をはって闊歩している。


財政破綻の淵に居るアメリカの代わりを、国際舞台の上で少しでも務められるべく、世界覇権主義のアメリカの軍事力の肩代わりを行えるべく、日本を作り替える、即ち「日本をとれもりょす」事を信じて、一目散に突っ走り始めてしまった。

もう、お腹痛くないし。

「実にみっともない憲法」を早急に代えられる様に。

それが無理なら、憲法の解釈を変えるという、理論上あり得ない手段を弄して。

それも反対が多いとなると、「例外的措置」を連発する事に依って。

充分な軍助力を保持し、何時いかなる時でも、世界中の何処にでも派兵出来る「普通の国」になりたくて。

アメリカは、当然それを支持してくれる筈だと、信じきって。

国民の思想統制を行うべく「特定秘密保護法」を強行可決した。

それに応じて、次は「共謀罪」の成立を視野に入れて。

財源確保に「消費税増税」は決定した。

更に、財界のカネの提供をスムーズにする為に、原発推進と輸出に向かって歩を進め。

沖縄駐留米軍の活動をより広範囲に補償する為に「辺野古」への新たな基地建設をも、実行に移せる様になった。

沖縄県選出の自民党議員団にアメとムチとを使い分け、県民の側にたつポーズから戻れなくなりつつ在った、仲井真知事に上げた拳を下ろせる道筋をつけてやり、米軍はオスプレーを「普天間」と「辺野古」と二か所で運用出来る様にした。

沖縄の負担軽減と称して、本土の基地にも配備する事をなし崩しに既成事実化してしまった。

TPPでは、アジアの新興諸国の反対に依る暗唱に乗り上げかかった流れを、必死になって全面合意の道筋を付ける為に、先頭で旗を降り続けている。

アメリカ政府は、絶対に評価してくれている筈だ。

これで、少しは自分のやりたい方角へ足を踏み出し始めても、アメリカ様は黙認して下さるに違いない。


と、思い上がったらしいのですね、きっと。

中断していた「総理大臣」の靖国神社公式参拝を、実行してしまった。。。


もともと、オバマから資質が嫌われていた安倍晋三は、主筋の意向を忖度し間違えて、強烈なおしかりを受けてしまった。

最初から靖国参拝には「難色を示して来た」にも拘らず。
あれだけ、副大統領が体を張って「靖国じゃない、千鳥ヶ淵へ行け」と示していたにも関わらず。

中国大使館からならイザ知らず、『同盟国』を思い込んでるアメリカの、駐日大使館から「本国政府は失望している」と言う、外交儀礼上相当に強い批判を浴びてしまった。


もっともこの一年間に渡って、安倍晋三がすべて自ら考えて行動して来た筈は無い。

良きにつけ悪しきに付け、我らが安倍クンはそれほど「考えて」行動出来る器ではない。

思ってる事を、見境無くやりだすだけの人間である。

彼のこれまでの軌跡は、当然シナリオライターが居る訳だ。

その「演出家」が、ご本人以上のオバカだと言う事。



日本は、もっと謙虚であるべきなのだ。

なにしろ「敗戦国」なのだから。

かしこまって、ヘコヘコしてれば良いのだ。

偉そうにG8なんぞに首を突っ込む必要は無いのだ。

けっして韓国が要求する様な意味で、這いつくばっていろ、と言う訳では無い。

しかし、戦後の復興期を終えた頃から、日本人は慎みを無くしてしまったのではなかろうか。

今回の安倍クンの「靖国参拝」のフェイスブック上での報告に、『いいね』があっという間に4万件を越えた、という所に顕著に現れている。

井戸の底の蛙に取って、大空は頭上の小さな丸の大きさに過ぎない。

その外に、如何ばかりかの広大な世界が広がっているかなど、想像の範疇を越える事象である。

『Japan as number 1』

恥ずかしかったなあ、こんなキャッチ。


思い上がってしまった結果、我々日本人は、一体どれほどの貴重な物を失ってしまった事か。

晋三クンには、決して想像出来ません。


国民の公務の事務方に過ぎない「公務員」が帝王の如くに国民に君臨している。

国民の汗と涙の結晶である国富を、搾り取り、食いつくし、無駄に垂れ流す事で、官庁だけが肥え太っり。

その役人と結託した大企業のみが、蓄えを増やし続け、労働者を蔑ろにし、挙げ句の果てには死に至らしめてまで。

その象徴である「東電」に何の裁きの沙汰も無く、電気料金は上げ放題、救済資金として税金は注入し放題。

国民には放射能が見えない事にタカをくくって、本来やるべき家族や子供達の救済も疎かに、汚染食品は強制流通させ、騙くらかして住民を汚染地に住まわせ続け、帰還させ、被曝検査はまともにやらず、検査結果は正しく公表せず、細胞異変の見つかった子供達を正しく治療する制度を構築するでなく。

五輪誘致だ、その為にカジノの合法化だと、意味不明の金儲けに狂乱するしまつ。

その様な、世界基準で理解不能な日本社会の醸成と、国民の動向の代表が、内閣総理大臣安倍晋三クンの行動なのです。


もっと、謙虚になろう。

日本は、1945年8月15日に「終戦を迎えた」のではなく、「敗戦した」事を再認識しよう。


そこから、次の言葉が再び口を付いて出て来るべきなのだ。


『安らかにお眠り下さい。私達は、二度と過ちは繰り返しません』


国防上の安全の為の秘密保護だの、憲法解釈だのと「ご託を並べて」いて良い筈が無いじゃないか。

「世界の眼」を気にする日本人。

その世界の眼が、日本の現状を如何ばかりか「奇異の目」で見ている事か、感じ取らなければならない。

国民1人1人が、身を以て感じ取り、そのような「過ち」を是正する為に行動しなければならない。

猪瀬の後に、舛添だの東国原だのと言ってる様じゃ、日本は本当に終わってしまう。

いい加減に気づけよ。

何が何でも、猪突猛進の安倍晋三の行動を阻止しなければならない。

その為にも、稲嶺進現市長を勝たせなければならない。

そして、東京都知事選でも自民公明候補を、是が非でも打ち負かさなければならない。


民主が舛添に相乗りしようが関係ない。

前回参院選の際の山本太郎旋風の如き流れを、反自民の考えを持つ老若男女みんなが作り出さなければならない。


それが出来なければ。

「安心してお眠り下さい。息子さん達は立派にお国の為に死んでくれますから」

という事態になってしまうのだ。



元来、国のリーダーが唱えるべき台詞を忘れ去り、正反対の方向に突っ走る考え無しのオツム空っぽの総理大臣に変わって、「日本を取り戻す」ことが、急務である。


取り敢えず、原点に立ち返ろう。

『千鳥ヶ淵戦没者墓苑』に参拝しよう。


日本は、無意味で無駄で無惨な戦争を引き起こし、敗れた。

無念の内に散って行った、多くの「無名戦士」の墓苑に詣でて、不戦の誓いを捧げよう。

彼等の無念を晴らすのは、新たな戦争を始めて「鬼畜米英」に勝つ事等では無い。

ましてや、中国と戦争して尖閣諸島を守る事でも、断じて無い。


日本という国家が、まともな判断力を備えて「過去を反省し、過去に学んで」再び過ちを繰り返さない様に、国民が一致団結して「戦時政策」にのめり込む反国民政府に、立ち向かう事である。



それにしても、褒めてくれなくとも、少なくとも黙認してくれるだろうと読んだ、アメリカの反応が正反対だった事で、安倍晋三とその「ブレーン」は今ごろ焦りまくって居るにちがいない。

災い転じて「吉」としなければならない。

今です。











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世界に類を見ない『平和憲法』を捨て去る為の、最後の憲法記念日を祝す。

2013-05-03 22:59:46 | 日本人の意識と精神構造
施行67年にして葬り去られる事になった、『日本国憲法』は、今年を最後に記念日を迎える事は無くなった。


このブログで、再三書いて来たが「人間」はお互いに殺し合う動物である。

捕食目的以外で、同種で殺し合う、極めて希な生物である。


その希少種で有る「霊長目ヒト族ヒト科ヒト」の存在の歴史の中で、『唯一』戦いを放棄した。

それが『日本国』でありました。


勿論、戦勝国アメリカの意向で「再軍備を禁じられ」た賜物であり、朝鮮戦争の為に「警察予備隊」が創設させられ、『自衛隊』と改組し、なし崩しで「海外派兵」まで行っているとはいえ、その『第九条』は未だに燦然と輝く、人類史上の偉大な例外である。

日本が人類史に誇る、珠玉の精神であった。

今年までは。



▶憲法記念日 改正論議の高まり生かしたい(5月3日付・読売社説)

きょうは、日本国憲法が施行されてから67年目の憲法記念日。日本の内外情勢は激変したにもかかわらず、憲法はまだ一度も改正されていない。そんな憲法の在りようを考える機会としたい。

◆まずは発議要件緩和を◆

憲法改正論議の根底にあるのは安倍首相が指摘するように、「日本人は自身の手で憲法を作ったことがない」という事実である。

戦前の大日本帝国憲法は天皇の定めた欽定きんてい憲法だ。現行憲法は占領下、連合国軍総司令部(GHQ)の草案を基に制定された。

国民自ら国の基本を論じ、時代に合うよう憲法を改正するという考え方は、至極もっともだ。読売新聞の世論調査でも1993年以降、ほぼ一貫して憲法改正賛成派が反対派を上回っている。

憲法改正の核心は、やはり9条である。

第2項の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」は、現実と乖離かいりしている。「自衛隊は軍隊ではない」という虚構を解消するため、自衛隊を憲法に明確に位置付けるべきだ。

憲法の改正要件を定めた96条も主要な論点に浮上してきた。

自民党だけでなく、日本維新の会やみんなの党も96条の改正を公約している。参院選後の連携を図る動きとしても注目される。

この機を逃してはなるまい。

96条は、憲法改正について衆参各院の総議員の「3分の2以上」の賛成で国会が発議し、国民投票で過半数の賛成を得なければならないと定めている。

世界でも改正難度の高い硬性憲法と言えるだろう。GHQは、日本で民主主義が確立するには時間がかかると考えたようだ。

自民党の憲法改正草案は、96条の「3分の2以上」という要件を「過半数」と改めている。

国会が改正案の発議をしやすくなるだけで、最終的にその是非を決めるのは国民投票であることに変わりはない。

民主党は改正手続きよりも、どの条項を改めるかという内容の議論が先だと言う。だが、自民党などは既に具体的な改正方針を国民に示している。民主党こそ憲法改正について論議を尽くし、党としての見解を明らかにすべきだ。

◆必要な衆参の役割分担◆

衆院と参院の役割を見直すことも、喫緊の課題である。

衆参ねじれ国会の下で、「強すぎる参院」の存在がどれほど国政を停滞させてきたか、与野党とも痛感しているはずだ。

解決策の一つが、59条2項の改正だ。参院が衆院と異なる議決をした法案は、再び衆院で「3分の2以上」の多数で可決すれば成立する、という現行の規定を「過半数」に改めればよい。再議決による法案成立が容易になり、衆院の優位性もより明確になる。

自民党の憲法改正草案がこれに言及していないのは疑問だ。


2000年に参院議長の私的諮問機関が、衆院での再議決要件緩和のほか、参院の首相指名権の廃止など憲法改正も伴う改革案をまとめた。

参院の権限を縮小し、政権から距離を置く。今でも十分、検討に値する。

「1票の格差」是正のための選挙制度改革も、衆参の制度を同時に見直すべきだろう。

衆院と参院がどういう機能を分担すればよいか。望ましい政権を形成するためには、どう民意を集約するか。そうした観点から選挙制度を検討する必要がある。

【5月3日01時05分 読売新聞】




昨今、巷では「改憲論議」に余念がない。

自民党政府のみならず、日本維新の会も、みんなの党も、多分公明党も現実的には、憲法を変える事を前提の姿勢が目立つ。

自民党の憲法草案は、多くのメディアで語られているので、ここでは触れない。

しかし、国営テレビを筆頭に、あらゆる電波と紙のメディアが「改憲」を推進すべく論調を張っている。



憲法は、国家の概念の表現である。


現行憲法では、「総ての公務員は憲法を遵守」する事を求めている。

国民が『憲法を守らなければならない」とは、何処にも表現されていない。


国家の思想を形づくり、「公務員」はその国家の思想体系を遵守して国家の運営に当たらなければならないと、規定するものが「日本国憲法」である。


その憲法が、国家の思想として『不戦』を謳う。

人類史上唯一の例として、戦争行為を否定する国家思想を、日本国に求めている。

政治家も、公務員である。

官僚も、公務員である。


ところが今日、憲法の遵守を義務づけられている「公務員」が、その憲法の遵守を拒否している。


そして、「その」憲法の安易な改悪を防ぐ為に、第96条が定められている。

衆参両院の夫々に2/3以上の賛成を求めるという、ハードルを高く設定しているのだ。

その、96条を変えようと言う、実に姑息な事を考えついたのだ。




先の総選挙で、日本の国民は「自民党+公明党」を選択した。

圧倒的多数で。

自民党総裁は安倍晋三であった。

つまり、日本国民は<圧倒的多数>で安倍晋三を『内閣総理大臣』に推戴した。

言い換えると、憲法の遵守を拒否している政府を、国民が選んだのだ。

つまり、日本国民は『現行憲法』を否定し去る準備を整えたのである。


そして、来る参議院選挙でも「自民党+公明党」は圧倒的勝利を約束されているらしい。

つまり、そのような安倍晋三を国民の多くが支持しているらしいのだから。

マスコミの思惑通りに自公が「2/3」の議席を占めてしまえば、改憲は規定事実となる。

公明党は「改憲には慎重」などと見せかけているが、国民の幸せより、国民の平和より、何より政権与党で居る事が存在意義となっている公明党に、自民党と袂を分って、改憲に反対する筈は無い。


万一何かが違って参院で「2/3」の議席を確保出来なかったときの為に、先ず『96条の改悪』を言い出しているのだ。



▶96条改正すべきは56% 日本JC(産経/見出し)

>若手経営者らでつくる日本青年会議所(日本JC)が全国の会員約2300人に行ったアンケートで、86・4%が「現行憲法に対して問題を感じる」と回答、憲法改正手続きについて定めた第96条については58・6%が「厳しいので緩和すべきだ」と答えた。

>調査は4月26日から30日にかけて実施。「現行憲法に対して問題を感じるか」との問いに「感じる」56・8%、「少し感じる」29・6%で、「感じる」と答えた会員が「感じない」9・4%、「興味がない」3・9%を大きく上回った。

>自衛隊を「国防軍」とする是非にも58・4%が「賛成」で「反対」19・9%を上回り、衆参両院の総議員3分の2の賛成の後、国民投票の過半数の賛成で憲法改正となる改正要件についても「厳しいので緩和すべきだ」が58・6%で「現状のままでいい」30・9%よりも多かった。

>現行憲法に問題があると答えた約2千人に複数回答で具体的な欠陥はどこかをたずねたところ、1373人が「諸外国からの武力行使、領土・領海侵犯に対応するために9条を改正」、1194人が「自然災害、テロ攻撃に備えて国家非常事態対処条項を追加」すべきだとそれぞれ答えた。
【msn産経ニュース/5月3日 21時08分】




戦後は終わった。

『過ちは二度と繰り返しません』という感覚を持った日本人は、存在しなくなった。

国民の精神風土が、国家哲学を形成するのだとすれば、20世紀の終わりで『平和国家日本』の存在は消滅したようだ。


>憲法改正手続きについて定めた第96条については58・6%が「厳しいので緩和すべきだ」と答えた。


論理的思考が出来ないのだろう。

若手の経営者なる人種は、憲法を学級会のルール程度の認識で、自分の想い通りに簡単に変えていいものだと、考えるらしい。


平和を願った日本人は、去った。


「諸外国からの武力行使、領土・領海侵犯に対応するために9条を改正」

コンピューター・ゲーム世代は、戦争と言うものを、二次元でしか理解していないらしい。

ロケット弾やミサイルが飛び交い、生きた肉体が引き裂かれ、致死葺きが飛び散り、脳漿が飛び散って、命が抹殺され、家々は破壊され、自分も「敵を殺す」という事実を想像出来ないらしい。

勝ち負けは時の運。

勝ち続ければ、武器のレベルがどんどん高まり、破壊力がまして敵を粉砕出来る。

負ければ、リセット。

その程度の認識しか、無いらしい。

「若手の経営者」


戦中派の次の「戦後派」の更に子弟の世代でもあろうか。

要するに「三代目」。

戦争を体験した世代が去り、戦争直後の悲惨な社会に育った世代も前列から下がって、高度経済成長とバブルしか知らない世代。

唯でさえ、三代目で家は潰れると言われて来た。

そんな世代が、政治と経済とを担う様になって来た。


精神の格調など知りもせず、マネーゲームと勝ち負けだけが価値の基準で形成された人格。

そんな人格が、政治を担い、経済活動にいそしむ。


「平和」という崇高な抽象概念は、理解出来ない。

他人を犠牲にして、金を稼いだものが勝者であり、勝者のみが生きる権利が有ると、思い込んでいる世代。


平和と言う崇高な「形而上的世界」は認識できず、金銭という即物的「形而下的世界」しか知覚出来ない出来損ないが、祖国を滅ぼさんといきり立ち、見にくく顔を歪めて口から泡を吹きながら、「憲法改悪」を叫ぶおぞましい時代になってしまった。


日本が世界に誇った『平和憲法』は、今年の憲法記念日を最後に、葬り去られる。

おめでとう。


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日本人は、一つの民族国家が亡び行く過程に立ち会うという、歴史的に希な機会に恵まれた、幸運な人々だ。

2013-04-29 22:04:35 | 日本人の意識と精神構造
人類の歴史上、いかなる強大な国家も、どのような高度な文明も、永久に繁栄を続けた例は無い。


古代ペルシャも、古代エジプトも、あの古代ローマですら、亡びた。

秦の始皇帝の中国統一王朝も、大唐帝国も亡びた。

ソヴィエトも亡びた。

強大で富み栄え、最盛期には滅亡する事など想像すら出来ない様な大帝国でも、いつかは亡びる。


そして、その「滅び行く大帝国」の人々は、自分達が滅び行く過程を意識する事無く、いつの間にかその存在は瓦解するのだ。

後世になって、歴史の中で「滅び行く」きっかけや、その経過が学問的に解明される事となる。

しかし、その時代に生きる人々は、自分達の滅亡の行く末を感得する事は無い。



そして、21世紀の今、そんな現象が「確実に」実感されている国が存在している。

日本国。

豊芦原瑞穂の国。


日本は、決して強大なる大帝国などでは無い。

数世紀に渡って栄華を極めた、高度な文明でもない。

しかし、20世紀後半から21世紀の初頭にかけて、世界の中にその存在が記されて来た、それなりの「存在感」はあった。

世界の人口の65分の一を占めた。

世界経済の10%程は占めていた。

商工業で一定の結果を獲得した存在であった。


その国が、いま「確実に」滅び始めていることが、国民自身が実感出来る。

人類史上、希有の体験を、得ようとしている。


支配者達が、自分の国と国民との繁栄も平和も望む事無く、ひたすら自国民を騙し、搾り取り、傷つけ、国家の繁栄と維持とに不可欠の国民の生きる基盤を破壊して、最後の血の一滴まで吸い尽くそうとしている。

外国に捧げる為に。


そして、その支配者達に対抗する存在は、無い。

売国の限りを尽くす支配勢力に対抗し、支配権を取り返し、国土と国民との平和と安寧と繁栄とを取り戻すべく、たち働く勢力は、存在しない。


▶自民“独走”!菅直人氏「脱原発」訴えるも惨敗…野党弱体化で政界再編も(zakzak/見出し)

>28日に投開票された参院山口補選で、自民党公認候補が圧勝した。野党第一党の民主党は公認候補を擁立することすらできず、政界は今や、自民党の“独り勝ち”といった様相だ。

>今回の補選勝利で、7月の参院選での自民、公明両党の過半数回復も現実味を増した。

>自民党に太刀打ちできる勢力が見あたらなくなる中、参院選後の政界再編を志向する動きが強まりそうだ。

>「安倍晋三政権初めての国政選挙だけに非常に意味がある。国民の期待が実感に変わりつつある」。自民党の石破茂幹事長は28日夜、こう述べると笑顔を見せた。

>公明党の山口那津男代表も「与党の政権運営が評価された。参院選への影響は極めて大きい」と強調した。

>首相の視線はすでに「7月」に向けられている。20日の山口市内での街頭演説では「(参院選は)親の敵(かたき)のようなもの。取り戻さなければ死んでも死に切れない」と覚悟を示していた。

>「過半数」以上に注目されるのが、憲法改正の発議に必要な「衆参両院での3分の2」の賛成という数だ。ここに、自公両党による過半数確保にとどまらない、政界再編の可能性が生まれる。

>首相は憲法改正の発議要件を参院選の争点とする姿勢を示している。

>参院選で自民党の圧勝により野党各党が弱体化した場合には「民主党の改憲派、維新、みんなの3党を巻き込んだ新党結成」をもくろむ動きもあり、政界再編の動きが一気に噴き出しそうだ。
【zakzak/04月29日】



内閣総理大臣安倍晋三は、いまややりたい放題。

対するに…。



日本維新の会。

改憲に賛成の立場である。

TPP参加も推進する立場である。

原発も再稼働を目指している。



みんなの党。

改憲の立場である。

TPP参加を明言している。

原発推進である。



民主党。

崩壊するしか道のない政党である。

しかも、党内に「TPP推進」を目指した旧政府の総理以下閣僚達が、控えている。

改憲も積極的な有力議員が、少なからず存在している。

大飯原発を再稼働させたのは、民主党政権であった。



来る七月の参院選で、自民の一人勝ちが取りだたされている。

それでは、その後どうなるか。


『TPP参加』は既に決めた。

『原発再稼働』
『改憲と国防軍創設』

が自民党の参院選への選挙公約であるらしい。


崩壊の一途をたどる民主党の、親自民の議員達と、維新とみん党とが、改憲に於いて「大同団結」するに違いない。

そのまま、公明抜きの『大合同』にまで言ってしまう公算も、決して少なくない。


その時、はたして「国民を守る」立場で戦える『野党』が、存在するのだろうか。。。



▶4・28政府式典:突然の「天皇陛下万歳」(沖タイ/見出し)

>壇上の安倍晋三首相ら三権の長がそろって両手を上げ、声を合わせた。「天皇陛下万歳」。

>28日に開かれた「主権回復の日」の政府式典。天皇皇后両陛下が式典終了後に退場する際、出席者から突然声が上がり、出席した国会議員や政府関係者約390人の一部も同調。天皇陛下は壇上で一瞬立ち止まった。

>約40分の政府式典は、安倍首相の独り舞台の様相でもあった。首相は舞台上に掲げられた大きな日の丸をバックに、約10分と最も多く時間を割いた。衆参両院議長、最高裁判所長官はそれぞれ3分。両陛下のお言葉はなく、残りは児童合唱団の歌声だけだった。

>米軍のトモダチ作戦を持ち出し、「熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う関係になった例は古来、稀(まれ)だ」と2月の日米首脳会談で語った「完全な日米同盟」をアピールするような文言を続けた。

>児童合唱団が歌声を披露する場面でも不可解な空気が漂った。出席者に向かって舞台上で歌うのではなく、出席者と同じ舞台下から、天皇皇后両陛下や首相などが並ぶ舞台上に向かって「翼をください」などの歌を合唱した。
【沖縄タイムス/4月29日(月)10時20分配信】


このニュースは、大げさに言えば「世界中を駆け巡った」。

それに先立ち、「迷彩服に身を包み戦車に乗って手を上げる」安倍晋三の写真も一緒になって。


それに先立ち、渡米していた東京都知事が本質を曝け出して、世界の注目を浴びてしまった。



▶猪瀬知事「イスラムはけんかばかり」 IOCが注意喚起(産経/見出し)

>猪瀬直樹知事が今月の米国出張中、ニューヨーク・タイムズ紙の取材に対し、ライバルとされるトルコ・イスタンブールを批判したと疑われる発言をし、国際オリンピック委員会(IOC)が候補都市に注意喚起する事態となったことが29日、分かった。

>猪瀬知事は「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけ。けんかばかりしている」などと発言したほか、日本の平均年齢などを引き合いに「トルコの人々が長生きしたいと思うのなら、日本のような文化を持つべきだ」などと語ったとしている。

>IOCは行動規範で他の候補都市との比較を禁止しており、トルコ側も閣僚がツイッターで「発言はオリンピック精神に反し、残念」とコメントした。

>トルコのスアト・クルチ青少年・スポーツ相はツイッターで発言について、「悲しいことだ」などとした上で、「イスタンブールはこれまでに他の立候補都市に対して否定的なことを言ったことはない」などとした。
【産經新聞/4月29日(月)22時46分配信】



猪瀬直樹は弁解に大忙しである。


日本国総理大臣「安倍晋三」と、その首都東京都の知事『猪瀬直樹」と。

正しく、素晴らしい人材に恵まれているものだ。

ほとほと関心するしか無い。


もともと、石原慎太郎もそうであるが、大阪市長の橋下徹も、それに輪をかけての見事なまでの程度の低さである。

そして、この類いの人々が日本の政治を司り、大半の国民の支持を受けている。


参院選の自民党大勝利の見通し。

橋下徹の率いる日本維新の会の後押し。

みんなの党の後押し。

これで、改憲は決定的であろう。


それもこれも「国民の選択」で有る以上、何を言っても詮無い事。



そして『産経』を筆頭とする大手マスコミの大政翼賛礼賛記事のつるべ打ちで、安倍改憲軍事国家路線を側面支援を繰り広げている。


▶自民・高市氏「主権の重みを考える意味ある」式典の意義強調(産経/4月27日(土)10時36分配信)

▶中国を念頭、離島保全の法制化を検討…政府(読売/4月27日(土)9時16分配信)

▶中国国防費20兆円?軍事バランス壊れる…首相(読売/4月27日(土)8時52分配信)

▶首相・憲法インタビュー 「憲法改正で、初めて憲法を国民の手に取り戻せる」(産経/4月27日(土)8時50分配信)

▶東大に巣くう“軍事忌避” 憲法改正が必要な理由(産経/4月27日(土)7時55分配信)

▶「2年で日中の軍事バランス壊れる」(産経/4月27日(土)7時55分配信)

▶「次の時代 照らす」 「国民の憲法」シンポに500人(産経/4月27日(土)7時55分配信)

▶<自民党>改憲、参院選公約の柱に 「96条先行」前面に(毎日/4月26日(金)22時37分配信)

▶改正の発議要件 3分の2→過半数 「国民の憲法」要綱(産経/4月26日(金)13時30分配信)

▶無秩序な「自由」偏重歯止め 産経新聞「国民の憲法」要綱(産経/4月26日(金)13時0分配信)


ざっと拾ってみたが、この週末の「提灯記事」である。

いやはや、煽る事煽る事。

とにかく、『改憲』させたい、軍事国家路線に突っ走りたい、意識が突出している。


政官挙げての、「いつか来た道」への躊躇無き突進の姿勢である。



ソロンを筆頭に「海外投資家」に、莫大な利益を供給している「円安・株高」路線は、ごく一部の輸出大企業だけが甘い汁を吸い、輸入品の価格上昇は庶民の日常生活を直撃する。

味噌醤油その他、あらゆる食品加工食品に、大豆が使われていないものはない。

繊維製品、プラスティック製品、肥料その他化学製品で、石油から作られないものは無い。

総て輸入である。

外国機関投資家は、円の売り買いで既に天文学的利益を上げており、株価の上昇のピークで売り浴びせる事だろう。

後に残るのは、物価はインフレ、所得は減少のスタグフレーションのみ。

そして、消費税の増税がとどめを刺す。

放射能被曝は留まる所を知らず、汚染食品は積極的に消費に回され、フクイチの崩壊現場での汚染水は、地下水脈と海とに流れ出し続けている。

今年の秋以降、停止中の原発の再稼働を謳っている。

オスプレイは追加導入され、中国との紛争は一旦始まったら『係争地は安保の対象外」とやらで米軍は見て見ぬ振りを決め込む。

TPPで国家の組織が根こそぎ覆されても、『TPP参加と安保とは連動しない』と明言されてしまった。


こんな状況で、日本と言う国がどのような方向に向いているか、誰の目にも鮮やかである。


国家の滅亡へと一直線。

国民の活力の低下と、国土の不安定要素の拡大、安全保障の不安と国民の健康の不安。

礼儀正しさや、国民の連帯感、正義感溢れる向上心の有る国民精神、それらの希有の美徳画作り出して来た、世界にも希な安定した「日本社会」が、消滅の淵にある。


それを「止められる力」が、どこかに有るのか。

今現在の政治制度と、報道姿勢、国民の「茹で蛙」的体質とで、そんな力が得られる訳も無い。


古代ローマは、五百年間の繁栄の後、徐々に徐々に衰退して行った。

日本は、大した繁栄も無く、強大な国家であった訳でもなく、「急速に」滅びつつ有る。

ロマ人達は、自分達の社会が崩壊するとは、誰一人考えても居なかった。

蛮族が大挙してなだれ込んで来るまでは。


日本人は、冷静に周囲を見つめてみれば、己が滅び行く路線に乗って生かされている事を、感じ取れる筈だ。

こんな例は、恐らく人類史上希有の例である筈だ。

日本国民は、にまたとない「歴史の証人」としての特別な立場を享受している。



どうする?


ここまで酷い姿勢を見せつけられていれば、本来なら「しっぺ返し」が起こってとうぜんだろう。

安倍晋三が、ここまで浮かれてはしゃぎ回って国民を血祭りに上げる事にうつつを抜かしていれば、絶対反動が起こる筈だ。

日本人が、未だにかろうじて理性を保っているならば。


来る参院選は、自民党の惨敗になってもおかしくない。

そんな状況に有る筈だ。

無茶苦茶な悪政者は、絶対に罰を受ける。

残忍で軽薄なお調子者は、必ず亡びる。



ただし、自民党に代わる『正義の受け皿』が有れば、の話だ。。。。。



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【緊急弾劾】人類史上唯一の原爆被爆国が核兵器に<賛同>した。日本政府よ、自らの臍を噛んで死ぬが良い!

2013-04-24 21:06:28 | 日本人の意識と精神構造
【緊急弾劾】


日本政府は、スイスなど70カ国以上が支持した核兵器の非人道性を指摘した共同声明に賛同しないと表明した。



日米軍事同盟を、全国民の、全地球市民の希求の願いに優先した。

日本国民は、少なくとも<1%のシロアリ>以外は誰一人、こんな事は願っていない。

安倍晋三に代表される政府自民党の面々に告ぐ。

己の臍でも噛んで、死んでしまうが良い。



「核の非人道性」声明に賛同せず=日本、安保政策と一致しない(時事/見出し)


日本政府は24日、スイスなど70カ国以上が支持した核兵器の非人道性を指摘した共同声明に賛同しないと表明した。

「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」との表現が、日本の安保政策と現時点では一致しないと判断した。




政府自らの意志であるのか。

はたまた、外務官僚のかってな非人道的突出で付けた道筋であるかは知らぬが、到底「日本人」として許す事の出来ない行動である。



共同声明はスイスや南アフリカが主導。ジュネーブの国連欧州本部で開かれている核拡散防止条約(NPT)再検討会議第2準備委員会で提出された。

声明は「核兵器の人道的影響は根本的かつ世界的な懸念として認識が高まっており、核廃絶と核不拡散を実現する上で中心となるべきだ」と明記。「核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の手段は核兵器の全廃だ」とした。


「核兵器の人道的影響は根本的かつ世界的な懸念として認識」

「核廃絶と核不拡散を実現する上で中心となるべきだ」

「核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の手段は核兵器の全廃だ」

これらの言葉に、逆らえる根拠がこの世に存在する事など、信じる事は容易では無い。

ましてや、核兵器の被害を直接体験し、原発事故の被害を今正に受けている『日本』が、この人類の魂の叫びに対して<反対>出来ると言う事が、現実に起こる事が、毛頭信じる事は出来ない。

日本の為政者たちは、ここまで鈍感になってしまったのか。

日本の為政者たちは、ここまで恥知らずに成り果ててしまったのか。


スイスは日本にも賛同を求め、両国は協議を重ねてきた。だが日本は米国による「核の傘」が事実上、北朝鮮などによる攻撃の抑止力となっている。このため、「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われない」との表現について、「現実に核兵器が存在する中で(実態と)相いれない」(天野万利軍縮大使)として、賛同を見送った。
【時事通信/4月25日(木)1時5分配信】



『軍縮大使』。

なんじゃそりゃ。



いまさら蒸し返すのもなんだが。

アメリカは、日本の都市に『原爆』を投下した。

ナチのドイツではなく、日本に。

しかも二か所に。

そんな「残忍無比」な国家に、唯々諾々と尻尾を振って付き従い、文字通り「ポチ」の地位を乞い願い、国民の安全と繁栄とを蔑ろにしてまで貢ぎ尽くし続け、はたまた今後も「永久奴隷」の地位に甘んじようと画策している政府が、『日本政府』で有る事自体が、異常な事である。


「協議」なる物が不可能であり、日本の求めるべきは総てすげなく無視され、米側の要求は即座に受け入れたうえでのTPP参加への「正式参加表明」に沸き返る政府と官僚ども。

菅直人も、野田佳彦も、安倍晋三も、麻生太郎も、わざわざ渡米して「日本の叩き売り」を奏上して喜ぶ。



麻生太郎 副総理兼財務相は、CSIS戦略国際問題研究所において2013年4月19日 、水道の民営化に言及した。


以下@HEAT氏のツイッター上による文字お越しの提供。

(以下引用)
4月19日のCSISでの麻生副総理の水道民営化に関する部分の発言、書き起こし。


麻生副総理「3番目のバズーカ(3本目の矢=成長戦略)については、いま私に訊かれるより数か月待って、これをまとめている人たちに直接訊いて頂いたほうがより正しい答えが出ると思いますが、私の知ってる範囲で答えさせて頂きます。

今、色々なアイデアが実に多くの人から出されているが、その中でと思っているのは、いわゆる規制の緩和です。規制の緩和、なかんずく医療に関して言わせていただければ…


(中略)

このロボットは一つの例ですが、例えばいま日本で水道というものは世界中ほとんどの国ではプライベートの会社が水道を運営しているが、日本では自治省以外ではこの水道を扱うことはできません。しかし水道の料金を回収する99.99%というようなシステムを持っている国は日本の水道会社以外にありませんけれども、この水道は全て国営もしくは市営・町営でできていて、こういったものを全て民営化します。

いわゆる学校を造って運営は民間、民営化する、公設民営、そういったものもひとつの考え方に、アイデアとして上がってきつつあります」。

(引用終わり)
原点☞麻生副首相がトンデモ発言!!麻生氏「水道は全て民営化します」 日本国民の公共財産を売り渡す連中 『正しい情報を探すブログ』


何処から何処まで、何から何まで、日本を売り渡したいらしい。

「民営化」と言えば聞こえは良い。

自治体から国まで、盛んに言われて来た。

かの橋下徹も、大阪市営地下鉄を民営化すると言っている。

しかし、その実態は「市民の財産」である地下鉄のインフラと営業権、水道事業のインフラと経営権を、第三者に売り渡す事で財産が消滅する事に他ならない。

売却益が、一体何処に納まるのか。

そして、その収入が等しく市民の一人一人に還元されるのか。

そんな事は、毛頭想像出来ない。

そして、これが肝心な事だが、一体「誰が」買い取るのか。


バブル崩壊以後の、日本の金融業界をみてみるが良い。

特に「生保」会社は、殆どが外資か、外資が大株主に変わってしまった。

つまり、利益は国外にもたらされる、と言う事である。

これは、今後『TPP』によって、医療保険などから更に顕著になるに違いない。

現に麻生金融大臣は『カンポ生命』の<がん保険>事業の認可を拒否した。

言い分は、「競合関係に有るアメリカの生保会社に配慮した」と言う、トンデモも発言である。


「水道事業」は、公共事業の筈。

日本は、世界でも少数派の「安全な水」が、安価に国民に提供されて来た国であった。

そして「水」は、今後の地球規模での最優先課題であるのだ。

中国は、河川の殆どが極度の汚染に見舞われている。

湾岸諸国も、水資源の確保は石油に因る収入の全てをかけてでも、解決しなければならない課題となっている。

アフリカ大陸の、インドやその周辺でも「水不足」は、その土地で人間が生き続ける事を不可能にしてしまっている程、深刻な問題なのだ。

日本全国の水道事業を民営化するとして、恐らく「巨額」になるであろう購入資金は、誰が負担出来るのか。

言うまでもなく、アメリカに本拠を置く国際ユダヤ資本で有るに決まっている。

そして、日本の水のかなりの部分を、日本国内での供給から、より利幅の大きい他の国に販売されてしまうとなると、日本人の生活がどうなるか火を見るより明らかな事だ。

しかし、現実的には競合相手無しに、安価に手渡されるに決まっている。

世界の趨勢は、そう言う動きで成り立っているのだから。


以下に、Wikiからの転載する。

コチャバンバ水紛争

コチャバンバでは、1967年より水道事業を担っていた SEMAPA(市営上下水道サービス公社)が世界銀行の主導によって民営化され、民間会社であるロンドン国際水供給会社(International Waters Limited of London : IWL)が上下水道事業の40年間のコンセッション契約を受注した。IWL社は米ベクテル社(Bechtel Corporation)の完全子会社で、コチャバンバでは「トゥナリ水供給会社(Aguas del Tunari)」と称した。世界銀行のボリビアに関する1999年6月の報告では、上水道の使用料金を低く抑えておくための公的補助金を中止することが求められていた。
地元紙の記事には、水供給公社の契約は競争入札により行なわれたが、一人の応札者しか現れず、数百万ドルの価値が見込まれる上水道システムがわずか2万ドル以下で売却されたと報じられた。
トゥナリ水供給会社がコチャバンバの上水道設備を手にした数週間後に、ミシクニ (Misicuni) ダムの建設の資金調達のためとして水道料金の大幅な値上げを行なったところ、抗議行動が発生した。最低月収が100ドル以下であるこの地において、20ドル以上の水道料金は多くの住民の家計を直撃した。
1月の中旬、新しくできた労働者同盟、人権問題指導者たちの先導で4日間連続のストライキが発生し、コチャバンバの町は活動を停止した。政府は水の価格を元に戻して2週間以内に収拾を図ることを約束せざるを得なかった。これにより、抗議行動はひとまず収まった。
3月に6万人以上の住民に調査を行ったところ、90% の人が「トゥナリ水供給会社は撤退して水供給は公社に戻すべきである」と答えた。民営化反対論者たちはブエノスアイレスの上水道民営化の例を引き合いに出し、その時は7,500人もの労働者が解雇された上に水道料が上がったとして、上水道施設の民営化がなぜ良くないのかを主張した。
4月4日には再びコチャバンバは機能停止に陥った。IWL社は、コカ絶滅作戦に反対するコカ生産農家たちの煽動により暴動が悪化していると主張した。
デモが4日目に入った時、ボリビア政府は戒厳令を発令した。警察は反乱指導者たちを深夜急襲して逮捕し、地元ラジオ局を閉鎖。武装兵士が町を監視した。
4月10日、水道会社の民営化撤回を迫るため、数千の人々がコチャバンバでデモ行進を計画した。しかし、ウゴ・バンセル・スアレス大統領は武力でこれを鎮圧しようとした。バンセルはかつて1970年代に独裁政治を行なった事がある大統領である。彼は警察に指示して2日間に渡りデモ隊に催涙ガスを浴びせ続け、6人の死者と175人の負傷者を出した。この負傷者の中には失明した2人の子供も含まれる。
この騒乱はラパスにも飛び火し、チチカカ湖周辺の住民も道路封鎖などの抗議行動を起こす。4月8日にはボリビア軍により17歳の少年が顔面を撃たれて死亡。逆に農民がボリビア軍大尉を撲殺するという事件も起こる。
ラパスやサンタクルスなどの大都市では、警官や消防士などの中に反対運動に賛同するものが現れ始める。また、ボリビア中央労働者連盟(Central Obrera Boliviana : COB)の呼びかけに応じて教職員組合が無期限ストライキを始めた。
4月12日にトゥナリ水供給会社は事業撤退を表明。ボリビア政府も最終的に抗議者たちの主張を全て受け入れることを表明した。世界銀行は援助停止の形で圧力をかけた。
現在は新生 SEMAPA のもと、公営で民主的な水道運営システムを構築すべく努力が重ねられている。このプロセスにおいて、上記水紛争で牽引的存在となった市民団体「コチャバンバ水と生活を守る協議会」 (Coordinadora en Defensa del Agua y de la Vida, Cochabamba) の貢献は大きい。


宣言文

コチャバンバの活動家による宣言文は次の通り:
私たち、ボリビアとカナダとアメリカ合衆国とインドとブラジルの市民たち: 農民、用水番、労働者、先住民、学生、専門家、環境論者、教師、非政府組織メンバー、年金生活者たる私たちは、今日、大切な水の権利を守るため、力を結集し一致団結した。
私たちはこの地、組織や政府による虐待に立ち向かった市民の行動・勇気・犠牲によって、商業主義が握りつぶそうとしていた権利を取り戻したこの地、世界に輝けるこの地において、私たちの自由と尊厳に基づいて、次の宣言を行なうものである:
生きる権利に基づき、また、自然と私たちの祖先と私たちの土地の習俗に対する尊敬に基づき、大地から与えられた水の使用については未来永劫侵されざる以下の権利があることを明らかにしなければいけない。
水は大地と全ての生物のものにして神聖にして犯す事ができないものであり、全世界の水資源は温存され、営繕され、保護されて子孫に伝えられ、その自然の状態が尊重されなければならない。
水は人間の基本的な権利であり全ての政府機関によって公共性が保証されなければならない。すなわち、金儲けの手段になったり、民営化されたり、商業的に取引されてはならない。この権利は全ての政府機関で尊重されなければいけない。特に国際的な協定においてはこの原則に異論を挟む事は全く許されない。
水は地域社会と地域住民によって守られることが望まれ、この地域住民は水の保護と調整の上で政府と同じ重要性を持たされなければならない。世界の中の地域住民こそ、地球の民主化を促進し、水を守るための原動力なのである。


新自由主義に対する拒絶

このコチャバンバの紛争は、1980年代から1990年代にかけてアメリカ合衆国がラテンアメリカなどの諸国において進めてきた新自由主義経済モデルに対する、初めての拒絶行動であったといえよう。すなわち、経済の自由化や民営化、特に水資源の民営化に対する反対運動であった。

(引用終わり)



日本で、ここまでの抗議行動を起こせるか。

恐らく、皆「諦めて受け入れる」に違いない。

日本人は、状況の如何を問わず、諦めて受け入れ、必死で乗り越えようとするであろう。

絞れば絞る程、日本人からは滴って来ることは、「彼等」は知り尽くしている。


そして、その麻生太郎副総理以下168人の国会議員が『靖国神社』を参拝した。


「日本は米国による『核の傘』が事実上、北朝鮮などによる攻撃の抑止力となっている」

大馬鹿野郎の売国奴ども。

この姿は、自ら近隣諸国との間に緊張を深めておいて、他国の「核の傘」に依存する麻薬常者である。



「人類の未来」を見据えよ、とまでは求めない。

所詮は無理な話だ。

しかし、せめて「国民の未来」を考える事が、政治家の使命では無いか。

何が何でも改憲を望む人でなし。

冥加金はタップリ吸い上げながら、「核の傘をいつまでも頼っても知らんぞ」と、宗主国に突き放されての、武装国家願望。

尖閣諸島は安保条約の適用範囲、と米側。

同時に、ひとたび中国側が軍事上陸などを敢行すれば「係争地」とみなされ、安保の適用外となる、とも。

万一金正恩が見本にミサイルを発射して、被害を受けたとしたら、そのj店から日米安保条約に於けるアメリカの参戦が、発動される。

しかしその時点で、日本側の受けているダメージは取り返せない。

一体何の為の「核の傘」なんだ。


平成に入って最大数の議員が「靖国」を参拝した。

中国と韓国とは、当然反発。

尖閣諸島には、これまでで最大の8隻の中国艦船が領海内に侵入して、緊張は高まる一方である。

一方では、米軍と日本自衛隊に因る「島嶼部上陸作戦」の合同演習を行うと発表している。

これは、まさに米国のマッチポンプなんでは無かろうか。


後3ヶ月に迫った参院選でも、自民党の一人勝ちが予想されている。

環境は整った。

一気に改憲に持ち込み、日本を「戦争屋」の手に捧げて、雌伏48年の屈辱を晴らすべく、「彼等」は着々と打つ手を総て成功させている様に思える。



「核の非人道性」声明に賛同せず=日本、安保政策と一致しない


唯一の核兵器被爆国日本は、原爆を投下したアメリカを「人道に対する罪」で告発するどころか、自分達の頭上に原爆を落とし、数十万の命を未だに朽ちさせているアメリカに、魂を売り払い、身を捧げ、核兵器の非人道性を謳う宣言に「反対」した。


毎日、考えられない様な出来事ばかりが続き、毎日「日本は終わった」と感じては、翌日その思いを更に深くさせられて来たが、とうとうここに来て極まった感がある。


おそらく日本は、放射能被曝が好きなのだ。

かって、放射能で突然変異した「鯨」と「ゴリラ」の間の子が『ゴジラ』となって、首都を襲った。

平成の現代、シロアリは放射能に汚染されて吸血コウモリと合体し、『吸血シロモリ』となって祖国を襲うのだ。


こんな国の国民だとみられるのが、実に辛い。

韓国人は、韓国人の人気のない国に行って「日本人」の振りをするが、私は祖国を失った「デラシネ」になってしまったらしい。

『地球人』と名乗るのもいかにもだし、『宇宙人』と名乗る程ふざける気もないし。


やい、安倍晋三。

祖国を返せ!






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他人の痛みを感じ取れないに人間は、生きて行く価値も資格も無い。

2013-02-26 22:37:38 | 日本人の意識と精神構造
今更ではあるが。

日本の社会は、極限まで病んでいる。

持つ者は生きる資格が有り、持たざる者は生きる資格すらない。

そんな国になってしまったニッポン。

一体、何時からこんな情けない国民に成り果ててしまったのだろうか。




▶<障害者自立支援法>「電動車椅子支給却下は違法」と提訴(毎日/見出し)

>心臓病がある福岡県筑後市の小林奈緒さん(23)が、障害者自立支援法に基づく電動車椅子の支給申請を筑後市が却下したのは違法として、市の処分取り消しを求める訴訟を福岡地裁に起こした。

>訴状などによると、小林さんは生まれて間もなく先天性の心臓病「単心房単心室」と診断された。本来なら二つずつある心房と心室がそれぞれ一つしかないため血液中の酸素が不足し、5分以上、100~200メートル歩くと息切れが激しくなる。入浴も手助けが必要で、身体障害者手帳(1級)を取得している。

>06年施行の障害者自立支援法に基づく厚生労働省の規定は電動車椅子の支給対象者を「呼吸器機能障害、心臓機能障害によって歩行に著しい制限を受け、医学的所見から適応が可能な者」と定める。認められれば、本人負担は原則購入費の1割になる。

>小林さんは手動の車椅子も自分では動かせないため、11年、市に電動車椅子の支給を申請。電動車椅子が必要との主治医の意見書も出した。

>しかし市は12年、「日常生活が著しく制限されるとは考えにくい」として申請を却下。小林さんは不服審査請求をしたが認められなかったため提訴に踏み切った。

>代理人の星野圭弁護士は「市は小林さんの社会参加の権利を侵害している。主治医の判断を尊重し、自立につなげるためにも電動車椅子を支給すべきだ」と主張。

>筑後市福祉事務所は「(支給決定の際に行われる)県障害者更生相談所の判定に基づき判断した。今後の裁判で反証していきたい」としている。

>障害福祉に詳しい竹端寛・山梨学院大准教授(障害者福祉論)の話 同様のケースは他県でもある。電動車椅子を使うのは甘えている、できるなら手動を使う方が良いというような、旧来の「自立更生」の文化に基づいた前例踏襲の判断を感じる。病気のしんどさや生活のしづらさをきちんと聞き取り、行政と当事者が協議・調整できるようにすることが必要だ。
【毎日新聞/2月26日(火)3時0分配信】



この筑後市福祉事務所の担当官は、しゅくしゅくと「前例と慣行」とに従って仕事をしているだけなのだろう。

第三者が何か言うべき事ではないのかもしれない。


しかし。

行政とは、住民の生活を支える為に存在するのではないのだろうか。

行政とは、その行政がそれまで守って来た「前例」や「慣行」を踏襲する為に存在する訳では無いだろう。


そして、住民の生活を支え、社会の環境整備と安全の確保の為に働くのが、公務員なのではないのか。



そして。


「田中ゆうたろう」という杉並区議が居るらしい。


彼のブログが、目下炎上中である。

少し長くなるが、消去される恐れも有るので以下に全文を貼付ける。

(転載開始)
田中ゆうたろう/杉並区議会議員/自民党

-若い力が明日の杉並を育みますー

2013年02月21日
一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり

認可保育所に4月から子供を入所させようと申し込みながら、「入れない」と通知された杉並区の母親らが18日・19日、杉並区役所前で抗議集会を開いた。19日の東京新聞は次のように伝える。
「『子どもを持つなということか』。東京都杉並区役所前で18日、赤ちゃんを連れた母親らが、我慢してきたつらい気持ちを涙ながらに吐き出した。妊娠中から保育所探しに歩き回り、育児休暇中も不安にさいなまれた揚げ句、預け先が見つからない。『認可保育所を増やしてほしい。現状のおかしさに気付いて』と訴えた。待機児童の多い都市部共通の、母の願いだ。(柏崎智子、小形佳奈)
『大きなおなかを抱えた臨月から、保育園を回らなければならなかった。インターネットで区の保育事情を検索し、何日も不安で眠れなかった。貴重な育児休業中、何をしていても保育園の心配がついてまわり、本当に苦しかった。こんな目に遭うなんて知らない妊婦さんは、今も大勢いるんじゃないか』
10カ月の子どもの母親はマイクを握り、『保活』とも呼ばれる保育所探しのつらい経験を振り返った。認可保育所の入所の競争率が異常に高いため、母親らは子どもが産まれる前から認可外保育施設を訪ね歩いて申し込む。育児休業を早めに切り上げて認可外施設に入れ、認可保育所に入るための点数を稼ぐ人もいる。
これほどの保活の厳しさを知らない人も多い。杉並区の公式な待機児童数は、昨年4月1日現在で52人で、都内の他の自治体に比べて特に多くない。この数字には認可保育所を希望しながら認可外施設に入って空き待ちをしている子どもや、預け先がなくて仕事を辞めてしまったケースは含まれないためだ。潜在的な待機児童の状況が分かりにくくなっている。
1歳3カ月の長女を持つ女性は『子どもが生まれた時はとても幸せで、職場復帰するまで楽しく過ごそうと思った』が、半年後、保育所の入りづらさを知ったという。あわてて何カ所も保育所回りをしたが、入れるところがなく、認可保育所も落ちてしまった。
6カ月の長女がいる女性は、老老介護する父母を支えるため、出産後まもなく実家のある杉並区へ引っ越してきた。これが認可保育所の入所にマイナスに働いた。『『両親が近くにいると入所の優先度が下がる』と今日、区の窓口で知らされた』
妊娠中から申し込んだ5カ所の認可外施設もすべて断られた。『あまりに長い不安の期間を過ごした上に全滅で、ショックが大きい』と声を震わせた。
子どもが2人で、上の子の預け先がないという母親は『この数日間、眠れない。お母さんの精神状態が悪いと子どもの笑顔もなくなる』としゃくり上げた。
抗議集会を企画した『保育園ふやし隊@杉並』の曽山恵理子さんは『保育園が足りないと泣いているだけの状況はそろそろ終わりにしたい。できることを考え、一緒に行動しよう』と呼び掛けた。」

待機児童問題、というよりも本質的には「待機親問題」なので以下待機親という言葉を使うことにするが、待機親の辛さは想像できる。想像できるというのは、私はまだ親ではないので実体験がないからだ。子供というものは、基本的には親が家で育てるものだと思ってきた。最低限の物質的・精神的備え、つまりは経済力だとか人間力だとか、そういう準備も覚悟もなしに子供というものは易々と持つべきではない、持つ資格がないと自分自身に言い聞かせてきた。よく、その歳(現在37歳)まで独り身でいるとはどういうことかとお叱り気味に言われることがあるが、私に言わせれば、もしも結婚した時、果たして本当に妻や子供を幸せにできるか、その自信を持つのに人によって多少の時間はかかるのである。四十にして惑わずと言うではないか。
そんな私からすれば、正直な話、よくもまあ貴君のような未熟者が結婚したなあ、子供まで授かったなあと驚き呆れるような知り合いも少なくない。ましてや、もしも本当に先の東京新聞が伝えるごとく、「子供を持つなということか」などとまで開き直る待機親があるとすれば、私はそういう親にひとつ問いたい、「ならば最初から社会でお宅の子供の面倒を見ろということか」と。
私は、今のこの不況を本質的に打破するためにも、女性力を思い切って爆発させることは必要だと考えている。仕事と子育てを真に両立できる社会を創らねばならないと強く願っている。


だが、それゆえにこそ、「子育ては本来は家庭で行うもの」という基本中の基本を忘れるべきではないと痛感する。一抹の遠慮も忸怩の念もなく、声高に居丈高に「子供を持つなということか」「現状のおかしさに気付いて」などと世を恨むかのような態度は、それこそどこかおかしい、どこか的を外している。「お願いです。私達の子育てをどうか手伝って下さい」、これが待機親に求められる人としてのマナー、エチケットというものではなかろうか。この寒空の下、泣き叫ぶ赤ん坊を片手に区庁舎前でマイクを握るのも結構だが、もしも私が親ならそんな残酷なことはしたくない。家で子供に暖を取らせつつ、待機児解消のためあらゆる施策を講ずべき旨、区に陳情書でもしたためるであろう。

アジテーションが悪いと言っているのではない。最初から子育てを社会に押し付けるな、大人の都合に子供を巻き込むな、そう言っているのである。

(転載終了)

一応URLは右 ☞ 一抹の忸怩なき待機親に一抹の疑義あり
 


これを読んで、一気に脱力感が倍増してしまった。

>デモする暇が有ったら陳情書でも書け

って、そんな物何万通も散々書いて、コヤツ等政治家が何もやらないから、切羽詰まっての「寒空に子連れ」でデモをやっている訳だろう。

昨年「尖閣諸島」に上陸を試みて溺れかかった男らしいが、政治家を辞める以前に、人間を止めて頂きたいものだ。




日本と言う国家が、独立主権国家ではなく、アメリカの植民地(保護国と言う米人政治家も居た)で有る事が、日を追うごとに明らかになって行く。

かっては、そんな事を国民の目にさらす様な事はせず、一部の高級官僚と政治家だけが「こっそり」と国の針路を誤って来た物だった。

いまや。

イケシャアシャアと、総理自ら宗主国で日本担当を自認する政治ゴロ相手に、謝辞を述べて来る時代と成り果てた。


国家とは何か。

国土が存在し、その国土の上で国民が生きて行く。

その生き方を、外部から一切の指示や圧力無くして、自ら決定し遂行して行く社会共同体。

それが、国家と言うものであろう。

つまり、国家の構成要素は、極めて限られる。

国土と国民。


その国民の生き方を整理し、より生きて行き易く道筋を定め、国民を導き、生活の安全を確保して保証する制度が、政府である。

その「政府」とは、国民の中から選ばれた政治家と言う分野の国民で構成される。

そして、その政府が決めた道筋に添って、国民の生活の円滑を図るのが行政であり、その行政を担うのが官僚である。

官僚も国民である。


そこまで納得した上で、我が祖国を見てみよう。

日本の政府は、国民の生活の安全を確保し、より豊かな生活を保障する為に、道筋を決めているか?

日本の官僚は、国民の生活をよりスムーズに快適にする為に、働いているか?



このブログで厭きる程繰り返して来た通り、官僚は国民に奉仕する変わりに、国民を支配している。

政治家を操り。

司法も立法も行政も、総て実際に支配権を握っているのは、官僚である。

三権分立?

三権総て官僚支配が正しい。



TPPという条約制度が、どれほど日本を破壊する物であるかも、繰り返すのもうんざりする程である。

事は、農産物と自動車の関税を聖域にするのどうのこうのではない事を、政治家も語らず、マスコミも報じない。

「環太平洋自由貿易協定」と言う名の『日米隷属協定』に過ぎない。

アメリカ企業が望めば「何でも」日本を協定違反で提訴出来る。

非公開で裁定され、裁定に不服申し立ては認められない。

裁定は該当国の国内法に優先する。


日本が、アメリカを訴える事が可能だろうか?

と言うより、そんなチャンスが有ろうか?

アメリカ側は、日本の固有の社会制度を総て「非関税障壁」として訴える事が出来る。

訴える気満々である。



社会制度を総て改組させられ、あらゆる分野の産業は外資で占められる。

散々TPP参加を煽り続けるマスコミですら、ABCやCNNの傘下に入れられてしまう事もあり得ない事では無いのだ。

公共サービスと呼ばれる物は、アメリカ企業が望むなら総て、彼等の物になる。

民営化させられて、参入を強要されて、拒めない。

あるいは、民営化した企業を買収される。


どこまで行くかは、総てあちらの企業の「どん欲さ次第」である。

多少の情けをかけてくれるのか、骨の髄までしゃぶり尽くされるのか。



そんなオオカミの様な協定に、自ら進んで己の美肉を差し出す乙女の如き、日本政府。

これは、菅直人が言い出して、野田佳彦が頑に突っ走ろうとして、安倍晋三がゴールテープを切る。


と言う事は、政権には関係ない訳だ。


要するに、経産省、財務省、外務省、総務省等が政府を操って、オオカミの口の中へと集団自殺しようとしているのだから。

以前は、個々まで露骨ではなかった気がする。

それとも、私のマナコが曇っていただけなのであって、実態は何も変わっていないのかもしれないが。


それにしても酷い物だ。

先の筑後市の役人といい、田中ゆうたろうクンといい、一体何故こんな日本人ばかりになってしまったのだろうか。


政治も経済も、社会の全てがリンクして、一つの方向へと転がり落ちて行く。

止まる事を知らず、止める事の出来る者も居ない、ただひたすら破滅に向かって転がり落ちて行く、祖国ニッポン。。。


われわれ国民の側に、残された抵抗手段は有るのだろうか。


半年先は参院選である。


生活の党は、全国区で二人当選出来るかどうか、が話題になっている始末。

残された可能性は、極めて薄い。


座して死を待つのみか。

ドン・キホーテ宜しく、意味も無く巨大な風車に突っ込んで自爆するか。



日本の転落を食い止める為には、日本人自らが変わる必要がある。

変わるしか、転落を食い止める手段は無い。

そして、半年で変われる程、多くの同胞は覚醒していないのが現状である。



国民が、居て、生きて、経済を文化を築いてゆく。それが国家。

その国家の存在を整理し、国家の向かうべき道筋を築き導くのが政府。

その道筋を実現するのが官僚機構。政府も官僚も国民である。

それなのに、その政府と官僚機構を構成する政治家も官僚も、国民を売ろうとする。自分の目先の何かの為に。




宋代末期、政治の乱れに諦めて「清談」に耽った竹林の賢人も、強大なローマに滅ぼされ行く祖国を座して見届けた、古代アテナイの哲人達も、かくのごとき悩みを悩み切った挙げ句に到達した、解脱の境地だったのだろう。


私には、そのような突き抜けた悟り等、到底開けない。


私は、幸い未だ他人の痛みを感じ取れる。

自分の痛みも、多いに感じている。



自分に痛み等まったく無く、ましてや他人の痛み等更に輪をかけて感じない様な政治家が、支配している日本を祖国に生きて行くしかない。

生きて行くしか無い以上、何かをしなければ。。。。。


コメント (6)
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イスラムの反撃は平和国家ニッポンには理解の及ばない所に有り、そのニッポンでは全てがバラエティー…。

2013-01-23 22:40:21 | 日本人の意識と精神構造
ちょうど一年前の今日、以下の様なブログ記事を書いた。


英米を基軸とする「欧米人種」の他民族への謂われなき優越感が、イランに対する圧迫を産み出し、そのような欧米人の謂われなき優越感がもたらす感覚が、今後もイスラムのテロを引き起こすだろうと言う、懸念を綴った。



更なるテロが心配される「イラン制裁」。EUがイラン原油の全面禁輸を決定。
どうも『白人種』は、アジア人やアラブ人等に対して、「力で圧倒すれば言う事を聞かせられる」と、信じ込んでいるのではなかろうか。EU外相会議議長の、「イラン制裁としての原油の禁...




幸い、直接「イラン」絡みのテロは、まだ引き起こされていない様だ。

しかし、ここで指摘した欧米の感覚が、今回アルジェリアで多くの同胞を含む外国人の命を奪ってしまった。



昨日のブログの中で「舌ったらず」で書ききれていないが、私は一般的に見られる「イスラム過激派のテロ」を、心の底から憎んでいる。

胸が破裂しそうな怒りとともに、それらの実行犯を許せない。



しかし、どのような非人間的な行為であっても、その行為には必ず原因と、そこから導かれる結果とを伴っている。


繰り返すが、決してテロを肯定するものでは無い。

その上で、これ迄も時に応じて、敢えて「原因」があっての「結果」であると言う、至極もっともな理屈を展開してきたつもりである。



アルジェリアは、極めて複雑な国である。

複雑怪奇な歴史の背景は避けるが、150年に及ぶフランス支配を経て独立した彼等には、強烈な自尊心と隠れた劣等感との狭間で、困難な国家の近代化に務めている。

90年代の反鎖国状態から抜け出した後も、国内の山賊化した反乱分子(一般的にアルジェリア・ウオッチャーや知識人、マスコミでは「イスラム過激派」と呼んでいるが、イスラムに名を借りた不平分子の追い込まれた残党であり、人食いすらやってのける狂気の山賊集団であり、北部地中海に平行する「アトラス山脈」に数十人単位で隠れ住み、新月の時に山里に下りて村人を惨殺していた)掃討作業に膨大なエネルギーを費やし、国民の猜疑心を沸点まで高めてしまった。

国会に於けるイスラム政党の政権獲得と原理主義的政治の開始、その直後に起こった軍事クーデターと、そこから繰り返されたイスラム勢力との武力衝突を繰り返す90年代に、現地に進出していた日本企業は殆ど引き上げてしまった。



その暗黒の時代に、唯一現地を離れなかった日本企業が『日揮』であったのだ。

この企業のアルジェリアに置ける存在は、現地での信頼を多いに高め、ひいては日本への信頼を多いに高めてくれる貢献をした。


その日揮が、今回の惨事でアルジェリアを引き払うかもしれない所迄、追い込まれているらしい。



暗黒の10年、失われた10年を乗り切って2000年代に入り、なんとか再度国際社会の仲間入りを果たした後も、彼の地への出入国は一仕事であった。

空港での手続きには、気の遠くなる様な時間と忍耐力を必要としたものだった。

そんな、複雑なコンプレックス国家アルジェリア。

その容貌は、空白の10年の間に、インフラは錆び付き、消費物資は底をつき、ゴミ捨て場から拾い集めて来た様なポンコツの超古めかしい車両で排気ガスをまき散らし、道路は汚れ放題と成り果てていた。

都市再開発、インフラ再構築、耐久消費財の一新と、アルジェリアは物資への需要に、「外から来た物資」は何でも飛ぶ様に売れる時代になった。


そこに、素早く入り込んで来たのが、韓国企業であった。

アルジェリアが平穏を取り戻し、国も市民も新しい消費材なら何でも欲しがっている事を日本企業に説明して、進出を促す稟議をしても、日本企業の風土では、即決は絶対出来なかった。

誰も進出を本気で考えようとせず、誰も責任を取りたがらず、例に依って「様子を見て考える」と言っているうちに、家電もICも車も、何もかも韓国製品に席巻されてしまった。


ソニーは欲しい。

でも、それと同じかそれ以上に高性能のサムスンがある。


トヨタは欲しい。

そのトヨタは、そのランドクルーザーの絶大なる信頼に揺らぎは無いものの、新車はは入って来ない。

15年落ち20年落ちのランクルを、修理しながら砂漠で愛用している以外、北部地中海沿岸の都市部では「ヒュンダイ」がしっかりとシェアーを奪ってしまった。


そして、インフラ整備の需要に中国のゼネコンが参入する。

国家プロジェクトの官庁新庁舎建設や、都市部道路の立体交差化、団地の建設、高速道路の建設と、安価な落札価格で中国企業は次々とその存在基盤を確立して行った。

何しろ彼等は、中国国内で犯罪を犯して有罪判決を受け「強制労働」の罪に服す服役者を連れて来て、現場労働にあたらせる。

タダ同然の人件費。

ヨーロッパのゼネコンが、価格で張り合える訳がない。


勿論、現地では「中国製」は安心出来ない事は、解っている。

分ってはいても、やはり安価な落札価格の前に、発注者も膝を屈してしまう。


5年程前、北部都市間高速道路の1/3の区間を、日本企業群が落札に成功した。

大変難しい工事を求められる地形の部分で、幾ら安くても中国ゼネコンに発注する勇気は無かった様だ。

しかし、各工事区間の地方ごとに異なる部族の違いと、その部族間の微妙な関係などをしっかり調整して作業員の徴募を行う必要がある事。

ラマダンの時期の喜捨の必要性とその方法。

工区の地質調査の必要性。

それらを幾ら教えようとしても、その他費用と工期の見積もりの甘さ等を指摘しても、東南アジアや中東各国など「イスラム社会」での工事実績を過信して頭から聞く耳を持たず、結局大失敗を繰り返している。

納期を何年も過ぎて、未だに完成していない。



さほどに、まだまだ特殊性の多く残る難しい国なのです。


そこに、日揮は半世紀に渡って根を張り、地域に順応し、政府からも地域住民からも絶大な信頼を勝ち取っていた日揮が、アルジェリアからの撤退を考える程に、今回の事件は悲惨であった。


洩れ伝わって来る情報を繋ぎ合わせて行くと、何かが多少は見えて来る。

先ず、日揮のアルジェリアに置ける作業の草分け的存在であった、前取締役副社長で、現最高顧問が事件に巻き込まれた。

彼は、開発パートナーである「BP」の幹部社員とのミーティングの為に、現地に出張していた。

その、相手のBPの幹部社員も殺されている。


既に既成メディアも報道し始めている通り、これは「この機会」を狙っての計画に違いないとみて、概ね間違いないであろう。

その為に、現場のアルジェリア人従業員に内通者をリクルートしていた。

日揮のスタッフでは無いらしいが、日揮のスタッフの為に調理を請け負っていた現地会社の人間であるらしい。



振り返ってみると、いわゆる「アラブ・ゲリラ」と呼ばれていた一部武装過激派が、「イスラム・テロ集団」と呼び名が変わって西欧各地で実力行使を始めたのは、イスラエル絡みの事件以外は、アメリカがイラクに侵入した「第一次湾岸戦争」から、激しくなって来たのではなかったか。


彼等は『ジハード(聖戦)』と言う言葉を使う様になった。

この言葉は、元来「十字軍」に抵抗したイスラム軍団の反撃を指した特殊な用語であった様だ。

ジハードに立ち上がったイスラム教徒は、神に召される…。

しかし実際は、コーランには、この表現はない。


その十字軍への抵抗戦、つまり「キリスト教徒によるイスラムの土地への蹂躙」に対する戦いの言葉が、8世紀を経て現代に甦ったのだ。

イスラエルとその擁護者アメリカへの抵抗活動を指して。


さらに、その活動を拡大解釈して、その土地その土地のイスラム教徒がかかえる、西欧からの影響による諸問題に対して起こすゲリラ活動全てを、ジハードと言う言葉で自己弁護する様になって行った。


それらの行為には、コーランの教えに則ったものもあれば、逸脱した行為もある。

自己弁護である以上、イスラム社会の無頼漢が外国人相手に不法行為を働いて、それが武力を伴っていれば、それは彼らに取って「ジハード」なのだ。


これは、お隣の国の『反日愛国』と同じである。

その事に関してもっと翻っていえば、紅衛兵がその気になって働く不法行為を全て『造反有理』と称して正当化していた動きと同根である。


要するに、不平不満を持って乱暴狼藉を働き「ジハード」と呼んで正当化を図る行為は、やはり国際社会としては許しておく訳にはいかない。

それが、アメリカを中心に欧米諸国の言う「テロリストには妥協しない」姿勢と軌を一にする。

実力行使あるのみ。。。



今回の襲撃と外国人拘束事件は、最初から平和的に解決出来得るものではなかった。

もし、単なる身代金が目的であれば、ガス田基地に立てこもっては求める結果は得られない。

外国人を基地から空港迄送るバスを途中で襲撃して、さらって砂漠の中に逃走して国境を越えてしまえば良いのだ。

今回の事件のきっかけのバス襲撃の様に。

そのまま人質を連れて逃げれば良いのだ。

日揮の最高顧問やBPの幹部社員が空港へ向かうバスを襲えば良いのだ。

内通者が居たらしい以上、どの日のバスを襲うえばいいかは、簡単に把握出来るであろう。

しかし彼等は、基地に立てこもった。

当然アルジェリア軍に包囲される事は分り切っている。


その包囲網を、人質を連れて突破する事など、不可能である。


その一方で、彼等は「仏軍のマリからの撤退」「911に関連して逮捕されているアメリカのイスラム過激派二名の釈放」という要求を出した。

「その要求が受け入れられれば、人質は解放する」と。


そんな要求が、受け入れられるとでも考えていたのだろうか。

もしそうだとしたら、随分甘っちょろい過激派である。


要するに、そこそこの交渉の繰り返しの後で、何らかの要求をのませながら、少数の人質だけ連れてマリへ逃げ込むつもりだったのかもしれない。

マリ国内での駆け引きに使う目的で。


それにしても。

日英の首脳を手にかけた事で、実は今回の襲撃事件の目的は達せられたのかもしれないと思う。

実行犯は、逃げられない事は計算に入っていたのだろう。


イスラムでは、イスラムを守る為の「殉教」は神への最高の奉仕であり、即神の世界(楽園=天国)に召されるのだ。

家族も周り中からの尊敬を得られる。

前近代的と言えば、確かに前近代的な感覚である。

しかし、我々日本人にとっての「冠婚葬祭」宗教とは訳が違うのだ。


砂漠という過酷な環境で生き伸びる為の、最低限の教えである「コーラン」の求める事は、平和に人生を全うする事が前提の、我々現代の日本人の宗教感覚とは、全く違うのです。

彼等に取って「イスラムの教え」とは、人間としての矜持を持って、無事に生きて行く知恵であって、生き物を慈しみあらゆる命を平等に尊重する仏教(小乗仏教)とは、全く異質な宗教なのです。


マリや、ニジェールや、リビアや、モーリタニアなど、今日無事に一日を終える事が最大の関心事である様な土地に住む人々に取って、自分達の生存を脅かす「異教徒ども」は、神の名に於いて抹殺しなくてはならぬものだ、と言われてそれに反論出来る様な若者等居ないのだ。


過激なグループを組織し、自ら率いて活動する「リーダー」は、現地の若者達への影響力は、想像を絶するものがある。

「悪の化身欧米の異教徒を殺せ」と命じられれば、自分の命を捨てる事も厭わず実行に尽くす若者等、あの辺りでは掃いて捨てる程、沢山居るに違いない。

なぜなら、自分たちが住む土地が、簡単に桃源郷には変わらない事は理解している。

ここは欧米では無い。

それなら、自分の命を捨てて「悪の化身」を滅ぼす事で、神の慈悲で少しでも近い将来に桃源郷に近づけられるのなら、この身を捨てる事等喜んで。


そんな若者を集め、攻撃対象の中に内通者を作る事くらい、それ程困難な事ではなかろう。

ただ、そのリーダーが真の解放者を目指す神の教えの伝道者であるのか。

はたまた、神の名を騙る事で名声を得て、それなりの富みも得ようとする、エセ伝道者なのか。

実際に作戦実行にあたる若者達が、本当に楽園に召されるのか、じつは神の怒りをかって地獄に追いやられるのかは、良く見極める事が寛容であろう。

彼等の側にたって言えば、であるが。


今回の「聖戦士血命旅団」を率いて居るのは、『マルボロー男爵』等と異名を持つ、タバコ密輸の親分でもあるらしい。

そんな男に取っては、今回の事件は「男を上げる」最高の襲撃であったに違いない。


悔しい限り。


勿論、事の真相は決して解明される事はあるまい。


マスコミが「実名の公表」を迫っている。

馬鹿も休み休み言え、と言う事だ。

既に一部の「派遣社員」のかたのご家族がテレビカメラの前で慟哭されている。

テレビ屋にとって、美味しくて仕方ない映像なのだろう。

見ていて、カメラマンを殴りつけてやりたくなる。


国際関係上に、西欧とイスラムの対立と言う座標の上で、資源の搾取とそれを守りたい現地の怒りと言う構造の上で、様々の要因を含んだ上での「悲惨極まりない」事件の被害者の、その遺族の「無念さ」と「怒り」とを、早速バラエティーにしたてて喜ぶ、テレビ屋ども。



>上智大の田島泰彦教授(メディア法)が、「遺族への配慮は大事だが、(中略)身元が分からなければ、会社や政府の対応に問題がなかったかを検証することもできない。この先もずっと名前を出さないという対応には疑問が残る」と主張している。
【1月23日付産経新聞朝刊】


>報道・人権問題に詳しいとされる田中早苗弁護士が
「日本中が注目している事件であり、親族のほかにも心配している人はいる。政府はよほどの事情がない限り氏名を公表すべきだと思う」
と述べた。
【毎日新聞の同日付夕刊】



ふざけろよ!

ふざけろよ!


>会社や政府の対応に問題がなかったかを検証することもできない。この先もずっと名前を出さないという対応には疑問が残る」

「メディア法」なんて訳の分らない「学問」をひけらかす御用学者と思しき輩が、「象牙の塔」の中で教授と言う肩書きを振りかざしながら、このような事件の「検証」が出来るとでも思っているのか!?

思い上りも甚だしい。



このようなヤツバラ共の手で、面白おかしく「お涙頂戴」バラエティーを報道などとぬかして洪水の如く垂れ流し、犠牲者の魂に泥を塗る様な行為は、断じて、断じて許せない。

せめて、一度くらいは「恥」ってものを知ってみろ。


返す返すも、犠牲者の皆さんの無念を思って、胸が張り裂けそうだ。

合掌。



このような流れの中で、日本とアルジェリアとの貴重な架け橋であった『日揮』が、アルジェリアでの活動を停止して引き上げるという。

悲しい結果を、傍観せざるを得ない現状が、口惜しい。

付け加えるが、私は日揮と言う会社とは、何ら関係を持っていません。




コメント (6)
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日本には、現実を知らずに、何を見て何を聞いて何を考えて居るのか、自分で想像出来ない無惨な人間が居る。

2013-01-10 22:18:34 | 日本人の意識と精神構造
日本と言う国家の実体を理解している国民は、一体どのくらい居るのだろうか。



最近、名無しの権兵衛が、このブログに遊びに来る様になった。

自らの祖国がおかれている実体に対して、真実が見えず、真っ当な判断が出来ずに、祖国を食い物にしている非国民達の仲間に混じって、正しい事をやろうとする「少数」を罵る事で、やっと己の存在を認識出来る可哀想な人種の一人であろうと思われる。


拙ブログのコメント欄の転載をさせて頂く。

Unknown (Unknown)
2013-01-08 23:18:47
 みんな・江田幹事長「日本未来の党の分裂は想定内中の想定内。選挙に勝つためだけの互助会として、実際は小沢一郎さんが作った政党だ。だました方も悪ければ、だまされた方も悪い。何より国民をだましたのがあるまじき行為だ。(未来の党が党名変更した)生活の党は、8億円を超える政党交付金を返上してから、政治活動を続けてほしい」

これは江田さんの声だけじゃないよ、日本国民の声だよ。
(転載終了)



一見民主主義国家の体裁を取りつつ、ほぼ専制君主国家と同じ様に、国民は騙され、奪われ、働かされて、最低限に生かされている。

一見独立主権国家の体裁を取り繕いつつ、ほぼ植民地と同じ状態に置かれて、宗主国に政治経済の方向を命じられ、国民の糧を吸い取られ、富を搾取され、国土の防衛も食料調達も自立出来ない様に、徹底して管理されて生かされている。

世の歴史をひもとけば、植民地下におかれた民族には、必ず自分の属する民族を裏切って、支配者におもねり、国民の犠牲の上に国富を差し出す手引きをして、自分だけ栄達する類いの裏切り者が居るものだ。


日本では、その類いを予てより「売国奴」と呼び習わして来た。

現在、その類いの輩を『シロアリ』と呼ぶらしい。



その「シロアリ」を駆除する事が、日本国民の置かれた不合理でアンフェアな状況を脱する、唯一の方法である。


そして、ご承知の通り「シロアリ退治」を高らかに宣言したが為に総反撃に会い、自滅しかかっている政治家が居る。


シロアリ軍団は不滅である。


何しろ、国を動かす行政システム自体であり、それを可能にする税と司法とを内包し、経済基盤である財界と、国民への宣伝機関である大手メディアとを配下に納めているのだ。

万能にして、無敵である。

その、無敵で万能なシロアリ軍団が、外国の方向に顔を向け、外国の為に富を集めて差し出し、外国の為の制度を祖国に適用するのだから、国民は為す術も無い。

ただただ一生働きその殆どの結果をすい尽くされて、ギリギリで生かされている現状に甘んじるのみ。

他に選択の余地は無く、逆らうどころでは無い。


シロアリたちは、自分達の活動し易い様に法体系を造り上げ、国民をガンジガラメに縛り上げる。

シロアリから見て、自分達の望む体系から逸脱してしまうと、警察と観察と裁判所とが、排除し懲罰して足をもぎ取る。

その為に便利な様に、司法制度は作り上げられている。



その制度を打ち壊し、国民が、自分達の生活とその将来の為に利益を享受出来る様な政治を行う考えを示した政治家は、皆無であった。


共産党の様に、一見国民の利益を訴えている様に見える政党はある。

しかしあの政党は、真に国民の為に行動を起こす訳ではなく、「党そのもの」の存続と勢力拡大、それだけがその存在意義なのだ。

その為の手段として、材料として、ドグマとしての国民の利益を語る。


しかし、いまだかって国民の利益を実際に獲得した「共産党政府」が有ったであろうか。

国民を搾取する権力者を糾弾し、暴力革命で権力を奪取した後、彼等はどうなったか。

自分達が倒した権力者の代わりに、自らをその権力の座に置いただけで、一般国民には、何も利益はもたらされなかった。


政権は握っても、党が国家を体現しても、そこから先は「党の持続」が唯一無二の行動原理となり、その過程で指導部が強大な権力と富とを掌握する。

国民は、いつまでたっても貧しく不自由なままに捨て置かれ、その状態を保つ為に、国民の為に存在する筈だった党が国民に敵対する。


共産党には、反論の余地は無い筈だ。

歴史が、それを証明している。


ましてや「日本共産党」の様に、政権獲得の可能性も希望も無く、その意思も無い様な「泡沫共産党」に至っては、少なくとも党勢の現状維持がその存在意義となり、その為の活動が行動原理となり、それ以外の何も無く、その小さな勢力の中での「権力維持」が指導者達の目的となる。



逆に、実際に「権力」につける立場に近い政治家達は、これ迄続いて来た制度を帰る等と言う事は、頭の片隅にも浮かばないものだ。


小沢一郎を除いて。


当然、シロアリ軍団のみならず、そのシロアリの巣を形成する周辺の諸々、シロアリの巣を作り上げる小枝の一本一本に至るまでが、自分がシロアリになった積もりで、総反撃する。

恥も外聞も無く、平気で犯罪をでっち上げて、警察検察制度の根幹を歪めても、妨害し貶めて破壊する。


でっち上げては見た物の、西松事件と名付けた「事件自体の存在」が見つからず、やむを得ず訴追の中味を公判の途中で勝手に変更してまで「陸山会事件」をでっち上げた。

その挙げ句の果てが、証拠を捏造しようとすら足掻いた末に、何も無かった。

捏造した事件を維持する為にだけ秘書達を起訴し、「推認」で有罪にすると言う、まるで『想像妊娠』で母子手帳をせしめてしまった見たいな詐欺行為。

本当には、開きもしなかったらしい「検察審査会」を利用して強制起訴した挙げ句に、空振りで三振二つで、スリーアウトも待たずにあっさりとコールドゲーム。


それでも、世間にはその事実は知らせない。

なぜなら、その事実が報道されないから。

なぜなら、報道機関もシロアリの巣の一部なのだから。

そしてあいも変わらず、マスコミ主導で「無罪と言えど、限りなく黒に近いグレー」などと、ネガティヴ・キャンペーンを連続して恥も無い有様。

その権威と制度とを否定された裁判官自身が、そのような風潮に反論も批判もしない。

なぜなら、裁判所も判事達もシロアリ軍団の仲間なのだから。

恐るべき国、ニッポン。




そして、シロアリから生き血をすわれながら、自分もシロアリの仲間だと信じて疑っていない名無しの権兵衛クン。


Unknown (Unknown)
2012-12-27 22:14:37
小沢は終わった。
一般市民、一般の日本国民の支持を得る事は出来ない。
政治屋としては残るが政治家としてはもう無理。
今日2012年12月27日は小沢=金に群がるハイエナってイメージが確立した日。
政党を次々に壊しては作る小沢は政党助成金目当てだという事が今日2012年12月27日に周知されました。

Unknown (Unknown)
2012-12-30 16:43:31
森は5流政治家。あんなの支持せんわ。勝手に晒せ。
こんな醜態を晒すなら、誰が合流させたんだよボゲ。
こんなあほたれどもに民主主義が守れるかよ。一部の連中でレジスタンスだの体制がどうたらだの酔っ払ってりゃ幸せだね。そんなに言うなら、人寄せパンダみたいに小沢を前面に出してカネなんか集めるなよな。クズ
(転載終了)



やはり、この子みたいに事の本質が理解出来ずに、宣伝に踊らされて小沢一郎を批判する人々は、まだまだ多く居る。


この子にとっては、日本は今のままがきっと良いのだろう。


国民が実際に納めさせられている税金の、どのくらいの部分が実際に国民の為に使われているのかも知らず。

国民が必死で働いて、大企業にその上前をはねられ、大企業に出資している金融資本だけが肥え太り、その大企業の法人税は免除され、貧乏人程直接被害を被る消費税と言う「間接税」が、直接税収を上回る。

こんな国が、他に有るか?


正規社員を極限まで減らして、被正規社員を不平等な条件で働かせ、労働の対価としての水準の収入は保証されず、企業の経費の一部に経営者が勝手に決め多額で、最初から計上された範囲での給料しか支払わず、働けば働く程貧乏になる国が、他に有るか?

労組が企業の財務を考慮して、労働者の正当な収入の確保を放棄してまで、企業の利益確保に熱心に協力している、こんな国が他に有るか?

外国軍に基地を提供し、治外法権を認め、地元の婦女子が犠牲になり、首都圏上空の航空路や管制権さえ外国に握られ、駐留軍の経費を差し出す、こんな国が他に有るか?

核爆発を起こした原発を、処理も出来ずに放置し、被曝状況を宗主国には知らせても自国民には知らせず、金が掛かり過ぎるという理由で被曝地域の住民の避難もさせず、事故原発所有者の刑事罰も蔑ろにして更なる再稼働を目論み、学者やマスコミ総動員で危険性を忘れさせる工作を続ける、こんな国が他に有るか?

放射能汚染の実体を隠蔽し続け、汚染食品を全国的に流通させ、産地偽装を完全に黙認すし、絆と称して国民に消費を強制し、あまつさえ学校給食に大量使用させて子供達の健康を害することを平気で行い、一般流通業者も加工食品に平気で大量使用する、こんな国が他に有るか?



安倍政権が、景気回復を合い言葉に何兆円規模の予算を次々と乱発するが、その内の何分の一かでも福島県民の為に使おうという姿勢は見えない。

こんな国が他に有るか?


一部大企業の間で巨大な予算を回して、利益を独占しようと試みているが、そのやり方の挙げ句に65年間の自民党政権は破綻した。

それなのに、幾ら民主党が大マヌケだったからと言って、三年半前に否定した筈の、自民党型の利益誘導政治への回帰に抗議もしない国民、こんな国が他に有るか?


それらは、すべて戦後営々と続けられて来た、自民党型の統治制度がもたらした弊害である。


税額を決め、税の徴収先を決め、予算の額を決め、予算の用途を決め、予算の執行を管理する「財務省」が、日本の全てを握っている。

そして、その財務省を筆頭とする霞ヶ関の官僚制度が、<司法><立法><行政>の三権を実質的に掌握している。


その官僚共による『三権』の行使を、側面援助し、国民を誘導して目的を達する手先がマスコミである。

そして、そのマスコミの<捏造>と<嘘>にまみれた報道の犠牲になった小沢一郎を、一方的マスコミ報道を怪しみもせず受け入れ、その笛の音に踊らされて浮かれている馬鹿者の一人が、この名無しの権兵衛クンなのだ。

可哀想だが、能力の限界と言う物は如何ともし難く、やむを得ないのであろう。

小沢一郎の冤罪の全てを解き明かそうと思って書き始めたが、馬鹿馬鹿しくなってしまった。

ただ、冒頭のコメントにだけ、答えてあげよう。


Unknown (Unknown)
2013-01-08 23:18:47
 みんな・江田幹事長「日本未来の党の分裂は想定内中の想定内。選挙に勝つためだけの互助会として、実際は小沢一郎さんが作った政党だ。だました方も悪ければ、だまされた方も悪い。何より国民をだましたのがあるまじき行為だ。(未来の党が党名変更した)生活の党は、8億円を超える政党交付金を返上してから、政治活動を続けてほしい」

これは江田さんの声だけじゃないよ、日本国民の声だよ。





「日本未来の党」は、実際も何も、小沢一郎が作った政党ですよ。

それ迄、そのような政党は無かったのだから。

消費税の増税が対立点からぼかされてしまった時点で、もう一つの緊急事案である「原発ゼロ」を推進する為に、嘉田由紀子を担ぎ出したのです。

それこそ、三顧の礼で。

彼女は、飯田哲也と言う、反原発の国民投票をやる運動によって自己確立を図ろうとしていて、脆くも矛盾を噴出させていた「活動家」と、声をいつにしていた。

「その声」を、小沢は真面目に受け取り過ぎてしまったらしい。

政党を造る、という大変な作業を、その二人がやれた訳でもなく、やる気が有った訳でもない。

ただ、小沢の申し出は「渡りに船」だった訳だ。

労せずして、国政レベルの政党のリーダーになれるのだから。


結党直後の「国民の生活が第一」をわざわざ解党して迄、「嘉田」と「飯田」とを担いだ新党に加えて形を作った。

議員数も51名を数える新党ができたのは、嘉田由紀子の力でも無ければ、ましてや「飯田哲也」の力量などでは無い。

事務所も、資金も、「国民の生活が第一」が提供した。

「選挙に勝つ為」で当然である。

選挙を目前にしていたのだから。

選挙に勝てなければ、消費税は増税され、原発は再稼働される。

それを阻止する為には、選挙に勝たなければならない。

その為に、より「広範囲な支持」を得られそうな政党に衣替えする事は、選択肢として当然である。



名無しの権兵衛クン、ここ迄理解出来るかな?


ただ、この二人の器は、あまりにも矮小すぎた。

当然ながら実際の国政選挙の実体も知らず、従って適切な選挙運動の指揮も執れない。

候補者を見つける事すら出来ず、その候補者の供託金の準備すら出来ず、限られた選挙区以外には応援にすら行かない。

ただ「鉛筆もったら未来の党」と楽しそうにマイクに向かって叫んでいただけ。

ジャパネット・タカタの販売員じゃあるまいし。


更に輪をかけて酷い事に、政党の実体を整え、候補者を擁立し、選挙資金をもたらし、選挙戦の指揮を執る小沢一郎を、マスコミの悪意有る恣意的報道に対して、正しい事実を挙げて反論するどころか、マスコミの側にたって発言を繰り返す始末。

誠心誠意務めようとする家老を、足蹴にする馬鹿殿のごとし。


時間も足りず、組織も間に合わず、資金は払底し、選挙運動の人員すら揃わず、案の定大敗してしまったが、それはある意味では想定内であった。


しかし、その後がよろしく無い。

嘉田由紀子の個人的立場を守るが為に、党を私してしまった。


勿論、人事権は代表に有る。

しかし「共同代表」を勝手に指名する事は、あり得ない。

代表を決めるのは、党員である。

禅譲の発想など、それこそ自民党ではないか。

政党としての実体を整えた「旧生活」の議員達に一言の相談も無く、いきなり外部から来た唯一の議員「阿部知子」に代表の座を提供するなんて、普通で考えれば手続き上の瑕疵以前に、人間関係の上で大問題である。

そこで、阿部知子が固辞していれば事は起こらなかった。

それなのに、外様で比例復活の「お一人様」が、他の同僚議員達にはかるでもなく、のうのうとその申し出を受けてしまうと言う、おまけ付きの馬鹿馬鹿しさ。



名無しの権兵衛クン、ここまで理解出来るだろうか?


そこで、一緒にやって行く事は困難となってしまった事は、自然な流れである。

それでは、嘉田由紀子と阿部知子と飯田哲也が「日本未来の党」に残り、小沢とその仲間達が離党したら、一体どうなったか。

選挙費用の莫大な借金は、全て嘉田由紀子が、言い換えれば「唯一の議員」である共同代表の阿部知子が背負い込む事になった筈なのだよ。

騙す?

誰が誰を?

敢えて言えば、「小沢等いつでも切れる」等と豪語していた飯田哲也あたりの思考が、「ともに闘って行こう」という生活側の意思を「騙して」居た事になる。

政党交付金は、小沢とその仲間達が抜ければ、阿部知子一人の「未来の党」に、一人分支払われる。

しかし、そんな額で借金が返済出来るか。

今後の政党活動を、阿部知子が一人で行って生けるかどうかはさておき、来る参院選に向けて、借金を背負ったままでその体制が取れるか。


ここ迄言われれば、名無しの権兵衛クンならずとも、小学生でも理解出来るだろう。


そこで、未来の党は割らずに党名変更を行い、しかる後に「一緒に闘って行けない」嘉田由紀子とその仲間が離脱したのだ。

借金も背負わずに済んで、阿部知子代表と言う望みもかなえられて、嘉田由紀子は新たな「未来の党」を立ち上げた。

ただそれだけの事。


先ず「未来の当」が存在していて、そこに小沢が乗り込んだ訳ではなく、そのまま乗っ取った訳では全く無い。

阿部知子と嘉田由紀子には、感謝こそされ、恨まれる筋合いも攻められる筋合いもない。

だからこそ、彼女達はその件に関して恨みがましい事を一言も言わないのだ。

言い様が無いのだから。


事ほど左様に、小沢一郎の一挙手一投足は、最初から偏見で見られ、嘘八百の情報が恣意的に流される。


それだけ、誰も彼も小沢一郎が「正しい」事を分っているから。

正しいからこそ、小沢一郎が眩しいから。

小沢には勝てない。

彼の様に、正しい理論を堂々と唱え、それを実戦する為だけに「愚直」なまでに一直線な政治家は、眩しすぎる。

だって、自分にはそこ迄身を挺して日本を正しい姿に変えようと言う、力も意思も無いのが分っているから。


みんなの党の江田幹事長は、政治の世界に身を置いている以上、この「名無しの権兵衛」クンとはちがって、その辺りの背景は知っていながら、敵対する政党を批判する為に批判しているのだ。


しかし、それがシロアリの提灯持ちのマスコミが活字にして、テレビが電波に乗せれば、ほいほい「そのまんま」受け取ってしまう人達が、どうしても多いのが現状である。

名無しの権兵衛クン、みたいに。

それを、個人の知能指数のせいにするのは、可哀想だろう。

あくまで、育って来た環境、与えられた教育の質、そこから得られる教養の種類と程度、そこからもたらされる価値観などの総合的な反応が、この「名無しの権兵衛」クンの様な人種を産み出して来たのだと言えよう。

そして、その結果をもたらした要因は、彼自身のせいではないのだから、責めては酷と言う物だ。


思想信条は自由である。

特に「シロアリ軍団」の望む方向に有ればなおさらの事。


そういう意味で、最近良く遊びに来てくれる「名無しの権兵衛」クンは、小沢一郎が政権を取る事が無い限りは、安泰と入れるのではなかろうか。

シロアリ達のお先棒担いでいる訳だから。

安泰に決まっている。

羨ましいなあ。



と言う事で「unknouwn」さん、今後もお元気でご活躍下さい。





コメント (13)
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「国民が主人である日本国を手に入れる一里塚になるか、国が主人の日本国に変質するか」あと4日で決まる。

2012-12-11 22:15:06 | 日本人の意識と精神構造
日本国憲法は、世界に類を見ない、人間の野獣性を超越した、人類の宝である。


日本国憲法は、「戦争を放棄」している。

そして、この母なる大地に生きる一定水準以上に進化した生命体のうち、捕食目的以外で同種で殺し合うのは、知る限り「ヒト」だけだと思う。

一般的な「野生」を内包する「ヒト」という種の間では、殺し合う。

個人という、独裁者の欲望で。
国家という、幻想の運命共同体の拡張願望の基に。
主義主張という、幻想の故に。
宗教という、幻覚の力で。

個人で殺し合い、集団で殺し合い、国家と国家で殺し合う。

力が正義であり、国家としてのその力の行使が、戦争である。


そして、世界には戦争は無くならない。

そして、世界には戦争を国威発揚の手段に考える国家すら、存在している。

そして、この世には戦争を国家産業として成立している国家すら、存在する。


その、有史以来たかだか5000年程の人間の世界で、戦争が耐えた時代は無く、戦争を否定した国家も、戦争を放棄した人種も、存在しなかった。

「日本国憲法」を持つに至った、20世紀後半以降の日本を、除いて…。



そして、憲法とは国家の暴走を規制する、国家を国民から護る、神聖にして不可侵なる守護神である。

憲法こそが、国家の、そしてその国民の、思想と哲学との具現された象徴である。


日本国は、戦争を放棄した。

日本国憲法によって。

人類史上、おそらく最初で唯一の、日本国憲法によって。



日本国憲法は、「戦勝国アメリカから押し付けられた物であり、日本国民の総意ではない」と主張する人達がいる。


日本は、一握りの「軍事官僚」とその周辺の「狂信的人種優越主義者」達の
盲目的野心、およびそれらを後押しした「一部資本家」達とその提灯持ち「報道機関連合」によって、押し進められた。


大陸への野心と拡張主義を後押ししたのは、対アジア人同胞に対しての日本人の優越思想と、それがもたらした根拠の無い軍事的優位論とが、引き返せない所へと追い込んで行ったのだ。

覇権主義の欧米諸国の仲間入りがしたくて。

欧米列強の仲間入りを果たしたと、勘違いして。

「第日本帝国」という大国幻想が、官僚達とそれを支えた資本家達、及びマスコミとの共同作業を、熱病の如くに国民を蝕んで行った。


軍事的に、経済的に、物質的に、人的に、冷静に比較検討すれば対抗出来る筈も無い「アメリカ」との戦争に、精神論だけで突き進んで行った。

結果は、言うまでもない。

そして、第一次世界大戦で「国際戦略」の萌芽をみたアメリカは、第二次大戦により完全に「軍事拡張路線」へと舵を切る。

世界帝国として、国際的金融機関の後押しを受けて、軍事立国として突き進んで行くこととなる。

東西冷戦を経て、アメリカは一人勝ちの超大国となった。

そこから、経済優先の新自由主義が誕生し、産学軍共同体としてのアメリカ合衆国は、常に世界のどこかで戦争をする事によって、経済インフラの維持が為されて来た。

金融資本が、国家の基盤の全ての動力源になると、「個」としての人間の存在は、その存在の意義は失われ、経済活動の一要素として組み込まれ、人間としての尊厳や価値は、無視されて行く。

原動力だけが「人権」を持ち、その存在を許される事となり、国家として手に入れた果実を享受する資格を有する事となる。


そんな国が、我が祖国に「憲法」を与えた。


おそらく、アメリカの建国の精神を保っていた「人道的価値感」を世界に広めたいという一部の階層と、軍事拡張主義者たちとの葛藤の結果であった事と、思われる。

「ソヴィエト連邦」の躍進に対する政治バランスと、軍事的拮抗との妥協の産物であったと思われるが、「その時」は人道派が勝利したのであろう。

日本側の受けも、敗戦直後にあって、理想主義者達が主導権を握れる環境にあった。


その結果、有史以来始めての、戦争を放棄する憲法が、制定された。

実に拡張高い、名文である「前文」を持ち、日本国民の権利をあらゆる角度から、高らかに謳い上げた。



そして、戦後55年体制の過程に有って、自由民主党の右派は「戦争放棄」を謳った「第九条」の廃棄を願って「改憲」を模索し続けて来た物の、さすがに「社会党」の数的勢力の存在と、社会の常識的反応とが、その改憲願望を表面化させないままに、20世紀が過ぎて行った。


ソ連は消滅し、東西冷戦構造が消え去り、アメリカの天下となった20世紀末から、日本に置ける「防衛意識」も変化が見られ始め、自衛隊は「海外派兵」を強行し、日米安保条約はより「軍事同盟」としての性格を明確にし、アメリカの世界侵略戦略の「片棒」を担がされる方向へと、向けられている。

対する日本側は、「平和憲法」策定に携わった時代の「崇高な人類愛」を目指すべく日本の将来を夢見た先達達は既に亡く、21世紀を迎えて「改憲」は非現実的な物とは言えない空気が醸されて来た。


目下「総選挙」の真っ最中である。


元来今回の選挙は「消費税増税」の信を問うべき物であった筈である。

野田佳彦はいみじくも言った。

「政治生命を賭けて消費税増税法案を可決し、しかる後に信を問いたい」



人類史上、最大最悪の放射能汚染を引き起こした「福島第一原発」が、未だに溶け出した核燃料棒の行方すら把握されて居らず、放射線は止む事無く放出し続けている現状にあって、今回の選挙は「原発の是非」と「増税の是非」を国民に問う選挙であるべきであった。


それが。


何やら大きく変質してしまっている。

尖閣諸島国有化問題以降の、対中関係の悪化を奇禍として、日本の「マヤカシ」の防衛問題が主たるテーマの如くに、扱われている。

そして、元来「自民党の別働隊」だと思われていた「維新の怪」は、非理論的極右の石原慎太郎を頭に頂くや、一気にその真の姿を現し「改憲」のみならず、「徴兵制」や「核武装」すらも、公言し始めた。

そして、相前後して自民党も「改憲」を具体的文書化して、国民の目の前に突きつけると言う暴挙に出て来たのである。

阿吽の呼吸とでも、言うべきか。

そして、そこで語られている内容はと言えば、9条の枠を大きくはみ出し、「日本国憲法」の骨格としての「平和思想」や「人権への姿勢」を、完全に捨て去ろうと言う、恐るべき物であった。


『第九条』に関して。

<自民党改正案>「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

<現行憲法>「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



この違いは、明白である。

お飾りである「前項」に対して、次に「戦争は出来る」と規定している。

自民党改憲案に於いての国防軍の規定に関しては、あらゆる想定しうる場面に対して、「法律の定める所により」「法律で定める」として、政府がやりたい事は何でも実行出来る形となっている。



『国民の権利』に関しても。

<自民案>この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力により保持されなければならない
国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には義務が伴う事を自覚し、常に公益及び行の秩序に反してはならない。

<現行>この憲法が国民に保証する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉の為にこれを利用する責任をおう。


つまり、国民の権利は「政府の望む形で」しか、認められない事になっている。



『法の下の平等』

第十八条
<自民案>
何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。


つまり「政治的に拘束」する事は認める訳である。
得意の、公と秩序に反する、という理由をつければ。


第十九条「思想および良心の自由」
<自民案>
思想及び良心の自由は、保証する。

<現行>
思想及び良心の自由は、これを犯してはならない


つまり、「普遍的権利」である思想と良心との自由は、最早普遍的ではなく「認めて頂ける」物に成り下がっている。

条件次第では「保証しない」と言い出す事も可能な訳だ。
「法律の定める所により」と後付けで。


第二十一条「表現の自由」
<自民案>
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保証する。
②前項の規定に関わらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない

<現行>
②のような補いつ規定は存在しない。


更に、『緊急事態』宣言の新設が有る。

その際は、事前又は事後の国会承認により、首相に全権が与えられるに等しい規定が為されている。

「政令」に法律と同等の効力を付与し、その求める所により、財政支出、処分、地方自治体の長への命令が可能となる。

その規定には、何人も従わなければならない。


そして、憲法改正は衆参両議院とも「過半数」で国会議決とされ、国民投票の過半数の賛成で、有効となる。



いやはや、ざっと見回しただけでも、身震いが起きそうな「独裁強権政権」を可能とする「憲法」改正案では有る。


『保証する』頻繁に出て来る。

まるで「幕府」の感覚。

元来、自然に存在する至高の権利を、現行憲法では「犯してはならない」という姿勢であった。

自民党は、自分達を至高の権利の容認者としたい訳だ。



重大な点を付け加えると、『国防軍』の創設に関して明確な規定は無く、ただ「組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める」とされている点である。

つまり、この憲法を制定した暁には、どうどうと「徴兵制」を行う法的整備がなされる訳であろう。


こんなことを平気で開陳している自由民主党。

更には、「生活保護「その他の社会制度が、国家の維持発展に取って害となっている、というような発言が出て来るに及んで、こんな政党に政権を与えたら、日本は一体どうなるか、考えただけでもオゾマしい。


日本維新の怪は、思った程伸びない様だが、自民党が表立って言えなかったことを全て発議して、それを政権党となるつもりの自民党が吸収して行く。

自民党政権が出来れば、「公明党」も連立するであろう。

宗教政党が、戦争賛成の体制翼賛の一翼を担うのだ。


そして、民主党を「ぶっ壊した」松下政経塾と旧オリジナル民主党の一派も、馳せ参じる目論見である。

みんなの党も、後塵を拝する訳には参らぬ。


その「大政翼賛ウルトラ極右政権」に、大手既成マスコミと経団連が、太刀持ちと露払いとを務め、霞ヶ関がスーパーバイズして、米国への経済的、軍事的貢献をドンドン深めて行くこととなる事は、火を見るより明らか。


『シロアリ国家ニッポン』の成立である。



さあ、どうする。

投票日まで、実質後4日しかない。


シロアリを増殖し、国民が「本物の奴隷」となる事を目指すのか。

ギリギリで踏みとどまり、シロアリ退治の為の足がかりを築くのか、


あと四日。

国民の覚悟が問われている。
コメント (8)
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官憲に守ってもらえない国に駐在する大使に、護衛の武官も付けない日本はやはり茹で蛙だ。

2012-08-27 23:13:23 | 日本人の意識と精神構造
頭上を飛び越えて、日本国大使館に投げ込まれるレンガや石を、笑いながら見上げていながら、デモ隊を規制しなかった大使館警備の中国警察官の姿が、忘れられない。

ほんの少し以前の出来事だった様な気がする…。



そして今回。

北京で、駐中日本大使の車が強制的に停止させられ、日本国旗が奪われた。


予てより大使専用車に、警備スタッフは乗せていなかったそうだ。

馬鹿じゃないか。

『尖閣諸島は中国の領土』等と、任地で妄言を吐いた丹羽大使に対して、個人的には何の同情も抱かない。

しかし、国家の対応としては、馬鹿としか言い様が無い。

軽火器を装着した武官を同乗させるのが、常識だろう。

少なくとも「特命全権大使」なのであれば…。


日本は、自らの特命大使は守らなければならない、という感覚がないのだろう。。。




▶大使襲撃、政府は厳重抗議 中国当局「突発的な事件」 (日経/見出し)


>丹羽宇一郎駐中国大使の公用車襲撃を受け、日本政府は27日に駐中国日本大使館から中国外務省に電話で厳重抗議をし、再発防止と捜査を要請した。28日に大使館員が中国外務省を訪れ、正式に抗議する。

>日本の外務省幹部は「今必要なのは中国政府にしっかりとこの事案に対応してもらうことだ」と説明する。

>中国外交・公安当局は、警備の厳しい北京で事件が発生したことに少なからぬ衝撃を受けている。尖閣問題を巡る一連の反日デモは、広東省深センで一部暴徒化したものの、北京や上海など大都市では大規模なデモの発生を抑制。「デモ対応としてはおおむね成功」(公安関係者)と自信を示していた矢先だった。

>中国当局関係者は「組織的、計画的な犯行ではなく、あくまでも突発的な事件だろう」としている。中国外務省の羅照輝アジア局長は、今回の事件について「極めて遺憾」とし「在留邦人や日本企業の安全を確保する」との考えも示した。
【日本経済新聞/8月28日 01時28分配信】



それにしても、直後の反応のオバカぶり。

>日本政府は27日に駐中国日本大使館から中国外務省に電話で厳重抗議をし、再発防止と捜査を要請した。

>28日に大使館員が中国外務省を訪れ、正式に抗議する。


このような前代未聞の事件に際しては、日本国内に有っても、駐日中国大使を外務省に呼んで、外相から厳重抗議するべきでは無いのか。

第一、日本に対してまともな外交配慮をしない国を相手に、領土問題で係争中にも関わらず、各地で反日デモが行われている状況にあって、警備の武官も同行させていなかった上で、「電話で厳重抗議」って。


>中国外交・公安当局は、警備の厳しい北京で事件が発生したことに少なからぬ衝撃を受けている。

という反応も、自分達の警備上の隙をつかれた「中国公安当局」の、面子の問題に過ぎない。

結局これまでの「反日行動はお咎めなし」状態に、そんな約束はポーズに過ぎないと言われても仕方有るまい。

下手に犯人検挙等しようものなら、逆に中国国民の大反発を受けるハメになって、庶民の日頃の改正への不満を煽る事になってしまうのだから。



▶日本大使車襲撃、捜査どこまで=中国公安、「英雄」摘発を懸念か―愛国無罪の風潮(時事/見出し)

>丹羽宇一郎駐中国大使の乗った公用車が中国人とみられる男に襲われ、車両前方に掲げた日の丸が奪い去られた事件で、北京市公安局がどこまで本格的な捜査に踏み切るかが焦点となりそうだ。

>国民の間では尖閣諸島問題を受けて反日感情が高まり、「愛国無罪」の風潮も根強い。中国のインターネット上で「英雄」視される容疑者の男を摘発すれば、共産党・政府への反発が高まる懸念や、反日感情がさらに強まる恐れもあるからだ。

>大使館側は2台のナンバーを控え、写真を撮影し、北京市公安局に提出しているため「時間を置かずに解明できる」(日本側関係者)と期待している。

>堀之内秀久次席公使も中国外務省幹部に刑事捜査を要求し、同幹部も「法に基づく厳正な対処」を約束。同省報道局も関係部門による「真剣な調査」の実施を強調している。北京市公安局は器物損壊容疑などで捜査を進めているもようだ。

>しかし、中国政府も「ネットで巻き起こる愛国感情を制御できない」(政府筋)のが現実で、ミニブログ「微博」では大使車を襲撃した男を「民族の英雄」とする書き込みが相次ぐ中、共産党大会を控えて社会安定を最優先する公安当局がどこまで「反日」「愛国」を追及できるか不透明だ。 
【時事通信/8月28日(火)6時32分配信】



そもそも、「愛国無罪」等という、超ローカル・ルールを、国際外交関係に持ち込んで来た中国である。

まともな対応は、期待する方が野暮というもの。

それより、大使専用車を強制停止させられて「国旗を奪われる」という事実は、いにしえの道場破りに看板を奪われた剣術道場より、遥かに恥ずべき事なのでは無かろうか。

これが日本でなければ、同乗の警備スタッフがその場で射殺しても、おかしくない事件であると考える。


韓国に於いても、状況はあまり変わりはない。



▶在ソウル日本大使館に汚物入りペットボトル投げ付け(J-Cast/見出し)

>韓国・ソウルの日本大使館の近くで2012年8月27日6時すぎ、40代の韓国人の男が汚物の入ったペットボトル2本を大使館に向かって投げ付けた。ANNなどが報じている。

>ペットボトルは敷地内には入らず中身も飛び出さなかったが、男はその場で逮捕され、罰金を払って釈放されたという。
【J-Cast ニュース/08月27日19時52分配信】



しかしある意味で、中国や韓国が羨ましい。


なぜなら、彼等は「祖国の敵」に対して、それなりの意思表示を実行出来るからである。


東京で、アメリカ大使館前でデモが行われるか?

二つの理由で、あり得ない事である。


一つ目の理由は、日本の国民は「自国を貪り尽くす国」に対して、怒りを示さない。

それどころか、いまだに「世界とはアメリカ」だと思っている人々の、如何に多い事か。

ヨーロッパ、中東はまだしも、中南米やアフリカのニュースなど、求めてもお目にかかれない。

政治家は官僚に、その官僚はアメリカに、完全にリモート・コントロールされている日本の現状を、殆どの日本人は気がつこうとしない。

戦後多かれ少なかれ800兆円以上も、アメリカに吸い上げられている事に、だれも疑問を抱かない。


原発の事も然り。

遺伝子組み換え食品の事も然り。

TPP協定も、また然り。

巡り巡って、アメリカの利益を確保する為に、総てはアメリカが糸を引居ている事に、怒りを覚えない。


オスプレイの件でもそうだ。

岩国と、沖縄の住民だけ、抗議している。

日本全国で、低空飛行訓練をやる事になって居るにも関わらず、東京でも大阪でも、殆ど目立った反対運動は起きていない。


ましてや、「アメリカ大使館」前で抗議集会など、70年安保当時以後、寡聞にして聞いた事が無い有様である。


二つ目の理由は、日本政府側が、そんな事をやらせない。

たとえ「米国大使館」前でデモ申請が為されたとしたら、100%却下される筈だ。

無届けデモなどやろうとしても、近づく事はおろか周辺ですら「蟻一匹入り込む余地の無い」厳重な警備網を敷くであろうから、不可能なことだ。

強硬突破しようなどと試みようものなら、たちまちジュラルミンの楯に押しつぶされ、警棒で殴られ、ブーツで蹴り付けられ、催涙弾で視力を奪われ、高圧放水で骨折させられるのがオチである。



デモは、現代社会に於ける「市民の基本的な権利」である。

しかるに、日本の官憲は過剰警備を常として、絶対に国民の権利を認めようとしないのだ。

自らも国民である事も、忘れたかの様に。


日本大使館に、抗議行動を仕掛けて、実力行使出来る中国や韓国の人たちが、そういう意味で「羨ましい」事限り無し。

日本は、デモすらやれない「後進国」なのだから。。。



それとは逆に。

外国に派遣している自国の特命全権大使を、自らの手で警護しない日本政府の能天気ぶりにも、恐れ入る。


先日、ルーマニアで殺害された女子大生の事件も、結局は同じ線上に有るのではないか。


亡くなられたご本人を、批判などはしない。

ただ、深夜に空港に着いて、空港に宿泊させずにそのまま町に出る様なスケジュールを組ませた方に、多いに問題が有るのだ。

後で分った事は、世の中を知らない学生達の団体が、斡旋していた渡航で有ったらしい。

東大であろうが慶応であろうが、日本の大学生は世間を甘く見ている。

自分の就職活動以外の事に関しては、若さの特権と入っても、やはりおちゃらけ過ぎていると言わざるを得ない。

大学が、社会人になるのをギリギリまで遅らせて、「最後に遊ぶ所」と化しているからの状況であると敢えて言う。

理系は別として。


それにしても、海外で被害に遭う日本人の、何と多いことか。

殺人事件ですら、今年になって複数起っている。

ましてや、盗難事件などいちいちニュースにもならない、日常茶飯事と化してしまった。


NHK BSで『海外安全情報』という番組が有る。

これが、見ていて笑ってしまうのだ。


頻発する事件を例示して、対策を採るように促すのだが、その内容と来たら…。

「大金は持ち歩かない」
「知らない人に話しかけられても、すぐに信用しない」
「現地の人に飲食に誘われても、なるべく(!)付いて行かない」
「白タクに乗らない」
「人ごみや、政府機関の多い地区にはなるべく行かない」
「騒ぎやデモにであったら、すぐにその場を離れる」
「夜間に人気の無い所を、独りで出歩かない」
「公共交通機関はなるべく避ける(!?)」

これって、何歳の子供に与えてる注意時事項なんだろう、と悩んでしまうのだが。

部屋から一歩も外に出るな、と言ってるのと同じ。


しかし、ここまで注意されても、事故は減らない。

女性の操に関して言えば、本人が被害者だと気がついていないケースを考えると、数えきれない程になるだろう。

日本人は、民間もお役所も、ここまで「能天気」なのだ。


そして、世界の常識では「被害に遭うのはその人物が油断しているから」に他ならない。

財布やパスポートの盗難ならば、悔しいがまだ何とかなる。

しかし、命を取られたらどうしようもない。


それと同じで。

国家が国旗を奪われたら。

領土を奪われたら。

それは既に、国家として落第である。



いい加減、目を覚ませよ。



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『小宮山洋子厚労相、生活保護費引き下げを検討』野田総理の「身を切る改革」を閣僚が即実践!

2012-05-25 23:30:49 | 日本人の意識と精神構造
ツイッター上の我が敬愛する「野本佑治」氏のつぶやき。

@nomSABOyuji 野本佑治
しかし呆気にとられるねぇ、身を切る改革ってのがまさか生活保護の削減だったとはねぇ。思いもしなかったぃ。
05.26 04:46


日本の社会は、お上も下々も、正気では無い。

母親の「生活補助受給」問題に関して、お笑い芸人「河本準一」を公開処刑して喜んでいる様を見るに、この思いは深まるばかり。


事の発端や、経過は知れ渡っているであろうから、ここでは繰り返さないが、日本社会はこのままでどこに向かうのか、空恐ろしい限りである。



▶厚労相、生活保護費引き下げを検討(JNN/タイトル)

>人気お笑いコンビ「次長課長」の河本準一さんが会見を開き、母親が先月までの十数年間、生活保護を受けていた件で謝罪しました。こうした中、国会では小宮山厚生労働大臣が生活保護費の引き下げについて検討する考えを表明しました。

>「引き下げると、今、審議しているところで、私が言うわけにはいかない。引き下げるべきという意見も踏まえて検討したい」(小宮山洋子 厚労相)

>また、今回の騒動では「行政によるチェック態勢」の限界も露呈しています。5、6年前から自らの収入が増え始め、母親に対し、段階的に援助を始めていたという河本さん。

>「福祉の方と相談して決めたこと。何か問題があるのかということは想像もできなかったが、今になると、むちゃくちゃ甘い考えだった」(河本準一さん)

>「扶養が困難と回答した扶養義務者に対して、扶養ができない旨の説明責任を課すということが、法改正で盛り込めるかどうか検討したい」(小宮山洋子 厚労相)

>「親族がいることで生活保護が受けられない、あるいは親族にすごい迷惑がかかるのではないかと。生活保護を受けないと、ちゃんと生活できない人が申請しないと、孤立化もしてしまうし、命や健康に支障が出てくるのでは」(ケースワーカーの経験がある 森川 清 弁護士)
【JNN ニュース/5月26日(土)1時5分配信】



問題点は、二点。

一つは、河本母の受給が適正であったのか、否か。

二つ目は、「生活補助」の意義と、その周囲の社会環境である。



一つ目の点は、何ら問題は無い事は明白である。

生活補助法の定める所では、「親族の収入」は無関係である以上、母親の受給に不正は無い。

この点に関して、多くの市民が「息子(河本)の年収4~5千万円もあって許せない」と騒ぐ。

相も変わらずの勘違い。

と言うより、これは一種の嫉妬以外の何物でもなかろう。



二つ目の問題点は、日本社会の抱える「経済環境」と、そこに根ざす「雇用問題」、そしてそれらを国としてカバーしなくなった行政の、複雑に絡み合った、しかし根源は一つという事になる。

つまり、語り尽くされた「小泉改悪」による<競争社会>を前提とした、日本社会の『新自由主義』への転換と、<自己責任>という言葉にすり替えて行政の責任を放棄した、弱者切り捨ての政治思想の行き着いた結果である。



河本事件の見苦しさは、現在の日本社会の爛れた部分が、総て含まれているからである。

驕り昂るマスコミの存在。

叩き易い所を徹底的に叩いて見せ物にする。

それに飛びついて、表層的正義感で批判する一部の市民の存在。

それに飛びついて点数稼ぎに走る無能政治家の存在。

『涙の会見』をみて溜飲を下げ、勝ち誇る一部の市民は、根底の問題には生涯気がつかないで、叩く側の走狗となる。


中でも醜いのが、三人の国会議員。


二人は、野党自民党。

一人は、与党の現職閣僚。


自民党の方は、「世耕弘成」と「片山さつき」である。



@toyozakishatyou 豊崎由美
『「河本はほぼ毎日飲み歩き、1日に100万使ったこともあるとのこと。吉本の言い訳は無理がありすぎ」というツイートを拾って公式RTしている世耕弘成という議員のステマの幼稚さは覚えておきたい。』



その「世耕弘成」自身の、勝ち誇ったツイートをご覧あれ。


@SekoHiroshige 世耕弘也
『河本準一氏が会見、反省と返納を表明。私は著名人が親の扶養義務を果たさずに生活保護を受給させることで「あの人もやってるから」と安易な受給が進むことを懸念し、問題を指摘してきた。彼の彼の返納表明で「生活保護の前にまずは家族による扶養」という常識が浸透することを期待します』



更に、尻馬に乗って跳ね回るもう一人。


@katayama_s 片山さつき
『生活保護は憲法の生存権由来。最低限の生活維持であり社会保障制度とは違う、福祉ですよ。法律よく読んで!』

元財務省主計官である。


私は、こう返した。

『それなら「生存権」を否定されているワーキング・プアーを大量生産した、自民党政策を反省しなさい。』



正に、問題点はそこなのだ。


「生活保護制度」は、行政による市民の救済措置である。

即ち、社会保障制度以外の何物でもないのだ。

そして、その制度の裏付けとなる物こそが『憲法』に定めたる<生存権>なのである。


そして、その『憲法』に定められている筈の「生存権」が、脅かされて久しい。


「ワーキング・プアー」なる言葉は、英語である以上アメリカ原産であろう。

1990年代に出来た言葉らしい。


恐らく彼の地には、働けど働けど、生活を維持出来ない階層が、多く存在しているのだ。

そして、ポチたるニッポン政治は、総てご主人様の機嫌を取る事だけにうつつを抜かして来た結果、働いても食えない階層を、わが国にまでもたらして得意満面なのだ。


そもそも「生活補助給付額」は、それを決めた当時の一般賃金をもとに割り出している筈だ。

かなり低めであった事は、想像に難く無い。

そして今、その給付額はおおよそ以下の通りとなっている。

>生活保護において、現在、東京23区内の生活扶助基準は33歳・29歳・4歳の3人世帯で17万2170円。住宅扶助の7万円弱とあわせると、月24万円を超えます。
【上記JNN】


と言う事は、年収にして<290万円>程である。


ところが、今や一般賃金の方が「生活補助給付金」を下回っている結果となってしまっている。



そして、有る統計によると、低年収層の数は以下の通りとなっている。
        
年収額       1999年   2009年
~100万円     2,961,000人   3,989,000人
100~200万円   5,076,000人   7,010,000人
200~300万円   6,875,000 人  7,899,000人


つまり2009年に於いて、1900万人弱が「東京23区居住の子供一人の三人家族」と同程度か、それより低収入で生きていると言う事になる。

年収200万円以下の労働者数は、2009年度に於いてはおよそ1,100万人、労働者全体の24,5%を占めている。

今の日本で、年間200万円以下の収入で、最低限の「快適」で「文化的」な生活が、どうすればおくれると言うのだろう。


更に、別の数字をあげよう。


2009年の雇用見通しのなかで、日本では現在の景気低迷以前から、ワーキングプア(働く貧困層)が、貧困層の80%以上を占めていた。

OECD加盟国の平均は63%であり、これを大きく上回っている。
(いずれも厚労省統計)


これが、『グローバル化』というお題目に踊らされて日本が突き進んで来た結果の、社会の現状なのだ。


労働市場の規制緩和・自由化。

派遣労働の段階的解禁。

派遣労働者の他、パートや契約社員も含め非正規雇用の全労働者に占める割合は、90年代後半以降一貫して増え続けている。

これら非正規雇用は企業にとっては社会保障負担の軽減や、雇用の調整弁や単純業務のための安価な労働力としての活用という点で、人件費を大幅に削減することを可能にする。


つまり、人的資源を「部品扱い」し、人件費では無く「経費」の枠で計上する訳だ。

勿論、年金や各種社会保険と医療保険も「経費」にはかからない。

そして、自社正規社員の賃金より低い金額で「派遣会社」から仕入れる。

その仕入れ値に対して、派遣会社の<利益>と<固定費>と<一部保険>を差し引いた金額が、派遣された『非正規社員』の給与となる訳だ。


働きたくても就職口が無い。

特に、一旦定職から辞めざるを得なかった労働者や、解雇された人達の、所謂「中途採用」に、正規雇用のチャンスはほとんど無いのが、現状である。

『リストラ』と言う言葉を聞かない日は無い状況になって、どれほどの時が過ぎ去ったのだろうか。

元来<Restructure>という言葉は、「構造を作り替える」という意味で有り。、企業が体質改善の為に経営構造を改善して、収益の向上に努める事を言う。

それが、「リストラ」と言うカタカナになるや、『馘首』の意味になってしまった。

経営者が、会社の体質改善の為に「構造改革」をする能力が無い。

従って従業員を首にして人件費を減らし、残存従業員にその分過重負担を押し付け、それでも足りない分を「経費」で仕入れる、と言う経営方式が、日本で確立してしまった。

そうやって「リストラ」されると、それまでと同じ分野の仕事や、同程度の収入を確保する事は、ほぼ不可能になってしまった。

それでも、家族を養う為に、必死で職探しに明け暮れる。



それでも見つからず、就職先を探しまわって疲れ切り、万策尽きたとき「生活補助」制度が有った。


いまでも「生活補助」を受ける事に、恥ずかしさを覚え敢えて申請しない人も多いと言うが、これは日本国民の権利である。

市民にとっての「最後の」『生活権』の保証である。

それが、一般賃金より高額であれば、最早必死で職探しはしたく無くなるのが人情と言う物では無かろうか。

しかし、今回の問題はそこでは無い。



その「受給申請手続き」に、親族の収入の有無は絶対条件では無い。

たとえ、年収5千万円の河本準一の母親であろうと、自分に収入が無い限り「申請する事」に、何ら法的否定要件は無い。


子が親を養うのは、人間社会のみの現象である。

自然界の動物の中でも、ひと際寿命が長く、更に繁殖期をすぎてからの生存時間が長い為に起こった、生物界では特異な現象である。


とは言え、家族間、親族間には、第三者の計り知れない要素が多く存在する。

高収入の子が、必ずしも親を扶養しなければならない「義務」は無い。

精神的問題、「情緒的問題」は有っても、法的問題は、そこには介入しない。


それを「政治家」が介入した。

これが、今回の出来事に於ける、大問題なのだ。


政治家は、特に国政に関わる政治家は、有る個人の生活形状をあげつらって、さらし者にする事では無い。


『河本準一氏が会見、反省と返納を表明。私は著名人が親の扶養義務を果たさずに生活保護を受給させることで「あの人もやってるから」と安易な受給が進むことを懸念し、問題を指摘してきた。彼の彼の返納表明で「生活保護の前にまずは家族による扶養」という常識が浸透することを期待します』
(世耕弘也)


こんな「ふざけた」行為を自慢げに宣伝し、あたかも鬼の首を取って大手柄をあげたるかの如くはしゃぎ回る等、馬鹿としか言い様が無いでは無いか。


国政を預かる政治家としての義務は、生活保護受給者が、2011年7月の時点で「205万人」もいるという事実に、どう対処するか、で有る。

戦後の混乱期の為に、最高の受給者数であった1954年で204万人であった。

21世紀の「飽食の時代」に、食うや食わずであった戦後より多い人数の受給者が居る現実への取り組みである。

しかも、「生活補助」の受給を恥とする気風が有り、申請をしない人達が多い筈である。

更に、窓口の担当官の「意地悪」な対応で、受給を拒否されるケースも、かなりの数に上ると聞き及ぶ。

その中での、205万人である。


そして、社会保証は万民等しく受ける事が出来る。

そこに、在住外国人であろうが、外国籍二世であろうが関係はない。

日本国政府から、正式に滞在を認められている以上、その国籍や属する社会に関係なく、社会保障は受ける権利が有る。

諸外国、おしなべて同じである。

そしてさらに、生活補助と同程度か、更に低収入の労働者が、1900万人もいるという現実への、取り組みである筈だ。



@katayama_s
片山さつき Official Blog : 外国人登録と国民健康保被の問題第2弾!東京の某区の外国人の保険料収納率はたったの54%!片山さつきブログ


このようなブログを書き、ツイッターで宣伝して喜んでいる様な行為は、少なくとも国政を預かる国会議員の、晴れて自慢出来る活動、では決して無い。

あたかも「外国人」が保険料を払わないから悪人である、かの如き印象を与えるが、保険料収納率が低いのであれば、それは行政のミスであり、制度の問題である。

その、不公平になっているかもしれない現象を産み出す「行政システム」の改革をこそ、声高に唱えるべき物なのだ。


自分達「為政者」の無能を自ら曝けて自慢している、オバカなマゾヒストの自慰行為に過ぎない事を、知るべきである。

少なくとも、天下の赤門を出て、財務省主計官でございと、出身を誇りたいのであれば、事の重要性の順番くらい、理解しておかなければならない。

無理だろうが、「理解しているフリ」位はしていて欲しい。



一番肝心な問題点は。

繰り返しになるが、生活補助受給者と同等かそれ以下の生活に甘んじている人々が、2千万人弱も居る社会を「放置」している、事実である。

総ては、国民の生きる権利の擁護では無く、企業の利益確保を優先する風潮が、民間財界に広く蔓延し、それを行政が、つまり「政治」が、率先して推進させて来た、と言う事実である。


それが、何が「憲法に基づく」だ。


そんな社会構造を作り出して来た、自民党議員にそんな台詞を吐く権利等無い。

ましてや、「グローバル化」の実行犯である『小泉純一郎』の、直の子分達にはそのような口をきく事は、到底許せる事では無い。


小泉改悪によって、大量に世に送り出された「非正規労働者」が落ち入る、ワーキング・プアーの存在を許しておかない事こそが、日本再生の鍵なのだ。


非正規雇用の継続は1ヶ月~最長でも1年程度の短期しかない不安定な状態が殆どである。

キャリアアップの機会は無いに等しい。

雇用保険や社会保険といった社会保障も正社員に比較して不十分。


こんな国民を、ウジャウジャ産み出して恥じ入るでも無く、たかがお笑い芸人の恥部を全国に曝け出させて、寄って集って糾弾してみせる事が、政治家とマスコミとの使命だと、信じているのだろうか。

攻めるべきは、小泉純一郎であり、経団連であり、連合である。

決して、河本準一では無いのだ。



更に、河本の「在日」であるが故の言いがかり、讒言は聞くに堪えないし、見るもオゾマしい。

先にも書いた通り、国籍や出自に関わらず、日本国の領土で「正式に」暮らす人間は、総て同等に扱われるである事を、明記しておく。


それから、その種の出自の者達を多く配下に抱え、それで散々稼いでいる『吉本興業』なる企業が、自分が抱える芸人を護れない、護らなかった、という事実の、座視されるべきでは無い事も、付け加えておく。


河本準一自身が、全く無辜な無実の存在とは言わない。

自分が稼げなかった頃、母親が申請した「生活保護」を、稼げる様になってからも、『貰える者は貰っておけ』ぐらいの感覚で居たのに違いない。

その手の感覚は、往々にして誰もが持つ感覚である。

しかし、彼の「現在の」稼ぎに、何の感情も抱く事無く、純粋に批判した市民が、一体どれほど居るのだろうかとも、考えざるを得ないのである。


人間にとって、嫉妬は理性をゆがめてしまう者だ。

一見「正義感」に酔って、河本を責め立てた市民の多くは、手続き上に不正行為が無い事を、理解しようとしない。

その手の数が結構に登る。

これ又、日本社会のある意味での「病巣」でもあると言えるのでは無かろうか。


マスコミのオバカな姿勢は、いまさら責めても虚しき限りであるが、有る時間の全国ニュースで、「河本会見」をトップで流した国営放送は、多いに自らの役割を考えてみるが良い。



そして、最後に最も声を大に責められるべきは、小宮山洋子厚労相である事は、言を待たない。

下らない茶番に乗じて、国民の生活権の最後の砦をに手を突っ込もうと考えた。

経費節減は必要である。

財政赤字を少しでも改善去る為に、言葉の遊びでは無く「聖域なき改革」は、必要である。

それが、生活保護の支給額の切り下げという方向に、安易に走る発想が許せない。

厚労相の立場であるからこそ、許してはならない発言である。

厚生労働行政を、国民の方に顔を向けず、何が出来ると考えているのか。


単純な馬鹿なのか。

功労予算の低減を考えたのか。

はたまた「票になる」と浅慮したか。

いずれで有っても、救い様が無いとは、この事。


以上、三名の国会議員もどきは、いずれも「何不自由無い」出のおボッチャマ、お嬢ちゃまである。


議員と言い、マスコミと言い、一般市民といい…。


馬鹿と、恥知らずとが、多すぎる。



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今更ながら「ここが変だよ、日本人」。そろそろ<世界基準>に近づく努力をする時である。

2012-04-19 22:53:08 | 日本人の意識と精神構造
これまで、様々なおりに、様々な機会を通じて、様々な方法で言われて来た「ここが変だよ、日本人」。

拙ブログでも、折に触れて直接間接にあげつらって来たのだが、やはり言いたい。

『おかしくないか!?』



▶仙谷氏「原発止めれば集団自殺」(産經/見出し)

>民主党の仙谷由人政調会長代行は16日、名古屋市内で講演し、原発再稼働について「止めた場合、経済と生活がどうなるかを考えておかなければ、日本がある意味で集団自殺をするようなことになってしまうのではないか」と述べた。

>仙谷氏は「専門家への信頼が回復するまで稼働を止める、あるいは止めた原発を一切動かさないことをせよ、という話ならば、その結論に向けてどうするのか」と述べ、脱原発論の現実味の薄さを批判。「日本は電力なしに生活できなくなっているのは明らかだ。一瞬でも切れると電信電話回線が切れる。電気によってデータ管理がされる高度化した社会で、安定した質の良い電力が供給されることが当たり前の社会を作ってしまった現実の中でどう考えるのか」とも述べた。
【産經新聞/4月16日(月)16時20分配信】



誰しもが知っている通り、現在稼働中の原発は、ただ一基である。

その、現在唯一稼働中の北海道・泊原発3号機が定期検査入りすると、5月6日からは、いよいよ「原発ゼロ」となる。

ちなみに、『泊原発』は大阪圏には給電していない。


各資料によっても、全原発が止まった後に、電力不足は起こらない見通しである。

衆議院議員「川内博史」氏のツイートによると、以下の通りである。


@kawauchihiroshi
「関西電力の昨夏の最大電力需要は、2784万kw。発電能力は、火力1456万kw、水力713万kw、他社受電670万kw、融通320万kw。これで、余剰が375万kw。今、焦って再稼動の判断など必要無い。」


同議員は、全国規模での「電力需要と給電能力」を示している。

何れも、マイナスにはならない見通し。


当然、「原子力マフィア」側とすれば、現在「稼働中」の利権は手放したく無い以上、あの手この手で原発稼働に世論を形成するのは、想定内である。

それにしても、この仙谷由人の発言は、異常では無いか。


『原発止めれば集団自殺と同じ』


本日のテーマ「ここが変だよ日本人」にとって、彼の恫喝的発言が、おかしいと言いたいのでは無い。

そこまで、「電気有りき」で生活しなければならない、という固定観念が一部日本人の思考形態を左右している事が、おかしいと言いたいのだ。


マフィア側の試算によれば、関西圏の今夏の電力不足の見通しは、昨年比「最大15%」という数字から、「最小5,1%」だそうだ。

最大とは、今夏が一昨年の様な「猛暑」となり、一切の計画停電をしない場合。

最小は、平年並みの暑さで、計画停電が実施された場合、だとか。


この数字には、「揚水発電」や購電、その他企業の私設発電は、当然除外されている。


そこで、千歩譲って5%の電力不足が起きるとしよう。

それが、「集団自殺」なのか?

馬鹿馬鹿しい。

5%分、電力消費を抑えれば済む事だ。



日本国民は、社会の風潮にやたらと敏感である。

「節電」と社会が言えば(電力会社=経産省=政府=マスコミが言うのだが)みんなが「くそ真面目」に実行する。

一般市民ほど、その傾向が強い。

社会人としての自覚。

公徳心。


しかし、これら「市民感情」が、見事に<人質>に取られて、昨年は悲劇も生まれた。

お年寄りほど、道徳観や公徳心、お上への忠誠心が強い。

無理な(不必要な)冷房停止で、熱中症で無くなられた方々が、多くいらっしゃった。

「亜熱帯」の日本の夏で、クーラーを止める等、自殺行為である。

28度に温度設定すら、極端に過ぎると思う。

25度で充分協力的であると、思える。

街中に散水車を巡回させ、通りにこまめに「打ち水」をしよう。

無辜の住民の「公徳心」を、人質に取って「利権構造」を稼働させる事は、許し難い。


節電方法は、他にいくらでもあるだろう。


いの一番に、テレビを止める。

ニュースとも言えない偏向報道を繰り返す「政府広報機関」は、複数チャンネルは、無駄以前に全く不用である。

国営放送も、聴取料を強制徴収する以上、公正な報道を求める。

記者クラブ発表をそのまま書くだけのニュース、世論操作の為の官僚のリークだけの報道など、害こそあれ何の意義も無い。

一億総白痴化の道具としての存在意義しか無い「民放」も、複数は不用。


国営放送と、民法一社で充分。

夏の三ヶ月間は、民放は「持ち回り制」にすべし。

もし文句が有るなら、各社違いを打ち出してみろ。



テレビを切るだけで、どれほどの節電になる事か。

テレビ放送に関わる電力消費を想像すれば、結果は知れている。


新聞も、「読朝毎産」も、持ち回りで充分。

一千万部だの、八百万部だの、五百万部だの、らちもないいい加減な情報を一斉に横並びで垂れ流す必要が、何処に有る。

紙が無駄。

インクが無駄。

印刷に関するエネルギー。

輸送に関わるエネルギー。

公称発行部数を満たすだけの「押し紙」の、廃棄が無駄。

何もかもが、壮大な無駄である。

たった三ヶ月の間だけで許しておくから、各社日替わりか週代わりで、発行せよ。

それで毛で、膨大な節電になるであろう。


車の、町中への乗り入れは、隔日でナンバーの奇数と偶数とに規制する。

公共交通機関を、もっと利用するべし。



電車は、3分間隔を倍の間隔にするだけで、かなり違うのでは無いか。

通勤退社は、時差式にすればよい。

しかも、「秒単位」の運行をするなど、世界から見て意味が無い、不思議さである。
秒単位を競うのは、陸上競技と競泳だけで充分。

もっと、リラックスして、人間のリズムで運行すれば良い。

ポラットホームでの、がなり立てるアナウンスも不用。
五月蝿いだけで、暑苦しい。

あんなおかしな行為は、日本だけ。



ネオンサインは消しても、街頭を消したりは、するな。

日本には、ネオンが多すぎる。
そんな光景は、見苦しいし、暑苦しい。

おかしい。



最近一部で語られている通り、「夏の甲子園」も、秋にずらせ。



エスカレーターの乗り降りの際にエンドレスで流されている「注意事項」も邪魔なだけ。


店舗の「自動ドア」なんぞ、ガラパゴスもいい所である。


盛り場の、騒音に過ぎないBGMやら、街頭有線放送も一切不要。

あんな騒音が有るから、信号機の「盲人用放送」が聞き取りにくい。


節電できる具体例は、探せばまだまだ有るに違いない。


言いたい事は、只一つ。


「最大限の余裕の仲での電力使用」を標準にするのは、極めておかしい、という事だ。

昨夏のやり方とは違う次元で、発電量に見合った生活をすればいいだけ、と言う事である。




▶産業界「原発再稼働」要望 電力不足に危機感あらわ、空洞化の懸念も(ビジネスアイ/見出し)

>産業界は節電対策に乗り出してはいるが、目先の供給の見通しさえはっきりしない状況に、「この夏場は本当に足りるのか不安だ」(化学大手首脳)と緊張は高まるばかり。原発の再稼働を求める声は強い。

>「電力は国民生活、事業活動、経済競争力を支えるベースの力。早期に稼働してほしい」。16日の関西経済連合会の定例会見で、沖原隆宗・三菱UFJフィナンシャル・グループ会長(関経連副会長)はこう訴えた。「原発ゼロ」が現実味を帯びたことで、産業界では、電力危機への警戒が一段と強まった形だ。

>「さらなる産業の空洞化の進展も考えられる。もし、予備率がギリギリのときに、例えば火力発電所でトラブルが起こり、大規模停電が発生するということになったら、とんでもないことになる」。会見で角和夫・阪急電鉄社長(同)は危機感をあらわにした。

>電力不足への懸念に対して、企業は自己防衛でしのぐ構えだ。武田薬品工業は5月のゴールデンウイーク(GW)中の連休を返上して薬品を備蓄生産するほか、関西電力管内の工場の生産を中国電力管内の工場で代替可能にすることも検討中だ。また就業時間を早めるサマータイムの採用は今年も相次ぐ。日本製紙グループは16日、本社や支社に勤務する社員約2000人を対象に5月7日から実施すると発表。流通大手のダイエーも、本社で昨夏より約2カ月前倒しして今月30日から導入する。

>原発停止の影響をめぐり、三菱自動車の益子修社長は12日、記者団に対し、「昨年夏を上回るレベルの節電要請をされた場合には、乗用車生産を減らさざるを得ない」と指摘。生産の減少を避けるには「夜だけ働くという対応しかない」との見方を示し、切迫した産業界の現実をうかがわせた。
【フジサンケイ・ビジネスアイ/4月17日(火)8時15分配信】



ここにも、おかしなところが満載である。

「産業」という私的経済活動を、「安全」という普遍的価値に優先させるはっそうである。

生産ラインを止めたく無いから、「安全が全く確認されていない」原発を稼働せよ、と言う。

金の亡者である以上、仕方のない発想なのだろう。

それで、一度事故が起こったら、日本は国民も国土も、終焉を迎える。

商いや稼ぎどころの話では無くなるのだ。

そこが、理解されないらしい。



「電力は国民生活、事業活動、経済競争力を支えるベースの力」

おふざけでない。

『経済競争力』は、人間の豊かさに貢献しない。

バブルで散々味わった筈なのに、何も学んでいない経済界。

『事業活動』など、私的な事に過ぎない。

『国民の生活』と同等に並べるな。


「もし、予備率がギリギリのときに、例えば火力発電所でトラブルが起こり、大規模停電が発生するということになったら、とんでもないことになる」

この発想こそ、大馬鹿やろうである。

『もし、例えば原子力発電所で事故が起こったら、大規模停電などと比較する事すら憚られる、それこそ<とんでもないこと>になる」のだ。

停電は想像しても、原子力災害は想像出来ないらしい。

こんなおかしな話が、有るものか!



「昨年夏を上回るレベルの節電要請をされた場合には、乗用車生産を減らさざるを得ない」

減らせば良いでは無いか。

生産に見合った販売計画を立てれば良い事。

生産目標を低めに定め、営業成績も低めに見積もり、それで何が悪い。

従業員に、法的に定められている「年休」を、ちゃんと取らせる労働環境に慣れる、絶好もチャンスである。


もし、いまだに日本をして「先進国」と言いたいのであれば、従業員をまともに正規に雇い、従業員にまともに休暇を与え、従業員全員にまともに保健と年金とを架けるべし。


ヨーロッパの企業は、そういう労働環境の基で、日本人の好きな「国際ビジネス競争」に耐えている。

フランスの場合は、年次有給休暇は、土日を抜いて年に5週間である。

「5週間休暇を取って良い」のではなく「全員当たり前に5週間休む」のだ。

全員に保険と年金とを支払った上にである。

残業も、無しである。

もし、やむを得ず残業が必要であり、従業員がもし引き受ければ(普通引き受けないが)、時空の5割増で支払う。



「そんな事をしたら、会社が潰れる」と言うのなら、経営陣が無能だからである。

「価格破壊」を金科玉条として、経営体質を「人件費の削減」に比重を置いて経営して来た日本の企業は、ヨーロッパから『非関税障壁』であると、避難されるのだ。


おかしいでしょ。

人並みに、衣食住を賄えて、生活が成り立つだけの報酬を払う事が、「人を雇う」という事の筈である。

「これだけ支払ってやるから、働け。嫌なら、他に人は沢山居る」という経営は、アメリカ式の「拝金資本主義経営」の悪弊でしかない事に、経営者は気がつくべきである。

そして、企業有っての人間では無い事を、理解しなければならない。


企業側の理屈だけで「原発再稼働」を求める事は、人間の存在が優先されるべき価値観を、無視している。

その、おかしさに、国民全員が声を上げるべきである。

経営者は、企業人である以上、企業の発展と利益の上昇を第一義として考える。

資本主義である以上、仕方が無い。

ただ、そういう『資本の理論』に対して、市民の「人間の権利」を優先させるべく、企業人に働きかけなければならない。

金の亡者には、無条件に従っているだけでは、「カネの亡者の僕」という立場から、永久に抜け出せない。

おかしいでしょ。

企業有っての人間では無い。

働く従業員も、商品の顧客である消費者も、共に「人間」なのだ。

人が虐げられていて、なにが企業だ。



▶原発問題、おおい町議会が報告会 再稼働、防災要望相次ぐ(福新/見出し)

>福井県おおい町会は19日夜、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働についての議会の対応などを説明するため、町内で住民向けの議会報告会を開いた。

>参加した町民からは3、4号機について「安全性を確認したら再稼働してほしい」「避難道路や避難場所の整備を」と再稼働や防災対策を求める声が相次いだ。

>参加した町民からは「国の政策に協力し、立地町が一番リスクを負ってきたのに、(電源3法交付金など)恩恵を受けてきたことが悪いように言われている」といった不満や、原発の長期停止で地域経済が疲弊することを懸念する声が聞かれた。

>一方で「周辺自治体の反対の中、拙速に再稼働を容認して事故が起これば、おおい町が加害者になる。国は責任を取ってくれない」と慎重な意見もあった。

>また、町中心部に当たる本郷地区を対象に、総合町民センターで行われた報告会には約30人が参加した。町民からは「何年後になるか分からないが、脱原発の風潮は日本で加速する。原発に依存しないまちづくりに取り組むべきだ」などの意見が上がった。
【福井新聞/4月20日午前7時21分】



▶大飯原発再稼働、県議の賛否は? 8割が「条件付き賛成」(福新/見出し)

>地元の是非判断が焦点となっている関西電力大飯原発3、4号機の再稼働について、福井新聞社は県議35人に対するアンケートを実施。

>再稼働には6人が「賛成」、27人が「条件付きで賛成」と回答した。

>大飯3、4号機の再稼働について西川知事は、県原子力安全専門委員会での安全性の検証や、地元おおい町の意見とともに、県会の議論を参考にするとしている。

>再稼働に「反対」は2人。「条件付き」での賛成が8割近くを占めた。「賛成」とした6人も、理由として安全性を評価したのは1人だけで、残りは地域経済・雇用の安定のために再稼働を認める意見が多かった。

>政府が示した新安全基準については「評価できる」との回答が10人。18人は「部分的に評価できる」とし「評価できない」が5人いた。
【福井新聞/4月19日午前7時49分】



この二つの地元新聞の記事から見えて来る事。

一つは、住民の中にも「稼働推進」の考えが有る、という事。

もう一つは、住民より議員の方がより「稼働推進派」が多い、という事。



住民にすら「原発依存」の感覚が有る事は、原発という物に対して、如何に正しい認識」を持たせない様に事が運ばれて来たか、という事。

そして、議員達の方がより「現実把握能力」に欠けるか、という事。

いざとなったら、原発に携わっている人たちの生活、原発が立地している自治体の経済の、数千倍、数万倍、数百万倍の犠牲がでる、と言う事実が、現実感にならないという事だ。


どうしても、生活の事が一番心配になる。

人情として、当然である。


しかし。

「雇用の確保、地域経済の維持」

この意見は、原発に頼らずに何が出来るかを考えられない、議員達の想像力の無さの現れである。


「廃炉」にするにしても、数十年の時間が必要である。

今まで、原発関連の仕事をして来た人たちは、そのまま「廃炉作業」で仕事は続く、という事が知られていない。

知らせようとしない。


やはり、おかしいでしょ。


「今まで続いて来た」利権構造を失いたく無い「マフィア達」は、当然そんな事は周知させない。


住民達の方が、現実感で把握している割合が高いことが分った事は、ある意味では救いであった。


>町民からは「何年後になるか分からないが、脱原発の風潮は日本で加速する。原発に依存しないまちづくりに取り組むべきだ」などの意見が上がった。


この意見が、自見と住民から上がった事が、せめてもの慰めになろうと言うもの。



いまや、日本は発想を転換しなければならない。



電力が主人の生活は、改められる。

企業が主人の社会も、改めさせられる。


原発無しで、地域経済も住民の生活も成り立つ方向で考える事が、地方議員と自治体首長との存在意義である。

総意と工夫と。

それを失ったら、人類の明日は無い。


正しい情報を広める。

これは、「既得権益層」の一部を形成するマスコミには、求めても詮無い事ではある。

しかし、だからと言ってされるままに甘んじている事も無い。


日本を変える必要がある。

その為には、発想を転換する必要がある。



『原子力マフィア』の恫喝に屈して、『既得権益層』の誘導に任せて、意思を持たぬかの様に生きて行くのは、おかしい。


国民が、主人なのだ。

世界中、何処へ言っても。



そして、電気が主人では無く、人間が主人なのだ。



おかしな事は、糾して行こう。





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今や人は病んでいる。もう、このブログも終わらせる時が来た様だ…。【日曜フォトの旅】

2012-04-01 21:44:46 | 日本人の意識と精神構造
日本社会は、完全に病んでしまった。


大嵐の弥生が終わり、花咲く卯月を迎えた。

しかし、世は春爛漫にはほど遠い、乱れきり瀕死の床に伏している。


あれこれ考え、このブログは本日をもって終止符を打つ事とした。

最後の【フォトの旅】で、病んだ人間の精神の闇を、そして限りない美への憧れを、お届けしようと思う。



     
     『ビーナス』2世紀


世の中には、かくも美しい表現が出来た時代も有った。。。。




そして。

二千年の時を経て、我々が住む現代は。



     
     『叫び』(エドヴァルド・ムンク)1893年


この、一枚の絵に、総てが凝縮されて表されている。

精神の恐怖。

生きる事への恐れ。


ノルウエーを代表する国民画家『エドヴァルド・ムンク』は、生と死の問題、そして、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめながら、繰り返し描き続けた。



     
     『嫉妬』1907年



病弱な子として生まれた彼自身も、幼くして母を亡くし、思春期には姉を無くし、長じてかって関係のあった女性との傷害事件による手の関節の損傷等を経て、酒に溺れる様になっていった。



      
     『手術台にて』1903年


身近に「死」を実感したことは後のムンクの芸術に生涯影響を与え続け、初期の諸作品では直接のモチーフになっている。


     
     『死との闘い』1915年



精神が不安定になってアルコールに溺れるようになり、1908年から1909年にかけて、デンマークの著名な精神科医のもとで療養生活を送った。


     
     『自画像/病院にて』1909年



当初、彼は「愛」「死」そして愛と死がもたらす「不安」をテーマに、自ら「フィリーズ・オブ・ライフ」と呼ぶ<連作>を手がける。

おもに1890年代に制作した『叫び』、『接吻』、『吸血鬼』、『マドンナ』、『灰』などの一連の作品である。


     
     『吸血鬼』1893年


     
     『吸血鬼』1916年




また、数多くの浮名を流したことでも知られるが、恋を「昔の人が愛を炎に例えたのは正しい。愛は炎と同じように山ほどの灰を残すだけだからね」と語っている。



     
     『思春期』1895年


思春期を迎えた少女の体の横の「黒いモヤ」に、彼は何を見ているのだろうか…。


     
     『思春期』1916年



そして、女の哀しみ。



     
     『涙を流す女』1907年


     
     『涙を流す女』1907年


     
     『涙を流す女』1908年


     
     『涙を流す女』1909年


     
     『ベッド脇で涙を流す女』1930年




そして、喧嘩や刃傷沙汰も、彼にとって大きな関心を引くテーマであった。



     
     『赤い蔦の絡む家』1900年


     
     『路上の殺人』1919年


     
     
     『喧嘩』1932年


     
     『喧嘩』1935年




彼は繰り返して、何とも優雅さも上品さも無い、人間の野生の地を描く。

    
     
     『望ましく無い招待主』1935年



そして彼は、自分自身を甘やかさない。

自分の、惨めさ、意地悪さ、不安、様々な内的不安定さを、時を追って描き続けた。



     
     『自画像/ベルゲンにて』1916年


     
     『自画像/スペイン風邪』1919年


     
     『自画像/酒瓶と共に』1938年


     
     『自画像/窓辺にて』1940年



そんな彼が、狂おしい程に求めていた者は、一体何だったのだろうか。


1914年にはオスロ大学から同大学講堂の装飾画制作の依頼があり、1916年に完成。同年9月19日に除幕式が行われた。これは11面のキャンバスからなる壁画で、講堂正面には巨大な太陽が描かれており、「世紀末の不安を描いた画家」のイメージとはかなり異なったものである。



     
     『太陽』1913年



その彼の「代表作」と呼ばれているのが『叫び』である。


ある日彼は、フィヨルドの近くを歩いている時に「自然をつらぬく、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた」と言っている。

その経験を絵画化したものが、『叫び』である。


勘違いされがちだが、画面の男が叫んでいるのでは無い。

「自然をつらぬく、けたたましい、終わりのない叫びを聞いた」橋の上の男が、「叫びに耐えかねて耳を押さえている」光景なのである。


『叫び』は、四点制作された。

一点が「油彩」。
冒頭の写真の物である。

オスロのムンク美術館に所蔵されていた1点が、『マドンナ』とともに2004年8月に盗み出されたが、2点とも2006年8月31日にオスロ市内で発見された。


一点のテンペラ画。

二点のパステル画。

その内の一点は個人所蔵で、他の一点が1994年2月にもオスロ国立美術館所蔵の1点が盗難に遭い、同年5月の犯人逮捕時に発見されている。

それが、これである。


     
     『叫び』(パステル)1893年



彼は、病んでいた。

病んだ頭で、病んだ世の中を見た。

病んだ人々を描いた。




しかし、世の中は「病んで」居るばかりでは無い筈だ。


この、人間の生きている世界は、掛け替えの無い、素晴らしい物である。

筈だ。。。



その、素晴らしい世界に生きる「人間」も、掛け替えの無い素晴らしい存在である。

古代人は、そう考えた。

「人間が、この世で一番素晴らしく、美しい」
「何故なら、人間は神様のコピーとして造られたから」


社会の全体が、「自分達」人間が掛け替えの無い素晴らしい存在である、という価値観を普遍的に共有していた『古代ギリシア』は、人体をこれ以上望めない程完璧に表現した。



     
     『ヴィーナス』紀元2世紀


ギリシアの「ヘレニズムの美」を、ローマ人が写した作品である。

どこから見ても、どの角度から見ても、「不安定さ」も、「不安感」も「不愉快さ」も「扇情性」も感じられず、「嫌らしさ」もむろん無い。

これ見よがしの押し付けがましさも無い。

ゆったりと、安心して眺めていられる。

自然の産み出した、人間と言う驚異の姿を、その美しさを堪能できる。


自分達「人間」が、掛け替えの無いものである事、という価値観を社会全体で共有していたからこその、美しさである。



そして古代の終焉と共に、キリスト教が価値観の基準となった社会へと移行する。

人間には、重きを置かなくなった。

神様との約束を守れず、悪魔の誘惑に負けて「禁断」の果実を喰らい、神の怒りに触れて「楽園」を追放された『アダムとイヴ』の子孫が、人間である。

罰されし物の子孫に、価値は見いださない。

「罰の世界」であるこの世の事は、上手くけりをつけて、神の「楽園に」早く戻りたい。

つまり「来世」を思考する価値観となった。

神が崇高で、神が美しかった。
神が絶対であった。



     
     『天使』祭壇画の細片(フラ・アンジェリーコ)15世紀半ば


それにしても、美しく描けた物である。

人間は、「美」に対する憧れ、それを追求する活力とを、失わなかった。

神を表現する事を通じて、自らの心の中の「原風景」を描いていたのだ。



そして、「ルネッサンス」を迎える。

古代人が持っていた「人間の価値」に思いが至る様になった。

神は存在する。

しかし、人間がこの世の中の主人公なのだった。


「人文主義」の発達に伴い、神の世界以外への「思考」が可能となった。

人間の精神が、解き放たれた。

カトリックの教義「神学」に変わる、新たな思考法での新たな「科学」が誕生する。

そして、「大航海時代」を経て、地球の隅々にまで人間(ヨーロッパ人)の目が届く様になり、世界の宏大さを認識し、逆に世界が等身大になって行った。

等身大の世界で、人間自身が「等身大の自分」を見つめる事が可能となった。

『理性』を基礎に据える価値観である。

「近代哲学」が生まれる。



     
     『哲学者の階段』レンブラント


中央やや左の人物は「哲学者」。

瞑想に耽っている。

<瞑想>に耽るという行為は、「形而上」的行為である。

人間が、人間の理性が、宗教を凌駕するきっかけとなる。

自分自身の存在を見つめる。


画面中央に、幻想的な螺旋階段が有る。

「瞑想」という、結論の出ない行為の象徴でもある。


その右側には、召使い。

彼は暖炉の火の始末をしている。

日常、つまり「形而下」の存在である。


形而上の存在である「哲学者」、形而上的行為である「瞑想」には、陽の光が当たっている。

形而下の存在で有る「召使い」、形而下的行為である「日常作業」には、陽光は当たらない。
暖炉の陽の照り返し、で微かに見える。


その、非日常である「哲学」と、日常そのものである「生活」との間を、どこに導かれるのか分らない、始めも終わりも定かでは無い不思議な「螺旋階段」が、区切る。



そこには、「神に縋り」「天上の美だけを信じる」受動的人間は最早存在しない。

現実を受け入れ、その「不可思議」で「不条理」な現実に、如何に立ち向かって行くかを、思索的に捉える種類の、能動的人間が誕生していた。



現実は、どの時代にあっても「病んで」居た筈なのだ。

現実の前に、人間は完全なる無力な存在に、過ぎないものであった。


しかし、何時の時代も、さまざまな時代を形づくる「苦悩」や「矛盾」や「不条理」に、解決とまでは行かなくとも、何とか「消化」して「昇華」する努力が、為されて来たのだ。


かって、人間にとっての『悪魔』は、自然の猛威であり、社会の無慈悲であり、病苦と貧困であった。


そして、21世紀の今。


日本社会には、人間自身が悪魔と化して、邪悪が蔓延している。


社会が近代化して、人間の間に理論のうえでは人格の差別は無くなった筈であった。

民主主義と言う、金科玉条なる「ルールブック」がある筈だった。



     



こんな、前近代的社会はマッピラだ。
うんざりだ。

私は、もう止める。


美しい物に、触れて生きて行きたい。



     


この「ファン・ロー」の『三美神』のような、美しい花園の様な世界が、絶対になければならない。



     


この「セザンヌ」の『静物』のような、確たる静謐な空間が、きっとある筈だ。



     

この「クラナッハ」の『三美神』のような、安定して公然とした美しい人々の居る世界が、きっとある筈だ。



     

この「フェルメール」の『レースを編む女』のような、確かで穏やかな愛情溢れた日常が、必ず有る筈だ。



     

この「フラゴナール」の『美神の水浴』の様な、豊穣なる魅惑溢るる、完成された艶っぽい時間が、いつか持てる筈だ。



そして。


     

『ラ・ジョコンド』の様に、人間の総ての感情と感覚とを包含して表現出来る、総ての人々の精神状態を映し出す鏡のような、完璧な存在を求め、「崇める事が出来る」世の中がいまだ続いていなければ、生きて行く価値等無いに等しい。



もう、うんざりする事も無い。

日々、怒り狂う事も要らない。


皆様、ご愛読ありがとうございました。

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不思議で悲しい日本人の習性「汚染故郷に帰りたい…」 心の想いで、一握りの犠牲になってはならない。

2012-03-30 23:34:45 | 日本人の意識と精神構造
政府は、放射線汚染の実体を、始めからずっと隠蔽して来た。

政府は、放射線汚染の現実を、今でも変わらず隠蔽している。


菅直人、野田佳彦と続いた、その任に有らざる無能な宰相による、的確な手が打てない現実は、そのような人間を総理に戴いた国民の「宿業」とでも言えば良いのか。

勿論、二人の器量の無さだけが原因では無い。

政府としての、組織的欠陥も大きい。

担当官庁から、正確な情報が上がらない、政府の間抜けさもある。

担当官庁が、正確な情報を政府に上げない、官僚達の不遜な習慣も唾棄すべきものである。

その担当官庁と政府とに、正確な情報を出さない東京電力の体質が、もっとも責められるべき物である。

そして、かろうじて伝わって来る現状が、実は既に方向性を決められて「取捨選択」されている情報しか伝えられて居ないないと言う、日本の報道機関の使命感の無さが、もっとも大きな罪を負うべきである。



その様な『複合汚染』の結果として、国民の側にも現実に対する受け止め方に、多きな差が生まれてしまっている。

放射能被害を、深刻に受け止めている人々。

これらの人々は、与えられる情報の、少なさや信憑性の無さに不安を覚え、自ら積極的に「より多く」「より性格」あお情報を求めて、努力している人々が多い。

その、情報収集と交換とに、ネットが根本的に不可欠の役割を果たしている。

10年前までならば、これらの人々の層は、生まれにくかったに違いない。

よしんば、そう言う意識の目覚めた人々が居たとしても、その実行には困難を極めたに違いない。

しかし、自ら「求め」「判断し」「決断出来る」人達は、まだ幸せであると、敢えて言おう。

その、受けた被害の深刻さや、受けつつ有る被害の重篤さにも関わらず、まだ恵まれていると、敢えて言おう。


もう一つ、別の集団に属する人々も、居る。

つまり、「与えられる」情報だけしか知識の基がなく、それだけを頼って行動するしか無い人々である。


この層には、また二種類が考えられる。

与えられる情報以外を、絶対信じようとしない、頑な人々。

それから。

与えられた情報しか、信じる者が無い故に、それを信じている人々で有る。



そして、人間には自分の家族、自分の人生、自分の歴史には、執着が有って当たり前である。

避け様の無い、自分に責任の無い「別の力」によって、ある日突然それら<歴史>と<人生>とを継続出来なくなったら、人はどうするのか。

『放射能』と言う、あくまで<観念的>な知識でしか知らなかった、見えない暴力の前に発たされた人々は、どう行動するのか。



福島の人達が、放射能汚染の実体を、どこまで正確に「想像」し、「把握」しているのか…。

勿論、事は「福島」だけに留まる物では無い。

しかし、取り敢えず「事故原発」直近に暮らしていらっしゃった方々の、心の内が知りたいと、常に思っている。

「汚染している」事を理解していない人は、居ない筈だ。

問題は、その汚染の程度をどこまで「深刻に」受け止めているのか。

深刻に受け止めていて、その事実を受け入れたうえで、どうしたいのか。


『警戒区域』
『避難区域』

「帰還困難区域」
「避難指示解除準備区域」
「居住制限区域」

何と呼んでも構わない。


要するに、事を最小限に閉じ込めて責任逃れしたい政府ですら、<危ない>と認めざるを得なかった地区から、強制避難させられている人々の、「自分達の村や町」への帰郷願望が、どこから埋めれて来たものなのか。


汚染の実体は避け様がない現実として、存在している。

しかし、一日も早く帰りたい…。

気持ちは分る。
痛い程に。

しかし。

汚染を承知で、帰りたい、その「気持ち」が、単に人間の精神が持つ帰巣本能だけなのか。

他の土地に移り住む可能性や手段が、もしも存在するのならば、移住する気持ちがあるのか。

可能性はあっても、そのような気持ちにならないのか。

他に選択が無いから、受け入れるのか。

諦めているのか。


余りにも辛い、そのような分析をする「不遜な気持ち」を抱く事すら、不謹慎なのだろう。


だが、しかし。。。


▶警戒区域再編 住民「一歩だけ前に」(讀賣/見出し)

>原発事故による警戒区域などの再編が一部自治体で決まり、住民からは「一歩前進」と歓迎の声が上がった。だが、除染やインフラ復旧などはこれから。再編が先送りとなった住民からは、先が見えない現状にため息が漏れる。

>4月1日に区域が見直される川内村。「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ」。自宅が「避難指示解除準備区域」に指定される見通しの小林信一さん(66)は一定の評価をした。

>郡山市に移転していた村役場が26日に戻り、4月には学校なども再開する。だが、小林さんの自宅がある地域は放射線量が高い。国は今夏から除染を始め、年内に終了する方針だが、小林さんは「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と話す。

>南相馬市では4月16日に区域が再編される。帰還が5年以上難しいとされる「帰還困難区域」は1世帯2人にとどまり、大半が「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」になる。

>市職員らは警戒区域になった小高区の状況を確認して回ったが、地震で損壊した住宅が多く、道路もいたるところで波打ったままだ。同区産業課の槙弘道さん(57)は「除染やインフラ復旧に時間がかかり、元の生活に戻るには相当時間がかかりそうだ」とする。

>他の町村では調整が難航し、再編が見送られた。二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。
【讀賣新聞/2012年3月31日】



哀しくも、不思議で、理解に苦しむ、住民達の反応に戸惑うばかりである。


現実に「汚染している」土地へ、帰還させる方針を「一歩前進」と捉える不思議。


「出入りが自由になることは、一歩だけ前に進んだということ。」

確かに、それは理解出来る。

ある日突然、訳も分らないうちに「着の身着のまま」家を立ち退かされて、<仮設住宅>で暮らさせられるハメになった「不便さ」と「腹立たしさ」に、取り敢えず我が家に戻れる様になる事は、喜ばしい事では有ろう。


しかし、今夏から始める除染が年内に終了すると言われて、「すぐにでも帰りたい。スピード感をもって対応してほしい」と言う住民の感情に、複雑な感情を越えて、「無知」を感じる事は『不遜』な事なのだろうか…。


『除染』と言う言葉が先行している。

しかし、「放射能が取り除ける」と、皆<本気>で考えているのだろうか。

理解出来ない。

そこに、政府や官僚達およびマスコミの「作戦勝ち」を見てしまうのだ。

直接被害を被っている、現地住民ですら「そこまで洗脳されている」のか、と。

「それほど、意識誘導されているのか」と。

心底、心寒い気持ちに落ち入ってしまう。


その根底に、「権力側」の作為の酷薄さを、はっきりと見て取る事が出来るのだ。

住民の「心情」に付け入って、と言うか。

住民の感情を利用して、と言うか。


そこまで思い込ませる程、<放射能>に対する「恐怖感」を取り除いてしまった事への、怒りが沸き起こる。


>再編が見送られた、二本松市の仮設住宅で暮らす浪江町の柴田輝男さん(79)は「指定が遅れれば、それだけ帰還が先延ばしされる。いつ帰れるのか」といらだちを見せた。


ここまで「帰郷願望」が「汚染への恐怖」を大きく上回ってしまっている、そんな「精神状態」を造り上げられてしまった、日本人全体の悲劇である。



事は、『警戒区域』に留まる物では無い。

千葉県の広範囲な地域に於ける、高濃度の汚染の実体が判明している。

神奈川県でも然り。

という事は、東京に有っても、状況は同じ様な物だ、という事だろう。


その都度、地上からの高さその他、目的別に「汚染測定」のやり方を変える。

しかも、決して正確な数値の発表は、為されていない事は、国民は気づいている。

農作物も、水産物も、かなりの被曝が検出されている。

にも拘らず、産地偽造だ、出荷地変更だ、数値基準の変更だ、そのほか思いつく限りの姑息な手段を弄して、流通させている。


そのような実体を、知って知らずか。

人々は、大した自己防御もとらずに、平然と普通に暮らしている。

顕著な民即大移動も起こる事無く、日常生活が平穏に続けられて行く。


汚染は事実である。

しかし、だからと言って避ける手段も、格別に存在しない。

そこが、自分達の国である以上、そこで暮らして行くしかない。

仕方が無いじゃ無いか…。

生活が有る。

他県への移住等と言っても、手段も可能性も無い。


そんな、諦めの心理が働いているようだ。


そして、根本原因を造り出した「東京電力」への「怒りの行動」は、格別に見られない。



故郷への愛着。

それまでの自分史。

社会的経済的しがらみ。

あらゆる要素を鑑みても、そこに「放射能への恐怖」を、格別強くは感じ取れない。


「避難地で就職する事は、故郷への帰郷を諦める事。それは帰りたいですよ。ただ、帰郷しても人の居ない所では生活出来ないし…」

避難先で就職を決めた、ある被災者の声である。

そこに感じ取れるのは、実際的不便さに対する不安であって、現実問題での感覚である。


放射能は危険である。

病院での「放射線技師」が、エックス線撮影の度に「防護壁」の後ろに隠れる事実一つを見ても、その事は用意に理解出来る筈である。


「自然界にも放射線は存在する」

こう言い張る人達もいる。

しかし、自然界に存在する放射線と、人工的に産み出された放射線とでは、性質が違うと言う。

しかも、「セシウム」の数値のことしか語られない、不自然さ。

「ストロンチウム」その他、強毒性の放射線の測定や、対策は全く話題にすらされていない。


こんな事で良い筈が無い。

東電という「一企業」の、しかし政府すら温存を前提に優遇する程の「強大な」企業の問題だけででは無い。


「電力事業者」という企業集団を中心に、建設業界、各種機械産業、研究機関その他、産み出されて来た「天文学的」利権の周りに集う『原子力ムラ』と、そこに絡む官僚組織、はてはアメリカその他の国際的関わりの、複雑怪奇なる『原子力マフィア』の問題でもない。


人間の。

日本国民の。

翻って、世界中に影響が及ぶであろう事を考慮すれば、人類全体の「生存」への危機なのだ。


生命の問題なのだ。


政府や東電等と言う、極めて「卑小な世界」に蠢く輩に、人類の存続にすら関わる一大事を、軽んじる権利等絶対にない。


まだ遅すぎる事は無い。


少しでも「汚染地域」から遠ざかる様に。

少しでも「汚染食品」を摂取しない様に。

周りに居る人々を、啓蒙しなければならない。


少しでも情報を持っている者が。

僅かでも危険に気づいている者が。


それを、まだ気づかずに居る人々に、伝えなければならない。


それと同時に、政府に向かって、マスコミに向かって、声を上げて行かねばならない。


日本人の一人として、一人でも多くの日本人を救う努力を、しなければならない。

人間として、地球上に住む総ての人類の明日を救う為に、声を上げ続けなければならない。

身近な所からで良い。

やれる事だけで良い。


黙って居る事は、同胞に対する罪である。


今まで以上に、声をからして、訴え続けよう。

放射能の危険を伝えよう。







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『韓流』『小泉』『進次郎』そして『橋下徹』になびく日本の女達。ネジが狂う以上にDNAが壊れれてる?

2012-03-23 20:57:26 | 日本人の意識と精神構造
女の性。


人類の永遠の謎。

人類の進歩の鍵。

人類の始めと終わり。



日本の社会は、世界水準からみると、かなり異質である。

「日本」という狭い井戸の底で、見上げる空は小さな円の中。

日本人にとっての「世界」は、狭い円。

その「円」の外に、無限大の世界が有る事が、想像出来ない。

そして、その円の中に見える物は、限られた特殊な光景。

ガラパゴスの中のガラパゴス。

そこでは、極めて特殊な伝統と、限られた制度とに取り囲まれて、独自の時間が流れている。


そこで暮らす住民は、世界の人類とは違った進化を遂げて来た。


緊密な地域性に裏打ちされた、共同体意識。

その共同体が求める相互互助の精神。


山紫水明の自然に恵まれ、花鳥風月を愛で、極めて高度な精神文化を築き上げた。

物質的な限り或る狭い世界で、物質より精神を尊ぶ価値観は、物理的闘争の世界の中で、貴重な文化を今日にもたらした。


しかし。


水槽の中で生きる魚の群れは、外海の厳しさを知らぬが故に、無警戒となり、活力を削いで行く。

やがて、子孫の維持に微妙な問題を生じ始めて、世代交代に衰えが現れ始めて、衰退して行くのだ。


その「衰退期」になると、群れ全体が単一の性しか生まれなくなったり、同性での交尾が行われたり、という不規則性が現れて来る物なのだ。

オスのメス化も、みられるとか。


生物の進化の過程に置ける、避けられない段階であるようだ。




「亭主は元気で留守が良い」

一頃、良く聞いた台詞である。


旅行は夫婦では行かない。
「行楽中くらい、旦那の世話から解放されたい」と。

夫は、社畜と成り果てて疲労困憊し、帰宅前の飲み屋での騒ぎで、やっと精気を取り戻した気になる。

当然遅い帰宅に、妻はお冠。
その内、夫婦はすれ違い始める。

大の大人の男が、自分の稼ぎの中から「お小遣い」と称して「食費」その他の経費を貰う。

小遣いとは、子供の物である。
世界で、こんな奇妙な習慣は、日本以外にみる事は出来ない。

妻達は、やりくりの中から自分の仕える分をひねり出し、夫が働いている昼間に女友達と、優雅に「ホテル・ランチ」や「レストラン」での食事を楽しむ。


もちろん、ここ20年程日本の経済は冷え込む一方で、所帯あたりの可処分所得は減り続け、優雅な専業主婦等「薬にしたくとも」見つからない時代になってしまった。


しかし、妻達は夫達より元気である。

すれ違えば、当然家庭の外に楽しみを見いだす様になって行く。

かっては、男が外でお水の世界の女性達と楽しむ事が、良く輪譜代になっていた。

いまは、男に金はない。

逆に、子育ても一段落して時間と体力とを持て余す女性達が、外で浮き名を流す様になったそうな。


既婚女性の不倫率は、男が聞いたら卒倒する程であるらしい。

当然、相手になる男が存在して始めて成り立つ訳ではあるが。。。


そこまで、直截的な事でなくとも、日本女性の「活発な」気晴らしは、いまや恐るべき物が有る。



独身世代も同じ事。

男には、結婚し、所帯を構えて家族を養う自信を持てる「収入」にありつけなくなって来た。

家族を養う自信がないと、オスとしての自信も失って行く。

世に言う「草食系」男子は、母親がペットとして育ててしまった結果である事が多いと思われる。

しかし、管理教育の徹底と共に、「元気」さや「攻撃性」を失って行った男子の増加は、社会現象であろう。

それらの「男の特質」と思われていた性質を持たない男の割合が増えている様に見える。



女性達は、めんどくさい結婚生活より、独身の楽しみを失いたく無い。

女子が「社会進出」を深めるに及んで、男の「力」に頼らなくとも暮らして行ける事に気がついて来た。

勿論、女性の「メス」としての特性で、巣を構える本能はそう急激には無くならないであろうから、結婚願望は減って入る様だが、未だ健在である。

しかし、女性の自我の確立と共に、男が弱く見えて来る。

周りに居る男達に、魅力を感じなくなって行くケースが多い様だ。

そうこうしているうちに、所謂「売り時」を過ぎてしまうと、結婚の可能性は急激に減少する。

かくして、自立出来る自信と環境、そして「良い男」が居ない、という事で、非婚女性が増えて来た。



かくて、婚姻率は右肩下がり。

「独女」と呼ばれる20代から40代の女性達のエネルギーは、ますます「オス化」して行き、「メス化」の一途をたどる男達を尻目に、向かう所敵無しの勢いである。


無責任なマスコミの煽動に、今やローティーンの女の子達までが、「女」を強調し始める有様。

中学生と言えども、油断出来ない社会と成り果ててしまったのだ。



勿論、こんな「ステレオタイプ」な面だけでは無い事は重々承知の上で書いている。


かくして、向かう所敵無しの「ニッポン女子」の一部が、そのサガをむき出しに、何ら恥じる事無く極端に走る傾向が、昨今良く見聞きされる所となった。


普通の10代の女性が「好奇心」と「僅かな金額」の誘惑から、AVに出演する。

キャバクラ嬢等、最早「女子大生」がなりたい職業の上位に入る程、普通の職業視されている。

有名タレントや、スポーツ選手が、堂々とAV嬢との交際を隠さない。



何もかも、変な社会になってしまったものだ。

恥じらいや、貞淑性、等と言った言葉は死語と化してしまった。



そんな中で、特に異常なのが「ニッポン女性」の男の求め方の変化である。

「色気」と「しどけなさ」の区別がつかない女性が随分増えてしまった。

「しどけなさ」はじきに「はしたなさ」へと遷って行く。



ホストにハマる女子高生すら不思議では無い時代となったそうだ。

マスコミが、「援助交際」なるマヤカシの言葉を流行させて、ティーン・エイジャーの売春を普通の光景に変えてしまった。

「プロ」と「素人」との垣根が、ほとんど無くなってしまった。


こんな社会は、日本以外に知らない。


女性の嗜好や、その表現方法も大きく変わって来た。

10代、20代の若い女性が『小泉純一郎』や『ハマコー』に向かって、「カワイイー」と叫んだものだった。

黒人の腕にぶら下がって、得意げに歩く女子高生も多いとか。


熟年の奥樣方も、負けては居ない。

<出会い系サイト>の常連や、息子程も年のはなれた男子手に入れる女性も居るらしい。

彼女達の嗜好は、男のそれを大きく飛び越えて、一気に「自由化」してしまった感がある。


かくて、非現実的なる世界、一風変わった世界の男に熱を上げる女性達がそこかしこに現れる様になった。


『韓流』なる、摩訶不思議な世界に、完全に狂ってしまった女共の、何と多い事か。

夫も子供も居るであろう熟女の主婦が、空港に到着する「韓流スター」の到着に『嬌声』を上げて感極まっている光景は、異様な物が有る。


それこそ、小泉純一郎に群がったおば樣方のはしゃぎ方も、凄かった。

それは、その後息子に受け継がれて、『進次郎』クンが世の「寂しい」女性達の希望の火となっているらしい。

いずれも、家庭での夫婦の精神的接触が断たれてしまったからなのでは無かろうか。

要するに、寂しい女達が氾濫して居るのである。



そして極めつけが。



▶橋下大阪市長を「彼氏にしたい」OLが急増中(週プレ/見出し)

>その強いリーダーシップで多くの支持を得ながらも、一方では「独裁、ハシズム」との批判も多い橋下徹大阪市長。そんな橋下氏の力強さが今、女性たちから「男らしい」と人気を集めている。

>「会社の同僚たちが“ハシモトさま”って呼んで萌えてます(笑)。『オレについてこい!』的な男らしさにキュンとするし、周りの優しすぎる男子と違って、ぐいぐい引っ張ってくれそう。わが道をゆく姿勢には、ついていきたいなって思います」(通信・23歳)

>「あの自信満々な態度は男らしいなって思うし、見ているこっちまでテンションが上がりそう。いつも自分が下がり気味だから、ああいうテンションの高い人に感化されたい」(メーカー・26 歳)

>本誌が20代のOL、252人を対象に行なったアンケートによると、その内67%もの女性が「橋下市長を彼氏にしたい」と回答している。ただ注目すべきは、この数字が「好き」(59%)を上回っている点。好きではないけど彼氏ならアリとはどういうことか、OLたちが理由を語る。

>「正直、苦手なタイプだけど、彼氏だったらアリ。一緒にいたら楽しそうだし、彼のそばで刺激ある生活ができそう」(人材派遣・26歳)

>「暑苦しいからあまり好きじゃないけど、最近は会社を含め、自分よりも下に見える男性ばかりでウンザリしているので、彼のように『自分よりも上』と思える人を彼氏にしたい」(PR・23歳)

>この「ハシズム人気」について、現代のOL事情に詳しいライターの池野佐知子氏は、次のように分析する。

>「ここ数年続いている草食系男子の優しさや穏やかさに女性たちが飽き、物足りなさを感じているのだと思います。また、不況の影響もあって、自分の人生ではそれほど彩り豊かなことがありそうにないから、破天荒な彼のそばでスリルを共有したいという思いもあるのかもしれません。いずれにせよ、草食ほっこり男子の対極にいる橋下市長がわかりやすい存在として、若い女性たちに支持され始めているということは興味深いですね」

>草食系男子への不満が、人気へつながっているということか。いずれにせよこのOL人気、橋下氏の本業である政治にも追い風であることは間違いない。
【週プレNEWS/3月23日(金)18時1分配信】



ため息が出るのみ。

分析は、何やらご託を並べてそれらしい理屈をひねくり出しているが。

そんな事ではないだろう。


何時の時代でも、『蓼喰う虫も好きずき』である。

いかなる変人怪人奇人にも、女はくっつく。

男と女を入れ替えても、同じである。


ただ、以前であれば、ここまで「公然と」あんな男を受け入れる事を可とする事を明らかにする女性は、少なかったのでは無かろうか。

胸の内はともかくとして。


更に言えば、変人奇人怪人の女性が男を手に入れるより、変人奇人怪人の男が女を手に入れる方が、まだ易しそうに思える。

それだけ、女性は積極的で、多種多様な嗜好が有り、男には理解出来ないフェロモンを感じ取るのであろうか。



表題は、多少扇情的に書いたが、実体は「こんな物だろう」という気はするのです。

でもね。


あの『ハシズム』の、育ちの悪さとコンプレックスから来る傲慢さ、そして弱い物に徹底的に強く出る「男らしく無い」卑怯な振る舞いを、一部の女性達は『男らしい』と感じるんだなあという事に、不安を覚えるのです。

貴女のかってですけどね、勿論。

第三者が、とやかく言う事では有りません。


それでも、その種の「フェロモン」がもたらす好き嫌いが、政治等という「社会的行為」に直截反映してしまう様になると、これはコマッタ事なのだと言いたいのですよ。


「蓼を喰う虫」が居ても良い。

でも、その虫が、蓼に「権力」を与えてしまう行動に出ると、社会は崩壊する事も有る訳です。


あの田舎臭い、韓流「スター」に入れあげるのは、どうぞご自由に。

財産を全部貢ごうが、知ったこっちゃ有りません。


でも、その女性パワーが、ナントカ様に首長や議員や、そんな地位を与える事になったら、これは話が違う訳です。


それと同じこと。

正しい政治理念を持ち、その理念を正しく市民の為に使ってくれるなら、それはそれで良い事であります。

その為には、相手の男の真の姿を見抜くだけの「眼力」が必要となる。

ただ、フェロモンだけで「政治に口を出されると」困るのですね。


女性達は、別に政治的な事等知った事じゃ無いでしょう。

でも、結果が別の事をもたらすと、皇帝ニコライ2世妃アレクサンドラ皇后に取り憑いたラスプーチンの如気例は、歴史に決して少なく無い。


女性の性(サガ)は、国を危うくする事も或る。



勿論ほんの一握りの女性達の生態を、あたかも社会現象の如くに言うのは、それこそ週刊誌的では有る。

しかし、日本社会の一部は、世界基準からみるとかなりおかしな事になってしまっている部分が有る事も、また事実である。



極めて余計な事では有るが、世の女性達に「男選び」に際して、少し注意深く有って欲しい、と願うのは単なる<やっかみ>なのだろうか。


そして更に付け加えるならば。

「寂しい女性達」の出現は、男達のせいなのです。

そして、「肉食系」女子の蔓延も、これ又「ひ弱な」男達の性なのです。


日本の(一部の)女性達のネジを外してしまったのは、我々男達なのだ。

彼女達のDNAが変異を興し始める前に、何とかしよう。



世の男性諸君!

胸を張って、堂々と生きようではありませんか。



コメント (5)
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