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古い写真から蘇る思い出の山旅・その40(再)

2024年02月09日 15時06分25秒 | 山歩記

古い写真から蘇る思い出の山旅・その40
「雪の天城山」(再)

かれこれ25年前1999年1月に、当時一時所属していた山の会の仲間と、初めて、伊豆の「天城山」を訪れたことが有った。「天城山」は、深田久弥の「日本百名山」の一座でもあるが、どちらかと言うと、川端康成の「伊豆の踊子」で連想される山。若い頃から、一度は訪れてみたいもの思っていながら、なかなか実現しなかったものだが、よりによって、真冬に訪ねたことになる。
当時はまだ、バカチョンカメラ(小型フィルムカメラ)しか持っていなかった頃で、ほんの数枚だが、プリントした写真がアルバムの貼って有る。
「OCNブログ人」でブログを始めた頃に一度、スキャナーで取り込み、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き込んであったが、コピペ、リメイクすることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだ等と自嘲しながら・・・。


深田久弥著 「日本百名山」
   「天城山(あまぎさん)」
(一部抜粋転載)

天城は昔から私にはなつかしい名前であった。旧制高等学校にいた頃、休暇が終わって寮へ戻って来ると、友人の誰かがきっと伊豆旅行の話をした。その話の中に、天城山やその谷々にある鄙びた温泉の名がしきりに出た。おそらくその時代、伊豆旅行は学生の間の一つの流行であった。名作「伊豆の踊子」の作者川端康成氏などもその一人だったのだろう。あの作に出てくるような高等学校の生徒が多かったのである。
しかし、その頃から山が好きだった私は、信州や甲州へばかり出かけて、伊豆は知らなかった。そんな旅行で暇と金を費やすのは惜しかった。とは言え、天城という山は私の心に印されて、その名を聞くごとに、南国のあたたかそうな、詩と伝説の沁みこんだ山が想像された。
天城山へ登る機会を逸していた一つの理由に、その五万分の一の地図が無かったせいもある。要塞地帯だったからだ。地図を持たない登山は私には興味索然である。天城で一番高いのは万三郎岳、次は万二郎岳というくらいは心得ていても、やはり地図の等高線を数えながら登るようでないと面白くない。
(中略)
現在、地図の上で天城山脈と記されているのは、東海岸から起こって、遠笠山、万二郎岳、万三郎岳、それから天城峠を経て、猿山、十郎左ェ門山、長九郎山と続いて、西海岸に終わっている。つまり、一つを指して天城山と呼ぶ峰はなく、伊豆半島の中央を東西に横切った山脈を眺めて、そのうちのどれであろうと構わず、人はただ天城山と呼んでいる。
(中略)
天城のいいことの一つは、見晴らしである。煙を吐く大島を始め、伊豆七島がそれぞれの個性のある形で浮かんでいる海が眺められるし、いつも真正面に富士山が大きく立っている。全く大きい。天城の写真と言えば、たいてい富士山が取り入れられてある。それくらい天城にとって欠くことが出来ない背景である。山の好きな人だったら、富士山の左に遠く南アルプスの山々が連なっているのを見落とさないだろう。
万三郎岳から天城峠までの尾根を幾つかの物寂した峠が横切っている。その尾根伝いに八丁池まで来て、私は静かな天城の山中で一夜をあかすつもりでいたが、そのロマンチックな計画は、あまりの寒さで挫折した。天城峠から湯ヶ野に下った。温泉に恵まれていることも天城の特典で、湯ヶ野の安宿で朝眼をさますと、谷川を距てた向こうの丘に、椿と蜜柑が暖国らしい色彩をほどこしていた。


山行コース・歩程等

旧天城トンネル入口 → 天城峠 → 向峠 → 八丁池 → 白田峠 → 
戸塚峠 → 小岳 → 戸塚山 → 片瀬峠 → 万三郎岳 → (馬ノ背) →
万二郎岳 → 天城高原ゴルフ場前   
(標準歩行所要時間=約7時間)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)

8時頃、前泊の「湯ヶ島温泉・国民宿舎木太刀荘」を出発、バスで約30分。
8時30分頃、「旧天城トンネル入り口」に、到着したようだ。
川端康成「伊豆の踊り子」の舞台となった天城峠の一節、
「暗いトンネルに入ると冷たいしずくがぼたぼた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんだ」、
一度は訪ねて見たかった場所ではあったが、
その日は、冷たい雨が降っていて、「伊豆の踊子」の感傷に浸っておれない状況。
雨、雪 対策、万全準備をして、
「旧天城トンネル入口」を出発、10数分で、「旧天城峠」に着き、
「天城山脈縦走路」を東へ、「向峠」へと向かう。
雨が、次第に激しい雪に変わり、
見る見る、5cm、10cmの積雪に、
天望無し、新雪を踏みながら、滑落、転倒に注意、モクモクと歩く
「雪の天城山」を楽しむ山旅となった。

11時頃、雪が激しく降り続く、「八丁池」に到着、
「八丁池」は、古い火山の火口湖で、「天城の瞳」等とも呼ばれているというが、
激しい雪の中、その様子はうかがえなかった。
池畔の樹林には、天然記念物に指定されているモリアオガエルが、
白い泡状の卵を産むつけることでも知れられているのだそうだ。
長居は無用、小休憩後、直ぐ出発。

14時頃、天城山脈最高峰、「万三郎岳(ばんざぶろうだけ)」山頂(標高1,406m)に到着。
雑木に囲まれて、およそ山頂らしくない山頂だった気がする。
一般に、「天城山」と呼んでいるが、「天城山」という山頂は無く、
「天城山」とは、天城山脈全体、あるいは、その一部を総称する山名。
その最高峰が、「万三郎岳」。

15時30分頃、「万二郎岳(ばんじろうだけ)」山頂(標高1,300m)に到着。
ぼたん雪が降り続くものの、風は無く、厳しい寒さは感じなかった気がする。

ほとんど休憩することも無く、写真を撮ることもなく、
ひたすら、雪を踏んで歩くのみ、
16時30分頃、「天城高原ゴルフ場前」(標高1,050m)に到着したようだ。
積雪は15cm~20cmになっており、迎えのバスも、途中立ち往生したらしく、
除雪中だったゴルフ場の除雪車に牽引されて、やっと登ってきたらしかった。
なんとか、予定通り、暗くなり始めた
17時頃、「天城高原ゴルフ場前」を出発、帰路についたのだった。

天城山は、特に、シャクナゲやアセビの咲く季節に、大勢のハイカーが訪ねることで知られている山だが、「雪の天城山もまたいいもんだ」等と、強がり、語り合った記憶が有る。

当時は、「季節を変えて、また訪れてみたい山」、「また来る時には笑っておくれ♪」的な気分だったが、結局、それが、最初で最後の「天城山」となってしまい、今となっては、「天城山」もまた、遠い思い出の山の一つになってしまっている。


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