ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

甲斐バンド「Documentary of TOUR CIRCUS & CIRCUS 2019」7

2019-09-12 18:13:00 | メディア
東京公演終了後のインタビューの続きです
まずは、イチローさんと松藤さんが並んで座っておられるシーンから…

「イヤ、それでもやっぱり、あのー、お客さんは、待ってる間もスタンディングでね
ホントにキツくて大変だろうとは思うけど
でも…ホント疲れてるかも知んないけど
始まった瞬間の爆発力は、立ってる価値はあるね!
歓声があるね、1曲目から…」とイチローさん

奥さんは、ツアー初日に開場前グッズ販売の列に並び
その後、整理番号順に整列して開場を待ち、番号を呼ばれて場内に入り
そこから開演まで(…もちろん開演中も(笑))ずっと立ちっぱなしで
いつも以上に開演が待ち遠しく、その分、甲斐時間が恨めしかった(笑)ことを思い出し
「そりゃ、一気に弾けるよねぇ(笑)」と…(笑)

一方、松藤さんは「ベーシックなことをみんながちゃんとやんないと
バンドサウンドになんないんですよ
えーと、まあ、今日は強一がいて(ドラムは)2人だけど
ふだん、えーと…」と1本ずつ指を示されながら
「えっ!?ベース、ドラム、ギター、キーボード…だけなの!?(笑)

それが、やっぱ…実はナカナカね
甲斐バンドとしては、その倍くらいの人数でいつもやってたのが
えっ!?2人!?えっ!?(甲斐バンドの)メンバーの方が多いじゃん!今回って…(笑)」
…と、今回は、サポートメンバーがお2人だけという
オリジナル甲斐バンドのツアーと同じ編成だったことに触れられてましたが

すかさず、イチローさんが「それ、フツーだって!(笑)」と
見事な手振り付きでツッコまれると(笑)
「イヤイヤ、BIG GIG辺りから逆転してたよ(笑)」と奥さん(笑)
まあ、だからこそ今回のツアーは開幕前から「少女返り」してたんでしょうけど…(笑)

そして、ホテルの一室らしき場所で?甲斐さんのインタビュー…
「えー、ライブハウスツアーは、えー、俺たちにとっても、観客にとっても
まあ、初めての体験ということで…
ロマンチック、かつ、奇妙な雰囲気だよねっていう感じで…

だけど、その…初日、広島でライブやった時に
想像以上にもう観客が感情的になって、しかも、よりエモーショナルな…
エモーショナルなライブになったんで、あっ!これはちょっと面白いなと…
で、更に、あのー、まあそれは、つまり、僕らにとっても最高のオープニングになった訳で…

えー、しかも、今夜みたいに、それが更に続いてる、と…最高ですよね
もうずっと初日から、ずっとこの雰囲気で来てるんで…」と話されてましたが
「立ちっぱなし」で待つことのもたらす効果みたいなものを
甲斐さんを始め、メンバーの皆さんが感じておられたから
「秋のツアーでも、その根性を見せろ!(笑)」とおっしゃったのかなあ?(笑)

ともあれ、場面は【HERO】のライブシーンに変わり
「ドラムセットを背負った甲斐さん(笑)」が見られたものの
「もう少しドラム台が高かったら良いのに…」と奥さん(笑)
「贅沢を言えば、アノ蝶々のマークも見たかったなあ」…って、欲張り過ぎですよねぇ?(笑)

しばらくすると、曲の途中で、2階の関係者席が映り
そうそうたるゲストの皆さんが、じっとステージに見入られる中
お一人だけ、小声で口ずさまれる亀和田武さんを発見し
先ほどのバックステージの映像の中にも、お姿があったのに
コメントがなかったことに少々不満気だったのが

「甲斐バンドへの想いを綴った著書『愛を叫んだ獣』を1986年に発表
甲斐バンド当代随一のフォロワーでもある作家」として
亀和田さんだけ別撮りのインタビューが始まると
「ですよねぇ~♪(笑)」とにんまり(笑)

「地方のツアーに初めて行って…新潟だったなあ…新潟の3つの都市を…
勝手に行ったんですけどね(笑)それは、ナンか仕事じゃなくて…」と亀和田さん(笑)
「フリーという名の失業者(笑)」になられた際に、甲斐バンドのツアーに同行され
「『男グルーピーってのは初めてだな』と甲斐よしひろが笑っていた」んですよね?(笑)

以前に、新潟出身の高橋克実さんが、セイヤングにゲスト出演された際
甲斐さんは「ナゼか、新潟だけ3ヵ所廻ってた(笑)」と説明なさってましたけど
「愛を叫んだ獣」によれば…「面白いもので、同じ新潟県内にありながら
三つの市の観客はそれぞれ微妙に、というより
かなり雰囲気が異なっていた

新潟は、県庁所在地にも関わらず
どちらかといえば、典型的な田舎の女子中、高校生といったタイプが多かったが
長岡市では女のコのファッションは、ほぼ東京と同じ、というより
新宿厚生年金であったコンサートの客よりもファッショナブルなくらいであった
コンサートの反応もかなり違った」そうだけど
高橋克実さんは、三条市出身でいらっしゃるので
最寄りのライブ会場は、長岡市かと思われます

それはともかく…「それで、その時、やっぱりまあ地方ですから
そして、その頃、17,8,9(歳)の女のコ達が、超多いですから(笑)
やっぱり、最初の曲からバン!ってスタンディングするコは、そんなにいないの(笑)
3千人のホールで、やーっぱりね、ホントに1割いないんだよね

だけど、やっぱり、1曲目、2曲目ってやって行く内にやっぱりもう…もう、衝動が抑えられなくて
そういう女のコ達がみんなね、ポン!…ポン!…とこう…2~3人立ち上がったりすると
そうすると、それにつられてね、またみんな立ち上がってくっていうね

その女のコ達のナンか…その勇気とかさ
ナンか、その…ホントにナンかもう込み上げて来るような衝動
ホントは、ナンかシャイだったりする、まだ17,8,9(歳)の子達を
思わずスタンディングさせてしまう、そのバンドの力、甲斐さんのカッコ良さ
それを僕、その時すごい感じたんですよ」…と話されてましたが

「愛を叫んだ獣」の中にも…「最後の上越市では
ラストの【HERO】でやっとパラパラとスタンディングが開始され
アンコールに移っても客の2分の1までしか立ち上がらなかった
だが、それ故にこそ、感動的な…少なくとも私には感動的と思える光景が出現した

周囲が座っている中で、少女達は1人、あるいは何人かで
ある種の決意をして敢然と立ち上がるのである
緊張状態に身を曝しながら、少女達はスタンディング・オベーションを続ける
なかなかいい光景だった。みんな、いい顔をしていた
この時、少女達は疑いもなく、あの『大いなる瞬間』に生きていたに違いないと私は確信している
そしてまた、彼女達の日常生活を一瞬、光り輝かせるロックスター達の栄光を
これほどまでにリアルに感触したこともなかった」…という記述があり

ご多分に漏れず、地方在住の少女だった奥さんに訊ねたところ
「地方とはいっても、大阪や神戸でライブを見てる人が多いから
ほとんど全員が、1曲目から立ってたよ」とのことでした(笑)

まあ、考えてみれば、年間100本のツアーが行われていた頃は
例えば、京都→大阪→神戸→姫路→岡山っていう風に
連日もしくは1日空けて日程が組まれていたと思われ
甲斐さん達が順に移動なさるのと連動して
地元や近隣のファンの方も濃密な1週間を過ごされていたでしょうしね

で、亀和田さんのインタビューに戻りますと…「それから40年経って
今度はもう決してね、それこそ、あのー、そうねぇ…寂しがり屋の、いい年になった(笑)
だけど、少年少女の心はまだ持っている、そういうシニアの人達
それを、ずっとスタンディングさしているバンドと甲斐さんの力…それがね、二重映し
彼らの…そのね、背中や頭やナンか…その体、それ見てるだけでね、それが伝わって来て

…と語っていらっしゃる内に、画面には「8月3日 北海道」とのクレジットと
会場入口へと進んで行く来場者の列や
「8月10日 静岡」のぎゅうぎゅう状態(笑)
「8月12日 神奈川」のライブシーンなどが映り…

「まあ、だから、今日のスターは、あの甲斐さん達…甲斐バンドも今日のヒーローなんだけど
今日見に来て、会場に来てるお客さん…彼ら彼女らが
もう正に、銀幕のヒーロー、ヒロインって感じでね
やっぱり、それはすごいビシビシ伝わって来た
もう、一人一人がナンか『あっ、今日スターじゃん!』(笑)」とおっしゃっていて

ボクは、2階席からご覧になっていても
奥さんの言う、今回のライブハウスツアーならではの「一体感」というか
「ライブを作っている大切な要素」といったものをお感じになったのかなあ?と思ったんだけど

その要素の1人は「亀和田さんの喋り方って
20代の頃の甲斐さんの喋り方をゆっくりにした感じ(笑)」とクスクス(笑)
まあ、その当時は公私ともに深いおつきあいがおありだったみたいだし
口癖とか言い回しが自然と似て来られたのかも知れませんね?(笑)

ともあれ…再び【翼あるもの】のライブ映像が流れ
ホテルらしき場所での甲斐さんのインタビュー
「若い頃って、ロックをやる意味っていうのは、もうホントに恥ずかしいんだけど
自由に向かう、自由への渇望…それしかなくて…

だけど、その…やっぱり年齢を積み重ねて来たら
やっぱ、ちょっとずつ、ちょっとずつ、その意味合いが変わって来て
生きる喜びみたいなのと、ま、躍動感が歌に出ればなあ…歌えればなあ
で、聴いてる人も生きる喜び感じて欲しいっていう…あるんで
そういう風に、どんどんどんどんロックをやる意味が変わって来たと…ね?
まあ、それは、俺たちもこう…少しずつ年を積み重ねて
だんだんだんだん、その生きてる意味合いみたいなものも判って来て…」

…と話されたトコで、バックステージの松藤さんが登場され
「若い頃の自分に見してあげたいなあ…っていう感じで来たから…
同じようなことやってるのに、ここまで深くなっちゃうんだよ…っていうのを…
こんな風にずっとやって行くんだろうなと改めて…(笑)」とコメント

続いてイチローさんも「今日やった曲を、もしまた時々やるとしても
今日のやり方コピーするんじゃなくて
その時の新しい、ナンかこう…ブレンドする方法とか、たぶん見つかると思うし
バンドも様々な部分含めてバンドなんで
そういうことを一緒に信頼できる人間とやれて嬉しく思いますし
岡沢さんも前野さんも強一くんもね

気持ちが落ち着いた時に、ああ、こいつらみんな素敵だなあ
オーディエンスも素敵だなあと思いましたし
そういう瞬間を思わしてくれた、このチームの全てに感謝したいと思います」と結ばれてました

そして再び、甲斐さんのインタビューに戻り…
「自分たちが、一番最初にロックを体現した時に戻るツアーだし
そういう旅だったと思いますね
まあ、そういう意味じゃ、あの…45年…
45年も俺たちは、日本中を旅してる訳ですよね
で、まあ、ちょっと別々になった時期もあったんだけど…
でも、45年だからね、45年もやってるという…
…と今回のツアーを振り返っておられると
ライブの最後にメンバー全員で挨拶なさっている映像が流れ…

「えー、で、まあ、そういう意味では
その…非常に絶妙なタイミングで、このライブハウスツアーがやれたと…
えー、ナンでかって言うと、ま、更にまあ…これを弾みに…更に走れるし
バンドももっとイケるという感じがしたんで
10月の終わりくらいから、ま、やる訳ですけど、更に…今度、ホールツアーね

先をもっと見て…えー、ホールツアーの先は何が見えて来るんだろうと…
甲斐バンドの45周年っていうのが、どういう…ナンか、予感と共にね
えー、次の46年目に向かうんだろう
ネクストはどこだろうというような…楽しみにやり続けて行くことになるでしょうね」

…との言葉をバックに、甲斐さん、松藤さん、イチローさんが並んでおられるシーンが映り
東京公演以降のライブは「駈け足」でハショった感じが拭えないものの(苦笑)
ツアーの流れや、そのエッセンスがぎゅっと凝縮されていて
中身の濃い1時間だったんじゃないかと…?

最初と最後に【翼あるもの】が流されたのは
やはり、甲斐さんが「見たことがない風景にたどり着きたい」
「ホールツアーの先は、何が見えて来るんだろう」など
繰り返しおっしゃった言葉に呼応したものだと思われますが

そういえば、映画「照和」の最後にも
「このライブの後に見えるもの」に言及なさっていたし
かつては「ツアーは暮らし」でいらしたみたいだけど
今の「ツアー」はその名の通り、人生の「旅」のように捉えておられるのかも知れませんね?

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