ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

気になる言葉~番外編3

2019-09-04 19:20:00 | 日記
以前に、亀和田武さんが、大瀧詠一さんの「分母分子論」を取り上げられ
「我らが甲斐バンドに則して語れば
常々、その影響が云々されるのは、ストーンズとスプリングスティーンだ
しかし、ストーンズはグループ名がマディ・ウォーターズの曲名に由来しているというエピソードが示すように

マディの他にもボーディドリー、チャック・ベリーといった
黒人ミュージシャンの影響を受けている訳で
更にそのマディのオッさんは、トム爺さんのブルースの影響を受け
トム爺さんは、アフリカから連れて来られたキンタクンテの歌を聴いて育ち
…こうなるともう手に負えない

おまけに、甲斐よしひろが『翼あるもの』でカバーした
我が国のミュージシャンのリストを眺めれば
ザ・ピーナッツ、キングトーンズ、ジャガーズ、浜田省吾、憂歌団…等々
彼が多少なりとも影響を受けたに違いない
これらのミュージシャンのそのまたルーツをたどって行くと…
確かにルーツ探しは無意味になっている」と記されていたことをご紹介しましたが

…って、過去の自分の記事を引用するのに検索をかけ
ヒットした記事の中から目当ての記事を見つける作業は容易だったものの
その後、開いて読んだ記事を保存したら、再び「公開する」を選択することとなり

今日の、その時刻に「公開」されたような状態に陥り(汗)
「もしや…?」と思い遡ってみると
元々、投稿した日時からは、検索し閲覧した記事がすっぽりと抜け落ちていて
仕方なく、投稿日時を修正して再度「公開」するという手間を取られ
この新しいgooアプリ、ホントにキライ!(笑)

イヤ、たぶん「保存」をかけなければ、こんなことにはならないんだろうけど
「万が一、記事が消えてしまったら…?」という不安は拭えず…(汗)
一度、短いテスト記事でも書いて、試してみるしかないのかなあ?(苦笑)

それはともかく、脚本家の倉本聰さんも…
「一種のパクリはいっぱいありますよ」とおっしゃっていて
「例えば『ゴッドファーザー』の中で
裏切った男が『昔なじみだから助けてくれ』と頼んだものの殺されてしまう場面があったのを
セリフもそのまま自分の映画に使ったことがある」とか

「『また逢う日まで』という映画は、16回観て
セリフをほとんど暗記している
だから何かのはずみに、それがひゅっと出て来たりする」と
過去の作品から大きな影響を受けておられることを明かされてますけど

最近、話題になったのは、芥川賞候補作の1つだった
古市憲寿さんの小説「百の夜は跳ねて」が
選考委員の皆さんからの厳しい評価にさらされた件(汗)

高層ビルの窓ガラスを清掃する青年を主人公とした物語の参考文献として
文末に、木村友祐さんの小説「天空の絵描きたち」が挙げられていたそうですが

作家の山田詠美さんは「古典ではない小説が参考文献であることをいぶかしみ
読み比べると、候補作より、はるかに面白い
剽窃には当たらないが、もっとずっとずっと巧妙な何か…
それについて考えると哀しくなって来る」と評され

吉田修一さんは「盗作とはまた別種のいやらしさを感じた」とコメント
川上弘美さんも「木村友祐さんの声が、そのまま『百の夜は跳ねて』の中に消化されず
ひどく生のまま響いていると強く感じてしまった
ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為」と指摘なさってます(汗)

ただ、古市さんから「高層ビルの窓拭きの人を主人公にしたい」と提案された編集者の方が
清掃経験がおありの木村さんに「ベテラン職人」の紹介を依頼なさって
木村さんは、ご自身の小説を書かれた際の取材相手の方を紹介され
更に、ご自身もその取材に立ち合われたみたいで
「『窓拭きが落ちて死ぬ』というエピソードなどの細部が似るのは
同じ人から取材したからだし、実際に事故で亡くなる人もいるから仕方ないんです」と説明

当の古市さんは「参考文献に関しては、影響を受けたもの全てを挙げたい
評論も小説も、執筆の手法や姿勢は同じで
小説だから、自分の内なる声で…とは思っていない
木村さんにもインタビューして、生々しいエピソードを聴いているので
木村さんの声は、僕の作品の中に響いています

同様に、小説の執筆中には、過去に出会った何十人の声にも耳をそばだてていました
評論も小説も、先人への尊敬を忘れないで書いて行きたい」と話されていて
その点に関しては、亀和田さんや倉本さんのおっしゃるように
過去に影響され、ご自身の中に取り込んで来られた様々なものから作品が生まれた

…と理解できるんだけど、じゃあ、そもそも
「高層ビルの窓拭きをする人を主人公にしたい」と思われた理由の1つに
木村さんの小説が含まれるとしたら
「影響を受けた」というのとは、ニュアンスが違うというか
アイデアからして「まんま」って、おかしくね?(汗)

そうではなく、アイデアを思いつかれた後で
木村さんの作品をお読みになったとしても
その当の木村さんと、木村さんが取材された方のお話をお聴きになった時点で
アイデアにヒネリを加えるなり、別の職業に置き換えるなり
何かしらのアレンジを試みるという選択はなかったのかなあ?

確かに、木村さんの作品を「丸写し」なさった訳じゃなく
あくまでも参考文献として書名も公表されているとはいえ
昨年の芥川賞では、候補作の1つに
複数のノンフィクション作品と類似した表現が見受けられ
しかも、参考文献の記載がなくて問題になったという経緯があり

意地悪く勘ぐれば、文芸誌に掲載されただけで
単行本化はされていない木村さんの作品を
参考文献に挙げないつもりで、執筆されたんじゃないか?…とも考えられる訳で(失礼!)
選考委員であり、また作家でもある皆さんが
厳しい評価をなさっているのも
「オリジナリティ」に違和感を覚えられたからだと思われます
まあ、音楽と違って、小説には、コピーやカバーに相当するものがないですしねぇ(苦笑)

もっとも、文芸評論を手がけておられる東大の阿部公彦教授は
「世界に耳を澄まし、言葉にして行くのが小説家の仕事
オリジナリティがどうでもいいとは言わないが
簡単に良い悪いとは言いにくい」と評され

「2人の選考委員が『かなしい』という言葉を使ったのは
メディアで知られ、耳に届きやすい言葉を発する古市さんの作品に比べて
愚直なまでにストレートな木村さんのオーソドックスな良い小説が
『損をしている』と感じたのではないか

書き手である委員が、いわく言いがたい『えぐみ』のようなものを指そうとして
言葉になりにくいところにたどり着く
これ自体が小説になりそうな文学的な出来事です」と付け加えていらっしゃるんだけど
古市さんには、ぜひ次作のテーマに取り上げて頂きたいなあと…(笑)

コメント
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