ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

INVITATION(5/29)その7

2021-06-30 15:09:00 | メディア
「非情のライセンス」のライブシーンが終わると
「甲斐バンドとして、昭和、平成、令和と
共に歩んで来たメンバーが今思うこと」というナレーションが流れ
「現在進行形の甲斐バンド」というクレジットが出て、イチローさんが登場

「もちろん、あのー、共通項があって、バンドは組んだりするんですけども
カッコ悪いもの、カッコ良いもの…というような解釈が
どっかで共通してるから続くんだろうなと思いますし
『えっ!?お前、コレ好きなの?俺、キライだけど』『お前オカシイ』とか
そういう冗談で言ったりしますけど、ナンかそういう…ナンだろね

あのー、自分がこう…ビビッと来るようなものが一致してる部分があるから
その『甲斐バンド』って、くくりかどうか別にして
ミュージシャン同士で…あの…今やってるメンバーもそうですし
甲斐バンドの仲間、サポートやってくれてるメンバーもそうですけども
えー、一緒にもっと組み上げて行けるんじゃないですかね」と語られ

続いて松藤さんが…「まっ、甲斐バンドがないと
今、自分の周りにあるもの全てないと思うんですね
えー、甲斐バンドとして東京に出て来たのが1974年…何年前だよ!?みたいな話ですよね

甲斐バンドに入っていないとすると、福岡にいて、今と全く違う人生だったと思うんですけど
僕、やっぱり、今の人生、大好きですから…
で、そこのベーシックに甲斐バンドがあって…
そうやって出て来てて、で、いまだに甲斐バンドやれてるって
ちょっとイイなあ、カッコイイなあと思います」

…と、おっしゃっていて「オリジナル甲斐バンド」ファンの我が家の住人は
メンバー4人で共同生活を送っていらした頃の甲斐さんが
慣れないドラムの練習に疲れ、帰宅してすぐに眠ってしまわれる松藤さんをご覧になって

「ああ、俺はこいつをここまで連れて来て良かったのかなあって
複雑な気分になったりしたよ、よく…
でも、そんな時、すぐに俺は『こいつらを絶対、一生食わしてやれるくらい
このバンドをビッグなバンドにしてみせるぞ』って、本気で思ったもんね、やっぱり」

…と考えていらしたことを思い出したらしく
「他人の人生変えちゃったんだもんねぇ」と
弱冠21歳の若者の肩にかけられていた重責を思ってウルウル(苦笑)
もちろん、今でも甲斐バンドが活動を続けて下さっていることには感謝しかないみたいです

さて、映像はまたスタジオのトークシーンに戻り…
古舘さんが「甲斐さん、変わり続けていれば若くあれるって
47年目なんて、絶対時間を感じさせないんですかね?」とお訊ねになり
甲斐さんが「フォーエバー・ヤング?ディランも歌ってますよね」とお答えになると

「フォーエバーですよ!ホントにそう思う!
甲斐さん、走ってるからかな?止めないからかな?」と返され
「どうですかね…イヤ、それはちょっと自分では測りかねますね」という甲斐さんの言葉に

「初めてですよ!今日『どうっすかね』つったの
全部、答え出してたから、甲斐さん、もうホントに…」と驚かれてましたが
「いつまでもお若いですね」と言われても
「あ、どーも…」くらいしか応えようがないでしょうし…(笑)

ちなみに…ディランの「いつまでも若く」は「息子を想って書いた」曲らしく
見た目の若さというより、好奇心や情熱、喜びや感動などを失うことなく
いつまでも成長し続ける人間になって欲しいと願ったものだそうで
甲斐さんがずっと心がけていらっしゃること、そのまんまって感じですね?

それはともかく…「ただ、こういうコロナの…コロナ禍の中において
やっぱりもう完全に普通の日常とは違うじゃないですか」と甲斐さん
「だから、やっぱり表現するのも、ホントに貴重な時間を貰って
割いてやってるって感じがすごいするから
僕も、コロナ(禍)になってから初めて、あの…動画配信したんですよ

で、それは『嵐の季節』っていうのと
それから『破れたハートを売り物に』っていう曲(を配信)したんですけど
やっぱり、それはもう、そういう…ナンて言うんですかね?
その隙間っていうか、その『ここの部分でしか発表できない』
『この部分でしか表現できない』っていうの、嗅覚としてね、見つけつつ
もう割りと早目にすぐ動画配信したんですけど…」

…と話されている時に「破れたハートを売り物に に込めたメッセージ」とのクレジットが出て
「『破れたハートを売り物に』っていう曲も、自分で、そのリモートしてる時に
その一節の中に『生きることを素晴らしいと思いたい』って、一節があるんですけど
『あっ!これを歌いたかったんだな』と思ったんですよ

…って、元々「これを歌いたいがために」お作りになった曲だそうですが
この配信に関しては、そもそもkainatsuさんが、甲斐さんへの誕プレとして贈られた動画に
ビルボードメンバーのお二方と松藤さんが参加なさるという形で出来たものだし
「あっ!これを歌いたかったんだな」というのは、kainatsuさんに対するお言葉ですよね?(笑)

ともあれ…甲斐さんが「『生きることを素晴らしいと思いたい』って
こう…まっ、自分でよく書いたなと思うんですけど
周りを信じて、自分を信じて…自分の勇気を信じて…っていうことじゃないですか
で、そこで、ナンとかみんなで、あの…生き延びるっていうことって
すごいそういう思いって大事だなと思ったんで…」と、おっしゃると

古舘さんは「甲斐さん、やっぱり、そしてバンドはずーっと
これからも旅を続けて行くんですね」と返され
「まあ、そうですね、ナンか…まあここ…ホントにこの10年
ナンか色んな意味で濃厚な10年になってるんで、面白いですね」という甲斐さんの言葉で
「旅の途中経過、また知らせて下さい、私たちにね」とクロージング

ライブシーンの収録後に、2時間半かけて撮られたという、このトークシーン
未公開映像を動画配信して頂けませんかね?(笑)

そして、その「破れたハートを売り物に」のライブシーンでは、お色直しされた甲斐さん(笑)
ビルボードツアーのMCでネタバレなさっていた通り(笑)
鈴木健太さんが、松藤さんのお隣でコーラスに参加されていて

甲斐さんが真似なさっていたという「足を踏ん張って」おられる鈴木さんの立ち姿に
「健太くんって、ホント、いつも真面目だよね」と奥さん
赤レンガ倉庫での「ギャラなし(笑)」飛び入り参加に期待しているみたいです(笑)

ライブシーン終了後…「2012年に世界遺産 奈良・薬師寺で行われ
実に29年ぶりとなったファン待望の野外ライブ
悠久の空間に日本屈指のサウンドが融合した、奇跡の時間をお見逃しなく!」と
「Absolute 薬師寺ライブ」のオンエア日時と

「甲斐バンド45周年のフィナーレを飾るライブをWOWOWにて独占生中継
伝説のナンバー『100万$ナイト』を冠した、この一大野外イベントが
1年の公演延期を経て、いよいよ開催!」と赤レンガ倉庫ライブの告知があり、録画映像終了♪
1時間ガッツリの甲斐バンド、見ごたえがございました!

余談ですが…「収録現場レポート」の最後には
「次々に演奏されるのは、過去の大ヒット曲ばかり。だが、決して懐メロには感じられない
『俺もメンバーもそんなつもりはない』と甲斐は言う
『ダイナマイトが150屯』も『翼あるもの』も、確かに今の歌として響いて来る。何故だろう

極めつけは『破れたハートを売り物に』だった
人間の肉声のコーラスと、コンピュータで編集されたリズムトラックで聴かせるこの曲は
『現在進行形の甲斐バンド』を雄弁に表現していたのだった
コラボでも甲斐バンドは現在のバリエーションを示す

『安奈』は、押尾コータローのアコースティックギターの澄んだサウンドを得て
繊細なラブソングに生まれ変わった
『かりそめのスウィング』は、チャラン・ポ・ランタンの
アコーディオンとボーカルハーモニーが加わって妖しさを増した
『どちらも狙い通りだったね』と甲斐

その昔、デヴィッド・ボウイは『ロックは自己表現だ』と断言した
当時のイギリスでは、若者の音楽を背後で大人たちが操っていたが
それに飽き飽きした者たちが、自分たちの手で
自分たちのポップカルチャーを作ろうと始まったのがロックだった

その原点を甲斐は今も実践し続けている
作詞作曲はもちろん、アレンジや照明、コラボやカメラワークに至るまで自分で演出する
そんなロックの醍醐味が、ぎっしり詰まった収録となった

そして、古舘がこの日の現場で感じたことを
トークセッションで遠慮なく甲斐にぶつける
対して甲斐は真正面から応え、2人の会話はどこまでも深まって行ったのだった
こうしてスリリングでゴージャスな第3弾が完成した
期待に胸を膨らませて、オンエアを待って欲しい」…と記されていたけど
ボクが、こんなに長々と書いたことが虚しくなるくらい、まさにその通りの内容でした(笑)
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INVITATION(5/29)その6

2021-06-29 15:35:00 | メディア
「ニューヨークでのレコーディング」については、甲斐さんだけでなく
甲斐バンドのメンバーお二方にもインタビューされていたようで
いきなり松藤さんが登場されて、ちょっとビックリ!

松藤さんは「ニューヨークで判ったこと①良い音が録れてると、洋楽の音になるのね
リミッターなんかのかけ具合やEQの仕方で出来てるんだな…みたいなことが判って
それはビックリしましたですね、ええ…
あっ!こうやって良いんだ!?やるんだ!?って…」と、おっしゃってましたが

初めてパワーステーションに行かれ、ボブが最初にミックスした
「観覧車'82」をお聴きになった時に
「ワシの太鼓がロキシー・ミュージックになってしまった!」と驚かれたんですよね?(笑)

一番判りやすいのは、ミックスダウンに使ってたスピーカーが
えー、ヤマハのNS-10Mっていう、そんなに贅沢ではない
このくらいの…(と両手で大きさを示され)…程度のスピーカーが2個あって
死ぬほど音が良いんですよ、それが…で、みんな、えー、それを真似して
10Mを日本で買っても良い音しないんですよ、やっぱり…」と話され

続いて、イチローさんが…「まず、行くにあたって、言葉で説明してもしょうがないと…
だから、まず、あの…最初、ミックスダウンで行った訳ですね
だから、日本でレコーディングして、演奏と歌を…
で、向こうに持って行って、その各トラックをボブが聴いて
ミックスダウンをするっていう作業だったんですけども…

だから、こういう音にしてくれとか、こういう傾向とか、こういう風にしてくれじゃなくて
彼がこの全てのトラックを聴いて、どういう風な反応を示すか…っていうようにして行ったんですね
それが非常に楽しくて、とにかく考えられないから
1トラックずつ全部リミットアウトして行ったりって、ホントに自分の好みの音にするんですよ

でも、普通、そんなこと20何トラックもやったら絶対、飽和状態になるのに
ナンか綺麗なパズルに仕上がって行くんですよね
それをやって、どう変わったか?っていうと
こういう音の仕上がりになるんだっていうイメージでギターを弾いたり、アンプの音を作ったり
次のステップに行くような音の張りというかね、そういうの感じましたね」

…と、おっしゃってましたが、デジタルで作業すると
部分的な修正やバージョンを増やすのが容易になるため
細かなテイク違いが数多く生まれたりする曲もあったみたいで(笑)
それらを全部メモに残す「記録係」を担当なさっていたんですよね?(笑)

ともあれ、ここで映像はスタジオのトークシーンに戻り…
甲斐さんが「ニューヨークに行って、ホントに良かったと思うのはね
ボブとアルバム3枚作ったあとに、今度はその他のエンジニアとも、みんな作るんですけど
みんなとやっぱ仲良くなれたことですね、それが良かった」と話されているのをバックに
パワーステーションで撮られたとおぼしき写真が数枚映しだされ

古舘さんが「レコーディングスタジオのあれこれのスゴイ話と
それと、その…甲斐さん、よく言いますね
ライブっていうのは、まっ、肉体性なんだと…
ナンか、そういうことと重なって来る部分…」と言いかけられたトコで
甲斐さんが「イヤ、もちろんそう…あのー、イヤ、結局…」とカットイン(笑)

「『ハートは熱いけど、脳ミソは冷静じゃないと…』っていう表現があるじゃないですか?
…で、ライブって、まさにそうなんですよ
そのライブに出て行くための一番元っていうのが、しっかり、ちゃんとしたレコーディングの
良い作品のアルバムを作って、それから、ライブに行くっていう…
それが一番大事なことだと思うんで…」と話されてましたが
最近は「セットリスト予告」のために、アルバムをリリースなさってるような…?(失礼!)

続いて…「ライブで最大限のパフォーマンスを尽くすため、作品作りにとことんこだわる甲斐…
その思いはカバー曲にも…」というナレーションと共に
画面には「甲斐よしひろ名義も含む」の文字と
甲斐バンドが、カバーして来た曲のタイトル…

朝まで待てない/ザ・モップス、駅/竹内まりや、OH MY LOVE/ジョン・レノン
花・太陽・雨/PYG、グッドナイト・ベイビー/ザ・キングトーンズ
今宵の月のように/エレファントカシマシ、霧雨の舗道/加山雄三、恋のバカンス/ザ・ピーナッツ

別れましょう私から消えましょうあなたから/大黒摩季、八月の濡れた砂/石川セリ
赤い靴のバレリーナ/松田聖子、裏切りの季節/ザ・ジャックス
くるみ/Mr.Children、マドモアゼル・ブルース/ザ・ジャガーズ…
そして「カバー曲について」とのキャプションが映り

その中の1曲「恋のバカンス」が流れる中
「甲斐さん、カバーするじゃないですか、色んな人の…
ちょっと、それについても訊いてみたいんですけど…」と古舘さん
甲斐さんは「ハイ、70年代の…78年くらいですかね?77年か78年…
あの…ナッシュビルに1人で行って、カバーだけのフルアルバム作ったんですけど…

僕、知らなかったんですけど、その時は…
僕が一番最初に…日本で一番最初にカバー曲のフルアルバム出したの
僕が一番最初らしいんです、あとで知ったんですけど『えっ!?』って…
それは、もうナッシュビルに単身行って…
で、プレスリーとかニール・ヤングとかディランとか
やってるミュージシャンたちをセレクションして、行ったんですけど…」と話されていると

「翼あるもの:甲斐よしひろ初のソロカバーアルバム 1978年リリース」とのクレジットが出て
「ナンかね、もう(メンバー)みんなね、すごく…それなりにバンドがデカくなって
ちょっと、こういう…(と、鼻の先に握り拳を添えられ)…感じだったんですよ
『お前!そこまで上手くないからな!このバンド』
…っていうのが、僕、ちょっとあって…余計なお世話なんですけど(笑)

イヤ、もう、1人で…あの…『ナッシュビル行って、良いメンバーと作るから』って言って
それが、すごく逆に良い折り返しになったんですね
バンドにすごく…すごい大変な刺激になったと思います
カバーって大事なんですよ、やっぱり…あのー、コピーと創造って切り離せないから」

…と、おっしゃってましたが「コピーと創造」というフレーズに聞き覚えがあり
「ナンだったっけ?」と思ったら「九州少年」の「プロレス」という章に…
ビデオはもちろん「専門のプロレス雑誌なども全くなかった時代」
アントニオ猪木さんの卍固めを初めてご覧になって

「町内の連中みんなで技の解釈を試みた
情報量がない時代というのは、ものすごい集中力とイマジネーションを生む
この時に培った『瞬間に記憶して技の完成に繋げる』というのは
現在の音楽という表現にものすごく役立っている。コピーと創造だ」と記されてました(笑)

古舘さんが「徹底的に『この歌イイ!』と思って、聴き込んだ曲しかカバーしないんですか?
それとも…」とおっしゃったトコで
「イヤもう、自分が小っちゃい時からずーっと好きで、頭ん中で何十回も歌って
『好きだな』と思う曲だけをやったんです」と甲斐さん

「繰り返し繰り返し聴いたものだけを…?
『非情のライセンス』をやろうっていう、その始まりは何ですか?」という古舘さんの質問に
「僕ね『キイハンター』のあの曲、すっごい好きだったんです、ずーっと…」と返されたトコで
「野際陽子 非情のライセンスのカバー」とのクレジットが出て

「誰もやらないんですよ、見てても…見てて…
で、アレ、野際さんがアノ曲だけ歌ってんですよね
野際陽子さんは、アノ曲しか歌ってないんですよ。完全に無国籍で、素晴らしいんですよ

実は、それをレコーディングして、2ヶ月後か3ヶ月後くらいに、僕、ニューヨークに行ったんですね
そしたら、その時、野際さんが亡くなられて…これ、何かの縁だなと思って…」

…で、その「非情のライセンス」のライブシーンでは
松藤さんが、珍しく?イチローさんのお隣(上手側)に立たれ
アコギを担当なさっていること以外は「HEROES」ツアーと同じ布陣でしたが

自称「ベース好き」(笑)の奥さんは、赤レンガ倉庫ライブも同じステージセットなら
「センターから、やや下手側の席がイイな♪」と言ってたんだけど
先日届いたチケットの席番を見る限り、どうやら、やや上手側だったらしく
「同じ列のちょうど反対側辺りの席に、イチローさんファンの人いないかなあ?」と申しておりました(笑)

でも、1年延期になってもキャンセルはしなかったとはいえ
「ホントにチケットが届くのか?」と心配していたようで、無事に現物
それも、今年の日付とタイトルが印字されたもの…を手にして、ホッとしたみたいです(笑)
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INVITATION(5/29)その5

2021-06-28 14:09:00 | メディア
甲斐バンドとチャラン・ポ・ランタンのコラボが終わり
古舘さんが「1979年っていうのは、甲斐バンドにとって、大変な節目だったと思うんですよ
他にもエポックはいっぱいあると思うけど…」と振られると
「1979年の甲斐バンド」というキャプションが出て…

甲斐さんは「まあ…『HERO』が売れて…っていう感じですよね
(『で『安奈』があって…』と古舘さん)
まっ、その…武道館が…始めたりとか、そういう…相当ナンか、色んなことが起きてますね」
…と公私共に激動でいらした年を思い出されているご様子?

古舘さんが「1979年の、その1月1日になる…
年が変わる…つまり、夜中の0時、12時ですよね
その時に、テレビの民放各局全て…NHK以外
公共放送以外の民放全てが…」話し始められたトコで
甲斐さんが「ピッピッピッピッピッ!って(12時に)なった瞬間に
一斉にコマーシャル…」と人差し指で秒針を表され

その件のCM…スプレー缶を手にされた甲斐さんが
「HERO」の文字を描かれるパターンのヤツ…が流れ
「今、ヒーローは誰か?」というナレーションをバックに
オリジナル甲斐バンドの皆さんが映って奥さん萌え~♪(笑)

「アレはもうスゴイです!スゴかったですね、ホント…
何十億のプロジェクトだと思うんですけど…
それを全て僕ら…僕に任せて貰える訳じゃないですか
でも、それは有り難かったですよね、そんな何十億のプロジェクト
『イヤ、書いて下さい』と言われたんで…」と甲斐さん

当時の甲斐バンドは、ライブの観客動員数は増えていたものの
「ヒットチャート1位」というタイトルはまだ手にされておらず
このタイアップに懸ける意気込みを「来年、俺たちは1位になります!」との言葉で表され
賛否両論ある中、当夜は、緊張と高ぶりを抱え、お一人で公共放送をご覧になっていて
危うくそのまま年を跨いでしまわれるところだったんですよね?(笑)

「HEROの世界観」というキャプションの下
古舘さんが「僕はもう、アレは自分の中でこびりついて離れないですよ、ヒットしてから…
『HERO』で『人生は路上のカクテルパーティー』って、よくぞ出ましたね」とおっしゃると
甲斐さんは「あと『痩せっぽちの俺たちが見えるだろう』って歌詞なんですよね
『HERO』で言いたかったこと、その2つなんですよ、そうなんです」と返されてましたが

「HERO」のこのフレーズと「破れたハートを売り物に」の
「生きることを素晴らしいと思いたい」という歌詞を挙げられ
「歌っていうのはホントに言いたいところ、実際2行くらいしかない
その前後の歌詞は前菜・後菜?でしかない(笑)

これを歌いたいがために、膨大な作業をしてるみたいなところがあって…
ま、アホだね(笑)ホント、こんなことやってる人は…
そのアホさ加減がまた、たまらなかったりするんだけど(笑)」と話されてましたよね?(笑)

ともあれ…「『人生は路上のカクテルパーティー』っていうたまらなさ!」という古舘さんの言葉に
「絢爛たる美がありつつ、でもそれが路上じゃないですか
(『そう!そのミスマッチ!で、しかも、やや刹那的なね
カクテルだけでね、終わっちまうみたいな…』と古舘さん)

そう!僕、その時代を制してる人たちって
その時代で一番速い疾走感がある人たちだと思ってるんですよ
その時代一番疾走感があるアーティストこそが
一番その時代を制することが出来ると思ってるんで…
それ絶対…その時、僕ら、たぶん相当疾走感があったと思うんですよ」
…と、当時よく口になさっていたという持論を披露なさってましたが

当時の奥さんは、その「HERO」より更に疾走感が増した「感触」
そして「漂泊者」というシングルリリースの流れや
甲斐さんの発言、ライブパフォーマンスなどを見聞きして
「この人は生き急ぎ過ぎてる」と心配したらしい(苦笑)

それはともかく…「結局、成功したヤツの話なんて面白くないじゃないですか
今から…今から勝ち取りたいと思ってる
アクション起こそうとしてる者の話を書かないと…」
という甲斐さんの言葉がQ代わりとなりライブシーンの「HERO」へ…

松藤さんと上原さんのツインドラムに、岡沢さんのベース
「世田谷区に7人くらいいる(笑)」というマック清水さんのパーカッション…って
このリズムセクションは、1986年解散の「パーティー」ツアーの再現らしく
奥さんは「そういえば、岡沢さんは薬師寺ライブで復帰したんだった…」と遠い目(笑)

メンバー紹介の時に、甲斐さんが「帰って来てくれた!」と
嬉しそうになさっていたのを思い出したみたいだけど
今年、復帰された上原さんのことは、あまり印象に残っていなかったようで(失礼!)
リズムセクションどーのと言うより、ただベーシストの方が好きなだけなんじゃないかと…?(笑)

その「HERO」のライブシーンが終わると「ニューヨークでのレコーディング」について…
古舘さんが「甲斐さんさ、あのー、ニューヨークでのレコーディングに…
10年以上かなあ?結構こだわっていて…
僕なんか素人だからホンットに訊きたいんですけど
ニューヨークでレコーディングする根本ってのは?」と質問され

甲斐さんは「あのー、日本だと、僕らが欲しいリバーブ…エコー
僕が欲しいリバーブが、日本だと、それがナカナカ出来なかったんですよ
欧米諸国は、スタジオって大抵エコールームが別にあるんですけど
スタジオと別にエコーのための部屋って用意されてて…

それで…それが反響してナカナカ良いエコーが…リバーブが出来るんですけど
日本は、そういう…ナンての?贅沢な造りじゃないから、スタジオが…
だから全部、機械で作るんですよ
やっぱり、ふくよかで豊かなリバーブは手に入らないんですよ
それでもう結構、僕らは…それで僕は限界に来てて…

ある時に…まっ、これ、ホントにもう偶然なんですけど
あのー、その日、自分の車じゃなくて、タクシーでジムに行ったんですよ
そしたら、えーと…ストーンズの新作ってのがかかって…
まっ、それ『タトゥー・ユー』ってアルバムから『スタート・ミー・アップ』って言って
これはまあ、ビルボード1位になるんですけど

『スタート・ミー・アップ』かかって、強烈にナンかイイんですよ
強くて、良いリバーブだなあと思って…
で、夕方、ジムを終えて、またタクシーで帰って来る時に
えー、ロキシー・ミュージックの『アヴァロン』っていう曲がかかったんですよ
だから、タクシーだから、こういう…スピーカー小っちゃいじゃないですか
フツーの…ただの民生機だから…

その『アヴァロン』もスゴイ!ロキシー・ミュージック最高!で『なに?』って調べたら
これ、全く同じエンジニアなんですよ、ボブ・クリアマウンテンっていう…」
…と渡米なさるきっかけとなったエピソードを披露されたトコで

「ボブ・クリアマウンテン:サウンドエンジニア
ローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーン
ブライアン・アダムスらの作品を担当
80年代サウンドのひとつのモデルを作り上げた」というクレジットが出て

「『ああ、もう彼しかいない』と思って…
まっ、結局、その彼は80年代の時は『ほとんどボブがやる』くらいのね
『80年代は彼』みたいな存在になって行くんですけど…まあ、オファーをして
で…『破れたハートを売り物に』っていう曲のデモテープを送って
で、1ヶ月…1ヶ月か2ヶ月くらいですかね?かかったのかな?…で、やっと、あの…OK!」

…って、最初は、どうすればボブとコンタクトが取れるのか判らなくて
ナカナカ大変でいらしたみたいですが
その時の甲斐さんは「破れたハートを売り物に」の出来映えに納得されておらず
「やりたいことと、やらなければいけないことが判ってるのに
どこで誰とやっていいか判らない、そんな状態が続いてたからね

18ヶ月間ずっと、新しいスタイルをやろうと思っていて
『破れたハートを売り物に』が漸く出来たわけ
でも、チャートは50位どまりだった…怨念というより、意地だよね
でも、ボブが、僕らのテープを聴いて『破れたハートを売り物に』が良いって言って
この仕事が始まった訳だから…」と、18ヶ月間悩んでおられたことを思えば
もう誰とどこで何をすればいいのかが判ったから、ずいぶん楽になった
…といったことをおっしゃっていたらしく

当時の奥さんは、デビュー間もない頃の甲斐さんが
バンドの在り方はもちろん、レコーディングのやり方など諸々の試行錯誤をなさっていた時も
「福岡にいた頃に比べると格段に幸せだよ、目の前にレールがあるんだから
そのレールに沿って、1歩1歩確実に進んで行けば、確実に栄光は手に入るんだからね

福岡にいた時代…つまり、そのレールの見えない時代
手探りで必死に探していた時代の方が、辛いと言えば、一番辛かったよ」
と、話されていたことを思い出したんだとか…
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INVITATION(5/29)その4

2021-06-27 14:55:00 | メディア
ビルボードツアー仕様の甲斐バンドと押尾コータローさんのコラボによる「安奈」が終わり
「やっぱイイですねぇ!もう押尾さんも誰も彼も甲斐さんもみんなイイわ!これ」と古舘さん
甲斐さんは「だから、この番組のね、このプログラムのためにちゃんと
こう…しつらえて来ました!っていう感じで…(笑)」

…と、おっしゃってましたが(笑)「収録現場レポート」にあった通り
「現在の甲斐バンドの活動形態そのもの」である2組の編成…
フルバンドとビルボードセット…を用意なさって
「『甲斐バンドの今』を伝えようと考えて」いらしたんでしょうね?

ともあれ…「押尾コータローの魅力」というクレジットが出て
「押尾くんねぇ、ナンかちょっと終わったあとに、2人で酒飲んでたりすると
ナンか、泣いてくれるんですよね、感動して…
どうして…どうして涙…泣いてる?って…(笑)
ナンか、ああいうのイイな、ホント、申し訳ないんだけど…

ナンかこう…すごい…音楽のことじゃなくて、表現として
あの…熱中して話せる相手ってイイですよね
僕、最後は…表現の…表現って、最後はもう人間性だと思ってるんで
そこがやっぱり、スゴイとかイイとかっていうことは、長く保ちますよね」と甲斐さん

長いキャリアの中で、著名人の方から「ファンです!」と言われることは数多おありでも
「本当の本物」…いわゆるガチのファンかどうかは、また別の話…と思っておられたそうですが
押尾さんに関しては、まごうことなき「ガチ中のガチ(笑)」と得心が行かれたみたいで

…って「MEETS」のオファーに対し「甲斐さんの気が変わらない内にOKした(笑)」とか
「たとえ気が変わって、この話がなくなったとしても、声をかけて貰えただけで幸せ」とか(笑)
ライブ中にステージ袖で出番待ちをなさってる時に
「観客の皆さんと一緒に拳を突き上げながら歌ってました(笑)」とおっしゃったり(笑)

ツアーが折り返した辺りから「あと残り◯本…寂しい…」とツイートされ
ツアー最終日には、開演前から涙ぐまれ、ラスト曲が終わった途端に
ポロポロと涙腺が決壊なさってしまうような方が
「社交辞令ファン」の訳がないですよねぇ?(笑)

それはともかく…古舘さんが「甲斐さんの詞で言うと
こう…引っかかるもの、いっぱいありますよ」と、おっしゃったトコで
「甲斐よしひろが紡ぐ歌詞」というクレジットが出て

甲斐さんが「歌詞としては、ナンかあんま、みんなが書かないようなね
当然もう毎回、衝撃的なのをこう…毎回狙うんですよ
それで毎回毎回、上手く行く訳じゃないんですけど…

僕、あの…メロディ、最後まで書かないんですよ
最初の4小節か8小節書いたら、詞をバーッと、それ(に)当てて
詞が先に追い越して行ったりするんですよ
だから、同時になって行ったりっていうのは、そういうことですね
(『うわあ!詞が追い越すって、どういう感覚なんすか?』と古舘さん)
もう筆が止まらない…ちょっと自動書記風になる…

(『で、曲半ばなんですね?まだ?』)
詞が行っちゃったんで、メロディがこう…追いついて行く、みたいな…
(『曲が、ちょっと待って!待って!と追いすがって行く訳だ』)
そう!そう!(笑)それが、一番良い時ですよね」
…と曲先なのか?詞先なのか?渾然一体となった(笑)曲作りについて語られると

古舘さんは「うわあ!じゃ、例えばですよ、例えばクリスマスシーズンの歌とか…
クリスマスソングかなと思うんだけど『かりそめのスウィング』あるじゃないですか
これね、詞がまたスゴイんで、ちょっといいですか?用意したんですけどね」
…と、お背中とお掛けになっているソファーの背もたれとの間に置かれていたメモを取り出され

「私、これを改めて見た時に、甲斐さん…
叙情的な甲斐よしひろの詞じゃなくて、実況描写に見えたんですよ!これ、出来るんですよ
『ジングルベルに街が浮き足立った夜であります
人の声と車の音が飛び交う中、ニュースは不況を謳い、街には人が溢れています』
…って、描写になってるんですよ!」と「報道ステーション」風にナレーション(笑)

甲斐さんは「イヤ、それ、全くそうなんですよ
(『そういうことでいいんすか?』と古舘さん)
そうです。僕、そういう描写から入りたかったんですよ
そいで、そのあとに心情的なのがパッと…
だから、あの…カットが変わって来て、みたいな…」と返されてましたが
「ブルー・レター」の歌詞をお書きになる際には
よりハードボイルド小説風な情景描写に力を入れていらしたんですよね?

古舘さんが「『そしてあいつは舞い戻って来た』…イヤ、これは印象に残る!
これ、だって、この冒頭部分から始まるのは、村上龍さんの短編小説かと…?」と振られると
「村上龍も短編で、あの引用してくれたりとか…まあ、ありましたね」と甲斐さん

「かりそめのスウィングの歌詞」というキャプションの下
「やっぱり、あの…映像的なんですよね、そういう…その情景描写が入る方が…
(『もう、あの街の雑踏が聞こえて来る…?』)
そうです、僕、そういうのが書きたくて…22(歳)の時に書いたんですけど…

だから、ナンかすごい…そういうナンかこう…
ナンての?自分の中で、ちゃんと自分をこう…
ナンて言うんですか?斬り込んで行くっていうか…
その新たな自分を作って行かないとダメだなっていうのは、いつもありましたけどね」と明かされたトコで

古舘さんが「この『かりそめのスウィング』…(をコラボなさる)
チャラン・ポ・ランタンって、ものすごく親しいんですか?」と質問
甲斐さんは「ハイ…イヤ!えっと…そうじゃないです、今回初めて…
僕、ずっとでも、何年も前からすごい興味があって、すごい好きだったんです」とお答えになり

古舘さんが「やっぱ、目のつけどころが…」とおっしゃった辺りで
「チャラン・ポ・ランタンとのコラボ」というクレジットが出て
「イヤ、あのユニット最高だなって、ずっと思ってたんで…」と話されてましたが

ビルボードシリーズの2代目フィドラーでいらしたベチコさんのことを
「チャラン・ポ・ランタンと共演したりして
演劇的な要素を含んだ音楽もやって来ているプレイヤーです」と紹介なさってましたよね?

古舘さんが「スゴイですよね、面白いですよね
じゃあ、それで(一緒に)やろうって声かけて…初めてのことなんだ?
チャラン・ポ・ランタンのどういったところが面白いっていう風に…?」とお訊ねになり

「イヤやっぱり、僕と一緒で、ある種ちょっと頽廃的な匂いもあって…
デカダンスがあるんですよ、僕もそれあるんで…
その中で一番繋げられるのは?…って思った時に
『かりそめ』だったら、絶対できる!って思ったんですよ」と返されたトコで
チャラン・ポ・ランタンのお二人との「かりそめのスウィング」へ…

押尾コータローさんとのコラボに続き、甲斐バンドのメンバーお二人に
鈴木健太さんと木村将之さんというビルボードツアー編成に
今度は、ドラムの上原ユカリ裕さんが加わられ
甲斐さんは、アコーディオンの小春さん、ボーカルのももさんという両手に花状態(笑)

ただ、確かに甲斐さんがおっしゃった通り、野に咲く白い清楚な花というより
艶やかさの中に、ちょっと小昏い感じのする花って印象で(…って、これ褒めてます!(笑))
「大正ロマン」みたいなというか、昔のサーカス団っぽいというか
少し不健全な影の部分が蠱惑的で心惹かれますねぇ(笑)

押尾さんとのコラボや「かりそめのスウィングツアー」でのジャズセット
去年のビルボードツアーで演奏されたものとも、また一味違っていたのは
「ジンタ」を彷彿させるアコーディオンの音色と
やはりナンと言っても、甲斐さんの声に女性の声が絡むことで
この曲の「艶」が強調されたからじゃないかと…?

でも、映像的には、チャラン・ポ・ランタンのお二人が
甲斐さんとアイコンタクトを取ろうとなさっているのに
甲斐さんは、お二人の方へ近づいては行かれるものの、視線を合わせようとはなさらず(笑)

…っていうか、スッとあらぬ方をご覧になったりしていて(笑)
「相変わらずシャイだよねぇ(笑)」と奥さん(笑)
まあ、甲斐さんのそういうトコが好きみたいだけど…(笑)

収録終了後「甲斐バンドとの初共演について」とのクレジットが出て…
「演奏するね、楽曲を頂いて『あっ!もうこれは、我々のことをよく知ってらっしゃる感じがするな』と…
ナンか、ホントに、ウチらのアコーディオンと歌に、すごい(合ってる)、ね?
すごいマッチする曲だったんで『喜んで!』っていう感じでした」と小春さん

クレジットが「甲斐よしひろの魅力」に変わり
ももさんは「私は、やっぱりボーカリストとしてというか、歌声が本当にステキで
やっぱり一緒に…リハーサルの時もそうでしたけど、歌ってても、ちょっとウットリしちゃう…
惹き込まれる思いで、魅力的だなと思いました」と、おっしゃっていて
甲斐さんの声は、聴き手の方の世代に関係なく、威力を発揮するみたいです(笑)

「収録現場レポート」のインタビューで…
小春さんが「私たちは、レコーディングで甲斐さんのスタジオを時々お借りしてんですが
甲斐さんとは直接お会いしたことがなかったんです
でも、甲斐さんがチャラン・ポ・ランタンのことを知っていてくれて
『一緒にやりたい』って言ってくれているという噂話を聞きまして…

(『えっ!?本当に我々ですか?チャラン・ポ・ランタンで合ってます?…みたいな感じで…』とももさん)
なので、今日、お話を頂いて『もちろん、やらせて下さい!』とお返事しました
そうしたら『一緒にやろ!』って『かりそめのスウィング』の音源が送られて来て

聴いてみたら『これはバッチリ、アコーディオンと合いそうだ』っていうか
『元からアコーディオン入ってたんじゃない?』くらいの曲で…
最初の打合せで、甲斐さんに『アコーディオンのキレが良いのは知ってるから』って言われて
我々の曲を事前に聴いてくれている感がすごくあった

リハーサルの時も『ここで入って、ここで抜ける』みたいな指定がザックリあるくらいで
何も言われなかったから、自分が思ったように弾いたら『イイね!』って…(笑)
コーラスも『これでどうかな?』と思って作ったヤツが、そのまま使って貰えたっていう…

だから、私たちが『かりそめのスウィング』を
最初に聴いた時に思ったことが、そのまま出ている感じです
(『だから、全体的にのびのびやれました』とももさん)
ファンに人気がある曲を、私たちとやりたいと言ってくれたことが嬉しかったです」
…と、今回のコラボに至る経緯を明かされたあと

ももさんが「嬉しかったね!『そこに女性ボーカルが入るのも、すごくイイよな』って…
デュエットというか、ハモっちゃって、すごいドキドキしちゃった(笑)
(『自分たちの声なのにね(笑)』と小春さん)
私、デュエットする時に、相手の目をすごく見ちゃうクセがあって…
でも、甲斐さん、本番で歌ってる時、目を合わせてくれなかったよね(笑)」とおっしゃると

小春さんも「私も、ニヤニヤしながら甲斐さんのこと、何度も見てたんだけど
ただニヤニヤしてる女が両サイドにいる、みたいな絵面になってる気がしてて…(笑)」
…って、ある意味「そうとも言える」仕上がりでしたけど(失礼!)

「でも、楽しかった!あっという間に終わっちゃって…
もし『かりそめのスウィング』を再録する際は
是非チャラン・ポ・ランタンを呼んで下さい」とコメントなさってました
もっとも、ベストアルバム「かりそめのスウィング」で、ジャジーに再録されたばかりですし
このコラボは、当分の間、レア物になるんじゃないかと…?(笑)
コメント
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INVITATION(5/29)その3

2021-06-25 16:29:00 | メディア
「その後、甲斐バンドが打ち立てて来た数々の金字塔
1981年、大阪花園ラグビー場で、ロックバンドとして初めてライブを開催
およそ2万人を超す観客の熱狂は暴動寸前にまで発展」というナレーションのバックでは
その花園のステージに出て来られた甲斐さんや
松藤さんと「破れたハートを売り物に」を歌っておられる映像が流れ

「1983年には、新宿副都心の高層ビル街で、画期的なイベント『THE BIG GIG』を敢行
およそ3万人の観客が集まり、大きな話題となった」とのナレーションには
オープニング曲の「ブライトン・ロック」の映像が重なり

そして、古舘さんが「僕、色んな節目、甲斐バンドの中であると思うけど
ピックアップさして貰うとね、生意気ですけど
かなり影響受けたアーティスト、甲斐さんは海外にいっぱいいるとして
ジョン・レノンの存在、大きいですよね?やっぱり…」とお訊ねになり
(画面には「ジョン・レノンの影響」の文字)

甲斐さんが「小学校3年くらいの時に、まっ、リバプールサウンドが流行って
まっ、ビートルズ、ストーンズ、キンクス…ナンか、ワーッと…
デイヴ・クラーク・ファイブとか全部…
(『判る?小3ですか?小3の段階でもう聴いてたんですか?』と古舘さん)
えーと、3学期ですね…(『うわっ!覚えてんだ!?ちゃんと!』)

うん、それでもうかなりヤラレちゃうんですよ
『あっ!これはもう俺たちの音楽だ!』みたいな…
でも、世界中がそう思ったと思うけど…」とお答えになると
古舘さんは「ジョン・レノンが、1980年の12月9日に亡くなりましたよね?
ダコタハウスの前で撃たれて…その時、甲斐バンドは日本武道館ですよね?」と振られ
(画面の文字は「ジョン・レノンの死を受けて」に変わり)

「そうです。アンコールなった時に…本編バッと終わって、降りて来て、楽屋に…
まっ、洋服着替えた瞬間に、号外パッと出されたんですよ
だからまあ、ジョンが撃たれて…っていう号外だったんで『うわっ!』と思って
それを…ナンかこう…非常にショックだったんで、バリバリバリって破って
バーン!ってやって、出てったんですよ」と、楽屋でのアノ一幕を説明なさって

「…で、アンコールでアノ歌、歌ってますよね?『翼』…」という古舘さんの言葉に
「『翼あるもの』やると、何か起こるんですよ
花園ラグビー場も結局、暴動起きたのは2曲目の『翼あるもの』の時に客が…
客が、ガーッ!ってなって、数万人がこう…
だんだん、だんだん、前に寄って来て…みたいな…」と返されてましたが

奥さんは「やっと思い出したの?(笑)」とツッコミ(笑)
確かに、これまでずっと花園ライブの暴動に触れられる際には
ラグビー場近隣住民の方々への説明会で「破れたハートを売り物」を流したら
そのリズムが「河内音頭」と一緒だと、一発OKになった(笑)
という話とゴッチャになっていらしたのか?

「1曲目に、リリースしたばかりの『破れたハートを売り物に』をやっちゃったから
客がみんな前に押し寄せて来て、あんなことに…」という風に話されていたし
「行列」などのVTRでも、前へ前へと移動する観客の姿を捉えた映像のBGMは
必ず「破れたハートを売り物に」になっていて

奥さんは、それを見聞きするたびに「だから、それは2曲目なんだって!
アノ手拍子見たら判るでしょ?『翼』のトントン拍子じゃん!」とブツブツ(苦笑)
「あの頃の『翼』の人気は凄まじかったから
いきなりライブ序盤に持って来たのがヤバかったんじゃない?」とのことだけど
あくまでも個人の見解です、あしからず…(笑)
もっとも、この番組の暴動シーンのバックでは「翼あるもの」が流れてましたが…(笑)

ちなみに…「破れたハートを売り物に」は、リリース前から「サンスト」で流されていたため
「えっ!?何?この曲?」と戸惑った訳ではなかったみたいで
ビニールシートは、この1曲目から飛び交い始めていたらしい(苦笑)

ともあれ…古舘さんが「…で、これはもう、日本武道館の…さっき言った熱狂と
まっ、ジョン・レノンが亡くなったって衝撃が入り交じりながら
アノ曲になって行くっていう…これ、エポックではありますよねぇ」と結ばれたトコで
2曲目には、その「翼あるもの」が演奏され
エンディングで、マック清水さんがミスられることもなく(失礼!)再びトークシーンへ…

「まあ『ミュージシャン』『アーティスト』っつっても、色んな幅があるとは思うんですけど
甲斐さんの場合は、結構、自分の世界を確立しながら、色んな人とコラボやりますね」と古舘さん
「コラボすることの意義」というキャプションの下

甲斐さんの「コラボする時って、こう…完全にこう…ある種の核爆発みたいな
ボン!とやって、何が起こるか?みたいな、そういうのの楽しみですね」というお答えを受けられ
「なるほど!それなくして、そのね、自分の世界をグーッと
ヒット曲やり続けるのではないのかも知れない…両方で支え合ってんですかね?」と質問

甲斐さんが「ナンかね…あのね、やっぱり、ずっと同じバンドで
ヒット曲ばっかりやって行くっていうようなことだと、僕はダメになると思うんで…
だから、ちゃんと新たな切り口も作っとかないと…っていう感じでやってたんで…

(『やっぱり、窓を開けて換気しないといけないですね』と古舘さん)
そうそう!そうそう!ホントですよ!みんな…みんな少し…やっぱり理解できてないんですよ
ストーンズが、ナンであんな長く続くか?って言うと
その時代に合わせて、微妙に全部マイナーチェンジしてるんですよ

例えば『サティスファクション』1曲にしても
それだから、ずっとやれるんですよね
だから、リズムを微妙にやっぱ変えてるんですよ、実を言うと…とお答えになると
「ちょっと、諸行無常だ!どんどん移り変わってるから
懐かしくて新しい感じにさせるんだ!?懐かしいだけじゃなくて…」

「そう、だから、ちょっとずつ、ちょっとずつ時代に合わせて
変えて行く奴らだけが生き残るんですよ、表現って…」
…と、収録後のインタビューで、古舘さんが感銘を受けたとおっしゃっていた件が流れ
その「懐かしいのに新しい」とお感じになったという「安奈」へ…

甲斐さんが、ビルボードツアーのMCで…「いきなり間違えた(笑)」ものの
「相変わらず素晴らしい!」とネタバレなさっていたという押尾コータローさんとのコラボ♪
そのビルボードツアーと同じ布陣で、お召し物もビルボード仕様となられた甲斐さんと
ドブロギターを担当される鈴木健太さんとの間に押尾さん
スタジオ奥にキーボードの前野知常さん…って、こちらは「MEETS」ツアー仕様ですね(笑)

カメラが、甲斐さんの右側から捉えた映像には、押尾さんはもちろん
鈴木さんと木村将之さんも、演奏しながら甲斐さんの方をご覧になってるご様子が収められていて
奥さんは「甲斐さん、左のこめかみに穴が空きそうだよね(笑)」とクスクス(笑)

「演奏を終えて」というクレジットが出て、押尾さんへのインタビュー…
「甲斐さんと2人で『KAI MEETS』というので、一緒に(ツアーで)回らして貰った時
ホントに夢のような…えー、時間だったんですけど
今日、ナンと!田中一郎さんと松藤英男さんとですね
甲斐バンドのメンバーと一緒に出来て、ナンかもう至福の時間と言いますか

『あっ!甲斐バンドに入っちゃったみたい!(笑)』みたいな…そんな気持ちで出来たんで…
ナンか、設計としては『KAI MEETS』でやった、その2人バージョンに
いかに、こう…一郎さんが絡んでくれるか?とか、えー、そういった…
松藤さんのギターも絡んだりとか、バックバンドで…
その辺の構図とか考えて挑んでみました」と押尾さん

奥さんが「MEETS」ツアーで、よくお見かけしたという
「いち甲斐バンドファン」のお顔(笑)で話されてましたが
「収録現場レポート」のインタビューでは…
「甲斐さんは昔から僕の憧れの人でした
中学の時は『バス通り』や『裏切りの街角』をフォークギターで弾いて歌ってました

高校生になって、バンドを組んだ時には『氷のくちびる』とか、ロックな曲もコピーしてましたが
その頃の僕には、甲斐さんと一緒に演奏するなんて、想像も出来なかったですね

インディーズで、ソロギタリストとして活動して、34歳でデビュー
翌年から始まった、大阪のMBSラジオで僕がやってる番組に
リスナーの方から『甲斐バンドの安奈をギターで聴きたい』っていうリクエストが来たん

『実は、僕、甲斐バンドの大ファンなのでやりますよ!』って言って
『安奈』をギターインストで弾いたんです
それを聴いた甲斐さんのファンの方が、甲斐さんの番組に録音したテープを送ってくれたみたいで
甲斐さんが、僕のギターアレンジの『安奈』を聴いて下さったり

甲斐さんも、僕が2002年にスイスの『モントルー・ジャズ・フェスティバル』に出演した時の映像が
日本でも放送されたのを偶然チェックしてくれていたり、それからも幾つかの出会いが重なって
イベントライブでの共演という幸運に恵まれました」
…って、これは「MUSIC DAY」のことでしょうね?

井上堯之さんが「面白いギターを弾く若者がいる」とお聞きになり、ライブをご覧になって
押尾さんと共演したいとオファーなさったことで
「中学生の頃の憧れの人だった堯之さんに会えるなら、ギャラなんか安くても関係ない!(笑)」と
甲斐さんが松藤さんとお二人で参加されることになって(笑)
「片想い」同士3組の共演が実現したんだとか…(笑)

ともあれ…「その後もライブのゲストとしての共演や
『甲斐よしひろ × 押尾コータロー』というツアーも実現しました
甲斐さんはすごく優しく接して下さる方なんですけど、もちろん厳しい一面もあって…
でも、その厳しさがメンバーをシュッと引き締めるんですよね
そういう存在がいないと、ミスが起きやすい
甲斐さんは、喝の入れ方がとても上手い。僕も見習わないと…(笑)

これまで何度も甲斐さんと『安奈』をやらせて頂いてますが、今日のは格別でしたね
だって、今日は松藤英男さんと田中一郎さんが入って下さったので
『まさに甲斐バンド!』って思って…(笑)
特に、松藤さんとコーラスが出来たっていうのが嬉しかった
いつか甲斐バンドの皆さんとやりたいと思ってましたから
今日はその夢が叶った『安奈』でした」と話されていて

かつて「大阪城ホールのスタンドから、豆粒みたいな甲斐さん(笑)」をご覧になったり(笑)
「『松藤~!』『大森~!』って叫んで」いらしたという
「押尾少年」の姿が目に浮かんで、微笑ましさ満載でした♪
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