ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

令和初のシビレる言葉3

2020-05-31 13:36:00 | 日記
甲斐バンドの同期…デビュー45周年のTHE ALFEE
高見沢俊彦さんへのインタビュー記事を読むと…
「ハードな活動を支えるのは、体力トレーニングや食事の配慮など
ストイックなまでの自己管理」だそうで
「昔なら酒を飲んでも翌日は平気でライブが出来たけど、今は無理ですから」と高見沢さん

甲斐さんもライブの疲れが残るようになられ「何でも体力だと思う
才能があっても、体力がないとダメだね
そのために、食事もダイエットするし、水泳もやる
毎日の行動も自然とステージのためのベースになってるんだ」
…と、27歳くらいから、ジム通いをお始めになったことを明かされていたし

また「ヒットが出ないまま、先に盛り上がって来たのがライブだった」のも甲斐バンドと同じですが
曲作りに関しては「教師だった父の影響で
ドストエフスキーや萩原朔太郎などを乱読」なさったため
「歌は文学には敵わない」とロックの聴き心地や幻想性を好まれたらしく

「全てをさらけ出そうと決めて曲を書いた時に
本当のプロになったと思った」甲斐さんとは違っておられたようで
「20代後半になってもブレークせずに大学に通い
全てが中途半端だった自分たちの応援歌」として「夢よ急げ」を書かれて初めて
「内省的に掘り下げてこそ、聴き手に響く歌もあると知って、スタイルに加えて行った」んだとか…

で、2000年以降に行なって来られたテレビ出演やクラシックとの共演などの
「様々なソロ活動は全て、刺激や発見を持ち帰り、アルフィーを長持ちさせるため」というのは
「甲斐バンドをひと回り大きくするため」にと
初のソロアルバムをリリースなさった時の甲斐さんと同じ思いでしょうし
やはり、アルフィーのリーダーは高見沢さんなんだなあと…

ともあれ…「才能」という目に見えないものが
「果たして自分にあるのか?」と不安を覚える方は少なくないみたいで
「エール」の中で、森山直太朗さんが演じられた裕一の恩師・藤堂清晴先生は
「人よりほんの少し努力するのが辛くなくて、ほんの少し簡単に出来ること
それがお前の得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道は開く」と励まし

十代目 松本幸四郎さんは…「20歳の頃、正座が辛いことがあった、声も出づらかった
自分の理想とする姿との開きにも悩んだ
『向いてない、辞めたい』と悩み抜いた挙げ句
『歌舞伎が好き』という一点で一番になろうと思って吹っ切った」…と話されていて
「どれだけ好きでいられるかも才能なんだよ」という甲斐さんの言葉を思い出していたら

宮下奈都さんの小説「羊と鋼の森」の中でも…
調律の仕事の難しさに怖じけづき「自分には才能がないのではないか?」と悩む若者に
ある先輩が「才能は必要に決まっている
でも、才能っていうのはさ、ものすごく好きだっていう気持ちなんじゃないか」と告げると
若者は、才能のようなあるかないか判らないものじゃなく
「もっと確かなもの」を探りあてて行こうと決心するシーンがあるらしく
「好きこそ物の上手なれ」というのは真理なんだと改めて納得しました

ただ…「好き」だけで、才能を開花させるのはもちろん
その後もずっと、その「好きな道」で活動を続けて行くことが簡単な訳はないし
歴史社会学者の筒井清忠さんは「結局、人の仕事は、若い時に与えられたものを
一生かけて導くということなのかと、この頃ふと思う」とおっしゃっているんだけど

これは「10代の終わり頃、ある本に描かれていた情景への漠然とした引っ掛かりを
ずっと手放さずに、あれこれ調べ、考え詰める作業」を続けて来られた結果「ふと」思われたようで

「若い頃は、いつでも辞めてやると思ってた」甲斐さんが
「40歳を過ぎてやっと天職かも知れないと思い始めた」ことや
「とにかく目の前の山を全力で登って来た」と話されていたことを思うと
「企まずして」結果がついて来たというか
夢中で取り組んでおられる内に「ふと気がついたら」歳月が流れていたということじゃないかと…?

もっとも、元書店員でいらした矢部潤子さんが
ご自身の著書「本を売る技術」についてのインタビューで
「本の置き方というのは子育てみたい」とおっしゃった時
出版担当者の杉江由次さんは「『置かれた場所で咲きなさい』ではなくて
『咲く場所に置きなさい』ってことなんですね」と返されたそうですが

これは「本には思わぬ『実力』があったり
じわじわとゆっくり育って行ったり、色んな一生がある
それを守り育てるには『置き場所の見極め』が大事」という意味では「子育て」に似ているものの
「もちろん、本の場合は人生と違い『見切り』というのも必要」と結ばれていて
確かに「人生」は続いて行くけれど
「才能」には「見切り」をつけなくてはいけなくなる方もいらっしゃるんですよねぇ…(汗)

ただ、資生堂のPR誌「花椿」のアートディレクターを務められた
グラフィックデザイナーの仲條正義さんは
「どこか生煮えだったり、あんまり完璧にしすぎないって主義があるもんですから…
整いすぎると次の身動きが難しくなる
わずかな弛みや綻びがあれば、そこに割り切れない思いをそのまま注げる」と

「品の良いレイアウトや流行りものは、あえて斥けることで
時代に添い寝するのではなく、その奔流を巧くかわして」来られたんだとか…
そういうある種「あそび」の部分を「のびしろ」と呼ぶのかも知れないし
甲斐バンドのアルバムのB面のラスト曲には
「必ず『ネクスト』が込められている」という甲斐さんの言葉が思い浮かびました

また、鳥居ユキさんは、デビュー55周年のインタビューで…「振り向いたらそうだった
次を見ていると、あっという間なの
全部が上手く行くことはないけれど、100の内、1か2出来たらいい
欲張らずに、でも情熱を絶やさずに…」と振り返っておられ

甲斐さんと同じく、色川武大さんの「9勝6敗を狙え」…何もかも上手く行く訳はないから
「これを守っていれば勝ち越せる」というフォームを見つけること…というスタイルを
体得なさっている方なんじゃないかと…?

甲斐さんは、ジムに通われることも曲を書かれることも
好きだから、これだけ長く続いた訳で、義務と努力だと思ったら、絶対に続かない
毎日続けて行くってことは、ストレスを残さないことなんですよ

何事も毎日続けるためには、すごく大事なことがもうひとつあって
それは、明日の分量を少しだけ残しておく…これは、作品を書くのも同じでね
全部、その晩に書き上げちゃうと、次の日、何から始めようって感じで
5日間が過ぎちゃうんですよ」とおっしゃっていたけど

脚本家の山田太一さんは、脳出血でお倒れになった際に
ある週刊誌が「事実上の断筆宣言」と報じたことについて
「宣言はしていないと、ハッキリ言いたい」と宣言(笑)

「東日本大震災から5年後の被災者を描いたドラマ『五年目のひとり』が放送されて
ある程度、これで僕の仕事は終わりかなという気持ちもあったんですね
しばらくは仕事抜きで遊びたいなと…」と思っておられた矢先に倒れられ
「いつ死ぬか判らないと実感した」と山田さん

「今でも喋る時に変な言葉が出て来ちゃう
どんどん治っているけれど、ずいぶん時間がかかるのには驚いています
どうなるか、僕にも判らない
もうちょっと待って貰えれば、あと1本くらい書く余裕はあるかも知れないですね

そういうのがないと、これからの人生どうしていいか判んないってところもあるから…
明日死ぬとしても、余裕があったらアレ書けてたなと、僕らの仕事は、そう考えるものです
余白を残しておくためにも、待って貰いたいですね」と話されているし

「僕は、音楽という表現を通して『甲斐よしひろっていうのは何者なんだ』っていうのを
たぶん死ぬまでずーっと探ってるんだよね
それが、ある日、急に判っちゃうのか、10年後に判るのか、あるいは死ぬまで判らないのか
でも、判っちゃったら、音楽辞めそうな気がするんですよね
さっさと詩人を辞めて、アフリカに行って、奴隷商人になっちゃったランボーみたいにね」

…という甲斐さんの言葉通り「もう全てやりきった」と思ってしまわれたら
「断筆宣言」をなさっていたでしょうし
「まだアレ書けてたな」とお考えになったり
それがないと「どうしていいか判らない」というお仕事というのは
やはり「自分探しの旅」なんじゃないかと…?
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令和初のシビレる言葉2

2020-05-30 13:30:00 | 日記
今回は、令和どころか昭和57年…って判りにくいかな?(笑)
1982年4月の甲斐バンド機関紙「BEATNIK」に掲載されていた
「お尻に汗が1㍑」という高橋竜一さんのコラムからです

「『ダンナの産休』と、スポーツ新聞に書かれたとか…もちろん甲斐よしひろのことである」
…と、甲斐さんの結婚発表記者会見に関する記事なんだけど
「もし、ロックシンガーが妻のお産のために
活動を休止したとしたら、どうだと言うんだ
尊敬こそされてしかるべき行動だとは言えないか」との一文を読んで
そうか!甲斐さんは、業界初のイクメンだったんだ!と…(笑)

ともあれ…「どうやら、この世の中にはいまだに
『カッコイイことは、なんてカッコワルイんだろう』式の価値観がはびこっているようだ
10年前と少しも変わっていない価値観…
『カッコイイことは、カッコワルイ』の反対が
『カッコワルイことが、カッコイイ』のなら、まだ救われる

ところが『カッコワルイことも、カッコワルイ』とする全否定の態度が
大衆の心の片隅に残っているのだ
ダンナが、妻のお産のために仕事を休むことがカッコイイ…とされる現代とは、なんだ?
~(中略)~
男にとっても、女にとっても、カッコワルイの承知で子供を生むのだ
『ダンナの産休で、ニョーボウもサンキュー』ぐらいのシャレが欲しい」(笑)

…と続いていて、この記事から40年近く経った今
ようやくその「現代」が到来したのかとしみじみ…(苦笑)
でも、考えてみれば、甲斐さんって「1年に1回はマジメに泣くよ」とおっしゃったり
「男の弱さや脆さ」を曲になさったり
当時の「男」の概念からは「カッコワルイ」ことを、カッコよく実践されてましたよね?(笑)

ただ、やっと時代が甲斐さんに追いつき(笑)
男性の育休が認められるようになったとはいえ
現状は「育休中の夫に、妻がっかり」らしく(汗)
…って、奥様の出産中に浮気していた元イクメン議員(汗)ほどではないようですが

「上の子を保育園に送ることくらい」で「お昼ごはんまだ?」とか(苦笑)
「食器を食洗機に入れただけなのに『やってやってる』感がスゴイ」とか(苦笑)
「『会社に迷惑かけてるから』と育休中に入る仕事を積極的に引き受ける」等々
「取るだけ育休」の方多数…(汗)

厚労省によれば、育休に関する相談は「取得が出来ない」
「復帰後はパートになってと言われた」というのが大半で
「労働者が自発的に働いてしまうと、問題が表面化して来ない」と担当者の方

ご主人たちが働いてしまうのは
「『育休でも家のことは妻がやっているはず』という暗黙の了解がまだ世間にある」ことで
ご主人たち自身も「世間が求める『男らしさ』の弊害を感じ」たり
「妻に責められると『育児やって仕事もやって
ナンで怒られなきゃいけないのか』という気持ちになる」みたいだけど

「夫の家事・育児がどれだけ出来ているかより
育休中の生活について夫婦で話し合うこと」で、お互いの育休の満足度が高まり
「夫の育休に満足した人は、育休後も妻の負担が軽くなる傾向がある」そうなので
まずは「しっかり向き合うこと」が肝心みたいです

そういえば、甲斐さんは「1回もオムツを替えたことがない」と自慢?なさっていたし(笑)
家事もほとんど手伝われることがないようだし
産休中にステージに立たれることはなかったにしろ、アルバム制作に励んでいらした訳で
そういう意味では、いわゆる「イクメン」じゃなかったかも知れませんが
夫婦や家族のことをしっかりと話し合われる方だったんでしょうね?

続いては…「女性をめぐる表現が、SNSなどで『炎上』した
企業広告の問題点」を取り上げたコラムをご紹介します
その①は「既婚・子持ちの働く女性をターゲットにした」女性誌のPRで

「『ママに見えない』が最高のほめ言葉」
「働く女は、結局中身、オスである」「ニッポンのワーキングマザーはかっこいい!」
「今さらモテても迷惑なだけ」…といったコピーを連ねたところ
「なぜオスと言われなくてはいけないのか」などと批判が殺到(汗)

「『働く女性 = 男だ』という表現には
『女性は働かないものである』『働くのは男性である』
『働く女は女じゃない』という決めつけ」が感じられると反発を招いたとのことですが
ジェンダー問題や企業広告に詳しいジャーナリストの治部れんげさんによれば
この広告は、雑誌側の「編集方針の範囲であり自由」なんだとか…

もちろん「広告を見た側が『これは嫌だ』『私は好き』などと言うのも自由」だけど
「『嫌だ』と意見を言う人に対して『表現の自由だ』と反論する」のは
「憲法が保障する表現の自由」の意味…
「国民の自由な意見表明を国家が妨げない」…において相当しないそうです

その②は「女の子って楽しい」というバレンタイン用の広告
表面で仲良くプレゼントの箱を開けている5人の女性が
裏面ではスカートをつまんだり、髪の毛を引っ張ったりする様子が描かれていて
「女は陰湿」という考えが透けて見えると批判が続出したらしく(汗)

治部さんは「これが雑誌の読者投稿欄にあれば
『あるある』で済んだと思います
読者が自分の経験を描写していることになりますから…
でも、企業が顧客である女性たちの友人関係を『女性の友情なんて薄っぺらだ』と
『勝手に決めつけている』構図に問題があります

だから『顧客をバカにしている』と受け止められたのです」とおっしゃっていて
確かにボクの中にも「男の友情」に比べると、女性同士は…
といったイメージがあり、深く反省した次第です(汗)

その③は、女性がクリームパイをぶつけられている写真に
「女の時代、なんていらない?」というコピーが添えられた壁面広告
広報担当者は「女性を応援したいという思いを込めた」としているものの
コピーもパイも不快感を煽っただけだったらしい(汗)

更に「女だから、強要される。女だから、無視される。女だから、減点される」
「女であることの生きづらさが報道され、そのたびに『女の時代』は遠ざかる」
「活躍だ、進出だともてはやされるだけの『女の時代』なら、永久に来なくていい」

…などのコピーも添えられていて、東京医大入試での女性差別や
財務事務次官のセクハラ問題などを連想させる上に
「『報道され』というコピーは『女性の困難を言い立てるから
女性が活躍出来なくなる』とも受け取れます」と治部さん

「『時代の中心に、男も女もない』という一文は、おそらく『私は実力で勝ちたい』
『女性活躍だってゲタを履かされるのは嫌だ』という女性に向けての言葉でしょう
こういうメッセージを受け取めて『この広告すてきだね』という女性も沢山います
ただ、これを個人が言うならいいんですが、企業が言うと
『生きづらさはあるけれど、個人で頑張って下さいね』となってしまう

これはいわゆる『誰が言うか問題』
女性差別という社会的不正義の本来の解決策としては社会が変わるしかない
なのに途中から『個人が頑張って解決しましょう』という自己責任論になっています
新しい価値観が評価される時代なのに
問題の多い現状を追認するような広告を出している企業は
戦略やマーケティングに必要な情報収集が不足していると言わざるを得ません」
…と、その②にも増して、企業側の姿勢を問題視なさってます

そして、その④は、子育て支援アプリ「こぺ」の宣伝サイトで
「パパのためのママの気持ち翻訳」と題し
「妻が怒った時の言動と、その『本心』を解説した」ことが「女性蔑視」との批判を呼んだ件

「男性脳と女性脳では回路の形や信号の種類が違う」という観点から
「妻のトリセツ」を著された黒川伊保子さんが監修なさったそうですが
「『夫婦間のコミュニケーションギャップを改善したい』という
広告の意図自体は善意です」と治部さん

ただ「これするの大変なんだからね!」と怒る妻の本心は「感謝してね」だなど
「妻がなぜ夫に怒っているのか、根本的な理由を理解していないように見える」こと
「元々、女性に家事や育児の負担が偏っているという社会構図に言及せず
『脳が男女で違うから』というところに解決を求めている」こと

その「『脳が男女で違う』というのも科学的根拠は薄いとされていて
男性だって感情でモノを言う人は多いのに
まだ『女性は感情的だ』と言われる」ことを指摘なさっていて
「男と女は判り合えないからこそ惹かれ合うんだろう」
…などと納得していた身には、とても耳が痛い話でした(苦笑)

でも、甲斐さんも「男と女は本当のところでは判り合えないから
女の人に対する思いというのは、最後は祈りみたいなもんだと思うんです
いくら沢山の言葉を投げつけて説明しても
納得させようとしても出来ないものは出来ないでしょ
だから俺は祈るわけね、信じたいから…」とおっしゃってましたよねぇ?(苦笑)
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令和初のシビレる言葉1

2020-05-29 12:20:00 | 日記
甲斐さんが「翼あるもの2」をリリースされた際に
「『続・翼あるもの』とか『新・翼あるもの』にすれば良かった(笑)」とおっしゃると
松藤さんが「『帰って来た翼あるもの』とか…(笑)」と提案なさったことがありましたが(笑)

古今東西の諺や格言、映画・ドラマ・書籍のセリフ、著名人のインタビューなどから
グッと来た言葉をご紹介するこのコーナーのタイトルも
「続」「新」「帰って来た」を使い果たし「令和初の」となった次第です(笑)

もっとも、今から取り上げるのは「令和」に発生したものばかりじゃないんだけど(笑)
まずは、オルポート、ポストマン著の「デマの心理学」から
「デマがどこまで広がるかは、2つの条件のかけ算で決まる」です

1つは「その事柄が人々にとっていかに重要か?」
もう1つは「世に出ている公式情報の曖昧さ」だそうで
「情報が全くなかったり、あっても不完全だったりすれば、それがデマの燃料となる」らしい

3月末に流れた「都市封鎖」というデマのおかげで
トイレットペーパーやカップ麺などを買いに走った方がおられたのは(苦笑)
この「社会心理学の古典」が書かれた頃にはなかったネットという情報源の出現により
ただでさえ、デマの方が真実よりも6倍速く届くとされる昨今
「恐怖」や「驚き」を煽られた結果じゃないかと…(汗)
デマは「社会という生体の健康が、一番その抵抗力を失っている時に爆発する」みたいだし…(汗)

また、煽り運転をした男が、被害者の方とやり取りしている
その一部始終を撮影した女と同一人物だと決めつけられた女性など
「濡れ衣」を着せられた方も少なくなく(汗)
何の根拠もない1つのデマが、あっという間に真実としてまかり通るのも
SNSを使えば、誰でも簡単に出版社や放送局になれるからでしょう

ただ「人の噂」は75日でも、ネット上の「流言」はナカナカ消えることがないし
「流言は知者にとどまる」という諺に従えば
判断力のある知者は、デマをそれ以上広げないということになるし
デマの発信者だけではなく、リツイートして拡散した人も同罪かなあと…(汗)

精神科医の岡田尊司さんによれば…「人がマインドコントロールを受けやすいのは
情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態」だそうで
「情報が過多だと、世界は暗示や徴候に満ちあふれ、無秩序なものとなる
人は、肝心の情報がどれか見えづらくて不安になる
情報が過少だと、限られた情報をもとに妄想を膨らませてしまう

いずれにせよ、精神が大局を見る眼と思考のための『空き』を失い
誘導への免疫力も失って誤作動しやすくなる」…とおっしゃっていて
流言に煽られるようにリツイートなさる方々の心理に似ているんじゃないかと…?(汗)

精神科医でもいらっしゃる北山修さんは
かつて、ご友人に向けてお作りになった曲が大ヒットした時
「そもそも歌集ではなく、愛しい人のために詠まれた防人歌」のように
「同じものを見つめながら思いをそっと通わす
そういう第二者との関係がまずないと人は崩れるのに
今は『自己』理解の過程がすぐに『みんな』という、外からの視線に晒されてしまう
世界は、どんどんどんどん第三者を意識した会話になって行っている」と戸惑われたらしい

一方、発達心理学者の浜田寿美男・山口俊郎両氏は…
「人には、自分が誰かから見られているということを意識することによって初めて
自分の行動を成し得るというところがある」…と話され

科学哲学者の村上陽一郎さんも「やりなおし教養講座」の中に…
「誰かが見ているという意識を根拠にして
『だからやらないんだ』という振る舞い方は
私はちゃんと残しておいていい人間の姿だと思う」…と記されているんですが

逆に言えば、人の目があるから「やりたいけどやらないという感覚」の持ち主は
「誰も見てないから…」とか「バレなきゃいいか」と考えることもある訳で(汗)
匿名性の高い場では、常日頃の言動よりも過激な反応を示しがちなんじゃないかと…?(苦笑)

例えば、これまでよく言われていた上海の交通マナー…
危険なスピード走行や無理な車線変更・割り込みが当たり前で、クラクションは鳴りっぱなし
歩行者は青信号でも安心して渡れないなど…は
無秩序の極みのようだったのが

信号機に多数の監視カメラが設置され、多額の罰金が課せられた途端
嘘みたいにマナーが向上したそうです(苦笑)
まあ、ボクも深夜の道路など、誰も見ていない所では
信号無視をしたことがあるんで、エラそうなことは言えませんけど…(苦笑)

やはり、ここは園子温監督の言葉…「『自分』と仲良くするためには
まず自分がカッコ悪い、情けないと思っていることは
人目のあるなしに関わらず絶対にしないこと」…が、一番響くというか
いくら周りのせいにしてみても、自分の気持ちに嘘はつけないから
「これは正しいか?美しいか?」と自分自身に問うしかないですよね?

ちなみに…この言葉は、園監督が海外で物乞い暮らしをなさっていた頃
酔っ払いから100ドル札をいっぱい投げつけられた際に
「それに手を出せば『良き理解者』である、もう1人の自分をがっかりさせるから」
…と考え、拾おうとなさらなかったことを振り返られた言葉だそうで

甲斐さんが「ロックで食ってる、でもロックで生きてない…これが一番恥ずかしいよ
だから、俺はそのへん、いつだってきっちりと
てめえ自身に落とし前つけながらやってる訳でね
いつの間にか、ごまかしごまかしやってると
あとで飛び上がることになっちゃうだけだからさ

俺は、てめえ自身の形だけした脱け殻なんか見たくねぇもんな
それ見るのだけは何があったってごめんだよね
俺は確かにロックで食ってるけど
それよりもまずロックで生きていくことが大事なのさ
と、話されていたのと通ずるものがあるんじゃないかと…?

余談ですが…SNSの発達によって、チマタの人々の意見や評価がネット上に溢れるようになり
プロの書き手の皆さんが、批判的な評価を下しにくい傾向が強まっているようで(汗)

特に、ファッション業界では「そもそも批評家や研究者を必要としておらず
文章や論文の事前チェックや修正を求めたり
『意に沿わない記事を書いた』書き手を出禁にしたり
その際に『出禁』にしたということが広まると、印象が悪くなるので
それとなく取引先に担当を替えるよう求めた」とか
一部の雑誌では「発売前に、掲載する誌面を広告主でもあるブランド側に見せ
要望に応じて内容を変更することもある」とか
相手の意向に忖度せざるを得ない状況みたいだし(汗)

辛口の批評の許容度が高いとされる自動車業界では
「殺人兵器になり得る車の性能などへの批評は活発で、業界も受け入れる風土があり
広告が絡むタイアップ記事やインタビューを除き、メーカーチェックは入らない」ものの
「メーカーに批判的な記事を掲載して、広告が止まったことがある」らしい(汗)

ただ「製造に多くの人が関わって、責任が分散される自動車とは違い
デザイナーが評価を一身に受ける服の評論、批評は特に難しく
読者にも、作った本人にも納得させるような言葉が必要」なんだとか…

そのファッションブランドは、公式アカウントでの発信を増やし
既存メディアに割り当てる席を減らす一方で
好意的な投稿をするインフルエンサーをショーに招いて
「批評を職業とする人たちに批判されるリスク」を回避しているみたいです

この傾向について、批評家の若松英輔さんは…
「批評とは、対象が何であるか見極める態度である」とした上で
「親が子を産みながらも、子供の全てを知り得ないように
作り手が何を作ったのか知らないことはしばしばある
他者の方が、作品の本質近くにいることは少なくない」…とおっしゃっていて

まあ、音楽や映画、書籍なども、作り手側にはこだわりや思い入れはもちろん
手間暇をかけ、試行錯誤し、産みの苦しみを経たことも重なって
完成直後などは特に「可愛い我が子」を客観的に眺めるのは難しいかも知れませんね?

でも、一方で…「優れた批評には『無私性』が必要」であり
「プロの批評は『素人』と比べて安定はしているが
経験が好みを生み、無私の態度を歪めることもある」と指摘なさっていて
作り手やファンにとっては「ネガティブな結論」であっても
一般の鑑賞者も含めた第三者の代表意見として耳を傾ける必要はあるんじゃないかと…?
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私の THE BEST!その2

2020-05-27 14:05:00 | 日記
次は、阿久悠さんからプレゼントされた化粧バッグを挙げられた伊藤咲子さんなんですが
伊藤さんのお名前を聞くたび、奥さんが思い出すのは、やっぱり甲斐バンドらしい(笑)

伊藤さんのラジオ番組の公開収録に参加した際
甲斐さんが煽られても、他の歌手の方々のファンの皆さんもいらしたので
おいそれとは立ち上がることが出来なかったのに

収録の最後の最後に伊藤さんが歌っておられた時
ナゼか皆さんが、こぞってステージに駆け寄られたそうで
奥さん達もステージにかぶり付き、伊藤さんを見つめていたんだとか…(笑)
まあ、それは当時の甲斐バンドライブで鍛えられた「走り込み」の賜物かと…?(笑)

それはともかく…伊藤さんは、デビュー曲「ひまわり娘」のレコーディングのため
阿久さんとご一緒にロンドンへ行かれたものの
阿久さんは「サッコの感性の問題だから」と歌い方の指示を一切出されず…
って、当時中学3年生、15歳の新人歌手にはかなりのプレッシャーじゃ…?(汗)

また「食べ慣れない洋食が喉を通らなかった」みたいで
「『お前は金のかかる女だなあ』とボヤキながらも、朝昼晩と郊外の店に私を連れ出し
和食を食べさせたくれた」そうです(笑)

「その最中、テレビのドキュメンタリー番組で
ロンドンからパリに移動してロケをしていた時
合間に阿久先生から『どんな歌い手になりたいんだ?』」と訊ねられ
「憧れの歌手の名前が挙がると予想しておられたようですが
『化粧バッグを持ってスタジオからスタジオを回る歌手』」とお答えになったところ
「じゃあ、買いに行こう」と阿久先生(笑)

同じ「スター誕生」出身でも、やはり番組の企画立ち上げから関わっていらした阿久さんに
デビュー曲の歌詞を書いて貰える方と、そうでない方とでは
プロダクションやレコード会社の力の入れ方が違っていたんですねぇ(苦笑)

まあ、そのおかげで?「スタ誕」の予選からずっと
阿久さんの辛口コメントを受けておられた山口百恵さんは
セルフプロデュースや「交際宣言」からの人気絶頂期引退など
当時のアイドルとしては、かなり画期的なことを沢山行われましたけど…(笑)

続いては、マジシャンのマギー司郎さん
40年くらい前にお作りになったものも含め、20本くらいの眼鏡をお持ちだそうですが
「一番収入があった時、思い出に作っておきたいなあとデパートで特注した」という18金製の70万円のものや
「仕事の内容によって『違うのありますか』と言われて」お作りになったもの
「寄り目だったのをカバーしようと、左は円、右は三角にしたこともあった」らしい

「右目の視力はほとんどないけど、何の不自由もないんですよ
今、カードマジックで一番うまいのは全盲の方ですって。
ピアノの上手な方も目が見えなかったりするじゃないですか
こっちが不自由だと、こっちが優れるとか
人間はそういう風に出来てるような感じがします」とおっしゃっているのを拝見して

以前に甲斐さんが「ハッキリとモノが見えない、刻明に捉えられないってことは
どっかでイマジネーションを働かせてる訳でしょ?
物がよく見えないってことで、小さい頃からそういう訓練してる訳だし…
全てがハッキリとクリアに見えないっていうのは
イマジネーションを得るには最大の武器かも知れないと思うもの

で、坂本龍一と、お前は見える・お前は見えないという話をやってね
つまり、刻明に見える坂本龍一は、メロディメーカーとして
見えない俺は、歌詞を書くっていうのがあるかも知れないねって…」
…と話されていたことを思い出しました

そして…T-BOLANのボーカル・森友嵐士さんは
「バンドを結成して30年近く。解散や活動休止を経て
僕たち自身もバンドも大きく変化した
元々、僕たち『仲間』ではなかったんです
音楽的な繋がりで集まったミュージシャンだった

1994年から心因性発声障害で、僕の声が出なくなって、99年にバンドは解散
2009年に声を取り戻した時も、メンバーみんなそれぞれ違う人生を歩んでいたし
再結成には至らなかった
その後、東日本大震災が起きて『いつかこれやろう』と思っていても
ある日突然、人生がなくなるかも知れない
そう考えた時、僕の『いつか』はT-BOLANだって判った

みんなを集めて、気持ちを確認して、12年に再結成しました
ツアーを経て、99年に出来なかった解散ライブをして
やっとやりきった、これでゼロに戻れたって思って、活動休止を宣言したんです
…と、バンドとしても、お気持ちの上でも、区切りをつけられたようだけど

「15年にベースの上野博文が、くも膜下出血で倒れた
集中治療室に1ヶ月入院し、意識不明の状態から回復したのは奇跡
俺もリハビリを続けた14年間があったから、彼の気持ちがすごく判る
人間、一番やりたいことがある方が頑張れる

16年の大晦日に再始動を宣言しました
音楽性で集まったメンバーが、仲間として再び音楽を始めた
そんなT-BOLANこそが、僕の人生の中で大きな存在『THE BEST』です」と話されてます

甲斐さんが、KAIFIVEを結成なさった際に
「甲斐バンドみたいに、昔からの仲間が集まって出来たバンドじゃない
そんなバンドは、一生に一つだけだから…」とおっしゃって

KAIFIVEは、それまでのソロ活動のように
曲ごと、ツアーごとにメンバーを変えるのではなく
固定したメンバーの中から生まれる音を追求する
いわば「ユニット」だという認識でいらしたんですよね?

そういう意味では「ユニット」だったと思われるT-BOLANが
30年近い年月を経て「バンド」になったんだとしたら
KAIFIVEもその後の展開次第では、もう1つの「バンド」になっていたんじゃないかと…?

最後は、カンニング竹山さんの「THE BEST!」
10年ほど前、焼肉屋さんでお食事中に
「『あっちの筋』かなっていう強面の人が
『受け取って下さい』と小さなポチ袋」を差し出され
「『お金はマズイなあ』と思って」お断りになったものの
「最後には『どうしても受け取って下さい』と後輩に押しつけて」帰ってしまわれたらしい

でも、そのポチ袋には、その男性が事業に失敗して死のうとしていた時に
竹山さんが出演された番組を見て、自殺を思いとどまったこと
今は家族と一緒に焼き肉を食べに来られるようになったことに対する
感謝の言葉が綴られた手紙が入っていたそうです

「2006年に相方が病死しました
僕の心には、どこかすっぽりと穴が空いていたのかも知れません
手紙を貰った時は、自分の芸に自信もありませんでした
でも『一生懸命やっていれば、見ている人に何かしら伝わるんだ』と
手紙から勇気を貰った気がします」と竹山さん

甲斐さんは、函館のバーで酔っ払ったサラリーマンの男性が
「安奈」を口ずさんでいるのをご覧になり
「音楽ってそういうものなんだよね、俺にとっても…」と
ミュージシャンになられて「一番嬉しかったこと」に挙げられてましたが
竹山さんも同じ演者としての喜びをお感じになったんでしょうね?

そのお手紙は「いつも財布に入れて」お守りになさっているみたいで
甲斐さんが「自分の最初を忘れないため」に
お母様からのお手紙を財布に入れておられることを思い出し
竹山さんへの好感度が爆上がりしました(笑)

余談ですが…奥さんの「THE BEST!」は
たぶん?アレかコレか、2択まで絞れるんだけど(笑)
もし、甲斐さんがこのコラムに登場なさることがあれば、何をお選びになるのか?

このブログでご紹介したものは、お仕事に直接関係するツールやこだわりの品
ご自身の支えになっているもの…といったものですが

他の著名人の皆さんの「THE BEST!」には
憧れのスターに会った時の思い出やサイン入りの品
尊敬する師匠や先輩から譲り受けたられたもの
アマチュア時代にコンサートを開いた会場や
当時の気持ちを忘れないようにするため、自らに課されたブログ等、様々なベストがあり

例のビートルズのアルバムのようなレア物か?
進むべき道を示唆してくれた映画や書籍か?
それとも、どなたかからかけられた言葉なのか?
はたまた、もっとプライベートな思い出や、それにまつわる品か?…と絶賛妄想中(笑)
ホントに取材のオファーして欲しいなあ♪
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私の THE BEST!その1

2020-05-26 13:50:00 | 日記
我が家の購読紙に、各界の著名人の皆さんが
大切になさっているものを紹介するコラムがあるんですが
例えば、甲斐バンドフリークでいらっしゃる作家の今野敏さんは
「2日前についたばかりなんですよ」という
カナダの携帯会社のスマホ「ブラックベリー」を挙げられ

「パソコンみたいなキーボードの『ポチポチ感』が良いですね
画面にタッチするスマホの仮想キーボードより、打ち間違いは少ないんですよ
こんな便利なのに、なぜみんな使わないのかと思います」と宣伝マンよろしく話されてます(笑)

元々、フィンランドの携帯電話「ノキア」のファンで
「みんながガラケーだった時に使って」いらしたのが
「数年前からノキアが、キーボード付きを出さなくなったので、ブラックベリーに変えた」とのことだけど

「日本とロシアで沖縄空手の道場を主宰しているのですが、それとも共通点がありますね
マイノリティのプライドみたいな…」という言葉に
「あ、甲斐バンドが好きなのも…?」と奥さん(苦笑)
でも、最後に「これからもずっと使って行きたいです」とおっしゃってるし
「これだ!」と思われたものを、ずっと変わらず愛し続けられる方なんじゃないかと…?(笑)

続いては…「帽子とサングラス、ステッキ、ビーチサンダル、マニキュア・ペディキュアの
5点セットが俺の『THE BEST!』」(笑)とおっしゃる俳優の吹越満さん
「仕事で衣装に着替えると平気なのに
普段は帽子とサングラスがないと外を真っ直ぐ歩けない。なんか不安になるんです

でも逆に目立つでしょ?そういう意味ではおかしいんですけど、人が近寄って来なくなる
満員電車に乗ったら、ざっとよけるもんね
あまのじゃくな性格で、あんまり誰もやってないっていうのがポイントです」と話されていて
奥さんが吹越さんを好きな理由が判るような気が…(笑)

「冷たい熱帯魚」「ホワイトアウト」から「殴る女」「特捜9」まで
様々な役柄を演じ分けることがお出来になるのは
「俳優って普通、お化粧して仕事が始まるのに
(マニキュアなどを)取るところから始まる
俺ね、仕事ん時がオフで、普段がオンじゃねぇかと思う」

「『絶対こうじゃなきゃ』って信念があると
役で別のキャラクターになる時に、切り替えが必要な訳でしょう?
でも、それが、僕にはないんですよ」と話されているように
吹越さんにとってのお仕事モードが
ギアをニュートラルに入れられることから始まるからかなあと…?

ちなみに…奥さんは「殴る女」を録画したビデオテープがボロボロになるほどリピートし(笑)
音声を消して映像だけ映しても、全ての登場人物のセリフをアフレコ出来ると豪語してました(笑)
ステイホームの間、オンデマンドで流してくれないか?と期待したみたいですが

残念ながら、オンエア当時の視聴率が芳しくなかった作品なので(苦笑)
…って、吹越さんは「ザ・テレビジョン ドラマアカデミー賞」で助演男優賞を受賞されたし
ミスチルの主題歌「終わりなき旅」はミリオンセラーだったのになあ…(苦笑)

それはともかく…作曲家の千住明さんの「THE BEST!」は
「30年近く前から東京の五線紙メーカーにお願いしている」という
「A3判の縦型(36段)と横型(24段)の2種類」の五線紙で
「五線の間隔や余白、紙の厚さなど職人技」なんだとか…

「譜面(ふづら)」という「五線紙の面構え」を整えられるために
「太さの違うシャープペンシルを使い分け、綺麗に書くことを意識」なさっているのは
譜面には「『音楽』としてだけでなく『美術』としての要素もある」からだそうですが

その作曲のプロセスは「まず、五線紙にメモ書きしながら『種』をまく
締め切りに向け、それを『熟成』させて行く
頃合いを見計らって、それを取り出し
最終的にベストな作品に仕上げます」と千住さん

「これまでクラシックだけでなく、ドラマや映画など、映像音楽に多く関わって」来られ
「わかりやすい音楽」を意識して携わられたものの
「これからは『自分のための音楽』『自分にしか出来ない音楽』を創って行きたい」
…と、おっしゃっていて、ちょうど「エール」の裕一さんが
その「わかりやすい音楽」を意識し始めたシーンと重なりました(笑)

ただ、千住さんが「ずっと楽譜を書いていると、腱鞘炎と老眼になる
作曲はパソコンですることが多くなりました」と話されているのに対し

同じく作曲家の宮川彬良さんは「ほとんどの作曲家が
コンピューターと専用ソフトで曲を紡ぐ中、僕はずっと手書きです
国内で3人くらいしかいないんじゃないかな」とおっしゃっていて

それに欠かせないのが、ドイツ・ステッドラー社の製図用シャープペンシル
「MARS MICROGRAPHF 77019」だそうで
そもそもは、20歳の頃に、お母様のペン皿に置いてあったのを
「すごく手になじむ」ということで譲り受けられたみたいだけど

「30歳を過ぎた頃かな、何度目かの買い替えの時
製造中止になったと知らされて、ショックで…
これでないと書けなくなっていたから」と宮川さん
大手の文房具屋さんに相談なさると、全国のお店に連絡をして
在庫の30本をかき集めて下さったんだとか…

ただ…「あまり壊れはしないんだけど、失くすんです
スタジオで録音中に別の作業を始めて、忘れて来てしまう」らしく
今お使いのものを含めて、残りは2本…(苦笑)

でも、宮川さんは「なくなったら?…ご縁を信じていますから…
これだって、なぜ母が製図用シャーペンを持っていたか判らないのに出会った
必ず次のご縁がありますよ」と思っておられるようだけど

そのお母様のペン皿に置いてあった初代のシャーペンというのは
お父様ご愛用のものだったってことはないんでしょうか?(笑)
だって、きっとお父様も手書き派でいらしたと思うし…?(笑)

ちなみに、千住さんが話されていた「譜面」については…
「僕ら作曲家は、曲を書くのではなく、聞こえて来る音を写し取る
ほとばしる音を忘れない内に書き写さないといけない。勢いが大切なんです

楽譜の全体の印象を譜面と言いますが
音符の空き加減とか密度とか、譜面がカッコいい絵に仕上がったら、必ず良い曲になる」
…と話されていて、じゃあ、かの宮川泰さんが「HERO」について

「リフレインの歌詞(HERO~お前を離しはしない)は
小気味よく歌詞のアクセントとメロディがリズムに支えられ
一度聞いたら忘れられない完璧な出来ばえ
…にも関わらず『今が過去になる前に』は
『カコーになるマエーに』と、私も初見で一発では歌えなかった
前者の整然さと後者の乱暴さとの落差の大きさ」に驚いたとか

「『安奈』の『あんなー』は人名にも関わらず『あのなー』という呼びかけにも聞こえるし
また『あのような』の意の『あんなー』とも取れる
この辺の曖昧さこそが、過去の常識、しきたり、約束ごとなど無視して
感覚だけで作る当世風の新手法なのかも知れない
私なら『あん』を高く『なー』を低く作るだろう
これなら正しいアクセントになるのだが、魅力半減は否めない

また『お前の愛の灯は』のメロディにはゾッコンの参りようで、秩序と無秩序の同居
ある時は理性と教養で理論的、合理的
また、ある時はみずみずしき感性と奔放な表現に流されることなく
マイペースの曲作りの甲斐君、ガッツで駆けろ」…と評されたということは
プロの作曲家の目には、かなり変わった「譜面」に映ったのかなあと…?(笑)
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