ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

今年のアカデミー賞って…2

2019-02-28 19:32:00 | 日記
前回のセイヤングで、甲斐さんは
「アリー/スター誕生」をご覧になったばかりだったせいか、興奮冷めやらぬご様子で
ゴールデングローブ賞を逃した時も
逆にアカデミー賞は優位になったんじゃないかとおっしゃってましたが
確かに、本命は「アリー」と「ROMA/ローマ」の2強だろうと前評判も上々でした


甲斐さんオススメの「グリーンブック」は
「あのボディーガードと友達ではなかった」と
ご家族からクレームがつき、やや失速気味で
逆に「ボヘミアン・ラプソディ」が上げ潮…といった感じだったのが


まあ、勝負は下駄を履くまで…というか
「ROMA」は、外国語映画賞を受賞した時点で
ほとんどの方が「作品賞はないな」と確信なさったみたいだけど
「アリー」が歌曲賞のみというのは
「また白人ばかり」といった批判をさけたい空気もあったとかなかったとか…?


もっとも、レディー・ガガとブラッドリー・クーパーによる
【シャロウ】の生歌披露は、大いに盛り上がっていたし
ガガ様が涙、涙でコメントした
「これが意味するのは受賞ではなく諦めないこと」という言葉も素晴らしく


また、映画字幕翻訳家の戸田奈津子さんが…
「来日したハリウッド俳優や監督たちは
『オスカーを獲る獲らないが重要なのではなく
ノミネートされること自体が光栄』と、口を揃えて言います
アカデミー賞は、映画界の同業者たちの投票で選ばれるから
ノミネートは『業界から認められた』ことになりますからね」…と話されているように


ゴールデングローブ賞が、映画のみならず
ドラマやミュージカル・コメディ部門も含めたエンターテイメント性の高い賞で
アメリカ国外の記者たちの視点に基づいたものであるに対し


アカデミー賞は、ドラマ性の高い映画が
アメリカ国内の映画関係者によって評価されるとあって
より価値が見出だされるというのは
かつて、日本歌謡大賞よりも日本レコード大賞の方に
『権威あり』とされた感じと似てますね


まあ「レコード大賞受賞歌手」と同様に
「オスカー俳優」という肩書も、一生ついて回るものですし
そういう意味で、ラミ・マレックの主演男優賞受賞は
「ゴールデングローブの時より嬉しい♪」と奥さん(笑)


監督や共演者、スタッフ、家族などに感謝する受賞スピーチは
これまでも多くの受賞者が口にして来た内容と同じですが
ムーブメントコーチを雇い、1年かけて「フレディ」になり
撮影が終わってからもずっと「フレディ」の仕草や動きを研究しているくらい
この役に思い入れのあるラミ氏のコメントは格別だったらしく


役柄そのままに芽生えた、メアリー役のルーシー・ボーイントンとのロマンスにも
いつものような冷ややかな視線を向けることもなく(笑)
むしろ、映画の中のメアリーのセリフ…「あなたはきっと成功するわ」…が
ラミ氏に向けられた言葉みたいだと大騒ぎ(笑)
…で、ラミ氏のスピーチを何度も動画を再生してはうるうる…(苦笑)


「エジプトからの移民の子で、エジプト系アメリカ人」のラミ氏が
子供の頃に「自身のアイデンティに悩み
自分は何者なのかと模索して」俳優になり
軽やかに「僕は『この人しかいない!』という感じの候補ではなかったかも知れないけど
ナンとか上手くいったということですよね(笑)」と口にしながらも


「アイデンティティに悩み、自分の声を見つけようとしている全ての人へ…聴いて下さい
僕たちは、悪びれることなく彼自身として人生を生きた
移民で、ゲイの男性についての映画を作りました


僕が今夜、皆さんと一緒に、彼とその物語を祝福しているという事実は
こうした物語を僕たちが切望しているということの証です
僕の物語は、今ここで記されています」と
「この役への挑戦が、僕にとって何か証明すべきもの」であったことを振り返ってます


作品賞を逃したのは残念ですけど
ラミ氏の受賞には、皆さん心から拍手を贈られたんじゃないかと…?
ただ、我が家の購読紙は「ボヘミアン・ラプソディ」の作品賞受賞に
照準を合わせていた?みたいで(笑)
授賞式の翌日の朝刊には「伝説のチャンピオン」と題したフォーラムを掲載


元AKB48の高橋みなみさん、社会学者の宮台真司教授
脳科学者の茂木健一郎さんが、それぞれの観点から
「この作品の魅力」を語っておられます


高橋さんは「見終わった後、気持ちがすごく高ぶって
ライブを観に行った時と同じように
映画館で体感したという感覚」を覚えられたことや
フレディが「ソロ活動へと離れて行く場面」に
総監督を務められたご自身を重ねられたことを綴られ


宮台教授は、クイーンが「『女の子受けするバンド』というイメージでしたから
僕は隠れてライブに行きました
フレディの歌唱力、動き回り力強く歌う身体性
…といった『微熱感』に惹かれたんです


僕の周囲にいる20代の女性たちは、口を揃えて
『あの時代に生まれたかった』と言います
たぶん、彼女たちは失われた微熱感を取り戻したいんじゃないでしょうか


クイーンが全盛だった頃、社会は至る所に微熱感がありました
男たちは取っ組み合いのケンカをし
こいつは逃げないヤツだと信頼して仲良くなり
街では男女の視線がよく交わりました


今は、視線の交わりを誰もが全力で避け、街から微熱感は奪われました
でも、失望はしていても諦めていない彼女たちの間で
微熱感を擬似体験できるこの映画が口コミで広がったんでしょう」と分析され


茂木さんは「もともとクイーンには距離を置いていました
分かりやす過ぎる楽曲と、いかにもスター然としたフレディ・マーキュリー
当時人気だったアイドルバンドのベイ・シティ・ローラーズと同じく
ビジュアル先行のミーハー系でしょと…


それが、映画を観て初めて
フレディが実はゾロアスター教徒の移民家庭に育ち、性的マイノリティでもあり
外見にもコンプレックスを抱えていたことを知りました


生物学に『ハンディキャップ理論』という考え方があります
孔雀のオスの羽は大きく美しいけど
飛ぶ力は無く、天敵にも見つかりやすい
生存にはハンデですが、大きい羽を持つオスの方がメスには魅力的に映り
結局は、生存能力が高いということです


これこそフレディだと思いました
『パッション』という英語が『情熱』と『受難』という意味を持つように
彼の音楽への情熱は、逆境から生まれたのです


映画なのに音楽の構成に近いことも
リピーターに繋がったんじゃないかな
ライブ場面に向けて、わーっと昇華して行く構成は、まさに音楽
脳内でドーパミンの分泌が促され、快感となり
再び映画館に足を運ばせたのです」と、おっしゃっていて


全面に配されたお三方のご意見を読み
「ボヘミアン・ラプソディ」の公式スチール写真を見ると
作品賞を獲ったのか?と思えて来るほどです(笑)
ちなみに、今日の朝刊には「白人偏重薄れ
黒人・少数者主役の作品に脚光」といった視点で
「第91回アカデミー賞」の総括が載ってました


…が、やはり我が家にとっての「今年のアカデミー賞って」
ラミ・マレック、クイーン、ボヘミアン・ラプソディ一色だったような気が…(笑)


もっとも「グリーンブック」はもちろん
ライアン・ゴズリング主演
「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督の「ファースト・マン」も観たいし
まだまだ書きたいんだけど、今日から「LEGENDS」3月分が放送されたし
「セイヤング」でも、アカデミー賞に触れられるでしょうし
続きはまた後日?ということで…(笑)
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今年のアカデミー賞って…1

2019-02-27 16:18:00 | 日記
本当の映画好きの甲斐さんほど熱心ではありませんけど
毎年、授賞式は一応チェックしている我が家
今年は、奥さんの「ボヘミアン・ラプソディ」熱に引っ張られ
いつもより余分に高まりました(笑)


当初、欧米の映画関係者の評価は決して高くなかったものの
前哨戦とされるゴールデングローブ賞を受賞し
監督のセクハラ問題にも関わらず、追い風が吹き始めて
「もしかしたら…?」と思ったんだけど
やはり作品賞には、手が届きませんでした…


ただ、2010年以降の作品賞は、作家色の強いドラマ性を重視するあまり
それまで作品賞を獲れていたような風格のある娯楽大作の力が弱まり
スパイダーマンやバットマンといった
アメコミのキャラクターが活躍する超大作シリーズが大衆の支持を得ても
興行的に成功したとは言えない作品の受賞が多く


本来、作品賞は「スターの存在感に加えて
娯楽性やドラマ性を上手く融合させ、大衆にもアピール出来る作品」
つまり「全世代の気持ちを掴み、観客が何度も観に来る世界的なヒット作で
記憶と記録の両方に残る映画」に与えられるべきであるとの意見もあり


昨年夏、アカデミーは、作品賞とは別に
優れた興行成績をおさめた映画を対象にした賞を新設すると発表…が
「人気作品を作品賞の対象から除外する気か?」と物議をかもすことに…(苦笑)


確かに、歴代の作品賞受賞作…「風と共に去りぬ」「ベン・ハー」
「アラビアのロレンス」「ゴッドファーザー」「ロッキー」「タイタニック」
…などなど、世界的に興行収入をあげた作品が
作品賞とは別の「新賞」に輝いていたとしたら…と考えると
「なんだかなあ…」って感じですよねぇ(苦笑)


まあ、これは「ボヘミアン・ラプソディ」の興行収入が
無視できないほど高くなったことと
動画配信作品から初めて「ROMA/ローマ」がノミネートされたことで
板挟みとなったアカデミーが、大いに迷走した結果なんじゃないかと…?


カンヌ映画祭事務局は、この「ROMA」と同じく
Netflixの制作映画がノミネートされた際に
動画配信会社の参入による新たな可能性に理解を示しつつも


「劇場のスクリーンで映画を観る文化は守られるべきだ」として
「フランスの映画館での上映が約束されない作品」を
コンペ部門に参加させないとの声明を発表しましたけど
アカデミーでも同様の葛藤があったのかなあと…?


まあ、フランスは「映画興行発祥の地」とあって
「スクリーンで上映すること」へのこだわりが強い上に
その映画興行の利益を守るため、劇場公開から36ヶ月経たないと
ネット上で配信できないという規定があり


また、映画館の入場料収入の一部を、国立映画センターが税金として徴収し
テレビ局からの徴収金と共に、映画制作や振興策への助成に充てることになっているため
劇場公開を拒むNetflixを受け入れることは出来なかったみたいです


もっとも、このような規定やシステムは
「ネット配信の普及を想定していない」との批判を浴びたり
また、制作者側からは「Netflixは、配役から撮影、編集まで
完全な自由と予算を与えてくれた」とか
「Netflixと組まなければ、制作は不可能だった」といった声も上がったらしい


日本映画も、人気漫画や原作ものなど
集客が見込める作品が喜ばれ
監督が自ら企画する作家性の強い作品は
大手の映画スタジオが経済的リスクを恐れるため、製作費が集まりにくく
シネコンに押され、アート系映画館の数も減少していて
リスクを負ってくれる存在を待望している状態なんだとか…


ともあれ…そんな背景に加え、ハーベイ・ワインスタインのセクハラ問題や
「オスカーは真っ白」という白人至上主義への批判
高齢化したアカデミー会員の無気力な投票などを経て


「地味で政治的過ぎる」と言われる授賞式は、視聴率が低迷しているため
「今回は、CM中に撮影賞など4部門の受賞者を発表する」としたところ
有名監督や俳優から猛反対が起きて撤回する羽目になり(苦笑)


その授賞式の司会者が、同性愛嫌悪ツイートによって降板するなど
「アカデミー賞を観れば、アメリカの今が判る」という甲斐さんのお言葉通り
アカデミー内での意見の多様化や価値観の違い
迷いに迷っている様子が窺えますが(苦笑)


「計11部門でノミネート」とか「9部門受賞」といった圧倒的な作品はなく
最多受賞の「ボヘミアン・ラプソディ」で4部門(主演男優・編集・録音・音響編集)
作品賞・脚本賞・助演男優賞を受賞した「グリーンブック」と
「万引き家族」を抑えての外国語映画賞と監督賞・撮影賞を獲得した「ROMA」


そして、作曲賞・美術賞・衣装デザイン賞に輝いた「ブラック・パンサー」が3部門…
という結果で、主演・助演女優賞も含め
主要部門をそれぞれの作品が分け合った無難な?落としどころ…って印象です


司会者は不在ながら、クイーンのステージでボルテージが上がり
今回は、封筒の渡し間違いもなく(笑)
プレゼンターのコメントも小気味よかったみたいで
サクサクっと進行し、時短に成功
視聴率も12%アップとまずまず…といったどころでしょうか?


ただ、やはり「グリーンブック」の作品賞受賞には
「不愉快なほど鈍感」やら「白人救世主の物語」やら
「うわべだけの取り繕いに過ぎない」など祝福とは程遠いコメントも多く


「ブラック・クランズマン」で脚色賞を獲得したスパイク・リー監督は
「誰かが誰かを乗せると、私は必ず負ける」と
かつて「ドライビング・ミス・デイジー」に敗れた不運を引き合いにして
「グリーンブック」の作品賞受賞に不満を隠せない様子で
まだまだオスカーは「真っ白」なままなのかなあと…?(汗)


ただ、甲斐さんオススメの映画だし
マハーシャラ・アリは「ムーンライト」に続いて助演男優賞を受賞したし
やっぱり観てみたいですよねぇ(笑)
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平成最後にあれこれ10

2019-02-25 19:00:00 | 日記
カラオケの第一興商が、平成の間に最も多く歌われた楽曲を発表しましたが
1位の【ハナミズキ】を始め、尾崎豊さんの【I LOVE YOU】や
夏川りみさんの【涙そうそう】など
甲斐さんもカバーなさった曲がベストテン入りしていて
やはり、大勢のプロの方が「歌ってみたい」と思われるほど魅力のある曲が
時代の曲として残って行くんだなあと…


90年代後半は、バブル崩壊後の暗い世相の中
イケイケで盛り上がる音楽が次々と生まれて「メガヒットの時代」と呼ばれ
テレビドラマのタイアップなどから誕生したヒット曲は
カラオケで歌い尽くされ、瞬く間に消費されて行った訳ですが


「1990年代論」の編著者の大澤聡さんは…
世紀末でもあった当時は「この楽しい時間は必ず終わる
だから『いま・ここ』を充実させよう…といった
刹那的な気分が蔓延していた」と分析なさっていて
70年代後半に、同じ「いま」を歌った
甲斐バンドの「刹那さ」とはずいぶん違った
「投げやり」な感じを受けますね(苦笑)


90年代の寵児でいらした小室哲哉さんや安室奈美恵さんが引退され
爆発的にモノを消費した時代が終わると
「音楽鑑賞の軸足はライブ体験などに移り、ヒットは見えにくくなった」と大澤さん


「ネットでは、どの時代の音楽も聴けるが、時間軸が消える
アーティストの寿命は延び、復活や再結成も恒例化した
90年代を最後に、文化的な作品に新しさではなく
定番が期待されるようになった」と結ばれていて
冒頭の「カバー曲」や、リメイク作品など
「そういえば…」と思い当たること多数…(笑)


お馴染みの「昔話」を主役の気持ちで描き直した
「1人称童話」シリーズもそのひとつで
「主役を悪役に描き変えるパロディではなく、あくまで原作を敬いつつ
視点を変える体験をして貰う」という絵本には


「鬼って巨体…勝てる訳ないよ」とおじけづく桃太郎や(笑)
少し計算高いシンデレラ、飽き性の浦島太郎などが取り上げられていて
以前にご紹介した「鬼の立場から見た『桃太郎』の話」と同様に
「他者の気持ちを汲むこと」のきっかけになっているようです


「イソップ以来の誤解をほどく」と銘打った
「子どもには聞かせられない動物のひみつ」という本には
「中国在住・パンダさん」が「あー、かわい子ぶるのは、もううんざり
器用な動くぬいぐるみ?それ、動物園の中だけの幻想だから!
野生の群れが繁殖の季節に、どんな荒々しい振る舞いをするか
YouTubeとかで発信して、全人類をのけぞらせてやりたいわ」とぼやき(笑)


同じく「白黒かわいい系」ジャンルに押し込められた「皇帝ペンギンさん」も
「85%は毎年パートナーをチェンジするの
一夫一婦制の甘い夢なんか見てたら
厳しい自然に淘汰されちゃうでしょ!」とハゲ同(笑)


渡り鳥をやめて、スペインのゴミ処理場で暮らす「コウノトリさん」も
「俺らは子孫を残すために生きてる
だから、セックスライフは最重要事項だ
世のお父さんお母さんは、この本を子ども達が見つけやすい場所に隠して
正しい知識を届けて欲しいね」とコメント(笑)


動物の生態を記した既存の本が数々ある中、切り口が斬新というか
「子どもには聞かせられない」けど
避けては通れない性教育の一環として「読ませたい」話なんじゃないかと…?(笑)
今は、予めブロック出来るアダルトサイトだけじゃなく
少し前に問題になった「エルサゲート」と呼ばれる悪意に満ちた動画が
いつの間にか子ども達の目に触れてしまう時代ですし…(汗)


インターネットサービスが普及し、更に進化を続ける一方で
動画サイトの競合も激しくなり
「ニコニコ動画・ニコニコ放送」が不振にあえぎ
「みどりの窓口」が大幅に減少し
コンビニや駅ナカ店の充実により、車内販売が中止になったり


逆に、フリマアプリ効果で、クリーニング店や
百円ショップの包装資材の売れ行きが伸び、郵便局の利用頻度が上がったり
…と、ちょっと前まで「当たり前」に存在したり「最先端」と呼ばれていたものが
あっという間に取って代わられていることにビックリします(苦笑)


平成生まれの言葉も、若者を中心にネットで浸透し
広辞苑に次々と収録されていて
平成元年の流行語大賞だった「セクシャル・ハラスメント」は
今や「パワハラ」「マタハラ」「アルハラ」といった後続が絶えず
「ストーカー」「バツイチ」「ドタキャン」
「シングルマザー」「フリーター」「ニート」など
それまでも存在していた事柄に、ちゃんと「名付け」がされ


「ヤバイ」「盛る」「炎上」などは、本来の意味の他に
新たなニュアンスや使用方法が加わったし
「イケメン」「ウザイ」「チャラい」「がっつり」「上から目線」など
年齢に関係なく定着した言葉も少なくありません


「~かな(と思います)」「~みたいな」「(1つの例しかないのに)~とか」
「~でよろしかったでしょうか?」「~になります」「〇〇感」…といった
聞き始めた頃は、違和感満載だった表現もあっさり耳に馴染んでしまい
「神対応」や「鬼速い」「半端ねぇ」も
「以前は、ナンて言ってたっけ?」状態…(笑)


今日のアカデミー賞授賞式で、最優秀作品賞は逃したものの
最多4部門に輝いた「ボヘミアン・ラプソディ」
また再上映や応援上映があるやも知れませんし
「ボヘミる」という言葉も残って行くかも知れませんね?(笑)


余談ですが…監督賞から外されようが、作品賞を逃そうが
「最優秀主演男優賞さえ獲れたら、それでいい!」と願っていた奥さん(笑)
ラミ・マレックがオスカーを獲得したと知ってガッツポーズ(笑)
受賞コメント全文を読んでうるうる(苦笑)
まだ当分、クイーン熱は冷めないんじゃないかと…?(笑)


それにしても、司会者不在の代わりに
クイーン&アダム・ランバートがオープニングアクト…って見た過ぎる~!(笑)
それも、クイーンが今なお活動を続けていればこそなんだと思うと
「定番が期待される」時代も悪くないかなあと…(笑)
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平成最後にあれこれ9

2019-02-24 18:20:00 | 日記
甲斐さんが、U2のライブに行かれ、場内のモニター映像をご覧になって
「アメリカは、4Kを飛び越して8Kになってた」という話をなさってましたが


この「K」は「千」を意味する「キロ」の略で
フルハイビジョン2Kは、横に約2千個の2百万画素
4Kは約4千個の8百万画素、8Kは約8千個の3千3百万画素…って
そりゃ「人間が視覚では捉えているが意識していないようなレベル」…


例えば「張り手を受けた力士の肌の赤らみがくっきり見える」とか
「宝石などのきらめきが、よりリアルに映る」とか
「大きな舞台を遠目に撮影しても、壇上にいる人物の表情がぼやけず
細部まで鮮明に映し出せる」…との説明にナットク


野球やサッカーの中継では「ゲーム全体を俯瞰しながら
同時に個々の選手の動きも明瞭に捉えられる」そうだし
テレビ通販会社の広報担当の方は
「より実物に近い形で、質感や色合いを伝えることが出来るため
商品が届いた時と、テレビで見ていた時のイメージの差が最小限になれば
返品率の低下に繋がるはず」と期待なさっているみたいです


まあ、我が家は新聞のコラムに書かれていた…
「実際はどんなに綺麗かと想像する必要すらなくなったか?
本物に出会った時の感動をとっておくことが出来なくなるのは少し寂しい」
…との一文に一票かな?(笑)


ともあれ…現在は、民放のスポンサーの関心が低く
本来の4Kの画質が流れるのは、1日に1割くらいで
残りは、2Kの番組を4K相当の画質に補強して放送しているらしいし
4Kテレビの保有率もまだ1桁台で
ただでさえ、テレビ離れが進んでいる中
買い替えなどによる普及がどれだけ進むか疑問視する声も…


ただ、8Kは「究極の2次元」と
呼ばれ、高精細化の到達点とされていて
8K以上に高精細な映像が実現したとしても
人間の目では、もはや8Kとの違いを認識できないようですし
そういう意味では、同じ買い替えるなら…と
お考えになる方も少なくないんじゃないかと…?


さて、よりクリアな音やリアルに近い映像が楽しめたり
「体験」を重んじる傾向があったり
ぴあの矢内社長によれば…
「人に感動を与えるのは唯一その場にしかない『生』のもの」…という昨今


生身の人間が観客の前でパフォーマンスを披露する「音楽」や「演劇」は
その「ライブ感」を特徴として来た訳ですが
ついに、インターネット上の仮想空間にも「劇団」が誕生したらしい


「バーチャル劇団まぼろし座」は
演者が、VR世界に自分のアバターを作り
部屋の中にセンサーを設置して、PCの前で演技をすると
動きを追尾する装置と内蔵マイクで動作と声が反映されるのへ
舞台装置を加えて、擬似的な劇場空間を生み出すんだとか…


座長のトラオム・ホッフヌングさんによれば…
「VR空間の表現には、物理的な制約がない
特殊効果も使えるし、舞台の構造や衣装を変えるのも自在
現実の劇団では、稽古場に集まる手間もかかるが
『まぼろし座』は稽古もVR空間
PCさえあれば、どこからでも参加できる」…そうです


大学時代に所属されていた劇団では
団員が自腹を切る資金難に悩まれていたのが
仮想空間では、劇場や稽古場はもちろん、資材の費用も不要で
ネット上には、舞台のセット作りや衣装のデザインなどに長けた賛同者の方々がおられ
プログラミングや編集など、いわゆる裏方の皆さんが正式な団員で


作品の出演者は、制作のたびにSNSで募集
トラオムさんやユーチューバーの方々が稽古をつけ、演出なさって
出来上がった作品を動画サイトで発表する
…という形を取っておられるみたいだけど
専用の装置を付ければ、VR空間に入った視覚効果が得られ
多くの観客が一度に見る環境が整えば
「生上演」も可能なんだとか…


劇団「青年座」主宰の劇作家・平田オリザさんは
ロボットと人間が共演する舞台を作られ、世界十数ヵ国で上演なさっていて
「ロボットも観客を楽しませることが出来た
演劇は、生身の人間がやるから面白い訳ではないのだと感じた


人が人に何かを伝えようとする行為は
全て演劇だというのが僕の立場
VRなどの技術によって、今まで演劇に加われなかった人も参加できる可能性が広がる
券を買って劇場に赴く現代の構造も、この数百年に成立したもの
演劇自体は残るが、そのシステムは変化し得るものだという思考の整理をするべきだ」
…と、おっしゃっているんだけど


仮想空間での表現の是非はさておき
「生」で体験する、その場にいる人々と感動を共有する
…といった点が「ライブ」の醍醐味というか
拍手や歓声、笑い声や固唾を飲む音など
観客のリアクションも、ひとつの舞台装置でしょうし


演者の方の汗が滴る様子や、場内の熱気、空気の匂いといったものも
その場にいないと判らないんじゃないか?と思ってしまうのは
昭和の古い人間のヒガミなのかなあ…(苦笑)


それとよく似た感覚を覚えたのが「eスポーツ」で
当初は、それこそ「スポーツ!?いやいや、ゲームでしょ!?」って感じで
「スポーツは、身体を使って、汗を流して、技を競い合うものなんじゃないの?」
…とシンプルな疑問がふつふつ状態でした(苦笑)


でも、海外では、高度な判断力を求められる
「スポーツ」として認知されつつあるようで
瞬時の判断や動きが勝敗を分けることも多く
また、長時間、集中し続けるための体力が求められるらしく
筋力トレーニングを欠かさない方もおられるみたいですし


直接、体をぶつけ合う訳じゃなくても
「一定のルールに則って、勝敗を競い
それを見た観客が熱狂し、会場が盛り上がる」という点では
いわゆる「スポーツ」と同じ…という考え方もあるとおっしゃる方もおられたり…


もっとも、ゲーム障害にかかる危険性や
バーチャルと現実の境界が曖昧で
人の痛みを感じる感受性が鈍くなる傾向などには注意が必要でしょうね


ただ、やはり「スポーツ」と呼ぶには、少々抵抗がありますし
オリンピック競技に加えるのではなく…って
そもそも、オリンピックの開催時期やら競技時間の前倒しやら
みんなアメリカさんのご都合に合わせてる上に
競技種目の選択にまでご意向が入り込んで来るのもいかがなものか?という気がするし
将棋やチェスみたいな独自の大会で競い合って頂きたいなと思っております
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平成最後にあれこれ8

2019-02-23 19:07:00 | 日記
甲斐さんは「ボヘミアン・ラプソディ」の応援上映について
「ドッカンドッカン騒いでいいと思うんだけど国民性かなあ?」とか
盛り上がっているとお聴きになって
「イイぞ!イイぞ!ニッポン!」とおっしゃってましたが(笑)


今どきの若者は「体験にお金を使いたい」という傾向が強くなっているらしく
映画「君の名は。」のヒットも「クライマックスに生理的快感を与えてくれ
ライブのような体験的要素があり
映画館という場で、もう一度感動を味わいたい、誰かと共有したい
…という思いが、リピーターや口コミを生んだのではないか」と分析されていて


「コト消費」「トキ消費」を更に促すために
多彩なアイデアや仕掛けが生み出されているようで
例えば、パナソニックは、1年前からスタジアムでのスポーツ観戦の際に
様々な映像が楽しめるスマホ向けサービスを実施


専用の無料アプリを端末に入れて、スタジアムの無線通信網に接続すると
スタジアムの色々な場所に設置されているカメラの映像を選ぶことが出来るため
自席から見られない角度のプレーを見たり
見逃した瞬間の映像を巻き戻して見たり
試合の運営側が提供すれば、ルールの解説動画や多言語実況も楽しめるんだとか…


カープファンの皆さんにはお馴染みの「CCダンス」…
五回裏が終わると、スタンドの通路にいらしたビールの売り子さん達が
フェンス際で披露なさるダンス…を始め
バーベキューをしながら観戦できるテーブル席や
グラウンド間近でプレーが見られる「砂かぶり席」
ごろ寝観戦OKの「寝ソベリア」などのシートを設置したり


球場全体を周回できるコンコースという特徴を生かし
給食事業などを手がけるエーム社が売店を一括運営することにより
全部で25あるワゴン販売では、気温に合わせて
夏でもビールやかき氷を熱燗やココアに変更するなど
柔軟な対応を可能にしたりと


広島市民球場の建て替え計画を機に
球場にエンターテイメント性を加え「ボールパーク」化したメジャーに習って
老若男女が楽しめる空間を提供しているし


フェンシング界も、試合会場を劇場に移し
公演さながらに開演ブザーが鳴ると
フェンシング選手の衣装をまとったダンサーが
DJの流す音楽に合わせて踊るというオープニングに続き
ライトアップされた中、出場選手が登場


フェンシングを初めてご覧になる方のためのルール説明や
試合の解説が聴ける館内のラジオ放送があったり
選手の緊張感が判るように心拍数を大型スクリーンに表示したり
試合後、心拍数の変化のグラフを見ながら戦いを振り返ったり…と


「客席と選手の距離感を近くする狙い」は当たり
協賛金は6倍、入場券は完売、客単価も3倍以上にハネ上がり
選手からも「普通の大会と東京オリンピックの違いは、周りの注目度
観客との距離が近く、注目される中で経験を積めたのは大きい
世界でもなかなか出来ない」と概ね好評を得ているみたいです


Bリーグの千葉は、床や壁面に映像を映し出す
プロジェクションマッピングなどの演出に力を入れる他
「Putmenu」というアプリをダウンロードしておくと
座席はもちろん、会場内のどこからでも
飲食物の注文して、クレジットカード決済ができ


呼び出しを待ってカウンターに行けば
行列に並ばずに商品を受け取れるシステムを導入
将来的には、席に座ったままで商品受け取りが出来るような環境作りも検討中らしい


更にBリーグではAIを活用し
需要供給の変動に応じて、チケットの価格を変動させる
「ダイナミックプライシング」というサービスを開始


チームの順位や天候、繁閑期などの条件をもとに、座席ごとに価格を調整し
転売による高騰を防ぎ、空席の解消を目指す仕組みで
Jリーグの横浜マリノスやプロ野球のヤクルト、ソフトバンクも導入していて
ラグビーもサンウルブスが価格変動チケットを売り出すみたいですが


例えば、昨年のJ1は、イニエスタが加入した神戸の試合に需要が膨らみ
高額転売の対象となる可能性があったため
このシステムにより、価格が上昇
転売を防ぐ効果が見込まれた一方で


人気のない試合は値下げし、購入のハードルを下げて
観客席の稼働率アップを図るということで
観客にとっては支払い額が読みにくくなり
実質的な値上げを警戒する声が挙がったり


人気のカードは、更に利益を上積みできる反面
新規のファン獲得には直接繋がりづらい策のため
空席が目立つチームにとっては効果が実感しにくい点が指摘されていて
価格の意味を分析し、需要をいかに高めるかを考える必要があるようです


まあ、考えてみれば、JRや航空各社は
年末年始やGWなどの繁忙期には運賃を上乗せしているし
USJも料金変動制を導入したし
観戦チケットも需要と供給のバランスを考慮するのは当然といえば当然でしょうね?


メジャーリーグでは、エリアごとで一律の値付けではなく
個々の席ごとに価格が決まっていて
観客は予算に応じて、どの席が買えるか検索し
良い席で見るためにお金を多く払うとか
人気の試合は遠めの席で価格を抑えたい…という風に
個々のニーズを反映できるシステムが定着しているし…


となると、ライブのチケットも「全席一律いくら」ではなく
海外ミュージシャンの武道館ライブで
価格が段階的に設定されているみたいに
かつてのような「S席」「A席」「B席」「立ち見」といった区分を復活させるとか
東京や大阪、名古屋などの主要都市と地方とで価格を変えるとか
売れ行きを見ながら変動させる…などの展開もあるんじゃないかと…?


余談ですが…「ぴあ」の矢内社長は「コト消費が活況を呈している一方で
首都圏のライブ会場不足が指摘されている
自社会場を持って、ライブエンターテイメントを安定供給できるようにし
市場の維持・拡大を狙うため
横浜のみなとみらい地区にアリーナ建設を進めている
アリーナを持てば、ライブの企画からプロモーション
チケット販売までトータルに行うことが出来る」そうで


休刊した雑誌「ぴあ」に代わり「スマホアプリ版ぴあ」を立ち上げ
「雑誌の特徴だった情報の網羅性に加え
登録したアーティストの情報を逃がさずチェック出来る機能なども盛り込み
ネット時代の機能性との融合を目指す」とのことですが


「70年代の創刊当時は、何を検索したいか判らなくても
ページをめくる中で色々な気づき・発見があった
今は、誰もが知っているモノも欲しいけど
小規模で良いから自分の好きなモノも大事にしたい…という時代

エンターテイメントの単位が『二極化』しており
若者は、情報を俯瞰して見ることに慣れていないと感じます
アプリ版は、自分が見たい・聞きたいと思う
ワード以外のものに出会う場にして行きたい」…と話されていて


ゆくゆくは「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットのように
アーティスト自身の年齢に関わらず
幅広い世代のファンが、一堂に介するライブが見られるかも知れませんね?
コメント
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