ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIKその13

2016-01-30 13:42:02 | 日記
甲斐バンド ライブスケジュールの取材メモの最後にあった
1982年7月5日の堺市民会館での爆破予告事件について
このブログネタの初回にご紹介した82年9月号に「証言」が掲載されてます

「会場を爆破するという若い男の電話があり
それを受けた会館の人が動転して
すぐに警察に通報してしまった」そうで

舞台監督の諫山喜由さんは
「スタッフが受けてたら、あんなにならなかったろうね
冗談やめろよ、くらいで応対できたんだろうけど
話が大きくなってしまった」とおっしゃってますが

その時は、ちょうどセッションの皆さんが楽屋にいらしたらしく
「堺は楽屋から会場まで遠いから、早く行かないと…と外に出したら
お巡りさんさんとイベンターが揉めてる
私服だったんで、変なオジサンが揉めてるなあって感じでしたね」

「爆弾」とお聞きになっても
「ともかくステージは進めるつもりだったから
セッションを舞台に上げたんです
上がりたくなさそうでしたね
目線が浮いてました。動揺してましたね」…って、そりゃそうでしょ(汗)

「イベンターに私服が、中止しろと言ったんです
そしたら、イベンターが言葉のあやだろうけど
ちょっと待って下さいって言った
それで警察の人が本気で怒り出したのね
ちょっと待てはないだろ!
ホントに爆発したらどうすんだ!
すごい剣幕でしたね」…たぶん、バリバリの関西弁だったでしょうし…(汗)

トレードマネージャーの樺山成人さんは
「イベンターが最初に警察から連絡を受けたんですけど
その時はもう、警察官がワッと来てた
パトカーが多いねなんて言ってたら、ドッと上がって来た
ヘルメットの機動隊もいましたね」

「二手に分かれて、いきなりゴミ箱を引っくり返すんです
有無を言わさず調べられましたね
お前、爆発したら死ぬぞとか言われて…」

「クロークの中に1個、鍵がかかって開かないトランクがあって
これ、開かないんです!って誰かが叫んだら、サッと警官が来て
ガサガサやってみて、音してないぞ…
でも、考えてみたらカチカチなんていわないんだよね
時限爆弾がカチカチいうのは、テレビや映画だけで
警察も慣れてなかったんだろうね」
…警察の方も刑事モノをご覧になってるんだ?(笑)

佐藤剛さんは「イベンターに説明されて、どうしましょうか?って言われた
もう、周りには不審な物はないみたいだから、会場を探させたいって…
その時そばに前島さんがいて、どっかで灯りを点けた方がいいって言うから
じゃ、すぐやりましょうって舞台に行ったんです」

「ちょうど喋りの所で、諫山と会って
彼が今から甲斐さんに言って貰いますって言うんで
動揺しないように…とか、言い方を確認して上がって行ったんです」

読者投稿によると
「安奈を歌うために椅子に腰かけた甲斐よしひろが
楽し気に朝からプールで泳いだ話をしていた時だった
舞台監督が突然、甲斐よしひろの所へ走り込んで来て何やら耳打ちをした」

「甲斐よしひろが、落ち着いた声で
爆弾を仕掛けたと電話があったと知らせた時、足がすくんだ
シーンとして、ざわめいて、次のざわめきに移ろうとした時
一緒に死のうぜ!という声が一際高く耳に残った」

その時、諫山さんはそのまま甲斐さんのそばに座っておられたらしく
「甲斐さんが、異物があったら手を挙げろって言ったでしょ?
でも、甲斐さんは目が悪いし
おまけにピンスポが当たってるから見えない
いっぱいいたんですよ、ハーイとか手を挙げてる奴が…2階とか…
言い方で冗談とは判りましたけどね」

奧さんに言わせると…こういう時にこんなフザけ方する奴が
実は一番ビビってるんだとか…(笑)

ここだけの話…って、書いて公表してますが(笑)
謎の(笑)音源によれば、甲斐さんは諫山さんの連絡を受けられて
まず「動かないでね、頼むから…かなりキワドイモンヨウがあるようなんで…」とおっしゃって
次に「一番後ろのゾーン、ドアね、2階の一番後ろね」と非常口を確認され
「こんな時は、まず男たちがしっかりして欲しい。抜かしちゃダメです」と
観客には、ある種「?」の言葉を口になさった後
「いいかい、あのね…時限爆弾が仕掛けられたって電話があったらしい」と…

観客のざわめきの中「仕掛けられてたら困るだろう?
イタズラ電話って可能性はある、当然、こういう場合…
コンサートが出来なくなったらイヤだもんね、イヤだろう?」と
笑いを含んだような声のトーンで話されてます

「あった~!」「これか?」など冗談めいた叫びがおさまり
「ない!」「ないよ~!」「大丈夫!」との声が上がって
事態は収束に向かったみたいですが

甲斐さんもイタズラだろうと思いつつも
突然の知らせに驚かれたことは間違いないでしょうし
何より観客がパニックを引き起こすことが一番怖かったんじゃないかと…?
花園ライブに続いて、甲斐さんの咄嗟の対応力が発揮されましたね

ともあれ、投稿に戻って…
「緊張感は興奮を高める…アンコールを叫ぶ声は
HEROの大合唱となって行った
爆弾は爆発せず、ステージは無事終了した
その夜、生命を拾った少年少女たちの顔には笑顔が溢れていた」

ただ、この投稿者の方は「一緒に死のうぜ!」という声を聞かれた時
「私ももう少し若かったら、そう思ったのかも知れない
いや、確かに思っていた」

「そう一番先に叫べなかったのがもどかしかった
死と背中合わせになりながら、怖くなかったと言えば嘘になるだろう
でも、なぜか一歩も離れることが出来なかった」と
その日の相反するご自身の気持ちを記され
「コンサートが終わって真剣に考えました
甲斐さんとホントに死ねただろうか」と自問なさっていたようです

後日、この件について他のファンの方から
「もし、私が行ったコンサートで爆弾事件があったとしたら
甲斐氏と一緒に死ねない感じがする」

「死んでもいいとカッコよく思うところまでは出来るけど
逃げ出しそうな気がする
今になって家族のありがたさが判って来たんだ
私の身体、親の宝物なんだよね」という18歳とは思えない
しっかりしたご意見が投稿されてます

奧さんは、幸か不幸か?或いは残念ながら?(笑)
このライブには参戦してませんが
その場にいたら間違いなく「一緒に死のう」派でしょうね(笑)
10代の頃は、ホントに甲斐さんなしでは
夜も日も明けない日々を送っていたようだし…(笑)

今となっては笑い話だけど
奧さんの母上は、有名人が事故や病気で亡くなったというニュースを見るたび
もし甲斐さんの身に何かあったら、ウチの娘は…と
本気で心配していたらしい(笑)

それはさておき…佐藤剛さんによると
「新聞社が来てたのには驚きましたね
いきなりフラッシュが焚かれて、間違われたか、スキャンダルかって…
新聞には本人の談話風に載りましたけど
甲斐よしひろはノーコメントでした」

その傍らには「爆破予告1600人が捜索」「甲斐バンド機転」
「舞台から、冷静に…」という見出しと甲斐さんのバストショットが載った
「読売新聞」の記事が…スポ紙じゃないんだ?(笑)

結局、ライブに行けなかったファンのイタズラと処理されたみたいですが
「後遺症があるんです」と樺山さん

「京都会館の時、スタッフ全員が警察に調べられて、名前を書かされた
いつもこうなんですか?って訊いたら、甲斐バンドだけです(苦笑)
二度とあんなことしないで欲しい
イベンターも、こんなことが流行ることを怖がってます」と…

まあ、その1回だけで何事もなく済んだから
「伝説」の一つになってるんでしょうけど
今だったら、当時以上にパニックが起こる可能性が高いんじゃないかと…?

やはり、当時は甲斐さんも観客も電話をかけたファンも
若さゆえの無鉄砲さがあったような気がします
















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機関紙BEATNIKその12

2016-01-30 04:17:53 | 日記
さて、今回は「取材メモ」以外のその他モロモロです
例えば「甲斐バンド ALL ABOUT BEST10」という連載?
第1回では「うまいビールのベスト10」を

甲斐バンドのメンバー3人、佐藤英二さん、小林よしのりさん、田家秀樹さん、
井出情児さん、佐藤剛さん、東芝EMIのディレクター・米田恵一さん
ファイアーハウス・樺山成人さんの10名が
選考委員として、それぞれベスト3を選出

1位3点、2位2点、3位1点で集計した結果(総合点)と
その銘柄の推薦者が発表されてるんだけど
総合点と推薦人数から割り出した(笑)甲斐さんのベスト3は
1位 サントリー純生(缶)、2位 COORS
3位 バドワイザー(米国発売のみ)で
ワースト1は「ここ3年間のキリン大瓶」なんだとか…(笑)

第2回は「延べ100日以上もレコーディング・スタジオに入っていた間
どんなものを食べていたのか?出前の一大調査を行ってみた」らしく(笑)

1位は、元禄弁当(海老フライ、巻カツ、焼魚、厚焼玉子、筑前煮) 780円
勝因は内容のバラエティーさか?
それともやはり「筑前煮」かな?(笑)

2位 牛肉旨煮かけ御飯 600円、3位 レバニラ炒めライス 800円
洋食弁当 800円、カレー南蛮 450円とガッツリ系メニューが並び(笑)

6位の牛肉旨煮かけ御飯 600円は、2位とは違うお店のもの(笑)
以下、カレーライス、冷麦、中華弁当、ヒレカツ弁当で
「早ければ夜中、遅くなると翌朝に終わる」レコーディングを
乗り切っておられたみたいです

読者から寄せられた「マイ・コレクション」のコーナーでは
甲斐バンドの新聞や雑誌の切り抜きが掲載され
「その時は読み捨ての対象でしかないのだけど
しばらくたって読み直したりすると
その時その時の現在がキチンと残されていて貴重な記録になっていく

甲斐バンドは特にそんな現在(いま)を鮮烈に持っているバンドだから
こうして切り抜きを改めて見てみると
マスコミの中でどう見られていたのかがよく判って面白い」
…と書かれてるんですが、正にこのブログでは
奧さんの記憶と共に貴重な資料として活躍してくれてます(笑)

「やはりHEROの前と後で扱い方がガラリと変わっており
以前は、ロックゲリラみたいな扱いが多く
記事の内容もグループ紹介風な書き方が目立つ」

「朝、ちゃんと新聞読むような人が好きなのね
奥サンの座に甘んじそうな人っているでしょ?そういうの得意じゃない
(1976年6月甲斐よしひろの言葉)
なんていうインタビューが載ってたりする
初恋談義や趣味の話などもフランクな形で載っている」

「HERO前の記事には、五業昌晶(佐藤剛のペンネーム)という名前の記事が多い
なぜ彼が甲斐バンドと共にいるのか
その頃の彼の原稿が物語っている」

「後になって集めようったってナカナカ難しい、現在の集大成なのだから
一度まとめて本にしたら面白いだろうと思うのだ」と結ばれてるんだけど
「かさぶた」の「甲斐発言集」で、その一部が紹介されてますよね♪

「セイヤングの生歌コーナー」を録音したカセットテープも
「マイ・コレクション」に投稿されていて
「毎回1曲、調子のいい時は2曲
マイクの前でギター1本で歌っていた」との注釈の後

76年12月20日神田共立講堂ライブの「銀座カンカン娘」
甲斐さんが喋ってる隣で頷いてるのが
この日のゲスト・富澤一誠…とか

「花の首飾り」…ゲスト、ギター大森信和、コーラス松藤英男・長岡和弘
(でも、よく声が聞こえない。殆ど松藤くんのコーラス)…とか(笑)

「電話でキッス」…コーラス甲斐バンド
甲斐さんが歌詞を間違い「違う!」と叫ぶ…など(笑)
聴けないながらも、その状況が目に浮かんでニヤリとしてしまいます(笑)

長岡さんとイチローさんがコーラスなさった曲は
「正しいタイトルは知りません」となってますが
かつて甲斐バンドお喋りNo.1の座に輝いた(笑)
お二人がご出演って…さぞかし賑やかだったでしょうね?(笑)

ただ、編集部のコメントに
「生放送だから、歌詞を忘れたり間違えたりしてるところが面白い
でも、甲斐よしひろってこんなにギター弾けたんだね」と記されてるのは
当時もう「シールド繋がってない説」が蔓延してたってこと?(笑)

ともあれ「切り抜き」もそうだけど
BEATNIK編集部の吉田昌佐美さんの「チケット」コレクションにも
見覚えのあるものがいっぱい(笑)

でも、奧さんには参戦できなかった東京近郊の会場や
学園祭のチケットの写真に添えられたキャプションは興味深いです♪

例えば、76年11月4日相模女子大学祭は
「体育館ではなく、314教室
メンバーは黒板を背に、私達は机を前にしてのコンサート(…スゴイ!笑)
この異様な光景と、男と女のいる舗道がナゼかしっくりしていた」

77年8月31日相模原市民会館は
「今では考えられないほど、気軽な感じのコンサート
甲斐さんのMCも心持ちお笑い的(…今や完成形?笑)
演奏はノリノリ、床が10cm下がったほど…」

77年11月15日川崎産業文化会館は
「甲斐よしひろがメチャクチャかっこよかったコンサート
あまりの美しさに失神者続出、救急車が2台やって来た
白い衣装に派手めメイク、ソフトパーマで正に美少年って感じ」
…ジュリーに似てるって言われてた頃でしょうか?

77年12月4日サンプラザ
「1枚目のライブLPを作るため
4時からスタートの内容の濃~いコンサート
エンディングのスモークもくもく
花吹雪は半端じゃなくストーンズ」

78年3月16日郵便貯金、5月3日渋公
「ライブLPが発売されて、俄然ファンが増えた
この頃のステージは、インストを必ず1曲演奏、大森さんがんばる」

78年10月10日駒沢大学
「入手の難しい学園祭もの
この日もチケットのない人が溢れに溢れ、おまけに雨…
でも、開演したらもう同じ。席なんて関係なかった(笑)」

78年11月11日横浜文化体育館
(ふきのとう、ばんばひろふみ…の名前も)
「制服を着たまま直行、1階席はとりあえず、2階3階がガラガラ
後ろで風が吹いてるよと悔しそうに言った」

79年3月29~31日新宿厚年
「果たして3回も見るべきなのかと思いつつ、結局見てしまった(笑)
でも、同じ曲でも3日間とも全く違っていた
あっ、調子良さそうとか、昨日よりノッてるとかヒシヒシ感じる」

80年7月1日横浜文化体育館
「2年前、今度ここでやる時は
一杯にしてやると言った言葉通り、ほぼ満員」

81年12月20日武道館
「甲斐よしひろが怒っていた
マイクが宙を舞い、何かズレているって感じ」
81年12月21日武道館
「前日とは裏腹にビシッと決まってた」

…と記されてますが、やはりライブはナマモノ
その時その時に足を運んでないと
「悔やんでも悔やみ切れない」という奧さんの言葉を思い出しました(笑)

余談ですが、吉田さんいわく…
コレクションという言葉は好きじゃないのね
そのために集めたみたいに聞こえるもん

コレクターって、終わってしまった過去のモノを集めてるような気がして…
私のは今もずっと同時進行なんだし
体験と感動の積み重なりがこのチケットです

枚数や回数を競い合うことが目的じゃないよ
でも、ここには嘘のカケラもないです
まだまだ増えます

「関西でのコンサートを見たことがない」とおっしゃる吉田さんが
奧さんと知り合いだったら…と考えるだけで…以下省略(笑)




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機関紙BEATNIKその11

2016-01-29 14:37:15 | 日記
さて、予想通りダラダラになっておりますが(苦笑)
「甲斐バンド ライブスケジュール」の取材メモについては
今回で終了です…たぶん(笑)

1981年9月13日花園ラグビー場は
「2万人の暴動寸前イベント
大阪のホテルが、甲子園球場のカリフォルニア・ジャムのアーティストと一緒
向こうの動員は1万人弱だった」と書かれていて

「甲斐バンドがウェストコーストに勝った」って報道もあったようだけど
我が家にあるサンスポの記事には
「ロックにどっと2万1千人」
「殺到…失神、泣き出すギャル」
「あわやケガ人も」との見出しが…(苦笑)

「21,000人のファンが名残の夏に大フィーバーした
スペシャルライブ'81と題したこの野外コンサート…」という概要に続き

「激しいサウンドを身上とするロックと
同じくスポーツの中で最もハードなラグビー
そのラグビー場で、国内No.1の観客動員数を誇る人気ロックグループ
甲斐バンドがコンサートを開くとなると、いやが応でも盛り上がる
高校生を中心に男女 四対六の割合で
開演前の午後四時には、近鉄東花園駅まで続く長蛇の列が出来た」

「予定より約一時間遅れた午後六時
ブルーのセーターに黒のスリムパンツ姿のリーダー
甲斐よしひろがステージに登場すると観客は総立ち
オープニング「破れたハートを売り物に」が始まると
客席からはビニールの座ぶとんやトイレットペーパーが乱れ飛び
2曲目の「翼あるもの」でセキを切ったように
約一万人のファンがステージ近くに波のように押し寄せた」

「そのため、あまりの力に押しつぶされそうになり
泣き出した女子中高生らが続々と係員に救出された
中には、ブラウスの前がハダけ、手で押さえながら出て来る中学生も…
失神者も出て救護テントに収容、手当てを受けた
コンサート終了後の午後八時すぎ
会場の芝生の上には、片方ずつのカカトの高いサンダルがゴロゴロしていた」

…というかなり詳細な記事とステージ上で撮られたらしき
「スタンドマイクを持って歌いながら下手に向かっている?甲斐さん」と
その下方に「両手で耳を塞いだ2人のお巡りさん」の2枚の写真が掲載され

それぞれに「ステージに押し寄せるファン
最前列では係員が人波をガードするのに汗だくだった」

「強烈なロックビートに、警備のお巡りさんは耳を塞いで
もう、たまらん(笑)」というキャプションが添えられてます

以前に書かせて頂きましたが、奧さんから聴いた花園ライブの様子が忠実に…
「21,000人」「フィーバー」や「ギャル」
「(ビニールの)座ぶとん」へのツッコミはさておき(笑)…

「(翼あるもので)約一万人が押し寄せ」「救出され」「手当てを受けた」
「片方ずつの靴がゴロゴロ」などは
正にあの日、いきなり背中に「突進」された奧さん達の言葉を裏付けてます

ただ、機関紙のセトリには
当日予定されていた「きんぽうげ」がそのまま載っていて
甲斐さんが「今夜かぎりね」って歌詞は歌いたくないと
この日2回目の「翼あるもの」に変更なさったことは書かれてません(笑)

ともあれ、その5日後の9月18日新宿厚年は
「1週間前に新聞で突然告知された
1曲目が衝撃の100万$だった」と記され
その秋のツアーは、ほぼ全部この曲で始まったみたいですが

12月20~21日の武道館の初日は
オープニングが「破れた…」で「100万$」はアンコールの1曲目に
2日目は「100万$」から「破れた」で始まり
アンコール1曲目で再び「破れた…」が歌われ、1曲お得になってます(笑)

取材メモに「会場の状態で、これ程にステージが違うのかを
見せつけられた2日間だった」と書かれてる通り
甲斐さんご自身も2日目のステージで
「昨日来た人に言っといて、甲斐が謝ってたって」とおっしゃったんだとか…
やはりステージは「ナマモノ」なんですねぇ

1982年6月17日の品川プリンス・ゴールド・ホールは
「画期的イスなしコンサート
グレン・ミラーはこのツアーで」

7月5日堺市民会館は
「爆破予告電話でコンサート一時中断のハプニング」

そして、12月2日武道館
「'83年の予定…いいモノを創る時間をくれよ…が
すべてを物語っていた」で、当時の「現在」に追いついたみたいです

























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機関紙BEATNIKその10

2016-01-28 04:48:48 | 日記
前回ご紹介した「オケピが落ちた」サンケイホールには
イチローさんがゲスト出演されていたらしいんだけど

その日のセトリを見ると…アンコールでナゼか「銀座カンカン娘」が?!
しかも「サイクリング・ブギ」と
「喫茶店で聞いた会話」を間に挟むメドレー方式で…(笑)
照和時代のレパートリーだったんでしょうか?(笑)

その後に「テレ・ノイ」
ラストは「グッド・ゴリー・ミス・モリー」となってるんですが
「グッド・ゴリー」は、リトル・リチャード?ジェリー・リー・ルイス?
それとも、尾藤イサオさん?モップスのバージョンだったのか?
まさか安西マリアさんじゃないでしょ?(笑)

いずれにしても、Wミーニングの歌詞と取り沙汰された曲だし
甲斐さん、お好きそうですよね(笑)
このライブの直前に、大阪朝日放送の公録でも歌われてるのは
リハーサル代わりだったのかなあと…(笑)

ちなみに…初期のセトリには「カフェ・ル・モンドのメニュー」や
「京都」「忘れ得ぬ君」「花・太陽・雨」などの曲名がチラホラ…♪

デビュー当時は「持ち歌」もアルバム1~2枚分くらいだったでしょうし
イベント等で持ち時間が限られてる場合はいざ知らず
ワンマン・コンサートとなれば
カバー曲を歌われる機会が増えたようで

徳久広司さんとのジョイントでは
「ヘイ・ポーラ」と「砂山」をカバーされ
「バス通り」と「北へ帰ろう」をご一緒に歌われたらしいし

「翼あるもの」をリリースなさってからは
ほぼ全曲を披露されていたみたいですが
「サルビアの花」をアコギの弾き語りで歌われたのって
音源残ってないんでしょうか?(笑)

あっ、弾き語りといえば…
甲斐さんのお誕生日の翌日に京都でライブがあって
急に?(笑)「京都」を歌われたらしいんだけど
その時は、ご自身でチューニングなさってたそうです(笑)

それはさておき…取材メモによると
1980年、甲斐バンド春のツアー、6月16日大阪フェスティバル・ホールで
「漂泊者が初めてステージで演奏される」とありますが

ホントに突然歌うことになったみたいで(笑)
後に甲斐さんも「照明が何も出来なかったんだよね(笑)
まあ、次に歌った時にはチャンと考えて来てたけど(笑)」
…と、おっしゃったらしい…って、前島さんは悪くないでしょ?(笑)

12月9日の武道館は「ジョン・レノン死ス
逝ってしまったジョン・レノンのために…100万$ナイトが歌われた」

12月20日福岡九電体育館では
「甲斐よしひろが、ここでシカゴのコンサートを観た時…と
10代の時のコンサート体験について語る。思い入れすさまじ(笑)」
…って年末は、なんだかんだで福岡公演が多かったんですね(笑)

明けて81年3月3日の丹後文化会館は
「市になっていない町での初めてのコンサート
町の人口の2割近くが集まった」とか

4月14~15日の福井市文化会館は
「前年の5月に入り切れなかった客があまりに多かったため
異例の2日間コンサート。2日とも超満員だった」と記されてます

福井に関しては、ラジオのイベントの時にも
甲斐さんが「福井は2日連チャンだったんだよね」と話されてたそうだし

「人口8千人とか1万人って町で、2千人が集まることがスゴイと思う
何ヵ月も前からチケット買って待っててくれたのかって考えると
酒も控えめにしようと思うよね」と

「地方に住んでる若い奴らの方が、悶々として生きてる」ことを
おもんばかった言葉を口にされてたんだとか…

6月30日山梨県民会館は「春ツアーの最終日
後になって甲斐よしひろは、この頃が一番
自分自身のやりたいことが見えなくなっていた…と語っていた」

「アンコールの100万$もやらずに終えてしまった
夜、甲府の街で酔いつぶれた」と…

写真集「BEATNIK」に、井出情児さんが田家さんに促され
躊躇いながら撮られたその時の写真が掲載されてますが

同じホールで、甲斐さんが初めて客席にダイブなさったことで
観客の期待が高まっていたのが居たたまれなかったのでは?
…と、当時は言われてたらしいんだけど
他にも色々おありだったんですね…


















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機関紙BEATNIKその9

2016-01-27 08:29:08 | 日記
甲斐さんがライブ中に突然、予定外の曲をやろうと言い出され
甲斐バンドのメンバーの皆さんを慌てさせることがあったらしいとご紹介しましたけど

この機関紙によると…1977~78年頃は
セトリ自体が一定してなかったようで(笑)
それはもちろん、ツアーでライブを重ねられる内に
演奏上の手順や観客の反応によって
調整なさっていた部分もあったと思われますが

オープニングの2曲が、月ごとに変わっていたり
アンコールも含めたトータルの演奏曲数が17~24曲とマチマチだったりと
気分なのか(笑)ノリなのか(笑)
それとも、年間100本超えのツアーを乗り切るための試行錯誤の跡なのか?
なかなか興味深いです

亀和田さんもオープニング曲に注目なさっているんだけど
77年5~6月は、1曲目が魔女の季節、2曲目に黒い夏
8月は、黒い夏とNo.1のバラード
9月になると、黒い夏と8日目の朝

10月に入ってすぐは、きんぽうげと8日目の朝
でもその後、きんぽうげとらせん階段に変わり
12月のサンプラもこのワンツーですが

11月に、きんぽうげと恋時雨になってたり
同じ12月でも、らせん階段が1曲目で
きんぽうげは2曲目というパターンもあります
音響や照明チームの皆さんも大変だったでしょうね?(笑)

78年になると、3~4月は、らせん階段ときんぽうげ
8~9月は、グッドナイト・ベイビー&えんじ
12月は、きんぽうげ、えんじ…と組み合わせ自由(笑)

奧さんは、グッドナイト…から
この夜にさよならってバージョンを観たことがあるらしく
ライブ開始早々、気持ちの上げ下げに戸惑ったんだとか…(笑)

ちなみに、グッドナイト…で幕を開けたライブは
アンコールでもう一度グッドナイト…を演奏されてたようです

77年以前の演奏曲数に関しては
イベントや学園祭などのジョイントが多かったためか
5~6曲から、共演者の方と一緒に演奏された曲も含めて15曲くらい
(74年の出発コンサートは17曲
浜田省吾さんとの神田共立は19曲になってます)

76年の大阪サンケイホールから、甲斐バンドを担当されていた
スターライトの長田登美男さんは
「これが今も伝説になっているコンサート」と…(笑)

「前の8列分くらいをオケピットにしたら、そこの床が落ちたんです
アンコールの時だったと思うんですけどね
まだ客席は半分も埋まってなかったのと違いますか。激しかったですね」

「その後にチャンと紹介されて話した時に
甲斐は私に謝るんですね、オケピット落としたこと…あんまりいませんわ
会場の作りが悪いと文句を言ったり
知らんぷりする人は多いでしょうけど、印象的でしたね」

…と話されてるんですが、新聞沙汰にもなり、その後は出入り禁止…(汗)
押尾コータローさんのクリスマス・ライブに
ゲストとして(笑)出演なさった際にも
「イイのかな?(笑)」とおっしゃってたそうだ

神戸文化ホールも「後部の客席が壊れた」とかで「使用拒否(笑)」になり
ずっと使えなかったみたいだけど
奧さんは、この機関紙を読むまで全く知らなかったらしく
「そういえば、やらなくなったな」という程度にしか気にしておらず(苦笑)

当時はスターライトの他、夢番地やキョードーといった複数のイベンターが
ツアーごとに?甲斐バンドを担当していたので
そちらの都合なんだろうと思ったんだとか…(笑)

でも、甲斐さんがこのホールの正面玄関から楽屋入りなさった時に
エスカレーターに乗られた甲斐さんを
隣の階段を上りながら撮った写真は
今も持ち歩いてます(笑)

それはさておき…78年12月5日の名古屋で「HERO」が初演奏され
「翌年2月~3月4日の宮城までは
ハッピーフォークの公録のゲストとして回っていた
地方大会予選というヤツ、30分のステージ
春からのツアーへの腕ならしだった」と記されていて、以下…

「3月15日の東芝EMIは、ザ・ベストテンの生放送
例の水割り事件の日である
この前、2月24日に福岡でレコーディング中に1位の連絡があった
その日の福岡電気ホールが1位初のステージ」

「79年の春ツアーはHEROの嵐の中でのツアー
甲斐よしひろは、セックス・ピストルズのTシャツを着て
ステージに立つことが多かった」

「3月29~31日新宿厚年で、初の3日間コンサート」
「4月7日山梨県民会館で、甲斐よしひろが客席に飛び込んで行った」

「6月30日銚子市民会館は、体調が悪く、ツアーがきついと訴えていた
長岡和弘の最後のステージとなった」

「9月2日NHKホール、テレビ収録のステージ
本来なら、長岡和弘がいるはずですが…とコメント
正式メンバー3人での初めてのステージだった」

「10月15日函館市民会館、朝、出がけに喉が裂けて血を吐いた
疲労から来るものと診断され、そのまま病院へ直行
ステージはいつもより激しかった」

「12月21~22日、初の武道館
100万$ナイトでミラーボールを使用
武道館が翌年のステージの予告となるパターンが生まれた」等々
皆さまよくご存知のエピソードが並んでます

ただ、前出の長田さんもおっしゃってるんだけど
10月24日の姫路文化センターで
「コンサート終了後、甲斐よしひろを見かけた…と錯覚した少女が
会館の大ガラスに頭から突入(汗)
ガラスが粉々に砕けた」というのは

奧さんによると、足でガラスを蹴飛ばして割った後に
中に入ろうとしたんじゃないかと…(笑)

この機関紙を読んだ当時は、甲斐バンドの歴史とも言える
そうそうたるエピソードと一緒に
こんなイチ地方の話が載るんだと驚いたらしい(笑)















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