ディスクガレージONLINEの甲斐バンドライブレポとは直接関係ないので割愛した
谷村新司さんのインタビューには、やはり同時期に活動したバンド同士
また、スポークスマンとしての甲斐さんとも共通点があり
もう少し引っ張ってみようかなあと…(笑)
まずは…「高校2年の時にフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成
ギターは同級生、ボーカルは知人の妹だった」と谷村さん
「大学1年生の頃、アマチュアバンド同士でホールを借り
チケットを手売りしてコンサートをやったら
偶然それを見た毎日放送ラジオ『歌え!MBSヤングタウン』のプロデューサーに
夜中の番組でDJをやらないかと誘われたんです
僕がステージで話すのを聞いて面白いと思ったらしく
『今日みたいな感じでええねん』と…
『それやったらやってみます』と引き受けました
公開録音に10万通近く応募が来る人気番組で、関西アマチュアバンドの登竜門
ロック・キャンディーズは大阪や神戸で人気が出て、レコードも出したんです」…とか
「アリスを始めた頃は関西在住で
1972年10月から文化放送の『セイ!ヤング』で毎週、東京に来ていました
原宿の竹下通りに輸入雑貨や衣料を扱う店があって、そこで働いていた女性に一目惚れしました
結婚前に暮らした神宮前のアパートには
フォークグループのバンバンが居候していたこともあり
THE ALFEEの3人もご飯を食べに来たし、あらゆる人のたまり場でした
音楽で生きていくのは大変な時代だったので
多少でもゆとりがある人間が食べさせるのは自然なことだと、僕らは思っていたんですよ
自分で作品を作ってライブをやって、好きな音楽で生きていけたらと
夢に描いて、それを実現させようとしていたから
同じ思いを持つ人がいたら応援したいと思うじゃないですか
みんな仲間のような意識があって、あの時代だからあり得た空気感でしょうね」
…という件には、アマチュア時代の甲斐さんが「歌え!若者」に出演されたり
ご自身もFM局にレギュラー番組を持っていらしたり
照和の出演者や福大フォークソング愛好会の皆さんとコンサートを開かれたり
妙安寺ファミリーバンドの「合宿所」に「家出」なさったり
照和の「地下練習場」で、レコード会社に送るデモテープを録るのに協力し合われたり
…といった数々のエピソードが重なり
また、アリスのデビュー後…「最初は全然知られていなかったので、お客が数人でも歌いました
交通費が出ないことも多かったけど、全国どこへでも行って
1年間に300ステージはライブをやりました
文化祭で1日に5校掛け持ちしたこともあります
自分たちで作った歌を聴いてもらうための旅でした」…という話は
神田共立講堂での「屈辱のデビューコンサート」を経て
「【裏切りの街角】は死んでも売りたい」という思いで
「どんなところでもやる」と誓ったバンドと通ずるものがあると思うし
「矢沢はリズム&ブルース、堀内はビートルズ、僕はピーター・ポール&マリー
3人のベースが違うことは最初からわかっていて
全然違うから面白いものが出来るし、そこがアリスの魅力になる
ただ、アリスばかりやっているとストレスがたまるから
ソロで上手に発散できたらいいかもと考えたんですね
当時、アリスをやりながらソロを出すことを周りは理解してくれませんでした
『仲が悪いんですね』と言われたけど、そんな次元の話じゃないんです」
…という辺りも、甲斐さんがソロアルバムを作られる際
バンドの更なる成長のためのカンフル剤的な意味合いだったのに
「甲斐バンド解散か!?」という記事を書かれたり(苦笑)
バンドとは別のレコード会社からリリースすることも「掟やぶりだ」と叩かれたり…
当時の音楽業界は、まだ歌謡曲全盛期からの慣習が根強く残っていたんじゃないかと…?
そして…「世間の人がアリスを知ってくれたのは、77年の『冬の稲妻』ですね
その前には全国のホールがほとんど満員になっていて
ライブバンドとしての基盤が出来ていたので
一気にテレビに出て行こうと決めて作った曲です。これで借金を解消しました」
…という経緯も「徹夜しないとチケットが取れないバンド」が
唯一、持っていなかった「シングルチャート1位」というタイトルを
「来年、俺たちは1位になります!」と宣言して実現なさって
「歩合制」のツケを精算されたのとそっくり
ただ、テレビ出演に関しての姿勢は真逆で
甲斐バンドが「ザ・ベストテン」のオファーを断り続ける一方で
「コンサートに行きたいけど行けない」ファンから
「テレビに出て欲しい」という嘆願が寄せられ
悩んでいらした甲斐さんが、谷村さんに相談なさった時
これだけのヒット曲を出した以上、テレビに出演して
「社会的責任を果たさないといけないんじゃないか」と言われたそうですが
もちろん、その言葉を受けてのご出演ではなかったとはいえ
テレビ局のスタジオでも、ライブ会場でもない
「第3の方法」を探されるきっかけではあったんじゃないかと…?
その後、アリスの「ハンド イン ハンド」に関しての甲斐さんのコメントが
若干の?悪意をもってマスコミに取り上げられた時に
甲斐さんはすぐ谷村さんに連絡をお取りになり、誤解を解かれたことがあったようですが
当時の甲斐さんのラジオ番組やインタビュー記事には
谷村さんのお名前がちょくちょく登場していたことを考えると
世間が思っているほど険悪なご関係ではないみたいですね(笑)