ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

谷村さんと甲斐さん1

2020-01-31 14:58:00 | 日記
ディスクガレージONLINEの甲斐バンドライブレポとは直接関係ないので割愛した
谷村新司さんのインタビューには、やはり同時期に活動したバンド同士
また、スポークスマンとしての甲斐さんとも共通点があり
もう少し引っ張ってみようかなあと…(笑)

まずは…「高校2年の時にフォークグループ『ロック・キャンディーズ』を結成
ギターは同級生、ボーカルは知人の妹だった」と谷村さん

「大学1年生の頃、アマチュアバンド同士でホールを借り
チケットを手売りしてコンサートをやったら
偶然それを見た毎日放送ラジオ『歌え!MBSヤングタウン』のプロデューサーに
夜中の番組でDJをやらないかと誘われたんです

僕がステージで話すのを聞いて面白いと思ったらしく
『今日みたいな感じでええねん』と…
『それやったらやってみます』と引き受けました
公開録音に10万通近く応募が来る人気番組で、関西アマチュアバンドの登竜門
ロック・キャンディーズは大阪や神戸で人気が出て、レコードも出したんです」…とか

「アリスを始めた頃は関西在住で
1972年10月から文化放送の『セイ!ヤング』で毎週、東京に来ていました
原宿の竹下通りに輸入雑貨や衣料を扱う店があって、そこで働いていた女性に一目惚れしました

結婚前に暮らした神宮前のアパートには
フォークグループのバンバンが居候していたこともあり
THE ALFEEの3人もご飯を食べに来たし、あらゆる人のたまり場でした
音楽で生きていくのは大変な時代だったので
多少でもゆとりがある人間が食べさせるのは自然なことだと、僕らは思っていたんですよ

自分で作品を作ってライブをやって、好きな音楽で生きていけたらと
夢に描いて、それを実現させようとしていたから
同じ思いを持つ人がいたら応援したいと思うじゃないですか
みんな仲間のような意識があって、あの時代だからあり得た空気感でしょうね」

…という件には、アマチュア時代の甲斐さんが「歌え!若者」に出演されたり
ご自身もFM局にレギュラー番組を持っていらしたり
照和の出演者や福大フォークソング愛好会の皆さんとコンサートを開かれたり
妙安寺ファミリーバンドの「合宿所」に「家出」なさったり
照和の「地下練習場」で、レコード会社に送るデモテープを録るのに協力し合われたり
といった数々のエピソードが重なり

また、アリスのデビュー後…「最初は全然知られていなかったので、お客が数人でも歌いました
交通費が出ないことも多かったけど、全国どこへでも行って
1年間に300ステージはライブをやりました
文化祭で1日に5校掛け持ちしたこともあります
自分たちで作った歌を聴いてもらうための旅でした」…という話は

神田共立講堂での「屈辱のデビューコンサート」を経て
「【裏切りの街角】は死んでも売りたい」という思いで
「どんなところでもやる」と誓ったバンドと通ずるものがあると思うし

「矢沢はリズム&ブルース、堀内はビートルズ、僕はピーター・ポール&マリー
3人のベースが違うことは最初からわかっていて
全然違うから面白いものが出来るし、そこがアリスの魅力になる

ただ、アリスばかりやっているとストレスがたまるから
ソロで上手に発散できたらいいかもと考えたんですね
当時、アリスをやりながらソロを出すことを周りは理解してくれませんでした
『仲が悪いんですね』と言われたけど、そんな次元の話じゃないんです」

…という辺りも、甲斐さんがソロアルバムを作られる際
バンドの更なる成長のためのカンフル剤的な意味合いだったのに
「甲斐バンド解散か!?」という記事を書かれたり(苦笑)
バンドとは別のレコード会社からリリースすることも「掟やぶりだ」と叩かれたり…
当時の音楽業界は、まだ歌謡曲全盛期からの慣習が根強く残っていたんじゃないかと…?

そして…「世間の人がアリスを知ってくれたのは、77年の『冬の稲妻』ですね
その前には全国のホールがほとんど満員になっていて
ライブバンドとしての基盤が出来ていたので
一気にテレビに出て行こうと決めて作った曲です。これで借金を解消しました」

…という経緯も「徹夜しないとチケットが取れないバンド」が
唯一、持っていなかった「シングルチャート1位」というタイトルを
「来年、俺たちは1位になります!」と宣言して実現なさって
「歩合制」のツケを精算されたのとそっくり

ただ、テレビ出演に関しての姿勢は真逆で
甲斐バンドが「ザ・ベストテン」のオファーを断り続ける一方で
「コンサートに行きたいけど行けない」ファンから
「テレビに出て欲しい」という嘆願が寄せられ
悩んでいらした甲斐さんが、谷村さんに相談なさった時

これだけのヒット曲を出した以上、テレビに出演して
「社会的責任を果たさないといけないんじゃないか」と言われたそうですが
もちろん、その言葉を受けてのご出演ではなかったとはいえ
テレビ局のスタジオでも、ライブ会場でもない
「第3の方法」を探されるきっかけではあったんじゃないかと…?

その後、アリスの「ハンド イン ハンド」に関しての甲斐さんのコメントが
若干の?悪意をもってマスコミに取り上げられた時に
甲斐さんはすぐ谷村さんに連絡をお取りになり、誤解を解かれたことがあったようですが
当時の甲斐さんのラジオ番組やインタビュー記事には
谷村さんのお名前がちょくちょく登場していたことを考えると
世間が思っているほど険悪なご関係ではないみたいですね(笑)
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ディスクガレージONLINE2

2020-01-30 14:30:00 | メディア
甲斐バンドHEROESツアーファイナルのNHKホールライブレポの続きですが
今回は、フレディ・マーキュリー亡きあと、アダム・ランバートを迎え
3回目の来日公演を行ったクイーンを絡めてご紹介したいと思います

甲斐バンド初のライブハウスツアーを経て
ある意味、ウォーミングアップを済ませて臨んだホールツアーは…
「当然のようにオープニングからエンジン全開と言える演奏で、オーディエンスを圧倒していった

このツアーのセットリストは、ツアー前にリリースされたリマスター・ベストアルバム
『甲斐バンド HEROES 45th ANNIVERSARY BEST』に収められた曲順通りに演奏される

ということは、オーディエンスのほとんどが、そのセットリストを予習し
思い思いのイメージをたっぷりと膨らませていたはずだが
バンドの演奏は、そうしたイメージの堆積を軽々と飛び越え
この45年の間に何度も演奏されてきた曲たちに新しい輝きまでも加えていた

例えば『甲斐バンド HEROES』に新しくレコーディングされたバージョンが収録された『らせん階段』だ
『新しい輝き』とは言っても何か斬新なアレンジチェンジが施された訳ではないし
トリッキーなプレイが展開される訳でもない

各パートのプレイはシンプルだし、基本的にはオリジナルバージョンのアレンジに忠実な演奏なのだが
その精度と強度が月並みでないから
楽曲自体のスリリングな魅力が、ひときわ印象的に響くのだ」と記されてますけど

クイーンの第一人者・東郷かおる子さんが、今回の来日公演をご覧になって…
「改めて思ったのは、やはり楽曲自体の魅力だ
スピード感が心地よい『ドント・ストップ・ミー・ナウ』ゴスペル感覚の『愛にすべてを』など
次々と繰り出されるヒット曲の多さは、やはり並のバンドじゃない
それを生のステージで見事に聴かせる現在のメンバーの力量もたいしたものだ」…と絶賛

奥さんは、映画「ボヘミアン・ラプソディー」にドはまりして(笑)
クイーンの来日公演に行こうか?と思ったものの、前回のライブレビューを眺めると
「フレディの不在」を嘆くようなものが目立っていたらしく
「やっぱり『違う』んだなあ…」と見送ったら

「オリジナルメンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーに『彼しかいない』と言わせ
2012年のツアーからボーカルに迎えられたアダム・ランバートの存在感が強烈だ

前回の来日公演まではフレディの幻影がチラついていた感もあったが
今回はその圧倒的な歌唱力で大向こうをネジ伏せた格好だ
フレディがステージで歌うことが叶わなかった晩年の曲『ショウ・マスト・ゴー・オン』には
筆者も目頭が熱くなったことを白状しよう」と東郷さん

更に…「このバンドをクイーンとは似て非なる別物と思う人もいるだろう
だが、すっかり髪が白くなったブライアンとロジャーの姿がスクリーンに映し出されるたびに
クイーンの音楽を継承していこうとする熱意と覚悟に心打たれる瞬間が
何度もあったことだけは確かだ」と記されていたり

また、ブライアン・メイも公演前のインタビューで…
「私たちは4人でクイーンの世界観を作り上げることができました
フレディはいつも私たちと共にいるんです
クイーンの音楽には、彼の思い出が全て詰まっていて
新しいファンも含めて皆で共有できるのは素晴らしいことだと思います

アダムが加わったことで、私たちの音楽の幅は広がり
パワーが増し、歌の解釈も変わってきました
非常にドラマチックで新しい世界を見せられると思います」…と語っていたことを思い出し

奥さんが「行けばよかった~!」と地団駄を踏んだことは、言うまでもアリマセン(苦笑)
…って、それは、リアルタイムで聴いていた頃に
クイーンを観に行かなかったことについても言えるんじゃないかと…?(笑)
まあ、当時は「甲斐さん」しか目に入ってなかったのかも知れませんが…(笑)

それはともかく…「同じく『甲斐バンド HEROES』に新録音バージョンが収録された
『ティーンエイジ・ラスト』も胸に残る
『♪若さという階段の途中で いつかみた夢に今向かい合い 君と逃げずに立ち向かう♪』と
甲斐が歌う時、このバンドの『若さ』や『夢』を共振させながら
長い時間を駆け抜けてきたオーディエンスの共感は更に深まり
演奏のグルーヴをいっそう増幅させていった

この日のバンドの演奏にロックバンドの成熟という命題についての
一つの理想を見て取ることも可能だろう
成熟した表現には、したり顔的なまったり感が付き物だけれど
この日の彼らの演奏が連れてくる感覚は、それとは正反対の颯爽とした清々しさであり
前のめりと言ってもいいほどの躍動感だった

更には、この日のためだけに迎えられた女性コーラス隊との共演で披露された
『嵐の季節』が内包していた真っ直ぐな熱情と
ステージの最後を飾った『熱狂』の混じり気のないロマンティシズム
キャリアの最初から持ち合わせていた個性と、45年の蓄積が相まって
甲斐バンドは今、彼らにしかたどり着けない世界に足を踏み入れている

そんなことを感じさせてくれた先にまだクライマックスが待っているのだ
甲斐バンドストーリーはまだまだ続く
その幸福を噛みしめた一夜だった」…と結ばれているんですが

ブライアンもまた…(クイーンの歩みを振り返り)
「今ここにいることが幸せで楽しいですし
ここまで来た道のり自体を楽しんでいます
(1975年の初来日から45年)あの頃若かったファンの皆さんが親になり、祖父母になっていく
その時間を一緒に過ごすことができて嬉しい」…と、演者側の思いを語っていて

45年という長い時間をファンと共に支え合って来たというか
どちらも途中でフェードアウトすることなく
今も楽曲が歌い継がれ、同じ空間でライブを楽しむことが出来ること
そうした存在がない僕には羨ましい限りです
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ディスクガレージONLINE1

2020-01-29 18:54:00 | メディア
「今の甲斐バンドが一番いい!」と題された
「45周年ツアー東京公演のレポート」ですが
今、我が家の購読紙に連載中の谷村新司さんのインタビュー第1回の見出しが
「70歳のアリス いまが一番いい」だったので、思わずクスリ(笑)

かつて、甲斐バンドと観客動員数を競い合ったアリス
そして、甲斐さんと交流がおありだった谷村さんの記事にシンクロする部分もあり
それも絡めて、ONLINEライブレポートをご紹介したいと思います♪

「真のクライマックスはまだ先にあった
この日『甲斐バンド 45th Anniversary FINAL 100万$ナイト in 横浜赤レンガ倉庫』
と題した野外ライブが7月に行われることが発表されたからだ
つまり、45周年ツアーは夏まで続き、この日のライブは、ほぼ1年に及ぶプロジェクトの
言わば折り返し点のような夜であることが明らかになった訳だ

だからと言って、この日のステージの素晴らしさが色褪せるようなことは全くない
むしろ、ライブの1本1本が常に特別な一夜になるライブバンドとしての本領を
そして『今の甲斐バンドが一番いい!』とさえ思わせてしまう
現在の充実ぶりを強く実感することになった
もっとも甲斐よしひろの中では『それは筋書き通り』ということなのかも知れない

甲斐バンドは昨年夏、45年目にして初めてのライブハウスツアー
『CIRCUS&CIRCUS 2019』を行ったが
そのツアーを始める時点で、すでにこのホールツアーの締めくくりまでが見通されていたからだ
オーディエンスの息遣いさえ間近に感じられるライブハウスの空間は
甲斐がインタビューで語った通り…(DI:GA12月号掲載
『甲斐バンド45周年ツアーファイナルでは
バンドの新たな展開を予感させるようなクライマックスを用意!』)

…『45年やって来たにも関わらず、ある意味で剥き出しなものをぶつけないとダメな場』だから
バンドはそこで自らの初期衝動を再確認し、9本のステージを積み重ねることで
バンドの核の部分を十分にたぎらせていた

その成果を踏まえて臨んだのが、このホールツアー『HEROES 2019』であり
その11本目のステージとなった、この日のステージで
ここまで周到に段階を踏んで来たバンドの状態が悪いはずはない」
…と、まずは45周年プロジェクトの流れに触れてありますが

アリスはというと…解散後、初めての再始動宣言は2000年
「神戸の人たちに応援してもらって始まったグループだったので
1995年に震災が起きた後、神戸に元気を取り戻して貰うために何か出来ることはないかと考えて
壊れてしまった国際会館の舞台に立つことをテーマに掲げ」
2001年1月17日に新しい神戸国際会館で演奏

「それが後に、東日本大震災の翌年に再始動する理由に」なり、47都道府県を回るツアーを敢行
その最後の武道館ライブの打ち上げで「次やるとしたら70歳だよね」との目標ができ
「ツアーの1年前から3人でラジオをやり
週に1回顔を合わせてコミュニケーションを取っていたら
すごくいい空気感のまま、ツアーに突入できましたね」とチンペイさん

まあ、甲斐バンドとアリスでは、解散の理由も、その後のメンバーの活動の仕方も
再始動のタイミングやスパンも全て違っているんだけど
再び集まるためには、何らかのモチベーションが必要でしょうし
過去のライブに参戦なさったファンの皆さんはもちろん
初めて足を運ばれる方々に、何をどう見せるのか?といった
ビジョンの共有を円滑にするという意味でも
その準備には時間がかかるんじゃないかと…?

また、ある程度の期間、メンバーと離れたことで
「お互いに相手を認め合って、楽な気持ちでステージに立てる
3人が心から楽しんでいる空気が、客席にも伝わるんじゃないかと思います」
…という谷村さんの言葉は、常日頃「メンバーが楽しそうにしてるライブは良いライブ」
との持論を展開している奥さんは元より
甲斐バンドの皆さんにも当てはまってますよね?

ただ…アリスの「今」は、谷村さん始め、メンバーの「今」の状態が「いい」という意味で
甲斐バンドの「今」は、まずメンバー構成の点が大きく違っているし
観客が全員「今の甲斐バンドが一番いい!」と思うかどうか?…というより前に
現在は「今の甲斐バンド」しかない訳で
厳密には「今の甲斐バンド」になってから「今現在」の状態が「一番いい」と捉えれば
オリジナル甲斐バンドにこだわる奥さんも、もちろん否やはないでしょう(笑)

そもそも、ランドセルを背負っていた頃に
たまたまラジオから流れて来た声が気になって
ちょっとレコード屋さんを覗いてみた…っていう些細な行動が
その後、45年に渡って、自分の人生に関わって来るなどとは夢にも思わずにいた少女と(笑)

「50くらいになって、誰も聴く人がいなくなってね
4人しかいなくても…それが女房とガキだとしても
結構、一生懸命歌うと思うんだ、その時…」とおっしゃっていたロックシンガーが
望んでいらした形とは違ったかも知れないけど
今も大勢のファンに囲まれてライブを(見)続けているなんて
どれくらいの確率で実現するのかなあと…?(笑)

余談ですが…ほぼほぼ、甲斐さんと甲斐バンドについてしか書いていない(笑)このブログ
開設から7年半で、ついに閲覧者総数が100万人を超えました!
読んでくださった皆さま、ありがとうございます!m(_ _)m

ツアーが終わるごとに、新たに読んで下さる方が増えてるみたいだとは感じていたんだけど
ちょうどツアーファイナルのNHKホールの又聞きライブレポをアップした日に大台突破で(笑)
有難いやら恐縮するやら、おバカなことばかり書いてる場合じゃないなあと悩ましくもあり…(苦笑)

とはいえ、当初の些細な悩み…長年のファンである奥さんには「当たり前」の話でも
一般的には「ナンのこっちゃ?」かも知れないし
どういう風に掘り下げ、どんなトコをハショればいいのか?みたいなこと(笑)…も

ボク自身がどんどん「基礎知識(笑)」を積み上げて行く内に
自然とマイペースに進めるようになって来ましたし
この先もそういう風にしか書けないって気も…(笑)

ということで、相変わらずのゆるゆるダラダラではございますが
よろしければ、また覗いてやってくださいねm(_ _)m
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噺家の話2

2020-01-28 15:10:00 | メディア
甲斐さんへのインタビューの続き…「文珍落語の魅力は?」と訊かれて…
『ディテール(細部)にこだわり作り込んでいるから、無理な所作をやらなくてもわかる
まくらで巻き込み、こちらが笑える「間」を作ってくれる
四十代半ばで見た時から、一生尊敬しようと』…とお答えになってますが

同じ紙面に掲載されている落語プロデューサー・京須偕充さんのコメントの中にも
「好奇心旺盛、器用な人。笑わせようと細工しているのに
仕掛けを感じさせないところが巧みで憎らしいほどうまい」との一文があったり

文珍師匠ご本人も、関西大学文学部の非常勤講師を務められた際に
「勉強して授業に臨んだ講義で力がついた」と振り返られていたりと
論理的に組み立てたものを絶妙なタイミングで披露する術を身につけられた噺家って最強ですよね?

ただ、文珍師匠の「練り込んだ理論派の芸」という部分は
お若い頃に他門の大名人・桂米朝師匠に稽古をつけて頂いた時に
「忠実にロジカルに説明してくださった」ことで育まれたみたいで

ご自身が師事なさった五代目桂文枝師匠からの天才肌の感覚派の教え…
「ピャーと演ってシュッと演ったら、ドッと笑うからやれ」(笑)…は
「六十過ぎてわかるようになった」んだとか…(笑)

ちなみに、立川談志師匠は「現代落語論」の中で…
「昔のお客は笑うまいとし、今のお客は、とにかく笑おうとする
昔、寄席通の客は『落語家の芸の年輪を味わう』ような聞き方をした
反対に、ウケを狙った『底の浅い』噺にはソッポを向いた

その点、今の客は『こらえ性がない』というか
『笑い声の陰でじっと見ている』ことが出来ない
噺家はそういう連中を笑わせてこそ『ほんもの』なのに…
ウケることと優れていることは違う」…と記されていて

「生身の人間を相手に演奏して初めて、作品が完成する」とか
「1本でも多くライブで演奏しないと、バンドは上手くならない」
…と、おっしゃっていたバンドリーダーの方を思い出しました(笑)
そうそう!先の「他門の大名人」は、その甲斐バンドのファンでいらしたそうです(笑)

ともあれ…「ロックと落語の共通点は?」との質問には…
『同じ表現者。最初にどれだけ客を食い付かせるか
ドーンと巻き込んで見事な着地を決めるには、出だしから力まないこと』と甲斐さん

前々から「『今』を切り取るという意味で
ロックとお笑いは似ている」説を提唱なさってますけど
文珍師匠は「ウェークアップ!」のキャスターを務められたことについて
「報道番組で時事ネタに強くなった気がする」と話されたり

創作の極意は「心がザワッとした瞬間、心のバランスが崩れた時がモノを創り出すチャンス」
ギャグは「みんな体験ですな。考えても出て来ない
(日常を)細やかに切り取りデフォルメする」と明かされたり

また、お好きな能楽や文楽、歌舞伎などの伝統芸能をご覧になって
小唄を習われ、三味線もお弾きになるのも
「日常的に体の中に入れておくこと」が落語に生きているとお感じになっているかららしく
お仕事とは直接関係しない「ムダなことをいっぱいやった方がいい」とおっしゃる
某ロックミュージシャンの方(笑)と、似たところがおありになるなあと思っていたら

「文珍師匠の人柄は?」と訊ねられて…『メチャクチャ優しい
でも、性格は濃~い、クセの強さね
僕もクセが強いんで、折り合ったのかな』と返されていて、ニンマリしてしまいました(笑)

余談ですが…「クセが強い」といえば鶴瓶師匠(笑)
イヤ、上岡龍太郎さんが、甲斐さんとのトークライブで
身を乗り出され、大きな手振りで話される甲斐さんに驚かれた際に
甲斐さんご自身が「僕、鶴瓶と一緒なんですよ(笑)
話す時の揺れが激しいんで…(笑)」と話されてたし…(笑)

その鶴瓶師匠の「チマタの噺」に、三浦友和さんが出演され
本来なら、ゲストの方の「気になるチマタ」に基づいて街頭ロケをするコーナー
…甲斐さんの回は、チマタにはどんな「ルーティン」があるのか?でしたよね…のはずが

三浦さんは「チマタ」より鶴瓶師匠の「若さの秘密が気になる」ということで
…って、鶴瓶師匠と三浦さんは同い年らしく
師匠は「これまで同い年いうたら、モト冬樹とか三宅裕司とかやったから(笑)
こんなシュッとした人がおって良かったわ(笑)」と話されてたけど…(笑)

「チマタ」の代わりに鶴瓶師匠を「よく知る人たち」に取材を敢行(笑)
まるで他局の「Aスタジオ」みたいな展開になり(笑)
行きつけのお店のマスターや専属の美容師さんが、VTRに登場されるたびに
「これ、いつ撮ったんや!?」と師匠大騒ぎ(笑)

…で、皆さんがお答えになった師匠の「若さの秘密」には…
「好奇心旺盛」「若い人と交流がある」
「大御所感を出さない」「女にモテたい気持ちがある」…などなど
やはり「お若い!」と言われていらっしゃる甲斐さんと重なることが多数(笑)

もっとも、甲斐さんもご出演になった「日曜日のそれ!」で
鶴瓶師匠のラブリーパートナーを務めておられる上柳昌彦さんは
いの一番に「活字が読めない(笑)」を挙げられ(笑)
「あなたのお仕事ナンですか?(笑)」やら
「番組スポンサーの名前を噛むんですよ(笑)
いったい何年やってるんですか?(笑)」やら…(笑)

でも、最後の最後に…早めにスタジオ入りされた時など
ひと気のない廊下の隅で、落語の稽古をなさっているのをよくお見かけすると明かされたものの
おそらく?鶴瓶師匠にとっては、このエピソードが一番恥ずかしくていらしたんじゃないかと…?

かつて、上岡さんが「キミとさんまちゃんが、テレビに並んで出たら
そら全部さんまちゃんに持って行かれて、割を食うやろけど
舞台に立って客の心を掴むんはキミや」と評されてましたが

「Jimmy」の中で触れられていたように
さんまさんは、出来る限り時間を作られ、ステージ袖から師匠の高座をご覧になり
その噺をご一緒に呟きながら、師匠の芸を盗もうとなさっていたみたいだし

上岡さんが「さんまちゃんが落語やったらオモロイやろな」とおっしゃった時
当の鶴瓶師匠が「昔、聴いたことがあるけど
めちゃめちゃオモロかったわ」と明かされてました(笑)
ホントに、一度でいいから、さんまさんの落語聴いてみた~い!(笑)
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噺家の話1

2020-01-27 19:40:00 | メディア
1月12日付の東京新聞に掲載された、桂文珍師匠の芸歴50周年の記事に
「40年来の友人 甲斐よしひろ」さんもご登場ということで
関東圏の甲斐友さんにお願いして入手した奥さん(笑)

甲斐さんと文珍師匠のおつきあいが長いのは有名ですが
奥さんと文珍師匠の出会い?(笑)は、関西ローカルの人気番組だった「ヤングおー!おー!」で

元は、同局の人気ラジオ番組「ヤングタウン」のテレビ版として始まったこの番組に
月亭八方師匠、桂きん枝(現・小文枝)師匠、林家小染師匠と共に
「ザ・パンダ」として活躍なさっていたのを拝見した時だそうです

もっとも当時は、噺家らしい佇まいの文珍師匠と小染師匠よりも
いわゆる「バラエティー向き」でいらした、八方師匠ときん枝師匠の人気がすごくて
それほど注目していた訳じゃなかったらしい(失礼!)
ちなみに、八方師匠ときん枝師匠のお母様方も「親パンダ(笑)」として出演なさってました(笑)

でも、今思うと、八方師匠もきん枝師匠も
甲斐さんが関西プロモーションで出演された番組でご一緒されているし
去年も甲斐バンドツアーのプロモに行かれた
「こんちわコンちゃんお昼ですょ!」の近藤光史さんもMBSのアナウンサー時代に
「ヤングおー!おー!」に携わっておられたし

つい先日触れた「マイ・ジェネレーション」のプロモの「梅川事件」の一件で
甲斐さんと全くお話が合わなかった(苦笑)パーソナリティー・川村龍一さんも
この番組のレギュラーでいらっしゃいました

何より、甲斐さんが「もう2~3年くらい会わなくていいかな(笑)」とおっしゃっていた(笑)
さんま師匠も、この番組で小林繁投手の形態模写がブレイク
その小林さんと甲斐さんは「HERO対談」をなさった…等々
ボクの「検索エンジン(笑)」に多々ヒットする「お化け番組」だったんだなあと…(笑)

ともあれ…文珍師匠は、バラエティー番組に染まられることなく
噺家としての姿勢を貫いて来られた訳で、奥さんが「再会」した(笑)時には
創作の「考えオチ」を披露なさっていたそうで
「考えオチ」とはナンぞや?の説明に古典落語にあるらしい?噺のオチ…

トイレでしゃがんでいる時に、懐に入れていたおにぎりがポチャンと落ちてしまい
「あっ!近道しよった!」(笑)…を挙げられ
「大丈夫ですか?皆さん、ついて来られてますか?」と文珍師匠(笑)

そこから数々の創作ネタに入られ、1つネタを終えられると
「今、7割の方は、ついて来られてますね」とか(笑)
「半分以上の方が『ナンのこっちゃ?』というお顔をなさってます」
…とコメントを挟まれるという風に進んで行くんだけど(笑)

奥さんが覚えていたのは、関西の駅に自動改札機が設置されつつあった頃のネタで…
おばあさんが下車した駅の自動改札機に引っかかってしまい
駅員さんに「切符はお持ちですか?」と訊ねられて一言…「届いてまへんか?」(笑)
皆さん、ついて来られてますか?(笑)

それはさておき、甲斐さんのインタビューですが…「文珍は交友関係も広い
中でも文珍が『生き方が信じられるまっすぐな人』と評するロックミュージシャン
甲斐よしひろ(六六)とは四十年以上の付き合い
異分野の友が語る文珍の芸と人柄は」との書き出しから

「出会いは?」…『二十代の頃、京都のライブ終了直後、楽屋でインタビューを受けた
当時、関西のラジオパーソナリティーは落語家が多く、文珍さんもその一人
ライブの余韻でホットな話ができ、親交が深まった』と甲斐さん

以前に「福岡でも吉本新喜劇が放送されていたので
関西のお笑いのテイストで育った」とおっしゃっていたし
文珍師匠はもちろん、鶴瓶師匠とも初対面から
トークが弾まれたというのは想像に難くありませんね(笑)

その後、大勢のお笑い芸人さん達と仲良くなられたのは
「鶴瓶とさんちゃんに知り合えたのが大きい」と話されていたように
みんなでワイワイと交流なさっている感じがするのに対し

文珍師匠には、京都グルメ指南や「お忍びデート(笑)」のアテンドをして頂いたりと
更にプライベートなおつきあいをなさってるみたいな気が…?
確か、文珍師匠から「人がいる方に向かって
タバコの煙を吐くような女性は如何なものか?」と言われて
おつきあいをお止めになったんですよね?

続いて「落語はお好き?」との質問には…『聴きません。落語は「見に行く」んです
所作を含めて見に行く。何でもそうだがライブが一番、落語も人間を見に行きます
文珍さんの高座で印象的だったのは新喜劇の後、トリで披露した一席
箸の長さが合わない嫁の噺だったけど
年寄りから子どもまで大ウケ、ぶっ飛びましたよ』と甲斐さん

かつて、鶴瓶師匠から「何を言っても笑ってくれる『最高のお客さん』(笑)」と評され
ご自身でも「バラエティ出演のハードルが低い(笑)」とおっしゃるだけあって
お笑いの点数は甘めの方みたいですが(笑)
「所作も含めて人間を見る」のがお好きだという点に関してはナットクです

小松政夫さんの「一人会」を始め、イッセー尾形さんの舞台やタモリさんのショーなど
「1人でこっそり見に行くのが好き(笑)」と話されていたし
今もずっと、お芝居やミュージカルから、大相撲や野球
サッカーにラグビーなどのスポーツ観戦まで、幅広く足をお運びになってますもんね?

また「観客を引きつける要素は何でしょう?」と訊ねられると… 
『出て来た時のたたずまい。それだけで格好いい
落語家であろうとアーティストであろうと一緒
文珍さんは素晴らしい』と絶賛なさっているのを読んで

「Aスタジオ」での鶴瓶師匠の素晴らしさは
番組の最後に、ゲストの方について語られるコメントではなく
それを言い終えられた後の「去り方」だと話されていたのを思い出し

そうした何気ない素振りや、ちょっとした仕草から
その方の人となりや、更には人生に対する向き合い方まで見抜かれるような感じを
若かりし頃の奥さんが「甲斐さんにじっと見られるのは怖い」と言っていたのかなあと…?
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