徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

書評:マルクス・ガブリエル著、『世界史の針が巻き戻るとき』(PHP新書)

2021年08月30日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教



今回は『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』と同じインタビュアー大野和基による『世界史の針が巻き戻るとき』(PHP新書)についてです。
同じ本を愛読書として何度も読むのもよいですが、同じ傾向のものを続けて何冊も読むのも知識が記憶に定着しやすく、理解も徐々に深まっていくのではないかと思います。
少なくとも私はだんだん日本語の哲学用語に慣れてきました(笑)

目次

はじめに(新しい哲学が描き出す、針が巻き戻り始めた世界とは)
第I章 世界史の針が巻き戻るとき
第II章 なぜ今、新しい実在論なのか
第III章 価値の危機 間化、普遍的な価値、ニヒリズム
第IV章 民主主義の危機 コモンセンス、文化的多元性、多様性のパラドックス
第V章 資本主義の危機 コ・イミュニズム、自己グローバル化、モラル企業
第VI章 テクノロジーの危機 「人工的な」知能、GAFAへの対抗策、優しい独裁国家日本
第VII章 表象の危機 ファクト、フェイクニュース、アメリカの病
補講 新しい実在論が我々にもたらすもの

マルクス・ガブリエルが提唱する「新しい実在論」は、「ポスト真実」の言葉が広がり、ポピュリズムの嵐が吹き荒れる現代において、「真実だけが存在する」ことを示す、画期的な論考とされます。
本書は、今世界に起こりつつある「5つの危機」を取り上げます。価値の危機、民主主義の危機、資本主義の危機、テクノロジーの危機、表象の危機の5つですが、最後の「表象の危機」はその前の4つの集約であるため、正確には4つの危機とその根底にある1つの危機と表現できます。

そして、時計の針が巻き戻り始めた世界、「古き良き19世紀に戻ってきている」世界を、「新しい実在論」はどう読み解き、どのような解決策を導き出すのかが比較的わかりやすく解説されています。

さらに、2章と補講では「新しい実在論」についての、ガブリエル本人による詳細な解説が収録され、特に補講では、ガブリエルが「私の研究の最も深部にある」と述べる論理哲学の核心を図解し、なぜ「世界は存在しない」のか、そしてなぜ「真実だけが存在する」のかに関する鮮やかな論理が展開されています。補講は論理学の素養がないと論理記号表現にちょっと戸惑うかもしれません。また、さらっと読み流してしまうと「え?どういうこと?」とクェスションマークが残ってしまいますが、自分でゆっくり図に描いてみればそれほど複雑怪奇なことが言われているわけではないことが分かります。

「世界は存在しない」と日本語で言うと無駄に大きな疑問を誘発するような印象を受けますが、ドイツ語であれば「Es gibt nicht DIE Welt」と定冠詞を強調するだけで、それほど大きな疑問を投げかけないと思います。「Es gibt nicht DIE (Welt)」と来れば、ほぼ自動的に「sondern mehrere (verschiedene Welten)」と続くことが予想可能なほど定型的な思考パターンのように思えます。唯一無二の万人に共通して認識される世界(DIE Welt)は存在せず、知覚者の数の分だけ異なるいくつもの世界がそれぞれの文脈に現出するという主張です。その意味では、原書のタイトル『Warum es die Welt nicht gibt』のニュアンスが『なぜ世界は存在しないのか』では十分に訳出されていないように思えます。定冠詞・不定冠詞の微妙な意味付けを日本語で表すのが容易でないのは事実ですが。

日本人読者のための著作であるためなのかどうか分かりませんが、全体的な印象としてガブリエルは日本を高く評価しすぎなのではなかろうかと首を傾げるところがあります。
日本は間違いなく技術大国ですが、業界によってテクノロジー化のスピードが異なり、いまだに手書き書類やファックスがデフォルトの業界も少なくはないことや、キャッシュレス化で相当遅れを取っていることなどは考慮されていません。何かGAFAに対抗するテクノロジーが現れる可能性があるとすれば日本だとガブリエルは期待しているようですが、どうなんでしょうか。
マンガやアニメにたまごっちなどファンシーで独特な「リアリティ」を創出した日本文化は、確かに科学万能を掲げる自然主義(科学で証明できないものは存在しない)という誤謬に陥りにくく、違うリアリティに対する感受性が高いと言え、それが表象の危機を乗り越えるための手がかりとなる可能性はあるのかもしれません。
もしかしたら彼なりの日本人に向けたエールなのかもしれませんね。

書評:中島隆博・マルクス・ガブリエル著『全体主義の克服』(集英社新書)

2021年08月30日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教


マルクス・ガブリエルが今マイブームです。
先日は大野和基編著『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』をこのブログで紹介しましたが、今回は中島隆博・マルクス・ガブリエル著『全体主義の克服』について語りたいと思います。

目次

はじめに(哲学の使命―中島隆博、精神の毒にワクチンを―マルクス・ガブリエル)
第1章 全体主義を解剖する
第2章 ドイツ哲学と悪
第3章 ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか
第4章 全体主義に対峙する新実在論
第5章 東アジア哲学に秘められたヒント
第6章 倫理的消費が資本主義を変える
第7章 新しい啓蒙に向かって
おわりに(「一なる全体」にこうするために―中島隆博)

正直、どこまで理解できたのか自信がありません。というのは、本書はこれまでに読んだ一般向けのマルクス・ガブリエル関連書籍とは違って、本格的な哲学的対話だったからです。ガブリエルは中国哲学を研究していたこともあるため、中国哲学の専門家・中島隆博氏と非常に深く対話ができるんですね。
私は中国哲学など「何それ、美味しいの?」というくらいまったく知らないので、その辺のお話はたぶん字面を追って表面的に理解した程度だろうと思います。非常に興味深い存在論が展開されていて、仏教の思想も交えて「無」を考えるというかなりハードコアな哲学的対話が展開されていました。

なぜ「全体主義」が殊更に克服の対象として取り上げられているのかと言えば、これが間違った哲学思想が政治に影響を与え、非常に暴力的な結果を生んだ最たる例だからです。
ガブリエルの思想の根底には全体主義に対する批判があり、それ故にナチスの真正のイデオローグであったハイデガーやその弟子の隠れ差別主義者のハーバマスを徹底的に解体してきたという経緯があったようです。私は彼の著作は読み出したばかりなので詳しくは知りませんが、『新実存主義』(原書:Neo-Exsistentialismus)や『なぜ世界は存在しないのか』(原書:Warum es die Welt nicht gibt)で触れているそうです。

歴史上の完全な全体主義体制とは、たとえば中国の文化大革命や戦前日本の全体主義、ナチス・ドイツの独裁体制などです。これらの全体主義運動の特徴は、人々が家族や隣人を監視・告発・攻撃するようになったことです。その要因は、国家が人々に私的な生活の空間を与えないようにしたからです。全体主義ではあらゆる私的なものが公的なものに成り代わって行きます。
それが現代の状況とどう関係があるのでしょうか?
「全体主義はこれまでとは全く違うところからやって来ています」とガブリエルが主張していますが、これはどういうことかと言うと、国家なき「デジタル全体主義」というものが形成され、公的な領域と私的な領域の境界線が新しい形で破壊されている状況を指しています。この進行中の全体主義の核心はデジタル化の技術自体とそれを操るソフトウェア企業群であり、それらが「超帝国」を形作っているというのです。
そして、人々はソーシャルメディアで嬉々として自分のやっていることを写真や動画に撮り、その写真や動画をオンラインで公開し、自ら進んで公私の境界線を破壊していて、その自覚がないというわけです。
中国ではスマホを通じた監視統制のシステムが完成されつつあり、人々の行動がポイントで評価され、体制側に都合の良い行動ほど高得点をもらえて、そのポイントで様々な特典を得られるので、深く考えない人々は「市民的服従」によって無自覚のまま体制に迎合するように操られてしまいます。このようにして市民たちが自ら疑似独裁を生み出してしまっていると見られます。
日本やドイツなどのいわゆる民主主義社会では、そのような市民的服従を生み出しているのはGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)だと言えます。一般市民は無料で様々なサービスを使っているつもりでいますが、実際のところ、これらのサービスを使うことで必ず何らかの「データ」を残しており、そのデータがGAFAの利益の元となっています。
また、FacebookやTwitterなどのSNSでは、ユーザーの閲覧履歴や「いいね」などの反応履歴から得られるデータを基に、ユーザーの好みに合うようなコンテンツばかりを提供されるようになるので、使えば使うほど自分とは違う価値観との出会いが制限され、どんどん視野が狭まっていく仕組みになっています。SNSで過ごす時間が長くなるほどその偏向が強まり、過激化する傾向があります。サイバー空間では自分の気に入らないものを簡単にシャットアウトできるので、違いに対する耐性も弱くなっていくのだろうと思います。
マルクス・ガブリエルはサイバー空間が実に反民主的であり、ユーザーは自分がGoogleなどのためにデータを提供するという無償労働をしていることに気付かずに搾取されているデジタル・プロレタリアートであり、デジタル難民だと言います。だからデジタル空間を再民主化しなければならないと。そのためには、哲学の社会的地位を高め、新しい啓蒙を可能にする必要があるということだと思います。

マルクス・ガブリエルと中島隆博両教授の邂逅をきっかけにボン大学の国際哲学センター(Internationales Zentrum für Philosophie)と東京大学の東アジア藝文書院が提携するようになり、現代の実践する学際的な哲学のプラットフォームの1つを形成しているそうです。自分の出身大学(ボン大学)にそのような画期的な試みがあるとは露知らずだったのですが、機会があれば講演でも聴講に行こうかと思いました。
知識としての哲学(主に哲学史)はどちらかと言うと(私には)退屈ですが、現代の分析と今後のあるべき姿を考える実践的哲学は大変興味深いと思います。混沌として情報ばかり溢れているものの、指針が見つかりにくい現代社会において哲学は必要な思想的土台を提供してくれると思います。社会の分断をもたらすような「アンチ」の(差別)思想ではなく、政治を中立化し、「人類はいかにあるべきか」という統合的な問いを様々な角度から考えて答えを探っていくそのプロセスが面白いです。この「様々な角度から考えて答えを探っていく」ことが本来の哲学です。
あなたも哲学してみませんか?

書評:大野和基編著『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』

2021年08月25日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教


マルクス・ガブリエルが今マイブームです。

先日は丸山俊一著『マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」』をこのブログで紹介しましたが、今回は大野和基編著『マルクス・ガブリエル つながり過ぎた世界の先に』について語りたいと思います。

本書でガブリエルは、「つながり」にまつわる三つの問題──「人とウイルスのつながり」「国と国のつながり」「個人間のつながり」について自らの見通しを示し、そのうえで倫理資本主義の未来を予見します。
第I章 人とウイルスのつながり
第II章 国と国のつながり
第III章 他者とのつながり
第IV章 新たな経済活動のつながり――倫理資本主義の未来
第V章 個人の生のあり方
章は5つに分かれ、「個人間のつながり」が3章と4章にわたって論じられた後に、最終章で「では、個人としてどうあるべきか・どう生きるべきか」という問いに対して指針を示します。


本書は大野和基氏がマルクス・ガブリエル氏にインタビューした対話を基に構成されているため、日本や日本人に対する言及や考察も多く、ガブリエル氏本人の著書よりも日本人読者になじみやすい内容です。
当然ですがドイツ語の原著は存在しません。
本書の中で引用されているガブリエル本人の著書は『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での倫理的進歩』と『Der Sinn des Denkens 思考の意義』(英題「The Meaning of the Thought」として言及)あたりでしょうか。どちらも未邦訳ですが、内容的には本書と重複するところもあるかと思います。

興味深いのは、任天堂のゲームの躍進をもって「日本の持つソフトパワー」と見ていることでしょうか。
コロナ政策に関してはドイツの打った手も日本の打った手も悪くはなかったと見ていることが意外かもしれません。ガブリエルはウイルス学者が政策に多大な影響を与える「Virocracy (独 Virokratie)」を断罪し、政治的判断はあくまでも政治家の手に委ねるべきであるとした上で、厳格なロックダウン措置は非倫理的であると批判しています。だから比較的緩やかな措置しかとらなかった日独の対応を「悪くなかった」と評しているわけです。
インタビューが行われたのは昨年の8月でしたので、その後に講じられたドイツの厳しいロックダウン措置や現在のデルタ変異株による感染拡大を鑑みてどう考え方が変わったのかぜひ知りたいところです。

「国と国のつながり」の章では、トルコのエルドアン大統領が独裁化したのはEUがトルコをさっさと加盟させなかったせいだと断じており、そのような過ちを再び犯さないためには中国とより密な対話をするべきだと提唱しています。「人権問題がある」とかその他の価値観の違いはあるにせよ、その違いにこだわって一方的に責めるだけでは中国を攻撃的にさせてしまうだけなので、違いを尊重した上で対話を重ね、同じ人類として共に倫理的な行動(環境保護や持続可能な経済活動など)を取るための協力を目指すべきだという意見には同意しかできません。
しかし一方で、日本は「軍隊を持つ」という意味での「普通の国」になるべきだと主張しているところがまた興味深いです。日本は(残念ながら)北朝鮮や中国といったあわよくば日本を破壊しようとする国と隣り合わせになっているので、侵略戦争を自ら行わないのは当然としてもアメリカの保護から自立して自国の防衛のために十分な軍隊を持つべきだと言うんですね。私の知る限りでは日本の軍事力は米中には及ばないにせよ世界でも有数の規模のはずなので、「自衛隊」という欺瞞を止めて、しっかりとした倫理に基づく(?)軍隊とすべきだということなのかと思います。
その上で対話をせよと。これはつまり軍事的にも(それなりに)対等な立場に立った上で対話をするということだと私は解釈しました。そこが対等でないと一方に侮りが生じ、他方に無用な萎縮・恐怖が生じるために対等で建設的な対話がより困難になる可能性を示唆しているようにも思えます。
日本では憲法9条と自衛隊のあり方についての議論が、他国に対する対抗心・敵対心から軍備増強を唱える強硬派と「平和憲法」を崇拝するあまり自衛隊の現状把握も諸外国の事情も把握せずにとにかく「平和」だけを唱える陣営との間の永遠に勝負のつかない感情的な塹壕戦になっているような印象があります。そこに投じられるガブリエルの「対話しなさい」と「自立した軍隊を持ちなさい」はある意味で、強硬派とそれに対するアンチテーゼとしての平和派の対立をアウフヘーベン(止揚)するシンテーゼとも言えるのかもしれません。

そして個人としてどういう世界にありたいのか。
自分が何らかの製品を買う時、世界のどこかで劣悪な環境で働き搾取されている人たちの犠牲の結果を享受している現実をまず認識したら、「それでよし」と思う人は少数派のはずだと考えるガブリエルは少なくとも性悪説ではないのですね。だからこそ対話による倫理的進歩を唱えられるのでしょうけど。資本主義自体が悪なのではない。倫理がないことが悪なのだ。だから倫理に基づいた資本主義社会を築いていくべきだ。それには1人1人の消費行動も変える必要がある。そう提唱するガブリエルは実際に様々な具体的なプロジェクトに関わっている実践的哲学者です。その実践的であるところも彼の魅力の1つですが、それ以上に彼が自分の考えが「正しいこともあれば間違っていることもある」と思っている謙虚さが特に魅力的だと私は思っています。彼が求めているのは「信奉者」ではなく、対話して共に考えていく対等なパートナーなのです。
意見は違っていていいし、違っているのが当たり前という前提の下、冷静に敬意をもって互いの論拠を提示し合い、よりよい考え方を見つけて行くのが理想で、そこに「あなたのような人たちはいつも…」的なステレオタイプによる人格否定・人格攻撃を差し挟んではいけない。そのような大人のディベートができる日本人は少数派でしょうし、違っていることを恐れる傾向の強い日本人の築き上げてきた和の文化には馴染まないように見えますが、ネットの炎上などを見ると「和の文化」はとっくに消滅しており、ただただ感情的に敵味方に分かれて互いに口汚く人格攻撃をしている非常にレベルの低い争いしかしていないような印象を受けます。
そのような争いの蔓延る世界に生きたいとは本当は誰も思っていないと思うのですが、どうでしょうか。

マルクス・ガブリエルは倫理・道徳哲学と新実存主義・新ドイツ観念論からアプローチしていますが、ご本人が認める通り仏教、特に禅との親和性も高い思想です。
ガブリエルの唱える冷静な倫理的対話の準備運動としてみんながヴィパッサナ瞑想やマインドフルネス瞑想などを実践したら、対話もさぞ思いやりある平和なものになるだろうと思います。
すいません。一人で熱く語り過ぎましたね(笑)

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書評:丸山俊一著『マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」』(NHK出版新書)

2021年08月20日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教

「コロナ下でも、あなたの「自由」を手放さないために」
コロナを哲学する。
そういう印象を受けたのが本書、丸山俊一著『マルクス・ガブリエル 新時代に生きる「道徳哲学」』です。
日本で数年前から注目され、ブームにすらなった(らしい)マルクス・ガブリエルに丸山俊一氏とNHK制作班が取材し、2020年12月にまとめられて今年2月に上梓された本書は、インタビュー形式であること、その質問の多くが具体的な生活感を持っていること、そしてガブリエルの平易に説明するセンスによって普段は哲学に興味を持たないまたは難しいとしか感じない人たちにとっても親近感が持てるものなのではないかと思います。NHKの「コロナ時代の精神ワクチン」という番組の書籍化ということですから「一般向け」として構想されているのも納得です。


私はマルクス・ガブリエルのブームのことなどまったく知らず、たまたま今年4月~7月にズーム開催されていたボン・ケルン両大学の日独学術協力の一環としてのリレー講義のうちの一つで、6月23日にボン大学哲学科教授であるマルクス・ガブリエルによる「Wirklichkeit und Fiktion im transkulturellen Kontext(超文化的文脈における現実とフィクション)」というタイトルの講義を受講したのが彼を知るきっかけでした。
なぜ世界は存在しないのか Warum es die Welt nicht gibt』や『「私」は脳ではない Ich ist nicht Gehirn』を始めとする彼の著作は「ブーム」と言われるだけあって邦訳されており、未邦訳なのは最新刊(2020年8月)の『Moralischer Fortschritt in dunklen Zeiten 暗い時代での倫理的進歩』くらいではないでしょうか。もちろんこの最新刊も私の積読本の中に入ってます(笑)

それはともかく、本書の魅力は知識としての哲学(特にマルクス・ガブリエルの新実在論・新ドイツ観念論などの思想)ではなく実践としての哲学に比重が置かれている点です。全世界をショック状態に陥れた新型コロナパンデミックをどう捉え、どう生きて行くのか、人類の向かうべき道はどこにあるのか、それを見つけるためには自分たち一人一人が何をしたらいいのかといったことを考えるきっかけを提供するエッセイです。
重要なのはあくまでも「きっかけ」と「提案」を提示していることで、「こうあるべきだ」という決めつけがないことです。
本書の中でもズームの講義の中でも繰り返し言及されている「他者が正しい可能性はある Der andere könnte recht haben (The other could be right.)」という違う意見や考え方を持つ者に対する敬意と「自分だけが正しい」というエゴの錯覚・誤謬を自戒する姿勢が特にすばらしいと思いました。
違いを認め、かつその違いにこだわらない対話をすることで新たな組み合わせが生まれる可能性があり、そこに倫理的進歩があると見るところに人類に対する希望というかある種の楽観主義に癒されるような気がします。
誰も排他や侮蔑の対象にならない。それがこの差別主義のはびこる昨今のご時勢でどれだけ輝いて見えることか。巷には何でもかんでも「差別だ!」と騒ぎ立てて、差別したとされる人をこれでもかと糾弾する人たちがいますが、この人たちは他者の発言や態度などを差別と決めつけて強く糾弾している時点で「差別している側」との同列に並んでるように思えます。他人を強く糾弾することは自分の考えだけが正しいと確信していなければできるものではありません。その意味で傲慢と言えます。
賢者は常に謙虚です。「私は何も知らないことを知っている」というソクラテスの言は有名ですが、それに通ずる彼の発言として「賢者はあらゆるものとあらゆる人から学び、凡人は経験から学ぶ。愚者は何でも他者よりもよく知っている(と思っている)」というのもあります。「他者が正しい可能性はある Der andere könnte recht haben. 」という姿勢はこのソクラテスの系譜に連なるものだと言えるでしょう。
マルクス・ガブリエルのそうした他者を尊重する姿勢や東洋思想に造詣が深いところばかりでなく、個人的に私がボン大学出身でボン在住であることも彼にシンパシーを感じる理由の1つですね。「場所の意味」を論じる際にボンのライン川の風景と京都の風景を引き合いに出すあたりに親しみを感じました。
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書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。5』(ビーズログ文庫)

2021年08月08日 | 書評ー小説:作者ア行


積読本が100冊近くになり、さすがに新しい本を買うのを控えようと思っているところなのですが、やはり続き物は新刊が出ればすぐに読みたくなりますよね?

『十三歳の誕生日、皇后になりました。』の5巻は赤奏国皇后宛のお手紙箱に入っていた「洪水の心配」と「妹の心配」が書かれた手紙を受け取った皇后・莉杏が人身御供を心配して真相を探るべく河川の街を訪れ、そこで生贄にされそうになっていた異国の青年を助けたら、その青年は実は叉羅国の司祭をつかさどる家の1つ・ヴァルマ家当主ラーナシュだった---と洪水という国内問題と隣国の重要人物の急な訪れという外交問題を同時に抱えるストーリーです。
このラーナシュが赤奏国皇帝・暁月の策略もあって隣国・白楼国へ入って『茉莉花官吏伝 7 恋と嫉妬は虎よりも猛し』に話が繋がっていきます。

このシリーズは幼い莉杏が皇后として国や国民のことを考え、自分が何をすべきかを一所懸命学びながら成長していく少女成長物語であると同時に、莉杏を「ちょうどよかったから」という理由で妃にした暁月がだんだん幼な妻の成長を喜び、誇りに思うようになっていき、いつかは夫婦愛となるかもしれないことをほんのり匂わす恋愛物語でもあります。赤奏国に伝わる守護神獣・朱雀の比翼連理を体現するかのように「一緒に国を立て直して行こう」という共通の目標で強く結ばれている二人の物語はほのぼのとさせる一方、少々緊迫感に欠け、今一つ「この先どうなっちゃうの?!」という興奮が足りないのが残念なところです。読み始めてしまった続き物なので惰性で買い続けていますが、ストーリーとしては先に始まった『茉莉花官吏伝』の方がずっと面白いですね。恋愛話としてもすでに夫婦になっている二人より、皇帝とそれに見込まれ・惚れこまれた女性官吏の関係の方が不安定で障害も多いので物語に緊迫感があります。
その意味でも『十三歳の誕生日、皇后になりました。』は少々長くなってしまっている『茉莉花官吏伝』のスピンオフ的な位置づけに過ぎないような気がします。


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茉莉花官吏伝

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書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 4 良禽、茘枝を択んで棲む』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 5 天花恢恢疎にして漏らさず』 (ビーズログ文庫)

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十三歳の誕生日、皇后になりました。

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書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。3』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。4』(ビーズログ文庫)


おこぼれ姫と円卓の騎士

書評:石田リンネ著、『おこぼれ姫と円卓の騎士』全17巻(ビーズログ文庫)


書評:岩下宣子著、『図解 社会人の基本 敬語・話し方大全』(講談社の実用BOOK)

2021年08月08日 | 書評ー言語


敬語というのはいろいろと厄介です。社会人体験なしに海外に出てしまった私にとっては特にビジネスシーンにおける言葉使いに馴染みがあまりありません。けれども、時折日本人の方とやり取りする必要があるときに妙に違和感を覚える言葉遣いもあり、その違和感の元が何なのか、私が持っている言語感覚が実際のところどの程度正しいのか、最近では何が標準とされているのか、そういったことを知りたくてこの本を読んでみました。今、Kindleunlimited で0円で読めるようになっています。

内容的には先日読んだ大野萌子著、『よけいなひと言を好かれるセリフに変える言いかえ図鑑』(サンマーク出版)と重複するところもありますが、実用本としてはこちらの方が章ごとの見出しがよく整理されていてわかりやすいと思いました。

目次
はじめに
1章 言葉づかいの基礎知識
2章 敬語の使い方
3章 丁寧な言い回し
4章 コミュニケーションの言葉
5章 言葉づかいの作法
6章 困った時のものの言い方
7章 クイズで育てる言葉力

この本を読んで私の敬語の感覚に誤りがないことが確認できました。
また、誤用例には知らないものも多く、それはそれで言語の変遷の最近の傾向を知るうえで興味深いと思いました。
また、それほどの比重は置かれていませんでしたが、エレベーターの中や車の中にまで上座・下座の規定があり、お客様をお迎えする場合には正確にそれを把握して上座をお勧めしなくてはならないようなことが書かれてあり、それもまた一つの驚きでした。恐らくそういうことが重視され、厳然と守られている保守的な世界と、そうでない現代的でフラットな世界が交わることなく併存しているのではないかと思われます。
敬語は大人として相手に対する思いやり・心遣いの表れであると同時に使う人の品格を表すものでもあるという著者の主張にはなるほどと思えるものもあり、詳細な言い回しの例は覚えておけばとっさの時に戸惑わなくて済むような具体的なものが多岐にわたって紹介されているので、実用的で参考になります。
やはり、「難しいしよく分からないから敬語嫌い」などというのは子どもの言い分だと思いますし、丁寧な言葉づかいにかなりの思い入れのを込めている方々に対して敬意や思いやりが足りないのではないかと思います。
私自身は上下関係を強調しない「丁寧語」だけにしたい派ですが、それを押し通すのは大人げないですよね。
また、普段は基本的に丁寧語だけで、謙譲語や尊敬語は積極的に使わないにしても、使うべき時とところではきちんと使える知識と能力を持っていないと、主義主張ではなく使えないから使わないんだと侮られることにもなりかねません。
「先生が申し上げられましたように」などのように尊敬語を使うべきところで謙譲語を使っていたり、「お疲れ様です」や「お世話になってます」と言えば済むと思っている?という印象を受ける濫用や「させていただきます」の不自然な多さなどを変だなと思う程度には私も敬語を身につけていたのだと実感しました。そうした言葉の乱れに対して怒りや嘆きなどを感じるほどのこだわりや思い入れはありませんけれど。

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書評:本田勝一著、『<新版>日本語の作文技術』(朝日文庫)

2021年08月06日 | 書評ー言語


5月に翻訳者向けの「日本語ブラッシュアップセミナー ~構文力強化編 」というオンラインセミナーを受講した際に、参考文献として本田勝一の『日本語の作文技術』を勧められました。それ以降、娯楽ではなく腰を据えて読書をする時間がなかなか取れずに3か月近く経ってしまいましたが、ついにこの本を読破することができました。

感想を一言で表すとすれば、「目から鱗が落ちる」。これに尽きます。

これまで専門であるドイツ語に関しては構造的な問題などかなり詳細に分析・研究することはあっても、母語である日本語にはそのような分析的な目を向けたことがありませんでした。文章の章立てや論理性に気を使うことはあっても、1つ1つの文について細かく検討することはなかったのです。そこに落とし穴があったのですね。

「翻訳調」と言われる文体(もどき)があります。これは一目で何か別の言語からの翻訳だと分かるような文体のことです。たとえば「Aおよび/またはB」といったフレーズを見かけたことはないでしょうか?
私は翻訳校正も手掛けているので、よくこのようなフレーズを目にします。これは英語の「A and/or B」またはドイツ語の「A und/oder B」に対応するものですが、それを知らない日本人が翻訳された日本語の成果物のみを読んだら「何だこれは?」としか思わないのではないでしょうか。日本語にはこんな接続詞の用法がないのです。
以前、英日翻訳講座のコースを受講していた時に、先生にこの頻出フレーズを日本語でどう処理したらよいのか相談したことがありますが、おおむね「AおよびB、またはそのいずれか一方」という感じに訳せばよいのではないかという回答をいただきました。それ以来ずっとこの処理法を実践しています。

よい翻訳とは何か。それはそれが翻訳であることを見破られない文章です。「翻訳調」であってはならないわけです。だからこそ、翻訳者に求められるのは実はターゲット言語の能力、私の場合はそれが日本語能力なのです。

この本ではこのような翻訳の問題にも触れられています。

日本語を書く上で悩ましいのは句読点の特に読点「、」の使い方です。これを学校で教わることはまずありませんし、どこにも標準化されていません。おそらく意識して使っている人は少ないと思います。意識している人は使いすぎている傾向が強いような気がします。読点の多すぎる文章は読みづらく、見苦しいものです。なぜでしょうか?読点のところで息継ぎのような休止をするからです。休止が多ければ文章の流れが破壊されるから見苦しくなるわけです。読点の多い文はぜーぜーと息切れしているような印象を醸しだします。
また、そうした文には読点を打ってはならないところにも打たれているので、文意を理解する妨げになるのです。

著者曰く、句読点の検討をする前に語順を正すようにすべきだとのことです。つまり、語順が正しければ読点を1つも打つことなく理解しやすい文を作ることが可能だというのです。どうしても必要なところにだけ読点を打つ。それ以外には、何か強調をしたいなどの趣味で打ってもよい。そういう原則です。
まずは語順。それから句読点。
この理由から、この本ではまず日本語の語順にはどういう規則があるのか検討することから始まります。
以下が目次です。
第1章 なぜ作文の「技術」か
第2章 修飾する側とされる側
第3章 修飾の順序
第4章 句読点のうちかた
第5章 漢字とカナの心理
第6章 助詞の使い方
第7章 段落
第8章 無神経な文章
第9章 リズムと文体
あとがき
新版へのあとがき
参考にした本

翻訳文を検討する際には一度声に出して読んでみるといいと言われます。そのことを知って以来ずっとそれを実践していますが、おかしいのは分かってもどう直していいのか分からないことがたまにあって悩ましい思いをしていました。でもこの本を読んで解決の糸口を見つけました。徹底的に語順を変えて行くことで分かりやすくリズム感もよい文章が書けるようになります。
語順を変える際の規則は実はすごくシンプルで、修飾する側の長いものから短いものへ順に並べるだけです。もちろん他にももうちょっとあるのですが、最も簡単な指針としてこれを心がけるだけでずいぶんましな文章が書けるようになると思います。「ましな文章」とは、必要最低限の読点しか使わずにすんなり理解しやすい文章のことです。
今はSNSで猫も杓子も文章を書く時代です。このため内容ばかりでなく文自体が崩壊しているようなひどいものを見かけることも多くなっています。あなたの文はいかがですか?一度じっくり検討してみませんか?この本を読めばきっと「そうだったんだ!」と思うことがたくさんあると思います。


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書評:今野敏著、『炎天夢 東京湾臨海署安積班』(ハルキ文庫)

2021年08月01日 | 書評ー小説:作者カ行

東京湾臨海署安積班シリーズ最新作が発売されていたので、早速買っておいて、日曜日なのをいいことにすでに松岡圭祐の『ノン=クオリアの終焉』を一気読みしたにもかかわらずこの本も一気読みしてしまいました。
松岡圭祐と傾向はだいぶ違い、今野敏の警察小説では誰も飛び抜けた超人的な働きをせず、それぞれの個性を生かしてそれぞれの働きをすることで事件が解決に導かれていくという過程のドラマなんですね。
東京湾臨海署の強行犯第一係長である安積は正義感が強く、人情に厚く、部下を信頼し大切にする一方で、上司に対してもはっきりと意見を述べる、いい刑事さんキャラです。自信満々のように見られる一方で、本人は謙虚で、部下の扱いに気を使って割とうじうじ悩んでたり、上意下達の警察組織の中でありがちな人間関係の葛藤を抱えつつ、なるべく衝突の少ない方法で捜査を進め(させ)、不要な忖度をせず、ただ愚直に事実を探求していくので、アクションは少なく地味です。
この巻での事件は、グラビアアイドル彩香が江東マリーナで絞殺されたことです。近くのプレジャーボートで被害者のものと思われるサンダルが見つかったため、その持ち主である芸能界の実力者がかねてからこのアイドルと愛人関係にあるという噂のため容疑者候補に挙がりますが、果たして真実はどうなのか。芸能界は暴力団と切っても切れない関係にあり、この芸能界のドンとされる柳井武春自身も暴力団員上がりで、現在でもその筋で顔が効くと噂され恐れられているが、その真相はどうなのか。殺されたアイドルとの本当の関係はなんなのか。
シリーズものなので、安積班のメンバーばかりでなく警察組織内の因縁のある人物も割と何度も登場します。同じ署内の安積をやたらとライバル視する強行犯第二係長・相楽は今回は安積に対して比較的協力的な態度でしたが、本庁の捜査一課からは佐治基彦係長が率いる殺人犯捜査第五係が参加し、かつての部下の相楽には信頼を寄せ、安積には事あるごとに意見・行動に口をはさみいちゃもんをつけるブレないいやな奴キャラでいい味を出しています。
池谷管理官や田端捜査一課長というお馴染みの顔ぶれの他、『晩夏』で交機隊の速水に徹底的に警察官としての基本姿勢を叩き直されたはずの矢口刑事まで登場します。多少の礼儀はわきまえるようになったようですが、まだかなり反抗的・生意気な若造ぶりで…

興味深いと思ったのは、「働き方改革」の警察官への影響が描かれていたことですね。捜査本部が立ち上がればそこに吸い上げられた警官は基本的に泊まり込み、捜査が佳境に入れば不眠不休も常識という労働形態と労働時間にこだわり、それを減らそうとする働き方改革は根本的に相容れないので、それを現場ではどう折り合いをつけていくのかという細かい現実問題が書き込まれていたのがリアルで、なるほどなと考えさせられました。犯罪や事件は警察官の労働時間などお構いなくいつでも起こるので仕方がない面もあり、人員を増やそうにも予算の関係プラス全般的な人手不足で人が集まらない辺りが悩ましいところでしょうね。


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書評:松岡圭祐著、『千里眼 ノン=クオリアの終焉』(角川文庫)

2021年08月01日 | 書評ー小説:作者ハ・マ行

松岡圭祐の千里眼シリーズ最新作『千里眼 ノン=クオリアの終焉』は、前作の『千里眼の復活』からわずか三か月後に書き下ろされた作品です。
作者の旺盛な創作力に感嘆するばかりです。

仕事で忙しかったため、本を買ってから2日間は我慢しましたが、日曜日になって我慢の限界に達し、一気読みしてしまいました。やるべきことはこれからやります😅 

この巻は、前作のノン=クオリアによる空爆テロ事件によって焦土と化した東京都杉並区で児童養護施設の常駐カウンセラーとして保護者を失った子どもたちのケアに当たっていた岬美由紀のもとに国際クオリア理化学研究所からの見学許可の手紙が届くところから始まります。
国際クオリア理化学研究所とは香港に拠点を持ち、WHOの支援を受けてクオリアの実在を科学的に証明するための研究所で、つい最近その証明がなされたと発表されたので、美由紀は研究所の見学を希望し、可能であればノン=クオリアの脅威について警告をするつもりだったのです。
とりあえず子どもたちのケアを手紙を届けに来た同僚の嵯峨に任せて、香港に出発します。日本政府の働きかけによって見学許可を得たため、同行者は文科省の職員・芳野庄平。
研究所の日本人職員・磯村理沙を始めとする職員および所長の李俊傑(リージュンジェ)の他、国連から派遣されてきた著名な医学博士エフベルト・ボスフェルトと言葉を交わした美由紀は不穏な空気を察し、翌日に正式にデータを見せてもらえる約束でその場を立ち去ることになったものの、ホテルには戻らずに警戒していると、暗くなった埠頭で突如SPの銃撃を受け、その直後、海と空から最新のボディアーマーに身を包んだ大量の兵士たちが研究所に攻撃を仕掛け、SPたちと激しい打ち合いを始め、研究所とその周辺はたちまちのうちに戦場と化していきます。
誰がどの勢力に属しているのか、どれがどの勢力の行動によるものなのか今一つ正確に分からないまま美由紀が争いに巻き込まれていく一方で、世界各国の政権がノン=クオリアによって武力制圧されて行ってしまいます。
ノン=クオリアの黒幕は誰または何なのか。人類を正しい方向に導くための世界の調整役を自負する陰の巨大組織・メフィスト・コンサルティングはノン=クオリアに本当に飲み込まれてしまったのか、それともまだ対抗する余力があるのか。人類の滅亡が果たして回避できるのか。
ノン=クオリアが全世界でものすごい物量戦を展開する中、美由紀は中国本土でノン=クオリアの中枢を叩く手掛かりを探して彷徨うという「一縷の望み」があるのかすら分からない絶望的な状況です。混乱の中でノン=クオリアで育ちながらクオリアを持ち続け、初めての実戦に耐えられずにノン=クオリアを抜けて美由紀の下に合流した楊が頼りになる同行者となりますが、疑心暗鬼は収まりません。この、誰が本当に味方なのか分からないところがスリル満点で面白いです。黒幕の正体も「え、そっちなの?」という意外性があり、ミステリーとして秀逸です。
ノン=クオリアはタイトルの通り終焉を迎えますが、人類の心理を巧みに操り、やはり人権や人情などは完全無視の巨大組織メフィスト・コンサルティングはまだ存続しているので、千里眼・岬美由紀の活躍の場は今後もありそうな余韻を残しています。



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