徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

ドイツ情報、ヨーロッパ旅行記、書評、その他「心にうつりゆくよしなし事」

ドイツの休暇

2019年06月29日 | 歴史・文化
休暇なしにドイツ人の仕事は語れません。同僚とのスモールトークも休暇の話題が実に多いです。特に今、6月下旬は夏季休暇シーズンが始まったばかりですので、ミーティングをすれば必ず一人か二人「あ、私来週から3週間休暇なんで(Ach übrigens, ich habe ab nächste Woche 3 Wochen Urlaub)」とか断りを入れる人がいます。このように申告してきた人には「ではよい休暇を(Na dann wünsche ich Ihnen (dir, euch) einen schönen Urlaub!)」などというのが普通です。「Schönen Urlaub!」だけでも別れの挨拶としてならOKです。
会社勤めの人が Urlaub と言えば、通常有給休暇(bezahlter Urlaub)のことを指しています。
休暇を取る権利は Urlaubsrecht で、その法的根拠は労働法(das Arbeitsrecht)の1つである連邦休暇法(das Bundesurlaubsgesetz、略語はBUrlG)に定められている法的休暇請求権(Gesetzlicher Urlaubsanspruch)です。
休暇法第1条の条文がそれです。
Jeder Arbeitnehmer hat in jedem Kalenderjahr Anspruch auf bezahlten Erholungsurlaub. (いかなる被雇用者も毎暦年有給休養休暇を請求する権利を有する)
そして第3条で年何日有休の権利があるのかが定められています。
  1. Der Urlaub beträgt jährlich mindestens 24 Werktage.(休暇は少なくとも年間24営業日とする)
  2. Als Werktage gelten alle Kalendertage, die nicht Sonn- oder gesetzliche Feiertage sind.(営業日とは日曜日または法定祭日を除くすべての暦日のことである)
法で定められた最低限の休暇は年24日ですが、役所や大企業、余裕のある中小企業などでは年30日と定められています。なのでドイツの法定休暇日数が年30日だと勘違いしている人も少なくありません。
ドイツの有休休暇の消化率は日本と違ってほぼ100%です。
そして祝祭日(病欠日も)が有給休暇とカウントされないため、実働日数は週休2日(5-Tage-Woche)のフルタイム(die Vollzeit)の人の場合だいたい年220日くらいになります。
Man arbeitet zwischen den Urlauben :-)
(休暇と休暇の合間に労働する)
また休暇中に事故(der Unfall)にあったり、病気になったり(krank werden、法律などでは erkranken)すると、担当医または治療病院が発行する就労不能証明書(die Arbeitsunfähigkeitsbescheinigung、略語はAU。das Attestとも言う)に記載された日数は病欠とカウントされるため、すでに許可され、消費されたことになっている有給休暇日数から差し引かなくてはなりません。
このため、3週間の予定で休暇を取った同僚が事故や病気などで4週間または5週間後に復帰するということもあまり珍しいことではありません。
休暇か病気かまたは研修などの理由にかかわらず労働していない日は Fehltage または Fehlzeiten として人事などの統計に使用されます。
全国の欠勤日数統計は法的健康保険組合が毎年発表しますが、この場合は Fehltage / Fehlzeiten とはいえ、病欠のみの統計です。なので記事の見出し以外では正確に krankheitsbedingte Fehlzeiten や Krankheitstage などと言います。
 

スペイン・アンダルシア旅行記 III(3):コルドバ~UNESCO世界遺産メディナ・アサハラ(ザフラー宮殿)

2019年06月20日 | 旅行

メディナ・アサハラ(Medina Azahara、アラビア語はMadinat al-Zahra。ザフラー宮殿)はコルドバから西へ約8㎞に位置する丘の斜面にアブド・アッラフマーン3世によって10世紀に建てられたカリフの宮殿都市です。造営が進んだところでアブド・アッラフマーン3世はアルカサルから移り、市民の移住も奨励されました。建設は息子のハカム2世に引き継がれ、合計35年をかけて完成しましたが、ウマイヤ朝の内紛によってヒシャーム2世の時代に破壊されてしまいました。 実際の使用期間はたったの75年間とのことです。ウマイヤ朝の滅亡後、長らく廃墟となっていましが、1910年に発掘が始まり、解明が進んだそうです。 都市の構造は、最上層にはカリフの宮殿や宮廷人の住居、中層には庭園および小モスク、下層には大モスクと一般市民の住宅地があったとされています。宮殿は東西1500メートル、南北700メートルの広さを持ち、正門にはドームを頂く円柱回廊がありました。鉄や青銅を張った扉は1500枚以上、大理石の円柱は4000本以上に達したそうです。

このザフラ―宮殿見学はコルドバの観光バス48時間エクスペリエンスパッケージ(25€)に含まるツアーで、私たちは5月26日の11:45分にバスで出発し、15:00に帰りのバスに乗るというスケジュールでした。正味2時間半くらいの見学時間となります。バスは遺跡のある丘のふもとにある博物館前で停まります。まずは博物館の中に入って遺跡の入場券を買います(1.50€、EU市民は無料)。

  

入場券を入手したら遺跡に向かうシャトルバス(ツアーでない場合は別途2.50€)に乗ります。カリフの住居区域であった山の上の北門から入ります。入口のところでは入場券をチェックするだけで販売はしていません。

そこからモスク等があった区域、大モスクと庶民の居住区域があった下層に降りて行って、またバス乗り場のある場所まで登って行かないといけないのでかなりハードな見学になります。私たちは最初に博物館で時間を取ってしまったので遺跡の方は上の半分しか見ずに戻りましたが、それでもハードでした。炎天下33°でしたので😅

      

見晴らしはいいですが考古学的な興味があるのでなければ要するに石の塊で、ここがカリフの寝室でした、ここがカリフを守る兵士たちの詰め所でした云々という説明プレートを読んでも、まああんまり感慨深いものではないでしょうね。

私たち、特にダンナはこういうのをじっくり見る派なので、バスツアーでなくレンタカーでも借りてスケジュールにとらわれることなくゆっくり時間を取った方がよかったですね。

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スペイン

スペイン・アンダルシア旅行記(1)

スペイン・アンダルシア旅行記(2):セビリア

スペイン・アンダルシア旅行記(3):モンテフリオ(グラナダ県)

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スペイン旅行記~マドリード(1)

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スペイン旅行記~マドリード II(3):夏の離宮のあるアランフェス

スペイン・アンダルシア旅行記 III(1):コルドバ~ホテル&旧市街の徒歩ツアー

スペイン・アンダルシア旅行記 III(2):コルドバ~パティオ見学ツアー

スペイン・アンダルシア旅行記 III(4):コルドバ~メスキータ

東欧

ブダペスト~ヨーロッパの真珠

思い出のプラハ

ドイツ

ドイツ・ワインの谷、アールヴァイラー

ドイツ: ローマ帝国軍駐屯地ザールブルク

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(1)~ニュルンベルク前編

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(1)~ニュルンベルク後編

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(2)~レーゲンスブルク(ユネスコ世界文化遺産)

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(3)~ドナウシュタウフ・ヴァルハラ

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(4)~バイエルンの森・ガラス街道

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(5)~パッサウ・イタリアンバロックの街

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(6)~アウクスブルク・ドイツで2番目に古い街

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(7)~ネルトリンゲン・隕石クレータの街(ロマンチック街道)

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(8)~ヘッセルベルク&ディンケルスビュール(ロマンチック街道の街)

ドイツ・バイエルン州周遊旅行記(9)~ヴュルツブルク・ロマンチック街道終点

フランス

フランス横断旅行記(1)— ロワール地方&ポワトゥー・シャラント地方

フランス横断旅行記(2)ー 光の海岸 :マレー・ポワトヴァン&ラ・ロシェル

フランス横断旅行記(3)ー 光の海岸 :イル・ドレロン島

フランス横断旅行記(4)ー 銀の海岸:ボルドー

フランス横断旅行記(5)- 銀の海岸:アルカション

デンマーク

コペンハーゲン旅行記(1)

コペンハーゲン旅行記(2)

日本

松本でお正月(2019)

葛飾八幡宮と八幡の藪知らず(千葉県市川市)


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十幕』(富士見L文庫)

2019年06月14日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行


今月はかなり忙しいにもかかわらず、出たばかりの『紅霞後宮物語』最新刊をさっそく読んでしまいました。まあ、ラノベなので完読するのにたいして時間はとられませんが。

さて、第二部の2冊目となったこの第十幕はこれまで皇族と管理の橋渡し役をしていた尚書が引退するため、茹王という皇族を宮廷に迎えることになり、彼の立場を確かなものにするために彼の娘を後宮入りさせることになります。本当は姉の嫡女が形式的に後宮入りする筈でしたが、彼女は元々体が弱く、後宮入りする前に風邪をこじらせてなくなってしまい、彼女の代わりに庶子の妹・娥が後宮入りすることになります。この茹仙娥が率直に後宮の役割は皇統を残すことであるとして皇帝のお渡りを要求したため、後宮での台風の目となり、皇后・関小玉を悩ますことになります。

皇帝・文林はこの「一応」皇族であるとはいえ庶出ある茹仙娥のところに通うと、れっきとした皇族で妃としての位も皇后に告ぐ貴妃紅燕のもとにはなぜ通わないと不満が出る羽目になるので行かないと断言したにもかかわらず、小玉たちが静養のために後宮を出る前日に茹仙娥が懐妊したことが明るみに出ます。

その他裏でい隣国でもろいろな陰謀が渦巻いており、いよいよ緊張が高まってきました。次巻が楽しみです。

これまで小玉の武官としての活躍や彼女に心酔する取り巻きに話の焦点があったのに対して、第2部はより大きな視点から見た小玉の描写が多くなってくるため、彼女の拙さが際立ってくるきらいがありますが、彼女の40過ぎの悩みとねじくれた文林に対する情、そして皇后としての責務を果たそうとする義務感との狭間で揺れる彼女は実に人間らしいと言えます。

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書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語』第零~七幕(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第八幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第九幕』(富士見L文庫)

書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第零幕 三、二人の過誤』


スペイン旅行記~マドリード II(3):夏の離宮のあるアランフェス

2019年06月10日 | 旅行

5月23日に行ったマドリード州アランフェスはRio Tajo(タホ川)沿岸の肥沃な土地を活かしたイチゴとアスパラの産地として知られており、マドリードから南へ47km、電車で45~50分のところに位置しています。5~6月及び9月~10月半ばの週末にはイチゴ電車がマドリードの鉄道博物館駅(Museo del Ferrocarril)から出ており、ノスタルジックな車両に揺られながら名物イチゴを楽しめるというアトラクションがあるのですが、2019年5月23日は木曜日でしたので普通の電車で行きました。マドリードからC3で約50分(南へ50km)。片道5€ですが、往復切符は8.10€です。

駅を降りると右手にバス停があり、そこから市街地までのバスが出ています。

夏の離宮Placio Realまで行くには市街地の市場Mercadoあたりで降りて5分ちょっと歩くことになります。私たちは駅のバス停を素通りしてプラタナスの並木道(Avenida del Palacio)を徒歩で離宮へ向かいました。

ゆっくり歩いて20分ほどですが、その後広大な庭園を散策することを考えるとバスに乗った方がいいかもしれません。この日は26000歩を超える新記録を出しました( ̄∇ ̄;)

並木道が終わるところはPlaza Elipticaという離宮の前庭のようなところ。そこには素敵なベンチがあったのでひとまず休憩しました。

 

足元を見てみると、水たまりに燕が数羽戯れていました。燕が地面にいるところを始めてみました。

この夏の離宮はフェリペ2世によって1560年に建造されました。もともとはサンチアゴ修道会の領地でしたが、イザベラ1世とフェルディナンド2世が修道会の権力をそぐためにローマ法王を説き伏せて1493年フェルディナンド2世を修道会の管理者に任命させ、実質的に領地を取り上げました。その後カルロス5世が1516年にアランフェスを王領とし、狩猟のための居城および庭園の造設を開始しました。フェリペ2世がアランフェスを公式の【夏の離宮】として体裁を整えました。その後ブルボン王家のフェリペ5世の時代から城と庭園の拡張がなされ、バロック様式に作り替えられていきました。

アランフェスは宮廷人とその使用人のみに立ち入りが許可されていましたが、Puente de Barcasがタホ川にかけられ、厳しい検査はあったものの一般人の立ち入りも許されるようになりました。18世紀中葉から一般人の居住も認められるようになりました。そのための都市計画が実施され、現在でも旧市街にはその名残がはっきりと残されています。つまり、町としては歴史が浅いと言えます。

離宮の入場料はEU市民は無料。通常料金は5€みたいです。

 
広大な庭園は無料です。噴水がたくさんあって、散策を楽しめます。私たちは取りあえず庭園の方から見学することにしました。

まずは離宮の東側にあるJardin del Parterra。

     

Jardin del ParterraからJardin de la isla(島の庭)へ行くにはTajo川に掛けられた小さな橋を渡ります。その川域は段差というか斜面が作られていて、カモやガチョウのたまり場になっていました。

   

Jardin del islaの方には孔雀もいます。近付いてもびくともしない奴です。つつかれたら嫌なので2mくらいまでしか近付きませんでしたが。

          

写真を見てお分かりかと思いますが、この日のお天気は晴れ時々曇りでした。

散策の後は遅いランチ(スペインではまだ普通のランチ時間)にしました。アランフェスの代表的な料理はアスパラオムレツとキジ料理です。FBFによればカエルの脚も名物らしいのですが、ドイツ語の観光案内ではそれを確認することができませんでした。まあ、結局そういった名物料理とは無関係のランチを取ったのですが。

      

さて、イチゴ電車に乗れなかった代わりにランチのデザートでイチゴを食べて満足していた私ですが、旦那がトイレに行くのでその間に支払いを済ませてくれと頼まれてリュックの中を探りお財布がないことに気が付いて焦りました。朝お財布をリュックに入れた記憶がなかったのでホテルに忘れてきたのではないかと思い、その場はダンナが支払ったのですが、結局ホテルにもなかったんですよね。それでよく考えてみたら前の晩もお財布をリュックから出した記憶がなく、最後にお財布を見たのは前日朝にセゴビアに行く前だったことに思い至りました。おそらくチャマルティン駅でセゴビア行の電車を待っていた間か観光中のどこかで盗まれたか、可能性は低いですがバスやトイレの中でリュックを倒してしまった時に財布が外に出ていたのに気づかなかったかだろうと思いました。現金は300€程入っていたので痛くないわけではありませんが、他によけておいた現金もありましたし、旦那も十分な現金を持っていたので旅行中困ることはありませんでした。また、財布に入れておいた身分証明書(IDカード)はなくなってしまいましたが、パスポートは別の場所に入れていたので帰国するにも困らないため、後日電車の落とし物預かり所や駅の交番などに問い合わせはしたものの、ちゃんとした盗難届は時間もないので出さずに、カード類の停止のみで済ませました。

帰国後のことを考えると憂鬱でしたが、とりあえずそのことは忘れて旅行を続行しました。

アランフェスには地元観光局の勧める散策コースが3つあり、赤いルートはランチ前にほぼ網羅したので、

折角だから市街地の方に行く青いルートの散策をすることにしました。

 

ほとんど使われていない市場(Mercado de Abastos)。

 

市場の東側はCasa de Infantes(子どもの家?)とツーリストインフォ。

Real Convento de San Pasucualという修道院。

Calle del Capitanでマンゴージュースなどを飲んで休憩。フレッシュジュースとはいえ4€は高め。

離宮の中を見る時間が無くなるので青いルートは半分で強制終了。たいして見るべきものがなかったというのが主な理由ですが。

というわけで荷物検査を受けて離宮の中に入りました。ファサードはルネサンス様式ですが、バロックの影響も出ています。

 

階段室は馬車で乗り付けた賓客たちが最初に目にするところであるため、見栄を張るために大理石などを使って凝った作りにするのが常道です。

  

写真の撮影が許されているのはこの階段室まで。この後は見張りの人がかなり居て撮影する隙がありませんでした。

豪華な絨毯、家具、陶器、時計、絵画などの装飾を施された女王や王様の謁見の間や控室、談話室、グラナダのアルハンブラ宮殿修復に携わった建築家によるイスラム教の祈りの間のような凝った天井と壁の正方形の喫煙室(!)、壁に陶器のレリーフが施されている陶器の間(Sala de China)など眩暈がするほどキラキラを目にすることができます。これがスペイン王家の宮殿の1つに過ぎないというのですから、さすが大航海時代以降公然と他文化を植民地化し、そこから富を略奪してきただけはあると感心してしまいました。

離宮から出ると20時近くになっていたので、もう1つの大きな庭園Jardin del Principe(王子の庭)の方は見ることができませんでした。近くまではいきましたけど。

夕食をアランフェスでとるかどうか迷ったのですが、お財布のことが気がかりだったのでマドリードに戻ることにしました。そしてホテルの部屋を捜索し、昨夜ご飯を食べたところと立ち寄ったところにお財布が落ちてなかったか聞いた後、庶民の味方のレストランMuseo del Jamon(Sol駅に近い方の店舗)で夕食にしました。

メロンとハムの前菜にコシードというスープ。ハムとメロンは美味しかったですが、スープの方は塩分が多過ぎて飲めるものではなかったので、具だけを食べました。

 

翌日5月24日はコルドバへAVEで移動しました。

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書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 6 水は方円の器を満たす 』(ビーズログ文庫)

2019年06月09日 | 書評ー小説:作者ア行


『茉莉花官吏伝 6 水は方円の器を満たす 』は州編の後編・完結編で、茉莉花は御史台の翔景と協力して見事に隣国シル・キタン国の侵略を退け、白楼国を完全勝利に導いた功績で(将来への期待値も含めて)ついに禁色の小物を授与され、彼女の国内での立身出世のベースができた感じです。また恋愛面でも、皇帝が彼女に対する気持ちをついに認めるなど大きな展開があり、ますます面白くなってきて、続きが楽しみです。  

ただ、湖州編を5・6巻に分冊したことにはあまり納得がいきませんね。6巻は5巻の内容を復習する部分が比較的多いので、その部分を省けば薄っぺらでないまともな文庫1冊になったのではないかと思わずにはいられません。  

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書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 皇帝の恋心、花知らず』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 2~ 百年、玉霞を俟つ 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 3 月下賢人、堂に垂せず』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 4 良禽、茘枝を択んで棲む』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『茉莉花官吏伝 5 天花恢恢疎にして漏らさず』 (ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『十三歳の誕生日、皇后になりました。 』(ビーズログ文庫)

書評:石田リンネ著、『おこぼれ姫と円卓の騎士』全17巻(ビーズログ文庫)


書評:エラリイ・クイーン著、大庭忠男訳『アメリカ銃の秘密』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

2019年06月06日 | 書評ー小説:作者カ行

『アメリカ銃の秘密』(1933)は国名シリーズ第6弾。西部劇をニューヨークに持ってきた感じのロデオがスポーツ競技場コロシアムで上演され、2万人の観衆が見守る中、カウボーイ&カウガールたちの一斉射撃(空に向かって空砲を打つ)があり、その瞬間に往年の西部劇映画スターのバック・ホーンが馬から落ちて、彼の後を追っていたカウボーイたちの馬に踏みつぶされるという悲惨な事件が起こります。彼は一発で心臓を撃ち抜かれて死亡したために馬からずり落ちたのでした。クイーン家の召使ジューナの希望でロデオを見に来ていたクイーン父子は直ちに現場を収め、警察の応援を呼んで2万人の身体検査を行い、場内もくまなく捜索しましたが、バック・ホーンを撃った銃は見つからずじまいでした。捜査のためにコロシアムは閉鎖・興行禁止となり、4週間収穫のないまま経過し、再度ロデオが上演されると、また同じ状況で同じ武器を使ってウッディというロデオのトップスターが射殺されてしまいます。

いろんな背後関係が明らかにされて行きますが、武器はかなり後になるまで見つかりませんでした。例によって「読者への挑戦」ページがありましたが、最後の謎解きと同期の説明を読む限り「必要なすべての情報が提示された」とは納得がいかないと思いました。すごく真剣に謎解きをしようと思って読んでたわけではありませんが、「なるほど、あれはそういうことだったのか!」という納得感よりも、「そんなことどこに書いてあった?」という部分が多かったという印象を受けたので、読後感はX。娯楽としての楽しさがそれによって半減している感じです。

武器を隠すトリックは、なるほど確かにそこは抜け穴だったなと思えるものでしたけど。

 

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国名シリーズ

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『ローマ帽子の秘密』( ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『フランス白粉の秘密』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『オランダ靴の秘密』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『ギリシャ棺の秘密』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、青田勝訳『エジプト十字架の秘密』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

悲劇シリーズ

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『Xの悲劇』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『Yの悲劇』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『Zの悲劇』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

書評:エラリイ・クイーン著、宇野利泰訳『ドルリイ・レーン最後の事件~1599年の悲劇』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)

 

書評:エラリイ・クイーン著、大庭忠男訳『九尾の猫』(早川書房)

書評:エラリイ・クイーン著、青田勝訳『災厄の町』(ハヤカワSF・ミステリebookセレクション)


スペイン旅行記~マドリード II(2):UNESCO世界文化遺産セゴビア

2019年06月06日 | 旅行

1985年にUNESCO世界文化遺産に指定された、ローマ時代の水道橋を今も残し、中世の城壁に囲まれたセゴビアは正確にはマドリード州には属していないのですが、マドリードから北西に87㎞、日帰りで行ける場所なのでマドリードの旅行記に入れました。マドリードのChamartin駅からAVANTという急行で30分ちょっとです。鈍行で行くと3時間以上かかることもあるので、日帰りで行く場合は急行に乗ることをお勧めします。

私たちは前もって10時15分発の切符をネットで買ってあったのですが、なぜか10時30分発だと勘違いしていて、それに合わせてホテルを出たため、残念ながら逃してしまい、切符を買い直す(1人約13€)羽目になりました。 チャマルティン駅がホテルの最寄り駅Solから結構時間がかかるというのも敗因の1つでしたね。次の電車は12時過ぎとのことで、駅で暇をつぶしました。AVANTはAVE同様手荷物検査を受けないと構内に入れませんので、出発時間の10分前には来てないと間に合いません。チャマルティン駅付近で暇つぶしに行けるようなところはないでもないのですが、慌ただしくなってしまい、また電車を逃すのは嫌だったので駅をうろつくだけに留めました。

 

現代的と言えばそうなのかもしれませんが、はっきり言って醜い駅ですね。

12時過ぎに無事にセゴビア行の電車に乗り、時間通りにSegovia AV駅に着いたのですが、駅を出るとバス停とタクシー乗り場以外見渡す限り建物の影も見えず、間違った駅で降りたのではないかと不安になりました(笑)でもそれは、セゴビアの町は緩やかな丘を越えた向こう側なので見えなかっただけでした。バスで市街地まで25分ほどかかり、料金は2€ですが、私たちが着いた時はセゴビア目的の観光客が同じ電車からどっと降りてバスがぎゅうぎゅうでしたので、タクシーでローマ水道橋まで行きました。チップを含めて8€でしたので、バスに比べて一人当たり2€ずつ多く払うだけで速さと快適さが手に入ったわけですから正しい決断だったと思います

ローマ水道橋(Acueducto Romano)

というわけで、セゴビア観光は下の写真のローマ水道橋(Acueducto Romano)のあるPlaza del Azoguejoからスタートします。この水道橋は紀元後1世紀後半のトラヤヌス皇帝治世下で建設されたと言われています。1974年まで実際に使用されていました。これはSierra de Fuenfriaから旧市街の北西の端に位置する王城Alcazarまで17kmに及んで水を引く水道の一部で、長さ818m、高さ7~28.5mのトータル119個のアーチから成ります。これらは大部分建設当時のままモルタルなしの花崗岩切り石からできており、スペインに残る最大のローマ遺跡であり、最も美しい水道橋の1つと言われています。

 

旧市街は上の写真の右手、下の写真とは反対側にある丘の上にあります。

水道橋手前に旧市街へ上る階段があり、そのすぐ近くにツーリストインフォメーションがあるので、そこで地図をもらってえっちらおっちら階段を登りました。もちろん階段ではなく、坂を登ってはいれる城門もあります。

午後2時くらいになっていたので、教会や王城を見に行く前にランチにしようということで、取り敢えずPlaza Mayorに向かえば飲食店がたくさんあるだろうと考えてそちらを目指しました。そこに至るまでの風景が以下の写真です。

下の写真では通りの突き当りに大聖堂が見えます。大聖堂の手前がPlaza Mayorです。

この写真を撮ったあたりでダンナが「ここ、いいじゃないか」ととあるレストランを指したので、そこに先入観なく入りました。Casa Vicenteというセゴビア名物・子豚の丸焼きで賞を取ったらしいレストランで賞状みたいなのが入口のところに貼ってありました。もしかするとダンナはこの賞状に惹かれたのかも。店の内装はまあ、たいして凝ってもない普通のレストランという感じで、お店の主人も給仕さんたちもみなご立派な体格でした(笑)

 

ダンナは子豚の丸焼き(Cochinillo)がメインのランチメニュー(27€とランチにしてはかなり高い。前菜、メイン、デザートの他ワインプラスもう1つの飲み物付き)ものを頼み、私は丸焼きの写真と暑さで逆に食欲減退してしまいサラダを注文。

 

デザートにはダンナはセゴビア名物のPonche segovianoというケーキ、私はチョコムースを固めたようなケーキを頼みました。

 

どれも美味しかったです。

大広場(Plaza Mayor)

食べて元気が出た私たちはPlaza Mayorに向かいました。

 

 

 

マドリードのPlaza Mayorとは違い、セゴビアのPlaza Mayorは建物できっちり囲まれた長方形ではなく、なんとなく不定形です。大聖堂の他、市庁舎(17世紀)や劇場など立派な建物が広場のまわりに建っているところまでは他のところで見かけるような大広場と似たようなものですが、広場の中に植木とパビリオンがあるところがちょっと変わっています。特にその植木が整然と植えられているわけではないところが(笑)


セゴビア大聖堂 (Catedral de Segovia)

この大聖堂は市民の反乱で破壊された教会跡に1525年~1577年にGil de Hontanonの設計による後期ゴシック様式で建てられました。時代的にはルネサンスがトレンドだったころなのですが、あえてゴシックにしたところに設計者のこだわりが見られます。主祭壇は大理石。聖歌隊席は以前の教会のものが継承されています。

      

瞑想に適した静寂を提供する中庭は以前の教会のために15世紀にJuan Guasによって造られたもので、石を1つずつ今の位置に移したそうです。

中庭に続く回廊と中庭を囲む回廊の一部。

 

そして中庭。ベンチらしきものは見当たらなかったので、散策しながら立って迷走するのでしょうか?

 

中庭を囲む回廊から入れるホール。金メッキのArtesonadoと呼ばれる天井が見事です。

大聖堂の入場料は3€で、 日曜日の9:30~13:30は無料だとか。外は30℃ほどでしたが、中はしばらくいるとかなり肌寒くなり、軽く羽織るものが必要になりました。

王城(Alcazar)

王城はEresma川とClamores川の谷に挟まれた急峻な岩棚の上に聳えるカスティリャ王国の要塞で13世紀に建てられ、セゴビアがカスティリャの王都となっていた15~16世紀に豪奢な内装が整えられました。カトリック女王イザベルは1474年にセゴビアでカスティリャ女王に即位しました。トラスタマラ王朝時代の繁栄を経て、しばらく忘れ去られた後、18世紀になってブルボン王朝により再開発されました。この王城は1862年に火事でかなり破壊されたため、現在の建物は19世紀に古い設計図に基づいて再建されたものです。

入場料は5.50€。オーディオガイドも3€で借りられます。お手洗いは王城の建物の中に入ってすぐのところの地下にあるだけなので、見学前に用を足しておいた方がいいかも。

下の写真は王城の敷地からの眺め。

下の写真は王城の跳ね橋。三方を谷に囲まれた王城は、この跳ね橋を上げてしまえば、街の方からも攻撃できない堅牢な難攻不落の要塞と化し、残る方法は兵糧攻めくらいでしたが、数世紀の歴史の中で落とされたことはなく、単なる火事によって破壊されたあたりが歴史の皮肉とも見れますね。

丸い塔に先のとがった屋根がメルヘンチックです。

跳ね橋や塔とは全く違う建築様式の中庭を囲む回廊。

甲冑がものものしく、ここが要塞であったことを思い出させます。

 

ロマネスク様式の窓。窓の向こうに見える部屋は建て増されたSala de la Galera。

下の写真がそのSala de la Galeraで、豪華な箱型天井が見ものです。この天井はイスラム教徒の工人によって作られたものですが、パターン化されたものです。オリジナルの王城の天井は火事で焼け落ちてしまったので、現在王城に取り付けられている天井は、取り壊された教会から移設されたものです。

 玉座の間。エンリケ4世によって作られた広間。

諸王の間(Sala de los Reyes)。このアルカサルの中心的な広間。壁上部をぐるりと囲む歴代王の彫像は19世紀の作品。

 

青池保子の「アルカサル―王城―」の読者として、この王たちの中に血みどろの争いをした異母兄弟ドン・ペドロとエンリケ2世が並んでいるところを発見するのは感慨深いものでした。王位継承に争いはつきものなので、私が詳しく知らないだけで、他の横並びの諸王の間にもそれぞれドラマがあったのでしょうけど。

テラス。

 

包囲されて兵糧攻めにされた時に欠かせない井戸。

断崖絶壁に建てられたお城。

広間から見た谷間の眺め。

武器庫。

 

王城のテラスから見た市街地。

お城を出た後は来た時とは違って城壁沿いに歩き、完全な形で残っているアンドレア門に寄り、それから休憩しようとPlaza Mayorまで戻りました。

   

休憩の後は坂をぶらぶらと下りて水道橋のところまで戻り、バスを待ちました。

    

本当はセゴビアでゆっくり晩ごはんを食べてからマドリードに戻りたかったんですが、なぜか最終便のチケットが買えなくて(「購入」ボタンを押しても先に進まない)仕方なくそれよりも前の9時半過ぎの電車のチケットを買ったので、空腹のまま電車に乗ることになってしまいました。駅には売店の類がなかったので、街中でパンでも買っておけばよかったですね。

電車を降りてチャマルティン駅で何か食べられるかと思ったんですが、ファーストフード店しか開いてなかったので空腹のままメトロに乗ってホテルの最寄り駅のSolまで行き、ようやくご飯にありつけたのは11時過ぎでした。Restaurante San Cristobal というレストランの客引きに声をかけられてメニューを見せてくれたので、誘われるままそこに入りました。美味しいセピアを頂いて満足。

この後は疲れ切ってホテルに帰って寝ましたよ。

翌日の行き先はAranjuez(アランフェス)。

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