徒然なるままに ~ Mikako Husselのブログ

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書評:岩本裕著、『佛教入門』(中公新書)

2020年06月16日 | 書評ー歴史・政治・経済・社会・宗教


今回は初版が昭和39年発行という実に古い本を手に取ってみました。私が持っているのは昭和61年の第38版ですが、ゴム手袋をしないでいじると手がかゆくなる(ハウスダストアレルギーです)くらいには古いです。この本を持っていることすらずっと忘れてましたが、ちょっとしたきっかけで思い出し、ふと読み直してみた次第です。読みながら確かにところどころ読んだ記憶があると思うことがありましたが、たぶん30年近く前のことなのでもうほとんど忘れてました。

さて、本書は入門と銘打ってはいるものの、「はじめに」の部分で名指しで佛教者を批判し、現代の仏教が抱える多種多様な問題・課題を踏まえて、仏教をどう捉えるかが重要だと断言します。

内容は
  • ブッダの環境
  • ブッダの背景
  • ブッダの教え
  • 佛教とセックス
  • 佛教と社会
  • 佛教の展開
  • 大乗佛教
の7章からなり、歴史的人物としてのブッダとその教えにかなりのページが割かれています。最後の2章でブッダ死後の仏教の発展史がざっと語られているので、どちらかというと『原始佛教入門』とした方がいいのではないかと思うくらいです。

興味深いというか、独特なのは仏教におけるセックスの捉え方、特にブッダ自身の考え方について1章を割いているところですね。
ブッダが一種の性的ノイローゼであったとか、青年時代に性的に相当放埓であったがためにセックスの人生に及ぼす禍害を骨の髄まで知っていたことが、厳しい淫戒の契機となった、といったことや、女性の出家や悟りに至る能力に関する女性蔑視などが説明されています。
女性蔑視は様々な宗教に当たり前のように見られるので、仏教が特別どうこうというわけではないのですが、女性から見ればやはり不快ですね。
宗教における女性蔑視は、出家者に課せられる性交禁止という戒律にその一因があるのでしょうね。男性が性欲を抑えるには、女性をとことん貶め、糞尿のつまった肉塊くらいに見ないと無理、つまりそれだけ不自然な行為ということなのでしょう。

もう一つ興味深いのは、大乗仏教の展開において、特に阿弥陀仏、光明のシンボリズム、他力本願の思想がキリスト教の影響を受けているという指摘です。
確かにブッダの教えは、基本的に自分で修行して悟りに至るというものですから、菩薩(Boddhisattva)のような救世主的存在とは本来相容れません。つまり、仏教の中からだけではそのような思考の転換は起こり得ないわけですから、どこかから取り入れたというのが順当ですよね。特に光の理念はインドの宗教においては珍しいことであるため、西アジアから伝わってきた宗教思想が影響したという説を補強すると言えます。
ガンダーラ美術にギリシャの影響が色濃く見られるように、2世紀頃に発生した大乗仏教にキリスト教の影響が見られても宗教史・文化史的に見て何ら不思議のないことと言えますね。


書評:雪村花菜著、『紅霞後宮物語 第十一幕』(富士見L文庫)

2020年06月14日 | 書評ー小説:作者ヤ・ラ・ワ行


『紅霞後宮物語』の最新刊・第十一幕が発売されたので早速一気読みしました。
皇后・関小玉と女官たちは離宮へ休養に行き、新しい妃・茹仙娥の懐妊によって皇帝・文林との溝が深まっていく中、関小玉が自分の老いと文林に対する感情を自覚していくところが切ないですね。
後宮内の力関係も徐々にシフトしていき、だんだん小玉の立場が危うくなっていき、きな臭い空気が流れます。
隣国庚と寛では不審死に続く政変が起こります。
場面の移り変わりが割と多く、本編第十幕を読んでから時間が経ってしまっているので人間関係が分からなくなって少々混乱をきたしてしまいました。
全体的に話の流れも悪いように感じました。
最後になってようやく陰謀が表面化し、小玉がピンチになったところで「次巻に続く」になっていたので、一応次巻も気になるわけですが、あんまりワクワクしないですね、もう。残念。


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