・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:伊藤若冲ゆかりの寺 宝蔵時・相国寺・石峰寺」

2015-07-23 01:02:54 | tv

 【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:伊藤若冲ゆかりの寺 宝蔵時・相国寺・石峰寺」


毎週楽しみにしている、古寺紹介番組。今回は大好きな伊藤若冲ゆかりの寺というとで、3か所の古寺を紹介! ゎくo(。・ω・。)oゎく 

 

まずは宝蔵寺から

宝蔵寺 若冲の菩提寺 1591年秀吉の命により移転。1.2mの地蔵菩薩は子宝に恵まれると言われ、子安地蔵として信仰されている。本尊は江戸時代に建立された阿弥陀如来。勢至菩薩と観音菩薩が脇侍。極楽浄土から来迎する姿。


 

怒り、貪り、愚痴=三毒 南無阿弥陀仏の念仏を唱えると、極楽浄土へ行ける。法然の教え。左:勢至菩薩→正しい道へ導く、右:観音菩薩→死者の魂を乗せ極楽へ運ぶ。錦小路の青物問屋に生まれた伊藤若冲は250年前阿弥陀如来を信仰した。宝蔵寺は伊藤家の菩提寺。

 

大好きな伊藤若冲(Wikipedia)のお墓が石峰寺にあることや、阿弥陀三尊図を相国寺に寄進したことは知っていたけど、宝蔵寺(伊藤若冲ゆかりの寺/京都裏寺、宝蔵寺)のことは全く知らなかった! 若冲というよりは、伊藤家の菩提寺なのね? 子安地蔵(子安地蔵(コヤスジゾウ)とは|コトバンク)と阿弥陀三尊(Wikipedia)については、宝蔵寺の説明であって、伊藤家とはあまり関係ないけど、一応リンク貼っておく。まぁ、信仰していたのだから関係ないことはないか(o´ェ`o)ゞ 

 

父、弟、母が眠る墓の枡屋源左衛門は若冲のこと。この頃から絵を習い始める。鶏図などを描くかたわら、髑髏図も描く。仏教を学び死を意識し、逆に日々を大切に生きようとしていたのではないか?

 

伊藤家の菩提寺なので、当然両親や弟のお墓もある。若冲自身の墓は石峰寺だよね? 枡屋源左衛門というのは若冲の生家である、青物問屋枡屋の主人の屋号。描くかたわらってtweetしてるけど、要するに宝蔵寺には鶏図と髑髏図があるということ。

 

「髑髏図」 

 

「竹に雄鶏図」 

 

続いて相国寺

臨済宗 相国寺 足利義満により創建。幕府が定めた京都五山の内第2位にランクされる寺。相国寺のだいぜん禅師(?)が才能を見出した。若冲という名前もこの禅師が、若冲を励ますため与えた言葉の中にあった。禅の修行をした者に与えられる居士の号も与える。

 

 

 

相国寺(臨済宗相国寺派)の画像を入れてみたけど、今回は若冲中心に構成されているため、相国寺自体の成り立ちなどはあまりない。相国寺に住んでいたとか、阿弥陀三尊図を寄進したのは知ってたけど、漠然とした理解だった。だいぜん禅師とtweetしちゃってるけど、正しくは大典禅師(Wikipedia)。"大盈若沖"というのが若冲に与えた言葉で、大いに充実しているものは、空っぽのように見えるという意味だそうで、世間的に評価されない若冲の作品についての大典禅師の思いがこもっているとのこと。分かる! 分かるよ大典禅師!!

 

相国寺じょうてんかく美術館←漢字出ない! ここに若冲が描いた作品が多く展示されている! 行きたい!! 相国寺に伝わる中国の絵を手本に、禅画を学んだ。釈迦三尊像が完成。中国の絵を手本に描いたが、はるかに凌駕する出来栄え。中国製の純度の高い絵の具を使用しているため、現在も劣化してない。

 

承天閣美術館が正解。中国や朝鮮の絵画を手本にしていたというのは知っていたけど、相国寺に伝わる作品だったのね? そりゃ相国寺に住み込んでしまうね(笑) 先日見た「若冲と蕪村展」(記事書けてない)でも、手本と共に展示されていたけど、やっぱり若冲の方が好きだった! この釈迦三尊図何かの展覧会で見たことがある気がするんだけど、気のせい? ┏(゜ェ゜) アレ?

 

若冲は青物問屋の主人で絵を売って生活する絵描きではないので、コストを気にする必要がないため、高価な中国製の生地や絵の具などを使い、作品も惜しげもなく寄進してしまう。庭に鶏を放し飼いにして模写したりして、自由気ままに生きたように思えるが、錦市場の危機には2年間筆を置き存続に奔走!

 

一つ上のtweetにも中国の純度の高い絵の具を使用しているとあるけど、若冲の作品がすべて状態がいいのは、そもそもの素材に良いものを使っているからということもあるのね なるほど!! 惜しげもなく寄進してしまうというのは、禅の教えに帰依しているからだと思うけれど、やっぱりこういう背景もあるのかも。物に執着しないというか・・・

 

錦市場の危機というのは、錦市場を閉鎖しようという動きがあった際に、既に隠居の身であった若冲が奔走し、これを阻止したというもの。絵道楽で雁金屋をつぶしてしまった尾形光琳もある意味豪快だけど、こういうキチンとした部分が、禅宗にハマって行く感じに表れているのかも?

 

ここから石峰寺

伯ぶん(?)←漢字書けない との出会いにより出家。自身の店、相国寺を天明の大火で焼いた若冲は、伏見の石峰寺に身を寄せた。萬福寺の流れをくむ禅寺。以前は大伽藍であったが、今では1/10程度に縮小。高着眼=何事においても着眼を高く持て。←三筆の1人の文字 

 

伯照浩についてはWikipediaなども見つからない この方どうやら中国から来たそうで、萬福寺(黄檗宗大本山萬福寺)の僧だったらしい。萬福寺は黄檗宗の大本山なのね? 若冲は伯照浩に大変な影響を受けたようで、なんと出家してしまっている。若冲って出家してたのね? そういえば、聞いたことがあるような気も・・・ 


石峰寺(石峰寺 - 京都伏見 萬福寺百丈山 五百羅漢)との関係については五百羅漢や、若冲のお墓があることで知ってた! TV見仏記でMJ(みうらじゅん氏)&SI(いとうせいこう氏)が訪ねた回のDVDも持ってる! tweetの三筆の1人っていうのは、高着眼お文字を山門の額に書いた人物のこと。名前を言ってたけどメモ取れず 調べてみたけど分からない(´・ω・`)

 

黄檗宗に帰依 鶏図に描かれた葉の水滴はにじみを使って表されている。当時にじみは失敗と見なされていた。高着眼によるもの?

 

これ画像貼りたかったけど見つからず 若冲は鶏図たくさん描いてるからね。今見るとにじみを失敗とは思わないし、むしろ水滴だと判断できるのだけど、当時は水墨画でにじみは失敗だったそうなので、これは奇想の画家の名に恥じない大胆さ。それが高着眼の教えによるものなのだとしたら、なるほどと納得! だから迷いがなかったのね!

 

石峰寺といえばの五百羅漢の中には若冲が彫ったものもあると言われているが、今ではどれかは分からない。訂正!伯ぶんではなく伯じゅん!←漢字は直ぐ出せない・・・

 

 

五百羅漢というものの当時は千体以上あったそうで、残念ながら現在は四百数十体になってしまっているらしい 千体もあるのじゃ当然一人じゃ彫れないわけで、これは若冲が下絵を描き、僧侶たちと共同で制作したのだそう。なので、当然若冲が彫った羅漢さんもいるのでしょうが、現在残っているかも謎ってことなのかな?

 

片膝をついてリラックスしている姿の石仏は、五百羅漢を造り終えて安堵している若冲の姿を表しているのではないかと言われている。伏見人形に似たポーズの人形あり。たしか、若冲伏見人形も描いているよね!

 

リラックスしている羅漢さんの画像を載せたかったのだけど見つからず 全体的にとってもかわいらしいお姿の羅漢さんたち。その中でもとってもゆったりした姿。番組で紹介された伏見人形は布袋様だったかな? 大黒様? あれ?(o゜ェ゜o) 若冲は伏見人形を描いていて、これとってもかわいくて好き

 

石峰寺で死去 土葬された 戒名は斗米庵若冲居士 斗米庵:絵を米一斗(15kg)と交換していたことから やっぱり若冲カッコイイ!! 

 

作品を米一斗に交換した後、さらに何かしていたって言ってた気がしたのだけどメモれず。若冲の人柄が分かる感じのことだったのだけど・・・ 15キロのお米と交換できるなら、いくらでも交換するよ若冲! 欲しいよ若冲の作品 と、煩悩丸出し(笑) 

 

今回は若冲に特化しているため、お寺自体の成り立ちなどはアッサリ目だったけど、こういう企画もおもしろい! 

 

古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【cinema】『Mr.タスク』 | トップ | 【動画】映画『クーキー』予告編 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (カピバラ☆おやじ)
2015-07-23 12:39:36
若冲、ご覧いただきありがとうございました。

若冲の家は非常にお金持ちなので高価な画材の購入に糸目をつけない、しかも奥さんもいない、流派にも属さない、つまり自分を縛るものは何もなかったと言われています。
教授が行っていますがまさに「完全なる自由」。

世界中のすべての絵師は、絵を売って生きてるわけですが、彼の場合は売らなくても食べていけたので売る必要もなかったのです。

趣味でそういうことをしてるお金持ちの人はほかにもいるかもしれませんが、彼の場合はそれでいて超一流の腕を持っていたというところがすごくて、教授いわく「世界を見ても歴史上唯一の画家」だそうです。

晩年彼は絵を米一斗で売っていましたが、その売ったお金で石工に羅漢を彫らせていたので、これまた食べていくために売ったわけではないのです。

1000体もの羅漢があるということはそれに相当する絵を描いていたというわけで、世の中にはまだまだ埋もれた若冲の絵があるはずです。実際今でもいくつも見つかっています。

羅漢は若冲自身が彫ったものもあるとの文献が残っているのですが、それがどれなのかはわかっていません。

伏見人形と似たものがあるというのは「布袋」です。布袋は禅にとっては「悟りを得たもの」であるので石仏を知るうえで重要なキーワードかと思います。これは私個人の説なのでなんの確証もないんですけどね(^_^;)

扁額の文字は黄檗三筆のひとり即非のものです。
黄檗三筆のほかのふたりは、あのインゲンマメで有名な隠元禅師と木庵です。

小説「若冲」が直木賞候補になりましたよね。
私はあえて読まなかったのですが、実像の若冲とはだいぶ違う部分もあるようです。生涯独身だったはずなのに実は自殺した妻がいたとか。
実際はむしろ男色の傾向がみられるとの説もあります。
調べれば調べるほど面白い人です彼は。

角川文庫の「若冲 広がり続ける宇宙」とか
とんぼの本の「異能の画家 伊藤若冲」などを読むと面白いですよ。どちらも番組でインタビューした狩野教授の本です。

いま相国寺の承天閣美術館では若冲展が開催中ですが来年の生誕300年にむけてあちこちで若冲がらみのイベントがあるでしょう。ぜひこの番組のことを思い出起こしながらそれらにも足を運んでみてください。
また一味違った見方ができるかもですよ。
返信する
>カピバラ☆おやじ サマ (maru♪)
2015-07-25 17:24:45
わー たくさん教えていただきありがとうございます!

若冲の実家が裕福な青物問屋であることは知っていましたが、
正直そこまでお金持ちとは思っていませんでした(笑)
まさに仙人のような人物なのですね。

交換したお米で石仏を彫らせていたのですね?
なるほど、千体も彫ったのなら、お金がかかっただろうと思っていましたが、
そうやって工面していたのですね?
若冲にとっては全てが喜びだったのでしょうね!

布袋"は悟りを得た者"という意味なんですね?
なるほど!

黄檗三筆というのは初めて知りました!
調べてみたところ3人とも中国から渡来した方々なのですね?

最近の直木賞や芥川賞授賞作はなんとなく自分の好みと合わないので、
あまり読む気持ちが起きないのですが、実像と違うのであれば読まなくてもいいかな(笑)

以前から相国寺と石峰寺は是非行ってみたいと思っていましたので、近いうちに行けたらと思っています。

来年までいろいろ盛り上がりそうですね! 楽しみです

ご教示いただきありがとうございました!
今後も番組楽しみにしております
返信する

コメントを投稿

tv」カテゴリの最新記事