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【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:清水寺」

2015-07-01 23:41:47 | tv

【備忘録】「古都浪漫こころ寺巡り:清水寺」

 

京都や奈良を中心に、古寺を紹介する番組。毎回、視聴しながら気になったところをtweetしておき、後から補足を加えて備忘録として記事に残している。ということで、今回は調メジャーどころ清水寺。

 

京都では二番目に古い。仁王門の背後には西門、そして三重塔。桃山時代の建築。シーボルト(Wikipedia)により、海外に紹介された。清水の舞台は数回焼失している。現在の舞台は1633年徳川家光の発願で再建された。

 

 

清水寺(音羽山 清水寺)と言えばの清水の舞台。初代は平安時代に建てられたそうだけれど、度々焼失しているらしい。現在の舞台が家光(Wikipedia)の発願とは知らなかったのでビックリ!

 

33年ごとにご開帳する本尊は千手観音像。頭の上に手を合わせた形は清水式と呼ばれる。33年ごとのご開帳は、33の姿で人々を救うことから。

 

 

清水寺のご本尊は千手観音菩薩(Wikipedia)。写真はご本尊様なのかな? お前立かな? この頭の上で手を組んで化仏を捧げている様式を清水型と呼ぶのだそう。tweetでは清水式って書いちゃってるけど、正しくは清水型なのだそう。

 

観音菩薩は三十三の姿に変化し、人々を救うといわれている。この三十三観音についてはWikipediaの三十三観音の項を見ていただくとして、三十三観音にちなんで33年毎に御開帳ということは、その時々現れるお姿が違っているということなのかな? イヤ、もちろん本当に変わっているということではなくて! あくまでも役割というような・・・ 上手く言えないな

 

えんちんとぎょうえ(変換が…)が出会ったのが音羽の滝。坂上田村麻呂は身重の妻に鹿を食べさせるため、東山に入り音羽の滝でえんちんと出会い、仏教に帰依し寺を建てた。これが清水寺の始まり。ぎょうえが開祖、延鎮が開山、坂上田村麻呂が本?←忘れた スマホからだと効率悪い

 

延鎮(Wikipedia)が夢のお告げにしたがって清泉を求めて行くと、音羽の滝で行叡居士(Wikipedia)と出会った。それが清水寺の音羽の滝(Wikipedia)。どうやら、この行叡という僧は実在したようだけれど、延鎮と出会った時にはかなり長生きしている設定らしく、伝説化してしまっているのかも? もちろん出会ったこと自体は事実だと思うけれど・・・


飛鳥時代の有名な武将 坂上田村麻呂(Wikipedia)が延鎮と出会い、清水寺の元となる寺を建て、その後も清水寺の発展につとめたというのは知らなかった! 平清盛(Wikipedia)が南都焼討(Wikipedia)を行ったりと、寺社や僧侶が力を持つことになった背景には、そもそもの寺の起源や発展に、時の権力者が結びついていたことが原因なのでしょう。


行叡が開祖、延鎮が開山、坂上田村麻呂が?っていうのは、調べてみたけど分からなかった


 1時間1時間前

源氏物語、枕草子にも登場。平安時代から観音信仰の人々で賑わっていた。本堂前に2本の錫杖沢。大は90キロ。弁慶のものと言われているが、修験者が奉納したもの。


「源氏物語」(Wikipedia)は田辺聖子訳を読んだことがあるし、大和和紀のマンガ「あさきゆめみし」(Wikipedia)を全巻持っているのだけど、清水寺出てきたっけ? あれ?(o゜ェ゜o) どうやら、夕顔が六条の御息所の生霊に襲われ亡くなった後、荼毘にふされるシーンで、清水詣で賑わう清水寺の様子が描かれているのだそう。この頃、清水寺詣でが盛んであったのだとしたら、同時代に生きていた清少納言も「枕草子」(Wikipedia)に書いたでしょうねぇ・・・


清水寺は3回くらい行ったことあると思うのだけど、錫杖あったっけ? その重さから弁慶が使ったものと言われているそうだけれど、修験者が奉納したそうで、たしか明治時代と言っていたように思ったのだけど・・・ 清水寺のサイト(本堂と清水の舞台|音羽山 清水寺)によると明治中期に奉納されたのだそう。大が90kgで、小は14kgとのこと。ちなみに12kgの高下駄もあるらしい(笑)

 

清水の舞台から飛び降りたという記録は200件以上で、85%は助かっている。一応、願掛けの最後の仕上げとして、飛び降りて助かれば願いが叶い、失敗しても補陀落浄土に行けると考えた。現在は禁止!

 

"清水の舞台から飛び降りる"というのは、一大決心をすることわざだと思っていたのだけど、どうやら願掛けの最後の仕上げとして飛び降りていたらしい!∑(゜ω゜ノ)ノ 前述したとおり、現在の清水の舞台は江戸時代に再建されたそうで、現在の舞台はビルの4階に相当するらしいけれど、それ以前の舞台の高さがどのくらいなのか不明だし、江戸時代以降も行われてたのかは不明。でも、85%は生存しているそうでビックリ! 失敗しても補陀落浄土(補陀落浄土(ふだらくじょうど)とは|コトバンク)に行けるという考えは、本人にとっては幸せなのかもしれないけれど、仮に補陀落浄土に行けたとしてもやっぱり"自殺"だからねぇ・・・ その辺りの宗教観との線引きは難しい。まぁ現在、その考え方を推奨してはいないと思うので、大丈夫だとは思うけれど(o´ェ`o)ゞ 


成就院。住職が住んだ本坊。相阿弥が作庭、小堀遠州が補修した。東山を借景。誰が袖手水鉢は豊臣秀吉が寄進。秀吉は観音菩薩を信仰。大政所の病気平癒を祈願した。


成就院(成就院|音羽山 清水寺)とGoogle検索かけると、どうしても鎌倉のあじさい寺の方が出てきてしまう。鎌倉のお寺と関連があったりするのかな? 結構、例えば全国各地に国分寺を作ったりとか、政策として行った場合もあるし、信仰が広まるにつれ同じ名前のお寺や神社が全国に建てられたりしたし。そもそもは、木の水寺が焼失した際に、再建資金を集めるために勧進活動を行った願阿上人の住房として建てられたのが始まりなのだそう。



相阿弥(Wikipedia)って知らなかったけど、室町時代の絵師なのね? その相阿弥が作庭した庭を、小堀遠州(Wikipedia)が補修したとかスゴイ話。誰が袖手水鉢というのは手前に写っている手水鉢。袖が垂れているような形をしているので、誰が袖手水鉢と言うらしいのだけど、その感じは伝わらないね 豊臣秀吉(Wikipedia)が寄進したとはビックリ。観音菩薩を信仰していたのね? なるほど(笑)

 

月照上人は寺のため、国のために奔走したが、幕府に追われ、西郷隆盛を頼り薩摩へ逃げたが、入水した。

 

当blogの【備忘録】シリーズの主旨としては、お寺や仏像、文学作品などの解説的番組を見て、そこから得た知識を忘れてしまわないようにtweetしておき、不足している知識をWikipediaなどで調べて補足しておいて、後から見返せるようにしたいというもの。せっかく得た知識を無駄にしてしまうのはもったいないので(笑) しかしね! PCならともかく、スマホのフリック入力ではなかなか追いつかなくて、結果上のtweetのように、何だこれ?というものが出てきてしまう 


ということで、Wikipediaを調べてみたところ、月照上人(Wikipedia)は幕末の成就院の住職。尊王攘夷派(Wikipedia)だったようで、国を思い奔走したことで、幕府の怒りを買い、薩摩で入水したということだったらしい 「大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも」という辞世の句も番組では紹介されていた。どうやらこの錦江湾への入水は西郷隆盛(Wikipedia)と共に行ったそうで、西郷隆盛は奇跡的に助かったのだそう。そんなことがあったなんて知らなかったのでビックリ!

 

松原橋=旧五条大橋=清水大橋。清水詣ではこの橋から始まった。清水参詣曼荼羅。→八坂の塔(東寺、興福寺につぐ3番目の高さ)→三年坂(妊婦が息を切らしたため産寧坂が訛った)



このtweetだけ読んだらなんのこっちゃ?なのだけど、これは、清水寺詣での様子を描いた清水参詣曼荼羅(Wikipedia)に沿って、清水寺とその周辺をしていた時のメモ(笑) 現在の松原橋(Wikipedia)が旧五条大橋(Wikipedia)だったそうで、清水寺詣ではここから始まった。そのため清水大橋とも呼ばれていたのだそう。


 

清水寺の周辺には八坂の塔でおなじみの法観寺(Wikipedia)や、途中で転ぶと三年以内に死んでしまうという言い伝えがある三年坂があるという説明。三年坂というのはそもそも産寧坂(Wikipedia)が訛ったものだというのは興味深かった! 三年以内に死んでしまうのと、妊婦さんが息を切らして上ったのとでは意味が全く違う! そもそものほのぼの感にビックリ(笑)


江戸時代に五条坂から参詣するルートが開かれた。清水焼の産地。成就院が管轄。清水六兵衛。


これもtweetが説明不足なのだけど、要するに江戸時代に開かれた五条坂ルートが、いわゆるお土産的な要素もあったためか、清水焼の産地になった。しかも、その生産を成就院が管理していたというのがまたビックリ! 江戸時代ってかなり都市整備ができていたようで、江戸も世界的にも高度な都市だったようだけれど、京都もそうだったのでしょうかね? 唐突に出てきた清水六兵衛(Wikipedia)というのは、その清水焼の産地の中でも中心的な人物で、現在も名前を受け継いでいて、当代は八代目。建築を学んだ八代目の作品は、図面を引いてから製作するそうで、その斬新な作品は海外でも評価が高いのだそう。


今回は清水寺ということで超メジャー寺院。知っているようで知らないことも多いので、とっても勉強になるし、昔から超メジャーゆえに、奈良時代から始まり、その時代ごとの人々の暮らしや考えも知ることができて楽しい。でも、やっぱりこじんまりとしたお寺の方が好きかなぁ。あくまで個人的な好みの問題。


古都浪漫こころ寺巡り:毎週水曜 22:00~@BSフジ

古都浪漫こころ寺巡り|BSフジ

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