マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

友人司祭の来日。 そして節分。

2014-02-03 21:40:15 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
今日・2月3日。
昨年のバリ島旅行の折に世話になった
          『司祭の来日』

国際線到着口。
大きなサーフィンボードを抱え大きなバッグを引くバリ島旅行から帰国の沢山の日本人青年に続いて・・・
    小さなバッグに小さなリックサックの『30歳の青年』 が出てきた。

沢山の若い青年達の輝く姿が、そこにあった。 すばらしかった。

そして・・・

私は、なぜか、『御言葉』 を思い出していた。

『御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことが出来る。
見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。
わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ殖える。』             
                                          申命記 30章14~16

何故? 『御言葉』 を思い出したのだろう?
あまりに対照的な、日本の青年と達とインドネシアの青年の、両者の姿を同時に見たからだろうか? 
清純潔白な雰囲気の友人司祭に、久しぶりに再会したからだろうか?  分からない。



そして・・・

今日・2月3日。
恵方巻き寿司と鰯を頂き・・・     『節分』
 
厄除けの、節分。 福を呼ぶ、恵方まきすし と 豆まき。       他力本願の良いことずくめ。 楽しみました

『命と幸い』、「死と災い』 を、私たちの前に置き、その『選択』を、私たち一人一人にに任せる神。 厳しい。
アダムとエバには、エデンの園に、その実を食べると必ず死ぬという『善悪の知恵の木』を置いて、その選択を二人に任せた神。 二人は食べてしまい…死に至りました。 

神は、『命と幸い』 のみは置かない。  同時に  『死と災い』 を置かれます。
神は、選択を人間に任せる 『自由』 を人間に与えます。 『自由』 は 『責任』 を要求されます。
            『責任』は、努力とふんばりが、要求されます。


神様の導きの手を信頼して、神の示す道を生きると決めた 『青年神父』。
確かに、『命を全うする道』を歩む人の、においがしました。 無駄のない研ぎ澄まされた姿は、素敵でした。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。 『自由』は、生きる喜びであり、同時に、人間性があらわにされる剣ですね!



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