四旬節の最終週の三日目。3月22日。
今日も、心静かに、心充たされて過ごしました。静寂。深沈。
2冊の読書。
左: 「レオナルド・ダ・ヴィンチ 復活『最後の晩餐』」 2000年2月10日(木)購入
右:先日・2016年2月25日(木)江戸東京博物館訪問時に購入。『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦』
余計事…本の購入日を必ず記す私です。
今日・受難の火曜日・・・・無心に読書しました。
巨匠の絵画・・・心のうるおいです。
『絵』を観るのも、下手だけど『絵』を描くのも、描く人の考えがはっきり出るようで、大好きです。
そして。
今日は3月22日。 受難の火曜日。
我が家の食堂にかかる・・・ 『最後の晩餐』
『「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」とイエスが断言された時の情景』
レオナルド・ダ・ヴィンチ作。 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会。
キリスト・イエスを囲んで12人の弟子 『最後の晩餐』
左の席から順に・・・
12人の弟子 と 『一人がわたしを裏切ろうとしている。』と断言されたイエス・キリスト
『イエスの言葉』を聞いて・・・・
思わず立ち上がるバルトマイ。 インドで伝道したといわれる。皮膚を剥がれて殉教。
ペテロの背中をたたき、状況を聞こうとする小ヤコブ。
驚いた様子でイエスの方を振り向くアンデレ。 ペテロの弟で、伝道中にマタイを補佐した。
教団の会計係だった横顔のユダは、手に革袋の財布を握り、
銀貨30枚でイエスをユダヤの大祭司と長老たちに売ったその目は、やや奥に位置するイエスを凝視する。
イエスが最も信頼した、12使徒の筆頭で、ローマで最初のキリスト教団を設立したペテロ。 63年にネロ帝によって逆さ磔刑。
大ヤコブの兄弟で、ヨハネ福音書の著者、宣教活動ではペテロと行動を共にし、イエスが最も愛した弟子と言われるヨハネ。
そして イエス。
復活のイエスの傷口に触れる指を連想させる、立てた人差し指のトマス。 インドで布教し、異教徒の兵士に槍で突き殺された。
驚きのあまり力強く指を開く大ヤコブ。 ヨハネの兄弟。コンポステーラ巡礼路の終点は大ヤコブの墓です。
両手を胸に当て、自らの潔白と主への忠実を訴えるピリポは、『晩餐』の席上でイエスに質問を発し、「なぜ信じないのか?」とイエスに戒められます。 熱弁をふるって伝道活動をした。
マタイ、タダイ、シモンは、イエスを見ず、議論に熱中している。
名は『神の手・助言を与える者』の意味で、描かれた両手を大きく差出し主の方向をはっきり示すマタイは、収税で働くところをイエスに召し出された収税史です。 斬首で殉教。
本名は裏切り者と同じ「ユダ」で、キリストの磔刑後シモンと共にパレスティナ地方で布教するタダイは、『晩餐』でもシモンと熱心に議論です。
「熱心党のシモン」と呼ばれ、気品ある初老に描かれているシモン。 イエスの死後タダイと共にシリア、メソポタニアで布教。のこぎりで体を二つにかれて殉教。
以上。「復活『最後の晩餐』」より抜粋。
そして。
『今日の福音 イエスの言葉』 処刑を自覚したイエスと弟子達との『最後の晩餐』の場面です。
『(そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、)心を騒がせ、断言された。
「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。
イエスのすぐ隣の、イエスの愛しておられた者が、イエスの胸もとによりかかったまま、
「主よ、それはだれのことですか」と言うと、
イエスは、「わたしがパンきれを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。
それから、パン切れを浸して取り、イスカリオのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。
そこでイエスは、
「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。』 ヨハネ福音書 13章21-27節
ここで・・・
考えてみます。皆様も御一緒に考えて下さい。
『ユダ』は、どの時点で貪欲になったのでしょうか? その心境はどうだったのでしょうか?
『ユダ』は、どこまで責任が問われるのでしょうか? 永遠に滅んだのでしょうか?
こんな疑問は、普通の疑問かもしれませんね。
『ユダ』は、貪欲であったことは事実です。では、なぜ、『銀貨30枚』を祭司達に返したのでしょう?
ユダは、イエスを大切に思っていたから、返金して自殺をしたのでしょうか?
『ユダ』は、イエスがいつも危機から逃れるように、今回も、イエスが死から逃れると信じていたのでしょうか?
ユダは、イエスの判断に自分を委ねるのではなく、自分の判断を重視したのでしょうか?
『ユダ』は、最後の晩餐前のラザロとの食事の席で、イエスの足に塗るために300デンアリオンの香油を買ったマリアを非難しました。
『ユダは貧しい人々のことを心にかけていなかった』(ヨハネ12-6)のに、300デリアンに未練があったのでしょうか?
『イエス』は、なぜ、ユダを使徒に選んだのでしょう? いつから、ユダの裏切りを知っていたのでしょう?
答は、神・イエスにお任せ致します
更に。
聖書の言葉は続きます。
『ユダはパン切れを受け取ると、すぐに出て行った。夜であった。
さて、
ユダが出て行くと、(ユダがイエスを捕える兵士を案内してくると悟った)イエスは言われた。
「子たちよ、今しばらく、私はあなたがたとともにいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。
『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』」
シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」
イエスが答えられた。
「わたしが行く所に、あなたは今ついてくることは出来ないが、後でついてくることになる。」』
ヨハネ福音書 13章33-36
弟子たちは
イエスが言われた通り、イエスの磔刑後・・・・
イエスの人生同様に、各地に宣教 そして 殉教、『イエスの後をついて行く人生』を全うしました。
そして。
『今日の入祭唱 ダビデの言葉』 イエスもダビデ同様に神に願ったことでしょう。
『貪欲な敵にわたしを渡さないでください。
偽りの証人、不法を言い広める者が、私に逆らって立ちました。』 詩編27-12
いよいよ、『御受難・イエスの磔刑』三日前。 緊張感が漂います。
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
私が考える判断が、神の判断とは違って、お人を傷つけることがありませんように! と祈ります。
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今日・3月22日の走行距離:10㎞。
5時半。空気が冷たい。来る土曜日・26日は、恒例の『20㎞走会』。
”20㎞会なら・・・練習は10㎞でよしね!”と。 へし折って短め。軟弱な私です
フルマラソン前の早朝練習では14㎞は走る。 それぞれの大会前に実感する…『志は気の師なり』と。
自己創作です。
正確には・・・ 『志気之帥也』 (こころざしはきのすいなり)
志=思想や精神は気の総大将である。
思想が確立し、精神がしっかりしていれば、おのずから気力が充実する。 [孟子]
3月走行距離合計:130㎞
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