思い立ったが吉日。
”DIFやってみよう!” と思い立ち、吉日と、取りかかりました。
和室に鎮座していた『書類棚』を、居間に移動した。
大変な重さの二段仕立てで、あれこれと工夫をして、1時間かかって移動に成功。
DIY好きの私。 変化を好まない?夫の留守(ゴルフ)の間に、終了です。
和室の空いた場所に、オルガンが来ます。
ともかく、今日はこれまでです。大満足。
そして。
今日は11月10日。年間第三十一金曜日。
『今日の福音 イエスの御言葉』
『イエスは弟子たちに(たとえで)言われた。
ある金持ちに一人の管理人がいた。
この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口する者があった。
主人は彼を呼びつけて言った。「もう管理を任せておくわけにはいかない。」
管理人は考えた。「どうしようか。主人は私から仕事を取り上げようとしている。そうだ。こうしよう。
管理人の仕事をやめさされても、自分を家に迎えてくれるような者を造ればいいのだ。」
そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、借金の証文を、低めに書きなおした。
『不正な管理人』
主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方を褒めた。
この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。』
ルカ福音書 16章1-8節
主人の財産を無駄遣いした不正がばれて、追い出される前に、
更に、主人の債務者を一人一人よんで借用証書の書き換えをする悪者を、
・・・『賢くふるまっている』と感心する主人。
納得ができませんよね。 感心するんなんて・・・あり得ない話ですよね。
イエスが、たとえたとえ話といえ、不正することをここで勧めているわけはないですよね。
『不正な富で友をつくる』という意味が理解しにくいのです。
不正な管理人は、不正ゆえに自分が管理の仕事をやめさせられても、自分を迎えてくれる友をつくろうとしました。その抜けめなさに、主人は感心したのです。
考え方を変えれば・・・
私たち・人類は罪人です。不正者とも言えますでしょう。
しかし・・・
イエスは、その不正者・人類のために、自分の命を差し出して・・・
主人・神様との間を、執り成して下さったのです。
私たちは、罪人であっても、イエスの犠牲に心から感謝して、『神の赦し』を、強引にでも勝ち取ればいいのです!!
私たちは、『宝物・真の富・永遠の命』の有難さを知っているので、いかなる手段を使っても、
『真の富』を勝ち取ることが大切なのです。
なんて考えました。お粗末様でした。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今日は花金。 皆様の明日の週末がお幸せでありますように。 私は今夜から又東京です。お元気で!