マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

孫娘の修学旅行・・・『原爆の子の像』 そして 『本の研究を通して人は神を捜し、瞑想によって人は神を見出す。』・・・『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭』

2019-09-24 13:27:25 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。

 9月23日。秋分の日。快晴。


広島。

   佐々木貞子さんの・・・  『原爆の子の像』
 
      『折り鶴』 は 『平和のシンボル』
  
 広島・平和記念公園内のいたる所で、色鮮やかな『折り鶴』が見受けられます。

     『折り鶴』は日本の伝統的な文化の一つですが、
今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。
  このように折り鶴が『平和』と結びつけて考えられるようになったのは、
被爆から10年後に白血病で亡くなった少女『佐々木禎子さん』が大きくかかわっています。

 佐々木禎子さんは、
 2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。
 しかし、
 9年後の小学校6年生の秋に突然、白血病と診断され入院しました。
 回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、
 8か月の闘病生活の後に亡くなりました。        

    禎子さんの死をきっかけに、
原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、
   全国からの募金で平和記念公園内に『原爆の子の像』が完成しました。

   その後。
   この話は世界に広がり、

 今も『原爆の子の像』には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、
 
    その数は年間約1千万羽にものぼります。


孫娘。
明後日から広島へ修学旅行です。

     カトリック小学校に通う孫娘の修学旅行

    6年生全員(18人)で折った『千羽鶴』   
     『原爆の子の像』の前に捧げるそうです。

    一人一人が準備した『平和メッセージ』
       一人一人全員が順に述べて
     『原爆の子の像』の前に捧げるそうです。

 
更に。

  孫娘と孫娘の親友の二人だけで・・・   『千羽鶴』    を折りました。
   

         クリスチャンの孫娘と親友

   『二人の祈り』 を特別に 『佐々木貞子さん』 に捧げるそうです。
       
  おばあちゃんの私も、
    『二人の鶴折』 と 『貞子さんに捧げる祈り』 に参加です。
     優しい小学生二人に引かれて…広島参りです。感謝!感謝! 

 

そして。

今日は9月23日。年間第二十五月曜日。

     『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』
    

『本の研究を通して人は神を捜し、瞑想によって人は神を見出す。』 
                    と語った聖ピオ司祭

  
 1887年  イタリア南部ベネベント近郊のピエトレルチーナで誕生。
       両親は貧しい農民であり、フランチェスコは7人兄弟の4番目。
       
   10歳になるまで農夫として働き、家族が所有していた羊の群れの世話をしていた。
   宗教はフォルジョーネ一家に深い影響を与えた。
   一家は毎日ミサに出席し、毎晩ロザリオの祈りを欠かさなかった。
    また、
   カルメル山の聖母に敬意を表して1、週間のうち3日は肉を食べなかった。

 1903年1月6日。15歳。 モルコーネにあるカプチン・フランシスコ修道会に入会。
  同年1月22日。      修練者になる。清貧、従順、貞潔の誓願をたて、
          ピエトレルチーナの守護聖人である聖ピオ5世教皇にちなんで、
               『ピオ修道士』という名で呼ばれることになった。

 1910年。23歳。  ベネヴェントの大聖堂で大司教から司祭に叙階される。

 1916年。26歳。 サン・ジョヴァンニ・ロトンドの
          『農村伝導教団・カプチン会修道院』に派遣される。
          兵役を除いて、生涯の大半を、ロトンドの修道院で、奉仕職に努めた。

   霊的指導者として信者の告白を聞き、
     病者や貧しい人々の世話に従事して、
     神の民のために祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。

 1968年。81歳。 死去。

 1999年。 死後31年後。 列福される。
 2002年。 死後34年後。 列聖される。

 

『今日の入祭唱』

『神の霊はわたしの上にある。
貧しい人に福音を告げ、打ちひしがれている人をいやすために、神はわたしに油を注がれた。』
                 ルカ福音書 4章18節

そして。

『今日の福音 イエスの御言葉

『そのとき、イエスは人々に言われた。

 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。
      入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。

    隠れているもので、あらわにならないものはなく、
   秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。」』
                   ルカ福音書 8章16-18節

   
    皆様は、『ともし火』で、何をイメージしますか?

 私のイメージは、
 明るい明るい光ではなく、それがなくては生活が成り立たないような、優しい光です。

   寂しい時の、お人からかけられる『優しい一言』のような・・・。
   人生の指針・進むべき道の方向を示してくれる『聖書の一言』でもあり・・・。
   『この世の光』と言われる『イエス・キリスト』であります。


   イエスキリストは、隠されることなく、露わにされています。
   

       私たちも、隣人にやさしくして、
『イエスキリスト』の『ともし火』を、世に証ししていきましょう! 公にしましょう!

 

皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
小学校の時の修学旅行はどこでしたか?私は『奈良の大仏様』が大きかったです。 お元気で!


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